goo blog サービス終了のお知らせ 

本の迷宮

漫画感想ブログです。「漫画ゆめばなし」(YAHOO!ブログ)の中の本の感想部分だけを一部ピックアップしています。

ボクは坊さん。 (白川密成)

2010-10-25 20:42:21 | エッセイ
これを図書館から借りてきてると、長女が
「お母さん、これ前にも借りてなかった?」
「ううん、初めて借りたんだけど?」
「そう?いつも同じようなものばっかり借りてるんだもんね~」

・・・って、べつに私は坊さんが好きだとかスキンヘッドが好きだとか禿げてる人が好きだとか、そういう訳ではありませんので・・・。(笑)
あ、それに真言宗の場合、つるつるに剃ってる坊さんは少ないんじゃないかなあ?
この表紙のイラストもつるつるに剃ってないし・・・。
・・・って一体何の話をしてるんでしょうね~?


内容(「BOOK」データベースより)
仏教は「坊さん」だけが独占するには、あまりにもったいない。24歳、突然住職に。笑いあり、涙あり、不思議感溢れる坊さんワールド。



内容的にはもっと砕けたものだと思って読んでみたのだけど、生とか死とかの捉え方を仏教の教えをベースに非常に真面目に考えているものでした。
若い坊さんの<青春エッセイ>っていう感じでしょうか。
次はこの方が80歳とか90歳になった時どういう坊さんになってどういうお話をなさるのか、知りたいなって思いました。

いや・・・この方が90歳になられた時はたぶん私はもう死んでますけどね~。(笑)

この著者は
四国八十八ヶ所霊場のお寺、
栄福寺(えいふくじ)というお寺で住職をしているそうです。
http://www.eifukuji.jp/
同じ愛媛県にあるので一度お参りに行ってみたいですね。

麻生 圭子 (著), 三好 貴子 (イラスト) 「ネコが結婚をつれてくる」

2010-02-16 09:16:51 | エッセイ
内容(「BOOK」データベースより)
ネコが元気をつれてきた。そのうえ、夫もつれてきた。心を癒してくれて、求める幸せのカタチまで変えてしまった偉大なネコ。「夫を釣った!?」の顛末と、三人家族の日常を通じて、心地よく生きる天才、ネコのコツをおすそわけ。


サブタイトル
「愛には愛がかえってくるよ」と猫がいう

なかなか含蓄のあるサブタイトルですね。

猫を飼っている人間がこれを読むと、確かに猫ってそうかも・・・
・・・と、思える箇所がいっぱいあると思います。

内容もとっても面白いエッセイなんだけど、
とにかくこの本の猫のイラストが可愛い!!
表紙の猫も可愛いが中に描かれてる猫も勿論可愛い!!

このイラストを見ているだけで何だか幸せな気分になってしまいます。

こんなツレでゴメンナサイ。 (望月昭/著 細川貂々/画 )

2009-08-31 21:01:54 | エッセイ
『ツレがうつになりまして。』のツレさんが書いた初エッセイ。

この本は読む前にやっぱり『ツレがうつになりまして。』を読んでる方がいいでしょうね。
表紙イラストや挿絵は妻の細川 貂々。
夫婦で一冊の本を作れるって何だかいいなぁ~!

このふたり、これからももし窮地に陥るようなことがあっても何とか夫婦で乗り越えていくんだろうな~っていう感じがしました。

武良布枝 (ゲゲゲの女房)

2008-09-19 09:05:12 | エッセイ
内容(「MARC」データベースより)
巨人・水木しげると連れ添って半世紀。赤貧の時代、人気マンガ家の時代、妖怪研究者の時代、そして幸福とは何かを語る現在…。常に誰よりも身近に寄り添っていた妻が明かす、生きる伝説「水木サン」の真実


<ゲゲゲの女房>すなわち水木しげるの奥さんの半生です。

今まで水木しげるの自伝は読んでいるが妻の視線から見た水木しげる像っていうのも結構いい。
本人は飄々としていて半分<妖怪>みたいな人っていうイメージ(笑)だけど、妻から見るとちゃんと普通の人間ってところが非常に興味深い。

