気ままに

大船での気ままな生活日誌

両国国技館で観戦 楽しくも、ちょっぴりほろ苦く

2014-01-25 11:21:02 | Weblog
大相撲初場所13日目、両国国技館に観戦に行ってきた。一番のお目当ては、もちろん白鵬、稀勢の里戦。番付けからだと、この対戦は千秋楽用に組まれるはずだが、稀勢が早々と優勝争いから脱落してしまったため外されてしまった。おかげさまでこうなったわけ。

結びの一番、白鵬と稀勢の里が土俵に上がる。ものすごい拍手と大歓声。稀勢、今までの不成績は許すから、白鵬だけはぶん投げて欲しい、一矢報いて欲しい、そういう声援なのだ。勝てば、また勢いに乗り、連勝、二桁勝利に繋がる。一方、負ければ、ますます落ち込み、へたすると連敗し、負け越しも十分ありうる。稀勢の今後にとっても、大事な一番なのだ。

満員御礼の大観衆の声援の中で稀勢、土俵に上がる。


懸賞が何十も


大関がんばれ!


にらみ合いなら負けない。白鵬に対し、これをできるのは稀勢だけ。


そして立つ、あああああ土俵際、一旦、反攻するも、寄り切られる。とほほ。
ぼくの前の禿の男も大きなため息をついたのであった。


でもね、この、三番前の取り組みでは禿と一緒に大歓声。新鋭、遠藤が琴欧洲を接戦で制した。役力士に初勝利で二桁勝利をもぎとった。あと二つ勝ち、12勝すれば、三賞独占もありではないか。

遠藤、琴欧洲、土俵に上がる。


しこを踏む、遠藤。


懸賞は、味ひとすじ永谷園のお茶漬けがいっぱい。テレビのCMにもここに起用されたのこと。さすが人気者。


さ、立った。ああああ、大接戦、土俵際のすくい投げ。わずかに先に落ちたのは琴欧洲だった。


これは、帰ってからのテレビニュースから撮った。


勝ち名乗りを受ける。


一方、琴欧洲、さびしく土俵を降りる。大関復帰の条件10勝達成が不可能になった。

稀勢の里と琴欧洲は、十両時代から切磋琢磨して上がってきた、同期の桜だ。まず、欧州が先に大関となり、優勝までした。しかし横綱にはなれず、その後低迷。大関陥落。そして、大関復帰もなくなった。一方、稀勢は遅れて、大関昇進、安定した成績で、二桁勝利を重ねてきた。しかし一度も優勝はない。今場所も13勝の優勝で横綱昇進という目安をもらった。しかし、この絶好の機会を逃す。それどころか、勝ち越しもどうかというピンチ。稀勢も今後、低迷し、欧州のあとを追う可能性だって否定できない。

そういうときに、生きのよい遠藤が登場。この日、遠藤は琴欧洲を引きずり落とし、稀勢は宿敵の白鵬に敗れ、連続二桁勝利をストップをかけられた。後に、この日が、曲がり角の一日だったと語られるかも知れない。

。。。。。

場所入りの遠藤。秋場所ではショッキングピンクの着流し姿だったが、初場所はおとなしく(笑)この日、一番の大歓声。


関脇に落ちた琴欧洲もここから入場。大関以上は別の入り口から。


マントを掛けて、松鳳山。


人気者の安美錦


甘党に人気の大乃国。


この方も人気者。”刈屋さん”と女声がとぶ。(富田の鉄棒の演技で)”伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ”を思い出す。


