【掲載日:平成26年1月1日】
本年3月を目途に「源氏物語」の本を刊行します。
全15巻を予定しています。
目指す現代訳は
①できる限り原文の流れを踏まえ
②古語辞典的な訳でなく
③スムースなストーリ展開で内容が成程と腑に落ちる
ものです。
題して
古語紛い・腑に落ち・まんま訳「七五調源氏物語」
刊行に先立ち
別ブログで 一話ずつ掲載して 少しづつ紹介しています。
こちらを ご覧下さい。
【七五調 源氏物語】へ

NHK教育TVで「日めくり万葉集」第2弾が始まりました。
平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月十二日】放映分
天地の いづれの神を 祈らばか 愛し母に また言問はむ
《天地の どの神さんを 拝んだら 愛しい母に また逢えるんか》
―大伴部麻与佐―(巻二十・四三九二)
【万葉歌みじかものがたり】《母とふ花の》
子供皆々 乳離れできぬ
まして別れた 旅寝の空は
思い途切れず 母親思う
恋し恋しい 恋しでお母ぁ
畳薦 牟良自が磯の 離磯の 母を離れて 行くが悲しさ
《牟良自磯 岸を離れた 沖の磯 お母ぁ離れて 行くのん辛い》
―生部道麻呂―(巻二十・四三三八)
たらちねの 母を別れて まこと我れ 旅の仮廬に 安く寝むかも
《なぁお母 お母と別れて わし一人 旅空宿り まんじり出来ん》
―日下部三中―(巻二十・四三四八)
母刀自も 玉にもがもや 戴きて 角髪の中に あへ巻かまくも
《おっ母さん 玉やったらな 捧げ持ち 角髪の中に 巻き込めるのに》
―津守小黒栖―(巻二十・四三七七)
時々の 花は咲けども 何すれぞ 母とふ花の 咲き出来ずけむ
《時期時期に 花咲くのんに なんでまた お母ぁいう名の 花咲かんのや》
―丈部真麻呂―(巻二十・四三二三)
我が母の 袖もち撫でて 我が故に 泣きし心を 忘らえぬかも
《おっ母ぁが 袖で頭を 撫でてくれ 泣いてくれたん 忘れられんわ》
―物部乎刀良―(巻二十・四三五六)
我が門の 五本柳 何時も何時も 母が恋すす 業ましつしも
《この今も わし気に懸けて おっ母ぁが 畑で仕事 しとるんやろか》
―矢作部真長―(巻二十・四三八六)
真木柱 ほめて造れる 殿のごと いませ母刀自 面変りせず
《立派柱 設え建てた 屋敷みたい 母よ達者で 窶れなさんと》
―坂田部首麻呂―(巻二十・四三四二)
天地の いづれの神を 祈らばか 愛し母に また言問はむ
《天地の どの神さんを 拝んだら 愛しい母に また逢えるんか》
―大伴部麻与佐―(巻二十・四三九二)
母の無い子は 父親思う
まして老いたる 父親ならば
橘の 美袁利の里に 父を置きて 道の長道は 行きかてぬかも
《橘の 美袁利の里に 父置いて 行くん辛いで 道長々と》
―丈部足麻呂―(巻二十・四三四一)
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先


平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月十二日】放映分
天地の いづれの神を 祈らばか 愛し母に また言問はむ
《天地の どの神さんを 拝んだら 愛しい母に また逢えるんか》
―大伴部麻与佐―(巻二十・四三九二)
【万葉歌みじかものがたり】《母とふ花の》
子供皆々 乳離れできぬ
まして別れた 旅寝の空は
思い途切れず 母親思う
恋し恋しい 恋しでお母ぁ
畳薦 牟良自が磯の 離磯の 母を離れて 行くが悲しさ
《牟良自磯 岸を離れた 沖の磯 お母ぁ離れて 行くのん辛い》
―生部道麻呂―(巻二十・四三三八)
たらちねの 母を別れて まこと我れ 旅の仮廬に 安く寝むかも
《なぁお母 お母と別れて わし一人 旅空宿り まんじり出来ん》
―日下部三中―(巻二十・四三四八)
母刀自も 玉にもがもや 戴きて 角髪の中に あへ巻かまくも
《おっ母さん 玉やったらな 捧げ持ち 角髪の中に 巻き込めるのに》
―津守小黒栖―(巻二十・四三七七)
時々の 花は咲けども 何すれぞ 母とふ花の 咲き出来ずけむ
《時期時期に 花咲くのんに なんでまた お母ぁいう名の 花咲かんのや》
―丈部真麻呂―(巻二十・四三二三)
我が母の 袖もち撫でて 我が故に 泣きし心を 忘らえぬかも
《おっ母ぁが 袖で頭を 撫でてくれ 泣いてくれたん 忘れられんわ》
―物部乎刀良―(巻二十・四三五六)
我が門の 五本柳 何時も何時も 母が恋すす 業ましつしも
《この今も わし気に懸けて おっ母ぁが 畑で仕事 しとるんやろか》
―矢作部真長―(巻二十・四三八六)
真木柱 ほめて造れる 殿のごと いませ母刀自 面変りせず
《立派柱 設え建てた 屋敷みたい 母よ達者で 窶れなさんと》
―坂田部首麻呂―(巻二十・四三四二)
天地の いづれの神を 祈らばか 愛し母に また言問はむ
《天地の どの神さんを 拝んだら 愛しい母に また逢えるんか》
―大伴部麻与佐―(巻二十・四三九二)
母の無い子は 父親思う
まして老いたる 父親ならば
橘の 美袁利の里に 父を置きて 道の長道は 行きかてぬかも
《橘の 美袁利の里に 父置いて 行くん辛いで 道長々と》
―丈部足麻呂―(巻二十・四三四一)
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先






NHK教育TVで「日めくり万葉集」第2弾が始まりました。
平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月十二日】放映分
世の中は 空しきものと 知る時しいよよますます 悲しかりけり
《人の世は 空っぽなんや 知らされた 思うてたより ずっと悲しで》
―大伴旅人―(巻五・七九三)
【万葉歌みじかものがたり】《空しきものと》
日は とっぷりと暮れていた
旅人館の門を潜る人がいる
筑前国府からはそう遠くない
遅すぎた弔問だ
悲しみに打ちひしがれる旅人
その額に 縦皺が寄る
(喰えん男が 今頃に・・・)
大君の 遠の朝廷と しらぬひ 筑紫の国に 泣く子なす 慕ひ来まして 息だにも いまだ休めず 年月も いまだあらねば 心ゆも 思はぬ間に うち摩き 臥しぬれ
《都離れて遠い 筑紫へと 子供みたいに 付いて来て 一息吐く間 無いままで そんな月日も 経たんのに 思いも寄らん ことなった》
言はむ術 為む術知らに 石木をも 問ひ放け知らず 家ならば 形はあらむを うらめしき 妹の命の 我れをばも 如何にせよとか 鳰鳥の 二人並び居 語らひし 心背きて 家離りいます
《どしたら良えか 分からへん 応答えよらへん 石や木も 奈良に居ったら こんなこと ならんかったに なぁお前 どない為言んや このわしに 二人仲良う 暮らそやと 言うてたお前 もう居らん》
―山上憶良―(巻五・七九四)
家に行きて 如何にか我がせむ 枕づく 妻屋さぶしく 思ほゆべしも
《家帰り どしたら良んや このわしは 寝床見たかて 寂しいだけや》
愛しきよし かくのみからに 慕ひ来し 妹が心の 術もすべなさ
《可愛らしに あんな屡々 甘え来た そんな気持に 応えられんで》
悔しかも かく知らませば青丹よし 国内ことごと 見せましものを
《悔しいな こんなことなら 眺め良え 筑紫国中 見せたったのに》
妹が見し 楝の花は 散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干なくに
《栴檀の 花散りそうや 思い出の 縁無うなる 癒えもせんのに》
大野山 霧立ち渡る 我が嘆く 息嘯の風に 霧立ちわたる
《大野山 霧立ってるで わし嘆く 溜息溜まり 霧なったんや》
―山上憶良―(巻五・七九五~七九九)
(形の弔問多い中
わしと心を同じうすべくの歌作りを・・・)
「憶良殿・・・」
差し出す手に 旅人の歌
世の中は 空しきものと 知る時しいよよますます 悲しかりけり
《人の世は 空っぽなんや 知らされた 思うてたより ずっと悲しで》
―大伴旅人―(巻五・七九三)
無言で 頷く 憶良
老境の二人の眼に 乾ききらぬ涙が
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先


