♦️1の1『自然と人間の歴史・世界篇』宇宙の誕生はどのようであったのか

2019-03-17 22:01:20 | Weblog

1の1『自然と人間の歴史・世界篇』宇宙の誕生はどのようであったのか

 さてさて、宇宙は、一体どのようにして今日までたどりついたのか。そもそもの始まりは、今からおよそ138億年前(2013年に提出された新説)にまで遡る、といわれる。そのことが発表された時の新聞記事には、例えば、こうある。

  「宇宙は138億歳、従来説より1億年高齢。欧州機関が解析。宇宙の年齢はこれまで考えられていたより約1億年長く、138億歳とする最新の研究結果を欧州宇宙機関(ESA)が22日までに発表した。宇宙誕生のビッグバンから間もない時期に放たれた「最古の光」を詳しく解析した。


  宇宙は従来説より1億年高齢の138億歳。ほぼ完璧な宇宙図で判明。最古の光は、現在の地球にあらゆる方向からマイクロ波として届き「宇宙背景放射」と呼ばれる。

 ESAは2009年に打ち上げた宇宙望遠鏡プランクで15カ月間にわたりマイクロ波を調べ、観測可能な最も初期の宇宙図を作製した。宇宙図にはマイクロ波を温度で表したときに見られるごくわずかなむらがあり、むらの分布から理論的に宇宙の年齢などを算出した。
  1993年には米航空宇宙局(NASA)のWMAP探査機による宇宙背景放射の観測をもとに、宇宙は137億歳とされ定説となっている。(共同)」(2013年3月22日付け日本経済新聞)


  ここに「ビッグバン」とは、物理学者のガモフが唱えた、宇宙が火の玉のように限りない程に熱かった最初の瞬間を言い慣わす。現在では、かかる状態は、「インフレーション」という、極めて急な膨張現象によってつくられたと考えられている。

 それから、「宇宙図」の中に現れた色「むら」というのは、温度の「でこぼこ」を表わしている。しかして、その度合いを温度の見えるカメラで調べると、摂氏0.00003度位の僅かな差が検出できる。そして、この結果から私たちの宇宙の年齢が計算できるはずだという。

 その解析は、現在も続いているらしい。プランク衛星によるデータの解析結果のまとめとしては、次のようだという。


  「宇宙年齢:137.96億±(プラスマイナス)5800万歳、普通の物質の割合:4.81%、ダークマターの割合:25.7%、ダークエネルギーの割合:69.7%±1.9%、ハッブル定数:67.9±1.5(km/s)/Mpc:、宇宙の曲率:平坦、ニュートリノの種類:3種類」(「プランク衛星がみた最古の宇宙」:雑誌「ニュートン」2013年6月号)

 そこで、「インフレーション」に話を戻して、そこから始めよう。この仮定により、3次元の空間ができ、時間の刻みが発生した。そして「ビッグバン」へと繋がっていった、と考える訳だ。

 一般向けには、アメリカの宇宙物理学者グースととともに、この理論の提唱者の一人による説明に、こうある。

 「(前略)そのシナリオとは、「宇宙は生まれた直後、倍々ゲームのように急激に大きくなり、この急膨張が終わる時に大量の熱が発生して、火の玉宇宙となる」というものです。(中略)

 インフレーション理論は、従来のビッグバン理論の多くの問題点を解決します。その一つが、「なぜ宇宙背景放射はどこも同じ強さになっているのか」、つまりかつての小さな宇宙がなぜどこも密度や温度が均一だったのかという例の問題です。その解決方法は、次のようなものです。

 生まれたばかりの宇宙が、全体的にはデコボコだらけだったとしても、ごく狭い領域だけを見れば、その中はほぼ一様になっているといえます。

 そしてこの狭い領域が現在の宇宙の大きさよりも大きくなるような急膨張を遂げれば、その中に住んでいる者にとって「見える範囲」の宇宙はきわめて一様になります。それがつまり、わたしたちが住んでいる宇宙の領域なので、宇宙背景放射は宇宙のどこでも同じ強さで観測されるのです。

 したがって、観測可能な宇宙の「果て」を越えた、ものすごい大きなスケールで宇宙を見ることができれば、宇宙はけっして一様になっていないことでしょう。

 また私はインフレーション理論を提唱した直後、インフレーションが起こると元の宇宙(親宇宙)から子どもの宇宙がたくさん生まれるという「宇宙の多重発生(マルチプロダクション)」という論文を、協同研究者と発表しました。

 これはある条件の下ではデコボコの「デコ(凸)」の部分が子宇宙へと発展することを示すものです。」(佐藤勝彦「眠れなくなる宇宙のはなし」宝島社、2016)

  ついでに、この理論によると、この宇宙の始まりから10のマイナス36乗秒まではゆっくり(時間と大きさの両方とも)と膨脹した。すなわち、ゼロ時点は「虚数の時間」とでも呼ぶべきものであって、「無」であった。

 ところが、その時間が虚数から「実数の時間」に変化したという。さらに、その後の10のマイナス36乗秒になると、インフレーション的な急膨張が開始されたのだと。

 それからは、「強い力」という力が働く、すなわち、相転移(そうてんい)と呼ばれる力の枝別れ(ある時点で、物質の性質が急変すること)があったのだと考える。この相転移のまさにその時、10のマイナス34乗秒という極微の時間の過ぎる間に100億のまた100億倍といった途方もない大きさに急膨張し、俗にいうところの「火の玉宇宙」になったというのだ。

