『141*88』『岡山(美作・備前・備中)の今昔』西日本集中豪雨

2018-09-25 22:03:36 | Weblog

141*88』『岡山(美作・備前・備中)の今昔』西日本集中豪雨

 年間を通じて雨が少なく、自然災害の少ないことで言い習わされてきた岡山の県南地区なのだが、その「晴れの日」も強面の天候に豹変することがある。
 1893年(明治26年)の10月には、岡山県下全域で前年に続き洪水が発生し、甚大な被害があったという。仔細には、死者が415戸、全壊家屋が6,105戸、床上浸水が5,0100戸に、山崩れ12,675か所などであったというから、驚きだ。
 その中でも一際厳しい状況であったのは、県南にさしかかるあたりからの高梁川流域の西、もう少し言うと、成羽川(なりわがわ)より下流の高梁川(たかはしがわ)沿い、小田川(おだがわ)沿い、それに成羽川沿いなどであったという。
 それから百年以上が経過しての、なんということであろうか。「西日本豪雨」と称される、今回2018年7月の洪水においては、広島、愛媛そして岡山の3つの県に大きな被害が集中した。

 梅雨前線の停滞は、オホーツク海高気圧と太平洋高気圧に挟まれた形で起きた。その活発化は、台風7号から変わった温帯低気圧が影響したという。また、暖かく湿った空気の流入は、太平洋高気圧の勢力が強まって南風が流れ込んだうえ、東シナ海付近の水蒸気を多く含む空気が南西風に乗ったためだという。

 岡山県下では倉敷市真備町において、「稀代のものなのか」との声が出る程の、甚大な被害が発生した。
 ここで地理的な状況を簡単に説明しよう。高梁川の下流域西岸には、平野が広がる。そこを西から東へ小田川という高梁川に流れ込む支流が流れる。その小田川の支流に高馬川(たかまがわ、ほぼ北側から流れ込む)、末政川(すえまさがわ、南西の方角から流れ込む)などがあって、北から西から水が集まってくる。そこに、今回高梁川の上中流で大量の雨が降ったこと。それは生き物のようで、時々刻々と変化していく。
 多くの人びとが気づく頃には、小田川から水が注ぎ込む地点での高梁川の水位はかなりの高さになっていた。そのことで、小田川からの水の流れが高梁川本流に合流できないばかりか、ついには小田川へと逆流を始めたという。そうなったことで、小田川の北岸に広がる真備の平野は水浸しの脅威に晒されて行くのであった。
 7月6日の午前11時30分には、倉敷市全域の山沿いに避難準備・高齢者等避難開始の発令があった。午後7時30分には、市全域の山沿いに避難勧告が出される。

午後10時になると、真備町全体に避難勧告が出る。続いての午後10時には、気象庁が市に大雨特別警報を出す。午後11時半前、小田川に達する少し前の地点で高馬川の堤防を水が乗り越え、あふれ出した。一気に増水したという。午後11時45分には、小田川南方の真備町に避難指示が出される。

日が改まっての7月7日の午前0時頃、西側の堤防が決壊した。濁流が地域に流れ込み出す。0時47分には、市が国土交通省岡山河川事務所からの小田川右岸で越水との緊急連絡メールを確認した。

午前1時30分4には、小田川北側の真備町に避難指示があった。1時34分になると、「高馬川が異常出水」との連絡が倉敷市災害対策本部に入った。これにより、市が小田川の支流・高馬川の堤防決壊を確認した。

午前2時には、地域への本格的な浸水が始まった。それより東を流れる末政川でも、7日の午前0時頃に決壊が始まったようだ。3か所の決壊が発生した。
 その後、浸水域は周辺ばかりでなく、東部へと拡大していった。水位も変化し、住宅に濁流が流れ込んで行く。7日の午前3時40分には、倉敷市真備支所から災害対策本部に「浸水のため停電」の連絡が入る。7日の午前6時52分には、国土交通省が小田川北岸の小田側と高馬川の合流地点付近で、小田川の堤防が約100メートルにわたって決壊しているのを確認した、

さらに、10日に国交省が発表した調査報告によると、高馬川の上流から南に延びる真谷川(まだにがわ)でも決壊しているのが見つかったという。

 以上はまだ混乱にある中での情報の一端であったのが、発生から1週間後の真備の状況については、こう伝わる。

 「国管理で決壊したのは岡山県倉敷市を流れる小田川。都道府県管理では岡山、広島両県で各十河川が決壊、最も多かった。その他は山口県の一河川だった。

 小田川は左岸の二カ所で堤防が決壊、それぞれ五十メートルと百メートルにわたって切れた。近くの高馬川も決壊し、流域の倉敷市真備町地区(人口約二万二千人、約八千九百世帯)では最大約五千世帯が浸水。地区の約三割の約千二百ヘクタールが水に漬かり、死者は五十人に上った。

 小田川は同地区を流れる高梁川の支流。水位が高まった川が支流の流れをせき止める「バックウオーター(背水)現象」が起こり、決壊したとみられている。倉敷市では小田川以外の三支流でも決壊が確認され、支流の一つである末政川では計三カ所で堤防が切れた。」(中日新聞、2018714日付け)

(続く)

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『(33の2*30)』『岡山(美作・備前・備中)の今昔』廃藩置県、秩禄処分そして地租改正

2018-09-25 20:48:49 | Weblog

『(33の2*30)』『岡山(美作・備前・備中)の今昔』廃藩置県、秩禄処分そして地租改正

 そして迎えた8月29日(旧暦7月14日)、まずは長州、薩摩、肥前、土佐の知藩事四人(土佐は代理の板垣退助)に対し天皇から廃藩置県が伝えらる。ついでかねてから廃藩を建白していた名古屋、熊本、鳥取及び徳島の四藩の知藩事が呼び出される。同様に天皇から通達があった。午後2時には、在京知藩事の島津忠義・毛利定広ら五六名が皇居大広間に集められ、明治天皇の前で右大臣三条実美(直後に太政大臣)が廃藩置県の詔書を読み上げる。それには、こうあった。
 「廃藩置県の詔
 朕(ちん)惟(おも)うに、更始の時に際し、内以て億兆を保安し、外以て万国と対峙(たいじ=交際)せんと欲せば、よろしく名実相副(そ)い、政令一に帰せしむべし。朕曩(さき)に諸藩版籍奉還の議を聴納(ちょうのう)し、新に知藩事を命じ、おのおのその職を奉ぜしむ、しかるに数百年因襲の久き、あるいはその名ありてその実挙(あが)ら
ざる者あり。何を以って億兆を保安し万国と対峙するを得んや。朕深く之を慨す。よりて今更に藩を廃し県となす。・・・・・」
 この措置により、例えば備中松山藩を例にとると、新政府から蔵米2万5千石を受けて6万1千石に復された。(つづく)
 さらに新政府は、秩禄処分、次いで地租改正を行った。こちらは、従来の田畑貢納の法を廃止するものである。地券の元となる土地の調査を行い、土地の代価を決め、それに基づき地租を課すことになった。1871年(明治3年)から準備が始まる。1872年(明治5年)8月に田畑の貢米・雑税米について近接市町の平均価格をもって金納することを認める。同年9月、租税頭より「真価調方之順序各府へ達県」が出される。1873年(明治6年)6月になると、石高の称を廃止する。地租は従来の総額を反別に配賦して収入とすることに決まる。同年7月の「上諭」とともに、地租改正条例と地租改正規則が公布される。
 これらの諸法令の施行により、土地の所有権の根拠(いわゆる「お墨付き」)を与えるもので、その所有者には「地券」が新政府によって発行される仕組みだ。この地券には、地番と地籍とともに、その次に「地価」が書いてあって、これが江戸期までの検地でいう「石高」に相当する、課税の際の「土地の値段」となる。つまり、「この地券を持っている人は何割の税金を払うように」法令を発すると、この地価に税率を掛けた額が税金となって、これを支払うのが義務として課せられる。政府としては、これで安定的な税収が見込める。最初の税率は、地価の100分の3と見積もる。その上で、作物の出来不出来による増減をしないことにしている。地租の収納方法は物納を廃止し、一律に金納とした。この地価の水準は、当時の「収穫代価のおよそ3割4分」に相当するものとして算定されている。
 この政府の決定に基づき、美作の地でも地租改正の作業が進められていく。ところが、これがなかなか思うように進まなかった。その例として、『津山市史』に、北条県での事例が次のように記されている。
 「こうして地租が徴収されるのであるが、この調査の過程で問題が多かったのは、一筆ごとの面積と地価についてであった。言ってしまえば簡単であるが、測量にしても、「田畑の反別を知る法」が10月に示され、種々の形の面積の出し方が教えられた。
 『北条県地租改正懸日誌』の11月7日の項に、「人民は反別調査の方法も知らない。延び延びになるので測り方を示した。これが地租改正の始まりである」と書いている。11月になって、やっと地租改正の仕事が動き出したのである。
 それから2箇年後、8年(1875年)12月3日、北条県は地租改正業務を終了させた。山林の調査は多少遅れたけれども、地租改正事務局総裁大久保利通ら、「明治9年から旧税法を廃して、明治8年分から新税法によって徴収してよい。」との指令が到着したのは、同9年(1876年)1月4日であった。」(津山市史編さん委員会『津山市史』第六巻、「明治時代」1980)
 地租改正のその後であるが、1878年(明治10年)に税率が100分の3であるのは高いということになり、100の2.5に変更されたり、追々の米価騰貴もあって金納地租の率が低減していったのである。

(続く)

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『(33の1*30)』『岡山(美作・備前・備中)の今昔』幕末の攻防と封建体制の終焉(津山藩、岡山藩、備中松山藩)

2018-09-25 20:46:10 | Weblog

『(33の1*30)』『岡山(美作・備前・備中)の今昔』幕末の攻防と封建体制の終焉(津山藩、岡山藩、備中松山藩)