平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月十二日】放映分
世の中は 空しきものと 知る時しいよよますます 悲しかりけり
《人の世は 空っぽなんや 知らされた 思うてたより ずっと悲しで》
―大伴旅人―(巻五・七九三)
【万葉歌みじかものがたり】《空しきものと》
日は とっぷりと暮れていた
旅人館の門を潜る人がいる
筑前国府からはそう遠くない
遅すぎた弔問だ
悲しみに打ちひしがれる旅人
その額に 縦皺が寄る
(喰えん男が 今頃に・・・)
大君の 遠の朝廷と しらぬひ 筑紫の国に 泣く子なす 慕ひ来まして 息だにも いまだ休めず 年月も いまだあらねば 心ゆも 思はぬ間に うち摩き 臥しぬれ
《都離れて遠い 筑紫へと 子供みたいに 付いて来て 一息吐く間 無いままで そんな月日も 経たんのに 思いも寄らん ことなった》
言はむ術 為む術知らに 石木をも 問ひ放け知らず 家ならば 形はあらむを うらめしき 妹の命の 我れをばも 如何にせよとか 鳰鳥の 二人並び居 語らひし 心背きて 家離りいます
《どしたら良えか 分からへん 応答えよらへん 石や木も 奈良に居ったら こんなこと ならんかったに なぁお前 どない為言んや このわしに 二人仲良う 暮らそやと 言うてたお前 もう居らん》
―山上憶良―(巻五・七九四)
家に行きて 如何にか我がせむ 枕づく 妻屋さぶしく 思ほゆべしも
《家帰り どしたら良んや このわしは 寝床見たかて 寂しいだけや》
愛しきよし かくのみからに 慕ひ来し 妹が心の 術もすべなさ
《可愛らしに あんな屡々 甘え来た そんな気持に 応えられんで》
悔しかも かく知らませば青丹よし 国内ことごと 見せましものを
《悔しいな こんなことなら 眺め良え 筑紫国中 見せたったのに》
妹が見し 楝の花は 散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干なくに
《栴檀の 花散りそうや 思い出の 縁無うなる 癒えもせんのに》
大野山 霧立ち渡る 我が嘆く 息嘯の風に 霧立ちわたる
《大野山 霧立ってるで わし嘆く 溜息溜まり 霧なったんや》
―山上憶良―(巻五・七九五~七九九)
(形の弔問多い中
わしと心を同じうすべくの歌作りを・・・)
「憶良殿・・・」
差し出す手に 旅人の歌
世の中は 空しきものと 知る時しいよよますます 悲しかりけり
《人の世は 空っぽなんや 知らされた 思うてたより ずっと悲しで》
―大伴旅人―(巻五・七九三)
無言で 頷く 憶良
老境の二人の眼に 乾ききらぬ涙が
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先






NHK教育TVで「日めくり万葉集」第2弾が始まりました。
平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月十二日】放映分
大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 廬らせるかも
《天皇は 神さんやから 雲の上 雷丘に 住もうてなさる》
―柿本人麻呂―(巻三・二三五)
【万葉歌みじかものがたり】《川淀さらず》
赤人は 明日香の地に居た
歌の祭神が 呼んだに違いない
ここは 柿本人麻呂 その人の行住坐臥の地
三諸の 神奈備山に 五百枝さし 繁に生ひたる 栂の木の いや継ぎ継ぎに 玉葛 絶ゆることなく ありつつも 止まず通はむ 明日香の 旧き都は 山高み 川雄大し
《神奈備山に 生えとおる 枝次々と 生やす栂 青々繁り 絶えん蔦 継続き絶えんと 通いたい 旧い都の 明日香宮 山は高こうて 川広い》
春の日は 山し見がほし 秋の夜は 川し清けし 朝雲に 鶴は乱れ 夕霧に 蛙は騒く 見るごとに 哭のみし泣かゆ 古思へば
《春の日ぃには 山見たい 秋の夜には 川清い 朝出る雲に 鶴飛んで 夕霧立つと 河鹿鳴く こんな眺めを 見る度 頻りと泣けて 仕様がない 昔栄えた この都》
―山部赤人―(巻三・三二四)
明日香川 川淀さらず 立つ霧の 思ひ過ぐべき 恋にあらなくに
《消え果てん 明日香の川の 霧みたい 忘れるもんか 恋しの旧宮》
―山部赤人―(巻三・三二五)
(古い都は好い 山に 川に 歌が宿って居る)
(あれに見えるは 雷丘
人麻呂様の歌 思い出される)
大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 廬らせるかも
《天皇は 神さんやから 雲の上 雷丘に 住もうてなさる》
―柿本人麻呂―(巻三・二三五)
(おお ここは 藤原不比等様の 屋敷跡
その昔 お世話になったこともあった
全ては 古に なって仕舞うのか)
古の 古き堤は 年深み 池の渚に 水草生ひにけり
《昔見た 古い堤は 年経たな 池に水草 生えて仕舞てる》
―山部赤人―(巻三・三七八)
赤人は 人麻呂に報告する
(歌跡を辿り来ました
ここ 明日香が あなた様の 心の在り所
人移り 世移り あなた様と同じには詠えません
でも 私なりの 景の歌
景に 胸の内を秘め 詠えるようになりました
人麻呂様の 足許 少しく 寄れた心地が致します)
歌は 誰に詠うでなく 己の心に詠う
そのことを知った 赤人であった
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先


平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月十二日】放映分
大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 廬らせるかも
《天皇は 神さんやから 雲の上 雷丘に 住もうてなさる》
―柿本人麻呂―(巻三・二三五)
【万葉歌みじかものがたり】《川淀さらず》
赤人は 明日香の地に居た
歌の祭神が 呼んだに違いない
ここは 柿本人麻呂 その人の行住坐臥の地
三諸の 神奈備山に 五百枝さし 繁に生ひたる 栂の木の いや継ぎ継ぎに 玉葛 絶ゆることなく ありつつも 止まず通はむ 明日香の 旧き都は 山高み 川雄大し
《神奈備山に 生えとおる 枝次々と 生やす栂 青々繁り 絶えん蔦 継続き絶えんと 通いたい 旧い都の 明日香宮 山は高こうて 川広い》
春の日は 山し見がほし 秋の夜は 川し清けし 朝雲に 鶴は乱れ 夕霧に 蛙は騒く 見るごとに 哭のみし泣かゆ 古思へば
《春の日ぃには 山見たい 秋の夜には 川清い 朝出る雲に 鶴飛んで 夕霧立つと 河鹿鳴く こんな眺めを 見る度 頻りと泣けて 仕様がない 昔栄えた この都》
―山部赤人―(巻三・三二四)
明日香川 川淀さらず 立つ霧の 思ひ過ぐべき 恋にあらなくに
《消え果てん 明日香の川の 霧みたい 忘れるもんか 恋しの旧宮》
―山部赤人―(巻三・三二五)
(古い都は好い 山に 川に 歌が宿って居る)
(あれに見えるは 雷丘
人麻呂様の歌 思い出される)
大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 廬らせるかも
《天皇は 神さんやから 雲の上 雷丘に 住もうてなさる》
―柿本人麻呂―(巻三・二三五)
(おお ここは 藤原不比等様の 屋敷跡
その昔 お世話になったこともあった
全ては 古に なって仕舞うのか)
古の 古き堤は 年深み 池の渚に 水草生ひにけり
《昔見た 古い堤は 年経たな 池に水草 生えて仕舞てる》
―山部赤人―(巻三・三七八)
赤人は 人麻呂に報告する
(歌跡を辿り来ました
ここ 明日香が あなた様の 心の在り所
人移り 世移り あなた様と同じには詠えません
でも 私なりの 景の歌
景に 胸の内を秘め 詠えるようになりました
人麻呂様の 足許 少しく 寄れた心地が致します)
歌は 誰に詠うでなく 己の心に詠う
そのことを知った 赤人であった
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先






NHK教育TVで「日めくり万葉集」第2弾が始まりました。
平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月十二日】放映分
うらさぶる 心さまねし ひさかたの 天の時雨の 流らふ見れば
《空覆い 時雨続いて 流れ降る 見たら侘びしさ 胸広がるで》
―長田王―(巻一・八二)
【万葉歌みじかものがたり】《御井を見がてり》
恋に現を 抜かしていたり
花に雪にと 浮かれていても
役目果たさで 仕えは出来ぬ
命が下れば 身は西東
任を賜り 行く旅空は
苦労難儀の 道連れ覚悟
如何な艱難 あったや知れず
そこは宮人 憂いは見せぬ
【和銅五年(712)長田王伊勢斎宮派遣】
山辺の 御井を見がてり 神風の 伊勢娘子ども 相見つるかも
《念願の 聖水を見に来て その上に 伊勢の聖女に 逢えもしたがな》
―長田王―(巻一・八一)
うらさぶる 心さまねし ひさかたの 天の時雨の 流らふ見れば
《空覆い 時雨続いて 流れ降る 見たら侘びしさ 胸広がるで》
―長田王―(巻一・八二)
海の底 沖つ白波 竜田山 何時か越えなむ 妹があたり見む
《山向こう あの児居る里 竜田山 越えて逢い行く その内きっと》
―長田王―(巻一・八三)
(海の底沖つ白波→立つ→竜田山)
【筑紫肥後水島・長田王官命にて下る】
聞きし如 まこと貴く 奇しくも 神さび居るか これの水島
《聞いたまま ほんま貴て 神秘やで 神さん居るで この水島は》
―長田王―(巻三・二四五)
葦北の 野坂の浦ゆ 船出して 水島に行かむ 波立つなゆめ
《野坂浦 船漕ぎ出して 水島に 行こ思うんや 波立たんとき》
―長田王―(巻三・二四六)
沖つ波 辺波立つとも 我が背子が 御船の泊り 波立ためやも
《沖や岸 波立ったかて 長田王さん 船泊めはるに 波立つもんか》
―石川大夫―(巻三・二四七)
隼人の 薩摩の瀬戸を 雲居なす 遠くも我れは 今日見つるかも
《薩摩瀬戸 今日わし見たで 遥々と 雲の彼方の ここ辿り来て》
―長田王―(巻三・二四八)
【天武皇子長皇子の子長田王とは別人らしい】
景行天皇 巡行砌
葦北小島 泊まりし折りに
供御賜るに 飲み水所望
聞いた小左 探すが有らず
天神仰ぎ 地祇祈らせば
不思議や崖に 湧き水出ずる
依ってこの島 「水島」名付く
(日本書紀 景行天皇十八年の条)
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先


