犬養万葉今昔―犬養孝先生著「万葉の旅」を訪ねて

犬養孝先生名著「万葉の旅」記載の万葉故地309箇所を訪ね、先生が撮られれたのと同じ場所に立った写真撮影を目指す紀行。

■日めくり万葉集Vol・2(098)うつせみの

2012年03月31日 | 日めくり万葉集
NHK教育TVで「日めくり万葉集」第2弾が始まりました。
平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。

【八月十日】放映分

うつせみの 命をしみ
         波にぬれ  伊良虞いらごの島の 玉藻刈り


仕様しょうなしに 伊良湖の島で 波に濡れ 藻ぉうは 死にとないから》
                            ―麻続王おみのおおきみ―(巻一・二四)

【万葉歌みじかものがたり】伊良虞いらごの島の》

「お前さま 一人者ひとりものかい 自分で りなど 召使めしつかいにでも させれば いものを」
「よしなよ この人は 何も 答えなさらん 都のながされびと らしい」
夕日 が 伊勢の海の方に 沈む
浜を 引き上げる 海女あまの影は 小さくなる
背を伸ばし おぼろ目で 神島を見ている 麻続王おみのおおきみ
「口は わざわいの元・・・」

あれは 壬申のいくさ三年みとせ後 であったろうか
大友皇子の子 葛野王かどののおうを お見かけし 思わず『こんな 幼気いたいけない子が 苦労するとは』と つぶやいてしまった
それが 天武天皇すめらみことの耳へと入り 流罪るざい
雪深い 因幡いなばであった
因幡 は よかった
国庁 があり 役所勤めに 友がいた
不自由 ではあったが 食うには困らなかった
すぐにでも 許されて と思うていたが 配流はいる
常陸ひたちの 板来いたこ
潮風 の 強いところであったが
なんと言っても 鹿島神宮さまのお膝もと 豊かな土地柄とあって なに不自由ない 暮らしであった
親しくなった 神官に 流罪の経緯いきさつを聞かれ
葛野王かどののおうが 可哀相かわいそうと 言っただけじゃ』
と らしてしまった・・・

ここ 伊良虞いらごは 何もない
るのは 田作たづくたみと 網人あみひと海女あま
地は痩せ ロクな作物さくもつも取れない
外海そとうみだけに りょうもままならない
ある のは 打ち寄せる 藻だけ
これを るしかないのだ

いまでは ならいとなった 苫屋とまやでの寝起き
これ だけはと 身につけている 筆を取る

(今日の 海女あまの声 歌にするか)
打つを 麻続王をみのおほきみ 海人あまなれや 伊良虞いらごの島の 玉藻たまもります
粗末衣ぼろ着てる 麻続王おみのおおきみ 漁師あまやろか 伊良湖の岸で ってはる》
                    ―麻続王おみのおおきみを見た人―(巻一・二三)

 答えて やらねば なあ)
うつせみの 命をしみ 波にぬれ  伊良虞いらごの島の 玉藻刈り
仕様しょうなしに 伊良湖の島で 波に濡れ 藻ぉうは 死にとないから》
                            ―麻続王おみのおおきみ―(巻一・二四)

しかし は いところだ
なにしろ あたたかい
天気 も それに 人も・・・


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