気ままに

大船での気ままな生活日誌

歌枕展(2)

2022-08-17 22:00:25 | Weblog

こんばんわ。

六本木のサントリー美術館で開催されている”歌枕/あなたの知らない心の風景”展の感想文、第二弾となりまする。会場内は写真撮影が禁止されていたので、前回同様、公式サイトの解説やちらしの写真を参考にしながら記録した。

前回、お示ししたように、本展はつぎのような章立てになっている。今日は4章と5章の紹介となります。

第一章:歌枕の世界
第二章:歌枕の成立
第三章:描かれた歌枕
第四章:旅と歌枕
第五章:暮らしに息づく歌枕

第四章:旅と歌枕

歌枕は、そのイメージや知識によって「居ながらにして名所を知る」ものだったが、歌枕への旅を行う人々が現れた。なかでも西行法師の旅は後世の歌人に大きな影響を与え、西行の旅を追体験することがたびたび試みられた。芭蕉の「奥の細道」も、まさに西行を偲ぶ歌枕への旅のひとつだったといえる。一方で、歌枕のイメージ世界を江戸時代の風俗に置き換えた浮世絵や、歌枕の景観を模した庭園などを通して、「居ながらにして名所を知る」旅も楽しんだ。本章では、このように日本人の旅の原動力として、切っても切れないものとなった旅と歌枕の関係の展示が並ぶ。

歌枕の旅といえば、まず、頭に浮かぶのは西行法師。展示品は、西行物語絵巻や西行法師行状絵巻など。また藤沢・遊行寺からは、国宝・一遍聖絵は来られなかったが、一遍上人縁起絵が代理で(笑)。一遍上人も布教が目的だったが全国を巡った。芭蕉関係の展示としては、蕪村の重文・奥之細道図が。これは、芭蕉の”奥の細道”の本文を書写し、それに蕪村が俳画を新たに描き加えたもの。全二巻からなる。また、芭蕉の最初の本格的芭蕉伝である”芭蕉翁繪詞傳”も展示されている。ぼくも鎌倉女子大生涯学習センターで”奥の細道”を受講したので多少は知っている。桜や紅葉で身近な駒込の六義園関係の展示も。六義園は柳沢吉保の下屋敷の庭園だが、自らも和歌に造詣が深く『古今和歌集』にある和歌に因んだ庭園として造営し、紀州の和歌浦を中心とした美しい歌枕の風景を写した。そして、広重の諸国六玉河も。六玉川とは歌枕に使用された全国の6か所ある玉川で、陸奥野田の玉川、武蔵調布の玉川、近江野路の玉川、山城井出の玉川、摂津三島の玉川、紀伊高野の玉川をいう。

主な展示品:西行物語絵巻(着色本、室町時代)、西行法師行状絵巻(江戸時代、17世紀)、一遍上人縁起絵(江戸時代、17世紀)、富士三保松原図屛風(室町時代)、重文・奥之細道図(蕪村、江戸時代18世紀)、芭蕉翁繪詞傳(五升庵蝶夢編、江戸時代18世紀)、六義園図(狩野常信ら、江戸、18世紀)、六義園記(柳沢吉保、江戸、18世紀)諸国六玉河(広重、江戸19世紀)

重文・奥之細道図(部分) 与謝蕪村 二巻のうち上巻 安永7年(1778) 京都国立博物館

西行物語絵巻 著色本(部分) 三巻のうち中巻 室町時代 15世紀 
 

諸国六玉河 陸奥 野田の玉川(広重、江戸時代19世紀)

六義園 ”渡月橋”を望む紅葉 (平成時代、21世紀、ぼくの歌枕旅より)

第五章:暮らしに息づく歌枕

歌枕は実際の風景よりも、その土地を象徴する景物によって表わされているので、デザイン化されやすく、多くの器物の意匠に取り込まれてきた。なかでも「書く」という行為で和歌にゆかりの深い硯箱において、歌枕のデザインは高度に発達し、数々の名品がある。そのほか家具や陶磁器、茶道具、櫛といった調度品から身にまとう染織品に至るまで、さまざまな分野の装飾に歌枕のデザインが用いられてきた。本章では、これら歌枕がデザインされた多種多様な工芸品を通して、かつて日本人の暮らしの中に歌枕が息づいていた様子を概観する。

主な展示品:重文・小倉山蒔絵硯箱(室町時代、15世紀)、初瀬山蒔絵硯箱(室町〜桃山時代、16世紀)、長柄橋蒔絵硯箱(江戸時代、17,8世紀)、長柄文台(江戸時代17,8世紀)、宇治の景文様小袖(江戸時代、18世紀)、塩山蒔絵細太刀拵(江戸時代、18世紀)、忍草蒔絵櫛(江戸明治時代、19世紀)武蔵野蒔絵紅板(江戸、明治時代、19世紀)、重文・白泥染付金彩薄文蓋物(乾山、江戸、18世紀)色絵龍田川文向付(乾山、江戸、18世紀)

ぼくがこれらの中で一番、驚いたのは、大阪歴史博物館所蔵の長柄文台(江戸時代17,8世紀)。何ということもない文台だが、説明文に、摂津長柄川に架かる長柄橋(ながらばし)の発掘された古い橋杭でつくられたもの、とある。その横に長柄橋蒔絵硯箱があるので、長柄橋が歌枕として有名だったことはわかる。その後、図書館で読んだ、馬場あき子著”歌枕をたずねて”で面白い史実を知り、歌枕がこんなふうに彷徨うなのかと興味深かった。この橋は嵯峨天皇の弘仁3年(812)造営という名橋だが、仁寿3年(853年)にはすでに崩壊し、人馬の交通は途絶えたとある。古今集に”世の中にふりぬるものは津の国の長柄の橋と我となりけり”とある。それ以降も修復され交通の要所になって使われていたようだが、次第に老朽化し、崩壊してしまうのだが、すでに多くの歌人の思いを宿しすぎた橋は詩歌の世界では滅びることができなくなり、えんえんと中世まで詩語としての命を保ち続ける。歌人たちは朽ち果てた橋の木片や木屑を大切にとっておいて宝物にしたり、法事のお布施にしたりした(笑)。後鳥羽院は頂いた長柄橋の朽木を元に文台に作り替えたという。今回、展示された長柄文台がそれかどうかは知らない(笑)。

重文・小倉山蒔絵硯箱 一合 室町時代 15世紀 

色絵龍田川文向付 尾形乾山 六口 江戸時代 18世紀

では、おやすみなさい。

いい夢を。


(六本木の靴屋さん)

コメント (4)
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