(平成7年発行)
1984年~1994年にかけて描かれたSF短編13本が載っている。
相変わらず、冴えたタッチ。
「SF漫画」というとこの作者を忘れるわけにはいかない・・・という感じだ。
この本の中で私が一番気に入っているのが
「VOL.6 セス・アイボリーの21日」
ある惑星に遭難したセス・アイボリー。
生存者は彼女ひとり。救助まで21日間かかる予定。
…ところが、この世界では生物時計の進み方がひどく速いのだ。
たった2日間で10年は老化するのだ!!
「21日たつ前に私は老衰で死んでしまう!!」
8日目、そう考えた彼女は自分自身のクローンを作る。
そして、その子に圧縮学習機で言葉・文字・宇宙・地球のこと等を教え込む。
12日目、セスは老衰のため死亡。
遺されたクローンのセスはオリジナルのセスがしたようにクローンを作り学習させる。
この二番目のクローンは21日目に救助されて助かることが出来るだろう。
しかし、最初のクローンのセスはその前に死ぬだろう。
彼女は叫ぶ!
「おまえは助かる!
21日たてば 救援隊が来て
おまえは生きられる!
……でも 私は!?
私がおまえだったら!
ああ 私が
おまえだったら………
私が おまえだったらっ………!!
ママ
何のために 私は生まれてきたのっ!?
この子を育てるためだけ!?
私には 過去もない
未来もない!
ただ 何日間か
生きるだけの一生なんて
……ひどい
ママ~~~~~~~ッ!!」
最初のクローンのサスは二番目のクローンのセスを
餓えた動物から救うため死んでしまう。
そして・・・
21日目。
二番目のクローンであるセス・アイボリーは救出される。
過去も未来もなく命を繋げるためにのみ数日間生きる最初のクローンのセスが哀しい。
生物って何だろう?
生きるって何だろう?
私の存在価値は???
「数日間の生」ではないが、自分自身の存在価値が単に親の命を子どもに繋げるためだけ・・・というのはちょっと哀しい。
自分自身も生まれてきた限りは自分自身のために何か楽しみたいと思う。
そんなことを考えるのは人間が「考える動物」だからだろうか?
「蝿」とか「蜘蛛」とか「蟻」とかは
何を考えて生きているのだろうか?
・・・そんな事をちょっと考えてしまう作品だ。
1984年~1994年にかけて描かれたSF短編13本が載っている。
相変わらず、冴えたタッチ。
「SF漫画」というとこの作者を忘れるわけにはいかない・・・という感じだ。
この本の中で私が一番気に入っているのが
「VOL.6 セス・アイボリーの21日」
ある惑星に遭難したセス・アイボリー。
生存者は彼女ひとり。救助まで21日間かかる予定。
…ところが、この世界では生物時計の進み方がひどく速いのだ。
たった2日間で10年は老化するのだ!!
「21日たつ前に私は老衰で死んでしまう!!」
8日目、そう考えた彼女は自分自身のクローンを作る。
そして、その子に圧縮学習機で言葉・文字・宇宙・地球のこと等を教え込む。
12日目、セスは老衰のため死亡。
遺されたクローンのセスはオリジナルのセスがしたようにクローンを作り学習させる。
この二番目のクローンは21日目に救助されて助かることが出来るだろう。
しかし、最初のクローンのセスはその前に死ぬだろう。
彼女は叫ぶ!
「おまえは助かる!
21日たてば 救援隊が来て
おまえは生きられる!
……でも 私は!?
私がおまえだったら!
ああ 私が
おまえだったら………
私が おまえだったらっ………!!
ママ
何のために 私は生まれてきたのっ!?
この子を育てるためだけ!?
私には 過去もない
未来もない!
ただ 何日間か
生きるだけの一生なんて
……ひどい
ママ~~~~~~~ッ!!」
最初のクローンのサスは二番目のクローンのセスを
餓えた動物から救うため死んでしまう。
そして・・・
21日目。
二番目のクローンであるセス・アイボリーは救出される。
過去も未来もなく命を繋げるためにのみ数日間生きる最初のクローンのセスが哀しい。
生物って何だろう?
生きるって何だろう?
私の存在価値は???
「数日間の生」ではないが、自分自身の存在価値が単に親の命を子どもに繋げるためだけ・・・というのはちょっと哀しい。
自分自身も生まれてきた限りは自分自身のために何か楽しみたいと思う。
そんなことを考えるのは人間が「考える動物」だからだろうか?
「蝿」とか「蜘蛛」とか「蟻」とかは
何を考えて生きているのだろうか?
・・・そんな事をちょっと考えてしまう作品だ。