犬養万葉今昔―犬養孝先生著「万葉の旅」を訪ねて

犬養孝先生名著「万葉の旅」記載の万葉故地309箇所を訪ね、先生が撮られれたのと同じ場所に立った写真撮影を目指す紀行。

■今昔287山陽

2009年07月03日 | 今昔(9)山陽(一) 山陽(二)

【平成21年6月24日 掲載】


山陽 それは 瀬戸の海 瀬戸内海
   それは 筑紫への 往路 帰路
海の景色 波の様 釣り人 藻刈る乙女

移りゆく情景に 人の思いが 重なる



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■今昔288兵庫

2009年07月03日 | 今昔(9)山陽(一) 山陽(二)
内海航路の出発点
難波を出た船は 明石大門を 通る
そこは はるかなる 筑紫へ向けて 大和との 別れの門
そこは はるかなる 筑紫から戻る 大和への 入口の門
通過する 旅人の 思いが 凝縮する




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■今昔289名次山・角の松原

2009年07月03日 | 今昔(9)山陽(一) 山陽(二)
猪名野 名次山 角の松原
万葉時代 荒涼たる原野の広がる中での 名所
旅愁に さいなまれながら 吾妹子に 見せてやりたいと
妹思いの 情が起こる 




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■今昔290をとめ塚・求女塚

2009年07月03日 | 今昔(9)山陽(一) 山陽(二)
高橋虫麻呂が 詠う 伝説歌謡

葦屋あしのやの うなひ処女をとめ八年児やとせごの 片生かたおひの時ゆ 小放髪をはなりに 髪たくまでに 
並びる 家にも見えず 虚木綿うつゆふの こもりてませば 
見てしかと 悒憤いぶせむ時の 垣ほなす 人のふ時

芦屋あしのやの うないの処女おとめ つの歳から 年頃までも 隣も見せへん 箱入り娘 
見たいもんやと 胸焼き焦がし 引きも切らない 求婚話》

血沼壮士ちぬをとこ うなひ壮士をとこの 盧屋ふせやく すすしきほひ あひ結婚よばひ しける時は 
やき太刀たちの 手柄たがみ押しねり 白檀弓しらまゆみ ゆぎ取りひて 
水に入り 火にも入らむと 立ち向ひ きほひし時に
 
血沼ちぬ壮士おとこと うなひの壮士おとこ 火花を散らす 嫁取りきそい 
かなた太刀げ こなた弓 水中みずなか 火の中 いといもしない》

吾妹子わぎもこが 母に語らく 倭文手纒しづたまき いやしきわがゆゑ 大夫ますらをの 争ふ見れば 
生けるとも 逢ふべくあれや ししくしろ 黄泉よみに待たむと 隠沼こもりぬの 下延したはへ置きて 
うち嘆き 妹がるぬれば

《優しい処女おとめは 胸痛め 私のことで 人が死ぬ 生きての結ばれ 考えず 
あの世で待つと 母に言い 本心告げず 旅に出る》

<続きは今昔291>




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■今昔291をとめ塚・求女塚

2009年07月03日 | 今昔(9)山陽(一) 山陽(二)
<今昔290の続き>

血沼壮士ちぬをとこ その夜いめに 見取りつつき 追ひ行きければ 後れたる 菟原壮士うはらをとこい 
天仰あめあふぎ 叫びおらぴ 足ずりし 牙喫きかたけびて 如己男もころをに 負けてはあらじと 
懸佩かけはきの 小剣をだち取りき ところづら め行きければ
 
《夢でこれ知る 血沼壮士ちぬおとこ 遅れてなるかと 死出の旅 後で気の付く 菟原の壮士うはら おとこ
 負けるものかと おっとり刀 あの世までもと 後を追う》

親族うからどち い行きつどひ 永き代に しるしにせむと 遠き代に 語り継がむと 
処女墓をとめづか 中に造り置き 壮士墓をとこづか 此方彼方こなたかなたに 造り置ける
 
《残る家族は 悲しみ集い 処女おとめのお墓を 真ん中に
 それを挟んで 壮士墓おとこづか 悲劇伝えに 造り置く》

故縁ゆゑよし聞きて 知られども 新喪にひもごとも 哭泣ねなきつるかも

いわれ聞き 見知りの人では 無いけれど 思わず知らず もらい泣き》
                    ―高橋虫麻呂歌集―(巻九・一八〇九)





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■今昔292須磨

2009年07月03日 | 今昔(9)山陽(一) 山陽(二)
須磨
源氏物語 光源氏が難を逃れるため 自ら身を引いた土地
源平合戦 一の谷 敦盛の悲劇の地
これらの時も 人里離れた地であった
万葉時代 漁・藻塩焼くのみの 荒涼たる浜の地 




