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令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

旅人編(26)植えし梅の木

2009年10月16日 | 旅人編
【掲載日:平成21年12月14日】

吾妹子わぎもこが ゑし梅の樹 見るごとに 
             こころせつつ 涙し流る


佐保の旧邸きゅうてい
ここは  
大宰府赴任前 大伴郎女おおとものいらつめと共に暮らした家
〔築山を造り  梅を植え・・・
今から  思えば
なんと満ち足りた むつみのときであったのか〕
〔帰京が決まった折にも 
 ここ佐保の家が  思い出された
 あの時  なんとは無しに 思いし
 帰京後の心情おもい
 かへるべく 時は成りけり 京師みやこにて 手本たもとをか わがまくらかむ
《帰る時  とうと来たけど 帰っても 誰の手 枕に したらええんや》
                         ―大伴旅人―〔巻三・四三九〕 
みやこなる れたる家に ひとり寝ば 旅にまさりて 苦しかるべし
《戻っても さみし家での 独り寝は 苦しいこっちゃ 野宿するより》
                         ―大伴旅人―〔巻三・四四〇〕 

〔いいや  戻ってみると
 筑紫の空で  思うたより
 遥かにつらく 寂しい限りじゃ〕
人もなき 空しき家は 草枕くさまくら 旅にまさりて 苦しかりけり
愛妻ひとらん うつろな家に 暮らすんは 旅よりもっと むなしいこっちゃ》
                         ―大伴旅人―〔巻三・四五一〕 
いもとして 二人ふたり作りし わが山斎しまは たかしげく なりにけるかも
《その昔 お前と作った うちの庭 木ィ鬱蒼うっそうと 繁ってしもた》
                         ―大伴旅人―〔巻三・四五二〕 
吾妹子わぎもこが ゑし梅の樹 見るごとに こころせつつ 涙し流る
《手ずからに  お前の植えた 梅の木を 見るたび泣ける 胸込み上げて》
                         ―大伴旅人―〔巻三・四五三〕 
目に映る  あれもこれも 
郎女への思いなしに  
見ることのかなわぬものばかり




旅人編(27)淵は浅さびて

2009年10月15日 | 旅人編
【掲載日:平成21年12月15日】

須臾しましくも 行きて見てしか 神名火かむなび
                淵はさびて 瀬にかなるらむ


思う以上に  中央政界の変貌は 激しかった
長屋王の変事を経て  
皇親勢力の打撃は  覆うべくもなく 
藤原氏四郷は  ますます権勢を誇り 
他の貴族の力は  衰えそのものであった
旅人たびとにとり 大納言職は 有名無実

張り切っての帰郷故の  虚脱感
境の身に  加わった 心の空虚
身体の不調は  旅人に取りつき 
床を延べることが  日増しに多くなっていった
身は 平城ならの佐保に あるものの 
思われるのは 故郷ふるさと 飛鳥のことばかり
須臾しましくも 行きて見てしか 神名火かむなびの 淵はさびて 瀬にかなるらむ
一寸ちょっとでも 行ってみたいな 飛鳥あすかふち あそなって瀬に なったんちゃうか》
指進さしずみの 栗栖くるすの小野の はぎが花 らむ時にし 行きてけむ
《飛鳥野の 栗栖くるすの里へ 行きたいな 萩散る頃に 先祖参りに》
                         ―大伴旅人―〔巻六・九六九、九七〇〕 
その萩  まさに 花開こうとする 七月
看護虚しく  武人の家の 誇り継ぎし旅人は 
帰らぬ人となった 
朝廷よりの 看護のつかさ 犬養人上いぬかいのひとがみは うた
見れどかず いましし君が 黄葉もみちばの うつりいれば 悲しくもあるか
《いつまでも あがめよおもてた あんたはん 死んでしもうて 悲しいこっちゃ》
                         ―犬養人上いぬかひのひとがみ―〔巻三・四五九〕
そこに控えた 舎人の余明軍よのみょうぐんも 
血涙と共に  詠う
しきやし さかえし君の いましせば 昨日きのふ今日けふも さましを
《慕うてた あなた存命ったら お召声めしごえ 昨日も今日も 掛ったやろに》
かくのみに ありけるものを はぎの花 咲きてありやと 問ひし君はも
《萩の花  咲いてるやろかと 聞いてたに これが定めと 言うもんやろか》
君に恋ひ いたもすべ無み あしたづの のみし泣くゆ 朝夕あさよひにして
《あなたはん  恋し思ても 甲斐ないな 泣き泣きおるで 朝晩なしに》
とほながく つかへむものと 思へりし 君いまさねば こころもなし
《いつまでも  お仕えしょうと 思てたに あなた居らんで しょぼくれとおる》
若子みどりごの ひたもとほり 朝夕あさよひに のみそわが泣く 君無しにして
《赤ん  這いずり回り 泣くみたい 朝晩泣いてる あなた居らんで》
                         ―余明軍よのみやうぐん―〔巻三・四五四~四五八〕

