数え年で7年に一度、秘仏である御本尊の御身代わり<本立本尊〉・・・鎌倉時代重要文化財を本堂にお迎えして行う【善光寺前立樽御開帳】と言われている行事にあたる年でそれをうたい文句にしたバスツアーがあって興味本位で参加しました。
遠くても一度は訪れ善光寺
牛に引かれて善光寺
堪忍信濃の善光寺
賑わう仲見世通り
日帰りバスツアーではガイドさんはなく添乗員の同行でした。7時40分の出発です。ここのところ連続の雨模様の天候でしたがなんと今日は運よく晴れてくれました。
過去にも善光寺には来た事がありますが御開帳とされる意味深い時に行くのは初めてです。
7年に一度の御開帳なので混雑が予想されるので所定のバスターミナルには駐車できない場合もあって少し歩いてもらう状況になるかもしれないと、添乗員の説明がありました。
仁王門 三門
三門に掲げてある ″鳩字の額 ” この三文字の中に鳩が5羽隠れているように見えます。
という処から鳩文字の額と言われている様です。
(江戸時代後期の輪王寺公澄法親王の親筆による寺号の額)
更に「善」の字が牛の顔にも見えるご言われ
「牛にひかれて善光寺参り」の信仰を如実に物語っているようです。
本堂 ″回向柱 ”
この回向柱は45㎝四方高さ10mの卒塔婆の一種で御開帳期間中に本堂前に立てられている柱です。
御本尊の御手と「善の棡」によって結ばれているため、前立本尊に触れるのと同じご利益があると言われているようです。
この柱に触れたくて全国からここにやって来るので大層な混雑になるようです。
六地蔵
地獄・飢餓・畜生・修羅・人・天 の6つの世界で我々衆生を救ってくれる菩薩様
これは我々が迷いの世界を輪廻する道程を六の世界に分けたものだそうです。
ここでは1時間半の自由時間が与えられました。しかし見る為の待ち時間があったりして一部始終を見て回るには時間が少なくて叶いません。取りあえず今回はご朱印帳を書いていただく事を第一にして初めに並びました。
ご朱印を書く場所も何か所もあったのですが、ここでも6人程の書き手が常席されておりましたが約30分待ちの状態でした。何度も同じ事を書かれているので筆さばきはサラサラと見事に書き綴られていきました。
次には比較的すぐに見られる場所として山門に上がって景色を見られる事でした。拝観料 \500
急な階段20段 山門から見た景色
山門(三門)江戸時代中期、寛延三年(1750)に建立された間口20メートル奥行き8メートル高さ20メートルの堂々たる楼門です。屋根に早く18万枚のサワラの板が使用されており、日本に現在する最大の栩葺(とちぶき)建造物だそうです。
この階段は急勾配の為一人づつ上ったり下りたりを係員の誘導で行われていました。
きしむ階段を一歩々と慎重に上がると天女や蓮の障壁画で飾られた仏間がありました。
山門内の壁には「落書き」があり、これは昭和40年に国の重要文化財に指定されるまでの約200年間、全国から参拝いに来られた方々が参拝で来たことを喜び自らの名前を書いたそうです。九州、北海道、薩摩藩の家紋や桜島、長州奇兵隊の書き付は戊辰戦争(会津戦争)前後に参拝訪れた名残りではないかと言われていると案内書に書いてありました。
見なかったのよねぇ・・・!!こう書いてある案内書をちゃんと見ないで行動した為に見落としてしまい、 もう後の祭りでした。折角登ったのに・・・ しまった
よく私のやる事です。折角その場所に行ったのに説明を確認しないに見過ごしてしまって、後悔する事が今迄に何回あったでしょうかゆっくるする暇がないから・・・!と言う理由でこういった事になるのかもわかりません・・・なんて・・・自己中的言い訳なのです "(-""-)"
現在では文化保護法によって「落書き」はご法度 禁止されているとありました。
又もしも行く機会があれば、そしてその時にこの事を覚えてれば・・・の話ですけれど、もう一度登って落書きを見ようと思いました
以前1月のバスツアーで別所温泉の北向き観音へ行きました。そこはこの南向きの善光寺と向き合っていて、善光寺に詣でたなら北向き観音にも詣でるとご利益があると聞きました。先に北向きに行ってしまってからの善光寺なので・・・ご利益はそれでも頂けるのかが一寸心配です・・・
まだ見たいところもあって後ろ髪引かれる思いでバスに戻って来ました。バスの出発時間ぎり々に戻りましたが私の後ろの席はまだ空席で、添乗員さんは携帯に電話をしたりして連絡を取っていましたがつながらず20分ほど経過し、とうとうバスは次の見学地へと出発をしました。 どうしたのでしょうねぇ
須坂での食べ歩きのコースに到着し、観光交流センターにて桜プリン・さくら餅・須坂煎餅堂のぬれかり小丸の煎餅を貰ってあとは3時25分までの自由時間でした。何だか開店休業の様な町で大した店もなく少々ガッカリでした。
蔵の町 観光交流センター
須坂クラシック美術館という処があって時間までその建物に入る事にしました。入館料\300
須坂市指定有形文化財
経済産業省認定近代文化産業遺産 元・牧新七家
座敷
明治から昭和にかけて生糸の町として栄えた須坂。倉の町並みが残る旧市街の玄関口にあたる場所に立つこの屋敷は明治初期に牧新七(まきしんしち)によって建てられ、現在は須坂市有形文化財に指定されている。
右側の床の間は私が京都に住まいしていた時、似たような段違いの床の間があったのを懐かしく思い出しました。
大正~明治初期の銘仙着物 箱階段
須坂の製糸業の隆盛期をしのばせる屋敷は主屋・上店・土蔵・長屋門と4棟を残しており、現在する須坂の伝統的町屋の中でも最大規模の家の一つ。とパンフに書いてありました。
昔に栄華を極めた建物は古を忍ぶ物として後世に残していって欲しいと思いました。今では長さ10m幅60cm一枚板のケヤキ等を使っての建築は一般には使わないので貴重だと思いました。
クラブツーリズムのバス 今回ランチは車中にての食事
帰路に着く時間には善光寺で行方不明の男性は小さくなって・・・席に戻っていました。
須坂までは電車があったので 添乗員さんと乗って来たと話し″ご迷惑を掛けました” と謝っていました。 その胸中を察するので・・・なんで!?どうして?!とは聞けませんでした。
人の振り見て我が振り直せと諺がある様に私もこれから年齢が重なる程人に迷惑を掛ける事もあると思うと気を付けたいと心の中で思いました。
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