気ままに

大船での気ままな生活日誌

清方と紫陽花と猫

2011-06-07 18:36:36 | Weblog

鏑木清方の紫陽花好きは有名である。みずから”紫陽花舎(あじさいのや)”という雅号をつけている。今日、鏑木清方記念館で特別講演会があり、出席したが、門から美術館までの小道に鉢植えの山紫陽花が十鉢ほど並んでいた。係りの方の話では、長谷寺から今日のために、お借りしてきたそうだ。粋なはからいだ。展覧会にも、二点ほど、紫陽花の絵があった。”あじさい”と”ふたつあじさい”。講演会と展覧会についてはのちほど、ご報告ということで、まず、清方の”あじさい”と、長谷寺のあじさいを紹介したい。ついでに猫も。

あじさい(清方)

”長谷寺紫陽花”

清方さんは、たしか猫も好きだったようだ。猫を抱いてる写真をみたことがある。ちょうど、門の前に猫が歩いていた。声をかけたら、にゃーと言って、少し歩き、車の横の草を食べていた。胸がやけるのだろうか。

 

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木川田一隆と原発

2011-06-07 09:19:00 | Weblog

経済人の書いた本としては、若いときに読んだ一冊だけ、今も本棚にある。木川田一隆の”人間主義の経済社会”である。何故、買ったかというと、前日のブログにも登場した、草柳大蔵の”新新実力者の条件”に彼がとりあげられ、その人物像に好感をもったからだ。現在の効率主義、成績主義とは対極の、彼の、”全体と個の調和”とか”人間主義”とかの組織論にうなずいたものだった。哲人的経済人だ。

あれ、あの人は、今、原発事故で大揺れしている、東京電力の社長ではなかったっけ?、と何十年ぶりに、”新新実力者の条件”の、そのページを開いた。やっぱり、東電マンだった。昭和36年(1961)に東電社長に就任し、10年間(~1971)つとめている。

草柳大蔵は経営者を”石坂型”と”木川田型”に分けてこう論じている。前者は、労働運動に真っ向から対立し、大きなプロジェクトをはじめるときには、政治家を動かしたり、再軍備を表明したり、科学技術に対する信頼も厚い。一方、木川田型は、政治家に対しては等距離を保ち、科学の進歩にも懐疑的であり、福祉政策に関心をもっている。

具体的にはこういうことがあった。宮沢通産大臣の時代、(たぶん今後はじまる原発用地の確保のことが頭にあって)”電源立地円滑法”案が業界に示されたとき、木川田は”地元がいやだというものを法律で縛るのはよくない、企業も政府も人間の自由意思を強制することはできない”、と真っ向から反対している。

さて、木川田と原発との関係はどうか。”新新実力者の条件”ではほとんど触れていなかったので、日本経済新聞社の”私の履歴書”(昭和45年1月記述)をみてみた。こんな文章をみつけた。”すでに大熊町、双葉町に最初の原発が建設中で、この秋には完成する見込みである、近くの第二地点も計画中、さらに柏崎地区にも800万キロワットの原発の予定”とある。この記述で分かるように、これは、現在、大事故を起こしている原発のことである。

ええっ、あの哲人、木川田社長が、福島第一原発を建設したとは。彼ほどの人でも、今の事態を見抜けなかったのだろうか。木川田が原発をどう思っていたのか、彼の著書からでも、わからない。石坂型なら、よしやとばかり、新エネルギー政策にのっただろうが、”哲人”で、科学技術を懐疑的に考えていた彼には相当な迷いがあったのではないだろうか、と思う。原発建設のGOサインを出したのは、前社長であるが、それに対し、STOP指令を出すのには相当な勇気がいるだろう。さらにこの時期、国がエネルギー政策の要として原発推進を決めている。こうした、がんじがらめの中で、動きがとれなかった木川田を責めるのは酷というものだろう。

福島県に生まれ育った、木川田一隆さんは、草葉の影で、今、何を想っているだろうか。

。。。。。。

責任者出てこい、といえば、やはり、一番は政治家である。

中曾根康弘らが、前年のアイゼンハワーの原子力エネルギー政策に呼応するように、ほとんど討議もせず、原子力平和利用予算を国会に提出したのが、1954年(昭和29年)。結局、これが”原発大国日本”の源流になった。

木川田が社長をしていた時期(前後も含む)の総理大臣は、池田勇人(~1964)、佐藤栄作(~1972)、そのあと田中角栄(~1974)が就き、1974年、中曾根康弘通産大臣のとき、”電源三法による交付金制度”が創設される。以後、原発大国へ邁進する。

世界の20%近くの地震を請け負う日本に、それも唯一の被曝国という核アレルギーの国に、また、核ごみの処理まで含めると、膨大なコストがかかり、さらに今回のような事故が起これば、巨大なコストと、国際的な環境大破壊が生じることは、アホでもわかることではなかったか。大事故は100万年に1回しか起こらないとだまし、カネをマスコミを含め、あちこちにばらまき、今がよければあとはどうでもよい、という刹那主義で、原発を受け入れ、推進してきた。

早い時期に、先を見通せる哲人政治家が出て、日本独自の”核抜き”のエネルギー政策をとっていれば、高い技術力をもつ日本が、再生可能な高度な発電プラント創出し、世界から尊敬される国になっていたことだろう。今からでも遅くない(遅いかもしれないが)、エネルギー政策に大きく舵を切ってほしいものだ。

 朝散歩の花々

どくだみ

夏菩提樹の花

しもつけも開きはじめました。

ちょっとボケてますが、昨日から咲き始めたヒメシャラの花

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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