平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月十二日】放映分
うらさぶる 心さまねし ひさかたの 天の時雨の 流らふ見れば
《空覆い 時雨続いて 流れ降る 見たら侘びしさ 胸広がるで》
―長田王―(巻一・八二)
【万葉歌みじかものがたり】《御井を見がてり》
恋に現を 抜かしていたり
花に雪にと 浮かれていても
役目果たさで 仕えは出来ぬ
命が下れば 身は西東
任を賜り 行く旅空は
苦労難儀の 道連れ覚悟
如何な艱難 あったや知れず
そこは宮人 憂いは見せぬ
【和銅五年(712)長田王伊勢斎宮派遣】
山辺の 御井を見がてり 神風の 伊勢娘子ども 相見つるかも
《念願の 聖水を見に来て その上に 伊勢の聖女に 逢えもしたがな》
―長田王―(巻一・八一)
うらさぶる 心さまねし ひさかたの 天の時雨の 流らふ見れば
《空覆い 時雨続いて 流れ降る 見たら侘びしさ 胸広がるで》
―長田王―(巻一・八二)
海の底 沖つ白波 竜田山 何時か越えなむ 妹があたり見む
《山向こう あの児居る里 竜田山 越えて逢い行く その内きっと》
―長田王―(巻一・八三)
(海の底沖つ白波→立つ→竜田山)
【筑紫肥後水島・長田王官命にて下る】
聞きし如 まこと貴く 奇しくも 神さび居るか これの水島
《聞いたまま ほんま貴て 神秘やで 神さん居るで この水島は》
―長田王―(巻三・二四五)
葦北の 野坂の浦ゆ 船出して 水島に行かむ 波立つなゆめ
《野坂浦 船漕ぎ出して 水島に 行こ思うんや 波立たんとき》
―長田王―(巻三・二四六)
沖つ波 辺波立つとも 我が背子が 御船の泊り 波立ためやも
《沖や岸 波立ったかて 長田王さん 船泊めはるに 波立つもんか》
―石川大夫―(巻三・二四七)
隼人の 薩摩の瀬戸を 雲居なす 遠くも我れは 今日見つるかも
《薩摩瀬戸 今日わし見たで 遥々と 雲の彼方の ここ辿り来て》
―長田王―(巻三・二四八)
【天武皇子長皇子の子長田王とは別人らしい】
景行天皇 巡行砌
葦北小島 泊まりし折りに
供御賜るに 飲み水所望
聞いた小左 探すが有らず
天神仰ぎ 地祇祈らせば
不思議や崖に 湧き水出ずる
依ってこの島 「水島」名付く
(日本書紀 景行天皇十八年の条)
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先






NHK教育TVで「日めくり万葉集」第2弾が始まりました。
平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月十六日】放映分
ひさかたの 天の原より 生れ来たる 神の命 奥山の 賢木の枝に 白香付け 木綿取り付けて 斎瓮を 斎ひ掘り据ゑ 竹玉を 繁に貫き垂れ 猪鹿じもの 膝折り伏して 手弱女の 襲衣取り懸け
《雲分けて 遥かな天の 高みから 下りこられた 神さんに 山から採った 榊枝 白髪と木綿と 取り付けて 御神酒の壷を 掘って据え 竹玉多数 つり下げて 獣みたいに ひれ伏して か弱い女 祈布掛けて》
かくだにも 我れは祈ひなむ 君に逢はじかも
《こんな懸命 祈るんや どうかあの人 逢わして欲しと》
―大伴坂上郎女―(巻三・三七九)
【万葉歌みじかものがたり】《平城の明日香を》
(空気が違うわ
飛鳥のは 澄んではいるが 重苦しい
平城の明日香は 華やぎの香り
私は やはりここが好い)
故郷の 飛鳥はあれど 青丹よし 平城の明日香を 見らくし好しも
《故郷の 飛鳥良えけど ここ平城の 明日香見てるん うちには好えな》
―大伴坂上郎女―(巻六・九九二)
世の常に 聞けば苦しき 呼子鳥 声なつかしき 時にはなりぬ
《平時なら 聞く気せえへん 郭公鳥 気持ち良聞ける 季節になったで》
―大伴坂上郎女―(巻八・一四四七)
平城風に染まる 心に
恋の奴が 戯れかかる
心ぐき ものにぞありける 春霞 たなびく時に 恋の繁きは
《恋心 募ってるとき 春霞 ぼんやり懸かり うち鬱としわ》
―大伴坂上郎女―(巻八・一四五〇)
暇無み 来ざりし君に 霍公鳥 我れかく恋ふと 行きて告げこそ
《暇無いて 言て来ん人に ほととぎす 恋しがってる 言い行て来てや》
―大伴坂上郎女―(巻八・一四九八)
五月の 花橘を 君がため 玉にこそ貫け 散らまく惜しみ
《散らすんが 惜して橘 花繋ぎ 薬玉にしてんや あんたを思て》
―大伴坂上郎女―(巻八・一五〇二)
夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものぞ
《知られんで 独り思てる 恋苦し 夏の繁みで 咲く百合みたい》
―大伴坂上郎女―(巻八・一五〇〇)
ひさかたの 天の原より 生れ来たる 神の命 奥山の 賢木の枝に 白香付け 木綿取り付けて 斎瓮を 斎ひ掘り据ゑ 竹玉を 繁に貫き垂れ 猪鹿じもの 膝折り伏して 手弱女の 襲衣取り懸け
《雲分けて 遥かな天の 高みから 下りこられた 神さんに 山から採った 榊枝 白髪と木綿と 取り付けて 御神酒の壷を 掘って据え 竹玉多数 つり下げて 獣みたいに ひれ伏して か弱い女 祈布掛けて》
かくだにも 我れは祈ひなむ 君に逢はじかも
《こんな懸命 祈るんや どうかあの人 逢わして欲しと》
―大伴坂上郎女―(巻三・三七九)
木綿畳 手に取り持ちて かくだにも 我れは祈ひなむ 君に逢はじかも
《木綿布を 手にし願うよ 一生懸命 どうかあの人 逢わせて欲しと》
―大伴坂上郎女―(巻三・三八〇)
男運の悪い郎女
旅人も亡くし
寄る辺ない心の 置き所を求め続ける
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先


