504の1『自然と人間の歴史・日本篇』元号と国歌と日本の文化
2016年からは、天皇の生前譲位の意向を受けての、新元号制定の話が広がりっていった。その法的根拠だとされる元号法には、こうある。
「1、元号は、政令で定める。
2、元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
附則
1、この法律は、公布の日から施行する。
2、昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。」
(法律第43号(1979年6月12日))
では、これまでどんなやりとりが為されてきたのだろうか。顧みるに、この元号法制化の時には、幾つかの論点が出された。具体的には、敗戦から30年余りが過ぎた1979年2月、皇位継承があった場合に改元すると定めた元号法案が、政府(大平正芳首相)により国会に提出された。
毎日新聞(2017年1月6日付け)に、その時の論点整理がしてある(表の紹介に当たっては、筆者により適宜、番号、句読点などをつけてある)。
「(1)法制化について。政府・与党:「元号制度を明確で安定したものとする。」/社会・共産党:「天皇を神格化させることによって、戦前の天皇主権へ道を開く。」
(2)法制化後の元号の扱い。政府・与党:「一般国民に元号の使用を義務づけているわけではない。」/社会・共産党:「事実上の強制が行われようとしている。」
(3)一世一元制について。政府・与党:「象徴天皇と国民とを結ぶ深いきずなとしてふさわしい。」/社会・共産党:「絶対主義的天皇制の専制支配を支える役割を果たしてきた。」
(4)元号は文化か。政府・与党:「わたしたちの日常生活に根をおろしている尤も身近な国民文化。」/社会・共産党:「法制化しなければ存続し得ないものは、受け継ぐべき文化の名に値しない。」
(5)憲法との関係。政府・与党:「憲法は象徴天皇制を定めており、憲法違反は生じる余地がない。」/社会・共産党:「憲法の国民主権の清新に反する。」」
これらの5項目の論点の他にも、「西暦で充分」とか、「日本でだけしか通用しない元号では、西暦との換算が大変」、「元号は天皇の一代限りであるこので、元号間の通算でもわかりづらい」、さらに「国際化時代において元号に拘るのはわからない」など、多様な意見が国民から出されていた。
かつて、財政学者の大内兵衛(おおうちひょうえ)は、元号存続に難色を示していた(『1970年』もしくは『実力は惜しみなく奪う』などの評論集を参照されたい)。彼があえて述べたのには、いわゆる「元号問題」は政府や著名人から成る「有識者」が議論し決めて、上からおろすものでなく、主権者である国民がどうするかを決めるべきだとの思いからであった。
かたや、新聞紙上では、国民からの意見がチラホラながら散見される、その中から、一つ紹介しよう。
「天皇陛下の退位を巡り、新元号に関する議論が進んでいる、2019年1月1日付で新元号にする案もあるようだ。
しかし、私はあえて言いたい。国民生活への影響を最小限に抑えるというのなら、いっそ元号を廃止すべきだ。そして今後は西暦一本でいけば、国民の利便性は確実に高まると思う。
現在は、元号と西暦が併用され、特に役所関係の書類は、元号しか書かれていないことが多い。ケースに応じて西暦を元号に換算したり、その逆をしたりすることが、どれほど面倒か。元号を廃止した場合、どれほどの不便があるのか、私にはわからない。
そもそも、もうわが国は天皇主権の国ではない。国民主権となって70年が経つ。天皇が代替わりしたら元号を変えるという制度は時代錯誤もはなはだしく、民主主義にもそぐわない。
国民生活を不便にする上、日本はあたかも天皇が治める国であるかのような錯覚を生じさせる元号は、この機に根拠となる元号法とともに廃止する勇断をすべきだと思う。みなさんの意見を知りたい。」(2017年1月18日つ付け朝日新聞、『声』欄、H氏)
