本の迷宮

漫画感想ブログです。「漫画ゆめばなし」(YAHOO!ブログ)の中の本の感想部分だけを一部ピックアップしています。

青い鳥 (萩尾望都)

2006-11-30 08:59:12 | 漫画家(は行)
(1991年発行)

カバー折り返し部分の説明文より

所属しているバレエ団に幸運をもたらす”青い鳥”のようなヤン。
だが、そんな彼はアシュアにとって目ざわりな存在だった・・・。
舞台に情熱を賭けるダンサーたちの愛と葛藤が、演目とともに展開する、好評のバレエ・パレット・ロマン傑作集!


小学館PFコミックス版には「海賊と姫君」「青い鳥」「ロットバルト」「ジュリエットの恋人」の四編が収録されている。
どれもバレエ団に所属している主人公が恋人とハッピーエンドになる話だけだ。
それ程重い内容ではないので非常に読みやすい。


バレエ漫画を描くにはデッサン力がなければいけない。
その点、萩尾望都は完璧に合格である。
どういうポーズでも確かなデッサン力で描いている。
しかもただ単に静止している一瞬ではなくて動きすら感じさせる描き方だ。
そして、華やかさもある。
バレエの舞台を観ているかのように錯覚さえさせる出来栄えだ!


刑務所の中 (花輪和一)

2006-11-29 10:25:33 | 漫画家(は行)
(1998年~2000年 「マンガの鬼AXアックス」掲載
他、2003年・2004年・描き下ろしなど・・・)


<カバー裏表紙説明文より>
拳銃不法所持で、三年間に渡る獄中生活を送った著者が、
余す所なく描いたムショでの日々。
あなたの知らない世界、「刑務所の中」が記憶をたよりに再現された!!
そこは地獄か、はたまた極楽か!?
実録凄絶獄中記!!



この絵が、全部<記憶>のみで描かれたの~~~!?

驚きの記憶力!!
私には絶対に無理!
毎日いる自分の家の中を全く見ずに描け!と言われても描けない。

本棚はここにあるけど、棚は何段あるのか?
パソコンの形、TVの形・・・細かい所なんて覚えていない。
本当に凄い記憶力だ!


ストーリーは刑務所内で行われることを淡々と描いている。
劇的な展開があるわけではない。
起床、朝食、就業、昼食、・・・っていう毎日の事を淡々と描いている。


窮屈な生活だな~とも思うが、罪を犯してるという事を考えると、
その程度でいいの?
甘すぎるんじゃない?
・・・とも考えられる。
ま~、その人の<罪>の度合いだよな~・・・。


罪の意識だとか、そういうものに焦点をおいてるわけではない。
ただひたすら、淡々と、淡々と、<刑務所の中>で行われていることを描く。



それが返って、何だか異様なまでの迫力として読者に迫ってくる。
この<迫力>は一体何なんだろう?
我々に訴えかけてくるものは一体何なんだろう??

ニッポンのマンガ (高野文子 「おりがみでツルを折ろう」)

2006-11-28 09:30:30 | 漫画家(た行)
漫画をよく知らない人には知名度が低いかもしれませんが、
朝日新聞社が主催する
「手塚治虫文化賞」2007年度マンガ大賞受賞
『黄色い本 ジャックチボーという名の友人』
を描いた作者です。



<高野文子インタビューより一部抜粋>
物語ではなく「How to マンガ」を試してみたんです。
目的は、鶴をきちっと折るために役立つこと。
主人公は女の子じゃなくて、鶴なんです。
でも、結局、だんだんこの女の子が何かを訴えかけてくるんですよね。
「また身の上話を聞かされるのか、うるさいなあ」
って思いながら描いていました。



この作品、タイトル通り、初めから終わりまで
「おりがみでツルを折る」・・・それだけの漫画だ。

この漫画を見て、その通りにしたら、確かにきちんとツルが折れるだろう。
確かに「How to マンガ」だ。


「なんだこりゃ~?」


って、思う。
思うけれども、面白い。


ど~して面白いんだろう?
単にツルを折ってるだけなのに・・・。


「ぺたぺた」とか「ぺんぺん」とか「すりすり」とか擬音が面白い。
女の子の真剣な表情が楽しい。
手つきが面白い。


いや・・・そんな細かい所ではない「面白さ」があるんだ。
もっと大きな「面白さ」が・・・。


それは一体何だろう????
・・・と、考えて・・・ようやく気がついた!!


