本の迷宮

漫画感想ブログです。「漫画ゆめばなし」(YAHOO!ブログ)の中の本の感想部分だけを一部ピックアップしています。

ハイジ (J・シュピーリ 作  矢川澄子 訳  パウル・ハイ 画)

2014-12-20 16:49:28 | 児童書
子供の頃、まあ所謂<少年少女名作全集>とかいう類のものはほとんど読んだと思うのですが、大人になった今でもたまに昔の<古典童話>といわれる類のものを読み返したくなる時があります。

・・・で、先日、図書館で借りてきたのが「ハイジ」。
「ハイジ」と言うとアニメの「アルプスの少女ハイジ」のイメージが強いのですが原作はアニメ版とはちょっと違います。

一番大きな違いは、原作では「信仰の大切さ」が最大のテーマとなっているのに対してアニメでは宗教色を極力排除しているという点。
外国の古典童話ではよくこの<信仰の大切さ>というものがテーマにあったりするわけですが、
初詣には神社に行き、お葬式は仏式で行い、クリスマスにはお祝いをする・・・という大方の日本人の感覚では<信仰>がテーマだとイマイチ違和感を覚えるのかもしれません。
もしもアニメの「アルプスの少女ハイジ」が原作通り信仰の大切さを前面に描いていたとしても面白さに変わりはなかったかもしれないし、このアニメを見た子供たちが無意識のうちに信仰の大切さと言ったものを心の奥底に持つようになっていた・・・という可能性もゼロではないかもしれませんね。

原作のペーターはアニメ版よりもちょっと性格が悪いような気がします。
例えばクララに嫉妬するあまり、ペーターが彼女の車椅子を崖に落として壊してしまうのだけど、
アニメではこのエピソードは、クララが誤って車椅子を坂に落としてしまったというストーリーに変更されています。
原作ではペーターのした行いについて、クララのおばあさまが神様のお話をして諭すシーンがあるのだけれど、そういう信仰に関するエピソードは省くという方針?だから、車椅子はクララが誤って落としたという風に変えざるを得なかったということなのでしょうか。

アニメもアルプスの自然が素晴らしく表現されていてよかったのですが、原作もアルプスの自然を語る部分が非常に素晴らしいし、この福音館版の挿絵もステキです。
・・・で、思わずハイジのいるアルムの山に行ってみたくなるのですが・・・私には山登りは無理だなあって思うんですよね~。
でも、一度ハイジの舞台になったマイエンフェルトに行ってみたいですね。

ふたりのロッテ  (エーリヒ・ケストナー)

2005-07-15 22:24:05 | 児童書
赤ん坊の時、両親の離婚によって、お互いのことを知らず別々に育った少女、
ルイーゼとロッテが休暇で行った子供の家で偶然出会う。
二人は自分たちが双子だという事に気づき、誰にも秘密にお互いが入れ替わって生活することにする。
そして…

という具合にストーリーが進むのだが、そっくりの双子がそれぞれの育った家で生活するスリルが楽しい。

この話は児童向きなのに「離婚」という問題をテーマにしている。
これは当時の児童書としては実に画期的だったらしい。

そのせいか、作者は作品中で、
「一体全体どうして子供たちにこんな話を聞かせるのだ!」とどなるような大人には、
この世の中には離婚した両親がたいそうたくさんいること、
そのためにいっそうたくさんの子供が苦しんでいること、
また他方、両親が離婚しないために苦しんでいる子供がたくさんいることを、はなしてやりましょう!
…と、語っている。

この話のテーマは、まさしくそれであろう。

結局、別れた両親は再び結婚して、めでたし、めでたし!
と、この話は終わる。

それは、それでいいんだけど、私的にはちょっと引っ掛かることがあるのだ。

いくらよく似た双子だからといって、入れ替っても周りの人間が気付かない。
…なんてことは絶対に在り得ない事だと思うのだ。
あまり親しくない同級生程度なら騙せるかもしれないが、親しい友人は変だと気付く筈だし、
親が気付かない訳がない!!!
そりゃね、すぐにばれたらお話が続かないでしょ!…と言われちゃうと、その通りなのだが、
現実問題として、いくら見かけがそっくりの双子だとしても、雰囲気が違うのである。
ましてや、この話のように違った環境で育ち、性格も全く違う双子の場合、
双子だと知っている親が気付かないなんて、絶対変だ!ありえない!!

また、
似てるからと言って周りが騒いだり、写真屋が出版社に写真を送ったり、
勿論、悪意はないのだが
ちょっと「見世物」的な感じがするのは私だけだろうか?