 備前と備中そして美作の3藩は、幕府と新政府の間をさまよったものの、維新の最終段階では新政府に従った。これらのうち津山藩は、さきに将軍家斉の子斉民(なりたみ)を8代藩主として迎えた10年後の1827年(文政1年)、皮肉にも先代藩主の斉孝に慶倫(よしとも)が生まれた。そのため、斉民は隠居を余儀なくされ、家督は慶倫が継ぎ新しい藩主になった。これが契機となって藩内は分裂、斉民側は佐幕派、慶倫(よしとも)側は勤王派に分かれての抗争が始まった。
 津山藩主の松平慶倫は、1863年((文久3年)8月18日政変の後も長州藩への寛大な措置を求めた。とはいっても、それに先行して実施の陣夫役、そして政変後の長州征伐や鳥羽伏見の戦いにも幕府方として参戦した。

 ここで「陣夫役」とは、雇兵でもなければ、長州藩の奇兵隊の如き、当時の腐りきった世の中を突き崩すために志願しての兵でもない。具体的には、8月政変の5箇月前の3月、津山藩は摂津湊(せっつみなと、現在の兵庫県神戸市)の警備を請け負う、そのことで領地内の出役可能な18歳から60歳迄の男子の中から相当数を選んでこの賦役に動員した。出役者には、日程数に応じて一日当たり2升ずつの扶持米と若干の小遣いが支給されることになっていた。
 ところが、その扶持米支給は「大割入」(おおわりいり)といって、領主の出兵のための費用を、領内全体の農民の負担に割り振って拠出させるという、農民たちへはいわゆる「やらずぶったくり」のからくりなのだ。加えて、1868年(慶応4年)1月の「戊辰戦争」(ぼしんせんそう)時には、幕府の新たな命令を目して、領津山藩内で360人もの猟師を兵として動員する計画まで立てられていた。

 それによると、大庄屋たちに対し、彼らの管轄ごとの必要人員と集合場所まで指示していたという。そういうことだから、殿と大方の重役達は当時の時代の変化を観る目がまるでなかった酷評されても仕方がないのではないか。
 幕府の命に従っての津山藩の参戦は、しかし、惨めな失敗へと連なっていく。そのことごとくの敗戦後、備前の岡山藩などが新政府にとりなしてくれたのが効を奏したほか、勤王派の鞍縣寅次郎(くらかけとらじろう)らが奔走した。彼が公武合体と勤王両派の間をとりもって藩内を新政府に従うことにまとめたこともあって、かろうじて「朝敵の汚名」を免れることができた。もう片方の斉民は江戸にいて、鳥羽伏見で命からがら逃げ帰った将軍慶喜が江戸を退去する際、彼から田安慶頼(たやすよしのり)とともに徳川家門の後事を依頼された。
 また、同時期の岡山藩と備中松山藩の動静については、まず岡山藩が徐々に幕府から離れていった。もともと勤王色が濃かった岡山藩政が大きく勤王・倒幕側に傾いたのは、1868年(慶応4年)のことであった。これより先の1866年(慶応2年)師走に、一橋慶喜が15代目の将軍に就任した。その慶喜の実弟である岡山藩主池田茂政は、これにより微妙な位置に立たされたが、翌1867年(慶応3年)、西宮警備を命じられて家老以下約2150人が出役した。

 翌1868年(慶応4年)正月には「朝敵」と見なされた備中松山藩の征討を命じられ、またも家老以下1千数百人が出役した。この間に大きく世の中が動いたのを見抜いたのは、近隣の津山藩などと大きく違うところである。この年の旧暦正月15日、藩主の池田茂政は急遽隠居をして、徳川氏とゆかりのない鴨方支藩の池田章政が本藩の藩主となり、かねてよしみを通じていた長州藩との連絡をも密にし、倒幕の旗印を鮮明にするに至るのである。
 これに対し、備中松山藩は、家柄の重さが大いに関係した。この藩の元々は、1617年(元和3年)、因幡鳥取の池田長幸(いけだながよし)が6万5千石で入封した。ところが、1641年(寛永18年)にその子長常が死んで無継嗣・改易となり、翌年備中成羽(びっちゅうなりわ)の水谷勝隆(みずのやかつたか)が5万石を与えられて入封した。しかし、これも1693年(元禄6年)、3代勝美(かつよし)の末期養子となった勝晴が、勝美の遺領を引き継ぐ前に没してしまった。ために、水谷氏は継嗣(けいし)がなくなり除封された。その後しばらくは安藤・石川両氏の所領となったものの、1744年(延享元年)、伊勢亀山より板倉勝澄(いちくらかつすみ)が5万石で入封し、譜代大名が領する。そして、7代藩主の板倉勝浄(いたくらかつきよ)が幕府老中に就任していたこともあり、結局は倒幕に抗する動きを示した。
 戊申戦争(ぼしんせんそう)においては、彼は奥羽越列藩同盟の公儀府総裁となって函館まで行って新政府軍に抵抗したものの、時流には逆らえず、1869年(明治2年)、明治政府によって禁固刑に処せられることになる。加えるに、鶴田藩(だづたはん)は、1866年(慶応2年)の第二次長州征伐で長州軍に所領を奪われた石見国浜田藩6万1千石の藩主松平武聡(まつだいらたけあきら、水戸藩主徳川斉昭の子)が、翌1867年(慶応3年)に幕府から久米北條郡内で2万石を与えられて立藩していた。このため、1868年(慶応4年)1月の鳥羽伏見の戦いのおり、幕府側について敗れ、「お家存亡の危機」に立たされたが、家老尾関隼人の赦罪賜死での嘆願によってどうにか新政府側の許しを得たのであった。

(続く)

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『(40の1*35)』『岡山(美作・備前・備中)の今昔』明治時代の岡山(産業の発展、紡績業)

2018-09-25 19:18:59 | Weblog

『(40の1*35)』『岡山(美作・備前・備中)の今昔』明治時代の岡山(産業の発展、紡績業)

 こうした全国での動きにと歩調を合わせる形で、岡山県下でも養蚕が盛んになるとともに、近代紡績の勃興もみられるようになっていく。1880年(明治13年)、岡山紡績所が設けられた。これは、旧岡山藩池田家からの士族授産資金で設立されたものである。また、1882年(明治15年)に玉島紡績所が開業した。こちらは、それまで備中綿の集散地であった玉島に設けられた。さらに同年、綿織物の産地である児島においても、下村紡績所が設立された。
 続いて、1888年(明治21年)には、大原孝四郞による倉敷紡績が民間ベースで設立され、翌年の10月20日に操業を開始した。場所は倉敷代官所跡で、当時の県知事の千阪高雅の助言もあり、資金の確保をねらって1891年(明治24年)に倉敷銀行を設立した。新会社では、当時の最新技術のリング紡績機を導入し、昼夜に二交代制を敷いた。
1893年(明治26年)時点の同紡績所の規模は、1万664錘、精紡機31台であって、その後の発展の基礎が作られた。人員の方も、1897年(明治)10月の調査によると、「倉敷の女工総数1436名、中、勤続年数1年以内のものが589名、2年目以内のものが464名で、両方あわせると70%をこえる。平均勤続年数は、約8か月であった」(岡山女性史研究会編・永瀬清子・ひろたまさき監修「近代岡山の女たち」三省堂、1987)というから、2年を越えては会社にいられないような劣悪な労働状況であったとも受け取れる。
 この事業は、勝田、真庭、赤磐などの山間地などでも盛んに行われるようになっていく。その生産のピークは皮肉にも1929年(昭和4年)の大恐慌の頃であった。北条県の津山では、養蚕を地域の産業として奨励する行政の後押しもあって、1880年(明治18年)浮田卯佐吉らによる浮田製糸工場が伏見町が立ち上がった(津山市教育委員会『わたしたちの津山の歴史』1998年刊行)。
 英田郡内においては、1897年(明治25年)に美作製糸合資会社が大原町に設立され、また大庭郡内の久世村においては、久世合資会社といった地元資本による製糸会社が立ち上がった。さらに勝北地内においても、1898年(明治26年)、市場の竹内茂平らが「永盛製糸合資会社」(当時の勝田郡広戸村、現在の津山市広戸の農協広戸支所の敷地)を立ち上げた。この工場は、1910年(明治38年)まで市場地域にあったと伝えられている。その頃の「県下養蚕戸数は5万5496軒のうち勝田郡の養蚕戸数は5614軒、繭数量23万6384貫、価額163万2694円であり、県下22の年中第一位の順位であった(二位赤磐、三位真庭)」(勝北町誌編纂委員会『勝北町史』1991年刊行)であり、関係する農家と地域社会にとって貴重な現金収入となっていたことが覗われる。

(続く)

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『(40の2*35)』『岡山(美作・備前・備中)の今昔』明治時代の岡山(産業の発展、農業)

2018-09-25 19:17:27 | Weblog

『(40の2*35)』『岡山(美作・備前・備中)の今昔』明治時代の岡山(産業の発展、農業)

 1888年(明治21年)の岡山県の農地保有別数は、田畑10町歩以上の農家が564戸、2町歩超10町歩未満農家が8152戸、2町歩以下の農家が14万5387戸であった。

経営の種別では、自作農が4万6968戸で16.32%、自作兼小作農が9万5379戸で33.15%であったのに対し、小作農一本は14万5387戸で全体の50.53%も占めていたのであって、この農家構成からも当時の重苦しい農村の雰囲気を感じ取ることができるのではないか。加えるに、この頃になると、農業資本家が小作農と請負契約を結ぶとか、自らが資本主義的生産者となって農業労働者を雇い入れる形が表れてきたのが注目される。
 具体的には、1887年(明治20年)、九州に本拠をおく「政商」の藤田組が児島湾の干拓事業を政府に申請した。総面積7000余町歩のうち約5500町歩を対象に干拓を行おうとするもので、設計はオランダ人ムルドルが担当した。計画は、第一期と第二期の2本立てでの申請であって、そのうち第一期分が第一区と第二区とに分かれており、こちらが「藤田農場」と呼ばれる部分である。この計画は、翌1888年(明治21年)には政府の許可をもらった。