<形のないものが形を作る過程の面白さ。>



目の前でツルを折っている人がいたら、その手先をじ~っと見つめてしまわないだろうか?
絵を描いてる人がいたら、思わずどんな絵になるのか覗き込んでしまう事はないだろうか?
例えば、さぬきうどんの手打ちの実演なんていうのを店先でやってたら、立ち止まって見たいという衝動にかられないだろうか?


そういう面白さ。
それをマンガという表現方法を使って表現している。
人間の持つ、根源的な興味を自由自在にペンと紙を使って表現しているのだ。



マンガには、こういう面白さもあるんだよね。

ニッポンのマンガ (浦沢直樹 「月に向かって投げろ!」)

2006-11-28 08:50:00 | 漫画家(あ行)
これは、手塚治虫文化賞10周年記念で出版されたものだ。


大賞受賞者によるオール描き下ろしのマンガが5本。

どれも素晴らしい出来の作品だ!!


現在の漫画界のトップレベルの漫画家たちが描いたものだから当然といえば当然なのだが・・・。
こういうものを、漫画に偏見を抱いてる人に読んで欲しいと思う。
・・・が、そういう人たちにこの漫画のどこが素晴らしいのか理解出来るかな~?という疑問もあるが・・・。(苦笑)


この本には萩尾望都×浦沢直樹のスペシャルトークとか、興味深い読み物がいっぱい!
これで<本体1048円+税>は安い!!



まずは、浦沢直樹の作品
「月に向かって投げろ!」
12年ぶりに描いた短編。

たった30ページの作品なのに感動してしまった!
悔しいが、ラスト、じ~~んとしてしまった~!(別に悔しがる必要はないんだけどね・・・笑)


二度読み返してみた。
やっぱりラストに感動してしまう。


何故だ!?何故感動させられる??


りんごを盗って逃げる少年。
逃げる途中で出会った木の下に死んでいるかのように横たわっていた老人。
構図がいいんだよな~。
映画監督の本広克行氏も言ってるのだが、
「このまま撮れば映画になる!」


ロングからアップ・・・りんごのアップ、りんごを食べる口元のアップ・・・
再びロング。
そして・・・「目」。。。


「目」に力があるんだよね~~~。
ため息が出るくらい力のある「目」。
浦沢直樹の絵自体は申し訳ないが「美しい」という絵ではないと思う。
線が美しいわけでも、美男・美女が描けるわけでもない。
どちらかと言うと、一見、雑にささっと描いてるだけの線にすら見えなくもない。


しかし・・・生きてるのだ。
力があるのだ。。。


だから、じつに魅力的なのだ。


そして、キャラが立っている。
こんなに短い作品でもちゃ~んとそれぞれのキャラの性格は見事なまでに表現されている。


勿論、ストーリーは浦沢直樹お得意の「謎」「謎」「謎」・・・
読者は、話がどう展開していくのか気になって、読み出したらもう目を離すことが出来ない!!


伏線は、見事に全てひとつにつながり・・・


そして、ラスト・・・


凄いよ!凄すぎる!!


こんな凄い作品を描かれちゃあ、
10年間に二度も大賞を受賞したって、文句なんて言えなくなるじゃありませんか!?



ローズメリーホテル空室有り (西炯子)

2006-11-27 13:11:01 | 漫画家(な行)
(プチフラワー1994年9月号~1997年5月号不定期掲載)


ロスで落第したのをきっかけに、一度も住んだことの無い日本に単身帰国した16歳の高校生、山田すくむ。
何故か住むことになったのはボロいアパート!!
そこには超個性的な住人が揃っていた・・・。



・・・と、書くとまるで「めぞん一刻」(高橋留美子)!!
しかし、残念ながら管理人が男!!(笑)
ラブロマンスにはなりません。(BLならラブロマンスになる?・・・笑)



この作者独特の超個性的なキャラが不思議なストーリーを展開させて行く。
周りが個性的すぎてイマイチ影の薄い一応主人公のすくむ君。
ラストには<ローズメリーホテル>を出て、ヒッチハイクでの世界一周を目指して旅立っていく。



無茶だからとか危ないからで
なにもしないでいたら
なにも新しいもの見つけられないよね
だから僕行くんだ


頑張れ!青少年!!