永年 仕えた 舎人の 旅人に寄せる 思いのたけ
そこには  見事な 主従の姿があった
旅人  享年六十七歳




蟲麻呂編(1)手綱の浜の

2009年10月14日 | 蟲麻呂編
【掲載日:平成21年10月8日】

遠妻とほづまし たかにありせば 知らずとも
           手綱たづなの浜の 尋ね来なまし


【高萩海岸 関根川河口付近】


藤原宇合ふじわらのうまかいは 常陸ひたち国守こくしゅに任じられ 合わせて「常陸風土記」編纂へんさんの役目も担っていた
養老三年〔719〕のことである 
高橋虫麻呂たかはしのむしまろ 
宇合うまかいの配下にあって 記載に見合う 説話伝承の収集を命ぜられ 各地歴訪に奔走していた 
〔宇合殿のため 精一杯の働きをせねば〕 

思えば 親兄弟を 流行はやり病で亡くした 虫麻呂
年端としはも行かぬに 文才がありそうだ」と
引き取り 育ててくれたは 父君不比等様 
時に 虫麻呂五歳  
召使い同様の身ではあった 

説話伝承集めは 思うに任せない 
武蔵むさしの国は 埼玉さきたま小埼おさき沼のほとり 
虫麻呂は ひとり 霜立つ岸にたたずんでいる
埼玉さきたまの 小埼をさきの沼に 鴨そはねきる
おのが尾に 降り置ける霜を はらふとにあらし

小埼おさき沼 鴨がつばさを 震わしとおる
 尻尾しっぽから 積もった霜を 落としとるんや
〔鴨も寒いんや〕》 
               ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七四四〕
〔こうしては れぬ この月のうちに 那賀郡なかのこおり曝井さらしい 多賀郡たがのこおり手綱たづな回らねばならぬのだ〕 

【「曝井」水戸市愛宕町滝坂】


虫麻呂は 覚え帳に したためる
曝井さらしい 坂の中程 清い水の噴き出す泉 村落むら婦女おみな集い 布を洗いさらす故 その名あり』
ふと 歌心が 芽生える 
三栗みつくりの 那賀にむかへる 曝井さらしゐの 絶えずかよはむ そこに妻もが 
曝井さらしいの 水絶えへんと 湧いとおる ええ人ったら 絶えずかよたる》
  ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七四五〕 
〔よく うたうよ 妻も 居ないに〕

〔おお 絶景だ 今日の 伝承収穫は かんばしくなかったが この景色を見せてもらったので よしとするか〕 
遠妻とほづまし たかにありせば 知らずとも 手綱たづなの浜の 尋ね来なまし
留守居るすい妻 もしもったら ここ多賀に 道知らんでも 尋ねて来たる
 〔ここはタヅなの浜や〕》 
                    ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七四六〕 
手綱たづなの浜 景勝美がませる歌か
 留守居妻 か 
 そんなもの・・・〕 

独り身の虫麻呂 
妻を求めぬ生きざま 
そこには 譲れぬ 心決めが あった 

 




<手綱の浜>へ



<曝井>へ


蟲麻呂編(2)真間の手児奈が

2009年10月13日 | 蟲麻呂編
【掲載日:平成21年10月9日】

勝鹿の 真間の手児奈てこな
  麻衣あさぎぬに 青衿あをくび
    ひたを には

【市川市真間町 亀井院横「真間の井」】


これほどの つたえ話があろうか
宇合うまかい殿も さぞ満足されることであろう
下総しもうさ真間ままではあるが 常陸の隣国りんごく 
番外編に収録することで 世に伝えられる 

とりが鳴く あづまの国に いにしへに ありける事と
今までに 絶えず言ひ
  
あずまの国に 伝わる話 昔を今に 伝える話》
勝鹿の 真間の手児奈てこなが 
麻衣あさぎぬに 青衿あをくびけ ひたを にはて 
髪だにも きはけづらず くつをだに 穿かず行けども 
にしきあやの 中につつめる 斎児いはひごも いもかめや
 
《真間の手児奈てこなと 言う名のむすめ
 粗末な服着て 髪けずらんと くつ穿かんと 暮らしてるに
 にしきの服着て 育った児にも 負けん位に 器量きりょうえ児》
望月もちづきの れるおもわに 花のごと みて立てれば 
夏虫の 火にるが如 水門みなとりに 船漕ぐ如く 行きかぐれ 人のいふ時
 
綺麗きれえ面差おもざし 笑顔で立つと
 火に入る虫か 集まる船か 男が押しかけ  嫁にと騒ぐ》
いくばくも けらじものを 何すとか 身をたな知りて 
波のの さわみなとの 奥津城おくつきに 妹がこやせる
 
《気楽に生きても 人生なのに 私ごときに このよな騒ぎ
 そんな値打ちは うちには無いと 水底みなそこ深く 沈みてすよ》
とほき代に ありける事を 昨日きのふしも 見けむがごとも 思ほゆるかも
《昔のことと 伝えは言うが 昨日きのうのことに 思われる》
                      ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一八〇七〕 