ストーリーは好きなのだが、その辺の事が少し気になる「双子の母親」です。





小公女  (フランシス・H・バーネット)

2005-07-02 07:46:16 | 児童書
実はこの本、めちゃくちゃ大好きなんです。

少女漫画より、少年漫画!
恋愛ドラマより、アクション!
…という私なんだけど、何故かこれは非常に気に入ってる。

小さいとき読んだ挿絵が美しかったからかもしれない。
セーラの大好きなお人形、エミリーのようなお人形がとっても欲しかった。
その影響か、今でも人形は好きである。

話は有名過ぎるぐらい有名だと思うので、詳しくは書かないが、私が好きなのは、ラム・ダスが部屋に色々なものを持ち込んで、まるで部屋が素敵な魔法にかかったようになる所からである。
父親の死を知らされる所までは、あまり読みたくない。もう少しであのシーンだと思うと辛くなるから…。
こき使われている所も好きではないが、もう少ししたら、いいことが起きるのだ。と思って辛抱して読むことが出来る。(笑)

これは、最後がハッピーエンドになるのを知ってるから、好きなんだろうなーと思う。
基本的に私はハッピーエンドの話の方が好きである。

しかし、子供の頃から少し気になっていた部分がある。
下働きのベッキーが、最後にセーラ付きの侍女になる所だ。
あれだけ、一緒に苦労して、随分ベッキーに助けられたのだから、セーラはベッキーを「侍女」にしなくてもいいじゃないか!と思うのだ。
義理の妹というのは無理でも、「友人」待遇には出来ないのか!?
ベッキーもセーラも他の皆も、それに何の疑問も持たないのは何故?
ベッキー、それで本当に嬉しいのか???

結局、当時の身分差別というもので、誰も疑問に思わず、それが当然なんだ。と(作者を含めて)考えられていた。という事なんでしょうね。

お金持ちは貧しい者に恵んでやるのが当然。というような箇所も、よくある。うーーん。何か違うぞ!!
親切なようで、それでも何か釈然としない。
「金持ち」と「貧乏人」は、そもそも住む世界が違うという事か??平等ではないのか?

ま、そんな事を考えると、この作品がつまらなくなってしまうんですけどね。

ちょっと、「当時の世間の考え方」っていうものが、垣間見える作品だとも言えますね。

BY:みやびちと

レモネードを作ろう  (ヴァージニア・ユウワー・ウルフ)

2005-06-23 18:43:26 | 児童書
貧しい生活から抜け出すために、大学に行きたい。
でも、大学へ行くためにはお金がいる。
学費集めに、ベビーシッターのアルバイトを始めたラヴォーン。
行った先が、3つ年上の17才で、2人の子持ちのジョリー。
ねとねとで、べとべとの子供たち。不衛生な部屋。
ジョリーの生活は、ラヴォーンよりも貧しかった。
ジョリーと2人の子供たちとの関わりで、反発し、認め合い、影響しあって、変わって行くラヴォーンたち。
シングルマザー、ドラッグ、段ボール・ボーイ、セクハラなどの問題。
一生懸命 日々を過ごしている彼女たち。
福祉、「立ちあがる母親計画」クラス、四角四面な大人たち。
ひとり、ひとりの本音とたてまえ。

私も子育てはしてきたが、ここまで、考えていただろうか?
私の娘は、こんな考え方が出来るのだろうか?

散文詩のような、短い、とても読みやすい文章です。あなたは、レモネードを作れるでしょうか?
(この意味は、本文で!)

親子で、ぜひ読んでみてください。

BY:星川

グリックの冒険 ・ 冒険者たち ・ ガンバとカワウソの冒険 (斎藤惇夫)

2005-06-22 19:46:09 | 児童書
所謂、「ガンバ三部作」である。

現在30代以上の人達のなかには、アニメ「ガンバの冒険」を覚えていらっしゃる方も多いかもしれない。
この三冊の中の「冒険者たち」はアニメの原作である。ただし原作はサブタイトルが「ガンバと15ひきの仲間」とあるように「15ひきの仲間」がいるのだが、アニメ作品には残念ながら、何匹か省略されてしまっている。

この三部作は、どれも「すばらしい自然」というのがテーマとなっているようだ。特に「ガンバとカワウソの冒険」では、ガンバたちが絶滅したはずのカワウソを見つけ、凶暴な野犬と戦いながら、伝説の河「豊かな流れ」をめざすのだが、カワウソも住めないような河にしてしまった人間のひとりとして、反省しなければならないと思ってしまった。

非常に個性的に描かれたネズミ達の言動は、ハラハラしたり、納得したり、読んでいるうちに色々と考えさせられてしまう事が多かったりするのだ。
この作品は、一応児童書ではあるが、大人が読んでも十分に読み応えがあって楽しめる作品となっている。子供の頃の純粋な心を忘れかけている大人が読んでみるのもよいかもしれない。

BY:みやびちと