この計画に対する地元民の対応は、洪水を激化させ、古地の湿田化を招き、旭川の堆積の激化と遡行の困難などの理由から、大方が反対に回った。また、この干拓によって漁業権が失われる漁業者も反対に加わった。1899年(明治32年)藤田組は地元民の反対を押し切る形で、第一期分の児島湾干拓事業に着手した。その6年後の1905年(明治38年)に第一工区、1912年(明治45年)には第二工区がそれぞれ完工となる。これとは別の第二期工事が完成したのは、1933年(昭和8年)のことである。
 建設後の藤田農場の規模としては、耕地面積が1200町歩あり、これを高崎、大曲、都、錦の4つの農区に区画整理した上、直営600町歩と小作600町歩の2本立てでの資本主義的農業経営を目指した。小作事業については、藤田組は、干拓で獲得したその宏大な土地に精力的に入植者を募集し、小作契約を結んでいく。

その内容は、請負耕作で営業純益の35%を払わせるなど4通りの小作雇用の形態をとるもので、その中では「稲扱(こ)き作業やモミ分配時に落ちこぼれたモミを耕作者が取り込むこと(慣行)も盗籾者とみなす」(岡山女性史研究会編「岡山の女性と暮らしー「戦前・戦中の歩み」」山陽新聞社、2000)といった抜け目のない搾取の網を敷いていた。

(続く)

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(47の2*28)『自然と人間の歴史・日本篇』倭と中国と朝鮮(七支刀など)

2018-09-25 18:46:59 | Weblog

(47の2*28)『自然と人間の歴史・日本篇』倭と中国と朝鮮(七支刀など)

 もう一つ、4世紀の倭と朝鮮との関わりを推測させるものとして、七つの矛先をもつ七支刀(しちしとう)に触れたい。これは、神がかりの剣であって、古代の4世紀、朝鮮半島から伝わった。ヤマト王権の武器庫であったとも言われている石上神宮(いそのかみじんぐう、現在の奈良県天理市)にあって、国宝となっている。2000年5月の上野国立美術館で開催中の「国宝展」にも陳列された。その説明文にはこうあった。
「奈良県天理市石上神宮伝世
古墳時代4世紀
特異な形状の鉄剣で、表裏に61文字金象嵌される。
銘文は朝鮮半島をめぐる当時の倭の国際関係をうかがわせる記録的
文章である。」
 銘文に何が書いてあるかはガラスケース越しではよく読みとれなかったので、ここでは現場での注釈にさせていただこう。
 「泰(和)四年(五)月十(六)日、丙午正陽造百練(鉄)、七支刀(出)百兵、宣供侯□□□□付、先世以来有此刀百済(王)世(子)、奇生聖音故為倭王旨造伝示(後)世」
 なぜ七つの刃先なのかということについては、祭祀用に用いる剣だからということだろうか。倭王とは誰なのかを考える時、「宣供侯□□□□付」のところの読みの一部が不詳となっている。朝鮮史研究会「朝鮮の歴史」による推測には、こうある。
 「「七支刀」(奈良県・石上神宮所蔵)は、369年に、百済が作製して倭王に送ったもので、こうした百済との関係樹立を記念したものである。ここに百済・加耶南部・倭の軍事的な同盟関係が成立したことになる。」(朝鮮史研究会「朝鮮の歴史」三省堂、1995より)
 「石上神宮の宝物として、鉄盾とともに伝えられたもので、身の両側にそれぞれ3本の枝刃を左右交互に出す特異な形からこの名がある。鍛鉄製の剣身に金象嵌(きんぞうがん)の銘「泰□四年□月十六日」があり、ここでの元号は「泰和」とみるのが有力である。
 『日本書記』」神功皇后52年の条に百済王が献じた重宝のなかに「七支刀」の記録があるのは注目される。」NHK出版編「国宝全ガイド」日本放送出版協会、1999より)
 この解説文のなかで腑に落ちないのは、泰和4年(369年)に百済王が倭王に「献上」したというなら、臣下なり同盟員が主人なり盟主なりに送ったことになりはしないか。この点について上田正昭氏の『古代史の焦点』は、こう推測される。
「(石上神宮の七支刀は)全長74.9センチ(刀身65センチ)の鍛鉄の両刃づくりで、刀身の左右に3つずつの枝が違いに出ている呪刀である。その刀身の表裏に、金の象嵌で六十余字が刻されている。三度実物を吟味したことがあるが、惜しいことに下から約三分の一のところで、刀身は折れており、銘文もまた錆落ちばかりでなく、故意に削ったところがあって、銘文の判読に困難な個所がある。
 そのため苦心の解読が多くの人々によってなされてきたが、これまでの読み方で、決定的に誤っているのは、396年(泰和四年)に、百済王が倭王に「献上した」刀などと解釈してきたことである。銘文の表に「候王に供供(供給)すべし」とある候王とは、裏の「倭王」をさす。まずなりよりもこの銘文の書法は、上の者が下の者に下す下行文書形式であって、けっして「献上」を意味する書法でもなければ文意でもない。それは百済王が候王たる倭王にあたえたことを意味する銘文であった。それなのに、これを「献上」とか「奉った」とかなどと恣意に読みとったのは、我を優として彼を劣とする差別思想にわざわいされたものというほかない。
 21世紀の今、これまでの「歴史を直視せよ」といわれる。東アジアでは、歴史認識を巡っていろいろと面倒なことばかりが目立つ。その中では、共通する部分を明らかにしていこうという仕事が軽視されているきらいがある気がしている。そういう非和解とされる部分を辛抱強く紐解いていくと、どうなるだろうか。お互いの連関性を明らかにしてこそ、双方、多方面との違いも明らかになるのではないか。この国の文化も歴史も、そうすることによってこそ、生き生きと蘇ってくるのではないかと考えている。一九八〇年代のドイツとフランスの歴史的和解は「ついに握手ができたか」の灌漑ひとしおであったし、欧州12か国の歴史家が額をつきあわせて編集した歴史教科書「ヨーロッパの歴史」が1992年から出版されており、1997年には増補改訂版も出されていると伝えられる(朝日新聞の声欄、倉持三郎氏の「東アジアも共通の歴史教科書を」2015年3月27日に収録)。
 このようにして日本列島に勃興していた、もしくは大きな力を貯えつつあった勢力と、古代の朝鮮との外交関係がどうであったかは、2世紀頃までの外国との関係はなお、あまりよくわかっていない。こちらは中国との関係よりも、もっと「灯台もとくらし」で、双方の考古学の成果をかき集めても、それらの事実のひとつひとつを結びつけ、連続し、一貫した知識の体系として整理するまでには至っていない。朝鮮半島から日本列島への渡来は、主として対馬や隠岐を経由して、この列島のいずれかの地にかなりの年月をかけて行き渡っていったのではないかと考えられる。

そのことは、3世紀から7世紀にかけて本格化した。それには少なくとも3回の波があった。一つは、民衆レベルのもので、朝鮮半島の飢饉などに悩んでいた人々が渡ってきた。二つは、貴族とか豪族が新天地を求めて渡ってきた。更なる一つは、7世紀からのものである。

(続く)

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(47の1*28)『自然と人間の歴史・日本篇』倭と中国と朝鮮(好太王碑など)

2018-09-25 18:44:03 | Weblog

(47の1*28)『自然と人間の歴史・日本篇』倭と中国と朝鮮(好太王碑など)

 ここでは、倭と朝鮮半島との外交関係を紐解いてみたい。4世紀初めの朝鮮半島は、北方の高句麗(コグリョ、紀元前37年に建国)とその南方に百済(ペクチェ、紀元前18年に建国)と新羅(シルラ、57年に建国)の3国がいずれも王朝国家を形成していた。そのほか、半島最南部には「伽羅・伽耶連盟(から・かやぶんめい)」も展開していて、複雑な諸国家分立の状況にあった。

高句麗の勢いは楽浪郡を滅ぼした後も益々盛んで、四世紀の終わり頃の好太王の治世には、大いに外征を行い、領土を広げていった。西は現在の中古具の東北三省の南の地方から、東はトンヘ(日本の立場で言うと日本海)の沿岸にまで領土を広げ、さらに海岸沿いに北へ勢いを伸ばしつつあった。
 4世紀後半に至ると、今の中国の東北三省に拠点を置き、朝鮮半島北部まで進出していた高句麗がさらに半島を南下し、北進してきた百済と戦いを交える。これらのうち「加羅・伽耶連盟」では、かねてから少数豪族の分立が続き、その団結は強くなかった。ところが、南朝鮮にはその頃すでに、倭の勢力が入り込んでいたことがわかっている。それが、大和朝廷によるものであるかどうかは、はっきりしていない。5世紀に入る頃には、倭は百済と力を合わせて、北から南へと勢いを伸ばしていた高句麗と対峙することになっていく。
 ちなみに、かの有名な好太王の碑文は、現在の中国の吉林省集安市に建つ。碑は、長寿王が父の好太王の功績をたたえるために414年に建てた。碑文に彫られた正確な名前は、「國岡上廣開土境平安好太王」とのことで、それが刻まれている石柱の高さは6.4メートルある。碑の4面すべてに合計で1759文字が刻まれている。そこには、王の治世のさまざまな出来事が、手柄話を中心に記されている。なかでも、高句麗と百済・倭との17年に及ぶ戦い(391年、400年、404年及び407年)が記されている。
 例えば、第1面の8行から9行にかけて、「百残新羅舊是屬民、由來朝貢、而倭以辛卯年來、渡海破百残□□新羅、以爲臣民」と彫られている。ここに、高句麗はかつて百済と新羅を属民としていた。それゆえ、両国は高句麗に朝貢して来た。しかし、倭は辛卯年(391年)よりこのかた、海を渡って百済を破り、□に新羅を□した。これによれば、倭は百済と新羅を臣民とした。この文章を、当時の倭が百済と新羅を従えていたと読むのであれば、飛躍に過ぎよう。そこで、この碑が言いたいのは倭との戦いにおける大義名分であって、倭はそれ程までに朝鮮半島の深くまで進出していた。それに脅威を覚えた高句麗はやむなく大軍を差し向けて倭と戦い、第1回目は勝利を収めたことになるのだろう。
 ところが、その後のことははっきりしていない。双方のいうところは異なっている。とすると、確かなところは藪の中にある。この碑文の細かいところでは、何しろ好太王の事績を褒め称えてある。古代ローマなどでも、都合のいいところだけを並べ立てていたのではないか。そうである可能性があるからして、今でもいろいろな解釈が並び立っているようである。4世紀末から5世紀初めの倭(日本)と朝鮮半島の姿を東アジアの視点から知ることができる貴重な歴史的資料であることに変わりはないものの、やはり何らかの考古学的な裏付けが必要だと考えられる。