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■今昔293明石大門

2009年07月03日 | 今昔(9)山陽(一) 山陽(二)
明石大門 明石海峡は 感慨の門だ

難波の津を 出で 筑紫に向かう船 
明石大門を 過ぎると 大和の島山は 雲の彼方に・・・
西から 戻る船 
大門の 向こうに なつかしい 大和島根を望む

決して 安全とは言えない 船旅
家人との 別れは 永遠のものと なるやも知れず
それゆえ 帰還の 喜びは この上ない




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■今昔294松帆の浦

2009年07月02日 | 今昔(9)山陽(一) 山陽(二)
淡路島 北端 
笠金村の 名寸隅(なきすみ)の船瀬からの 遠望歌

海女乙女の 玉藻刈る様を 詠い
松帆の浦の 好風を 思慕する思い

今は 大橋が ガバと被さり
さながら 
泣き隅の 大橋被る 淡路島・・・




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■今昔295野島の崎

2009年07月01日 | 今昔(9)山陽(一) 山陽(二)
淡路島の北端から 海沿いに 西に廻る
ここ 北淡町野島
阪神淡路大震災で 名前を馳せた 野島断層の地
潮流が 激しく 海岸線の 侵食は激しい

西から 吹きつける風も 激しいものが あったであろう

「妹が 結びし 紐吹き返す」
旅の無事を祈り 妹が結びし 紐
紐が 風に吹かれる度 妹が 思われる




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■今昔296飼飯の海

2009年06月30日 | 今昔(9)山陽(一) 山陽(二)
人麻呂 任地から 大和への帰路 の 作歌としたい

もうすぐ 大和だ 大和島山が 臨める

行く手に 見える 淡路の西岸 飼飯の海
穏やかに 凪いでいる 好漁を期待しての船が
バラバラッ と 漕ぎ出てきた

大和へと 心はやる気持ち と 凪の浜の 心躍る情景

■歌ごころ関西訳
  飼飯(けひ)海(うみ)は 凪(な)いだみたいや
       つり船が いっぱい出てきた こら大漁や




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■今昔297藤江の浦

2009年06月22日 | 今昔(9)山陽(一) 山陽(二)
屏風が浦 と呼ばれる 海蝕崖 の続く浜
今日の 藤江の浦の 姿だ
崖は 風雪による 崩れと
近年の 人為的住宅開発で その趣を 失くしつつある
往時は 想像に絶する 姿を呈していたに 違いない

■歌ごころ関西訳■
  藤江浜 鱸(すずき)釣ってる 漁師(りょうし)やと
          見られん違(ちゃ)うか わし旅やのに 




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■今昔298なきすみ

2009年06月21日 | 今昔(9)山陽(一) 山陽(二)
「今昔294松帆の浦」 掲載の 笠金村の長歌の反歌
聖武天皇 神亀三年(726)十月の 印南野行幸時の 作歌

人の生活 沿岸の風景 取り巻く風土は 変わっても
寄せる波は 変わらない
悠久の時を 思うとき 我々は 何を 感じるればいいのか
 



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■今昔299いなみの海

2009年06月20日 | 今昔(9)山陽(一) 山陽(二)
人麻呂 筑紫へ下る 海路での 作歌
船は 明石海峡を出 広々とした 「いなみの海」を 行く
大和島根は 波のかなたに 遠ざかる
遥かなる 鄙への旅路 広獏とした 不安が広がる・・・
≪歌ごころ関西訳≫
稲見(いなみ)海(うみ) 次から次と 来る波に 隠れてしもた 大和の山々(やま)は




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■今昔300印南都麻

2009年06月20日 | 今昔(9)山陽(一) 山陽(二)
印南都麻(いなみつま)
この地名に 「妻」を連想しての 歌
海路はるばる 新羅へ向かう 遣新羅使人の やるせない 旅情のうた

印南都麻(いなみつま)の 地名由来は
景行天皇が この地の 
印南別嬢(いなみのわきのいらつめ)を 妻問うたとき
いらつめが 逃げたことから 「否み妻」の伝説が 生まれたことによる




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■今昔301室の浦・鳴島

2009年06月19日 | 今昔(9)山陽(一) 山陽(二)
今は わびしい漁港にすぎないが往時の繁栄を 留めるかのような たたずまいの 家々がある屈曲した 狭隘な道 ノスタルジーを覚える 集落室の浦は 静かに 歴史の趣を 閉じ込めている ―――――――――――――――――――― 【新しい試みです】 「歌心関西訳」の作成過程をご覧ください。 これなら あなたも 訳せますよ。 <訳してみよう万葉集>へ 【万葉歌みじか物語】はこちら ■リンク先