葛飾かつしかの 真間ままを見れば 立ちならし 水ましけむ 手児奈てこなし思ほゆ
真間ままの井を 見てると見える あの手児奈てこな ここで水汲む 可愛かいらし姿》
                      ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一八〇八〕 

それにしても 可哀相かわいそうなことをしたものだ
昔のおみなは こうも純情じゅんじょう可憐かれんであったのか
今の女ときたら・・・ 
言うまい 言うまい 

虫麻呂の固い心に ひと時 みがこぼれる




<真間の井>へ


蟲麻呂編(3)周淮(すえ)の珠名は

2009年10月12日 | 蟲麻呂編
【掲載日:平成21年10月13日】

しなが鳥 安房あはぎたる 梓弓あずさゆみ 周淮すゑ珠名たまなは・・・

しなが鳥 安房あはぎたる 梓弓あずさゆみ 周淮すゑ珠名たまなは 
胸別むなわけの ひろき吾妹わぎも 腰細こしぼその すがる娘子をとめ

《安房の隣の 周淮すえくに そこになさる 珠名ちゃん 胸大きいて 腰細い》 
その姿かほ端正きらきらしきに 花のごと みて立てれば 
玉桙たまほこの 道行く人は おのが行く 道は行かずて ばなくに かどに至りぬ

端正きれえな顔で 笑みこぼしゃ 通る人らは 用忘れ 呼びもせんのに 門くぐる》 
さしならぶ 隣の君は あらかじめ 己妻おのづまれて はなくにかぎさへまつ
隣のおっさん 嫁帰し 言われもせんのに 鍵渡す》 
人皆の かくまどへれば かほきに よりてそいもは たはれてありける
《男がみんな まどうから 美貌きれえ自慢の 珠名ちゃん 増長のぼせ上がって 調子乗る》
                      ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七三八〕 

金門かなとにし 人のてば 夜中にも 身はたな知らず でてそ逢ひける
門口かどぐちへ 男立ったら 引き入れる 気にも懸けんと 夜昼なしに》 
                      ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七三九〕 

今日の 収穫は上々だわい 
もっとも ここは上総かずさ 
常陸の風土記には 載せられはしないが  
うわさに聞いて 来た甲斐があった 
この話 宇合うまかい殿にすれば 大喜びに違いない
あの方も なかなかの 物分かりじゃで 

それにしても 
なんと 自堕落じだらくな女 
それでいて みんなに好かれる女  
近くの婦女おうなたちにも好意こういされる女

〔浮名を流さずに 済むのであれば わしもおとのうてみたいものだわい〕
周淮すえちまたに 夕闇明かり
その気もなしに  独り思いをする 虫麻呂がいた



蟲麻呂編(4)かがふかがひに

2009年10月10日 | 蟲麻呂編
【掲載日:平成21年10月14日】

・・・あともひて 未通女をとめ壮士をとこの 行きつどひ かがふ嬥歌かがひに・・・

【筑波山南麓、雲かかる男体】



常陸赴任の翌年よくとし 
虫麻呂は 心弾む春を 迎えていた 

これ これ 
これに 一度来たいと 思うていた 
都まで 聞こえた 筑波の嬥歌かがい
飛鳥に都のあったとき 
海石榴市つばいちの歌垣は 名をせていた
今は 形だけが残り おおらかさがなくなった 
そこへ行くと 筑波のそれは 原始むかしそのもの
おうおう 集まって来る 集まってくる 

わしの住む 筑波の山の 裳羽服津もはきつの その津のうへに 
あともひて 未通女をとめ壮士をとこの 行きつどひ かがふ嬥歌かがひ
 
《筑波の山の の泉
 連れもちつどう 女や男 歌の掛け合い 袖引く催事まつり
人妻ひとづまに われも交らむ わが妻に ひとこと
この山を うしはく神の 昔より いさめぬ行事わざぞ 
今日けふのみは めぐしもな見そ 言もとがむな

《よその嫁はん  わし口説きたい うちの嫁はん 口説いてえで
 神さん認めた この日の催事まつり 何も言わんと 目ぇつぶってよ》
                       ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七五九〕 

の神に 雲立ちのぼり 時雨しぐれ降り とほるとも われ帰らめや
《雲湧いて  時雨が降って 濡れたかて つれ出来るまで ワシいねへんぞ》
                       ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七六〇〕 

おのこおみな 不思議なものよ
 り物の豊穣ほうじょう 神への祈り
 春く 一粒の 種
 秋には たわわな 実となる 
 人の手を 伴いはするが 
全て これ 神のわざ
歌えや 遊べ 
神が 許した 催事まつりに遊べ〕