平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月十六日】放映分
ひさかたの 天の原より 生れ来たる 神の命 奥山の 賢木の枝に 白香付け 木綿取り付けて 斎瓮を 斎ひ掘り据ゑ 竹玉を 繁に貫き垂れ 猪鹿じもの 膝折り伏して 手弱女の 襲衣取り懸け
《雲分けて 遥かな天の 高みから 下りこられた 神さんに 山から採った 榊枝 白髪と木綿と 取り付けて 御神酒の壷を 掘って据え 竹玉多数 つり下げて 獣みたいに ひれ伏して か弱い女 祈布掛けて》
かくだにも 我れは祈ひなむ 君に逢はじかも
《こんな懸命 祈るんや どうかあの人 逢わして欲しと》
―大伴坂上郎女―(巻三・三七九)
【万葉歌みじかものがたり】《平城の明日香を》
(空気が違うわ
飛鳥のは 澄んではいるが 重苦しい
平城の明日香は 華やぎの香り
私は やはりここが好い)
故郷の 飛鳥はあれど 青丹よし 平城の明日香を 見らくし好しも
《故郷の 飛鳥良えけど ここ平城の 明日香見てるん うちには好えな》
―大伴坂上郎女―(巻六・九九二)
世の常に 聞けば苦しき 呼子鳥 声なつかしき 時にはなりぬ
《平時なら 聞く気せえへん 郭公鳥 気持ち良聞ける 季節になったで》
―大伴坂上郎女―(巻八・一四四七)
平城風に染まる 心に
恋の奴が 戯れかかる
心ぐき ものにぞありける 春霞 たなびく時に 恋の繁きは
《恋心 募ってるとき 春霞 ぼんやり懸かり うち鬱としわ》
―大伴坂上郎女―(巻八・一四五〇)
暇無み 来ざりし君に 霍公鳥 我れかく恋ふと 行きて告げこそ
《暇無いて 言て来ん人に ほととぎす 恋しがってる 言い行て来てや》
―大伴坂上郎女―(巻八・一四九八)
五月の 花橘を 君がため 玉にこそ貫け 散らまく惜しみ
《散らすんが 惜して橘 花繋ぎ 薬玉にしてんや あんたを思て》
―大伴坂上郎女―(巻八・一五〇二)
夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものぞ
《知られんで 独り思てる 恋苦し 夏の繁みで 咲く百合みたい》
―大伴坂上郎女―(巻八・一五〇〇)
ひさかたの 天の原より 生れ来たる 神の命 奥山の 賢木の枝に 白香付け 木綿取り付けて 斎瓮を 斎ひ掘り据ゑ 竹玉を 繁に貫き垂れ 猪鹿じもの 膝折り伏して 手弱女の 襲衣取り懸け
《雲分けて 遥かな天の 高みから 下りこられた 神さんに 山から採った 榊枝 白髪と木綿と 取り付けて 御神酒の壷を 掘って据え 竹玉多数 つり下げて 獣みたいに ひれ伏して か弱い女 祈布掛けて》
かくだにも 我れは祈ひなむ 君に逢はじかも
《こんな懸命 祈るんや どうかあの人 逢わして欲しと》
―大伴坂上郎女―(巻三・三七九)
木綿畳 手に取り持ちて かくだにも 我れは祈ひなむ 君に逢はじかも
《木綿布を 手にし願うよ 一生懸命 どうかあの人 逢わせて欲しと》
―大伴坂上郎女―(巻三・三八〇)
男運の悪い郎女
旅人も亡くし
寄る辺ない心の 置き所を求め続ける
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先






NHK教育TVで「日めくり万葉集」第2弾が始まりました。
平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月十五日】放映分
出でて行きし 日を数へつつ 今日今日と 我を待たすらむ 父母らはも
《出てからも 今か今かと 指折って 待ってるやろな お父とお母》
―山上憶良―(巻五・八九〇)
【万葉歌みじかものがたり】《都を見むと》
肥後国益城郡の国司の使い
筑前国府へ突然の訪い
相撲使いとして 都上りの途上
若い従者 大伴君熊凝急死
親元への 急ぎ使いに 馬をとの要請
一部始終を聞き 熊凝の心を 思い遣る 憶良
うち日さす 宮へ上ると 垂乳しや 母が手離れ 常知らぬ 国の奥処を 百重山 越えて過ぎ行き 何時しかも 都を見むと 思ひつつ 語らひ居れど
《花の都へ 行くんやと 恋しお母んと 別れ来て 知らへん国の 奥深う 山を多数も 越えて来て その内都 見られると 言うて皆と 来たけども》
己が身し 労しければ 玉桙の 道の隈廻に 草手折り 柴取り敷きて 床じもの うち臥い伏して 思ひつつ 嘆き伏せらく
《折り悪る病気 なって仕舞て 道端傍で 草や柴 敷いて作った 仮の床 倒れ伏し寝て あぁあ言て 横なったまま 思うんは》
国に在らば 父取り見まし 家に在らば 母取り見まし 世間は かくのみならし 犬じもの 道に臥してや 命過ぎなむ
《故郷に居ったら お父っあん 家居ったなら おっ母さん 枕そば来て 看取るのに 儘にならんと 道の傍 ここで死ぬんか 犬みたい》
―山上憶良―(巻五・八八六)
たらちしの 母が目見ずて 欝しく 何方向きてか 我が別るらむ
《母ちゃんに 会わんと逝くか 鬱々と 何処どないして 行ったら良んや》
常知らぬ 道の長手を くれくれと 如何にか行かむ 糧は無しに
《行ったこと 無い道続く あの世旅 食糧も持たんと どないに行くか》
家に在りて 母が取り見ば 慰むる 心はあらまし 死なば死ぬとも
《家居って お母ん看取って くれるなら 例え死んでも 悔まへんのに》
出でて行きし 日を数へつつ 今日今日と 我を待たすらむ 父母らはも
《出てからも 今か今かと 指折って 待ってるやろな お父とお母》
一世には 二遍見えぬ 父母を 置きてや長く 我が別れなむ
《この世では もう会われへん 父と母 残して逝くか あの世へひとり》
―山上憶良―(巻五・八八七~八九一)
子煩悩憶良に 他人の身とも思えぬ 痛みが走る
―――――――――――――――
【大伴君熊凝の歌二首】
国遠き 道の長手をおほほしく 今日や過ぎなむ 言問もなく
《故郷遠に 来た道中で 心細に 今日死ぬのんか 親声聞かんまま》
―麻田陽春―(巻五・八八四)
朝露の 消やすき我が身 他国に 過ぎかてぬかも 親の目を欲り
《朝露みたい 消えて仕舞うんか 旅空で 死ぬに死ねんが 親逢いとうて》
―麻田陽春―(巻五・八八五)
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先


平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月十五日】放映分
出でて行きし 日を数へつつ 今日今日と 我を待たすらむ 父母らはも
《出てからも 今か今かと 指折って 待ってるやろな お父とお母》
―山上憶良―(巻五・八九〇)
【万葉歌みじかものがたり】《都を見むと》
肥後国益城郡の国司の使い
筑前国府へ突然の訪い
相撲使いとして 都上りの途上
若い従者 大伴君熊凝急死
親元への 急ぎ使いに 馬をとの要請
一部始終を聞き 熊凝の心を 思い遣る 憶良
うち日さす 宮へ上ると 垂乳しや 母が手離れ 常知らぬ 国の奥処を 百重山 越えて過ぎ行き 何時しかも 都を見むと 思ひつつ 語らひ居れど
《花の都へ 行くんやと 恋しお母んと 別れ来て 知らへん国の 奥深う 山を多数も 越えて来て その内都 見られると 言うて皆と 来たけども》
己が身し 労しければ 玉桙の 道の隈廻に 草手折り 柴取り敷きて 床じもの うち臥い伏して 思ひつつ 嘆き伏せらく
《折り悪る病気 なって仕舞て 道端傍で 草や柴 敷いて作った 仮の床 倒れ伏し寝て あぁあ言て 横なったまま 思うんは》
国に在らば 父取り見まし 家に在らば 母取り見まし 世間は かくのみならし 犬じもの 道に臥してや 命過ぎなむ
《故郷に居ったら お父っあん 家居ったなら おっ母さん 枕そば来て 看取るのに 儘にならんと 道の傍 ここで死ぬんか 犬みたい》
―山上憶良―(巻五・八八六)
たらちしの 母が目見ずて 欝しく 何方向きてか 我が別るらむ
《母ちゃんに 会わんと逝くか 鬱々と 何処どないして 行ったら良んや》
常知らぬ 道の長手を くれくれと 如何にか行かむ 糧は無しに
《行ったこと 無い道続く あの世旅 食糧も持たんと どないに行くか》
家に在りて 母が取り見ば 慰むる 心はあらまし 死なば死ぬとも
《家居って お母ん看取って くれるなら 例え死んでも 悔まへんのに》
出でて行きし 日を数へつつ 今日今日と 我を待たすらむ 父母らはも
《出てからも 今か今かと 指折って 待ってるやろな お父とお母》
一世には 二遍見えぬ 父母を 置きてや長く 我が別れなむ
《この世では もう会われへん 父と母 残して逝くか あの世へひとり》
―山上憶良―(巻五・八八七~八九一)
子煩悩憶良に 他人の身とも思えぬ 痛みが走る
―――――――――――――――
【大伴君熊凝の歌二首】
国遠き 道の長手をおほほしく 今日や過ぎなむ 言問もなく
《故郷遠に 来た道中で 心細に 今日死ぬのんか 親声聞かんまま》
―麻田陽春―(巻五・八八四)
朝露の 消やすき我が身 他国に 過ぎかてぬかも 親の目を欲り
《朝露みたい 消えて仕舞うんか 旅空で 死ぬに死ねんが 親逢いとうて》
―麻田陽春―(巻五・八八五)
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先






