新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカの民主党政権を批判する

2015-11-24 16:38:32 | コラム
アメリカの民主党政権信ずるに足らず:

私はWeyerhaeuser Companyの第8代CEOだったGeorgeがパパ・ブッシュ大統領とYale 大学の同期だった誼だっただけではなく、共和党派の会社に長年お世話になっていたのも手伝って、真っ向からアメリカの民主党政権には否定的だった。それも何もGeorge同士の間柄だけではなく、クリントン政権となった時から我が国に対して冷たいどころか敵意すら感じさせる政策を打ち出していた事を以てしても「反民主党」を唱えていたし、オバマ大統領が実現してしまった際にも上司・同僚・友人知己の間で盛んになっていた反オバマ論を伝えて悲観論を披露していたものだった。

そこに「頂門の一針」の3846号の「読者の声」欄に「オバマはカーターと並ぶほどの無能で、シリアでもなにもできないまま、中国にはアリバイ工作でもするかのように当該海域に軍艦を二時間航行させただけ、こんな弱いアメリカにした元凶はこの男だ、となる。」とあったのは、当に我が意を得たりなのだった。私はこの投稿者の方よりも遙かに激しくオバマ大統領の無能振りと習近平を始めとする反アメリカはの国家元首たちと比較して批判してきたのだった。彼こそが今日の「弱いアメリカ」を脚本・演出した責任者であると断じて憚らない。

現に、何度も繰り返して引用してきた友人の退役陸軍中佐(職業軍人だが、ウイスコンシン大学のマスターを持っている健全な常識人である)が嘆いた「政治・経済・軍事・外交等に何らの経験も無く、上院議員を一期務めたとは言うが半分の2年間は選挙キャンペーンに費やしてきた者を選んでしまったのでは最早仕方がない」の声が遺憾ながら徹底的に当たっていたのだった。あの頃に「ジャパン・ナッシング」だの「ジャパン・パッシング」などと騒いで見せたマスコミや評論家にその見識!を今からでも問い質したいものだ。

とは言うものの、かく申す私もアメリカの友人たちと日常的に情報交換の機会があった生活を離れて間もなく満22年になってしまう。その間にEmailや偶々出張してきた精鋭たちと会って話し合う機会もあるにはあったが、何と言っても肝心の自分自身が入退院を繰り返すだけではなく、本日のように午前中は国際医療研究センター病院循環器科の定期検診で、午後からは歯科医に通うという有様で、近年は病気がちで落ち着いてアメリカの情報を収集する余裕が出てこなかった。

それのみならず、「世界の資本主義というのか保守派の諸国は」というべきか否かが判然としないが、イスラム教圏外の諸国はISを筆頭にする過激的な勢力と深刻な敵対関係に陥り、恐るべきテロの犠牲者を120数人も出すといういたましい災難に遭われたフランスのオランド大統領のように「戦争状態にある」との声明まで出す未曾有の事態に直面している。ここでアメリカにしっかりと腰の据わった指導者が出てこない事には、益々共産主義と社会主義を標榜する諸国の指導者、少なくとも2人に舐められ続けると、心の底から危惧している次第だ。

その時期にあって安倍総理は積極的にアメリカを始めとする我が国と同じような主義主張を展開する諸国との外交関係の強化に奔走され、特に安保法制案を成立させてアメリカとの同盟を強化されたのは誠に結構な事だ。だが、それをも批判し非難する野党、所謂著名人、リベラル派が蔓延っている事を恰も”good news”のように採り上げて騒ぎ立てるマスコミも困ったものだと思って嘆いている。

このままに推移せんか、産経以外のメデイアは不動産王の高齢者ドナルド・トランプを批判するだろうし、結局何がしたいのかさっぱりハッキリしないヒラリークリントン有力説を流し続けかねないのだ。何度でも言うが、アメリカの民主党政権で何か我が国にとって心地良い政策が打ち出された事があったのかと、野党にもマスメデイアにも問い掛けたいのだ。もっとハッキリ言えば「アメリカ人の一部が民主党のオバマ大統領を選んでから世界で何か改善された事があったか」と声を大にして言いたいのだ。