館内の人気者、貴乃花。


楽しくもあり、ちょっぴりほろ苦い大相撲見物だった。


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茅ヶ崎の海と猫と白梅と

2014-01-24 08:04:49 | Weblog
まるで春のような冬の日に
ぶらり茅ヶ崎散歩

美術館で”海・まち・山/描かれた湘南”展を観て
ちょっと茅ヶ崎の海を見たくなり、足を延ばす

途中で、いつも一番に咲く白梅をみたり
雪村の龍虎図屏風のなかの虎のような猫をみたり

氷室椿園をのぞいたり
等伯の松林図屏風のような松をみたりしながら

辿りついた茅ヶ崎の海
ひねもすのたりのたりかな、のような海だった





えぼし岩


江ノ島












美術展


田口雅巳ら地元の画家のほか萬鉄五郎、川瀬巴水、土屋光逸、柴田是真の作品も。茅ヶ崎、藤沢、寒川の風景。田口は寒川三十景など。萬鉄五郎は茅ヶ崎の海岸風景。巴水は相州七里が浜。入江観の”遠い汀”などの茅ヶ崎の海、三部作が良かった。それがきっかけで海まであるいた。

加えて、臼井恵之輔展/未来形絵画も。現役の画家で、しばらく観ていないとわからない作品。独特な雰囲気。


。。。

今日はこれから両国へ。大相撲13日目。本来は千秋楽に組まれるはずの白鵬、稀勢の里戦が今日になった。ぼくのためかな、えへんえへん。ぼくの応援で、稀勢、一矢を報いたいところ。遠藤は琴欧洲戦。そして、えどはくの大浮世絵展も。それで、早く、出掛けるわけ。では、行ってきます。




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クリーブランド美術館展/名画でたどる日本の美

2014-01-23 11:45:56 | Weblog
トーハクで始まったクリーブランド美術館展を観てきた。思っていた以上に楽しい内容で、大変、満足した。たぶん年末のぼくの展覧会ベストテンに入るのは間違いないと思います(笑)。

会場に入り、はじめに、ごあいさつを受けたのが、宗達工房作の”雷神図屏風”。ちょっと前に建仁寺で宗達の風神雷神図屏風(複製)をみてきたばかりだから、やあやあという感じ。この屏風もそうだけど、ぼくがこの展覧会で一番、長く時間を過ごしたのが、第二章、”花鳥風月”の屏風群かな。どれも、もし国内に残っていれば、最低でも重要文化財といったクラスばかりだもの。


伝・海北友松作の”松に椿・竹に朝顔図屏風”。これも建仁寺で重文ばかりの海北の襖絵をいくつも観て来たばかりだから、おおっ!という感じ。等伯と共に、水墨画の和風化を完成させたという腕の冴えは、松や竹の墨絵に現れているようにと思うし、色のついた椿と朝顔も墨と仲良くマッチしている。ちらしに写真がないのが残念。いつものように図録は買わないのでね。

雪村の”龍虎図屏風”もイイね。虎が可愛いし(笑)、ひらひら髭の龍もなんとなくユーモラス。雪村というと、ぼくは、毎年行く、滝桜で有名な三春を思い出す。三春駅にほど近いところに、晩年を過ごした雪村庵がある(滝桜と反対側にあるので一度も行っていないが)。常陸(今の常陸大宮)の佐竹氏の一族として生まれたが、幼くして夢窓疎石を開山とする正宗寺に入り、その後、画僧となった。鎌倉や小田原に出掛けて、絵の勉強をされたとのこと。ますます親しみがわいてくる。



薄図屏風(室町時代)も印象に残った。ススキの緑の葉がまるで唐草模様のように全面に描かれている。それだけの絵かと思って、目を凝らすと、あちらこちらに白い穂がたなびいている。珍しいススキ図だった。このコーナーには、伝雪舟の”花鳥図”もあれば、伝狩野松栄・伝狩野光信の”四季花鳥図屏風”も。そして、蟻のように描かれた人々が大きな南瓜をひいている場面の”南瓜図”があったりで楽しめた。

ぼくは、年末に、”今年の美術展でみつけた美女ベストテン”も発表していますが(汗)、これに入賞しそうな美女、二人を見つけました。いずれも、第一章 ”神・仏・人”に居て、一人は霊昭女図(春屋宗園)で、唐時代の仏教者の娘で、清貧を旨とし、父のつくった竹籠を売って孝行したという。ほつれ髪までしっかりと描かれている美人さんだ。