覚え帳を抱え 筆る 虫麻呂
心弾ませながら 輪にはいれぬ背を 時雨しぐれが濡らす




<男の神>へ


蟲麻呂編(5)今日の楽しさ

2009年10月09日 | 蟲麻呂編
【掲載日:平成21年10月15日】

・・・うちなびく 春見ましゆは 
       夏草の 茂くはあれど 今日けふの楽しさ

【筑波山(左男体、右女体)麓の農村風景】


検税使けんぜいし 大伴きょう旅人たびと下向げこうであった
連日の 歓迎うたげ
まれに見る賑わいの 常陸国府こくふ

「ところで宇合うまかい殿
 常陸と言えば 聞こえ目出たい筑波嶺つくばね 
この機会に  ぜひとも 登りたいものだが」
「それは それは 是非とものおとないを
 ただ  今は 暑さ厳しき折
 少々の覚悟では かないませぬぞ」 
「なんの なんの この旅人たびとを なんと見られる
 では 宇合うまかい殿と 登り競争くらべと 参りまするか」

衣手ころもで 常陸ひたちの国に ふたならぶ 筑波の山を 見まくり 君ませりと 
あつけくに 汗かきなけ の根取り うそむき登り うへを 君に見すれば
 
《常陸の国の 二つのみねの 筑波のお山 見たいと言うた
 お前さまとの 連れ立ち登り 汗もしとどに 息はずませて
 登りたった 峯から見たら》
の神も 許したまひ の神も ちはひ給ひて 時となく 雲居くもゐ雨降る 
筑波つくはを さやかに照らし いふかりし 国のまらを 委曲つばらかに 示し賜へば

男神おがみ女神の 加護得たからか いつも雲立ち 雨降る嶺を
 ものの見事に 澄み渡らせて 国の隅々すみずみ ひらけて見せる》
うれしみと ひもきて 家のごと 解けてそ遊ぶ 
うちなびく 春見ましゆは 夏草の 茂くはあれど 今日けふの楽しさ

《喜びくつろぎ 打ち解けうて 春もえけど 真夏もえで
 なんと楽しい この日の登山やまは》
                       ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七五三〕 

今日けふの日に いかにかかむ 筑波つくはに 昔の人の けむその日も
《これまでに 仰山ぎょうさんの人 来た筑波 一番え日は 今日ちゃうやろか》
                       ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七五四〕 

その夜の 宴席 
虫麻呂の歌が 披露にあずかった
「やんや やんや  
これは これは 千里眼 
虫麻呂殿 我らの心 
ふもとって見ておられたか
これは ゆかい ゆかい」 
旅人の酒は 磊落らいらくであった

低頭ていとうした虫麻呂は ちがうことを思っている
筑波嶺つくはねに わが行かりせば 霍公鳥ほととぎす 山彦とよめ 鳴かましやそれ
霍公鳥ほととぎす わし筑波嶺に 行ってたら 鳴いてくれたか 山ひびくほど》
                       ―高橋虫麻呂歌集―〔巻八・一四九七〕 




<筑波嶺>へ


蟲麻呂編(6)君が漕ぎ行かば

2009年10月08日 | 蟲麻呂編
【掲載日:平成21年10月16日】

・・・反側こひまろび 恋ひかもらむ 足ずりし のみや泣かむ
           海上うなかみの その津を指して 君がぎ行かば


旅人たびとの 常陸における任は 果てた
次なる 国へ 検税使けんぜいしとしての役目に立つ日
海は 少し荒れている 
宇合うまかいは 船出の延期を申し出たが かなわなかった
別れが 宇合の気を重くしていた 
長年の ひな住まい 
都の香りを 今少し 留めたかったに 違いない 
「世話になった  
常陸守ひたちのかみ殿の歓待こうい 十二分に頂き申した
任務の懈怠けたいとされれば
わしとて ひなに飛ばされるやも知れぬ
宮仕えの つらいところじゃ」
旅人の 人柄が言わせる 精一杯の 礼であった 
宇合の気持ちが 分かる旅人  
長引けば 別れのつらさだけが増す
「虫麻呂殿 船出ののちの様子 歌にして 頂戴出来まいか 例の千里眼でじゃ 
それに 宇合殿に変わり その心根を」 

牡牛ことひうしの 三宅みやけかたに さし向ふ 鹿島のさきに 
丹塗にぬの 小船をぶねけ 玉纒たままきの 小揖をかぢ繁貫しじぬき 
しほの ちのとどみに 御船子おふなごを あともひ立てて 
呼び立てて  御船出でなば
 
三宅潟みやけの向い 鹿島の崎に お役目船に かじ付け回し
 夕潮満ちて  頃あい来たと 船頭集めて 船出をしたら》
浜もに 後れて 反側こひまろび 恋ひかもらむ 
足ずりし のみや泣かむ 海上うなかみの その津を指して 君がぎ行かば

《狭い浜辺に  見送る人は 心乱して 地団駄踏んで
 あんた恋しと 泣き叫ぶやろ あんた乗る船 ちいそうなると》
                       ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七八〇〕 

うみの ぎなむ時も 渡らなむ かく立つ波に 船出ふなですべしや
《波こんな 高いに船出 するんかい 静かな時に したらえのに》
                       ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七八一〕 

