本の迷宮

漫画感想ブログです。「漫画ゆめばなし」(YAHOO!ブログ)の中の本の感想部分だけを一部ピックアップしています。

スターダストメモリーズ (星野之宣)

2007-01-31 09:33:49 | 漫画家(は行)
(平成7年発行)

1984年~1994年にかけて描かれたSF短編13本が載っている。



相変わらず、冴えたタッチ。
「SF漫画」というとこの作者を忘れるわけにはいかない・・・という感じだ。



この本の中で私が一番気に入っているのが
「VOL.6 セス・アイボリーの21日」

ある惑星に遭難したセス・アイボリー。
生存者は彼女ひとり。救助まで21日間かかる予定。
…ところが、この世界では生物時計の進み方がひどく速いのだ。
たった2日間で10年は老化するのだ!!

「21日たつ前に私は老衰で死んでしまう!!」

8日目、そう考えた彼女は自分自身のクローンを作る。
そして、その子に圧縮学習機で言葉・文字・宇宙・地球のこと等を教え込む。
12日目、セスは老衰のため死亡。
遺されたクローンのセスはオリジナルのセスがしたようにクローンを作り学習させる。

この二番目のクローンは21日目に救助されて助かることが出来るだろう。
しかし、最初のクローンのセスはその前に死ぬだろう。
彼女は叫ぶ!

「おまえは助かる!
21日たてば 救援隊が来て
おまえは生きられる!
……でも 私は!?

私がおまえだったら!
ああ 私が
おまえだったら………

私が おまえだったらっ………!!

ママ
何のために 私は生まれてきたのっ!?
この子を育てるためだけ!?

私には 過去もない
未来もない!

ただ 何日間か
生きるだけの一生なんて
……ひどい

ママ~~~~~~~ッ!!」

最初のクローンのサスは二番目のクローンのセスを
餓えた動物から救うため死んでしまう。

そして・・・
21日目。
二番目のクローンであるセス・アイボリーは救出される。

過去も未来もなく命を繋げるためにのみ数日間生きる最初のクローンのセスが哀しい。



生物って何だろう?
生きるって何だろう?
私の存在価値は???
「数日間の生」ではないが、自分自身の存在価値が単に親の命を子どもに繋げるためだけ・・・というのはちょっと哀しい。
自分自身も生まれてきた限りは自分自身のために何か楽しみたいと思う。



そんなことを考えるのは人間が「考える動物」だからだろうか?
「蝿」とか「蜘蛛」とか「蟻」とかは
何を考えて生きているのだろうか?
・・・そんな事をちょっと考えてしまう作品だ。


魁!!クロマティ高校 (野中英次)

2007-01-30 09:52:47 | 漫画家(な行)
ある日たまたまテレビをつけるとBSマンガ夜話をしていて、
ちらっと見てふーん今日は池上遼一なんだ・・・。と思ったら良ーく観ると何かちょっと違う・・・???似てるけど何か変?????

・・・・というわけで、その時初めてこの漫画を知ったのです。(何故かBSマンガ夜話で初めて知るというパターンが結構ある)

キャラが変なのばっかり・・・。
誰が一番気に入ってるかというと・・・うーん・・・”前田母”・・・かな???ああいう女の人って絶対いないとは言い切れない所がちょっと怖い・・・。(笑)
フレディもいいし、KISSそっくりの四天王もいい(何故か5人いるけど・・・)

たまには、何にも考えずにこういう漫画を読んで笑ってストレス解消するのもいいかもしれない。

ブロードウェイの星 (水野英子)

2007-01-29 09:27:45 | 漫画家(ま行)
(週刊マーガレット 1967年38号~1968年18号掲載)

舞台女優を夢見る女の子、スウは母を亡くし、独りニューヨークへ旅立つ。
そこに待ち受けていたものは楽しいことばかりではなかったが、
持ち前の明るさと努力で次々と克服していく・・・。


