こんばんわ。
一週間ぶり、ぶらりフラセン。フラセンとは大船フラワーセンターのこと。
もう、ヒマワリの季節!
青と白のブルースはまだOK。アガパンサスは元気だが、インドハマユウはへたりはじめている。
蓮の花は?見当たらない。
よく探すと、つぼみがひとつ。
花もひとつ♪
実は、今回は山百合調査が主目的。前回つぼみだったのはもう終わっていた。新たに、いくつか大きなつぼみをもつ株が。
この近くに、こわい植物が。
まむしぐさの実
ももじ山にもまむしがいた。今年は、花を見逃している。
いつか、小田原の入生田の枝垂れ桜を見に行ったとき、裏の墓地に、まむしぐさの群生を見たことがある。今、行くと面白いかも。
ほうせんか、ほうせんか♪
巨大あざみ
カールドンという名札があった。リッツ・カールトン!
フラセンの近くに凌霄花
お稲荷さん前の凌霄花。
ルリマツリも咲いてきた。八幡さま近くのルリマツリ屋敷の様子を見に行かねば。ああ、忙しい。
今日の竹内整一先生の公開講座”日本思想の言葉”は、漱石の”私はさびしい人間です”。”こころ”の中の”先生”の言葉。さびしさとは何か。漱石の”自己本位”、”則天去私”の言葉を軸に探る。
日本人にとって、”さびし”は全的に否定され、厭われているわけではない、そこには感傷も含めてある種肯定的に受け止められる。著名な俳人、歌人の作が紹介された。
とふ人も思ひたえたる山里のさびしさなくば住みうからまし(西行)
うき我をさびしがらせよ閑古鳥(芭蕉)
さびしさのうれしくもあり秋の暮れ(蕪村)
ぼくもどちらかというとさびしいのが好きですね。
では、おやすみなさい。
いい夢を。
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