見合いして五日後に結婚して、すぐ赤貧生活。
必死に作品を描いてるのに売れず、靴や着物を質に入れる生活。
それでいて夫婦で連合艦隊の模型作りに励んだり・・・そういう心のゆとりがあるところがいかにも水木サン。

漫画が売れ始め、アニメにもなると今度は寝る暇もないぐらい仕事に追われる日々。
「オレも眠りたい。
ノンキな暮らしがしたい。
でも、また貧乏をするかと思うと、怖くて、仕事を断ったりすることは、とてもできない。
締め切りに追われる生活も苦しいが、貧乏に追われる生活はもっと苦しい。
それに、いまが人生の実りの時期なのかもしれない。
だから、後にひいてはだめなんだ」

その後、武良一族と一緒に暮らすことになるのだが、
水木は仕事で忙しく夫婦の会話はなくなり、
水木は妻子より武良一族の方を優先するなど妻としては辛い日々が続くわけだけど、
紫綬褒章を受章したり、
境港に妖怪ブロンズ像が出来るなど、今までの苦労が徐々に報われるという感じになってくる。

水木は妻のことを
「『生まれてきたから生きている』ような人間です」
と評しているが、妻自身その通りだと思って思わずわらってしまったそうだ。

なるほどね『生まれてきたから生きている」
それって素晴らしいことなのかもしれない。
ただただ夫のあとを付いて行く・・・夫唱婦随かぁ~。。。



ある日、夫婦で一緒に夕日を眺めながら妻がつぶやいた言葉
「終わりよければすべてよし!」
それを聞いた水木が言う。
「おまえ、たまにはいいこというな」


このシーン、とってもステキです。
口では言い表せないほどの苦労をしつつ、お互いが「信頼関係」を築いていたからこそそれを乗り越えたという想い。
私も、もっと歳をとったときに、
「終わりよければすべてよし!」
って、つぶやけるような人生にしたいな~って思います。

佐藤愛子 (私の遺言)

2008-09-01 21:55:12 | エッセイ
(新潮社の説明文より)
心霊世界の実相を疲弊した日本人に伝えること、それが私に与えられた使命だった――。

それは昭和五十年、北海道浦河町に山荘を建てた時から始まった。深夜の足音、鋭いラップ音、電燈の明滅、ペットたちの不可解な死……。驚くべき超常現象に見舞われた著者が三十年余の苦闘の果てに見出したものは? 欲望に身をまかせ精神を荒廃させていった日本人に警鐘を鳴らし、“霊の世界”の実相を伝える渾身のメッセージ。

「冥土のお客」にも書いていたが、作者が北海道に建てた別荘に起きる怪奇現象のことを詳しく書いている。
次から次へと超常現象!
私ならこんな別荘に二度と行かない!・・・と思うのだけど、毎年夏になるとやってくる作者。
う~~~ん?
よほどの負けず嫌いか?(笑)

今ではもうこの別荘では超常現象は起こらなくなったらしいが、ちょっぴりなら体験してみたかったな~とも思ったりもする。

何か変わった現象が起こっていたのは事実だろうと思う。
しかし・・・アイヌの怨霊とか佐藤家の怨霊、はたまた狐の霊・・・などなど・・・本当なんだろうか?とも思ってしまうのも事実。

美輪明宏さんや江原啓之さんも出て来る。
そういうあたりは興味深く読ませていただいた・・・がどこまで真実かはわからない。
死後の世界も・・・まだ死んだ事がないのでどれが本当なのかは分からない。

最後の方なると、
日本の国の波動が高く上らなければ、悪霊団の力が強まり国は危うくなる。
国の波動が上るには日本人の波動が高まらなければならない。
今、いったい何人の日本人が、国のことを考えているだろう。

といった話になってくる。

こういう風な話になると超常現象の話はどうなった?
話が変な方向にずれているんじゃない?
・・・と、ちょっと引いてしまうなあって思う読者もいるかもしれない。

が、作者自身、自分の身に起こった現象はどうしてかということを考察する必要があると思うのは当然だから、
考察の結果、国の波動というところまで話を広げても不思議ではない。

私は心霊現象とか波動とかについてはよくわからないので、何とも言えないのだけど、
「人は一人では生きられない。私は生かされている・・・。
そのことを認識し、ありがとうという感謝の気持ちを表現すればいいのです。」
これが真理らしい。
これならわかる。