役目の船は 遠ざかる 
はたして 浜の騒ぎは 虫麻呂の歌のままであった
都人みやこびとを離す心 宇合一人のものでは なかった
役目人やくめびとすべて 都恋しさに 狂おしい日々を過ごしているのだ

船が 岬の向こうに消える 
浜の喧騒けんそうは 悄然しょうぜんたる沈黙に変わる

虫麻呂ひとり ほっとしていた 
〔付き合い歌とは なんとうとましいものか〕




蟲麻呂編(7)師付(しづく)の田居に

2009年10月07日 | 蟲麻呂編
【掲載日:平成21年10月19日】

・・・筑波嶺つくばねに 登りて見れば 
          尾花散る 師付しづく田居たゐに 
               かりがねも 寒く来鳴きなきぬ・・・

【「しづくの田居」下志筑より筑波山を望む】


秋も深まり 説話伝承の収集は 一区切り 
あとは 整理 あつめの作業
うず高く 積み上げられた 記載帳 
所狭しと 広げられた 紙片かみきれ資料
役目の人の 働く中 
虫麻呂の姿は ない 

女体を右 男体を左に 
二つを 仰ぎ 
虫麻呂は 志筑しづくの野を たどっている
ひさしの下は 性にあわぬわ〕
 
草枕くさまくら 旅のうれへを          《赴任の旅の 気ふさぎを 
なぐさもる 事もありやと         ちょっとの間でも 晴らそうと  
筑波嶺つくばねに 登りて見れば       筑波の山に やってきた  
尾花散る 師付しづく田居たゐ      ススキ田んぼで 揺れとおる 
かりがねも 寒く来鳴きなきぬ       雁もさむそに 鳴いとおる 
新治にひばりの 鳥羽とば淡海あふみ        鳥羽の湖 風吹いて  
秋風に 白浪立ちぬ           寒々白波 立っとおる 
筑波嶺の よけくを見れば       それでも お山は ええ景色 
ながきけに 思ひ積み       いっぱいまった
うれへはみぬ              気鬱きうつは消えた》
                       ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七五七〕 

筑波嶺つくばねの 裾廻すそみ田居たゐに 秋田あきたる 妹許いもがりらむ 黄葉もみぢ折らな
《筑波嶺の 山の麓で 田刈りする あの児にやりたい 黄葉もみじを採って》
                       ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七五八〕 

〔風は いい 気ままに吹けて 
 雲は いい どこへでも 勝手だ 
 鳥も いい 山をも越せる 
 人付き合いは 気骨の折れる ことだ 
 宇合うまかい殿でなければ ついては 来ぬ
 独りに れぬ ものか〕

筑波嶺 二つ峰のくら
下り道をたどる 虫麻呂の手に 黄葉もみじの枝はない




<師付の田居・鳥羽の淡海①>へ



<師付の田居・鳥羽の淡海②>へ


蟲麻呂編(8)火もち消ちつつ

2009年10月06日 | 蟲麻呂編
【掲載日:平成21年10月20日】

・・・燃ゆる火を 雪もちち 降る雪を 火もちちつつ・・・

【足柄峠から見た富士―凱風快晴―】


東海の道 
西にたどる一行がいる 
任解かれて 上京の旅  藤原宇合主従だ 
養老五年〔721〕春 
菜の花の向こう 富士が見える 
裾を 大きく引き  
見渡す限りの  野が 西に東に 広がっている
中ほどに 雲が巻き 
いただき 雪の中 噴煙けむりが昇り 火が赤い

一行に 遅れて 虫麻呂 筆を運ぶ 

なまよみの 甲斐かひの国 うち寄する 駿河するがの国と こちごちの 国のみなか
出で立てる 不尽ふじ高嶺たかね
 
《甲斐のお国と 駿河国するがくに 二つの国の まん中に デンと控える 富士の山》 
天雲あまぐもも い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びものぼらず 
燃ゆる火を 雪もちち 降る雪を 火もちちつつ 
言ひもえず づけも知らず くすしくも います神かも
 
てん行く雲も 行きよどみ 空飛ぶ鳥も のぼられん
 噴火の炎  雪が消す 降り来る雪も 火が溶かす
 言うことなしの 神の山》 
石花の海と 名づけてあるも その山の つつめる海そ 
不尽河ふじがはと 人の渡るも その山の 水のたぎちそ
 
石花の海うんも せき止め湖 富士川流れも き水や》
もとの 大和やまとの国の しづめとも います神かも たからとも 
れる山かも 駿河なる 不尽の高嶺は 見れどかぬかも

《鎮めの山や この国の 宝物たからもんやで この国の ほんまえ山 富士の山》
                       ―高橋虫麻呂歌集―〔巻三・三一九〕 

不尽ふじに 降り置く雪は 六月みなつきの 十五日もちゆれば その降りけり
富士山ふじさんの 積もった雪は 真夏日に 消えたらその晩 もう降るんやで》 
                       ―高橋虫麻呂歌集―〔巻三・三二〇〕 
不尽の嶺を 高みかしこみ 天雲あまぐもも い行きはばかり たなびくものを
《雲行かず 棚引たなびいてるは 富士山を 高こうて偉い おもてるよって》
                       ―高橋虫麻呂歌集―〔巻三・三二一〕 