(続く)

 

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(日本史・目次5/5)『自然と人間の歴史・日本篇』(2018年8月21日朝時点)、531~)

2018-09-22 19:24:42 | Weblog

(日本史・目次5/5)『自然と人間の歴史・日本篇』(2018年8月21日朝時点)、531~)

531.日本のコンピュータ産業の黄昏

532.広がる経済格差(2015)

533.広がる経済格差(ピケティ、統計データから)
534.広がる教育格差


535.長時間労働、低賃金そして過労死
536.動き出した憲法改正
537の1.日本とロシアの経済協力1
537の2. 日本とロシアの経済協力2

538.円キャリー取引など
539.日本への強制連行と拉致
540.日朝平壌宣言
541.日本から北朝鮮への拉致問題(2014)
542.カジノ法
543.共謀罪が叫ばれる今
544.南北共同宣言と日本
545.対外純資産が世界一
546.原発の経済性と環境性をめぐって
547.消費税引き上げ論議

548.雇用がふえる中、賃金は上がっているか



(続く)

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(日本史・目次4/5)『自然と人間の歴史・日本篇』(2018年5月12日)、404~530)

2018-09-22 18:42:38 | Weblog

(日本史・目次4/5)『自然と人間の歴史・日本篇』(2018年5月12日)、404~530)

404.ニクソン・ショックと日本
405.検討中
406.第一次石油ショックと日本
407.日中国交正常化
408.1960年代の文化(文学1)
409.1960年代の文化(文学2)
410.1960年代の文化(彫刻、絵画、書、マンガ、写真1)
411.1960年代の文化(彫刻、絵画、書、マンガ、写真2)
412.1970年代の文化(陶芸、音楽、スポーツなど)
413.検討中

414.原発の非経済性

414.検討中

416.検討中

417.検討中

418.検討中

419.ロッキード事件(1)
420.ロッキード事件(2)
421.1960年代の文化(文学1)
422.1960年代の文化(文学2)
423.1970年代の文化(彫刻、絵画、書、マンガ、写真1)
424.1970年代の文化(彫刻、絵画、書、マンガ、写真2)
425.1970年代の文化(陶芸、音楽、スポーツなど)
426.第二次石油ショックと日本(1)
427.第二次石油ショックと日本(2)
428.新保守主義と日本
429.1970年代からのコンピュータ産業の発展
430.薬害エイズ
431.1980年代前半の日米貿易摩擦(産業連関を含む)
432.金融改革
433.農業開国へ
434.低成長下での公企業の民営化(1)
435.低成長下での公企業の民営化(2)
436.プラザ合意と日本
437.プラザ合意後の円高の高進
438.プラザ合意後の国際通貨調整
439.ブラックマンデー(1987年10月19日)
440.リクルトート事件
441.大型景気下でのマネーゲーム
442.1980年代の日本企業の海外進出
443.日米半導体摩擦
444.1980年代の文化(文学1)
445.1980年代の文化(文学2)
446.1980年代の文化(彫刻、絵画、書、マンガ、写真1)
447.1980年代の文化(彫刻、絵画、書、マンガ、写真2)
448.1980年代の文化(陶芸、音楽、スポーツなど)
449.検討中

450.検討中

451.検討中

452.検討中

453.検討中

454.~1980年代の人物往来(神谷美恵子の生きがい)
455.非自民の連立政権へ
456.日本社会党の変質
457.小選挙区制
458.所得税
459.相続税
460.法人税
461.1990年代前半の投資過熱
462.1990年代前半の経済
463.1990年代前半の景気対策
464.1990年代前半の証券不詳事
465.1990年代の政界再編
466.1990年代半ばの政治(その流れ)
467.1990年代半ばの政治(社会党の平和政策の転換)
468.1990年代半ばの政治(小選挙制)
469.1990年代半ばの政治(植民地支配と侵略への謝罪)
470.アイヌ新法
471.1990年代半ばの経済
472.1990年代後半の景気対策
473.1990年代前半の金融破綻と金融制度改革(1)
474.1990年代前半の金融破綻と金融制度改革(2)
475.土地神話の崩壊
476.住専処理をめぐって
477.検討中
478.検討中

479.検討中

480.検討中

481.持株会社の解禁
482.外為法の内外無差別化と株式手数料の自由化など
483.1990年代後半の日米貿易摩擦と世界金融
484.1990年代経済摩擦の構図
485.1990年代後半の金融制度改革(全体的枠組み)
486.1990年代後半の金融制度改革(金融再生法による処理)
487.1990年代後半の金融制度改革(早期健全化法による処理)
488.1980~90年代の文化(文学1)
489.1980年代の文化(文学2)
490.1980~90年代の文化(彫刻、絵画、書、マンガ、写真1)
491.1980~90年代の文化(彫刻、絵画、書、マンガ、写真2)
492.1980~90年代の文化(陶芸、音楽、スポーツなど)
493.検討中

494.検討中

495.検討中

496.検討中

497.検討中

498.1998年の経済
499.2000~2005年の政治
500.2000~2005年の経済
501.郵政民営化
502.検討中
503.2000~2005年の金融制度改革
504.元号と国歌と日本文化
505.「税と社会保障の一体改革」をめぐって
506.2009年度税制改革
507.検討中
508.常任理事国への道はるか(1)
509.常任理事国への道はるか(2)
510.2000~2010年代の文化(文学1)
511.2000~2010年代の文化(文学2)
512.2000~2010年代の文化(彫刻、絵画、書、マンガ、写真1)
513.2000~2010年代の文化(彫刻、絵画、書、マンガ、写真2)
514.2000~2010年代の文化(陶芸、音楽、スポーツなど1)
515.2000~2010年代の文化(陶芸、音楽、スポーツなど2)
516.特定機密保護法
517.東日本大震災と福島原発(経過と現状)
518.東日本大震災と福島原発(核廃棄物の処理)
519の1.東日本大震災と福島原発(原発コスト)

519の2.化石燃料化か原子力か

519の3.東日本大震災とエネルギー源

519の4.地球温暖化と日本

520.あおられる領土問題
521.日本に徴兵制はあるか
522.安保法制の舞台裏
523.安保法制と日本周辺国との緊張激化
524.安保法制と自衛隊
525.防衛費と献金
526.核軍縮の光と闇

527.金融緩和

528.金融緩和の修正

529.経済指標(2013~2014)
530.経済指標(2015~2018)


(続く)

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(日本史・目次3/5)『自然と人間の歴史・日本篇』(2018年5月12日)、284~403)

2018-09-22 18:06:15 | Weblog

(日本史・目次3/5)『自然と人間の歴史・日本篇』(2018年5月12日)、284~403)

284.大日本帝国憲法の発布と国会開設(経緯)
285の1.大日本帝国憲法の発布と国会開設(田中正造、直訴へ)
285の2. 大日本帝国憲法の発布と国会開設(田中正造、直訴後)
286.学制の施行
287.日本の第三次産業革命
288.帝国主義の扉(~日清戦争)
289.帝国主義の扉(三国干渉)
290.帝国主義の扉(日清戦争後)
291.帝国主義の扉(日露戦争)
292.帝国主義の扉(ロシア革命とシベリア派兵)
293.帝国主義の扉(日韓併合へ)
294.日清・日露戦争に抗した人々(自由主義者1)
295.日清・日露戦争に抗した人々(自由主義者2)
296.日清・日露戦争に抗した人々(社会主義者)
297.第一次世界大戦前後の政治経済
298.検討中
299.第一次世界大戦前後の労働者の状態
300.第一次世界大戦前後の農民などの状態
301.第九初演

302.検討中

303.検討中

304.明治から大正へ1(1924年まで)
305.明治から大正へ2(1924年まで)
306.明治から大正へかけての文化(文学1)
307.明治から大正へかけての文化(文学2)
308.明治から大正へかけての文化(絵画1)
309.明治から大正へかけての文化(絵画2)
310.明治から大正へかけての文化(絵画3)
311.陶芸、音楽など(1)
312.陶芸、音楽など(2)
313.検討中

314.検討中

315.検討中

316.検討中

317.大正テモクラシーとその終焉(普通選挙法)
318.大正テモクラシーとその終焉(治安維持法)
319.1927年金融恐慌へ
320.1929年世界恐慌へ
321.昭和・戦前の文化(文学、絵画1)
322.昭和・戦前の文化(文学、絵画2)
323.検討中