NHK教育TVで「日めくり万葉集」第2弾が始まりました。
平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月十四日】放映分
我がやどの い笹群竹 吹く風の 音のかそけき この夕かも
《庭の小藪 風音も無う 吹き抜ける この夕暮れの 寂しさ何や》
―大伴家持―(巻十九・四二九一)
【万葉歌みじかものがたり】《心悲しも》
芽時 花時
暖かさ増す 風は
人の心を 浮き立たせる
しかし また
淀む霞は 気だるさ呼び
物思い 深める
(雪の内裏
あの快活歌は キリとした 寒さ故か
越の春
身引き締まる寒さ 宿していた
都の春
この 物憂さ
昔も こうであったろうか)
付き合い強くなったと 思う家持
我慢 虚勢の歌詠みが
知らずと 心蝕みを 呼んでいた
一番の 気張りは 仲麻呂様宴
睨まれせぬかの 警戒心
次いでは 奈良麻呂殿宴
誘い込まれせぬかの 用心心
橘諸兄様宴は 気は許せるものの
度重ねは 誰の目が光るやもの 気遣い心
かと言って 友同士宴
心寄せ 何れにかの 猜疑心
春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に 鴬鳴くも
《春の野に 霞靡いて 鶯の 声沁む宵や 沈む心に》
―大伴家持―(巻十九・四二九〇)
我がやどの い笹群竹 吹く風の 音のかそけき この夕かも
《庭の小藪 風音も無う 吹き抜ける この夕暮れの 寂しさ何や》
―大伴家持―(巻十九・四二九一)
【二月二十三日】
うらうらに 照れる春日に 雲雀上がり 心悲しも 独りし思へば
《日ぃうらら 雲雀囀る 春やのに 心弾まん 思い尽きんで》
―大伴家持―(巻十九・四二九二)
【二月二十五日】
沈み心 そのままを詠み
さらなる底に 沈み込む
しかる後の
声殺しの 心内吟じが
鬱散じ となる
気付かずがまま 家持は会得していた
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先


平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月十四日】放映分
我がやどの い笹群竹 吹く風の 音のかそけき この夕かも
《庭の小藪 風音も無う 吹き抜ける この夕暮れの 寂しさ何や》
―大伴家持―(巻十九・四二九一)
【万葉歌みじかものがたり】《心悲しも》
芽時 花時
暖かさ増す 風は
人の心を 浮き立たせる
しかし また
淀む霞は 気だるさ呼び
物思い 深める
(雪の内裏
あの快活歌は キリとした 寒さ故か
越の春
身引き締まる寒さ 宿していた
都の春
この 物憂さ
昔も こうであったろうか)
付き合い強くなったと 思う家持
我慢 虚勢の歌詠みが
知らずと 心蝕みを 呼んでいた
一番の 気張りは 仲麻呂様宴
睨まれせぬかの 警戒心
次いでは 奈良麻呂殿宴
誘い込まれせぬかの 用心心
橘諸兄様宴は 気は許せるものの
度重ねは 誰の目が光るやもの 気遣い心
かと言って 友同士宴
心寄せ 何れにかの 猜疑心
春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に 鴬鳴くも
《春の野に 霞靡いて 鶯の 声沁む宵や 沈む心に》
―大伴家持―(巻十九・四二九〇)
我がやどの い笹群竹 吹く風の 音のかそけき この夕かも
《庭の小藪 風音も無う 吹き抜ける この夕暮れの 寂しさ何や》
―大伴家持―(巻十九・四二九一)
【二月二十三日】
うらうらに 照れる春日に 雲雀上がり 心悲しも 独りし思へば
《日ぃうらら 雲雀囀る 春やのに 心弾まん 思い尽きんで》
―大伴家持―(巻十九・四二九二)
【二月二十五日】
沈み心 そのままを詠み
さらなる底に 沈み込む
しかる後の
声殺しの 心内吟じが
鬱散じ となる
気付かずがまま 家持は会得していた
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先






NHK教育TVで「日めくり万葉集」第2弾が始まりました。
平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月十三日】放映分
いざ子ども 早く日本へ 大伴の 御津の浜松 待ち恋ひぬらむ
《さあみんな 早う日本へ 帰ろうや 御津の浜松 待ってるよって》
―山上憶良―(巻一・六三)
【万葉歌みじかものがたり】《士やも》
今でも 夢に見る
あの 御津の浜での 盛大な見送り・・・
難波の津を出て 那の津へ
そこからが 大変であった
出航した船は 嵐に見舞われ 筑紫に戻り
再度の船出は 翌年
忘れもせぬ あの恐ろしい波の音 海の色・・・
唐土
むきだしの山肌 巻きあげる黄砂 濁り水
大和の 青い山 白い砂 清い流れを
どんなにか恋しく思うたことか
いざ子ども 早く日本へ 大伴の 御津の浜松 待ち恋ひぬらむ
《さあみんな 早う日本へ 帰ろうや 御津の浜松 待ってるよって》
―山上憶良―(巻一・六三)
あのとき すでに四十二 若くはなかったが 唐土への遣いに列し 青雲の志に 燃えていた
しかるに 帰朝後に待っていたのは 十年余りの虚しい日々
その後 伯耆守に任じられはしたが
齢は 五十七を数えていた
地方官の任務に耐え 一度は京の職に着いたものの
六十七の歳 筑前守を命じられ 天離る鄙へ
でも 筑紫は 楽しかった
旅人殿を中心とした 筑紫歌壇が 懐かしい
旅人殿は 赴任早々 奥方を亡くされたのだった
鬱々たる日々 せめてもの慰みにと 催された宴の数々
七夕の宴
梅花の宴
あのころの友 小野老 沙弥満誓・・・
みな 遠くなった
筑前守 任解かれしは昨年
京に戻れはしたが もう 役目とてない
世を疎う 歌詠みの日々が 過ぎて行った
今 病を患 この体たらくだ
藤原八束殿が 川辺東人をして 見舞いに寄こして下された
果報者よ 憶良 まだ 友が居る
「見舞いの礼に 八束殿に この歌を
憶良めは まだまだ 死なぬと お口添えを」
士やも 空しくあるべき 万代に 語り続くべき 名は立てずして
《丈夫と 思うわしやぞ 後の世に 名ぁ残さんと 死ねるもんかい》
―山上憶良―(巻六・九七八)
天平五年(733)
社会派歌人は 帰らぬ人となった 享年七十四
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先


平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月十三日】放映分
いざ子ども 早く日本へ 大伴の 御津の浜松 待ち恋ひぬらむ
《さあみんな 早う日本へ 帰ろうや 御津の浜松 待ってるよって》
―山上憶良―(巻一・六三)
【万葉歌みじかものがたり】《士やも》
今でも 夢に見る
あの 御津の浜での 盛大な見送り・・・
難波の津を出て 那の津へ
そこからが 大変であった
出航した船は 嵐に見舞われ 筑紫に戻り
再度の船出は 翌年
忘れもせぬ あの恐ろしい波の音 海の色・・・
唐土
むきだしの山肌 巻きあげる黄砂 濁り水
大和の 青い山 白い砂 清い流れを
どんなにか恋しく思うたことか
いざ子ども 早く日本へ 大伴の 御津の浜松 待ち恋ひぬらむ
《さあみんな 早う日本へ 帰ろうや 御津の浜松 待ってるよって》
―山上憶良―(巻一・六三)
あのとき すでに四十二 若くはなかったが 唐土への遣いに列し 青雲の志に 燃えていた
しかるに 帰朝後に待っていたのは 十年余りの虚しい日々
その後 伯耆守に任じられはしたが
齢は 五十七を数えていた
地方官の任務に耐え 一度は京の職に着いたものの
六十七の歳 筑前守を命じられ 天離る鄙へ
でも 筑紫は 楽しかった
旅人殿を中心とした 筑紫歌壇が 懐かしい
旅人殿は 赴任早々 奥方を亡くされたのだった
鬱々たる日々 せめてもの慰みにと 催された宴の数々
七夕の宴
梅花の宴
あのころの友 小野老 沙弥満誓・・・
みな 遠くなった
筑前守 任解かれしは昨年
京に戻れはしたが もう 役目とてない
世を疎う 歌詠みの日々が 過ぎて行った
今 病を患 この体たらくだ
藤原八束殿が 川辺東人をして 見舞いに寄こして下された
果報者よ 憶良 まだ 友が居る
「見舞いの礼に 八束殿に この歌を
憶良めは まだまだ 死なぬと お口添えを」
士やも 空しくあるべき 万代に 語り続くべき 名は立てずして
《丈夫と 思うわしやぞ 後の世に 名ぁ残さんと 死ねるもんかい》
―山上憶良―(巻六・九七八)
天平五年(733)
社会派歌人は 帰らぬ人となった 享年七十四
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先






