【掲載日:平成21年12月15日】
須臾も 行きて見てしか 神名火の
淵は浅さびて 瀬にかなるらむ
思う以上に 中央政界の変貌は 激しかった
長屋王の変事を経て
皇親勢力の打撃は 覆うべくもなく
藤原氏四郷は ますます権勢を誇り
他の貴族の力は 衰えそのものであった
旅人にとり 大納言職は 有名無実
張り切っての帰郷故の 虚脱感
老境の身に 加わった 心の空虚
身体の不調は 旅人に取りつき
床を延べることが 日増しに多くなっていった
身は 平城の佐保に あるものの
思われるのは 故郷 飛鳥のことばかり
須臾も 行きて見てしか 神名火の 淵は浅さびて 瀬にかなるらむ
《一寸でも 行ってみたいな 飛鳥淵 浅なって瀬に なったん違うか》
指進の 栗栖の小野の 萩が花 散らむ時にし 行きて手向けむ
《飛鳥野の 栗栖の里へ 行きたいな 萩散る頃に 先祖参りに》
―大伴旅人―〔巻六・九六九、九七〇〕
その萩 まさに 花開こうとする 七月
看護虚しく 武人の家の 誇り継ぎし旅人は
帰らぬ人となった
朝廷よりの 看護の司 犬養人上は 詠う
見れど飽かず 座しし君が 黄葉の 移りい去れば 悲しくもあるか
《いつまでも 崇めよ思てた あんたはん 死んでしもうて 悲しいこっちゃ》
―犬養人上―〔巻三・四五九〕
そこに控え居た 舎人の余明軍も
血涙と共に 詠う
愛しきやし 栄えし君の 座しせば 昨日も今日も 吾を召さましを
《慕うてた あなた存命ったら お召声 昨日も今日も 掛ったやろに》
かくのみに ありけるものを 萩の花 咲きてありやと 問ひし君はも
《萩の花 咲いてるやろかと 聞いてたに これが定めと 言うもんやろか》
君に恋ひ いたもすべ無み 蘆鶴の 哭のみし泣くゆ 朝夕にして
《あなたはん 恋し思ても 甲斐ないな 泣き泣きおるで 朝晩なしに》
遠長く 仕へむものと 思へりし 君座さねば 心神もなし
《いつまでも お仕えしょうと 思てたに あなた居らんで しょぼくれとおる》
若子の 這ひたもとほり 朝夕に 哭のみそわが泣く 君無しにして
《赤ん坊が 這いずり回り 泣くみたい 朝晩泣いてる あなた居らんで》
―余明軍―〔巻三・四五四~四五八〕
永年 仕えた 舎人の 旅人に寄せる 思いの丈
そこには 見事な 主従の姿があった
旅人 享年六十七歳
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