気ままに

大船での気ままな生活日誌

令和初の紅筋山百合 大船フラワーセンター

2019-07-14 23:04:12 | Weblog

こんばんわ。

大船フラワーセンター、ご自慢の幻の百合が見頃になっています。令和初の紅筋山百合をご案内します。

築山を登る。

その先に、数株の紅筋山百合のお姿が!

幻の花と呼ばれている。自生している山百合の変異種。自然界ではめったに現れないので、ここで組織培養で増やした。

見れば見るほどいい女(?)。鮮やかな紅!

普通の山百合も築山に。これも見頃になっている。

もみじ山でも山百合が見頃に。

あれ、ここにも紅筋が!でも、よくみると、桃筋山百合(笑)。園芸種のオリエンタル・リリーのひとつか。

令和ではじめての紅筋山百合。最高の見頃に出会いました。

。。。。。

名古屋場所中日

高安、7勝目あげるも、玉鷲の小手で肘を痛めたもよう。栃ノ心、豪栄道につづき全大関、休場とならなければいいが。玉鷲の小手はキケン、何人もやられている。

白鵬、正代に辛勝。

では、おやすみなさい。

いい夢を。

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松方コレクション展 国立西洋美術館開館60周年記念

2019-07-14 10:21:13 | Weblog

おはようございます。

国立西洋美術館で開館60周年で記念展が開催されている。西美といえば松方コレクション。だから、常設展を見に行くようなものと思っていると大間違い(笑)。以前、松方コレクションだったもので途中で売却されたり、散逸していたものが、大挙して上野に”お里帰り”しているのだ。

本展は、実業家、松方幸次郎(1866-1950)の美術コレクションの歴史を辿りながら、すなわち、彼の人生史と共に蒐集作品を眺めてみようという趣向である。興味深いところなので、公式サイトのまとめを参考にしながら、本ブログでも、その概要を記録しておこう。

プロローグ

松方幸次郎の肖像(1916)と彼が夢見た”共楽美術館”(実際、麻布に敷地を用意していた)。ともに、フランク・ブラングィン制作。

第1章 ロンドン (1916-1918)

第一次世界大戦中、松方幸次郎はロンドンを拠点に川崎造船所の事業を展開した。この頃から画家フランク・ブラングィンらの助言を得ながら、イギリスの美術、工芸品を蒐集し始める。

ジョン・エヴァリット・ミレイ”あひるの子”国立西洋美術館 (写真ではあひるが隠れていますが

ジョヴァンニ・セガンティーニ”羊の毛刈り” 国立西洋美術館

レルミット ”牧草を刈る人々” 国立西洋美術館

第2章 第一次世界大戦

この戦争で松方は、船舶特需により巨大な富を手にし、美術品も多数、蒐集したが、その中には、戦場の悲惨さを伝える作品も多い。ここでは戦争をめぐる版画や絵画が紹介される。

第3章 海と船

造船所の社長であった松方の初期のコレクションは、船や海景を主題とする作品が多い。ここでは、ブラングィンの船の絵、ヘミーの日露戦争海戦画、コッテの難破船、1921年の皇太子裕仁親王の訪欧を記念した海景画など、海と船にまつわる作品が展示されている。

第4章 ベネディットとロダン

1918年、松方はロダン美術館のレオンス・ベネディットと巨額契約を結び、最終的になんと、”地獄の門”、”考える人”など50点を超えるロダンの彫刻作品を蒐集、世界有数のロダン・コレクターとなった。また、ベネディットは松方に協力し、戦時中、400点もの松方コレクションをロダン美術館の旧礼拝堂に保管した。本章では、ロダンを中心にブールデルやダルデらの彫刻作品が並ぶ。

アメリ・ボーリー゠ソーレル”レオンス・ベネディットの肖像”とロダンの”考える人”

第5章 パリ (1921-22)

1921-22年、パリにおける松方の美術コレクションは最盛期に達していた。デュラン=リュエル画廊などの有名画廊から次々と重要作品を購入した。また、モネのジヴェルニーのアトリエを訪れて、《睡蓮》など多数の作品を手に入れた。この時期の蒐集品は現在西美の核となっている。展示品のほとんどが西美所蔵のものだが、オルセー美術館に流出したゴッホの《アルルの寝室》やゴーガンの《扇のある静物》がこの賞に展示されている。モネの10作品を中心にセザンヌ、ピカソら有名作家の作品も並ぶ豪華なセクションである。

ゴッホ ”アルルの寝室” オルセー美術館
 

ゴーガン ”扇のある静物”


モネ ”舟遊び” 国立西洋美術館

ルノワール ”帽子の女” 国立西洋美術館

第6章 ハンセン・コレクション

1922、23年に、松方はウィルヘルム・ハンセンのコレクションから34点の粒ぞろいの印象派絵画など購入した。しかし、1928年からのコレクション散逸期にほとんどが売却されてしまった。

本展ではそれらのうち、10点が展示されている。前章までは西美の常設で見ているものがほとんどだが、ここの章はなかなか見られないものばかり。

マネ”自画像” 石橋財団ブリヂストン美術館


モネ ”積みわら” 大原美術館


ドガ ”マネとマネ夫人像” 北九州市立美術館

ほかにシスレー、ピサロ、ころー、ドーミエの作品が展示されている。

第7章 北方への旅行

1921年に渡欧時には、松方は秘密裡に海軍からドイツのUボートの設計図の入手を依頼されていたという。派手な絵画購入はその隠れ蓑であったともいわれている。ドイツやスイスでゴッホやセザンヌなどフランス近代絵画のほかに、ムンクなどの北欧の同時代の画家の作品やフランドルの古画も入手した。

エドヴァルド・ムンク ”雪の中の労働者たち” 個人蔵(国立西洋美術館に寄託)


第8章 第二次世界大戦と松方コレクション

1928年、昭和金融恐慌により川崎造船所が経営破綻し、松方が社長を引責辞任する。それ以降、第二次世界大戦期にかけて、松方コレクションは散逸の時代を迎える。国内での売却、ロンドンでは1939年、倉庫保管分が火災で焼失。パリでは、1940年、400点あまりのロダン美術館保管分がナチスドイツの侵攻が迫る。

そして、戦後の1944年、フランス政府によるコレクションの接収。その後、日仏政府間の返還交渉を経て、日本に美術館を設立すること、また重要作品20点はフランスの留めおくことを条件に、375点が返された。そして、フランスのル・コルビュジエの設計により、1959年、国立西洋美術館ができる。そして、今年が60周年記念となる。

ピエール=オーギュスト・ルノワール ”アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)” 国立西洋美術館


マチス 長椅子に座る女 バーゼル美術館

エピローグ

モネの大作、”睡蓮、柳の反映”はかつて松方コレクションであったが、行方不明であった。それが、最近、発見され、松方家から西美に寄贈された。しかし、保存状態が悪く、上半分ははげていた。その修復と、上半分の想像絵画も専門家により検討された。大きさからいって、おそらく、オランジェリー美術館の大睡蓮のひとつにする予定ではなかったかと言われている。半身を失ったこの絵は、20世紀の激流を乗り越えてきた松方コレクションの象徴的存在として、最後に飾られている。

”睡蓮、柳の反映”(修繕前のもの)


オランジェリー美術館のは撮影禁止だったので、大塚美術館の大睡蓮。↓

今朝、NHK日曜美術館で松方コレクションの紹介があった。その映像から。

3000点もあった松方コレクション。

本展の様子。

モネが最後まで手放さなかった、”睡蓮”。松方コレクションの筆頭。

とてもすばらしい展覧会でした。もう一度、行きたい。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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