NHK教育TVで「日めくり万葉集」第2弾が始まりました。
平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月十二日】放映分
難波辺に 人の行ければ 後れ居て 春菜摘む児を 見るが悲しさ
《難波へと 夫行かして 残されて 一人春菜摘む児 いじらし限り》
―丹比屋主―(巻八・一四四二)
【万葉歌みじかものがたり】《散りこすなゆめ》
春の訪れ 告げるは梅ぞ
早よに綻べ 寒閉じ蕾
咲けばほんのり 温さも香る
連れて来るのは 春告げ鳥か
含めりと 言ひし梅が枝 今朝降りし 沫雪に抗ひて 咲きぬらむかも
《もう咲くと 聞いてた梅は 今朝降った 沫雪に負けんと 咲いたやろうか》
―大伴村上―(巻八・一四三六)
霜雪も いまだ過ぎねば 思はぬに 春日の里に 梅の花見つ
《霜や雪 まだ消えんのに ひょっこりと 春日の里で 梅花見たで》
―大伴三林―(巻八・一四三四)
霞立つ 春日の里の 梅の花 山のあらしに 散りこすなゆめ
《春日里 咲いた梅花 山からの 強風来たかて 散るんやないで》
―大伴村上―(巻八・一四三七)
(老いて迎えた 春愛おしや
またの来る春 逢えるか梅に)
去年の春 いこじて植ゑし 我がやどの 若木の梅は 花咲きにけり
《去年春 植え移しした 庭先の 梅の若木に 花咲いたがな》
―阿倍広庭―(巻八・一四二三)
かくしつつ 在らくを好みぞ たまきはる 短き命を 長く欲りする
《こない為て 生き続けんが 嬉しいて 短い命 長ご願うんや》
(こない為て 咲く梅見るん 嬉しいて 短い命 長ご願うんや)
―阿倍広庭―(巻六・九七五)
(霞棚引き 野山が呼ぶよ
今日のこの日の 春こそ遊べ)
時は今は 春になりぬと み雪降る 遠山の辺に 霞棚引く
《もう春が 来てるんやでと 雪残る 遠い山霞 棚引いてるで》
―中臣武良自―(巻八・一四三九)
霞立つ 野の上の方に 行きしかば 鴬鳴きつ 春になるらし
《霞立つ 野山の上に 行ったなら 鶯聞いた 山もう春や》
―丹比乙麻呂―(巻八・一四四三)
(春のうららに 顔出す春菜
摘んでる児の背 うらら日包む)
難波辺に 人の行ければ 後れ居て 春菜摘む児を 見るが悲しさ
《難波へと 夫行かして 残されて 一人春菜摘む児 いじらし限り》
―丹比屋主―(巻八・一四四二)
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先


平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月十二日】放映分
難波辺に 人の行ければ 後れ居て 春菜摘む児を 見るが悲しさ
《難波へと 夫行かして 残されて 一人春菜摘む児 いじらし限り》
―丹比屋主―(巻八・一四四二)
【万葉歌みじかものがたり】《散りこすなゆめ》
春の訪れ 告げるは梅ぞ
早よに綻べ 寒閉じ蕾
咲けばほんのり 温さも香る
連れて来るのは 春告げ鳥か
含めりと 言ひし梅が枝 今朝降りし 沫雪に抗ひて 咲きぬらむかも
《もう咲くと 聞いてた梅は 今朝降った 沫雪に負けんと 咲いたやろうか》
―大伴村上―(巻八・一四三六)
霜雪も いまだ過ぎねば 思はぬに 春日の里に 梅の花見つ
《霜や雪 まだ消えんのに ひょっこりと 春日の里で 梅花見たで》
―大伴三林―(巻八・一四三四)
霞立つ 春日の里の 梅の花 山のあらしに 散りこすなゆめ
《春日里 咲いた梅花 山からの 強風来たかて 散るんやないで》
―大伴村上―(巻八・一四三七)
(老いて迎えた 春愛おしや
またの来る春 逢えるか梅に)
去年の春 いこじて植ゑし 我がやどの 若木の梅は 花咲きにけり
《去年春 植え移しした 庭先の 梅の若木に 花咲いたがな》
―阿倍広庭―(巻八・一四二三)
かくしつつ 在らくを好みぞ たまきはる 短き命を 長く欲りする
《こない為て 生き続けんが 嬉しいて 短い命 長ご願うんや》
(こない為て 咲く梅見るん 嬉しいて 短い命 長ご願うんや)
―阿倍広庭―(巻六・九七五)
(霞棚引き 野山が呼ぶよ
今日のこの日の 春こそ遊べ)
時は今は 春になりぬと み雪降る 遠山の辺に 霞棚引く
《もう春が 来てるんやでと 雪残る 遠い山霞 棚引いてるで》
―中臣武良自―(巻八・一四三九)
霞立つ 野の上の方に 行きしかば 鴬鳴きつ 春になるらし
《霞立つ 野山の上に 行ったなら 鶯聞いた 山もう春や》
―丹比乙麻呂―(巻八・一四四三)
(春のうららに 顔出す春菜
摘んでる児の背 うらら日包む)
難波辺に 人の行ければ 後れ居て 春菜摘む児を 見るが悲しさ
《難波へと 夫行かして 残されて 一人春菜摘む児 いじらし限り》
―丹比屋主―(巻八・一四四二)
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先






NHK教育TVで「日めくり万葉集」第2弾が始まりました。
平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月九日】放映分
角島の 瀬戸の若布は 人の共 荒かりしかど 我れとは和海藻
《角島の 瀬戸の若布は 皆には つんけんやけど わしには懐く》
―作者未詳―(巻十六・三八七一)
【万葉歌みじかものがたり】《二つの石を》
予ね予ね 訪れたいとの思い
やっと叶うて
今 憶良は 怡土郡深江村にいる
玄界灘の向こう
はるかに 壱岐・対馬
韓国は 霞の向こうか
深江の浜を望む 小高い丘に それは あった
大小 径一尺を越す 二つの長丸石
往来の者 須く 拝すという
那珂郡蓑島の 建部牛麿の言葉 そのままに
石守りの古老の話に 憶良 筆を執る
懸けまくは あやに畏し 足日女 神の命 韓国を 向け平げて 御心を 鎮め給ふと い取らして 斎ひ給ひし 真玉なす 二つの石を 世の人に 示し給ひて 万代に 言ひ継ぐがねと
《その名も高い 神功の 皇后さんが その昔 韓国征伐 行く時に 心鎮めに 持ってくと 祀り祈った 二つ石 世の人々に 示されて 後々までも 言い継げと》
海の底 沖つ深江の 海上の 子負の原に 御手づから 置かし給ひて 神ながら 神さび坐す 奇魂 今の現に 尊きろかむ
《ここの深江の 浜の上 海を望める 子負丘に 手ずから祀る 神の石 年月経って 今見ても なんと尊い この石よ》
―山上憶良―(巻五・八一三)
天地の 共に久しく 言ひ継げと 此の奇魂 敷かしけらしも
《この話 ずうっとずっと 伝えよと お置きになった 神宿り石》
―山上憶良―(巻五・八一四)
一衣帯水
韓国との海峡は
交易につけ 軍事につけ 船の行き交った海
その昔 憶良を 唐へと運んだ海
憶良の 遥かな 昔
伝説が 伝える 鎮懐石の置かれた小丘
憶良の老いの眼が 海の向こうを見ている
―――――――――――――――
この旅で 憶良は 思わぬ収穫を得た
親しくなった 古老
子負原小丘
ここ訪れる諸国の人々
それから聞きし 伝えの民謡
これら何れも 民恋歌
紫の 粉潟の海に 潜く鳥 玉潜き出ば 我が玉にせむ
《粉潟海 潜りの鳥が 真珠玉 採って来たなら わしのに仕様か》
―作者未詳―(巻十六・三八七〇)
角島の 瀬戸の若布は 人の共 荒かりしかど 我れとは和海藻
《角島の 瀬戸の若布は 皆には つんけんやけど わしには懐く》
―作者未詳―(巻十六・三八七一)
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先


平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月九日】放映分
角島の 瀬戸の若布は 人の共 荒かりしかど 我れとは和海藻
《角島の 瀬戸の若布は 皆には つんけんやけど わしには懐く》
―作者未詳―(巻十六・三八七一)
【万葉歌みじかものがたり】《二つの石を》
予ね予ね 訪れたいとの思い
やっと叶うて
今 憶良は 怡土郡深江村にいる
玄界灘の向こう
はるかに 壱岐・対馬
韓国は 霞の向こうか
深江の浜を望む 小高い丘に それは あった
大小 径一尺を越す 二つの長丸石
往来の者 須く 拝すという
那珂郡蓑島の 建部牛麿の言葉 そのままに
石守りの古老の話に 憶良 筆を執る
懸けまくは あやに畏し 足日女 神の命 韓国を 向け平げて 御心を 鎮め給ふと い取らして 斎ひ給ひし 真玉なす 二つの石を 世の人に 示し給ひて 万代に 言ひ継ぐがねと
《その名も高い 神功の 皇后さんが その昔 韓国征伐 行く時に 心鎮めに 持ってくと 祀り祈った 二つ石 世の人々に 示されて 後々までも 言い継げと》
海の底 沖つ深江の 海上の 子負の原に 御手づから 置かし給ひて 神ながら 神さび坐す 奇魂 今の現に 尊きろかむ
《ここの深江の 浜の上 海を望める 子負丘に 手ずから祀る 神の石 年月経って 今見ても なんと尊い この石よ》
―山上憶良―(巻五・八一三)
天地の 共に久しく 言ひ継げと 此の奇魂 敷かしけらしも
《この話 ずうっとずっと 伝えよと お置きになった 神宿り石》
―山上憶良―(巻五・八一四)
一衣帯水
韓国との海峡は
交易につけ 軍事につけ 船の行き交った海
その昔 憶良を 唐へと運んだ海
憶良の 遥かな 昔
伝説が 伝える 鎮懐石の置かれた小丘
憶良の老いの眼が 海の向こうを見ている
―――――――――――――――
この旅で 憶良は 思わぬ収穫を得た
親しくなった 古老
子負原小丘
ここ訪れる諸国の人々
それから聞きし 伝えの民謡
これら何れも 民恋歌
紫の 粉潟の海に 潜く鳥 玉潜き出ば 我が玉にせむ
《粉潟海 潜りの鳥が 真珠玉 採って来たなら わしのに仕様か》
―作者未詳―(巻十六・三八七〇)
角島の 瀬戸の若布は 人の共 荒かりしかど 我れとは和海藻
《角島の 瀬戸の若布は 皆には つんけんやけど わしには懐く》
―作者未詳―(巻十六・三八七一)
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先