324.検討中

325.検討中

326.昭和恐慌前後(1)
327.昭和恐慌前後(2)
328.放漫な金融財政への転換(高橋財政)
329.1930年代の日本経済
330.中国侵略と満州事変
331.ファシズムへの道(2.26事件など)
332.5.15事件と満州国
333.ファシズムと戦争前夜の全国各地(都市)
334.ファシズムと戦争前夜の全国各地(農村)
335.ファシズムと戦争前夜の文化(1)
336.ファシズムと戦争前夜の文化(2)
337.ファシズムと戦争への突入(南京占領)
338.ファシズムと戦争への突入(国家総動員へ)
339.ファシズムと戦争への突入(帝国議会での抵抗)
340.ファシズムと戦争への突入(対米英戦争へ)
341.対米開戦
342.財政金融などの総動員へ
343.戦況は日本の劣勢へ(1)
344.戦況は日本の劣勢へ(2)
345.戦況は日本の劣勢へ(沖縄、広島、長崎)
346.各地への空襲、中国大陸での日本の731部隊(細菌兵器)の活動など
347.日本の敗戦
348.戦いに命を捧げた人びと
349.占領統治される中での積極的平和主義
350.日本国憲法第9条の制定過程(国際的枠組み)
351.日本国憲法第9条の制定過程(その経緯)
352.日本国憲法第9条制定時の政府解釈
353.戦後の国際金融体制と日本
354.戦後の復興に向けて(戦後インフレ)
355.戦後の復興に向けて(ドッジ・ライン)
356.検討中

357.検討中

358.検討中

359.検討中

360.検討中

361.信教の自由
362.検討中

363.農地改革
364.財閥解体、独占禁止と過度集中力排除の政策
365.朝鮮特需からの生産拡大
366.平和と民主主義と基本的人権
367.片面講和
368.砂川事件
369.生存の権利
370.高度経済成長へ(全体)
371.高度経済成長へ(農業)
372.高度経済成長へ(外国貿易)
373.第二の黒船(電算機)
374.第二の黒船(鉄鋼)
375.第二の黒船(石油・石油化学)
376.第二の黒船(電気機械、輸送機械)
377.第二の黒船(繊維)
378.第二の黒船(その他)
379.戦後の民衆文化の出発(文学1)
380.戦後の民衆文化の出発(文学2)
381.戦後の民衆文化の出発(彫刻、絵画、書、マンガ、写真1)
382.戦後の民衆文化の出発(彫刻、絵画、書、マンガ、写真2)
383.戦後の民衆文化の出発(陶芸など1)
384.戦後の民衆文化の出発(陶芸など2)
385.戦後の民衆文化の出発(音楽、スポーツ2)
386.戦後の民衆文化の出発(その他)
387.所得倍増計画
388.日本の第三次産業革命
389.総資本対総労働(安保と三池1)
390.総資本対総労働(安保と三池2)
391.公害列島(大気汚染)
392.公害列島(水質・土壌など)
393.検討中

394.検討中

395.検討中

396.公害列島(水質土壌汚染)

397.石油メジャーと日本
398.教科書検定裁判
399.日韓国交正常化
400.検討中
401.いざなぎ景気の終焉
402.沖縄返還と70年安保改定
403.ニクソン・ショックの衝撃

(続く)

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(日本史・目次2/5)『自然と人間の歴史・日本篇』(2018年9月21日)、155~283)

2018-09-22 14:29:07 | Weblog

(日本史・目次2/5)『自然と人間の歴史・日本篇』(2018年9月21日)、155~283)

155.室町政治の混乱
156.応仁の乱から戦国の世へ
157.戦国時代(北条氏など)
158.戦国時代(毛利など)
159.戦国時代(薩摩など)
160.織田・豊臣政権下の政治経済(織田)
161.織田・豊臣政権下の政治経済(豊臣)
162.織田・豊臣政権の宗教政策(キリスト教、仏教)
163.安土桃山時代から江戸時代書記の地方(関ヶ原前)
164.安土桃山時代から江戸時代書記の地方(関ヶ原後)
165.江戸時代初期の武家・禁中の統制
166.江戸時代初期の寺社の統制
167.検討中

168.検討中

169.検討中

170.検討中

171.検討中

172.安土桃山時代の文化の妙(絵画)
173.安土桃山時代の文化の妙(茶陶)
174.江戸時代初期の農民政策
175.江戸期の対外政策(交易)
176.江戸期の対外政策(キリスト教の弾圧1)
177.江戸期の対外政策(キリスト教の弾圧2)
178.江戸期の資本家(1)
179.江戸期の資本家(2)
180.江戸時代初期の民衆の生活(1)
181.江戸時代初期の民衆の生活(2)
182.外国人が見た江戸時代初期の日本(1)
183.外国人が見た江戸時代初期の日本(2)
184.江戸時代初期の諸藩(中国地方)
185.江戸時代初期の諸藩(2)
186.検討中

187.検討中

188.蝦夷地など(シャクシャインの戦いなど)
189.蝦夷地など(2)
190.江戸時代前半期の農村・農民一揆1(美作での元禄一揆など)
191.江戸時代前半期の農民一揆2(検討中)

192. 江戸時代前半期の農民一揆3(検討中)
193.江戸時代前半期の農村・農民

194.江戸時代初期の諸産業(1)
195.江戸時代初期の諸産業(2)
196.江戸と大坂の経済(1)
197.江戸と大坂の経済(2)
198.江戸時代初期の財政金融政策(1)
199.江戸時代初期の財政金融政策(2)
200の1.享保の改革1
200の2.享保の改革2
201.18世紀の藩政改革2(米沢藩、長州藩)
202.美作の山中一揆に見る農民思想
203.享保の飢饉
204.宝暦の飢饉
205.美作元文一揆、作州農民騒動
206.会津寛延一揆、播州寛延一揆
207.磐城元文一揆、美濃郡上一揆
208.18世紀の藩政改革1(熊本藩、岡山藩)
209.18世紀の藩政改革2(米沢藩、長州藩)
210.18世紀の藩政改革3(備前・備中・美作)
211.18世紀前半の全国で頻発する天災・飢饉
212.18世紀前半の全国で頻発する天災・飢饉
213.18世紀前半の全国で頻発する天災・飢饉
214.田沼政治
215.寛政の改革
216.18世紀後半の飢饉(天明の飢饉など)
217.18世紀後半の諸藩の状況
218.19世紀後半の飢饉(天保の飢饉など)
219.天保の改革
220.江戸時代における民衆誌の編纂
221.諸藩の状況(長州藩)

222.諸藩の状況(薩摩藩)

223.諸藩の状況(岡山藩、備中松山藩、佐賀藩)
224.江戸中期の地方(備前、備中、美作)

225.江戸中期の地方(佐賀藩)

226.検討中

227.検討中

228.江戸時代の民間宗教
229.江戸時代の民間娯楽など(伊勢参り、金比羅参りなど)
230.江戸時代の社会思想(1)
231.江戸時代の社会思想(2)
232.江戸時代の大衆文化(文学など1)
233.江戸時代の大衆文化(文学など2)
234の1.江戸時代の大衆文化(文学など3)
234の2.江戸時代の大衆文化(彫刻、絵画など1)
235.江戸時代の大衆文化(彫刻、絵画など2)
236の2.海外の目に晒されて1(1750~1849)
237.海外の目に晒されて2(1750~1849)
238.海外の目に晒されて2(1850~1867)
239.検討中

240.検討中

241.検討中

242.江戸時代の大衆文化(概略)

243. 江戸時代の大衆文化(絵画、久隅守景)

244. 江戸時代の大衆文化(伊藤若冲、与謝蕪村、池大雅、鈴木春信)

245. 江戸時代の大衆文化(絵画、彫刻、円空、浦上玉堂)

246.ペリー来航と日米和親条約(経緯)
247.ペリー来航と日米和親条約(内容)
248.国防論の展開
249.渋染一揆など
250.世直し一揆など
251.備中・備前・美作の農民一揆
252.日米修好通商条約(経緯)
253.日米修好通商条約(内容)
254.通商の開始
255.攘夷か倒幕か
256.薩長同盟
257.幕末の攻防と封建体制の終焉
258の1.大政奉還

258の2.鳥羽伏見の戦い(検討中)

258の3.江戸無血開城

258の4.奥州と五稜郭の戦い

259の1.廃藩置県
259の2.地租改正
260.秩禄処分
261.琉球の併合
262.暦の改新
263.高まる民衆の不満(岡山の血税一揆など)
264.秩父困民党一揆
265.産業創生への道(1)
266.産業創生への道(2)
267.自由民権運動(1)
268.自由民権運動(2)
269.学制の施行
270.明治維新をどう見るか(1)
271.明治維新をどう見るか(2)
272.日本の第一次産業革命
273.近代的金融制度へ(1)
274.近代的金融制度へ(2)
275.富国強兵へ
276.財政からの梃子入れ(~1897)
277.金本位制へ

278.検討中

279.検討中

280.検討中

281.検討中

282.検討中

283.検討中.