(続く)

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♦️1の2『自然と人間の歴史・世界篇』ビッグバン宇宙

2019-03-17 21:37:43 | Weblog

1の2『自然と人間の歴史・世界篇』ビッグバン宇宙

 さて、そもそも現在に至る宇宙の創成がおよそ100億年位であることの概略は、ハッブル定数からの演繹計算で導かれるものの、宇宙年齢推測の決め手としてはやはり観測データとの某かの照合に頼るしか「確かな推測」にはならないのであろう。何事も事の成り行きを遡るにつれて、そもそもの始まりはどうであったのか、そこからどう変化してきたのか、その詳細さは曖昧模糊になってゆくものだ。現代の、ありとあらゆる科学的アプローチをもってしても、これは避けがたい。

 インフレーションに続くビッグバンの後には、宇宙は膨張が続き、それに伴って冷えていく。しかし、まだ極めて高温状態だったことから、素粒子の一つである「電子」は陽子などと結びついて原子核を形成することなく、大量にかつ自由に宇宙空間を飛び交っていたことだろう。そこでの光は、これらの電子と繰り返し衝突を余儀なくされるために、真っ直ぐに進むことができなかった。観測者がいたとしても、深い霧の中でのように不透明で拡大しつつある宇宙を遠くまで見通すことは不可能であったに違いない。
 しかし、宇宙誕生からおよそ37万年が過ぎた頃、宇宙の温度が3000度(摂氏)位まで下がると、電子と陽子が結合して水素原子、さらにヘリウム原子となっていく。そのため、それまで自由に飛び交っていた電子はほとんどいなくなっていく。これを「宇宙の晴れ上がり」と呼ぶ。そうなると、それまで電子に遮られて真っ直ぐに進めなかった光が、宇宙空間を真っ直ぐに進めるようになっていくであろうと。

 さらに宇宙発生後にできてきた水素やヘリウムが集まって、銀河系が形成され始める。ここに水素のイメージは、太陽ー地球の系の大きさを10の21乗程度縮小したものが、水素原子を構成する陽子ー電子の系の大きさに対応するといわれる。その水素原子のイメージとして、水素原子内の電子はその陽子付近の半径1オングストローム(10のマイナス10乗メートル)程度の範囲内の空間のどこかに、もやもやした雲の如くに存在していると推定される。
 ビッグバンからどのくらいかの時間が過ぎていき、幾多の「銀河」が形成されていく。私たちが「銀河系」と呼んでいる巨大な渦状の天体も、そんな中で形成されていったと考えられている。

(続く)

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♦️69の2『自然と人間の歴史・世界篇』古代の天文学(古代ギリシアのヒッパルコス)

2019-03-17 19:23:48 | Weblog

69の2『自然と人間の歴史・世界篇』古代の天文学(古代ギリシアのヒッパルコス)

 さて、古代ギリシアの天文学者ヒッパルコスは、「視差」を使って、今日私たちが「地球の歳差運動(さいさうんどう)による春分点の移動」と呼んでいる現象を発見する。ここでまず歳差とは、地球が自転することとの関連だ。つまり、地球の自転の具合が、まるで回転の遅くなったコマが倒れる前に、軸を斜めにしながらグルーリ、グルーリと首を振るように、つまりコマの軸の先端は円を描くように、回っている。言い換えると、この時の地球の自転軸の方向はゆっくりと変化しているのであり、この首振り運動を「歳差運動」と呼ぶのだ。

 それでは、なぜこんな現象が起こるのかというと、地球が完全な球ではないことからくる。そのため、赤道部のやや横に膨らんだ部分に太陽や月の引力が余分に働くことになっている。この引力の方向だが、いま太陽が地球からの見掛け上地球の周りを回っていることによる太陽の軌道の面、言い換えると、地球の公転面の延長が天球(全ての星をのせた仮想上の球)と交わるラインを「黄道面」(こうどうめん)と呼ぶとしよう。

 すると、この力はその態様の黄道面に垂直になるように、地球を引き起こそうとする方向に働いている。このため、地球の自転軸は少しずつ向きを変えながら、自転が続いていく。この歳差運動の度合いを、「歳差」と呼ぶ。

 この歳差(運動)のあるために、地球から見た場合の太陽の通り道である「黄道」と、地球の赤道を見掛け上の天球(てんきゅう)に投影したものとしての「天の赤道」との交点である春分点(しゅんぶんてん)は、毎年わずかに移動する。そしてヒッバルコスは、粘り強い観察の結果、この春分点の移動を発見する。しかし、これが地球の自転軸が傾き、首振り運動をしていることにより引き起こされている現象だとは気づかなかったらしい。

 なお、古来私たち人類が航海や何やで生活の頼りにしてきた「天の北極」は、少しずつ変化している。そこのすぐ近くには「北極星」と呼ばれる星があって、その輝く星を、方位を知るための手掛かりとしてきたのだが、ヒッバルコスの生きた時代には、「天の北極」は現在の北極星とされている、こぐま座のアルファ星は「天の北極」からかなりずれた位置にあったであろう。ちなみに、「歳差」による「天の北極」は、約2万6千年の周期で変化するといわれているところだ。

(続く)

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