犬養万葉今昔―犬養孝先生著「万葉の旅」を訪ねて

犬養孝先生名著「万葉の旅」記載の万葉故地309箇所を訪ね、先生が撮られれたのと同じ場所に立った写真撮影を目指す紀行。

□浜松万葉旅行に参加しました

2008年07月31日 | メッセージ
平成20年7月26・27日
犬養万葉顕彰会主催の万葉旅行に参加しました
行 先:浜松
内 容:犬養先生揮毫の万葉歌碑9基の見学

久方ぶりの万葉旅行(学生時代以来?)
・物見遊山でなく
・バス中・現地とも学習一辺倒
・行程中のアルコールなし
・抒情歌歌唱つき
・夕食後のコンパ調自己紹介
犬養万葉旅行の雰囲気そのままの旅行であった

連日の猛暑を物ともせずの行程
決して低いとは言えない平均年齢参加者の元気なこと
なんともいえない快感を伴う旅行であった

訪問した歌碑写真を掲載します
鑑賞ください

浜松市北区三ケ日町下尾鵼代 浅間山山頂


浜松市浜北区貴布祢 浜北文化センター


浜松市浜北区平口 万葉の森公園


浜松市浜北区宮口 麁玉公民館


浜松市浜北区宮口 八幡神社


浜松市南区下江町 南陽公民館


浜松市南区下江町 南陽公民館


袋井市浅名 浅羽図書館


袋井市梅山 八幡神社



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●万葉紀行の始まり

2008年07月28日 | 紀行お知らせ
■序
<学生時代のお宝写真>

「万葉の旅」を携えて犬養万葉の故地めぐりを始めて何年がたつのだろう。
万葉旅行で犬養先生に連れていただいて。
気の置けない仲間同士で。
また、ひとり気ままに。
山の辺、初瀬、宮滝、甘橿岡、檜隈、稲淵・・・
学生時代、就職後、そして恋人と、女房と、やがて子供も連れて・・・。
犬養先生の主催される会、
放送局の主催で犬養先生の参加される会、
そして自分で企画して。
万葉故地を訪ねてきた。
■破
やがて、犬養先生の他界。
  米寿のお祝い会で、
  「いぬかいKUN」のマスコット人形に
  照れくさそうな笑顔を向けられておられたのを思い出す。

いつしか、万葉故地めぐりも、ご無沙汰に・・・。
そして、わたしも病(肺気腫)を得、ますます縁遠に。
しかし、1年半の療養で一応の回復を見、
リハビリの必要をきっかけに万葉故地めぐりを復活させようと
「万葉の旅」を再び手にしたのです。
■急
あらためての驚きでした。
一項目を見開き二ページに収め、右に文章、左に写真。
700から800字にまとめられた文章の見事さ。
  万葉歌、歌の解釈、読まれた情景あるいは時代背景、
  作者紹介、作歌状況、千数百年経た今の風景との重ね合い、
  先生自身の歌ならびに風土に対する心情、
  作歌場所にいざなうが如き道筋案内。
そして、いずれが先かとまごう文章・写真の一体感。
この写真を撮りに行こう。道筋案内にいざなわれて。
犬養先生の歩かれた道を歩こう。
犬養先生の立たれた場所に立とう。
犬養先生の踏まれた土を石を踏もう。
  信濃なる 千曲の川の 細石も 君し踏みてば 玉と拾はむ
万葉紀行の始まりでした。


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●犬養先生と名著「万葉の旅」

2008年07月28日 | 紀行お知らせ
学生時代、昭和37年4月から昭和41年3月にかけて、
「犬養万葉」に傾倒していた。
講義。
出席のとらない講義で、学生が詰めかけるのは「犬養万葉」以外にはない。
万葉旅行。
初夏・夏、秋2回の日帰り万葉旅行。
春・夏のやすみを使った泊まりの万葉旅行。
どれも、100人前後の(時には200人を超す)学生らが参加。
犬養先生手作りの「ガリ版」刷りの栞。
講義を聴きながら、歩く、歩く、あるく、あるくの万葉旅行。
そして、昭和39年、
われわれは、万葉紀行のバイブルを得る。
名著「万葉の旅」上・中・下全三巻の刊行である。

ベスト・セラーとなり、発行元の社会思想社のドル箱となった
先生に連れて頂くときも、
ひとりで万葉故地を訪ねるときも、
いつも携帯した「万葉の旅」。
初版本は、色が変わり、角は取れ、
背表紙でページを繋いでいる綴じ糸はほつれてくる。
補修に次ぐ補修で、何とか原型を留めている。
いまは、発行元の社会思想社のものはなく、
平凡社から新装版が出ている。