NHK教育TVで「日めくり万葉集」第2弾が始まりました。
平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月八日】放映分
児らが家道 やや間遠きを ぬばたまの 夜渡る月に 競ひあへむかも
《あの児家 ちょっと遠いが この月が 照ってる間ぁに 着けるやろうか》
―阿倍広庭―(巻三・三〇二)
【万葉歌みじかものがたり】《道たづたづし》
日暮れ来たなら あの人恋し
されど闇夜は 逢うことできん
今宵月夜は せめても機会
月よ明こ照れ 雲隠すなよ
(夜目に遠目に 傘の内かな)
み空行く 月の光に ただ一目 相見し人の 夢にし見ゆる
《月明かり 下でちらっと 見た人が 夢出て来たわ なんでやろうか》
―安都扉娘子―(巻四・七一〇)
(お前訪ねる 夜道は暗い
月よ照らせよ この足下を)
倉橋の 山を高みか 夜隠りに 出で来る月の 片待ち難き
《倉橋の 山高いんで 月出るん 遅て待っても 待ち切れんがな》
―沙弥女王―(巻九・一七六三)
倉橋の 山を高みか 夜隠りに 出で来る月の 光乏しき
《倉橋の 山高いんで 月出るん 遅てなんやら 薄暗いがな》
―間人大浦―(巻三・二九〇)
天の原 振り放け見れば 白真弓 張りて懸けたり 夜道は良けむ
《仰いだら 弓張った様な 月出てる 夜道歩くに 大助かりや》
―間人大浦―(巻三・二八九)
児らが家道 やや間遠きを ぬばたまの 夜渡る月に 競ひあへむかも
《あの児家 ちょっと遠いが この月が 照ってる間ぁに 着けるやろうか》
―阿倍広庭―(巻三・三〇二)
愛しきやし 間近き里の 君来むと 大のびにかも 月の照りたる
《近に住む あんた来るのん 分るんか 隈無う月が 照っとおるがな》(女歌?男友?)
―湯原王―(巻六・九八六)
(待つは長いが 逢瀬は早い
せめても少し うち傍居って)
夕闇は 道たづたづし 月待ちて 行ませ我が背子 その間にも見む
《夕闇は 道危ないで 月の出を 待ったら良やん それまで居って》
―豊前國娘子大宅女―(巻四・七〇九)
雲隠り 行方を無みと 我が乞ふる 月をや君が 見まく欲りする
《雲隠れ そのまま居って 思う月 あんた出て欲し 思とんのんか》
―豊前国娘子―(巻六・九八四)
(鳴いてくれるな 夜明けの鶏よ)
天に坐す 月読壮士 幣は為む 今夜の長さ 五百夜継ぎこそ
《天で照る おっ月さんよ 礼するで 五百倍して 今夜の長さ》
―湯原王―(巻六・九八五)
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先


平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月八日】放映分
児らが家道 やや間遠きを ぬばたまの 夜渡る月に 競ひあへむかも
《あの児家 ちょっと遠いが この月が 照ってる間ぁに 着けるやろうか》
―阿倍広庭―(巻三・三〇二)
【万葉歌みじかものがたり】《道たづたづし》
日暮れ来たなら あの人恋し
されど闇夜は 逢うことできん
今宵月夜は せめても機会
月よ明こ照れ 雲隠すなよ
(夜目に遠目に 傘の内かな)
み空行く 月の光に ただ一目 相見し人の 夢にし見ゆる
《月明かり 下でちらっと 見た人が 夢出て来たわ なんでやろうか》
―安都扉娘子―(巻四・七一〇)
(お前訪ねる 夜道は暗い
月よ照らせよ この足下を)
倉橋の 山を高みか 夜隠りに 出で来る月の 片待ち難き
《倉橋の 山高いんで 月出るん 遅て待っても 待ち切れんがな》
―沙弥女王―(巻九・一七六三)
倉橋の 山を高みか 夜隠りに 出で来る月の 光乏しき
《倉橋の 山高いんで 月出るん 遅てなんやら 薄暗いがな》
―間人大浦―(巻三・二九〇)
天の原 振り放け見れば 白真弓 張りて懸けたり 夜道は良けむ
《仰いだら 弓張った様な 月出てる 夜道歩くに 大助かりや》
―間人大浦―(巻三・二八九)
児らが家道 やや間遠きを ぬばたまの 夜渡る月に 競ひあへむかも
《あの児家 ちょっと遠いが この月が 照ってる間ぁに 着けるやろうか》
―阿倍広庭―(巻三・三〇二)
愛しきやし 間近き里の 君来むと 大のびにかも 月の照りたる
《近に住む あんた来るのん 分るんか 隈無う月が 照っとおるがな》(女歌?男友?)
―湯原王―(巻六・九八六)
(待つは長いが 逢瀬は早い
せめても少し うち傍居って)
夕闇は 道たづたづし 月待ちて 行ませ我が背子 その間にも見む
《夕闇は 道危ないで 月の出を 待ったら良やん それまで居って》
―豊前國娘子大宅女―(巻四・七〇九)
雲隠り 行方を無みと 我が乞ふる 月をや君が 見まく欲りする
《雲隠れ そのまま居って 思う月 あんた出て欲し 思とんのんか》
―豊前国娘子―(巻六・九八四)
(鳴いてくれるな 夜明けの鶏よ)
天に坐す 月読壮士 幣は為む 今夜の長さ 五百夜継ぎこそ
《天で照る おっ月さんよ 礼するで 五百倍して 今夜の長さ》
―湯原王―(巻六・九八五)
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先






NHK教育TVで「日めくり万葉集」第2弾が始まりました。
平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月七日】放映分
大君の 御笠の山の 帯にせる 細谷川の 音の清けさ
《三笠山 ぐるっと廻り 流れてる 細谷川の 瀬音清らや》
―作者未詳―(巻七・一一〇二)
【万葉歌みじかものがたり】《こち巨勢山と》
山詠む歌は 三輪 香久 巨勢に
二上 三笠 馴染みの山よ
川を詠む歌 吉野が続く
大淀 六田に 宮瀧見たい
三諸つく 三輪山見れば 隠口の 泊瀬の檜原 思ほゆるかも
《三輪山を しみじみ見たら 懐かしい 初瀬の檜原 見とうなったで》
―作者未詳―(巻七・一〇九五)
古の ことは知らぬを 我れ見ても 久しくなりぬ 天の香具山
《その昔 わしは知らんが 香久山は ずっと長うに 神々しいで》
―作者未詳―(巻七・一〇九六)
我が背子を こち巨勢山と 人は言へど 君も来まさず 山の名にあらし
《あんた来る 云う巨勢山や 聞いたけど あんた来んがな ただの山名ぁやん》
―作者未詳―(巻七・一〇九七)
(巨勢=こせ=来背=背が来る=あんた来る)
紀伊道にこそ 妹山ありといへ 玉櫛笥 二上山も 妹こそありけれ
《妹山は 紀の国だけや 云うけども 二上山も 雌岳あるで》
―作者未詳―(巻七・一〇九八)
片岡の この向つ峰に 椎蒔かば 今年の夏の 蔭にならむか
《前にある 向かいの峰に 椎の実を 蒔いたら夏に 日陰なるかな》
―作者未詳―(巻七・一〇九九)
大君の 御笠の山の 帯にせる 細谷川の 音の清けさ
《三笠山 ぐるっと廻り 流れてる 細谷川の 瀬音清らや》
―作者未詳―(巻七・一一〇二)
今しくは 見めやと思ひし み吉野の 大川淀を 今日見つるかも
《おいそれと 見られんやろと 思とった 吉野大淀 今日見たんやで》
―作者未詳―(巻七・一一〇三)
音に聞き 目にはいまだ見ぬ 吉野川 六田の淀を 今日見つるかも
《評判は 聞いとったけど 見てなんだ 吉野六田淀 今日見たんやで》
―作者未詳―(巻七・一一〇五)
馬並めて み吉野川を 見まく欲り うち越え来てぞ 瀧に遊びつる
《み吉野の 川見となって 馬連ね 山越え滝で 遊んだこっちゃ》
―作者未詳―(巻七・一一〇四)
蛙鳴く 清き川原を 今日見ては 何時か越え来て 見つつ偲はむ
《河鹿鳴く 清らか川原 今日見たで 次に山越え 何時来よかいな》
―作者未詳―(巻七・一一〇六)
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先


