通訳も出来る当事者だった:
私は通訳という「ある言語で言われたことを聞いたままに他の言語でその意味を説明する」仕事を1969年頃だったかにUKの大手製紙会社の研究員が来日した際に強制的にやらされた(と未だに思っているが)のが最初だった。それまでには英語は気軽に仲間内で話す時のような場合にしか使っていなかったので、どうなるかなと思ったが、何とか出来てしまったのが不思議だった。
それから、アメリカの会社の日本支社に転身したのが2年後のことで、その間には70年に生まれて初めて外国それも東南アジアに当時の会社の輸出担当部長のお供で出かけた際に、彼の通訳をやっただけだった。輸出担当の部長の通訳とは奇妙だと思われるだろうが、当時の会社では直貿をやっていた訳ではなかったのだから何の不思議もない。
アメリカの会社の社員であれば、商談の場では「ある言語で言われたことを聞いたままに他の言語でその意味を説明する」のが仕事の一部となった。後で感じたことだが、この仕事の重要な要素は理解力と記憶力だと見えてきたのだった。それと共に「今、聞いたことをその場で遅滞なく言い換えねばならない」のは心理的な負担だろうと思った。
しかし、実際にやってみると案外にスラスラと出来るものなのだ。自分でも何故そうなるのかが良く解らなかったのだが、馴れてくると気楽に出来るものだった。その頃に感じたことは「自分の立場は考えることではない。考えるのは他人の仕事だ。ここでは自分は訳す機械のようなものか、発言者の陰というか存在しない性質なので気楽にやろう」だった。
だが、現実には利害関係どころか自分の担当する業務の成績に大きな影響がある難しくも責任重大な職務であると解ってきた。何か訳し間違えば大変なことになると知った。それに、時には「そんなことを言われては困る」とか「そのような間抜けなことを言われては具合が悪いので制止せねば」などと思ってしまうこともあれば、得意先に「急にそんなことを言い出されては私の立場がないではないか」といったようなことも発声した。安倍総理の通訳のように勝手にボスの発言を補足訂正したり、得意先の具合が悪い発言を短く切り上げるようなことをするようにもなった。
時にはボスに「そんな愚問は止めて下さい。得意先を怒らせるだけです」とまで言ったことすらあった。しかし、こういうことが重なると如何に日本語が解らないボスでも私の通訳の正当性を疑ってくるようになった。即ち、信用の失墜である。そこで、遂にボスは客先との商談の場に東京事務所の日本人の代表者の同席を求め「私の通訳が正確か否かの確認」を要求するまでの事態に立ち至った。
結果的には無事合格だったのだが、代表者には後で「彼等がどれだけつまらないことを質問しても制止しない方が身のためだ。それが君に如何に愚問に思えても、彼にはそれを訊きたい何らかの背景か根拠があると考えたらどうか。無心になって彼の好きなようにさせたらどうか」と忠告された。尤もであると解ったので、それ以後は方針を転換した。
この代表者の通訳というかアメリカ人の心中を読み切って訳す力は業界でも定評がある上手さだった。彼の唱える通訳とは「破壊と再構築であり、発言者の言う通りにすることも重要だが、一度それを瞬時に分析して破壊して、他の言語で誰にも解りやすい意味を成すように再構築する」だった。素晴らしい至言であると思う。お断りして置くが、彼も私も会社の利益を代表する通訳も出来る当事者である。
この「破壊と再構築」方式をも採り入れた私は、仕事上では発言者の意図を十二分に伝えるべく頭の中を真っ白にして言われたことを逐語訳的で尚且つ再構築的に訳していく」方式と「会社のと言うか事業部の利益を最大限に保護すべく、自分の知る限りの発言の背景を補足することもあれば、ボスの意図するところを彼が言っていないことまで補足する当事者意識満載方式」とを使い分けるようにしていった。
馴れていく間に自分でも驚いたのは「頭の中の真っ白化」が出来るようになれば、5~10分ほど発言が続いても何ということなく記憶出来ているようになったのだった。更に、10年以上も続いた副社長兼事業本部長と技術サーヴィスマネージャーとの関係では、発言者が使う言葉、即ち「この言葉を使えばこういうことが言いたいのだ」までが瞬時に把握出来るようになって、通訳が快感になって来た。換言すれば「通訳は一種の自己陶酔で、俺は上手いのだと思っていないとやっていけないところがある」のだ。
再度念を押しておけば、ここまでに述べてきたことは飽くまでも「当事者としての通訳であって、それを生業としておられる方のやり方とは異なる性質である」という点だ。専門の方も責任重大だろうが、私も職の安全がかかっているのだ。
このような事情も背景もあって、退職後に「一見さんの通訳をお引き受けしたくない思いがある。だが、もしお引き受けするならばそれなりの報酬を請求させて貰いたい。通訳とはそれだけの責任を伴う仕事だから」となってくる。しかし、リタイヤーして20年も経ってしまった今では、報酬などを頂戴する力が残っていないかと危惧する。