これはリアルタイムで読んでいた。


今、読み返してみると
最初はやっぱり絵が古いな~っていう印象を受けるのだが、
読んでいるうちに、それがちっとも気にならなくなってくる。
それどころか、伸びやかで力強くそれでいて柔らかい線の美しさを改めて実感するのだ。


古くなっても美しく完成された線はいつまでたっても美しい。


あとがきで作者が、
「この作品は恐らくまんが界では初の本格的なアクター物だったと思っています。」
と、書いているように昔の少女漫画にしては大変異色の
リアルなものだったようだ。



それより私が強く感じたのは、黒人差別に正面から取り組んでいるということ。



時代的には、この作品を描いた頃は
白人以外の人権主義の波が高まって来た時代だったそうだ。



子供の頃、読んだ時にはそういうものをどう捉えていたのか記憶にないのだが、
大人になって、今読むと、
人種差別の理不尽さが強く心に迫ってくる。



スウは混血であるがゆえに苦しむ。
しかしスウの恋人のジムは言う。

「きみの中には灼熱の太陽の下で燃えていた熱い原始の血と
遠くフィヨルドから立ちのぼる青い霧にそだてられた
透明なやさしさとが流れている
だれがのぞんでも持てないものだ
(中略)
さあ世界中に自慢するんだ私は混血なんだと!
誰一人持つことの出来ない
すばらしい血が流れてるんだと!」


魔夜峰央の「ダリ的魔法術」 (魔夜峰央)

2007-01-28 11:24:19 | 漫画家(ま行)
(2005年1月1日発行)

MARCデータベースより
ダリ作の絵画「目覚めの一瞬前、柘榴の実のまわりを一匹の蜜蜂が飛んで生じた夢」をモチーフに、イメージの錬金術師・魔夜峰央が解き明かすダリの謎。パタリロ殿下とミーちゃんのハチャメチャ漫画「ダリ的魔法術」講座も収録。




魔夜峰央もダリも好きだから、図書館でこの本を見つけて即、借りてきた。

感想は・・・。
悪いとは言わないんだけどね。
装丁も凝ってていいんだけどね。。
ダリの入門編としては良いのかもしれないんだけどね。。。

ごめんなさい!
ちょっと物足りなさを感じました。

これで(定価:本体1600円+税)はちょっと高いです。
図書館で借りたからいいけど、
自分で新刊で買う気には・・・。

わたしは真悟  (楳図かずお)

2007-01-27 00:38:04 | 漫画家(あ行)
楳図ワールドのロボット物???

へび女的なものを期待して読むと、ある意味ちょっとがっかりするかもしれない。

この発想。
この展開。
まさしく楳図ワールド!・・・
次に何が起こるか予想が出来ない面白さ。
悟とまりんが東京タワーに上っていく時の不安定な構図による、めまいさえ感じられるような怖さ。
「恐怖」って言うのは何か分からないものへの恐怖以外にも、高い所にいる恐怖というのもあるんだなー・・・なんて思いながら、読んだのだが、高所恐怖症の人にはあのページを読むのは大変だったろうと思う。(笑)

ランドセル>>まりんが両親に連れられて飛行機でイギリスに行く時、ランドセルを背負ったままなんだけど、よく考えると普通それはしないでしょう。
その後、両親の元から逃げ出してさとるの所に行き、一緒に東京タワーに上る時もランドセルを背負ったまま。
邪魔にならないのかなー?と思っていると、怖がるまりんを落ち着かせる為のラジオも入っているし、30cmの高さを補う為にランドセルの上に乗るという重要な役割を担っている。
・・・もしかしてランドセルは非常に重要な小道具??
ランドセルは「子ども」の象徴であって、それを踏み越えるという事は、大人になる一歩を踏み出した。・・・という事を表しているのかもしれない。

「真悟」は初め「真理を悟るもの」という意味だと思ったが、少女の名前を「真理」にせずに「真鈴(まりん)」にしたということは、「真に悟ったもの」という意味なのか?
・・・では「鈴」の意味は?
扉絵の少女と少年。あれは一体何を意味するのか?まりんとさとるではなさそうだし・・・。
誰でもが「まりん」であり「さとる」である。というメッセージなのか?
しかし、どれも少年が少女より先にいる構図なのが少し気になる。男はいつも女をリードしていかなければならない。という意味ならちょっとイヤだな・・・と思う。
東京タワーに二人で上る時もいつもさとるが先だったけど、まりんを先にして、もしも足を滑らした時に下からささえる方がいいのでは?・・・とちょっと思ったのだが・・・?