夜回り先生こころの授業 (水谷修)

2007-01-23 10:35:24 | エッセイ
(2005年発行)

先日、講演会に行った時に買った本です。

「いいんだよ 水谷修」とサインを書いてくれました。

全ての人に丁寧に言葉を添えたサインを書いていました。
名前よりも、書き添えた言葉の方に重みがある感じです。
そういう所が水谷先生の良さだと思います。



まえがきに、こんなことが書かれていました。

「もうこんな闘いはやめよう」、
何度想ったかしれません。
でも、助けを求めている子どもたちのことを考えると・・・・・・。
助けてください。
私を、
私の大切な子どもたちを。
今、水谷はみなさんの助けが必要です。
水谷はすでにつぶれる寸前です。



「水谷先生はさみしくないんですか?」
という章では、こんなことが書かれていました。

今夜ふと立ち止まり一人想うと、さみしさがなんだかこみ上げてきます。
いつも一人、常に仲間を求めず弟子もつくらない。
ただ一人歩き続ける夜の街、今の自分の姿がすべてさみしさに想えてきました。
(中略)
私は、今日から「水谷先生はさみしくないんですか」という質問に、
胸を張ってこう答えます。
「きっといつもさみしいんだよ。
だから、人のために生きる。
誰かに笑顔をもらうため」



子どもたちの問題の解決は、
一人の人の力だけでどうにかなるわけがありません。


<大人ひとりひとりが、自分の周りにいる子どもたちにやさしさを配る>


それが重要なのだと思います。


水谷先生の悲痛な訴え・・・
「今、水谷はみなさんの助けが必要です。
水谷はすでにつぶれる寸前です。」
の言葉が胸に沁みます。

生まれたときから「妖怪」だった (水木しげる)

2007-01-21 00:13:45 | エッセイ
(2002年発行)

「はじめに」より抜粋

人知を超えた大宇宙から見れば、ニンゲンの決めたルールや価値観など、とても絶対とは言いがたい。
だとしたら、ニンゲンがつくったひとつまみの砂だけを頼りに生きたくないなァ、というのが私の子どもの頃からの姿勢だった。
学校や軍隊や社会の規則といったルールだけ縛られるより、もっと自由でのびのびした大宇宙のルールで生きていこうという姿勢である。
それをいまでも続けている私のことを、他人は、「妖怪」と呼んでいる。

一般的に水木しげるは「変人・奇人」と思われてるかもしれない。
しかし、彼の半生や作品を読むと単なる「変人・奇人」ではなくて、
真に人間らしい生き方とは何か?
を追求していることがよくわかる。

突き詰めれば「妖怪」こそが、真の人間の姿なのかもしれない。

この本には、妖怪らしい生き方・・・言い換えれば真に人間らしい生き方の指針となるような言葉が数多く書かれている。
その中でいくつか特に気に入ったものを抜粋してみたいと思う。



正義というのは決してわるいものじゃない。
燦然と輝く理念のひとつだ。
だけど、キンキラキンに光っているものは、どこかウサンクサイとは思いませんか?

生きることに執念をもたねば、なんのために生まれてきたのだ、という思いが、私の心のなかにいまでもある。
それを「生の肯定」などと表現する人がいるが、そんなコムズカシイことはどうでもええのです。
うまいものを腹一杯食い、好きなことをやり、若いきれいなオネーチャンと毎日アレをやりたい。
その気持ち、それが「生きる」ということだ。

物事の満足を求めすぎるのはよくないと私はいまでも思っている。
多少、不満があっても、そのままにしておけばいい。
「知足」
という言葉があるが、足ることを知る、と読む。
人間の欲望はキリがないので、もうこのへんで十分だ、足りたと思いながら生きていきなさいという意味だ。
その点、南方の人は「知足」を心得ている。
(中略)
知足を人間の文化のひとつだと考えるならば、ビジネスマンは南方の人よりも劣った文化をもっていることになる。

何かを得れば、何かを失う。
何かを失えば何かを得る。
結局、気がつけば、人生バランスが取れている。

人づきあいは、腹八分。
そして、暮らしも腹八分がいい。

「新しい楽しみを発見する余裕」
をもつことが、幸福への大きな扉をひらく気がするのだ。

小さなことでもいいですよ。
自分のここがいいな、と思いなさい。
自分をアホだといって投げやりになる必要はない。
どんな人間にも、喜びを覚える瞬間がある。
そのとき、人は幸福を感じるのだと、水木サンは思う。



どの言葉も
戦争をくぐり抜け、八十歳を超えて生きている水木しげるが言うと実に説得力がある・・・そう思いませんか?