そして、地獄太夫図(河鍋暁斎)。室町時代の遊女で、山賊にかどわかされて遊女になった。自分のことを地獄太夫と呼び、地獄変相図の柄の着物を着たという。かっこイイね。


おふたりの美人のあとは、お相撲さん。熊本藩お抱えで、名を”大空武左衛門像 (渡辺崋山)”という。実物大の絵というのが面白い。七尺三寸(220cm)の長身。それほど太ってはいない。身体つきは、むかしの大内山に似た感じ。手形もあったが、でかいこと。

群舞図(山本梅逸)も良かったね。どこかの料亭で踊る人々が障子越しで影絵のように描かれているのが面白い。梅逸は尾張藩の御用絵師を務めたそうだ。

第三章 ”山水”では、蘭亭曲水図(曽我蕭白)など。


終章 ”物語世界”では伊勢物語が中心。燕子花図屏風(渡辺始興)や蔦の細道図屏風(深江蘆舟)など。


そして特別展示として、ベルト・モリゾ、クロード・モネ、パブロ・ピカソ、アンリ・ルソーの絵も。


まだまだありまするが、この辺で幕とします。最後は、はしょってしまいましたが、予定している展覧会記事が大分、溜まってきているもんですから(汗)。

追記:忘れてました、岩佐又兵衛の晩年作、”琴棋書画図”も良かった。そうそう、お父つぁんの荒木村重、今、大河ドラマに出てますよ。まだ風来坊のときですが。賊に襲われた官兵衛を助け、お礼金をたんまりせしめました。

素晴らしい展覧会でした。


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相撲界のホープ遠藤、政治風刺漫画に初登場

2014-01-23 08:38:12 | Weblog
今朝の朝日新聞。針すなおの政治風刺漫画に相撲界のホープ遠藤が初登場した。

一強多弱の国会を皮肉ったもので、土俵上に白鵬のように君臨する安倍らしき横綱に対し、海江田らしき野党海という関取が、相撲界で売り出し中の遠藤にあやかりたいと、せめてヘアースタイルを似せようとする図だ(爆)。


野党海は当分、横綱になれそうもないが、遠藤は、ここ二年で、横綱ということも夢ではない。がんばってほしい。

昨日も勝ち、9勝目。優勝争いの三番手につけている。今日は結び前の大関戦。一気に飛び出せ!遠藤!


実は、2年前の初場所に、稀勢の里もこの風刺漫画に登場している。ほらね。


全勝把瑠都と稀勢の里が優勝争いをしていたが、直接対決で把瑠都がなんと注文相撲。勝ったはいいけど、大ブーイング。相撲フアンに総スカンされた取り組みだった。与野党協議にからめた風刺画になった。

その稀勢の里、その後、何度か横綱昇進のチャンスがあったが、ことごとく逃す。今場所がラストチャンスと思ったが、残念な結果に終わった。もうあまり期待しないで、名大関として活躍して欲しい。優勝はできないけど、弱いものにはやさしく(負けて)、横綱にはつよくでいいんだ! 

と、書いてみたが、やっぱり、遠藤を先に横綱にさせるわけにはいかん!!がんばれ、稀勢!! いずれは、遠藤と東西の横綱をはるんだ。

ようやくエンジンがかかった稀勢の里。白鵬と鶴竜は必ず仕留め、遠藤の初優勝の援護をするゾ!


応援団もいっぱいだよ。ぼくは明日、応援に行きます。
 

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丹那トンネル殉職者慰霊碑から来宮神社大楠へ

2014-01-22 11:25:39 | Weblog
熱海梅園から来宮神社への道、これまで二度ほど通っているが、気付かなかった。ちょうどJR東海道線を跨ぐところに、脇道があって、そこを降りていくと、大きな石碑が目に入ってくる。丹那トンネル殉職者慰霊碑だ。

丹那トンネルの工事は、1918年(大正7年)に始まり、難工事のため、予定より大幅に遅れ、16年後の1934年(昭和9年)に完成した。事故による犠牲者は67名(うち熱海口31名、函南口36名)にのぼったとのこと。