その後のことだが、2019年には、それまでの元号「平成」が、「令和」になり変わった。以来、これを「西暦」に替え第一に用いたり、唱えたりする向きがかなり多いようだ。もちろん、私生活では、これまで道り各人の自由にすればよいのだが、社会で時をいう場合には、不便さがつきまとう。
それというのも、21世紀に入った現代では、「西暦」はもはや「世界暦」として大抵の国や国際機関で用いられている。東洋の、我が国に近くでは、中国や朝鮮の二つの国もそうしている。この道理とは、すでに1970年の大内兵衛も提唱したのであって、今さらのことではない。かれは、当時、保守層からも一目おかれる存在としてあり、国際感覚にも長けていた。
しかして、時代は変わったのかもしれないが、その変わりようが、日本人の国際感覚の後退と軌を一つにしていると思う。あの中華思想であった中国でさえ、現在に通じる建国後は、「世界暦」を用いている。かの国のような、「四千年」の歴史を世界に認められているところがそうなのに、文明ということでは、その半分かそこらの歴史しか持っていない我が国が、なぜ「日本暦」にこだわり続けるのであろうか。
ちなみに、仏教学者の中村元(なかむらはじめ)は、我が国ではじめて仏陀の肉声を体系的に伝えた。その彼は評論にて、日本人の権威や権力に対しての受動性、その民族としてのひ弱な特徴を指摘している。彼の偉大なところは、最晩年において、日本の伝統的な「縦社会」の中での、天皇を頂点とする、人間存在のクラス分け(この場合、天皇その人はその体制的な人間支配に利用されているのではないか)に、あえて警鐘を鳴らす一筆を投じたことにあろう。
そこでもし、元号の制度が、これからの日本、日本人の精神世界を狭める傾向を持つとするならば、憲法がこの国の主権者であると認める日本国民は、これの暴走に民主的な方法で、その運用に歯止めをかけるべきではないか。かの福沢諭吉の、「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」とは、額面道りの解釈であらねばなるまい。
はたして、この種の問題は、優れて日本の文化と関わりがあろう。それらは、国民の間で大いに議論すべきであって、立憲君主制ではなく国民主権の戦後体制の今、遠慮すべきではあるまい。国の未来は、国民自身が責任を持って切り開いていくべきものだろう。
元号法制化からはや30年以上が経過し、世界での日本を取り巻く状況も大きく変わった。元号も日本と日本人の持つ一つの文化であるというだけで模様眺めでいるなら、これを巡っての変化はこれから、さらに大きなものになっていくであろう。
また、これに関連した出来事として、この度の天皇の即位式についても、簡単に触れたい。それというのも、新たな天皇が2019年10月の「即位礼正殿の儀」で昇った「高御座」(たかみくら)というのは、八角屋根の頂点に、鳳凰(ほうおう)という中国古典に出てくる伝説上の生き物がくっ付けてあると伝わる。
参考までに、これまでは、天皇の代がわりの際に挙行されてきた最初の新嘗祭(にいなめさい)のことを「大嘗祭」(だいじょうさい)といい習わしてきた。国家と人民の安寧や「五穀豊穣」を願って行う、とされてきた。そして、かかる儀式に用いられる主要な舞台が高御座なのであって、これに新天皇が昇って即位の儀式を行う。その大元をたどれば、中国の古代王朝が代がわりに泰山に登り行っていた「封禅の儀」なのであろうか。今回のそれの高さは約6.5メートル、重さは約8トンもあるというから、驚きだ。
ついては、8世紀になりまとまる日本神話との関係にて、この一大構築物が天上世界とを繋げる空間だというのなら、もはやこの地球上の物理法則は役に立たないであろう。そればかりか、これを作らせたのは時の政府であり、国税が投入されたというのであって、そうなれば憲法で定められている政教分離との関係はどうなるのだろうか。