とは言ったものの、”Better late than never”で、可及的速やかにアメリカの友人知己たちに実情を問い掛けねばなるまいとは自覚している。その上であらためてオバマ大統領と民主党の批判を展開し、共和党が真に頼むにたる候補者を出せるのかを確認せねばなるまい。ISを退治するのも焦眉の急だろうが、私はこれまで以上習近平に恣意的に振る舞われては、世界の平和というか安定は望めないと秘かに思い悩んでいるのである。その為には、アメリカ人が単に豪腕で強力なだけではなく、当たり前の事を当たり前にやってのける指導者を選んでくれる事を切望する次第だ。


良く考えてみれば

2015-11-24 07:47:25 | コラム
大病から立ち直って良くぞ横浜まで行けたと思う:

来年の1月16日で最初の心筋梗塞発症の満10年の記念日(?)を迎えることになる。その前に昨年の12月30日には三度目の正直とか言う第3回目の発症があったが、何とか切り抜けたし、今年は一時はBNP値が1.300にまで達した心不全で2度も入院していた。しかも多くの医師、看護師、薬剤師の方々が「例外中の例外では」と言われた、お医者様がごく普通に処方される胃腸薬の副作用で半年にも及ぶ下痢に悩まされ、体重が45 kgまで落ちたことさえあった。

それだけではない、11日と18日には不勉強でそういう症状が出るとは知らなかった「後発白内障」で良く見えなくなっていた目にレーザー光線照射の治療を受けていた。しかし、7月から毎週受けてきたプラセンタ・エキス注射の効果が絶大だったようで、自分でも俄に信じがたいほど体調が好転してきた。と思っている間に16日(月)から26日(木)まで予定も約束もなくノンビリとする日は17日と23日しかないほど動き続けられるようになっていた。有り難い事だ。

しかも、22日には06年から見に行ってなかったフットボールの試合の観戦に、寒空を怖れつつも横浜スタジアムにまで遠征していたのだった。着るものも固い座席にしくシアトルで何年も前に購入しておいた座布団、とでも言うのだろうか、を家内を煩わせてクローゼットをひっくり返して探し出して持参していた。あのスタジアムの観客席の急な階段を上ってゲームを見やすい上の方の席に座った瞬間の感覚は何とも言えないものだったが、「やった-」というような思いは全くなく、昨日までやっていた事をやっている気さえしていた。自分ではさぞや感無量だろうと予測していたのとは正反対だったのは意外だった。しかし、良くぞ此処まで来られたものだという感覚は時間の経過と共に湧いてきた。

8月半ば頃に06年1月頃には62 kgにまで達していた体重が45 kgにまで低下していた時には長男は「ひょっとすると」と最悪の事態まで想定しておくべきかと考えたほど弱っていた。その辺りは自覚していたので、あの高いところから人工芝のグラウンドに引いてあった白い線を見た時の感覚は、同じような境遇にあった人にだけしか解らないものだっただろう。その「俺は生きていたのだった」という嬉しさは試合が進むにつれて出てきた。その辺りをなるべく抑えて感情を押し殺した観戦記はブログでも意外なほど食いつきが悪かったのは残念でもあるが、誰かは解ってくれるだろうと思って書いたものだと、ここに告白しておきたい。

フットボールを生で見るのはどうやら10年振りだったようで、それほど早い訳でもない大学生の動きにも中々目がついていかなかったし、何度か誰がボールを持っているのかを見失った(騙されたでも良いが)場面があったのは、正直に言って口惜しかった。だが、そんな事はどうでも良いので、こうやって観戦できるところまで到達できた事に意義があると自覚して、ただ単に見る事だけに嬉々として集中していた。

幸いにして今日24日に至るも別段体調に変化はない。しかも本日は国際医療研究センター病院での循環器科の定期検診がある。良い結果が出てくれるものと信じて出掛ける気構えだ。良ければ、12月6日(日)に川崎スタジアムで開催される日大フェニックス対関西学院大学ファイターズの甲子園ボウルならぬ2位同士の「東京ボウル」を見に行けるよう摂生に努めねばなるまいと、今から自分に言い聞かせている。