「買わない日本が悪い」と:
これまで1994年7月にNHKホールで開催されたパネル・デイスカションでの同大使の発言を紹介してきた。大使はアメリカの対日輸出が何故伸びないかの原因の根本的な点を躊躇なく認める発言をされた。長年対日輸出を担当してきた者の1人としては「善くぞ言ったものだ」と寧ろ感心していたくらいだった。だが、大使は「それでも、買わない日本が悪い」と締めくくられたのだった。
それは、原因がアメリカの製品の品質が、飽くまでも一般論としてだがこの点は重要だ、劣っている為に伸びないのだと認めたのだから重要なのだ。その劣っていることの原因が労働力の質にあると認識していると認める発言なのだから、アメリカの労働市場の実態をご存じでない向きには、何のことか解らなかっただろうと、その場で聴いていた私には閃いたのだった。
ここまで言っても未だ何のことかがお解りにならない方はおられるのではないかと危惧する。即ち、アメリカの国内市場で受け入れられている品質では(お断りしておくが紙パ案業界のことを云々しているのではない)世界の市場就中我が国では通用しないという、悲しくも冷厳な事実なのである。しかし世界最大の経済大国と自他共に許したアメリカでは、メーカーも最終需要者も「我が国の製品こそ世界最高である」と過信している言うなれば井の中の蛙の集団なのである。
世間では古くから「セラーズ・マーケット」と「バイヤーズ・マーケット」という言い方がある。だが、アメリカでは「セラー」はおらず「プロデユーサー」がいるだけなのだ。言わば「プロデユーサーズ・マーケット」なのだ。その連中は自分たちの生産効率を最大限に発揮することが可能なスペック(specification)を設定し、ひたすら大量生産に励むのだった。そのスペックには市場と最終消費者が求める要素は最小限度にしか考慮されていないと思っていて誤りではないのだ、生産効率を追求する以上は。その辺りを英語では”product out”などと表現されている。
仮令そうであっても、そのスペックの下に製造する現場の労働力の質が望ましくなければ、イヤ世界の平均的水準以上でなければ、世界市場での競走能力は低下するのだ。世界の諸国の技術水準と生活水準がアメリカ以下だった頃には、アメリカは世界に冠たる技術王国であり、その高水準にある研究開発(R&D)能力とその資本力によって世界を圧倒してきたのだった。しかしながら、アメリカが同じ水準に止まっている間に、世界の諸国は多くの面でアメリカを抜き去っていたのだった。
その辺りと言うか、アメリカがR&Dの能力の凄さは何もW社に転進する前から十分に認識させられてはいた。だが、紙パルプ・林産物業界の世界的大手である自社の巨大なテクノロジー・センターを現実に見て、そこに投入されている豊富な人材と資金には圧倒されたのだった。同時に一般論として「アメリカのR&Dの能力が世界最高であることは認めるにしても、そこで産み出された革新的な技術やアイデイアを商業生産に移行した場面での労働力の質が伴わず、競合国や後発の諸国に追い抜かれてしまう結果になってしまうのが、悲しくも冷厳な事実なのである。
私は日本市場という世界でも最も品質に対する要求が細か過ぎるし且つ厳格な国を相手にして、全く予期せざる苦労を強いられたのだった。簡単に言えば、アメリカでは我が国で当たり前のように達成されてきたごく当たり前のことである受け入れ基準を満たすことが出来ていない紙が市場では大手を振って通用しているという、何とも言いようがない現実があった。それにも拘わらず、クリントン政権は「原料だけ買うな。世界最高の紙である。サー買え。買わないとスーパー301条を発動するぞ」と脅しにかかったのだから救いようがなかった。ヒルズ大使は一般論としてその誤認識をご存じだったと理解して聴いていた。
それでも、当時「猛女」などと酷評したメデイアもあったほどで、大使は自分の職務に忠実に我が国に向かって「もっと輸入せよ、世界最高のアメリカ製品を買え」と迫っておられただけだと理解していた。私はトヨタを始めとする自動車メーカーがメキシコに生産拠点を設けようとする根拠が果たして労務費だけの問題なのか否かなどを知る由もないが、トランプ次期大統領はこれからカーラ・ヒルズ元大使にでもブリーフィングして貰ってアメリカの労働力の問題をおさらいする必要があるのではないかと危惧するのだ。
もしも、何らの予備知識もなくあの種のと言うか所謂暴言・失言の範疇に入る発言をしておられたのであれば、アメリカの何処かの層の国民はオバマ大統領に続いて、大変な人物を選んでしまった結果になるのではないかと密かに恐れているのだが。尤も、百もご承知であったのならば、少しは気が休まると思うが、これから先に新大統領が如何なることを言い出してくるかを思う時に、正直にな所恐ろしさを禁じ得ない。