(続く)

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(日本・目次1/5)『自然と人間の歴史・日本篇』(2018年9月21日朝時点)、1~154)

2018-09-21 22:07:46 | Weblog

(日本・目次1/5)『自然と人間の歴史・日本篇』(2018年9月21日朝時点)、1~154)

 読者の皆様へ。項目・題名だけで、まだ中身のないもの、工事中のものが沢山あります。全てが、未完成です。項目・題名は、これからさらに追加していきます。ゆくゆくは、全部で600~700項目くらい(2018年5月時点の作成済みは約450項目)になっていく予定です。
 書き直しや加筆は予告なく、随時行います。その都度、本目次に記していきます。皆様には、色々とご不便をおかけしますが何卒、よろしくお願いいたします。
 なお、誤字や脱字なども沢山あって、ご迷惑をおかけしております。誤りに気がついた時は、直すようにしておりますが、分量が多いので間に合いません。鋭意、修正などに取り組んでいきますので、よろしくお願いいたします。


1.日本列島の形成と変化(土台の形成)
2.日本列島の形成と変化(陸化)
3.日本列島の形成と変化(~中生代白亜紀)
4.日本列島の形成と変化(新生代へ)
5.日本列島の形成と変化(大陸からの分離)
6.新生代の日本列島(1500万年前)
7.新生代の日本列島(1500万~2万年前)
8.新生代の日本列島(2万年前~)
9.検討中

10.検討中

11.検討中

12.検討中

13.検討中

14.神々の時代(列島創造伝説)
15.神々の時代(陸から海などへ)
16.石器時代(概要)
17.石器時代(最初の石器使用)
18.石器時代(石器の発達)

19.石器時代(人骨から見えるもの)
20.縄文時代
21.縄文人のDNA・そのルーツ
22.稲作の伝搬
23.縄文式土器

24.検討中

25.検討中

26.検討中

27.弥生人と国

28.縄文時代の定住生活
29.縄文時代の文化
30.弥生時代(定住生活と農耕)
31.弥生人のルーツを巡って
32.日本語の成立
33.古代日本語と漢字の伝来
34.弥生時代の文化
35.弥生人と住居
36.古墳時代の始まり
37.弥生時代の農業遺跡
38.『魏志倭人伝』に見る倭(初期国家の形)
39.『魏志倭人伝』に見る倭(倭の大乱)
40.『魏志倭人伝』に見る倭(政治と外交)
41.『魏志倭人伝』に見る倭(風俗と習慣)
42.邪馬台国の所在を巡って
43.考古学から見る3世紀の倭
44.3、4世紀の大陸と倭
45.倭の五王の時代
46.遺跡から見る倭の五王
47の1.倭と中国と朝鮮(好太王など)

47の2.倭と中国と朝鮮(七支刀など)


48.倭の疾風怒濤
49.吉備国と出雲国の併呑(出雲)
50.吉備国と出雲国の併呑(吉備)
51.飛鳥への道
52.検討中

53.検討中

54.検討中

55.検討中

56.暦の伝来
57.仏教の伝来
58.大和朝廷をめぐって(政治体制の確立)
59.大和朝廷をめぐって(仏教による国造り)
60.大和朝廷をめぐって(外交政策の確立)
61.飛鳥へ(乙巳の変)

62.飛鳥へ(大化改新)

63の1.白村江の戦い

63の2.律令政治への道
64.律令制の成立
65.古墳に見る飛鳥の文化
66.土地所有の解禁
67.「日本」の登場・建国
68.検討中

69.検討中

70.検討中

71.検討中

72.東西文化の交流
73.貨幣の鋳造と流通
74.検討中

75.検討中

76.検討中

77.奈良時代の都と地方
78.検討中

79.検討中

80.検討中

81.神話・伝承による国家形成の過程(天孫降臨へ)
82.神話・伝承による国家形成の過程(天孫降臨とその後)
83.奈良天平の政治など(相次ぐ争乱)
84.奈良天平の政治など(対外政策)
85の1.奈良天平の政治など(相次ぐ争乱)
85の2.鎮護国家(大仏の造営)

86.鎮護国家と地方(国分寺・国分尼寺の建立)
87.鎮護国家(行基)
88.風土記の編纂
89.遣唐使(その使命)
90.遣唐使(吉備真備)
91.遣唐使(鑑真の来日)
92.飛鳥・白鳳・天平の仏教建築・仏像(1)
93.飛鳥・白鳳・天平の仏教建築・仏像(2)
94.飛鳥・白鳳・天平の民衆文化(万葉集1)
95.飛鳥・白鳳・天平の民衆文化(万葉集2)
96.奴隷制社会は実在したか
97.(検討中)
98.(検討中)
99.奈良から平安へ
100.承平・天慶の乱

★★★

101.天文への関心
102.武士の登場
103.平氏と源氏(その系譜)
104.心の平安を求めて(天台宗)
105.心の平安を求めて(真言宗)
106.平安文化の中の民衆(絵巻など)
107.平安文化の中の民衆(文学など)
108.検討中

109.検討中

110.検討中

111.中世へ
112.荘園の拡大で中世へ(~10世紀)
113.院政
114.荘園の拡大で中世へ(~12世紀)
115.寺社と荘園と僧兵と(10~12世紀)
116.源氏と平氏(両雄ならび立たず)
117.鎌倉幕府の成立
118.承久の変
119.承久の変後の政策
120.寛喜の飢饉など
121.検討中
122.検討中

123.検討中

124.検討中

125.鎌倉幕府の地方支配

126.鎌倉時代の諸産業
127.鎌倉仏教(浄土宗、浄土真宗)
128.鎌倉仏教(日蓮宗など)
129.鎌倉仏教(禅宗など)
130.鎌倉時代にかけての民衆文化(文学など)
131.鎌倉時代にかけての民衆文化(絵画、陶芸、舞踊など)
132.鎌倉時代にかけての民衆文化(仏教芸術)
133.鎌倉倒幕への道
134.元の襲来と幕府の疲弊
135.鎌倉倒幕の崩壊
136.建武新政
137.室町幕府による初期政治
138.室町幕府と守護大名
139.室町時代の経済(産業の発達)
140.室町時代の経済(流通と金融)
141.室町時代の貿易(対明・朝鮮)
142.室町前期の大乱と南北朝の統一
143.室町時代の一揆(正長の土一揆)
144.室町時代の一揆(播磨土一揆、加賀一向一揆)

145.室町時代の一揆(山城の国一揆)
146.室町期の精神風土(室町文化、猿楽から狂言へ)
147.室町期の精神風土(2)
148.キリスト教の伝来
149.鉄砲の伝来
150.室町・安土桃山の文化、日本独自の文化の形成

151.対明、朝鮮貿易

152.検討中

153.検討中

154.検討中

(続く)

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▽目次4(D/A~D)『自然と人間の歴史・世界篇』(2018年9月20朝時点)、642~1000/0~1000)

2018-09-20 19:12:21 | Weblog

▽目次4(D/A~D)『自然と人間の歴史・世界篇』(2018年9月20朝時点)、642~1000/0~1000)





642.中国の大躍進政策
643.中国の文化大革命
644.中国の四つの近代化路線
645.1970年のアメリカ多国籍企業
646.1970年のソ連経済
647.二人のケネディの闘い

648.インドの食糧危機

649.第三次インドとパキスタンの国境紛争(1971)
650.ニクソン・ショック
651.スミソニアン合意
652.第一次石油危機(前半)
653.第一次石油危機(後半)
654.米中国交正常化
655.ロッキード事件(前半)
656.ロッキード事件(後半)
657.ウォーターゲート事件(前半)
658.ウォーターゲート事件(後半)
659.チリ革命と反革命(1969~1973年9月11日の大統領官邸攻撃開始)
660.チリ革命と反革命(1973年9月11日のクーデターによる反革命)
661.「超大国アメリカ」の内と外
662.第一次石油ショック
663.第二次石油ショック
664.イラン革命(1963~1980)
665.ブラジル(1960年代)
666.ペルー(1960年代)
667.中国の改革・開放政策(1976~1980)
668.中国の改革・開放政策(1981)
669.劉少奇元国家主席の名誉回復(1980)
670.ソ連の社会主義改革(~1987)

671.東欧の社会主義改革(ポーランド、~1987)
672.東欧の社会主義改革(ハンガリー、~1987)
673.東欧の社会主義改革(東ドイツ、~1987)
674.東欧の社会主義改革(チェコスロバキア、~1987)

675.検討中

676.検討中

677.検討中

678.検討中

679.検討中

680.国境紛争(イラン・イラク戦争)
681.国境紛争(フォークランド戦争)
682.国境紛争(アメリカのグレナダ侵略)
683.スリーマイル島原発事故
684.チェルノブイリ原発事故
685.新保守主義(アメリカ)
686.新保守主義(アメリカのマネタリズム、合理的期待形成学派)
687.新保守主義(イギリス)
688.新保守主義(イギリスの労働政策)
689.アメリカ航空管制官ストライキ

690.1970年代からのコンピュータ産業の発展1
691.1970年代からのコンピュータ産業の発展2
692.プラザ合意(その経緯)
693.プラザ合意(輸出大国・日本への影響)
694.ブラック・マンデー
695.債務に喘ぐ中南米諸国(ブラジル1980~1990年代
696.債務に喘ぐ中南米諸国(アルゼンチン、1980~1990年代)

697.債務に喘ぐ中南米諸国(メキシコ1980~1990年代
698.債務に喘ぐソ連・東欧諸国(1980~1990年代)

699.新保守主義(イギリスの金融)

700.検討中

701.検討中

702.検討中

703.米ソの核軍縮(1980年代)
704.核戦争を未然に防いだ男(スタニスラフ・ぺトロフ)
705.アメリカの債務国化

706.インドのボパール化学工場の爆発(1984)

707.ソ連の政治経済(1988)
708.ソ連の政治経済(1990年1~6月)
709.ソ連の政治経済(1990年7~12月)
710.ソ連の経済(1991)
711.ソ連の社会主義の崩壊(クーデターへ)
712.ソ連の社会主義の崩壊(クーデターとその失敗)
713.ソ連の社会主義の崩壊(クーデター後)
714.ソ連の国民投票(1991年3月)
715.ソ連から15の共和国へ
716.ソ連の崩壊と核兵器
717.ロシアの市場経済化(1991~1995、概観)
718.ロシアの市場経済化(1991~1995、工業の民営化)
719.ロシアの市場経済化(1991~1995、農業の民営化)
720.ソ連社会主義の崩壊要因
721.インドの経済改革(199~11995)

722.カザフスタン
723.トルクメニスタン
724.ウズベキスタン
725.タジキスタン
726.キルギス
727.ジョージア(旧グルジア)
728.アルメニア
729.アゼルバイジャン
730.ベラルーシ
731.モルドバ
732.ウクライナ
733.バルト3国
734.ウクライナ