そして・・・彼が出かけていった三日後のエピソードがちょっぴりいい感じ。


犬を飼う (谷口ジロー)

2006-11-27 13:06:31 | 漫画家(た行)
(ビッグコミック1991年6月25日号掲載)


作者が実際に飼っていた犬が亡くなるまでの一年間を描いた作品。



年老いて死んでいく犬の姿が、犬の飼い主である作者夫婦の目を通して実にリアルに描かれている。



そして、作者の犬に対する愛情に溢れた作品であるがゆえに思わず涙が出てきそうになる。




我家の犬もあと二ヶ月で12歳になる。
今はまだまだ元気そうに見えるが、もうそろそろ老化というものを考えなければいけない歳だ。



足が弱って散歩にも満足に行けなくなるかもしれない。
立ち上がることも出来なくなるかもしれない。
食事も満足にとれなくなるかもしれない。。。



それは確実にあと数年後にやってくる事実だ。



今から覚悟はしておかなくてはいけないと思う。



しかし・・・長女にこの本を読むように薦めたら、
本の中身も見ないうちに長女はたちまち目に涙をいっぱい浮かべてこう言った。
「お母さん、悲しすぎて今はまだこの本読めない・・・」



ヲイヲイ、今からこの調子だと実際にうちの犬が弱ってきたらど~するんだ~~!?

アカシアの道

2006-11-26 21:14:59 | 漫画家(か行)
(「週刊漫画アクション」1995年9月19日号~11月28日号掲載)


作者はこの作品についてこう語っている。

「ホライズン・ブルー」を全能の神のように上手に完結できなかった私は、
少し負け犬の気持ちになった。
それで「アカシアの道」というのを描いて、別の方向から答えを探ってみた。
やはり気持ちいい答えは出なかった。
なんて恐ろしい話を思いつくんだ、と人に言われた。
癒しがないからねー、私の漫画には。



この作品と「ホライズン・ブルー」、どっちが面白いかというと、
「アカシアの道」の方が面白いと、私は思う。
それは何故か、と考えてみた。



「ホライズン・ブルー」はどちらかと言うと過去の方を重点に描いているが、
「アカシアの道」の方は現在の方を重点に描いている。
その差だと思う。



勿論、児童虐待の克服は過去を振り返るところから始まるのだから過去は重要である。
しかし、作品として読む場合既に現在こういう風になっているのがわかっていて、
過去に何らかの事があった事も推察出来るので、苦しかった過去をこれでもか、これでもか、
・・・と、描写されても苦しくなるだけなのだ。
私などはやはりどこか「救い」とか「癒し」とかが欲しいと思ってしまうのだ。



「ホライズン・ブルー」の最後で
たぶんこれからこの主人公は前向きに生きる努力をしていくんだろうな。
とは思えるのだが、それでももう一つ何かが物足りない。



「アカシアの道」でも作者は
『気持ちのいい答えは出なかった』と書いているが、
前作より、一歩踏み出した感がある。
「過去」より「現在」をどう生きていくか?
読者はそちらの方により関心があるのだ。
少なくとも私はそうだ。





小学校の教師だった母に育てられた主人公の美佐子は非常に厳しく育てられた。
時には

「おまえなんか
おまえなんか
生まなきゃよかった」
或いは、

「グズ バカ ノロマ
どうしておまえは そうなの
おまえなんか わたしの娘じゃない」
・・・と言われながら・・・。
それで、彼女は高校を卒業してから
八年間 母のもとへ帰ってきたことはなかった。



しかし、母がアルツハイマーになり、その面倒を見ることになった美佐子。
少しずつ壊れていく母を見ながら、辛かった過去の事を思い出す。



そして、思いつめた美佐子はある日とうとう川に突き落として母を殺そうとしてしまう!!



