犬養万葉今昔―犬養孝先生著「万葉の旅」を訪ねて

犬養孝先生名著「万葉の旅」記載の万葉故地309箇所を訪ね、先生が撮られれたのと同じ場所に立った写真撮影を目指す紀行。

■今昔381北陸

2009年10月05日 | 今昔(12)北陸(一)(二) 万葉の終焉
北陸は 福井・石川・富山・新潟
昔の 若狭・越前・加賀・能登・越中・越後

越路に入るには 近江湖北の愛発山あらちやまを越え 山また山を越えて行く
都を離れる 寂寥が 募る由縁だ



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■今昔382福井・石川

2009年10月04日 | 今昔(12)北陸(一)(二) 万葉の終焉
福井・石川は 越中方面への交通路

行き帰りの 悲喜こもごも

宅守 弟上娘子の悲恋あぢま野

家持巡行の鄙び



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■今昔383後瀬山

2009年10月03日 | 今昔(12)北陸(一)(二) 万葉の終焉
★山の位置、船の配置を見てください

歌は 坂上大嬢が 大伴家持に贈ったもので
この地にあって詠まれたものでなく
「後瀬山」が
「後」に「逢瀬」の「山」として 都に聞こえていたことが わかる


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■今昔384三方の海

2009年10月01日 | 今昔(12)北陸(一)(二) 万葉の終焉
★桟橋の木杭の位置は 変わっているが


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■今昔385手結が浦

2009年09月30日 | 今昔(12)北陸(一)(二) 万葉の終焉
★干し網竿はないが・・・

敦賀 北陸道の喉元 大陸との交通の要津
敦賀から北国への道筋は 田結たい・松が崎・五幡いつはた杉津すいづと 北へ進む
手結たゆいが浦は 田結の浜である


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■今昔386越路の雪

2009年09月29日 | 今昔(12)北陸(一)(二) 万葉の終焉
★雪の季節に 今一度

近江湖北 塩津峠を越えると 北に山塊が立ちはだかる
越して 敦賀へ出れば 敦賀・今庄の間には 南条山系の難関が待っている
雪の多いところだ
正に「雪の越路」


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■今昔387かへる

2009年09月28日 | 今昔(12)北陸(一)(二) 万葉の終焉
★舗装道だが 雰囲気はそのまま

忘れられたような 閑村
ここから 南条山系の山また山を越え 敦賀湾岸の五幡いつはたへ出る
「かへる」の音韻に 「帰る」が重なる


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■今昔388あぢま野

2009年09月27日 | 今昔(12)北陸(一)(二) 万葉の終焉
★悲恋ものがたり 青田は知らぬげ

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■今昔389羽咋の海

2009年09月26日 | 今昔(12)北陸(一)(二) 万葉の終焉
★干拓の人知 情緒を駆逐

天平二十年(748)
春の出挙すいこ(官稲を民間に貸し付けて利子稲をとること)のための 越中諸国巡行
志雄しお街道を越えてくると 広がる羽咋の海(邑知潟おおちがた


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■今昔390にぎし川

2009年09月25日 | 今昔(12)北陸(一)(二) 万葉の終焉
★清き瀬ごと 永久に

門前町剣地つるぎじ
金沢からバスで延々
訪ねたのは 震災の後 あちこちに 青いビニールシートの屋根があった




アラカルト<にぎし川ー清き瀬、いまも>へ


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■今昔391珠洲の海

2009年09月24日 | 今昔(12)北陸(一)(二) 万葉の終焉
★苫屋風景 5年・10年後は はたして

「万葉の旅」掲載故地309ヶ所完全踏破 最終ポイント
「先生 やりました!」


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■今昔392熊木のやら

2009年09月23日 | 今昔(12)北陸(一)(二) 万葉の終焉
★舟も いい位置にありました

西湾埋め立てで 元の地は 陸と化したが
岸辺に 新たな「せりだし」が あった


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■今昔393机の島①

2009年09月22日 | 今昔(12)北陸(一)(二) 万葉の終焉
★柔和な島影 すこし くずれて

「しただみ」貝は 水辺にあり 触るとポロリと落ちる
まさしく 拾うのだ
昔は 漁や農作業のとき 子供を この机の島に置いておいたそうだ
子供らは 「しただみ」拾いを したという

時代は下がり 机の島は 生徒らの海水浴場となっていたらしいが
今は 人が渡らず 桟橋も朽ちている


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■今昔394机の島②

2009年09月21日 | 今昔(12)北陸(一)(二) 万葉の終焉
★しただみ は 今も健在

観光ブームで 一時にぎわった 「机の島」
今は 誰一人 訪れる人とてない
わずかに 犬養先生を 慕う人たちが 期に応じ おとなうのみか・・・

先生の揮毫歌碑が 墓標のように 見えてくる
「しただみ」貝だけは 何も知らぬげに・・・



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■今昔395富山・新潟

2009年09月20日 | 今昔(12)北陸(一)(二) 万葉の終焉
★いよいよ 富山の登場です
 富山 越中は 大伴家持赴任の地
 天平十八年(746)から天平勝宝三年(751)までの まる五年
 家持作歌の45%を占める 約220首が ここで生まれた
 花開いた「越中歌壇」に ご期待ください




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