まりんが大人になった瞬間から真悟にはまりんの姿が見えなくなってしまう。
子どもの純粋さが無くなればもう、「つまらない、ただの大人」でしかないという作者からのメッセージなのか?
いつまでも子どもの純粋さを忘れないで!と言いたいのか?
・・・確かに作者はある意味「永遠の子ども」のようにも見えるが・・・(笑)


□・△・○(四角・三角・丸)
「真悟」が初めて意識を持った時、□(四角)になる。
(四角)・・・「コンピューターはただの四角だ・・・!!」「縦と横だけの四角に、意識などない!!」「通信衛星も四角だろうか?コンピュ-ターは全部四角なのだろうか?」
すべてのコンピューターにつながった時、△(三角)になる。
すべての情報を知り、毒のおもちゃを組み立てたのが自分だと知る。
「人は急いでいる!!人は焦っている!!人は何かを感じている!!」
・・・この言葉、人が急いでいる、焦っている、感じているものは何だろう???「漠然とした不安」といったものを作者は言っているのだろうか?・・・人類への警鐘なのか?
「なぜ、わたしは毒のおもちゃを組み立てたのでしょう?なぜ、人はそれを使うのでしょう?なぜ?なぜ?なぜ?」
・・・「真悟」はこの疑問に答えを出せない。
そして、自分とつながった軍事衛星の意識のなかに「ものすごい悪意」があるのを発見する。
「間違った進化をとげた、異形の悪意だ!!」・・・そこで初めて「真悟」は答えらしきものを出す。
「あれは、わたしの心の一部なのだろうか!?わたしが造り出したものなのだろうか!?」
限界に達したコンピューターから、人間の脳につながり、○(マル)になる。
「わたしはマルになった!!わたしは、マル。全てを知った!!」
「この世の全てのものを、わたしは知った!!」
「なぜなら・・・・・・わたしは、地球。わたしは地球!!すべてのものは、わたしの一部!!」
「真悟」がマルになった、その日、世界中で死んだ人間の全てが、行きかえり、死んだ生き物の全てが蘇ったと・・・・・・いいます。」
・・・何故?「真悟」が何でも出来るという事を表現しているのか?
四角から、三角、丸と進化しているのだが、これは大いに納得。
四角は縦と横のみで不安定な形。
三角は斜めが加わり安定した形。
そして、丸は究極の安定形。
これ以上何も言う必要はありません。


悟が、引っ越した後、やって来た家族。松浦一家について

火事>>>となりに「水をくださいっ!」と駆け込み、「タバコの火がっ!!」「外から帰ったら・・・・・・!」「タ、タタミに!!」と叫ぶ妻。
夫婦で必死に火を消すが、布を掛けて中の見えないベッドの中から、「わたしを殺さないで!!」という声が聞こえて来る。
・・・この夫婦は我が子(美紀)を殺す為火をつけたのか?
ここで、夫婦が「美紀がしゃべったっ!!」と驚いているのは、今まで一度もしゃべらなかったという事か?
そして、美紀が「真悟」と電話でしゃべり出すが、そこで初めて、美紀が動くことも食べることも、見ることも聞くこともしゃべることもうまくできないことがわかる。
「わたしはあなたとお友だちになりたいの。」としゃべる美紀の横で涙を流す両親。
一度は、火をつけて殺そうとしたかもしれないが、本当は我が子を愛していることがわかる。
その後、真悟がやって来て、美紀としゃべった後、父親が「う、うそだっ!!こっこんなことが・・・・・・!!こんなことがあるはずがないっ!!」と叫び、ベッドの上の布をはがすと・・・そこには何もない・・・???
「ベッドの上には何もあるわけがない!!あるわけがないんだっ!!」
「もういるつもりはやめるんだ!!」
「あの子が死んだのは、もうずっと前のことだ!」
・・・と言うのだが、これはどういう事なのだろう?9巻でたんすの中に隠されているのがわかるし、母親の「あの子は・・・死んでしまっていないんだから・・・・・・私達でさえ、そう思い込んでいるくらいだから・・・・・・」という台詞で生きていることがわかる。
・・・では、父親が布を取った時、何もなかったのは何故か???
これは楳図ワールドだということを、思い出さねばならない。
おそらく、ベッドの上には美紀が存在しているのだが、父親の「死んだ」という思い込みから見た視点で描かれている為、ベッドの上には何もないのだ。

