♦️360の1の7『自然と人間の歴史・世界篇』放射スペクトルの法則(1859~1885~)の発見

2019-03-01 09:33:35 | Weblog

360の1の7『自然と人間の歴史・世界篇』放射スペクトルの法則(1859~1885~)の発見

 果たして、物理学でいう「量子」の概念は、いかにして導かれたのだろうか。その話のきっかけを与える一つとして、スペクトルの観察があった。1859年、ブンゼン(1811~1899)とキルヒホフ(1824~1887)は、ある実験を行っていた。真空の放電管というガラス管の中に低圧のガスを封入して電圧をかけると、そのガスが発光する。これを真空放電という。

 封入されたガスの種類によって、発光色は様々に変化する。これに対し、真空放電の発光をプリズム(分光器)で分光すると、線状の光のスペクトルが現れる。この時、様々な波長が混ざった連続スペクトルは現れず、特定の波長だけが、線になって現れるのだ。

 そこで彼らは、水素原子が放電管の中で発する放射スペクトルの輝線(きせん)の波数を数え、5本のスペクトルを得た。具体的には、赤の1523310に始まり、青緑、青、藍、そして紫の2518130と来る。しかし、これらの数字からは何らの法則性も覗えないでいた。

 それから時が1885年、スイス人の女子校教師(国語と数学を担当とか)・バルマー(1825~1898)は、最小の1523310との波数に対し、ほかのスペクトルの波数がどのような比率を持っているかを調べるうち、それが規則性をもっていることを見つける。

 具体的には、ここで観測される可視光領域の光の波長をλ(ラムダ)、リュードベリ定数(1.097373×107 m-1)をR(アール)、2以上の整数をn(エヌ)とすると、可視光領域のスペクトル線の波長は、今日「バルマー系列」と呼ばれる式によって表されるのを発見する。

 続いて、アメリカの物理学者のライマンが紫外線領域のスペクトルについて類似の関係を見出し、「ライマン系列」と呼ばれる。さらに、ドイツの物理学者のパッシェンが赤外線領域のスペクトルについての関係を発見し、「パッシェン系列」と呼ばれる。

 そうして彼らが発見した線スペクトルにみられる法則性の発見だけでは、それがなぜそうなっているかの存在理由と、電子が原子核に墜落しない謎とを突き止められなかった。のちに、それを解き明かしたのは、デンマークの物理学者ニールス・ボーアであって、彼が提示した水素原子の構造を、ボーア・モデルと呼ぶ。

 (続く)

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