【掲載日:平成21年10月26日】
・・・山彦の 応へむ極み 谷蟇の さ渡る極み 国形を 見し給ひて
冬こもり 春さり行かば 飛ぶ烏の 早く来まさね
「虫麻呂 この度の 西海道の旅 同行はかなわぬぞ」
浪速の宮造営が成った 翌 天平四年〔732〕
宇合は 西海道節度使の任を受けた
「軍旅じゃ そなたは 役にたたぬ」
主従として 難波との 往還を繰り返した 竜田
秋 黄葉の照り映える 小鞍の峰
虫麻呂は わだかまり隠し 詠う
白雲の 龍田の山の 露霜に 色づく時に うち越えて 旅行く君は
《木々が色づく 龍田を越えて 軍の旅に 出られるあなた》
五百重山 い行きさくみ 敵守る 筑紫に至り
山の極 野の極見よと 伴の部を 班ち遣し
《山々越えて 筑紫に行って 監視の家来 あちこち遣って》
山彦の 応へむ極み 谷蟇の さ渡る極み 国形を 見し給ひて
冬こもり 春さり行かば 飛ぶ烏の 早く来まさね
《国の隅々 巡視させて回り 任務を終えて また春来たら どうぞ早くに お戻りなさい》
龍田道の 丘辺の道に 丹つつじの 薫はむ時の 桜花 咲きなむ時に
山たづの 迎へ参出む 君が来まさば
《龍田の道に 紅花ツツジ 桜の花の 咲く山道に 迎えに来ます 戻られたなら》
―高橋虫麻呂―〔巻六・九七一〕
千万の 軍なりとも 言挙げせず 取りて来ぬべき 男とそ思ふ
《敵方が 幾千万でも 世迷言 言わず討ち取る 男やあんた》
―高橋虫麻呂―〔巻六・九七二〕
「さらばじゃ 虫麻呂
そなたの顔 憑き物が 落ちたみたいだの
もう 宮仕えはいい
そなたは自由じゃ 心任せに生きるが好い」
馬上からの 言葉を残し 宇合の背が 遠ざかる
〔今回の旅の外し 気遣いからであったか〕
ひざまずき 頭を垂れた 虫麻呂の肩
黄葉の錦が 降りかかる