水木サンの幸福論 (水木しげる)

2007-01-19 17:17:54 | エッセイ
(2004年3月22日発行)


水木しげるは幸福観察学会の会長である。
・・・といっても、会員数一名なので永遠に会長なのだそうだ。(笑)
その幸福観察学会の目的は、
水木しげるが何十年にもわたって世界中の幸福な人、不幸な人を観察してきた体験から見つけ出した、
幸せになるための知恵を世に広めることなのだそうだ。



幸福の七ヵ条

第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。



詳しく知りたい人は是非この本を読んで下さいませ。


分かったようで分からない水木サンの幸福論です。(笑)



この本には特別付録1として、
「わんぱく三兄弟、大いに語る」というのがあるのだが、


水木しげるが1922年生まれ。
兄、宗平氏は二歳年上。
弟、幸夫氏は二歳年下。
三人とも非常に元気!


父親は88歳、母親は94歳で亡くなったらしい。


家族全員、長寿で、しかもお元気~~!
実に羨ましい!!!!


特別付録2は、
「ガロ」に掲載された「ゲゲゲの鬼太郎」第1話が収録されている。
一般によく知られてる鬼太郎とは全然イメージが違う鬼太郎がなかなかいい。

マンガは今どうなっておるのか? (夏目房之介)

2007-01-07 09:28:42 | エッセイ
(2005年発行)


<帯に書かれた言葉より>
夏目の目がとらえた、今、面白いマンガとは?
マンガの面白さ・うまさって何だ?
編集者はどんな仕事をしているのか?
うまいヘタ問題、儲かるか問題、マンガ家の遺族問題まで、
「マンガは今、こうなってる!」


「マンガの今」をメインテーマにマンガ・コラムニスト夏目房之介が書いたエッセイ。


BSマンガ夜話などに出演して語る夏目房之介が結構気に入っている。
彼の語るマンガ論は共感を覚えるものが多い。


・・・で、この本は私にとって実に興味深い内容のものとなっているのだが、
その中でも、非常に興味深かったのが
「世代とマンガ」について書かれた部分だ。


<一部抜粋してみる。>
思春期から青年前期において、人はもっとも深く、近い距離感でマンガを読む。
その時代・社会の条件に制約された影響を受け、一般にはその時期の体験を生涯の判断基準にする(批評は、そのことをチェックし調整していかないと次第に的ハズレになっていく)。

人は自然に成長し老いていく。
その過程でマンガへの距離が違ってしまうのは当たり前である。
いい年をして思春期の頃と同じように子供マンガに入れ込んでいるほうが、ちょっとおかしいと思うべきである。
「今のマンガはどうも面白いと思えない」という年下の人の話を詳しく聞くと、
対象年齢がはるかに下であるはずの少年マンガや少女マンガについて語っていたりする。
対象年齢によって主題はズレてくると考えるべきだから、むしろ「面白くない」のが自然なのである。
ただ、だからといってマンガそのものに時代による変化があることは否定できない。
その変化を語るとき、仮に世代による距離の優位があるとしても、
互いの「わかる」部分と「わからない」部分を議論することで正確な距離測定ができるはずなのだ。


夏目房之介のように<批評>を仕事としていると、こういった世代による感覚の違いは非常に気になるところだと思う。
批評を公正にしようとすればする程、世代や好みといったものを排除しなくてはいけないからだ。
だから、そういったものがない<表現論>の方に向いていったとも思える。


私の場合、個人的に好き勝手な<感想>を書いているわけであって、決して<批評>ではないのだが、
漫画を読んでいて、
「この作品を若い頃に読んでいたら、もっと違った感想になっただろうな~」
と、思えるものは非常に多い。