・・・が、その時ひとりの青年に止められる。
彼もまた、かつて父親を殺そうとした辛い過去があったのだ。

美佐子は青年に言う。
「ありがとう
もし あの時
母を突き落としていたら……
わたしは 一生
罪の意識を抱えながら
母への憎しみを処理することもできずに
苦しんだはずだわ」

彼女はさらに言葉を続ける。
「これから母と生きていくことで
憎しみをなにかに 変えられるかもしれない……」

青年は「俺には無理だ」とつぶやく。

しかし、美佐子は言う。
「無理でも変えなきゃいけないのよ
親のためじゃなく自分のために……」

「あなたが教えてくれたの
あなたがわたしたち
母子を救ってくれたの」

青年は涙を流しながら呟く・・・。
「俺でも
人の役にたったんだ……」



青年が帰ったあと、静かに寝ている母に向かって美佐子は呟く。
「おかあさん ごめんなさい……」



この言葉は小さい頃、強く叱る母親に何度も何度も言った言葉である。
しかし、今呟くように言った言葉は小さい時言ったことばとは
全く違う意味を持つ。



その後、1年が経ち母親をデイケアセンターで預かってもらえるようになった美佐子。
母親も表情が明るくなり、
自分自身にもゆとりが出来た事を実感する。



ラスト、子供の頃母に「グズ!ノロマ!」と叱られながら歩いたアカシアの道を歩きながら、
美佐子は母親に優しく語りかける。

「おかあさん
わたしこうやって 手をつないでほしかった
おかあさんは やってくれなかったけれど
わたしは やってあげる」
母は素直に答える。
「そう……
ありがとう…」



その母を見つめる美佐子の表情がいい。
何を考えている表情なのか・・・。
それは読者ひとりひとりが考えるものだと思うので
私がどう思ったかは敢えてここには書かないことにする。



ホライズンブルー (近藤ようこ)

2006-11-26 21:04:27 | 漫画家(か行)
(「月刊ガロ」1988年9月号~1990年1月号掲載)


児童虐待の話。



作者はあとがきでこう語っている。

私は面白い物語を描きたかった。
そして、できれば
「虐待した母親と、虐待された子どもは、
どうしたら両方救われるか」
という答えを出したかった。



虐待をする親は自分自身も虐待された体験を持つ者が多いと聞く。
私自身は過保護じゃないかと思えるぐらい甘やかされて育っているせいか、
子どもを虐待した経験もないし・・・虐待するという発想すらない。
どちらかと言うと、ともすれば過保護にしてしまう自分に気付いて、
ここはもっと厳しくしなくちゃいけないのだろうか?と悩む自分がいるぐらいだ。



自分が親になって、時々、
あれ?もしかして自分は自分の親がしていたのと同じ事をしているんじゃないのだろうか?
と、思うことがある。
無意識のうちに親と同じ事をしている自分に苦笑してしまう。
良い事も悪い事も、知らず知らずのうちに自分自身に染み付いてしまっているのだ。



だが、「親はああいう風に育てたけれど、私は絶対ああいう風にはしない!」
と思って実行していることもある。



だから虐待も子供の頃された人は無意識にしてしまうかもしれないが、
自分自身でそれを止めようと思えば出来ない事ではないとも思う。



でも・・・それはかなり厳しい自分自身との戦いがあるのだとも思う。



虐待された子どもがその親を許し、自分自身を許した時初めて虐待を断ち切る事が出来るのかもしれない。
この話の主人公春子の母親は妹の秋美だけを可愛がって育てた。
この母親自身、家族から愛されずに育ってきたという過去がある。
母は春子にこう語る。
「わたしは あんたが こわかった……
あんたの 寂しい 気持ちが わかる分……
自分の 母親としての 自身のなさを
あんたに 見透かされて いるようで……」
春子にすまないと泣く母親に春子は無表情に言う。
「かわいそうに……
おかあさん……」
驚いたように顔を上げて言う母親。
「許してくれるの?」



しかし、春子はこう思う。

わからない
母を許せるかどうか わからない
母を理解できても 同情できても
わたしの過去を作りかえることはできないもの
わたしは大人なのだろうか
本当のわたしはまだ
母を求めて泣いている 子どもなのではないか



ラスト、春子は今まで会おうとしなかった自分が虐待した子どもに会う決心をする。
「うまくいえないけど
由希に あやまりたい……
あの子に許してもらわないと……
わたしは 大人になれないの」



虐待されたことのない私が虐待された人の気持ちを本当に理解することは出来ないかもしれない。
しかし、母親になった自分の気持ちとして、
子どもは良い事も悪い事も母親を基準にして見ているものだから
出来る限り「人間として」……
どういえばいいのだろう?適切な言葉が思い浮かばない。
人間として出来るだけ「良い人間」??になりたい??
??うまく表現できないが・・・
とにかく子どもたちには幸せな人生を送って欲しい。
そう願うのみである。