平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月七日】放映分
大君の 御笠の山の 帯にせる 細谷川の 音の清けさ
《三笠山 ぐるっと廻り 流れてる 細谷川の 瀬音清らや》
―作者未詳―(巻七・一一〇二)
【万葉歌みじかものがたり】《こち巨勢山と》
山詠む歌は 三輪 香久 巨勢に
二上 三笠 馴染みの山よ
川を詠む歌 吉野が続く
大淀 六田に 宮瀧見たい
三諸つく 三輪山見れば 隠口の 泊瀬の檜原 思ほゆるかも
《三輪山を しみじみ見たら 懐かしい 初瀬の檜原 見とうなったで》
―作者未詳―(巻七・一〇九五)
古の ことは知らぬを 我れ見ても 久しくなりぬ 天の香具山
《その昔 わしは知らんが 香久山は ずっと長うに 神々しいで》
―作者未詳―(巻七・一〇九六)
我が背子を こち巨勢山と 人は言へど 君も来まさず 山の名にあらし
《あんた来る 云う巨勢山や 聞いたけど あんた来んがな ただの山名ぁやん》
―作者未詳―(巻七・一〇九七)
(巨勢=こせ=来背=背が来る=あんた来る)
紀伊道にこそ 妹山ありといへ 玉櫛笥 二上山も 妹こそありけれ
《妹山は 紀の国だけや 云うけども 二上山も 雌岳あるで》
―作者未詳―(巻七・一〇九八)
片岡の この向つ峰に 椎蒔かば 今年の夏の 蔭にならむか
《前にある 向かいの峰に 椎の実を 蒔いたら夏に 日陰なるかな》
―作者未詳―(巻七・一〇九九)
大君の 御笠の山の 帯にせる 細谷川の 音の清けさ
《三笠山 ぐるっと廻り 流れてる 細谷川の 瀬音清らや》
―作者未詳―(巻七・一一〇二)
今しくは 見めやと思ひし み吉野の 大川淀を 今日見つるかも
《おいそれと 見られんやろと 思とった 吉野大淀 今日見たんやで》
―作者未詳―(巻七・一一〇三)
音に聞き 目にはいまだ見ぬ 吉野川 六田の淀を 今日見つるかも
《評判は 聞いとったけど 見てなんだ 吉野六田淀 今日見たんやで》
―作者未詳―(巻七・一一〇五)
馬並めて み吉野川を 見まく欲り うち越え来てぞ 瀧に遊びつる
《み吉野の 川見となって 馬連ね 山越え滝で 遊んだこっちゃ》
―作者未詳―(巻七・一一〇四)
蛙鳴く 清き川原を 今日見ては 何時か越え来て 見つつ偲はむ
《河鹿鳴く 清らか川原 今日見たで 次に山越え 何時来よかいな》
―作者未詳―(巻七・一一〇六)
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先






NHK教育TVで「日めくり万葉集」第2弾が始まりました。
平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月六日】放映分
我が苑の 李の花か 庭に降る はだれのいまだ 残りたるかも
《庭散るは 李の落花か 降っとった 雪が斑に 残っとるんか》
―大伴家持―(巻十九・四一四〇)
【万葉歌みじかものがたり】《下照る道に》
越は 四年目の春を 迎えた
天平勝宝二年(750)
思えば
病伏せの春
「大黒」・池主・長歌失くしの春
池主諫言により 一年の歌停止が解かれたは
昨年の春であった
(今年の春の 穏やかなこと
なんと 心躍る 春であることか)
春 三月を迎え 短日の連作
その歌は 新しい気に満ち
どこか 都風情が漂う
大嬢が 運んで来しか
【三月一日 暮れ】春の苑の桃李の花見て 二首
春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子
《春苑で 紅うに映える 桃の花 その下道に 立つ娘子児よ》
―大伴家持―(巻十九・四一三九)
我が苑の 李の花か 庭に降る はだれのいまだ 残りたるかも
《庭散るは 李の落花か 降っとった 雪が斑に 残っとるんか》
―大伴家持―(巻十九・四一四〇)
【 〃 夜】飛び翔る鴫を見て
春設けて もの悲しきに さ夜更けて 羽振き鳴く鴫 誰が田にか棲む
《春なって 物憂い夜に 羽ばたいて 鳴いてる鴫は 何処の田やろか》
―大伴家持―(巻十九・四一四一)
【三月二日】柳を折取り 都偲んで
春の日に 萌れる柳を 取り持ちて 見れば都の 大路し思ほゆ
《春の日に 芽吹く柳を 眺めたら 奈良の大路の 柳懐かし》
―大伴家持―(巻十九・四一四二)
【 〃 】堅香子草を折取りて
物部の 八十娘子らが 汲み乱ふ 寺井の上の 堅香子の花
《娘子らが 多数集まって 水を汲む 湧水場所に 咲く堅香子よ》
―大伴家持―(巻十九・四一四三)
【 〃 】帰る雁を見て 二首
燕来る 時になりぬと 雁がねは 本郷偲ひつつ 雲隠り鳴く
《燕来る 季節なったと 雁の奴 故郷を偲んで 雲中鳴くよ》
―大伴家持―(巻十九・四一四四)
春設けて かく帰るとも 秋風に 黄葉の山を 越え来ざらめや
《春になり 帰って仕舞ても 秋風の 黄葉の山を 越えまた来るで》
―大伴家持―(巻十九・四一四五)
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先


平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【三月六日】放映分
我が苑の 李の花か 庭に降る はだれのいまだ 残りたるかも
《庭散るは 李の落花か 降っとった 雪が斑に 残っとるんか》
―大伴家持―(巻十九・四一四〇)
【万葉歌みじかものがたり】《下照る道に》
越は 四年目の春を 迎えた
天平勝宝二年(750)
思えば
病伏せの春
「大黒」・池主・長歌失くしの春
池主諫言により 一年の歌停止が解かれたは
昨年の春であった
(今年の春の 穏やかなこと
なんと 心躍る 春であることか)
春 三月を迎え 短日の連作
その歌は 新しい気に満ち
どこか 都風情が漂う
大嬢が 運んで来しか
【三月一日 暮れ】春の苑の桃李の花見て 二首
春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子
《春苑で 紅うに映える 桃の花 その下道に 立つ娘子児よ》
―大伴家持―(巻十九・四一三九)
我が苑の 李の花か 庭に降る はだれのいまだ 残りたるかも
《庭散るは 李の落花か 降っとった 雪が斑に 残っとるんか》
―大伴家持―(巻十九・四一四〇)
【 〃 夜】飛び翔る鴫を見て
春設けて もの悲しきに さ夜更けて 羽振き鳴く鴫 誰が田にか棲む
《春なって 物憂い夜に 羽ばたいて 鳴いてる鴫は 何処の田やろか》
―大伴家持―(巻十九・四一四一)
【三月二日】柳を折取り 都偲んで
春の日に 萌れる柳を 取り持ちて 見れば都の 大路し思ほゆ
《春の日に 芽吹く柳を 眺めたら 奈良の大路の 柳懐かし》
―大伴家持―(巻十九・四一四二)
【 〃 】堅香子草を折取りて
物部の 八十娘子らが 汲み乱ふ 寺井の上の 堅香子の花
《娘子らが 多数集まって 水を汲む 湧水場所に 咲く堅香子よ》
―大伴家持―(巻十九・四一四三)
【 〃 】帰る雁を見て 二首
燕来る 時になりぬと 雁がねは 本郷偲ひつつ 雲隠り鳴く
《燕来る 季節なったと 雁の奴 故郷を偲んで 雲中鳴くよ》
―大伴家持―(巻十九・四一四四)
春設けて かく帰るとも 秋風に 黄葉の山を 越え来ざらめや
《春になり 帰って仕舞ても 秋風の 黄葉の山を 越えまた来るで》
―大伴家持―(巻十九・四一四五)
――――――――――――――――――――
【古事記ものがたり】への誘い
古事記編纂1300年を期し 一大叙事詩を作ってみました
こちらを ご覧下さい。
【古事記ものがたり】へ
【万葉歌みじか物語】はこちら

<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先