735.検討中

736.検討中

737.検討中

738.検討中

739.検討中

740.検討中

741.検討中

742.検討中

743.検討中

744.検討中

745.検討中

746.検討中

747.検討中

748.検討中

749.検討中

750.検討中

751.検討中

752.検討中

753.検討中

754.検討中

755.検討中

756.検討中

757.検討中

758.検討中

759.検討中

760.検討中

761.検討中

762.検討中

763.検討中

764.検討中

765.検討中

766.検討中

767.検討中

768.検討中

769.検討中

770.検討中

771.検討中

772.検討中

773.検討中

774.検討中

775.モンゴル

776.検討中

777.検討中

778.検討中

779.検討中

780.検討中

781.東欧社会主義の崩壊と市場経済化(ポーランド1970~1988)

782.東欧社会主義の崩壊と市場経済化(ポーランド1989、政治面)
783.東欧社会主義の崩壊と市場経済化(ポーランド1989、経済面)

784.東欧社会主義の崩壊と市場経済化(チェコとスロバキア)

785.東欧社会主義の崩壊と市場経済化(ハンガリー)
786.東欧社会主義の崩壊と市場経済化(アルバニア)
787.東欧社会主義の崩壊と市場経済化(ルーマニア)
788.東欧社会主義の崩壊と市場経済化(ブルガリア)
789.東欧社会主義の崩壊と市場経済化(東ドイツ)
790.旧ユーゴスラビアの解体
791.スロベニア
792.クロアチア
793.セルビア
794.モンテネグロ
795.ボスニア・ヘルツェゴビナ
796.マケドニア
797.中国の天安門事件(1)
798.中国の天安門事件(2)
799.中国の社会主義市場経済
800の1.日米半導体摩擦など1

800の1.日米半導体摩擦など2

★★★

801.1980年代の米ソの軍縮
802.1990年の湾岸戦争
803.1990年代前半の世界経済、投資加熱の行方(1)
804.1990年代前半の世界経済、投資加熱の行方(2)
805.アパルトヘイトの廃止
806.アジア通貨危機(タイ、インドネシア発)
807.アジア通貨危機(韓国発~1997.11.21)
808.アジア通貨危機(韓国、1997)
809.アジア通貨危機(韓国、1998)

810.アジア通貨危機(タイ)

811.アジア通貨危機(インドネシア)

812.アメリカの金融資本(1995~1999)

813.検討中

814.検討中

815.検討中

816.検討中

817.検討中

818.インドの政治(1998~2008)

819.20世紀の天文学(20世紀前半)
820.20世紀の天文学(20世紀後半)
821.2001.9.11アメリカ
822.2001.9.11はなぜ起きたのか

823.アメリカのカリフォルニア電力危機
824.米英らによるイラクとの戦争(20002003.7)
825.米英らによるイラクとの戦争(2)
826.アメリカのイラク戦費
827.1990~95年の世界金融と円高・ドル安
828.1995~99年の世界金融とロシア金融危機(国債金融の視点から)
829.1995~99年のロシア金融危機(1997~1998.6)
830.1995~99年のロシア金融危機(1998.7~8.22)
831.1995~99年のロシア金融危機(1998.8.23~1999)
832.ドイツ再統一
833.仏独の歴史的和解
834.リーマン・ショックと世界恐慌(1)
835.リーマン・ショックと世界恐慌(2)
836.スノーデン事件
837.世界ですすむ経済格差の拡大
838.アメリカ経済1(2009~2017)
839.アメリカ経済2(2009~2017)
840.アメリカ経済(3)経済格差の拡大
841.『21世紀の資本』でみる欧米の所得格差の推移
842.アメリカノ経済成長に4つの向かい風
843.中南米にはびこる麻薬
844.経済格差の拡大(データの紹介)

845.中国経済1(2009~2017)
846.中国経済2(2009~2017)
847.欧州経済(2009~2017)
848.日本経済(2009~2017)
849.韓国経済(2009~2017)
850.インド経済(2009~2017、概略)
851.インド経済(2009~2017、多国籍企業下の労働運動)
852.インドの労働(概要)

853.検討中

854.検討中

855.検討中

856.検討中

857.検討中

858.インドとアメリカの原子力協定(2008)

859.その他の地域1アフリカ(2009~2017)
860.その他の地域2南アメリカ(2009~2017)
861.その他の地域3中南米(2009~2017)
862.インドの2013年食糧安全法

863.インドの外資導入(2012)

864.インドのオーストラリアからのウラン鉱石の輸入と国内調達

865.(未定)

866.(未定)

867.インドの市民運動(~2017)

868.農村雇用保障法からガンジー雇用保障法へ(2009)

869.その他の地域4ロシア(2009~2017)
870.その他の地域5北欧(2009~2017)
871.その他の地域6アフガニスタンなど紛争地域(1993~2017)
872.中東1(2009~2017)
873.中東2

874.朝鮮の南北首脳会談

875.検討中

876.検討中

877.検討中

878.検討中

879.朝鮮半島(1992~2018)
880.カンボジア内戦と和平の歩み
881.ミャンマーのロヒンギャ
882の1.シリア内戦(~2016)

882の2.シリア内戦(2017~)

883.南アジア(インド、パキスタンなど)
884.ドバイ・ショック
885.イラン核合意
886.民族主義の変遷
887.アラブの春1

888.アラブの春2

889.アフリカで帝国主義は生き延びているか(2012)
890.アラブの大義とは(四国とカタール)
891.イギリスの国民投票とEU離脱に向けた動き
892.新興国などの核兵器開発
893.核軍縮の光と闇
894.広がる世界の経済格差
895.日本とロシアとの経済協力をめぐって
896.中国の外貨準備の変化
897.世界政府をめぐって
898.世界人口100億人時代へ
899.南アフリカの2016~2017年
900.中国の地域格差(2015)

901.二つの大国の現在(2017~2018、政治)

902.二つの大国の現在(2017~2018、経済)

903.溶ける氷河

904.パリ協定(地球温暖化)

 

(作成中)

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コメント

▽目次3(C/A~D)『自然と人間の歴史・世界篇』(2018年9月20朝時点)、426~641/0~1000)

2018-09-20 18:00:21 | Weblog

▽目次3(C/A~D)『自然と人間の歴史・世界篇』(2018年9月20朝時点)、426~641/0~1000)





426.国際連合など(1)
427.国際連合など(2)
428.国際連合など(3)

429.国際連合など(4)

430.国際連合の結成
431.国際連合の安全保障の枠組み
432.戦後の国際金融体制1
433.戦後の国際金融体制2
434.分子生物学の発展(DNAの発見など)
435の1.インドの独立への道
435の2.インドの独立
436.パキスタン

437.スリランカ
438.ネパール
439.バングラデシュ
440.ブータン
441.モルディブ
442.中華人民共和国の建国への道(1917~45)
443.中華人民共和国の建国への道(1946~49)

444.中華人民共和国の建国

445.朝鮮戦争(勃発)
446.朝鮮戦争(泥沼化~停戦)
447.マッカーシズム(アメリカ)
448.戦後のアフリカ(アパルトヘイト(1945~))
449.戦後のアフリカ(スエズ運河国有化)
450.戦後のアフリカ(チュニジア)
451.戦後のアフリカ(エジプト)
452.戦後のアフリカ(ザンビア)
453.戦後のアフリカ(アンゴラ)
454.戦後のアフリカ(ナイジェリア)
455.戦後のアフリカ(コンゴ)
456.戦後のアフリカ(コンゴ民主共和国)
457.戦後のアフリカ(南アフリカ)
458.戦後のアフリカ(リビア)
459.戦後のアフリカ(リベリア)
460.戦後のアフリカ(ガーナ)
461.戦後のアフリカ(ルワンダ)
462.戦後のアフリカ(ナミビア)
463.戦後のアフリカ(ケニア)
464.戦後のアフリカ(エチオピア)
465.戦後のアフリカ(スーダン)
466.戦後のアフリカ(南スーダン)
467.戦後のアフリカ(ジンバブエ)
468.戦後のアフリカ(タンザニア)
469.戦後のアフリカ(ソマリア)
470.戦後のアフリカ(コートジゥォワール)
471.戦後のアフリカ(ギニア・ビサウ)
472.戦後のアフリカ(カボベルデ)
473.戦後のアフリカ(サントメ・プリンシペ)
474.戦後のアフリカ(モザンビーク)
475.戦後のアフリカ(ベナン)
476.戦後のアフリカ(ニジェール)
477.戦後のアフリカ(マリ)
478.戦後のアフリカ(モーリタニア)
479.戦後のアフリカ(セネガル)
480.戦後のアフリカ(トーゴ)
481.戦後のアフリカ(ブルンジ)
482.戦後のアフリカ(マダガスカル)
483.戦後のアフリカ(チャド)
484.戦後のアフリカ(アルジェリア)
485.戦後のアフリカ(スワジランド)
486.戦後のアフリカ(レソト)
487.戦後のアフリカ(ボツワナ)
488.戦後のアフリカ(中央アフリカ)
489.戦後のアフリカ(ブルキナファソ)
490.戦後のアフリカ(シェラレオネ)
491.戦後のアフリカ(赤道ギニア)
492.戦後のアフリカ(サハラ・検討中)
493.戦後のアフリカ(ジブチ)
494.戦後のアフリカ(セイシェル)
495.戦後のアフリカ(モーリシャス)
496.戦後のアフリカ(コモロ)
497.戦後のアフリカ(マラウィ)
498.戦後のアフリカ(モロッコ)
499.戦後のアフリカ(ギニア)
500.戦後のアフリカ(カメルーン)

★★★

501.戦後のアフリカ(ガボン)