爆笑三國志 (シブサワ・コウ編)

2006-11-25 23:56:23 | その他
ゲームの「真・三國無双」で、すっかり「三国志」の世界にはまってしまった。

一度はまると、そういう関係の本を手当たり次第読んでいくタイプの私は一時期「三国志」の小説類、歴史書、などの関連書物に埋もれていた。(ちょっとオーバー)

・・・で、そういう中でこの本を見つけたのだが非常に面白い。
ギャグっぽい本なのだがイラストを描いている一人に「皇なつき」がいる。
美しい!!
周瑜が美しいのは当然だが、孫策も関羽も諸葛亮も・・・みんな美しい!!

副題に<歴史人物笑史>とあるように、とにかく笑える本である。
その上、「皇なつき」の美しい絵も見えるのだから、言うことない!!

「三国志」ファンにも「皇なつき」ファンにも嬉しい本だろう。

百物語 (杉浦日向子)

2006-11-25 23:49:04 | 漫画家(さ行)
(小説新潮 1986年4月号~1993年2月号掲載)


この作品は凄い!
絶対に後世に残る作品だ!!



作者が江戸の風俗を熟知しているとか何とか言う問題ではない。



ここには<江戸>というものが凝縮されて詰まっているのだ。
きっと・・・<江戸>というのは、こういうものなんだろうな~とすんなりと信じる事が出来る。
勿論、江戸時代の江戸に行った事があるわけじゃない。(当たり前)
だいたい現在の東京ですら私は数えるほどしか行った事がない。(これは関係ない?・・・笑)



まあとにかく、これを読んでいる途中で思わず、何か「原典」があるんじゃないかと調べたぐらいなのだ。



百物語なのだから、怪異譚がいっぱい出てくる訳だ。
それらは全部<江戸の匂い>がする。(勿論、江戸に行った事がないのだけど・・・)
さも、江戸時代の江戸の人が語ったんだろうな~と思える内容ばかりなのだ。



例えば、「道を塞ぐもの三話」では、
古い木と蚊帳つり狸と狢が道を塞ぐ話だが、どれも<こういうことがあった>という事のみを淡々と語っているだけだ。

山の一本道を歩いていると
長あい帯のぶら下がっているのに出くわす。
ただ下がっているだけで
別にどうするわけでもありませんがね。
そんなものが
下がった日には
気味の悪いものです。

くどくどと解説もなければ、オチもない。



そもそも、昔話だとか古典だとかはそういう語り口のものが多いと思う。
今は、くどいぐらい懇切丁寧に書くのが流行っているのかもしれないが、
そういうものばかり見ているとこの杉浦日向子の「百物語」などを読むとある種清々しささえ感じてしまう。(笑)



読み手側の<想像力>がないと、こういうものは物足りなく思ってしまうのかもしれないが、
想像力のたくましい者、或いは物事を素直に受け止める事の出来る者には、
最高に怖くて楽しいお話になっていると思う。



夕凪の街 桜の国 (こうの史代)

2006-11-22 14:50:40 | 漫画家(か行)
(2004年発行)


ほっこりと寂しくて・・・
はんなりと優しい・・・。



声高に「戦争反対!」と叫んでいる訳ではない。
戦争の悲惨な描写もほとんどない。



戦後10年。
広島の街では
身体だけじゃなく心に傷を抱えたまま生きている多くの人々がいる。



原爆症で倒れた皆実は終いには目も見えなくなってしまう。
その描写で、1ページ半に渡って白いコマのみが続く。
目が見えないという描写なら、真っ黒いコマにすることも出来るのに、
敢えて、「白いコマ」にした所が
何故か・・・哀しい・・・。



その白いコマに皆実の気持ちが書かれている。

嬉しい?

十年経ったけど
原爆を落とした人はわたしを見て
「やった!またひとり殺せた」
とちゃんと思うてくれとる?