「マンガ批評」という世界はまだまだ確立されたものではないが、
「老い」や「好み」の問題を批評に組み込んだ語り口というのが今後出てくるんだろうな~って思うのだ。



「マンガの『うまいヘタ』」
という項目にも面白いことが書かれている。


この<うまいヘタ>に関しては、実際の絵を見比べて説明した方がわかりやすいと思うが、
一言で言うならば、
単純に絵の上手さ(デッサン力とか、そういったもの)だけでなく、
プラスアルファーのものがある。・・・っていうこと。


このあたりの感覚を説明するとなると非常に難しいので、
知りたい人はこの本を読んで下さいませ。(手抜きです~ゴメンナサイ~!・・・笑)


さおだけ屋はなぜ潰れないのか? (山田真哉)

2006-11-20 13:51:25 | エッセイ
新書版ブームというか・・・これも結構話題になった本だよね。



本を開いて思ったこと。。。

活字が大きい~~!!

読みやすさ、手に取りやすさ・・・の追求なのだろうか?



これはサブタイトルが
「身近な疑問からはじめる会計学」
と、なっている。



ふ~~~ん?会計学の本なのか~?
・・・と思って手に取ると、

本書は、いわゆる「会計の入門書」ではありません。
細かい財務諸表はひとつも出てきませんし、
専門用語もそれほど多くはないので、
気を楽にして、
ひとつの読み物として読んでみてください。
きっと会計に対する見方が変わるはずです。



ま~要するに「雑学本」っていう感じですね。
「会計学」の本ではないようです。



あまり数字は得意ではない私だが、
「さおだけ屋」がどうして潰れないか程度なら理解出来る。(笑)


問題は、私自身に「数字のセンス」があるかどうか・・・っていうことなのだが・・・?
スーパーのチラシをチェックして、「前日との比較」「他店との比較」
「ある特定の数字を定期的におさえる」・・・程度はやってるつもりだ。
主婦としては、何とか合格?(笑)

バカの壁 (養老孟司)

2006-10-31 18:56:29 | エッセイ
(2003年発行)


この本は大ヒットしたから知ってる人は多いと思う。



2003年 ベストセラー第一位
新語・流行語大賞
毎日出版文化賞特別賞



発行部数は、2006年8月の時点で419万部
戦後日本の歴代ベストセラー4位・・・なんだそうだ。



凄い売れ行きだ。
内容はどちらかというと「硬い」ものなのだが・・・。



売れた訳のひとつとして
タイトルにインパクトがあったことが考えられる。
帯に書かれた
「話せばわかる」なんて大ウソ!・・・という言葉もインパクトがある。
そして、聞き書きの話し言葉という形態にしたため、非常に読みやすくなっている。ということ。



マスコミにも多く取り上げられて、まさしく「流行」になり、
「バカの壁」を読んでなければ、流行遅れになるっていうわけで、日頃、こういう本を読まない者までもが次々と買っていったのかもしれない。




<カバー折り返し部分の説明より>
「話せばわかる」なんて大ウソ! イタズラ小僧と父親、イスラム原理主義者と米国、若者と老人。互いに話が通じないのは、そこに「バカの壁」が立ちはだかっているからである。いつの間にか私たちを囲む様々な「壁」。それを知ることで世界の見方が分かってくる。
人生でぶつかる諸問題について、「共同体」「無意識」「身体」「個性」「脳」など、多様な角度から考えるためのヒントを提示する。



一言で言えば、答えは一つではない!ってことかな?



もともと問題にはさまざまな解答があり得るのです。
そうした複数の解を認める社会が私が考える住みよい社会です。
(まえがきより一部抜粋)



大いに同感!!
「戦争」とか「差別」とか・・・<複数の解>つまり相手を認める心があれば起こらないのではないだろうか?