漂流教室 (楳図かずお)

2007-01-26 11:22:39 | 漫画家(あ行)
今生きている漫画家で一番あってみたいのがこの人!あんなに怖い漫画が描けるのに本人は全くイメージとは違う、何だか全然訳の判らない人。
(ごめんなさい・・・でも本当に訳判らん人としか言いようがないとおもいますので・・・もちろん、これは褒め言葉です!ああいう人に憧れています)

小さい頃読んだ「蛇女」とか「赤んぼう少女」なんかは、そのページを触る事も出来なくてその漫画がのってるだろうと思われるページをおそるおそる端っこを持って、次の漫画にすすんだり、していました。
でも、怖いけどやっぱり読んでたんでしょうね。
だって内容をしっかり知ってたんですから。(笑)

「漂流教室」は、確か、小学館漫画賞を受賞した作品。
アメリカで映画化されててレンタルビデオで観る事が出来るのだけど、まだ観ていません。日本でもテレビでしていたと思いますけど原作と全然違うようなので観ていません。

それにしても、翔のお母さんはスゴイ!
我が子を助けるためにはどんなに恥ずかしい事でもする!と言い切り、実際かなり恥ずかしいぞ・・・というような事でもやってますよね。
最近我が子を虐待する親が問題になっているけどそういう人達に是非読んで欲しいなー。と思います。
私が同じような立場になった時果たしてそこまで出来るか・・・難しい問題ですよね。

”未来に置き去りにされた子供たち”という設定が面白い。”十五少年漂流記”の未来版というか子供たちが力を合わせて頑張る姿は、いつの世でも感動を与えるテーマではあるのだろうけど、よくまあ次から次へと”困難”な状況を考えられるものだと感心するほど困難が襲ってくるのですよね。
しかも、少年向きの漫画ならおそらくラストは無事元の世界にもどれました。
めでたしめでたし・・・となる筈なのに、あえてそうしない。
・・・が”希望”の残るラストになっている所が、作者の力量を感じさせられます。
流石ですね。


☆感銘を受けた言葉
主人公 高松翔の母への手紙(冒頭部分)より
「おかあさん・・・・ぼくの一生のうちで、あの信じられない一瞬を思う時、どうしても、それまでのちょっとしたできごとの数々が強い意味をもって浮かびあがってくるのです。」

この手紙(ノート)はただ一人の幼い生還者、ユウちゃんによって翔の母親に渡されます。
そして、何度も何度も、母はそれを繰り返し読むのです。
おそらく死ぬまで、一字一句覚えてしまっても読み続けることでしょう。
いま、北朝鮮に家族を拉致されて、一生懸命に戻して欲しいと頑張ってこられている方々がいらっしゃいますが、この翔の母親の姿とだぶってくるのです。
残念ながら、翔は帰って来られないけれど、拉致された方々が一日も早く帰って来られる事をお祈り申し上げます。