〔わしも 富士のように れぬものか
 雪をかぶっていれば いい 顔色見せずに
 雲が ちまたわずらい おおってくれる 
 誰もが あがめ たてまつる
 何よりも 孤高ひとりでいられる〕
思いとは別に 虫麻呂の心は つぶやく 
〔独りは・・・〕 



蟲麻呂編(9)七日は過ぎじ

2009年10月05日 | 蟲麻呂編
【掲載日:平成21年10月21日】

わがゆきは 七日なぬかぎじ 竜田彦 
               ゆめ此の花を  風にな散らし

【「小鞍の嶺」の桜、谷をへだてて葛城の連峰】


藤原宇合は  難波の宮造りを命ぜられた
神亀三年〔726〕のことであった 
向こう五年の 大工事だ 
工事督励とくれい と 状況報告
幾度かの  都―難波 の 往還が重なる
竜田越えが 決まり道となっていた 
平城ならへの報告は 虫麻呂の役目
ここぞの報告は  宇合様の同道を仰ぐ

宇合は 桜が好き 
この季節 小鞍おぐらの桜のため 努めて往還する
「虫麻呂  歌だ 歌だ そちの歌が よい」
白雲しらくもの 竜田の山の たぎの 小鞍をぐらみねに 咲きををる 桜の花は 
山高み 風しまねば 春雨はるあめの ぎてし降れば
 
《竜田の山の 激流ながれの上の 小鞍おぐらの桜 見頃やゆうに 風がつようて 春雨続き》
は 散り過ぎにけり 下枝しづえに 残れる花は 須臾しましくは 散りな乱れそ 
草枕くさまくら 旅行く君が かへり来るまで

《上の花びら  もう散ったけど せめて下のは 残って欲しい
 行って帰って 来るまでは》
                        ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七四七〕 
わがゆきは 七日なぬかぎじ 竜田彦 ゆめ此の花を 風にな散らし
《すぐ帰る  七日と掛からん 桜花 竜田の神さん 散らさんといて》
                        ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七四八〕 

小鞍の峰での 桜花はなうたげ
陽が西に傾く中  一行は急ぎ足
亀ヶ瀬激流さわの上 夕映え桜
「ここの桜も  見事じゃ 虫麻呂 今一首」
白雲しらくもの 龍田たつたの山を 夕暮ゆふぐれに うち越え行けば たぎの上の 桜の花は 
咲きたるは 散り過ぎにけり ふふめるは 咲きぎぬべし
 
《竜田山 越える夕暮 激流さわの上
 いた桜は 散ってもた 蕾の花は これからよ》  
彼方こち此方ごちの 花の盛りに 見えねども 君が御行みゆきは 今にしあるべし
《全部満開 ちゃうけども ほんま時期とき 行かれるこっちゃ》
                       ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七四九〕 
いとまあらば なづさひ渡り むかの 桜の花も らましものを
《暇ないが 川を渡って 桜花はな取りに 行ってきたいな 向こうの峯の》
                       ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七五〇〕 

〔宇合殿は お人が悪い 
 桜見る  私の心 分からぬでも なかろうに
 敢えての所望しょもうは 如何なる思いなのか〕 
宇合の 度重なる強請せがみが 
虫麻呂に  遥かな昔を 思い起こさせる




<龍田彦>へ



<小鞍の嶺>へ


蟲麻呂編(10)風祭せな

2009年10月04日 | 蟲麻呂編
【掲載日:平成21年10月22日】

・・・山下やまおろしの 風な吹きそと うち越えて
              名にへるもりに 風祭かざまつりせな


あれは  忘れもせぬ 十八の年
お屋敷の桜は  これでもかとの 満開
桜児さくらこ様は 十五で あられた
じかに 逢うことの かなう身ではない
それとなく 垣間見る お容姿すがた
嫁にしたいなどと  大それた思いなぞない
この人の られる お屋敷での ご奉公
それだけで  もう 十分〕
宇合殿は  不比等様 ご三男 
気楽な身分ながら  感は鋭い
「虫麻呂 桜児さくらこを どう思う
 お前次第じゃ 
 わしが 顔をかせてもよいぞ
 異母妹いもうとの桜児も まんざらでもないようじゃ」 
私は 身を伏せ うずくまり 手を振り 『滅相もない』との 気持ちを こんを限りと表した
声は 出なかった 
〔なんと 言うことだ 気持ちを 見透みすかされるとは もう ここには れぬ〕

いとまいを 願うべく 出向いた屋敷
「おい 虫麻呂! 桜児が身罷みまかった 昨夜ゆうべのことだ!」
待っていたのは  宇合の悲痛の声
「物のじゃ 物の化が 姫様を・・・」
老女が  うろたえ 叫ぶ
茫然ぼうぜんたる 虫麻呂
庭は 夜来やらいの大風に 花びらが埋めていた 

