(「月刊デュオ」昭和56年12月号~昭和57年3月号連載)
<カバー折り返し部分の説明文より>
八居(やおり)先生、また問題児が現れましたよ!
超能力者の観音くん、「爆弾探しゲーム」をするAIUEO(あいうえお)グループ、
「世界の終末」を予言する新井くん、女好きの本栗栖(もとくりす)くんetc.。
八居先生、本当にご苦労さまです!
八居先生は高校の数学の先生。
テレパシーとかサイコキネシスなんて事も出来ちゃう。
勿論、そういう能力は普段隠している。
ポーカーフェイスで鼻の下にひげをはやしてて、
サングラスかけてバイクに跨ったりしてる姿は、モロ私の好み!!
教師で人の考えが読めるなんて生徒指導するのに随分助かるんじゃないだろうか?
この八居先生、結構いい奴。
「こいつらに思いいれしなければ
こんなに楽なことはないさ
しかし俺の場合・・・」
そうもいかない・・・っていう感じで頑張っちゃうのだ。
そして生徒たちが何のために教師になったのかと尋ねると、
平然とした顔でこう答える。
俺は人間が好きなのさ
だから教師になったんだ
これ以上の理由なんて細かい事さ
いいじゃないか
こだわりで人生を楽しめなくなったら
つまらんだろう」
八居先生、流石大人の対応です!
そして、つっぱっている生徒に一言・・・
「君も もうちょっと大人になれよ」
渋い・・・渋すぎます!!!
この中で何人か「超能力者」が出てくる。
八居先生の生徒の観音くんも、最初は人の思考が読めるという「超能力」で苦しんでいた。
八居先生も若い頃はそういう時期もあった。
観音くんが、同じ能力で苦しんでいる女の子にこんな事を言う。
「僕が考えるに他人の思考を読めるとか
そういう特別な能力を悲劇に考えすぎるんじゃないのかな」
昔の漫画(「ミュータントサブ」(石森章太郎)とか「超人ロック」(聖悠紀)など…)は、
結構「超能力」を悲観的にとらえていたのだが、
いつのまにか、あまり悲観的ではなくなっているような気がする。
この作品が描かれた頃はもうあまり悲観的にはなってない。
「超能力」の捉え方が時代によって違うっていうのもちょっと面白い。
<カバー折り返し部分の説明文より>
八居(やおり)先生、また問題児が現れましたよ!
超能力者の観音くん、「爆弾探しゲーム」をするAIUEO(あいうえお)グループ、
「世界の終末」を予言する新井くん、女好きの本栗栖(もとくりす)くんetc.。
八居先生、本当にご苦労さまです!
八居先生は高校の数学の先生。
テレパシーとかサイコキネシスなんて事も出来ちゃう。
勿論、そういう能力は普段隠している。
ポーカーフェイスで鼻の下にひげをはやしてて、
サングラスかけてバイクに跨ったりしてる姿は、モロ私の好み!!
教師で人の考えが読めるなんて生徒指導するのに随分助かるんじゃないだろうか?
この八居先生、結構いい奴。
「こいつらに思いいれしなければ
こんなに楽なことはないさ
しかし俺の場合・・・」
そうもいかない・・・っていう感じで頑張っちゃうのだ。
そして生徒たちが何のために教師になったのかと尋ねると、
平然とした顔でこう答える。
俺は人間が好きなのさ
だから教師になったんだ
これ以上の理由なんて細かい事さ
いいじゃないか
こだわりで人生を楽しめなくなったら
つまらんだろう」
八居先生、流石大人の対応です!
そして、つっぱっている生徒に一言・・・
「君も もうちょっと大人になれよ」
渋い・・・渋すぎます!!!
この中で何人か「超能力者」が出てくる。
八居先生の生徒の観音くんも、最初は人の思考が読めるという「超能力」で苦しんでいた。
八居先生も若い頃はそういう時期もあった。
観音くんが、同じ能力で苦しんでいる女の子にこんな事を言う。
「僕が考えるに他人の思考を読めるとか
そういう特別な能力を悲劇に考えすぎるんじゃないのかな」
昔の漫画(「ミュータントサブ」(石森章太郎)とか「超人ロック」(聖悠紀)など…)は、
結構「超能力」を悲観的にとらえていたのだが、
いつのまにか、あまり悲観的ではなくなっているような気がする。
この作品が描かれた頃はもうあまり悲観的にはなってない。
「超能力」の捉え方が時代によって違うっていうのもちょっと面白い。