私は上記の冒頭の母への語りかけ部分は、(文庫版5巻)に翔が母宛てにノートに書き始めた手紙の内容だと思っていた。
・・・が「半魚文庫」というHPを読むと『決して母に届かない言葉』で、しかも、あのノートに書いたものではない。とあるのだ。
理由は5巻242ページ『おかあさん、ぼくはきょうからおかあさんあてに手紙を書くことにします・・・・・・でも、これはけっして届くことのない手紙です・・・・・・』と書いてあるから・・・というのです。
そうだろうか?書き始めた時は理性的に考えて『届かない』と思ったが、書いていくうちに届くとか届かないとか考えずにお母さんに語りかけている文章になってしまってるのではなかろうか?
・・・とはいえ、「冒頭部分のゆったりした口調はあの酷い惨劇のあった時期に書かれたものではなくて、母親と決別して未来に生きようと覚悟をしてからの翔の気分を表した最後の部分へとつながる伏線だ」と言われると、確かにかなり説得力がある。
うーーん。そうかもしれない。という気分になってしまった。
作者に訊くとどう答えてくれるだろうか?
ただ、私としては、例え、「半魚文庫」で、ノートに書かれた文と考えるのは「ブチコワシ」だと言われようと、あの言葉は母に届いて欲しいし、作品として考えた場合、作者は作品を描く場合、初めにかなり緻密な構成を考えて描くタイプの人だ(と何かに書いていたと思う)が、それを考えると後で翔が母宛てにノートに手紙を書く。というのは最初から決めていた事であることは充分考えられる。
・・・そうなると、ノートの手紙ではなく、そのあとの翔の気持ちだ。と言うのは少し深読みしすぎなのでは?とも考えられる。
さて、どっちだ???

マリリン・モンロー>>>
(文庫版6巻)で行く「富士大レジャーランド・天国」にいた案内ロボット(?)がマリリン・モンローの姿をしている。「わたしは真悟」で最初真悟の上にはマリリン・モンローの写真が取り付けてあって、「モンロー」という愛称で呼ばれていた。・・・作者はモンローのファンなんだろうか?他の作品にもモンローが出てくる場面があるかもしれない。今度、そういう所に気を付けて読んでみよう。(笑)

未来カーと腕時計>>>
小学校が未来へ行く前に翔が欲しかったのはただの車のプラモデルではなくて、「未来」の車。それを買わずに翔が買ったのは母の為のアクセサリーでもなく花でもない、腕時計。・・・しかも腕時計は車に踏まれて壊れるし、未来カーは母が買って翔のランドセルに入れていたのに、それとは気付かず小学校に着く前に捨ててしまう。・・・・・・どちらも、『時間』を暗示している。と言えなくも無い。

「漂流教室マニアック」というHPを見つけた。
その名の通りかなりマニアックな内容で、死亡リストとか、誰が何人殺したかとか、かなり細かく調べている。
興味のある人は見てみるといいかもしれない。


マンガに人生を学んで何が悪い? (夏目房之介)

2007-01-25 14:12:28 | その他
(2006年7月12日発行)


「マンガに人生を学んで何が悪い?」


「全然悪くないで~~~す♪」


・・・と私なら絶対に答えます。(笑)


映画や小説に人生を学ぶのなら良いがマンガだとふざけてる
・・・ように思ってしまう人が世の中には多いかもしれない。


「私、『浮雲』(二葉亭四迷)で人生を学びました」
なんて言うと、ちょっとカッコよく聞こえるかもしれない。
しかし、
「私、『浮浪雲』(ジョージ秋山)で人生学びました」
なんて言うと、
「はあ~??」(こいつアホか?)
と思われるかもしれない。


・・・が、前者は言文一致の文体で書かれた日本の近代小説の始まりを告げた作品で、二葉亭四迷の代表作ではあるけれども、内容的にはジョージ秋山の『浮浪雲』の方がかなりストレートに色々と<人生>を教えてくれてるのではないか・・・と私は思う。