ひどいなあ

てっきりわたしは
死なずにすんだ人かと思ったのに

ああ 風……

夕凪が終わったんかねえ



作者はあとがきでこう語っている。
「遠慮している場合ではない、
原爆も戦争も経験しなくとも、
それぞれの土地のそれぞれの時代の言葉で、平和について考え、
伝えてゆかねばならない・・・」




人々が「戦争」をすっかり忘れてしまうと、
また「戦争」が起こってしまうような気がする。
うわべだけの「戦争反対論」にはウンザリするが、
こういう心の底からじわーっと何かが溢れてくるような
そういう作品は、とってもいい。



「あとがき」より

「夕凪の街」を読んで下さった貴方、
このオチのない物語は、三五頁で貴方の心に湧いたものによって、
はじめて完結するものです。
これから貴方が豊かな人生を重ねるにつれ、
この物語は激しい結末を与えられるのだと思います。



う~~ん。私にとっての
この物語の「激しい結末」ってどういうものだろう?
まだまだ、豊かな人生を重ねていないのか・・・
どうも明確な結末は浮かんでこない。



ただただ・・・
「茫洋とした哀しみ」のみが胸に広がっていくばかり・・・。

もやしもん  (石川雅之)

2006-11-22 14:44:10 | 漫画家(あ行)
(イブニング 2004年16号~  )


菌が見える主人公が出てくる話・・・という事でちょっと読んでみたいな~と思っていたら昨日、某図書館で1・2巻を発見!
即、借りて読んでみた。



漠然とイメージしていたものとは違っていたが面白い。
「農大青春ウンチク漫画」・・・っていう感じ?(笑)



まず、菌たちが可愛い♪
特に沢木にくっついてる<A・オリゼー>が可愛い♪♪
まるでナウシカの肩にいるテトのように見える!!・・・なんて思うのは私だけだろうか?
乳酸菌も可愛いし、和風のL・ヨグルティも可愛い!
こういう感じで菌を見る能力があるっていうのも結構楽しいとは思うのだけど、
E・コリ(大腸菌)が手のひらでウジャウジャいるのが見える・・・っていうのは嫌かな?
見えない方が幸せなのかもしれない。(笑)



こういう農大生活って楽しそうだ。
勿論、現実にこういう農大が存在するとは思わないが、
2巻で行われる「春祭」・・・楽しそうだよね~。
「究極超人あ~る」でも楽しそうな学園祭だな~って思ったがこの「春祭」もなかなか魅力的だ。



菌に関するウンチクでも楽しめるし、大学生活も面白そうだし、キャラも個性的で実にいい!



ただ、女性の顔がどれも同じに見えてしまう・・・。
ま、そういう漫画は他にもいっぱいあるけどね。
女性の服とか靴などの表現がすばらしいだけに、ちょっと残念。



しかし・・・「風の谷のナウシカ」風の衣装だとか、「20世紀少年」のともだち風の覆面とか・・・こういう「遊び心」が楽しいね~♪

妖女伝説  (星野之宣)

2006-11-22 10:58:49 | 漫画家(は行)
(ヤングジャンプ 1979年~1980年掲載)


この作品シリーズは、作者がSFから離れ、その頃読みあさっていた歴史分野の本などに活路を見出そうとして描かれたものらしい。



歴史上(架空のものを含む)の女性たちをモチーフとして星野之宣がイメージを膨らませ、再構成した作品群だ。



ローレライ、カーミラ、八百比丘尼、メドゥサ、雪女、クレオパトラ、サロメ、・・・等、どれも<妖女>と呼ぶに相応しい女性たちばかりを取り上げている。



この作品の中で私が気に入ってるのは、「ローレライの歌」だ。



ドナウ河で遊んでいた少年たちが見た女性。
彼女はひとり岩の上で歌っていた。
少年たちは「ローレライの魔女だ~!」と逃げ出すが、それは何でもないことを怖がって喜ぶ子供らしい遊びの一つに過ぎなかった。
しかし、その後少年のライバルだったハンスが河で死に、
少年の嫌いな酔いどれおやじもまた河で死ぬ。
人びとは「ローレライの魔女」のせいだ。と言い出すが、
少年は、それを人びとの前で否定する。
しかし、本当は少年はあの女性を本物のローレライだと信じていたのだ。
そして・・・女性が普通の人間だと知った少年は逆に女性を恨み、
人びとに叫ぶ。
「魔女だあっ!!
あの女はローレライの魔女だっ!!
この目でみたぞっ!」
狂ったような群集を先導し、女性とその恋人を殺させる少年・・・。