難波での  一泊の戻り
虫麻呂は  ひとり 竜田越えを たどる
桜が 盛り 
桜は  いつも いつも 面影を 誘う
〔桜児様も  見ておられるだろうか この桜〕
島山を い行きめぐれる 川副かはぞひの 丘辺をかへの道ゆ 
昨日きのふこそ わがしか 一夜ひとよのみ たりしからに
 
《島山の 川沿い丘を 昨日きのう越え 一晩泊まった だけやのに》  
うへの 桜の花は たぎの瀬ゆ たぎちて流る 
君が見む その日までには 山下やまおろしの 風な吹きそと 
うち越えて 名にへるもりに 風祭かざまつりせな

《咲いてた桜 峯上みねうえの 花びら散って 激流ながれてく
 あんた見るまで  風吹くな
 風をしずめる まつりしょう 竜田の神さん 頼みます》
                       ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七五一〕 
ゆきひの 坂のふもとに 咲きををる 桜の花を 見せむ児もがも
国境くにざかい 坂に咲いてる 桜花さくらばな 見せたりたい児 ったらええな》
                       高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七五二〕 

〔わしは 咲くはなより 散るはなが いとおしい〕



蟲麻呂編(11)片足羽川(かたしはがは)の

2009年10月03日 | 蟲麻呂編
【掲載日:平成21年10月23日】

しな  片足羽川かたしはがはの さ丹塗にぬりの 大橋の上ゆ 
               くれなゐの あか裾引き・・・

【大和川と石川の合流点、大橋はこの辺りにあったか?】


あっ あれは 桜児さくらこ様!
一瞬 目をうたがう 虫麻呂
あのあか あい色の服 
まさしく  桜児様!
その昔 垣間見た 桜児の容姿すがた 
長い年月としつき 忘れようとて 忘れえぬ容姿すがた
そっくり  そのままな児が通る
魂の抜けた  虫麻呂の前
娘子おとめは 通り過ぎる

難波の宮造営工事は  完成が近付いていた
報告の 道すがら 
いつも いつも 通る 片足羽川かたしわがわの 大橋
これまで  何度 往復したことか
でも  一度も 見ることは なかった
〔あれは  桜児様の 生まれ変わりに 違いない
 幻ではない 
 こうして  去っていく後ろ姿が 見えている
 桜児様は  生きている!〕
うつろな 虫麻呂のたたずみをよそに 
娘子おとめの姿は 人陰に まぎれる

小半時ばかりののち
大橋の  欄干の脇
流れを見つめる  虫麻呂の 口から
歌が  漏れる
  
しな  片足羽川かたしはがはの さ丹塗にぬりの 大橋の上ゆ 
くれなゐの あか裾引き 山藍やまあゐもち れるきぬ着て ただ独り い渡らす児は 
 
塗りの綺麗きれえな 橋の上 あか穿いて あいの服 とおって来る児 可愛かいらしな》 
若草の つまかあるらむ 橿かしの実の 独りからむ 
はまくの しき我妹わぎもが 家の知らなく

《旦那るんか ひとり身か 口説きたいけど 伝手つてあれへん》
―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七四二〕 
大橋の つめあらば うらがなしく 独り行く児に 宿やど貸さましを
《橋のそば 家があったら さみな あの児を連れて 泊まれるのにな》
―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七四三〕 

いつもの 諧謔かいぎゃくを帯びた 歌だ
現に おこないはしないが 思いだけを つづ
まこととも そらごととも つかない 恋の歌

虫麻呂は おのが心を のぞいていた
そこは もはや 桜児の住処すみかではなかった
 




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蟲麻呂編(12)早く来まさね

2009年10月02日 | 蟲麻呂編
【掲載日:平成21年10月26日】

・・・山彦やまびこの こたへむきはみ 谷蟇たにくぐの さ渡るきはみ 国形くにかたを し給ひて 
冬こもり 春さり行かば 飛ぶ烏の 早く来まさね 


「虫麻呂 このたびの 西海道さいかいどうの旅 同行はかなわぬぞ」
浪速の宮造営が成った  翌 天平四年〔732〕
宇合は 西海道さいかいどう節度使せつどしの任を受けた
軍旅ぐんりょじゃ そなたは 役にたたぬ」

主従として  難波との 往還を繰り返した 竜田
秋 黄葉もみじの照り映える 小鞍おぐらの峰
虫麻呂は わだかまり隠し うた

白雲の 龍田たつたの山の つゆしもに 色づく時に うち越えて 旅行く君は 
《木々が色づく 龍田を越えて いくさの旅に 出られるあなた》
五百重いほへ山 い行きさくみ あた守る 筑紫に至り 
山のそき 野のそき見よと ともを あかつかは

《山々越えて 筑紫に行って 監視の家来 あちこちって》
山彦やまびこの こたへむきはみ 谷蟇たにくぐの さ渡るきはみ 国形くにかたを し給ひて 
冬こもり 春さり行かば 飛ぶ烏の 早く来まさね 
 
