346の2「自然と人間の歴史・世界篇」レマルク「西部戦線異常なし」
エーリヒ・パウル・レマルク(1898~1970)は、ドイツの作家で、第一次世界大戦に従軍し、負傷した経験をもつ。そのかれが、戦後ナチスに追われ、スイスに逃れる前のワイマール時代に、一躍有名になったのが、この作品のためである。
その一節には、登場人物による次のやりとりがある。
「だがまったく滑稽だなあ、ようく考えてみると」とクロップは言葉をつづけて、「おれたちはここにこうしているだろう、おれたちの国を護ろうってんで。ところがあっちじゃあ、またフランス人が、自分たちの国を護ろうってやってるんだ。一たいどっちが正しいんだ」
「大がい何だな、一つの国が、よその国をうんと侮辱した場合だな」(中略)
「そんならおれたちはここで何にも用がねえじゃねえか」とチャアデンは答えて、「おれはちっとも侮辱されたような気がしてねえものな」
「憲兵のよ、警察のよ、税金のよ、それが貴様たちのいう国家だ。そんなことの学科なら、真っ平だ」
「そりゃあ、うまいことを言ったぞ」とカチンスキイは言って、「貴様初めて本当のことを言ったぞ。国家というものと故郷というものは、こりゃ同じもんじゃねえ。確かにそのとおりだ」
「そんなら一たい、どうして戦争なんてものがあるんだ」
と訊いたのはチャアデンだ。
カチンスキーは肩をそびやかした。
「なんでもこれは、戦争で得をする奴らがいるに違えねえな」
「はばかりながら、おれはそんな人間じゃねえぞ」
と歯をむき出したのは、チャアデンだ。
「貴様じゃねえとも。ここにゃ誰もそんな奴あいねえよ」
「そうしてみると誰だ」(秦豊吉訳『西部戦線異常なし』新潮文庫、1950)
ここには、誇張もなければ、臆することもない、生身の人間の、戦争というものに対する考えが表明されている。。
それからも行きつ戻りつでの戦闘の模様とか、自軍の塹壕の中の様子とかが繰り返し描写されるのだが、それらも終わりにさしかかり、この物語の独白者こと「僕」は、負傷で死にそうになっていたのを若い生命力で何とか持ち直し、病院を出て休暇をもらい、故郷に帰る。そして、「僕の心はすっかり落ち着いた。幾月、幾年と勝手に過ぎてゆくがよい。月も年も、この僕には、何も持ってきてはくれない」と、慨嘆する。しかし、その後また戦線に駆り出され、命を削るような修羅場に身をおくのであった。レマルクは、エピローグで、こう書いている。
「ここまで書いてきた志願兵パウル・ボイメル君も、ついに1918年の10月に戦死した。その日は全戦線にわたって、きわめて穏やかで静かで、司令部報告は「西部戦線異状なし、報告すべき件なし」という文句に尽きているくらいであった。」(同)
(続く)
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