新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

23日はボンヤリとテレビを見ていた

2014-02-24 11:22:09 | コラム
東京マラソンとラグビー日本選手権:

実は、17日にテレビを32型から42型(だったか?)に入れ替えたばかりなので、昨23日は大きくなった画面を楽しむはずだった。余談だが、入れ替えた理由は地デジ化だったかに備えて評判のシャープを購入していたのだが、これが調子が悪く屡々音声がぶつ切れになってしまう特性?があった。しかもそれが保証期間切れの後に発生したので、電機の知識皆無の当方は乱暴にもその都度叩いては何とかしてきた。

だが、2月に入ってからはとてもそんなことで対応しきれない不調となり、清水の舞台に上がった程度のことで買い換えを決意したのだった。さらに偵察に言った量販店でも修理すれば2~3万円はかかるだろうと聞かされたこともあったが。

東京マラソン:
さて、昨日のことだが、旧制中学の頃から長距離を走るのを得手としなかった私は「同じ人類でありながら良くも42.195キロも疾走し続けられるもの」と感心しながら、石原君が始めた東京マラソンも時々見ていた。マラソンを見ていて毎回非常に気になるというか耳障りなのが、男女のレースを問わず「日本人第1位」とアナウンサーが絶叫することだ。昨日は箱根駅伝も走っていたという松村なる走者が第8位で、日本代表候補だと聞こえた。

彼の健闘は讃えても良いが、世界の大会に送り出そうとする者が既に7人に負けているとは残念なのだ。それはそれとして、アナウンサーが何故あれほど「日本人第1位」を強調するのかが良く理解出来ない。もっと正直に「第8位を争っているのが我が国の松村」辺りだけで良くはないかと思う。前を走っていたアフリカ系の走者に2分半も離されているのは一寸悲しいレースだった。

ラグビー:
次が結局は社会人のトップリーグの企業ティームしか残っていなかったラグビー日本選手権の準々決勝戦。神戸製鋼が最後の数秒を残してヤマハ発動機を下したのは勝敗の行方としては面白かった。私は何時もラグビーを見て感心するのだが、良くもあれほど優れた体格の者どもを集めてくるものだということと、あの選手たちがクラブ組織なのか社員なのか不勉強にして知らないが、あの恐ろしく見える普通ではない髪型と髭で会社勤めが出来るものだという2点である。恐らくクラブ員なのだろうよ。

しかも、社会人は言うに及ばず、強豪の大学でも外国人が混じっていて、その中には腕などに堂々と刺青を入れている者がいる。この刺青文化の在り方は我が国と西欧諸国の間には大きな違いがあると思う。私が知るスポーツジムでは全て入場お断りとなっている。だが、アメリカのフットボール、野球、バスケットボールの世界では、プロ・アマを問わずに入れている者がいるのは事実だ。

昨日の神鋼とヤマハにも外国人選手がいたが、彼等に刺青があったかどうかまで確認する余裕がなかった。森元総理が会長であるラグビー協会は如何なる基準で外国人選手を採用しているのかなと、つい気になってしまう。兎に角、ラグビーの世界では確か3年?外国でプレーしていればその国の代表選手となる資格が生じるそうだ。そうだったならば、もう少し美しい刺青?を入れた者を選ぶことを考えたらどうかな等と思ってしまった。いや、正直に言えば、あれは願い下げにしたいのだが。

今回も気温の上下に耐えきれなかった

2014-02-24 08:20:21 | コラム
室内外の温度の変化に対応出来なかったようだ:

昨23日は全く何かしようという意欲が湧かず、気力が恰も特に強靱な靱皮繊維で抄き上げられた薄くても強い和紙(業界では「ワガミ」と読む)でピッタリと覆われてしまったかのようで、動きたくともその薄い紙を突き破れずに動けない状態になってしまったために、終日何もしないでただテレビをボンヤリと見ているだけだった。

その原因がまたもや気象病だった。19日(水)にまたアレルギー性鼻炎が出たかと思う鼻が痒くなり鼻水も出たし咳も出てきた。そこでS医師に何時もの点鼻薬と薬を貰ってこれで何となかったと思っていた。ところが、翌20日になるととてもそんな生やさしい状態ではなくなって、多少熱っぽくなってきた。そこで、木曜日を休診にしておられないこのアパートの地下のO先生に診て頂いた。この時点では熱は37度にも達していなかった。

先生の診断は「室内外の温度差に対応出来ずに自律神経失調症の初期で、余り動かずに静かにしていなさい」だった。これは、昨年の夏の2度目の心筋梗塞から立ち直れて退院した後に散々苦しめられた酷暑のための外の高温と、空調された室内の温度差に身体が調節出来ずにおかしくなってしまった所謂「気象病」と全く同じ現象のようだった。

昨年の夏は2度目の心筋梗塞から立ち直れたのは良かったのだが、精神的に不安定な状態にあった上に検診や種々の検査のための通院もあれば、外出せねばならない用事も多々あって外出せざるを得なかった。そして、外に出た時の目がくらむ強い日差しと猛暑に対して、室内の空調を効かせた温度の落差に身体付いていけずに非常に苦しめられた。早く夏が過ぎで秋が来ることをひたすら願っている生活を強いられた。

その待ち望んでいた秋はあっと言う間に過ぎて冬が来た。天気予報はしきりに寒い冬を強調しているが、当方には昨年の散々苦しめられた酷暑と比べれば何ほどのことやあるという程度にしか感じていなかった。これならば何とか乗り切れるだろうと高を括っていた。19日(水)もダウンのロングコートで武装してあったので、問題あるまいと思って21時過ぎに外に出た瞬間に少し寒いかなと感じた程度だった。

しかし、今にして思えばその「その少し寒いかな」が敗因だった模様で、気象病を招いてしまったようだった。21日の午後になって何となく震えが来て寒気を感じ熱を測れば38.4度。それでなくても熱に弱い当方にとっては途方もない高熱だった。早速O先生に電話で診断を仰ぐと熱が出るような症状ではなかったのだが、下り坂だった体調が耐えきれなかったのだろうと、解熱剤を頂いて何とか熱を下げることは出来た。

そして、22と23日はただ休んでいただけで、処方された薬を飲んで鼻と喉が治るのを待っていた。これまでにも何度か述べてきたことだが、私は毎年夏が来れば「この夏を何事もなく乗り切れるだろうか」と案じ、冬が迫れば「何としても無事に冬を乗り切るべく努力しよう」と心掛けてきたものだった。ところが、昨年の夏は未だ嘗てない大苦戦だったし、この冬も何とか2月半ばまで乗り切ったところで捕まってしまった、当人は油断しているつもりはないのに。

今日24日の状態は鼻も喉も小康状態だが、未だ手放しで安心出来るところまで回復出来ていない。明日は9週間置きとなった国際医療研究センターの循環器科での定期検診である。そこには無事に出かけられるように今日は静かに過ごすべきかと思案中である。高齢化とはこのように弱くなることらしい