これまで1994年7月にNHKホールで開催されたパネル・デイスカションでの同大使の発言を紹介してきた。大使はアメリカの対日輸出が何故伸びないかの原因の根本的な点を躊躇なく認める発言をされた。長年対日輸出を担当してきた者の1人としては「善くぞ言ったものだ」と寧ろ感心していたくらいだった。だが、大使は「それでも、買わない日本が悪い」と締めくくられたのだった。
それは、原因がアメリカの製品の品質が、飽くまでも一般論としてだがこの点は重要だ、劣っている為に伸びないのだと認めたのだから重要なのだ。その劣っていることの原因が労働力の質にあると認識していると認める発言なのだから、アメリカの労働市場の実態をご存じでない向きには、何のことか解らなかっただろうと、その場で聴いていた私には閃いたのだった。
ここまで言っても未だ何のことかがお解りにならない方はおられるのではないかと危惧する。即ち、アメリカの国内市場で受け入れられている品質では(お断りしておくが紙パ案業界のことを云々しているのではない)世界の市場就中我が国では通用しないという、悲しくも冷厳な事実なのである。しかし世界最大の経済大国と自他共に許したアメリカでは、メーカーも最終需要者も「我が国の製品こそ世界最高である」と過信している言うなれば井の中の蛙の集団なのである。
世間では古くから「セラーズ・マーケット」と「バイヤーズ・マーケット」という言い方がある。だが、アメリカでは「セラー」はおらず「プロデユーサー」がいるだけなのだ。言わば「プロデユーサーズ・マーケット」なのだ。その連中は自分たちの生産効率を最大限に発揮することが可能なスペック(specification)を設定し、ひたすら大量生産に励むのだった。そのスペックには市場と最終消費者が求める要素は最小限度にしか考慮されていないと思っていて誤りではないのだ、生産効率を追求する以上は。その辺りを英語では”product out”などと表現されている。
仮令そうであっても、そのスペックの下に製造する現場の労働力の質が望ましくなければ、イヤ世界の平均的水準以上でなければ、世界市場での競走能力は低下するのだ。世界の諸国の技術水準と生活水準がアメリカ以下だった頃には、アメリカは世界に冠たる技術王国であり、その高水準にある研究開発(R&D)能力とその資本力によって世界を圧倒してきたのだった。しかしながら、アメリカが同じ水準に止まっている間に、世界の諸国は多くの面でアメリカを抜き去っていたのだった。
その辺りと言うか、アメリカがR&Dの能力の凄さは何もW社に転進する前から十分に認識させられてはいた。だが、紙パルプ・林産物業界の世界的大手である自社の巨大なテクノロジー・センターを現実に見て、そこに投入されている豊富な人材と資金には圧倒されたのだった。同時に一般論として「アメリカのR&Dの能力が世界最高であることは認めるにしても、そこで産み出された革新的な技術やアイデイアを商業生産に移行した場面での労働力の質が伴わず、競合国や後発の諸国に追い抜かれてしまう結果になってしまうのが、悲しくも冷厳な事実なのである。
私は日本市場という世界でも最も品質に対する要求が細か過ぎるし且つ厳格な国を相手にして、全く予期せざる苦労を強いられたのだった。簡単に言えば、アメリカでは我が国で当たり前のように達成されてきたごく当たり前のことである受け入れ基準を満たすことが出来ていない紙が市場では大手を振って通用しているという、何とも言いようがない現実があった。それにも拘わらず、クリントン政権は「原料だけ買うな。世界最高の紙である。サー買え。買わないとスーパー301条を発動するぞ」と脅しにかかったのだから救いようがなかった。ヒルズ大使は一般論としてその誤認識をご存じだったと理解して聴いていた。
それでも、当時「猛女」などと酷評したメデイアもあったほどで、大使は自分の職務に忠実に我が国に向かって「もっと輸入せよ、世界最高のアメリカ製品を買え」と迫っておられただけだと理解していた。私はトヨタを始めとする自動車メーカーがメキシコに生産拠点を設けようとする根拠が果たして労務費だけの問題なのか否かなどを知る由もないが、トランプ次期大統領はこれからカーラ・ヒルズ元大使にでもブリーフィングして貰ってアメリカの労働力の問題をおさらいする必要があるのではないかと危惧するのだ。
もしも、何らの予備知識もなくあの種のと言うか所謂暴言・失言の範疇に入る発言をしておられたのであれば、アメリカの何処かの層の国民はオバマ大統領に続いて、大変な人物を選んでしまった結果になるのではないかと密かに恐れているのだが。尤も、百もご承知であったのならば、少しは気が休まると思うが、これから先に新大統領が如何なることを言い出してくるかを思う時に、正直にな所恐ろしさを禁じ得ない。