新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日米間に見る職探しの違い

2015-11-27 15:04:14 | コラム
僕のやりたい事じゃなかった:

先日家内と外出の帰りに近所の小さなホテルの食堂で遅い昼食を摂っていたときのことだった。隣の席に若い勤め人風の男女が座って、女性の方が色々と問い掛けていた。こちらは注文した料理が何時まで経っても出てこないのでつい何気なく聞いていた。先ず聞こえて来たのが「何故転職したのか」という失礼ではないかと思わせるような質問だった。ここで彼らは会社の同僚ではないと解った。

今時の若い者は折角新卒で採用された会社でも色々と勝手な理屈をつけては3年以内に辞めていく例が多いと聞いてはいたが、その現物が隣にいるとはと感動して?興味をそそられて聞く気になってしまった。若い男は苦笑いしながら「僕がやりたい事じゃなかったので」と答えた。どうやら彼の現在の勤務先はStarbucksのようなコーヒーのチェーン店のようで、それなりに結構な地位にあるようだった。そこはフランチャイズ店では上位に入るようで、かなり誇らしげに語っていた。

女性の方はといえば「あたしはそんな仕事は絶対にイヤだ」という風に率直な意見を述べていたのにはやや驚かされた。次ぎに聞こえた質問は「バリスタを目指さないのか」だった。「バリスタ」とは如何なるものかは少しは心得ていたが、確信がなかったので帰宅後にWikipediaにお伺いをかけてみた。意外だったのは”barista”はイタリア語のようで、バーテンダーが酒類を取り扱う専門職であるように、コーヒー店のバーテンのような仕事であると確認出来た。

彼は意外にも「そこまでは目指していない・・・・」と言葉を濁していた。そこまでで当方からは「それでは何故転職したのか?」と突っ込みたくなった。昭和29年の不況期に就職運動をした我が年代では「自分がしたい仕事を探す」等という大それた事を言っていられたのではなく、解りやすくいえば「採用して頂ければ水火をも辞さずに奮励努力致しますので何卒ご採用を」とお願いしたようなものだった。

それが平和で所謂飽食の時代ともなれば「自分のやりたい事」であるとか「自分探しの為に」等という手前勝手としか思えない、乃至は「甘ったれた」理屈を言って仕事を探して彷徨う事が社会通念のようになっているのは、それを非難したり批判するよりも「時の流れ」というか「時代の変化」の速さの方が印象深いのだ。昭和30年4月から試用期間に入った当方などは如何なる仕事をさせられるかは考えていたが、それがやりたい事であるかないかなどとは夢にも考えていなかった。

そして、7月になって(実は課長さんの勘違いだったとの地に判明したが)急に営業の第一戦に出て市場の様子も紙そのものの規格も種類も十分に知らないままに紙流通機構向けの販売を担当する営業の見習いになってしまった。実は「営業」と聞いた我が一家全員が「お眼鏡違いも甚だしい人事」と大笑いしてその将来を危うしと言ったほどだった。それが、であるが、以後1994年1月末でリタイヤーするまで営業一筋だったのだからこの世に仕事に「向き不向き」や「好き嫌い」等はあるまいと固く信じている。

即ち、我々は職業というか担当する仕事に「好き嫌い」であるとか「選り好み」等があるとは考えても見なかった時代に育ち、それを当然と受け止めて過ごしてきた時代を経てきたのだという事だ。

そこでアメリカの事情である。1976年のアメリカの会社に転職後5年目にニュージャージー州のアトランティック・シティーで開催された”Food & Dairy Expo”にW社の我が事業部が出展者(Exhibitorと言うが)として出していたブースに大学院生と名乗る青年が入って来て、何を思ったのか事情不案内の当方に「この会社のこの事業部に就職したいのだが、レジュメを誰に送れば良いか」と尋ねてきた。何の質問かがまるで解らずに困惑して、そばにいた白面の長身でボンヤリした顔付きの名前も知らぬ若い奴に「話を聞いてやってくれ」とバトンパスィングした。カタカナ語の「バトンタッチは」は誤りである、念の為。

その大学院生が帰ってから若い奴に「あれは如何なる質問か」と尋ねてみた。そこで初めて彼から学んだ事は大袈裟いにいえば驚天動地だった。即ち、アメリカの大手製造業では会社が新卒の定期採用はせず、新卒側も「就社」を目指すのではなく、自分が狙った仕事を何処の会社でやりたいかを考えて選び、その事業部門の誰に履歴書か経歴乃至は職歴書(新卒ではないのは珍しい事ではないのがアメリカ)を送るべきかを調べる事から始めるのだそうだった。

余談だが、その地方の他の事業部の工場での採用から本社引き上げられてきた若者はこの展示会辺りを起点にして一躍大出世を遂げて、79年には30歳台後半で事業部長になり、42歳では副社長にまで成り上がり、私が生涯最高の上司と形容する頭脳明晰、敏腕、豪腕、営業精神に満ちあふれた人事に辣腕を振るったMBAでも何でもなくてもあそこまで行けるという例外的な出世をして見せたのだった。この大学院生の質問を彼に回した事が長いつきあいの端緒となったのだった。

これは単なる売り込みの第一歩であり、実際に声がかかるかどうかなどは別問題である。即ち、そこに空席が発生したか、事業の拡張で新規採用の必要でも生じない限り、履歴書の束は事業本部長の机の引き出しの中で眠っているのだから。言いたい事は、アメリカでは職探しをする者たちは「会社」ではなく「自分がやりたい事」即ち「就職」を目指しているのであって、ある意味では「僕のやりたい事」を探す現代の若者たちと似ていない事もない感がするのだ。

ここで日米間の確たる違いを挙げてみれば「アメリカでは大手製造業は新卒を採用しないのであるから、就職希望者(job seekerと言うようだ)はアルバイトをするか中小企業に先ず職を得て自分の技能(skill)を磨くか、なにがしかの経験を積んで業界で名の売れた存在になって大手にスカウティングされるのを待つか、ヘッドハンターからでも声がかかるまで懸命の努力を重ねておくかであろう。「その会社に採用されてみたら、自分がやりたい事じゃなかった」とは少し事情というか文化に違いがあると思う。

私はここで何れの国の企業社会の文化が良いかであるとか、好ましいかなどを論ずる気はない。国によって文化に違いがあるのは当然だが、我が国の現代の若者に見えるような気がする「採用された会社の職が自分に合っているか否かを云々するとか、技術や技能を採用されてから教えて貰おう」というのではなく、「あの人物をヘッドハンターを使っても採用しよう」と知れわたるほどのものを身に付けて職探しをするアメリカの方が少しだけ合理的に見える気がするという辺りを結論にしたいのだ。