私は通訳という「ある言語で言われたことを聞いたままに他の言語でその意味を説明する」仕事を1969年頃だったかにUKの大手製紙会社の研究員が来日した際に強制的にやらされた(と未だに思っているが)のが最初だった。それまでには英語は気軽に仲間内で話す時のような場合にしか使っていなかったので、どうなるかなと思ったが、何とか出来てしまったのが不思議だった。
それから、アメリカの会社の日本支社に転身したのが2年後のことで、その間には70年に生まれて初めて外国それも東南アジアに当時の会社の輸出担当部長のお供で出かけた際に、彼の通訳をやっただけだった。輸出担当の部長の通訳とは奇妙だと思われるだろうが、当時の会社では直貿をやっていた訳ではなかったのだから何の不思議もない。
アメリカの会社の社員であれば、商談の場では「ある言語で言われたことを聞いたままに他の言語でその意味を説明する」のが仕事の一部となった。後で感じたことだが、この仕事の重要な要素は理解力と記憶力だと見えてきたのだった。それと共に「今、聞いたことをその場で遅滞なく言い換えねばならない」のは心理的な負担だろうと思った。
しかし、実際にやってみると案外にスラスラと出来るものなのだ。自分でも何故そうなるのかが良く解らなかったのだが、馴れてくると気楽に出来るものだった。その頃に感じたことは「自分の立場は考えることではない。考えるのは他人の仕事だ。ここでは自分は訳す機械のようなものか、発言者の陰というか存在しない性質なので気楽にやろう」だった。
だが、現実には利害関係どころか自分の担当する業務の成績に大きな影響がある難しくも責任重大な職務であると解ってきた。何か訳し間違えば大変なことになると知った。それに、時には「そんなことを言われては困る」とか「そのような間抜けなことを言われては具合が悪いので制止せねば」などと思ってしまうこともあれば、得意先に「急にそんなことを言い出されては私の立場がないではないか」といったようなことも発声した。安倍総理の通訳のように勝手にボスの発言を補足訂正したり、得意先の具合が悪い発言を短く切り上げるようなことをするようにもなった。
時にはボスに「そんな愚問は止めて下さい。得意先を怒らせるだけです」とまで言ったことすらあった。しかし、こういうことが重なると如何に日本語が解らないボスでも私の通訳の正当性を疑ってくるようになった。即ち、信用の失墜である。そこで、遂にボスは客先との商談の場に東京事務所の日本人の代表者の同席を求め「私の通訳が正確か否かの確認」を要求するまでの事態に立ち至った。
結果的には無事合格だったのだが、代表者には後で「彼等がどれだけつまらないことを質問しても制止しない方が身のためだ。それが君に如何に愚問に思えても、彼にはそれを訊きたい何らかの背景か根拠があると考えたらどうか。無心になって彼の好きなようにさせたらどうか」と忠告された。尤もであると解ったので、それ以後は方針を転換した。
この代表者の通訳というかアメリカ人の心中を読み切って訳す力は業界でも定評がある上手さだった。彼の唱える通訳とは「破壊と再構築であり、発言者の言う通りにすることも重要だが、一度それを瞬時に分析して破壊して、他の言語で誰にも解りやすい意味を成すように再構築する」だった。素晴らしい至言であると思う。お断りして置くが、彼も私も会社の利益を代表する通訳も出来る当事者である。
この「破壊と再構築」方式をも採り入れた私は、仕事上では発言者の意図を十二分に伝えるべく頭の中を真っ白にして言われたことを逐語訳的で尚且つ再構築的に訳していく」方式と「会社のと言うか事業部の利益を最大限に保護すべく、自分の知る限りの発言の背景を補足することもあれば、ボスの意図するところを彼が言っていないことまで補足する当事者意識満載方式」とを使い分けるようにしていった。
馴れていく間に自分でも驚いたのは「頭の中の真っ白化」が出来るようになれば、5~10分ほど発言が続いても何ということなく記憶出来ているようになったのだった。更に、10年以上も続いた副社長兼事業本部長と技術サーヴィスマネージャーとの関係では、発言者が使う言葉、即ち「この言葉を使えばこういうことが言いたいのだ」までが瞬時に把握出来るようになって、通訳が快感になって来た。換言すれば「通訳は一種の自己陶酔で、俺は上手いのだと思っていないとやっていけないところがある」のだ。
再度念を押しておけば、ここまでに述べてきたことは飽くまでも「当事者としての通訳であって、それを生業としておられる方のやり方とは異なる性質である」という点だ。専門の方も責任重大だろうが、私も職の安全がかかっているのだ。
このような事情も背景もあって、退職後に「一見さんの通訳をお引き受けしたくない思いがある。だが、もしお引き受けするならばそれなりの報酬を請求させて貰いたい。通訳とはそれだけの責任を伴う仕事だから」となってくる。しかし、リタイヤーして20年も経ってしまった今では、報酬などを頂戴する力が残っていないかと危惧する。