ちなみに、これを擁護する説からは、「大嘗祭は皇位継承に不可欠な伝統儀式を行うことが目的で、効果も特定宗教の援助に当たらないから、憲法違反ではない」(日大名誉教授の百地章氏の弁、2019年11月15日付け毎日新聞での4人の専門家へのインタビューから抜粋)という。だが、このような論理付けでもって人々を説得できるほど、世界は狭くない、近代世界では文句なしの政教分離なのであって、決して通用しないであろう(たとえば、アメリカ第2代大統領ジェファーソンの所見を参照されたい)。
また、これを「現実にはあり得ない」とする人(筆者を含む)の中には、「表だっていえば、睨まれる」と非公式な場を選んで述べたり、「真実を語ると我が身が危なくなる」、さらには「生きるため」肩をすぼめているしかないなどと、心配げに語る人もいるなどして、今更ながら、この国は「時代閉塞」に向かっているかのような感じがしてならない。
もう一つ、いわゆる国旗国歌法(こっきこっかほう)は、1999年8月13日に公布・即日施行された。
「第1条 国旗は、日章旗とする。
第2条 国歌は、君が代とする。
附則、施行期日の指定、商船規則(明治3年太政官布告第57号)の廃止、商船規則による旧形式の日章旗の経過措置。
別記 日章旗の具体的な形状、君が代の歌詞・楽曲。」
国旗は、平たくいうと「日の丸」で、要は太陽によって命を吹き込まれている国という意味合いであろうか。デザインや単なる配置のことではない。大まかな輪郭として、この国の太陽との関わりの一断面を切り取って図案化したものだと考えている。
もう一つの国歌を巡っては、賛否両論がある。戦後、純粋な音楽論を展開してきたのは、多くは反対論の側であって、その一つにこうある。
「よい楽曲は、言葉(歌詞)とメロディーがよく合っていて、自然に聞こえなければなりません。海が膿(うみ)になっては困ります。これを歌うと、君が代は、でなくてどうしても君がぁ用は、と聞こえます。それに音楽的フレーズが、千代に八千代にさざれ、で切れて、さざれ石という言葉が、さざれ、と石、と真中で割れてしまうように、歌われやすいのです。最後の所、こけのむすまで、が、むうすうまああで、と無理な引き伸ばしが、さらにこの曲を不自然なものにしています。
要するに、歌詞の長さとメロディーの長さが全くつりあわず、メロディーに較べて歌詞が身近すぎるので、無理に引き伸ばしているのです。ですから、この曲を大勢で歌うと、お経のように意味がわからなくて、間のびした、だらしのない感じになってしまいます。」(中田喜直『メロディーの作り方』音楽之友社刊)
ここに述べられるのは、楽曲としての『君が代』には、「歌詞の長さとメロディーの長さが全くつりあわず、メロディーに較べて歌詞が身近すぎる」という、作曲の上での問題が認められる、だから、『君が代』は歌としていい歌ではないことになっている。要するに、日本伝統の音楽というのは自然に歌え、かつ意味が通じるものなのであって、『君が代』が日本伝統の音楽であるというのは間違いだ、というのである。
その一方で、『君が代』の歌詞は、雅楽朝のメロディーであってこそ冴(さ)え冴えとする、という擁護論がある。また、既に長いことこの歌を耳にし、時には歌っている向きにあっては、「親しみが感じられる」「馴染みがある」との声も根強くあることだろう。
げんに、オリンピックの表彰式で日の丸が掲揚され、国歌のメロデイーが流される時、それを口ずさんでいる国民は、相当数おられるのではないかと推測する。それでも、この歌の歌詞が、人びとが権威にひれ伏す類から完全に逃れているとは言い難い。また、メロディーも、日本の山河や晴れたる平野の美しさなりを思い起こさせてくれるような響きがあればよいのだが、それがない。
やはり、国歌というのは、この先の大いなる国民の経験の中で(それには、いみじくも先の東日本大震災において、秀麗な「花は咲く」の歌が自然に広まったようにして)、国民の大いなる体験とその中から生まれるであろう、国民総意の見守る中で創られてゆくものではないかと考えられるのである。
(続く)
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