この汗のしみたなつかしの名著をたずさえ、
掲載地すべての万葉故地を訪ね、犬養先生を偲ぶ旅に出る。


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●ついに結願ー気分は、凱風快晴

2008年07月28日 | 紀行お知らせ

平成19年8月25日。
ついに 309万葉故地の踏破を終えた。
やっと終えたとの思いである。
ゆっくりと近づいてくる達成感。
「気分は 凱風快晴」というところか。

最後が能登、机の島と珠洲の海というのも印象的だ。
「机の島」は 
犬養先生が高田薬師寺管長と黛敏郎氏と渡島された折
その前に亡くされた奥様との渡島を思い出されて号泣された島である。
一時のブームは忘れ去られ 桟橋も朽ち果てていた。
先生の「かしまねの しただみ」の歌碑が 西面し 熊木のやらに臨んでいた。
「珠洲の海」
苫葺きの船小屋がある前世紀の面影そのものの風景が写っている。
このような風景は望むべくもない との覚悟と 一縷の望みと
を抱いての紀行前夜。
「苫」葺きではなかったが らしき「苫家」はあった。

わびしさの心に沁みる最終紀行であった。

旅のつれづれを思い起こしながらの資料整理に移る。
犬養先生の威徳を偲びえたかどうかを反芻しつつ・・・。

紀行案内<ついに結願!!>へ
アラカルト<机の島>へ
アラカルト<珠洲の海>へ
アラカルト<自分へのご褒美>へ



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●犬養万葉今昔:日経新聞に掲載さる!!

2008年07月28日 | メッセージ
平成19年11月14日
日本経済新聞、本日付け朝刊、最終面<文化>欄に
「犬養万葉今昔」が掲載されました。
記事を、スキャンの上、ここに掲載します。
字が小さくて読みづらいかもしれませんが、見てやってください。
本文をご希望の方は、本紙を購入ください。
なお、「宇部神社」は「宇倍神社」です。


<新聞掲載をここに加筆再録したもの>をどうぞ!!
<■日経掲載「犬養万葉今昔」>へ

新聞掲載の記事の中で紹介された、今昔は以下の通りです。
ご鑑賞ください。
<日経掲載関連今昔>へ

●日経掲載記事・再録

2008年07月28日 | 紀行お知らせ
■犬養先生と「万葉の旅」
 生涯を万葉集研究にささげ、歌の魅力を真摯でソフトな語り口で社会に広められた学者、犬養孝先生(1907―98)。
 昭和39年に出版された『万葉の旅』全三巻は、実際に訪ね歩いた万葉ゆかりの地の風土から古代人の生活と心情を浮かび上がらせた名著だ。
 北は宮城、南は鹿児島、西は壱岐・対馬・五島列島まで、『万葉の旅』に収録された故地は全部で309ヶ所。
 私は会社経営の合間をぬって、その一つ一つを訪ねてきた。
 単なる旅に終わらず、本に収録された40年前の写真と同じアングルで現在の風景を撮影。
 移ろいやすい自然の中にひそむ万葉の歌心をフレームに収めようと励んできた。

■先生との出会い
 犬養先生に出会ったのは昭和30年代半ば、高校生のころだった。
 私のふるさと堺市の成人学校で先生の万葉講座があった。
 奈良の自然や社寺に興味を持ち始めていた私にとって、本格的な勉強を始める絶好の機会。
 成人対象だったが何とか入れてもらい、教室に通った。
 講義は毎回、犬養先生が万葉の歌を黒板に書いて、朗唱する。
 「犬養節」として知られる独特の節回しだ。
 宮中歌会始などで耳にする抑揚とも違う。オリジナルのメロディで、本当に歌う。
 じきに「さあ、みなさん歌いましょう」と先生が促す。
 初めは恥ずかしいが、すぐに慣れ、朗々と歌うようになった。
 声に出して歌うと、万葉びとの心に少しでも触れた気がする。
 「昔も今も、人の思いは同じ」。先生の言葉が心にしみた。

 大学は犬養先生がおられる大阪大学に進んだ。
 夏休みなどに先生が引率して故地を巡る「大阪大学万葉旅行の会」に参加。
 柿本人麻呂ゆかりの山陰、大伴家持が赴任した越中(富山県)など、ときには百人以上が大集団を組んで行脚した。

