新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月11日 その2 誤りを訂正

2018-12-11 13:35:13 | コラム
突然押し寄せたCASEという変化の波:

実は9日に論じた「新出入国管理法に思う」の後半に取り上げた「自動車産業界の“CASE”の解説」に誤りがあったようなので、ここに謹んでお詫びして訂正したい。先ずは言い訳から入れば、President誌に大前研一氏が連載しておられるコラムには“A”を“autonomous”となっていたのが頭にあったようで、ついそう記載してしまったが、どう考えてもこれではおかしく、“auto drive”(=自動運転)が正しいと思う次第だ。

事の序でに日産自動車の取締役・志賀俊之氏が去る10月に行った講演では、“C”は“connected”、“S”は“sharing”、“E”は“electrify”(=電動化)となっている。志賀氏は「将に運転手のいないクルマだ。完全自動運転だから、アクセルがなくステアリングも付いていない。今そういうクルマがどんどん開発されている。クルマの世界では所有が共有に変わっていく。こうした一大変化の波が突然押し寄せる、百年に一度の変化が起こる」と語っておられた。

志賀氏は更に「こういう時代、即ち第4次産業革命の時代に、クルマはどうなるのかという個人的な仮説を述べていきたい」として「進化を考えると、少なくとも今のようなクルマは2050年には消えているだろう。例えば、すべてが電動化されれば、ガソリンスタンドは不要になる。全てのクルマがオートマテイックになり、マニュアル車は邪魔になる。公道では自動運転のクルマ以外走ってはダメ。自分で運転したい人はレース場などの限られた場所になる」と指摘しておられた。

私は色々な事情があって生涯自動車の運転はしないと大学進学以前に決めていたので、自動車に関しては疎いし、自動化されようとどうなろうとも自分の存命中には発生しないだろう事態だと思っていた。だが、この志賀氏の話を聞いていると、そう遠からぬ将来に大きな変化の波が押し寄せるようだと思わせられた。だが、その自動化か電動化か知らないが、それを動かすか管理するもの(ソフトかアプリか?)には何時不具合が生じるかも知れないという危険性を感じざるを得ない気がする。さて、如何なる時代が後何年で到来するのだろうか。

参考資料: 紙業タイムス社刊 FUTURE誌 11月26日号



本庶佑京大特別教授のノーベル賞は芸能ネタか?

2018-12-11 08:12:04 | コラム
朝から晩まで本庶教授の動静ばかり:

我が国のマスコミの批判をするのも詮無いことだが、兎に角連日連夜同教授のスウエーデンの行動を、それこそ箸の上げ下ろしまで的に報道してくれている。お陰様であの和服が京都でお誂えになったことまで知ることが出来た。私はそんな細かいことまで報道してくれる必要があるのかと訝っている。別な見方すれば、我が国のテレビと新聞は我が国の誰かが海外で試合に勝ったとか何らかの受賞したとなると、我が事のように大騒ぎするする傾向が顕著である。私には彼らには根強い外国崇拝というか尊重が未だに染みついているとしか思えないのが極めて不満である。

確かに、本庶特別教授のように栄えあるノーベル賞を受賞を貰われたことは輝かしき実績であり、幾ら賞賛してもおかしくはないと思う。だが、その本助教授が買い物に行ったとか、特別に博物館で古い船の見学を許されたことと受賞に何の関係があるのかと思ってしまう。あの過剰な報道を見させられていると、本庶佑京大特別教授が何で受賞されたのか、如何なる研究をされたのかなどは何処かに消し飛んでしまっていて、まるで映画俳優が何とか映画祭で受賞したのと同じような芸能ネタというか空騒ぎに堕してしまっている。アホなことだ。

私がずっと批判し続けてきたことに「彼らマスコミの外国礼賛と崇拝傾向」としか言えない現象がある。その一例を挙げておけば今回のグランプリファイナル(何故「ファイナル」で急に英語になるのだろう。フィナーレかなと思ってしまう)で圧倒的な強さで優勝した紀平梨花の報道もそれだ。私には「優勝したこと」よりもカナダに行ってロシアのザギトワに勝ったことの方が重大であると言っているように聞こえてならない。彼らの感覚では未だに「海外進出」が一大業績達成であるが如きだ。

私はこれまでに何度も「世界で我が国ほど良い国はない」と主張してきた。それはアメリカを始めとして多くの国を歩いて得た経験からの実感で言っているのだ。そこには20年以上もアメリカ製品を我が国向けに輸出してきて、我が国こそが科学的にも技術的にも世界の最高水準にある国だと肌身で感じていたから言っていることだ。それにも拘わらず、伝聞だけしか伝える能力がないと敢えて言うが、そういう次元に止まっているマスコミは必要以上に我が国を卑下しているのは不当であると考えている。

私は「ノーベル賞を頂いて、スウエーデンという外国に評価して頂いて有り難う御座いました」とでも言いたいようなマスコミの姿勢が気に入らないのだ。何も「取れて当たり前だった」とまで言えとは言わないが、何時までも自国を欧米の諸国の下にあるかのような報道姿勢は好い加減に辞めるべきだ。