気ままに

大船での気ままな生活日誌

藤田嗣治展(2)

2018-10-09 11:35:02 | Weblog

おはようございます。

2013年5月、楽しみにしていた秋田千秋公園の桜がおわっていて、仕方なく公園入口の平野政吉美術館(現在は閉館)に入った。そのとき、藤田嗣治の大壁画”秋田の行事”にはじめて出会った。あまりの巨大さにびっくりした。その半年後、吉永小百合の大人の休日倶楽部のポスターに採用され、この名画は、皆に知られるようになった。作品の大きさも分かるので、そのポスターの写真を載せよう。

秋田の大富豪であった平野政吉は美術館をつくるのが夢だった。その目玉作品として来日していた藤田に本作を依頼した。1937年(昭和12年)に平野政吉の米蔵でわずか15日間で描きあげた。当時、世界一の大壁画と言われた。しかし、美術館が開館した昭和42年まで、30年間も米蔵で眠っていた。

さて、昨日、閉幕した都美の、没後50年/藤田嗣治展にはこの大作は来ていないし、そのとき見た、”五人女”と”北平の力士”も見たかったが、これらもなかった。藤田の妻マドレーヌは、1936年に戸塚のアトリエで亡くなるが、そのときベッドのそばに置いていた作品が”五人女”。そのあと、平野は、藤田に彼女の追善の意味を込めて美術館をつくりたいので、と壁画を依頼したのだ。第5章1930年代・旅する画家/北米・中南米・アジアの中に、マドレーヌの姿が現れる。メキシコにおけるマドレーヌ(1934)、裸婦マドレーヌ(1934)など。また、平野コレクションからは、町芸人(1932)とカーナバルの後(1932)が来ている。秋田の娘(1937)は下関市美術館から。

五人女と北平の力士(平野コレクション、今回は来ていない)


町芸人(1932)

そして、時代は戦争へ。第6章(1)歴史に直面する/二度目の大戦との遭遇。ここではこの時代の作品が三点のみ。そのひとつ。争闘(猫)。

争闘(猫)(1940) 14匹の猫が、渦を巻くように宙に舞い、争っている。繊細な描写と大胆な構図が共存し、第2次世界大戦勃発後の世情と自身の心境を猫の闘争本能で暗示したともいえる、との評。二科展にも出品。藤田の猫好きは有名。捨て猫でも泥棒猫でも我が家に呼び寄せたという。

第6章(2)歴史に直面する/作戦記録画 ここでは5点。東近美に戦争画がたくさんあるが、その代表作、アッツ島玉砕(1943)とサイパン島同胞臣節を全うす(1944)が展示されている。

アッツ島玉砕(1943) これは戦争賛美の絵などではなく”戦争酸鼻”の絵だ。宗教画だと評する人もいる。

陸軍美術協会理事長の職にあったこともあり、終戦後、戦争協力者として批判されることも。こうしたこともあり、1949年に日本を去り、永遠に戻ってくることはなかった。

(つづく)

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

コメント (2)
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