殉職者慰霊碑


真ん中の銅版に67名全員の殉職者のお名前が刻まれている。


1921(大正10)年4月1日の大崩壊事故は、坑口から300mというから、まさに熱海梅園の真下で起こっていたのだった。梅園の供養梅をもう一度。


慰霊碑の下はトンネルの入り口。


トンネルの上に、何やら数字が。帰って調べたら、工期を皇紀であらわしたようだ。


この慰霊碑を見下ろすように、小さな神社がある。丹那神社で、犠牲者の英霊を祭神として祀っているとのこと。

お参りして、そこを離れ、また大通りに出て、来宮神社に向かう。途中、見晴しの良い場所となり、新幹線の通る新丹那トンネルが見渡せた。丹那トンネル工事の経験を生かし、崩壊事故はなくなったが、それでも、熱海口10名、函南口11名の犠牲者が出たという。ぼくらは、戦時はもちろんのこと、平和な時代でもこういう犠牲者の皆様のおかげで現在があることを忘れてはならない。


そして、ようやく来宮神社に到着。樹齢2000年の大楠に、ぼくは、ただただひれ伏すばかりだった。










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熱海梅園 梅咲きはじめ 蝋梅、水仙は見頃

2014-01-22 09:45:22 | Weblog
糸川の熱海桜の開花を確認してから、熱海梅園まで歩いた。梅まつりは1月11日から始まっていて、早咲きの梅が咲きはじめていることはネットで確認している。梅園に到着すると、係の人が、花がまだおみせするほど咲いていませんので、無料ですと言う。

でも、ぼくが期待していた以上に咲いていた。咲きはじめているのは、”八重寒紅”という品種の紅梅がほとんどだったが、”冬至”という名の白梅の何本かも可憐な花を開かせていた。また、中山晋平記念館の近くに、ピンク色のが咲いていたが、名札をみると、”紅冬至”とあった。なべて、いつもより出だしが少し遅いとのことだった。

早咲き紅梅白梅だけでなく、園内の蝋梅は今が盛りでだったし、水仙も見頃だったのはうれしかった。ちょっと得した気分。それに、これも中山晋平記念館の庭に咲いていたのだが、ヒマラヤ原産という黄花亜麻のあざやかな黄色い花にも驚いた。これだけ見せてもらえば十分。入場料とってもらってもいいくらいでしたよ。

梅園の入口 左の紅梅は咲いているが、右の白梅はまだまだ。鎌倉の荏柄天神もそうだった。


こんなに咲いているのもある。




白梅、”冬至”。


ピンク色の”紅冬至”。これは随分咲いていた。


蝋梅が狼狽するほどいっぱい。




水仙も。大部分の梅はご覧の通り。




黄花亜麻


供養梅。立札の横の梅。梅園の真下に丹那トンネルが通っている。その工事犠牲者のための供養の梅である。熱海の繁栄は丹那トンネル開通に依るところが多く、この供養梅が植えられた。


ここを離れて、来宮神社に向かったが、途中で、”丹那トンネルの殉職碑”をみつけた。次回は、このことについて書いてみたい。

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熱海桜 開花!

2014-01-21 21:41:09 | Weblog
熱海桜が開花したとの情報を得たので、早速、駆け付けた(汗)。見頃になるまで待てない!桜小僧としては!(桜爺じゃないですか)がーん。

糸川沿いの熱海桜並木を目指す。坂道を転げるように。でも、昼飯を食べていないことを思い出し、途中の和食屋さんでお刺身定食をいただく。ぼくのひいきの小田原の居酒屋さんほどではないけど、まあまあというところ。お店の人に熱海桜どうですか、と聞いたら、まだ咲いてませんよ!とすげない返事。がーん。

ちょっと不安になってきた。わざわざ来たのに・・・。でも、本当のことを言うと、わざわざではなく、MOAの広重も観たかったし、熱海梅園だってあるし、そして今日は一人で来たから、行動範囲を広げて、来宮神社の大楠もみてやろうと思っていた。

でも一番の目的は、この熱海桜。多少は咲いていないと困るのことよ。歩いて、歩いて、悲しい夜更けも、いつでも夢をハミングしながら辿りつく、糸川に。

ありゃま!