実は・・・その少年の正体は・・・



ひとりの人間の狂気が人びとを狂わせ、とんでもないことを引き起こす。
案外、歴史ってものはそういうものなのかもしれない・・・。


半神 (萩尾望都)

2006-11-22 09:33:15 | 漫画家(は行)
(プチフラワー 1984年1月号に掲載)


この作品はたったの16ページしかない。
・・・にも拘らず、その何倍もの内容が込められている。



体の一部分が結びついている双子の姉妹、ユージーとユーシー。
知性は姉のユージーに。
美貌は妹のユーシーに。
やがて二人は13歳になり、ドクターがある決断を下した。
それは二人を切り離すことだった。
勿論、そうすると自分で養分を作れないユーシーは死んでしまう。
しかし、何もしなければ、二人とも死んでしまうのだ。



今までユーシーの世話ばかりしていたユージーは喜ぶ。

わたしたちは べつべつになれる!
きせきだわ!
あぶない手術?
かまわない!



そして・・・妹のユーシーは死に、姉のユージーはすっかりふつうの女の子として成長する。
しかし・・・




たった16ページで、こんなに重く深いテーマをさらっと描いてしまう萩尾望都の力量に脱帽!!と言うべきか・・・。



「起承転結」がはっきりしていて、描く前のネーム段階でかなりよく練られているのだと思う。



これは姉のユージーの視点で語られているから、読者はユージーに自己投影をしつつ読んでいくことになる。
それが、ラストのユージーの涙をより身近なものとして味わうことになるのだ。



「自己犠牲」とか「人を助ける裏方人生の意義」とか解釈の仕方は色々あると思う。
が、それについては敢えて書かない。読んだ人が独自に解釈していく事に意味があると思うから。



「半神」というタイトル。
勿論「半身」とかけているのだろうが、素晴らしいネーミングセンスだ。
例えば「愛すべき妹」とか「引き離された半身」とか「天使のような妹」とか「無垢のほほえみ」とか「愛よりももっと深く」とか・・・そういう陳腐なものでなく、すぱっと「半神」!とした所がいい。



・・・で、この「神」という言葉。
作品中で出てくるのはラストページのみである。
それまでは「天使」という表現しかされていない。



生きている時は
「世の中の汚れを知らぬ天使」
死んだ直後は
「天使になった」



いつ「天使」から「神」になったのか?



生き残った姉のユージーの心の中で、次第にいつの間にか「神」というものに変貌していったのか?



ラストページ。鏡の中にあんなにきらっていた妹の姿をみつけ、涙するユージー。

愛よりももっと深く愛していたよ
おまえを
憎しみもかなわぬほどに
憎んでいたよ
おまえを
わたしに重なる
影・・・
わたしの
神・・・
こんな夜は
涙が止まらない



瑠璃の爪 (山岸凉子)

2006-11-22 09:19:29 | 漫画家(や・ら・わ行)
(1986年 ASUKA10月号掲載)


妹(絹子・28歳)が実姉(敦子・31歳)を刃渡り23センチの柳刃包丁で刺し殺す!
・・・というシーンからこの物語は始まる。



絹子や敦子の友人や親戚の証言を次々と描く事によって、二人の過去や性格が浮かび上がってくるという表現方法。
こういう手法は小説でもよく使われている。
それを、敢えて”漫画”という表現法を使って描いたわけだ。・・・が、
漫画で描くことで小説以上の何か”メリット”とでも言うべきものがあるかどうか?



勿論、<絵>で描くことでそれぞれの<証言>を
言葉以上の情報量で読者に知らせる事は出来ている。
だが、それ以上の”メリット”・・・何かあるのだろうか?
小説以上の”メリット”がなければ、漫画でこういう手法を使ってはいけないという訳ではない。
ただ・・・山岸凉子が描くのだから、何かもっと凄い事を・・・!と望んでしまうファン心理なのか、ちょっとそういうことを考えてしまった訳だ。



内容に関しては、

妹だけが母に愛されていたという嫉妬からくる
姉の妹に対しての
無意識の悪意・・・”妹を決して幸福にはさせない!”

という ”女の陰湿な怖さ”が実に見事に表現されていて、
改めて・・・女って怖いよね~~っていう気分にさせられる・・・。




(画像の表紙は「瑠璃の爪」なのだが、同時収録されている「鳥向楽」のタイトルページのイラストが使用されている。)