502.戦後のアフリカ(検討中)
503.戦後のアフリカ(ウガンダ)
504.戦後のアフリカ(検討中)
505.戦後のアフリカ(エリトリア)
506.戦後のアフリカ(検討中)
507.戦後のオセアニア(オーストラリア)
508.戦後のオセアニア(ニュージーランド)
509.戦後のオセアニア(キリバス)
510.戦後のオセアニア(ソロモン諸島)
511.戦後のオセアニア(ツバル)
512.戦後のオセアニア(トンガ)
513.戦後のオセアニア(西サモア)
514.戦後のオセアニア(バヌアツ)
515.戦後のオセアニア(パプアニューギニア独立国)
516.戦後のオセアニア(フィジー)
517.戦後のオセアニア(マーシャル諸島共和国)
518.戦後のオセアニア(ミクロネシア連邦)
519.戦後のオセアニア(パラオ)
520.戦後のオセアニア(◎)
521.検討中

522.検討中

523.検討中

524.検討中

525.検討中

526.検討中


527.東西冷戦への道
528.戦後ヨーロッパの出発(ノルウェー)
529.戦後ヨーロッパの出発(フィンランド)
530.戦後ヨーロッパの出発(チェコスロバキア)
531.戦後ヨーロッパの出発(スウェーデン)
532.戦後ヨーロッパの出発(エストニア)
533.戦後ヨーロッパの出発(ラトビア)
534.戦後ヨーロッパの出発(リトアニア)
535.戦後ヨーロッパの出発(カナダ)
536.戦後ヨーロッパの出発(アイスランド)

537の1.戦後ヨーロッパの出発(アイルランド、19世紀まで)

537の1.戦後ヨーロッパの出発(アイルランド、20世紀~)


538.戦後中南米の出発(ボリビア)
539.戦後中南米の出発(パラグアイ)
540.戦後中南米の出発(ホンジュラス)
541.戦後の東南アジア(第1次インドネシア戦争におけるアメリカによる原爆投下の危機)
542.戦後の東南アジア(ベトナム)
543.戦後の東南アジア(タイ)
544.戦後の東南アジア(インドネシア)
545.戦後の東南アジア(マレーシア)
546.戦後の東南アジア(ミャンマー)
547.戦後の東南アジア(カンボジア)
548.戦後の東南アジア(フィリピン)
549.戦後の東南アジア(ラオス)
550.戦後の東南アジア(ブルネイ・ダライサラーム)
551.戦後の東南アジア(シンガポール)
552.戦後の東南アジア(東ティモール)
553.戦後の東南アジア(台湾)
554.戦後の朝鮮
555.戦後のオセアニア
556.戦後の中東(レバノン)
557.戦後の中東(フェニキア人と地中海世界)
558.戦後の中東(サウジアラビア)
559.戦後の中東(イラン)
560.戦後の中東(イラク)
561.戦後の中東(イスラエルの建国へ、1897~1944)
562.戦後の中東(イスラエル、1945~1957)
563.戦後の中東(シリア)
564.戦後の中東(クウェート)
565.戦後の中東(イエメン)
566.戦後の中東(未定)
567.戦後の中東(トルコ)
568.戦後の中東(ヨルダン)
569.戦後の中東(アメリカのアラブ進出)
570.戦後の西アジア(パキスタン)

571.第一次インドとパキスタンの紛争(1948~1949)

572.アフガニスタン
573.戦後の社会主義(ソ連のスターリン独裁)
574.戦後の社会主義(1950年のソ連経済)
575.戦後の社会主義(フルシチョフ時代)
576.戦後の社会主義(ユーゴスラビアの自主管理社会主義)
577.戦後の資本主義(アメリカ)
578.戦後の資本主義(産軍複合体)
579.オリバー・ブラウン対カンザス州教育委員会裁判(アメリカ)
580.戦後の資本主義(アメリカ以外)
581.ハンガリー動乱
582.ラッセル・アインシュタイン宣言

583.ソ連によるチェコスロバキアへの介入

584.検討中

585.検討中

586.検討中

587.検討中

588.検討中

589.ソ連(フルシチョフ解任とコスイギン経済改革)

590.ソ連(社会主義国の経済改革の実際)
591.チェコスロバキア動乱
592.アメリカの公民権運動(経緯)
593.アメリカの公民権運動(公民権の前進)
594.南北問題(プレビッシュ報告の真実)
595.南北問題(プレビッシュ報告の帰結)
596.1960年代の中国の核兵器開発
597.1960年代のアメリカ(戦後の労働運動)
598.1960年代のソ連
599.1960年代のフランス
600.漢江の奇跡
601.国家独占資本主義
602.第三次産業革命(内容)
603.第三次産業革命(特徴)
604.産油国と石油メジャーズ1(1945年~1960年8月)
605.産油国と石油メジャーズ2(1960年9月~)
606の1.産油国と石油メジャーズ3(テヘラン協定とリヤド協定)

606の2.キューバ危機(~1961)

607.アメリカとキューバ(1961)

608.キューバ危機(1962)
609.アルジェリアの独立
610.インドと中国の国境紛争(1964)

611.ベトナム戦争1(~1966)

612.ベトナム戦争(1967~終戦)
613.中南米(1960年代)

614.ブラジル(1960年代)
615.チリ(1960年代)
616.メキシコ(1960年代)
617.アルゼンチン(1960年代)
618.ウルグアイ(1960年代)
619.ベネズエラ(1960年代)

620.ニカラグア(1960年代)
621.キューバ(1960年代)
622.ボリビア(1960年代)
623.ペルー(1960年代)
624.バナマ(1960年代)
625.パラグアイ(1960年代)
626.スリナム(1960年代)
627.エクアドル(1960年代)
628.ガイアナ協同共和国(1960年代)
629.ホンジュラス(1960年代)

630.ベリーズ(1960年代)
631.ハイチ(1960年代)
632.トリニダードトバゴ(1960年代)
633.ドミニカ共和国(1960年代)
634.セントルシア(1960年代)
635.ジャマイカ(1960年代)
636.グアテマラ(1960年代)
637.エルサルバドル(1960年代)
638.コロンビア(1960年代)
639.コスタリカ(1960年代)
640.ドミニカ(1960年代)
641.グレナダ(1960年代)

(作成中)

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(529*)『自然と人間の歴史・日本篇』日本の経済指標1(2013~2018)

2018-09-20 09:26:23 | Weblog

529*)『自然と人間の歴史・日本篇』日本の経済指標1(2013~2018)

 (1)まずは。これから紹介しよう。

   〇2012年末の資金供給量(マネタリーベース)が138兆円であったのに対し、2017年末の資金供給量(マネタリーベース)は479兆円であった。

 〇2012年末の日本銀行の国債保有量(時価ベース)と保有割合が115兆円、11.9%であったのに対し、2017年末の日本銀行の国債保有量(時価ベース)と保有割合は449兆円、41.1%であった。

 〇2012年末の長期金利(10年物国債の流通利回り)が0.795%であったのに対し、2013年3月19日の長期金利が0.595%であった。その後の2014年3月19日の長期金利(10年物国債の流通利回り)が0.605%であった。その後の2017年末の長期金利は0.045%であった。それから後の、20182月26日の長期金利は0.055%であった。

 〇2012年末の国内銀行の新規貸出平均金利が1.119%であったのに対し、2017年末の国内銀行の新規貸出平均金利は0.726%であった。

 〇2012年末の日本銀行のETF(上場投資信託)保有量が1.4兆円であったのに対し、2017年末の日本銀行のETF(上場投資信託)は17.2兆円であった。

 (2)今度は、少し別のグループを紹介しよう。

〇2013年3月の消費者物価(前年同月比、生鮮食品を除く、持ち家の帰属家賃を除く総合)がマイナス0.5%であったのに対し、201712月の消費者物価(前年同月比、生鮮食品を除く、持ち家の帰属家賃を除く総合)は0.9%であった

〇2013年3月19日の日経平均株価は1万2468円23銭であったのに対し、2014年3月19日の日経平均株価は1万4462円52銭であった。また、2018216日の日経平均株価は2万1720円25銭であった。さらに、2018723日の日経平均株価(225種)は2万2396円99銭であった。

 〇2013年3月19日のドルの対円相場が1ドル=95円47~48銭であったのに対し、2014年3月19日のドルの対円相場は1ドル=101円57~58銭であった。また、2018年2月16日のドルの対円相場は1ドル=106円01銭であった。さらに、2018年7月23日のドルの対円相場は1ドル=110円96銭であった。

 〇2013年2月の完全失業率が4.3%であったのに対し、20133月の完全失業率は41%であった。さらに、2014年1月の完全失業率は3.7%であった。その後の2017年12月の完全失業率は28%であった。

 〇2013年1月の現金給与総額(労働者一人当たりの平均賃金)が26万9937円であったのに対し、2014年1月の現金給与総額(労働者一人当たりの平均賃金)は26万9203円であった。

〇それでは、影響をとり除いた実質賃金は、どうなっているだろうか。厚生労働省の毎月勤労統計調査でいう実質賃金(従業員5人以上の事業所でみた場合)は、対前年伸び率の四半期別でいうと、2013年第3四半期から2015年第2四半期までは(2014年第3四半期を除く)マイナスが続いた。

2016年第1四半期からは(2016年第4四半期を除き)プラスが続く。結局、2016年の実質賃金伸び率は前年比0.7%増となり、5年ぶりのプラスとなった。

その後の2017年第1四半期までは、このプラスが続く。しかし、その後は潮目が変わり、2017年の実質賃金伸び率は前年比で0.2%減となり、またもや腰折れ状態に陥った。
 〇実質民間最終消費支出は、2014年、2015年と連続してマイナスだったが、2016年の1~3月期から増えていく。2016年には、プラス0.4%になった。

(注意)

1.    実質賃金は、名目賃金を消費者物価(前年同月比、生鮮食品を除く、持ち家の帰属家賃を除く総合)で割ることによって求められる。

2.    マネタリーベースとは、日本銀行が発行する現金通貨(紙幣)に、金融機関が日本銀行に開いている口座としての日銀当座預金を加えたもの。一方、マネーストックというのは、世の中に出まわっている現金通貨と預金通貨との合計が基本。 

3. 

 

 

   (続く)

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