星より秘かに雨よりやさしくあの娘はいつも歌ってる、お持ちなさいな、いつでも夢を、いつでも夢を・・・あっ!咲いている木がある。


はかない涙をうれしい涙にあの娘は代える歌声で・・・もう一本あった!。


二分咲きといってもいい!二本だけだけど。ににんがしだ。




これで、最低限の仕事はした。これで配偶社への出張報告書の最後に”有意義な視察であった”と書ける。さらに、有意義にさせるために、原木を訪ねた。それは、市役所前に植えてあるノダ。熱海桜の由来については、何度か書いているので、ここでは述べない、・・・と思ったが、熱海市観光協会のホームページを開く手間を省かせてあげましょう。

明治4年頃イタリア人によってレモン・ナツメヤシとともに熱海にもたらされ、 その後先人たちの努力により増殖が行われました。 市内の多くの場所に植栽され、下田の御用邸(昭和47年)や伊勢神宮(昭和48年)、 東宮御所(昭和51年)に献上されたことにより、広く知られるところとなりました。 昭和40年に開かれた「花いっぱい運動」で「あたみ桜」と命名され、 昭和52年4月10日(市制40周年記念)に熱海市の木に指定されました。 同じ枝に、早期に咲く花芽と後期に咲く花芽が二段構えにできることから、一ヶ月ほど花が楽しめます。

で、市役所前の原木。ありゃま!


でも、よくみると、さ、咲いている!


さ、さんくさろっと、あたみざくら。
もう一度、満開のときに配偶者と共に参りますダ、おらあ、さんただ(ま、間違いなく櫻爺だ;大汗)

・・・

朝日新聞夕刊に沖縄のカンヒザクラが7分咲きというニュースが載っていた。ぼくらも2006年2月初めに、日本で一番、早く咲く桜をみてきました。そのときの写真を。


さあ、これから河津桜、そして、緋寒桜、寒桜と、伊豆から春は始まるのだ。わくわくどきどき、おらあ櫻爺じゃない!桜小僧だ!

・・・
相撲小僧の遠藤、今日も勝ち、見事な勝ち越し。遠藤の控えに回った稀勢の里、気楽な立場で快勝。さあ、これからは遠藤関の掩護射撃だ。
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ぶらり冬の京都(5)相国寺承天閣美術館で応挙展

2014-01-21 09:11:40 | Weblog
京都、最終日の朝、相国寺承天閣美術館に向かった。ここも、半年前の祇園祭のとき来ていて、若冲展を観ている。とても素晴らしく、昨年の、ぼくの美術展ベストテンでも上位に入賞している。お寺の美術館だから、雰囲気もよく、家内にもみせてあげたかった。それに、今回は応挙展(後期)。お正月に国宝雪松図屏風をみているし、今年はなんだか応挙づいている。

第一展示室では応挙が学んだ中国絵画の花鳥図などに引き続き、応挙と四条派関係の画家の作品が並ぶ。応挙の”牡丹孔雀図”がひときわ目を惹く。つがいのクジャクと牡丹。雄が乗っているのは中国の太湖石。39歳の時の作。重要文化財。

ここには、応挙の仏画などの他、三井南家伝来の応挙関係資料も並び、これが結構、面白い。細工のある、京都堀川夜景浮世絵とか山水図が。第二展示室でもこのコーナーはつづき、鳥類、魚類、昆虫類を図鑑のような精密さで描いた写生帖もたくさん見られる。閑さえあれば、絵を描いていたのでないかと思われるほど。人物正写相惣本に驚いた。老若男女の実物大の身体を描き分け、それぞれの特徴を描写している。ここでは背中側しか展示していなかったが、仰向けのもあるはず。観てみたかった(汗)。工芸図案集まである。アートのことなら何でもおまかせあれ、と言った感じ。