■万葉故地めぐり
 就職、結婚のあとも先生主催の会、家族、ときには一人で『万葉の旅』を片手に故地を回った。
 だが、独立して始めた会社の仕事が忙しくなり、平成10年に先生が他界されたころには、いつしか犬養万葉とは疎遠になっていた。
 転機は療養に一年半かかった肺の病気。
 何とか回復し、リハビリで体を動かそうとしたとき、ふと『万葉の旅』を手に取った。
 ページを繰るたびに、現地の体験を大切にした犬養先生の言葉がよみがえった。 今から4年ほど前のことだ。

■わが師踏みてば
 犬養先生が訪れたのと同じ場所に、同じ季節に立とうと考えた。
 例えば大伴家持が万葉集最後の歌「新(あらた)しき年の始の初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)」を詠んだ因幡(鳥取県)の地。
 先生の本には本当に年明けの雪の日に因幡の国庁跡を訪ねた写真が載っている。 私も新年の初雪を狙った。だが、昔より暖冬になったためか、なかなかタイミングがつかめない。
 ようやく今年の2月の初雪にあわせ、現地を訪れた。
 ゆかりの宇倍神社を訪れると、宮司の金田さんが「犬養先生を知る人が訪ねてくれるなんて、うれしい」と歓迎してくれた。
 先生が写真を撮った場所を教えてもらった上に、「私の宝物です」と言って渡されたのは先生と宮司さんが収まった記念写真。
 先生と地元の人との今に続く心の交流を見た思いがした。

★暖冬の中、一瞬の降雪の機会を捉えて。
★宇倍神社の金田宮司さんのご好意で庭に入らせていただいた。


★今年2月の初雪。


■万葉今昔
 景色の変化は土地ごとに様々だ。
 移り変わりが激しいのは海、人麻呂が詠んだ三重県の手節の崎、笠金村が詠んだ兵庫県の松帆の浦など、砂浜は埋め立てられて護岸工事が施され、撮影位置を特定するのに随分と苦労した。

★答志島 答志の崎にて 神島・伊良湖岬を望む
★無残なり 浜辺


★現代の松帆の浦・・・手弱女の 思いたわみて


 反対にほとんど変わらない場所もある。
 中皇命(なかつすめらみこと)が「草深野」と詠んだ奈良県の宇智の大野では、先生の写真そのままに、ススキの茂み越しに見渡す山と雲が撮影できた。

★ススキ、山、雲、改心の作。


 奈良の都の旧一条大路もタクシーの運転手さんのおかげで撮影地点がわかり、若草山をはるかに望むのどかな風景が生きていることを知った。
 309ヶ所のうち八割がたは、なんとか昔の雰囲気が感じ取れる。

★一条に南北あり。地元の運転手さんに教えられて、撮影位置を確認。

<関連記事:先達はあらまほしきか>へ

■309ヶ所完全踏破
 今年8月、家持が詠んだ石川県の珠洲の海を訪れ、念願の完全踏破を果たした。 先生の本には波打ち際に建つ船や漁具をしまっておく細長い苫家が写っている。 そんな風景は望むべくもないとあきらめていたが、屋根がトタンに変わった程度で昔の風情が残っていた。
 時空を越えて、今年生誕100年を迎えた先生とともに静かな景色を味わっているような気分になった。

★309箇所目。これにて、完全踏破。
★まさか、残っているとは・・・・・。
★感激の撮影。

<関連記事:珠洲の海・・・わびしさ漂う>へ


■「犬養万葉今昔」公開
 今、私が撮った写真をインターネットのブログで順次公開している。
 題して「犬養万葉今昔」。
 一ヶ所ずつ現在の風景と『万葉の旅』掲載の写真を並べ、その地ゆかりの歌とその解釈も記している。
 私家版としての冊子は、先生を顕彰する犬養万葉記念館(奈良県明日香村)に寄贈した。
 このうえは、出版社のオファーがあり、スポンサーが見つかって本になれば・・・

■若い世代に犬養万葉を
 最近の心配事は犬養ファンの高齢化だ。
 これまでの経験を生かして万葉故地の今を訪ねるツアーでも企画してみようかと思っている。
 若い人に参加してもらい、犬養万葉の世界に親しむきっかけになれば、などと夢を膨らませている。

新聞掲載の記事の中で紹介された、今昔は以下の通りです。
ご鑑賞ください。

<日経掲載関連今昔>へ


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