著者は「一元論の否定」を訴える。

バカの壁というのは、ある種、一元論に起因するという面があるわけです。
バカにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。
向こう側が存在しているということすらわかっていなかったりする。

安易に「わかる」、「話せばわかる」、「絶対の真実がある」などと思ってしまう姿勢、
そこから一元論に落ちていくのは、すぐです。
一元論にはまれば、強固な壁の中に住むことになります。
それは一見、楽なことです。
しかし向こう側のこと、自分と違う立場のことは見えなくなる。
当然、話は通じなくなるのです。



「バカの壁」というインパクトのあるタイトルのみが一人歩きしてしまったような感があるが、
こういう本は一過性のブームで終わらずにいつまでも大勢の人たちに読みつがれていって欲しい。
そして、一元論、二元論、というものをひとりひとりが深く考えて欲しいと思う。

こどもたちへ (水谷修)

2006-07-26 05:52:48 | エッセイ
帯に書いてある言葉

水谷先生が、いつも子どもたちに
語りかけている言葉、
そして切実な想いを
一冊の本に結びました。
自分を大切にする心と、
厳しい現実を生き抜く力を育てます。

いま、生きにくいと
感じている子どもたちへ
そして、すべての子どもたちへ

夜回り先生が
いま、いちばん
伝えておきたいこと




水谷先生の言葉は、す~っと抵抗無く心に沁みてくる。
そう、こういう風に言って欲しかったんだ。
・・・と、思える言葉なのだ。



生き方の本など他にも色々あるが、それらの中には
何だか首を傾げるような本もある。



何故だろう?



水谷先生の<想い>は本当に心から思っているものだからだろうか?



この本のタイトルは「こどもたちへ」・・・である。



しかし、「大人たちへ」であってもいい本である。



今、心が傷ついている人たちへ、こどもでも、おとなでも読んで欲しい。
そんな本だ。



ヘンな事ばかり考える男ヘンな事は考えない女(東海林さだお)

2006-04-05 19:03:14 | エッセイ
(2002年発行)


東海林さだおは勿論漫画家である。
・・・が、こういったエッセイのような著作物も数多く出している。
どれも、様々な物事について東海林氏独特の観点で書いているので非常に面白い。



さて今回取り上げた作品。
タイトル通り「ヘンな事ばかり考える男」すなわち東海林氏が考えた「ヘンな事」を書いている。


例えば、
食べ過ぎて立っていられずに倒れる「食い倒れ」をしてみたいと考える。
毎日食い倒れていては体に悪いだろうが、たった一日だけならそういう日をつくるのはかえって体にいいのでは?と考えるのである。

いままでイジイジいじけて萎縮していた胃や腸や肝臓や膵臓や肛門などが、「時こそ至れり」と大いにはりきり、大奮起して大活躍し、以後大健康になるということだって考えられないことではない。



う~~~~ん???メチャクチャな発想だよ!!



そして実際それを実行してしまうのだ!!
天丼・おろし蕎麦・どじょう鍋・すきやき、と四件の店をはしごして完食してしまうのだ!
そして、本人の感想

多分これであすあたり効果があらわれ、かすみ目、肩こり、夜間頻尿なども少しずつ治っていくにちがいない。



その他、手づかみで食べた方がおいしいかも?と考えてゴハンやアジの開きや味噌汁、納豆を実際手づかみで食べてみたり・・・



やっぱり、こういう発想は「男」に多い気がする。
「女」はどちらかと言うともっと「現実的」な発想をする人が多いような気がする。
私はこういう発想を「バカバカしい」とは思わないし、こういう発想の人の話を聞くのは好きだ。
・・・しかし、
実行する気にはなれないな~~~。(笑)


おじさん入門(夏目房之介)

2006-03-24 21:08:23 | エッセイ
(2005年発行)



マンガコラムニスト、エッセイスト、評論家である房之介氏のエッセイ。


一言でいうなら、

みんな、ちゃんとトシとったことを肯定的に認めようよ



という内容の本である。
読んでいて非常に共感を覚える箇所が幾つもあった。



例えばこういう箇所がある。

若い頃、厄介な事態に落ち込み、必要以上に悩み、悲しみ、怒り、文句をいい、ああでもないこうでもないとジタバタあがくことは、それはそれで必要な経験ではある。
でも、必要以上のアガキはかえって解決を遅らせ、自分を心理的に消耗させる。
そのことに気づくと「ムダな抵抗はやめなさい」と、犯人を包囲した警官のような言葉が説得力をもつようになり、あまり悪あがきしなくなる。
こういうのを「トシの功」といってもいいだろう。



こういう気持ちはたぶん若い頃にはイマイチ理解出来ないものだと思う。
しかし・・・トシを取ると・・・そうなんだよね~。と呟いてしまうのだ。
トシをとると「悪あがき」をする体力がなくなるのだ。