第二展示室には襖絵がずらり。美術館初公開という応挙・応瑞親子作、”相国寺開山堂襖絵”二十面。前半が雪中山水図で、後半は夏景山水図。円満院旧障壁画”山渓樵蘇図”も5面。大分、霞んではきているが、往時を想像して(笑)。そして、応挙の絵画が並ぶ。白狐図、兎図、とつづき、可愛いワンコが三匹、”豆狗子図”。

前期には、応挙の代表作のひとつ”七難七福図巻”3巻すべてが展示されたようだが、後期ではその画稿をみることができる。今度は逃さないぞ。浜松群鶴図屏風や大瀑布図も印象に残った。

若冲さんの常設展示の芭蕉や葡萄に再会し、外へ出た。家内もすっかり、この美術館が気に入ったようだ。冬晴れの散歩日和だったので、ここから御所に入り、鴨川に出て、二条大橋まで歩き、さらに三条通り、寺町通り、錦通り、京極通りと歩き、四条河原町からバスに乗って京都駅に着いた。そして、新幹線の中でお月見をしながら、帰ったのであった。楽しい京都旅行でごぜえました。

承天閣美術館






御所


鴨川




高瀬川 小船が新調されていた


寺町通り




錦市場




錦天満宮


新京極


新幹線からみたお月さま 月見でいっぱい


さて、今日は熱海でも。

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大寒 稀勢の里

2014-01-20 21:24:27 | Weblog
今日、1月20日は大寒。おお寒ッ!

今日も、稀勢、負けて4敗。横綱昇進絶望、一から出直し。稀勢の大寒。おお寒ッ!

くもりがらすを手で拭いて、貴方明日が見えますか


シモバシラ


春はいくつくるさざんかの宿♪ 春場所がある!

北鎌倉駅に隣接する向かいの民家の紅梅と白梅が揃って咲きはじめたんじゃ。

紅梅はこのトンネルの傍の家。短いトンネルを抜けると、そこは春の園だった。
稀勢の里 負けるな気まま ここにあり






白梅は駅の向こう側 


大船寄りのホームから。 白梅の開花はこれが初見。大寒の日に、白星がいっぱいじゃ。


わてが保障しますだ、大阪場所は。円覚寺のにゃんこ。


にゃんこじゃ、あてにならんだと。わしではどうだ! 円覚寺仏殿天井の白龍じゃ。白鵬と朝青龍を合わせたほどの強さを稀勢に与えるんじゃ、どうだ参ったか!


でも、地道に一歩一歩、階段を登るしかないんじゃないですか、白龍どの。


今場所はこいつに懸けよう。今日も勝ち、7勝2敗。いけいけ、イケメン遠藤! 13日目には応援に行きますよ。稀勢関にお願い。白鵬と鶴竜だけには勝って、遠藤の掩護射撃をよろしく。







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薮内佐斗司展/やまとぢから

2014-01-20 18:09:58 | Weblog
平城遷都1300年祭のキャラクター、”せんとくん”のことはよく知っていたが、その作家、薮内佐斗司についてはほとんど知ることがなかった。横浜のそごう美術館で展覧会をみて、”せんとくん”がこの彫刻家から生まれてくるわけがわかった。一部、撮影可能だったので、それらを中心に紹介します。

あらゆる事象の背景には、たましいがある、と知ってから、いろんな童子が次々と生まれてきたとのこと。ほらね。




せんとくんもこの童子たちの仲間だったのだ。なのに、仏に鹿の角を生やすとは、なんじゃもんじゃという輩も多かったが、それが反って、人気を上げることになった(笑)。



鹿坊という仲間もできた。


鹿爺もいる。


酒呑童子もいる(汗)。右側の赤い顔した子。


天平時代の仮面楽劇に用いられていた伎楽面に強く惹かれていた作者は、これをもとに平成伎楽団を結成する!






この仮面などをつけて舞踊するグループもでき、全国で上演しているとのこと。ぜひ、みてみたい。




現在、芸大の文化財保存学の教授として、仏像修復などにもに携わっているが、その関連の作品も観ることができる。明後日で閉幕、あぶないところで、こんな面白い展覧会を逃すところだった。

出口に、また来てねと。







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