《国の隅々すみずみ 巡視させて回り 任務を終えて また春来たら どうぞ早くに お戻りなさい》 
龍田道たつたぢの 丘辺をかへの道に つつじの にほはむ時の 桜花 咲きなむ時に 
山たづの 迎へ参出まゐでむ 君がまさば

《龍田の道に 紅花べにばなツツジ 桜の花の 咲く山道に 迎えに来ます 戻られたなら》 
                         ―高橋虫麻呂―〔巻六・九七一〕 
千万ちよろづの いくさなりとも ことげせず 取りてぬべき をのことそ思ふ
敵方てきがたが 幾千万でも 世迷言よまいごと 言わず討ち取る 男やあんた》
                         ―高橋虫麻呂―〔巻六・九七二〕 

「さらばじゃ 虫麻呂 
 そなたの顔 き物が 落ちたみたいだの
 もう 宮仕えはいい 
 そなたは自由じゃ 心任せに生きるがい」
馬上からの  言葉を残し 宇合の背が 遠ざかる

〔今回の旅のはずし 気遣づかいからであったか〕
ひざまずき こうべを垂れた 虫麻呂の肩 
黄葉もみじの錦が 降りかかる



蟲麻呂編(13)うなひ処女の

2009年10月01日 | 蟲麻呂編
【掲載日:平成21年10月27日】

葦屋あしのやの うなひ処女をとめ八年児やとせごの 片生かたおひの時ゆ
 小放髪をはなりに 髪たくまでに 並びる 家にも見えず・・・
 

【御影町東明の処女塚】


芦屋浜  小高い丘に 虫麻呂がいる 
〔これも  哀れな話 伝えずに くものか〕
葦屋あしのやの うなひ処女をとめ
八年児やとせごの 片生かたおひの時ゆ 
小放髪をはなりに 髪たくまでに 
並びる 家にも見えず 
虚木綿うつゆふの こもりてませば 
見てしかと 悒憤いぶせむ時の 垣ほなす 人のふ時

芦屋あしやに住まう うないの処女おとめ
 つの歳から 年頃までも 隣も見せへん 箱入り娘
 見たいもんやと  胸焼き焦がし 引きも切らない 求婚話》 
血沼壮士ちぬをとこ うなひ壮士をとこの 盧屋ふせやく すすしきほひ あひ結婚よばひ しける時は 
やき太刀たちの 手柄たがみ押しねり 白檀弓しらまゆみ ゆぎ取りひて 
水に入り 火にも入らむと 立ち向ひ きほひし時に
 
血沼ちぬ壮士おとこと うなひの壮士おとこ 火花を散らす 嫁取りきそ
 こなた太刀たちげ かなたは弓で 水中みずなか火の中 いといもしない》
吾妹子わぎもこが 母に語らく 
まき いやしきわがゆゑ 大夫ますらをの 争ふ見れば 
生けるとも 逢ふべくあれや  ししくしろ 黄泉よみに待たむと 
隠沼こもりぬの 下延したはへ置きて うち嘆き 妹がるぬれば

《優しい処女おとめ 嘆きて母に
 こんな詰まらん 私のことで  あたら男が 命を賭ける
 生きての結ばれ 考えせずに  あの世で待つと 言い告げおいて
 本心隠し あの世の旅へ》 
血沼壮士ちぬをとこ その夜いめに 見取りつつき 追ひ行きければ 
後れたる 菟原壮士うはらをとこい あめあふぎ 叫びおらぴ 足ずりし たけびて 
如己男もころをに 負けてはあらじと 懸佩かけはきの 小剣をだち取りき ところづら め行きければ
 
血沼ちぬ壮士おとこは 夢見て知って 遅れてなるかと 死出追い旅に   後で気の付く 菟原うはら壮士おとこ 叫び足ずり 歯ぎしりわめ
 負けるものかと おっとり刀 あの世までもと 後追いかける》 
親族うからどち い行きつどひ 永き代に しるしにせむと 遠き代に 語り継がむと 
処女墓をとめづか 中に造り置き 壮士墓をとこづか 此方こなた彼方かなたに 造り置ける
 
《残る家族は 悲しみ集い
 処女おとめの塚を 真ん中挟み 右と左に 壮士おとこの塚を 悲劇伝えに 造ってまつる》
故縁ゆゑよし聞きて 知られども 新喪にひもごとも きつるかも
《身内びとでは 無い者なのに いわれ聞いたら 泣かずにおれぬ》
                       ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一八〇九〕 
葦屋あしのやの うなひ処女の 奥津城おくつきを と見れば のみし泣かゆ
芦屋あしのやの 菟原処女うないおとめの 墓のとこ 通るたんびに 悲して泣ける》
                       ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一八一〇〕 
はかうへの なびけり 聞きしごと 血沼壮士ちぬをとこにし 寄りにけらしも
《墓の上 木の枝なびく やっぱりな 血沼壮士ちぬのおとこに 気があったんや》
                       ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一八一一〕 

蕭々しょうしょうたる浜風
虫麻呂の袖を  抜けて 吹きすぎる




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