犬養万葉今昔―犬養孝先生著「万葉の旅」を訪ねて

犬養孝先生名著「万葉の旅」記載の万葉故地309箇所を訪ね、先生が撮られれたのと同じ場所に立った写真撮影を目指す紀行。

●先達は あらまほしきか

2007年09月22日 | 紀行お知らせ
■平成19年9月22日

せんだつは あらまほしきか

奈良へ行ってきた
少し気に入らない写真
撮影ポイントのいまひとつすっきりしない写真
の再撮影
案内の運転手 吉田利明さん
法華寺町にお住まいで 興福院は子供のときからの庭
という御仁
「この写真は山の大きさからしてもっと遠くだ」
「川の広さからしてもっと下流だ」
そして この「奈良の大路」も
「一条大路に二つあり これは北の大路で平城宮跡の写真だ」
みごとな 指摘で 絶好の撮影ポイントが確保できた
ありがとうございました

<万葉の旅記載写真>

<本日の撮影写真>



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★にぎし川ー清き瀬 いまも

2007年09月20日 | 紀行アラカルト
仁岸川。
石川県門前町剱地(つるぎぢ)にある。
金沢から特急バスで2時間。
自宅からだと特急雷鳥で約6時間。
接続可能なバスは2便。
近くに万葉故地はなく、
これはもう泊まらざるを得ない。

妹に逢わず 久しくなりぬ にぎしかは
       清き瀬ごとに 水占(みずうら)はへてな

(家持は 単身赴任で越中に来ているため 妻を都に置いてきている)
<お前に逢わず久しいが にぎし川の水が清らかなので
 無事かどうか 水占いしてみよう>

今も 清い水の流れる川である。

護岸工事がなされて「きれいになりましたネ」
と川沿いの家のおばあさんに声をかけた。
「いいや 工事前は みんな川掃除をしたが
いまは 誰もしなくなって 草は茂る ごみは引っかかる
かえって 汚れてしまいました」

家持が見たのは もっともっと清い流れだったのだ。

河口にある歌碑。なんとなく趣がある。
 

<紀行今昔>にぎし川へ
<紀行今昔>福井・石川へ



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●万葉紀行の出品決定

2007年09月18日 | 紀行お知らせ
■平成19年9月18日

「万葉今昔」の出品決定!!

犬養先生生誕100年記念の
エコールドロイヤル特別公開講座「犬養万葉のこころ」
10月3日(水)13:30~15:30
リーガロイヤルホテル 桂の間

先生の「万葉の旅」記載の写真と私の写真を対比した
「万葉今昔」<全309点>が
”先生ゆかりの品”として 展示されることになりました。
エコードロイヤル館長の上南さんに感謝。
興味のある方、どうぞご参加ください。
犬養万葉のこころ<公開講座>



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★あぢま野ー引き裂かれた恋ゆえに

2007年09月16日 | 紀行アラカルト
中臣宅守(なかとみのやかもり)と 狭野茅上娘子(さののちがみのおとめご)。
天平10年ころ 政争に巻き込まれた宅守は あぢま野に配流。
都に残された娘子。
二人の間に交わされた恋慕の歌63首。

味真野苑に先生揮毫の歌碑がある。
二つの歌碑は せせらぎを挟んで少し離れて向き合っている。
仲を裂かれても 思いを交わしあっている 風情(ふぜい)だ。


君がゆく 道の長手を 繰り畳ね 焼き滅ぼさむ 天の火もがも(娘子)
<あなたの流されて行く長い道を手繰り寄せて焼いてしまいたい!天の火が欲しい!>



塵泥(ちりひぢ)の 数にもあらぬ 吾ゆえに 思いわぶらむ 妹がかなしき(宅守)
<塵や泥のような私なのに心配してくれるあなたがいる 泣けてくるなぁ>

<紀行今昔>あぢま野へ
<紀行今昔>福井・石川へ



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