房之介氏は

トシをとることは「省エネ化」された生き方をもたらし、効率的で低燃費な人生の送り方を教えてくれる。

と書いているが、まさしくその通り!!
私がいつも思ってる事を、よくぞ言って下さった!!という感じだ。



現在では「若い」といわれることがおじさんの評価になってしまい、おじさん自身がそれを望んでいる。
おじさんは「若い人」の基準から自分の価値をはかろうとしており、ヘタすると自分自身の「トシの功」に気づいていなかったりするのだ。
本当は、若い人にはわからない、目に見えない「なにか」こそが、自分たちがトシをとって獲得した価値であるはずなのに。



私は房之介氏よりはまだ若いし、当然おじさんでもないが、(おばさんだけど・・・笑)
房之介氏の意見に同感である!!
どうも、「トシを取る」ことはマイナスのイメージがあるようだが、
決してそんなことはない!!
肉体的には体力がなくなるとか、すぐ疲れるとか、色々あるけれど、
「思い出」という財産が増えてくるのだ。



過去にすがるようになったオヤジの思い出話とくさすのは簡単だ。
けれど僕らは現在を生きるのをやめてるワケじゃない。
現在に、豊かな過去が加わって楽しいだけなのだ。
それを誇っていいと僕は思うんだけどね。



はい、私もそう思います~~!!



房之介氏はこの原稿を49歳から54歳の間に書いているそうだ。
そして、その間には色々と生活にも変化があり、なかでも一番の変化は30年一緒にいた妻と別れたことらしい。
その件に関しては詳しく書いていないが、大変だったんだろうな~と思う。



あとがきの最後にこう綴っている。

最後に、別れたとはいえ僕の人生に多くの幸せと経験をもたらしてくれた元妻の英子に感謝し、本書を捧げたい。
長いあいだ、ありがとう。
そして、ごめん……。



房之介氏にも英子さんにも幸せになって欲しい。
一読者として、そう願うのみである。

のんのんばあとオレ(水木しげる)

2006-03-07 17:01:16 | エッセイ
(1977年 「ちくま少年図書館37」として刊行)

これは漫画作品ではない。
自分の半生を描いたエッセイ的なものだ。
以前NHKで実写版ドラマになったから知っておられる方も多いかもしれない。



裏表紙の解説文より

授業中は居眠りばかり、休み時間には活躍しすぎて立たされたり、
家へ帰れば、ガキ大将めざす攻防戦に大いそがし・・・
学校の成績こそひどいものだったが、彼の心は上の空。
「のんのんばあ」といっしょに、お化けや妖怪などの住む
目に見えない世界をさまよっていた。
少年時代をたっぷり味わいつくして悔いのない、
漫画家・水木しげるのおかしな少年記。



水木しげるが子供の頃、境港あたりでは神仏に仕えたりする人のことをのんのんさんと言っていたらしい。だから「のんのんばあ」とは神仏に仕えるおばあさんという意味だ。
彼はこの「のんのんばあ」から様々なお化けや妖怪の事を教えて貰い、
そして実際、そういった存在を「感じて」いたようだ。
そういった体験が大人になって漫画を描くときに役に立ったわけだ。


妖怪話だけではない。
水木少年はガキ大将として遊び、イタズラもいっぱいして、
紙相撲に熱中したり、新聞題字集めに熱中したり、「人口とり」ゲームに熱中したり、
実に充実した輝くような少年時代を送っている。


大人になって、なかなか就職が決まらなかったり、
戦争で片腕を失ったりと苦労も多かったが、
40歳すぎて、ようやく漫画家として生活が安定する。


現在、テレビなどでお見かけする水木氏は
人間というよりは「半妖怪」のような気がする。(笑)
決して貶しているのではない。
尊敬を込めて「半妖怪」のようだと言っているのだ。


彼が輝くような少年時代を送ってくれたおかげで、
我々は今、多くの妖怪たちの事を知ることが出来るのだ。
もし、彼が「のんのんばあ」に出会わなかったら
もしかすると妖怪たちは絶滅していたかもしれない。


水木氏、そしてのんのんばあに感謝!!