マンガが人生の全てじゃないのは当然だし、
大衆娯楽媒体でもあるわけだし、
房之介氏も語ってるけど、年をとると

<自分の人生そのものの蓄積された質量が大きくなって、文学にしろマンガにしろ、もはや人生のごく一部の要素に見えている。>

のは確かなんだけどね、



「マンガに人生を学ぶ」っていう事も出来なくはないわけです。


そういう事を、多くのマンガを例に挙げて語ったのがこの本。

「ブラックジャックによろしく」「風と木の詩」「半神」「ちょびっツ」「自虐の詩」「弥次喜多in DEEP」「あたしンち」「天人唐草」「百日紅」「幸福の甘き香り」「男一匹ガキ大将」などなど・・・この本に取り上げられてるマンガを全て読んでいる人は少ないだろうけど、(私も全部は読んでません)
自分が読んだ事のあるマンガを房之介氏が、どう読み解いてるかを知るのも結構面白い。

つるばら つるばら (大島弓子)

2007-01-24 10:08:06 | 漫画家(あ行)
この作品。好きなんです。

大島作品には、いいものがいっぱいあるけど、特にこの作品が好きなんです。

これは、たよ子と夫の恋愛ものがたり?
継雄の半生のものがたり?
最後は近未来だから、SFものがたり?

ま、そんなジャンル分けは何でも良い。
絵は大島タッチというか、乙女チックタッチというか、そんなに技術的に凄い訳ではないけれど、この雰囲気がいいんですよね。

継雄の両親もいいし、ゲイバーのママもいい。
ラスト、念願の家を見つけ、そこに、かつてのたよ子の夫がいたのも嬉しい。

・・・で、一番好きなところはと言うと、東京の大学で出来た男の友達が、継雄の食べ残したものを平気で食べたところ。
継雄は、感極まって泣いてしまう。
それで、友だち(東野青二)は、その場にいた仲間のタオルとかハンケチとか徴収して自分のも出してテーブルにならべ、こう言うのだ。
「なんで泣いてるのかわからんがこの中で一番清潔だと思うもので涙をふけ」

継雄は、それら全部で顔を拭く。
そして、自分が洗って返したそれらハンカチーフをその後も相変わらず全員が使用していることに、もっと感激するのだ。

中学生の時、触れた手帳を捨てられた経験があって、それが、ずーーーっと、継雄の心に影を落としていたという事がわかるエピソードだ。

何だか、こういうエピソードって、結構どこにでも転がっているって感じで妙にリアルで、心にぐっと来るのだ。

小さいけど、輝いているというか、生き生きしているエピソードの積み重ねが上手いんですよね。

たよ子の想い(執念?)に、乾杯!!

夜回り先生こころの授業 (水谷修)

2007-01-23 10:35:24 | エッセイ
(2005年発行)

先日、講演会に行った時に買った本です。

「いいんだよ 水谷修」とサインを書いてくれました。

全ての人に丁寧に言葉を添えたサインを書いていました。
名前よりも、書き添えた言葉の方に重みがある感じです。
そういう所が水谷先生の良さだと思います。



まえがきに、こんなことが書かれていました。

「もうこんな闘いはやめよう」、
何度想ったかしれません。
でも、助けを求めている子どもたちのことを考えると・・・・・・。
助けてください。
私を、
私の大切な子どもたちを。
今、水谷はみなさんの助けが必要です。
水谷はすでにつぶれる寸前です。



「水谷先生はさみしくないんですか?」
という章では、こんなことが書かれていました。

今夜ふと立ち止まり一人想うと、さみしさがなんだかこみ上げてきます。
いつも一人、常に仲間を求めず弟子もつくらない。
ただ一人歩き続ける夜の街、今の自分の姿がすべてさみしさに想えてきました。
(中略)
私は、今日から「水谷先生はさみしくないんですか」という質問に、
胸を張ってこう答えます。
「きっといつもさみしいんだよ。
だから、人のために生きる。
誰かに笑顔をもらうため」



子どもたちの問題の解決は、
一人の人の力だけでどうにかなるわけがありません。


<大人ひとりひとりが、自分の周りにいる子どもたちにやさしさを配る>


それが重要なのだと思います。


水谷先生の悲痛な訴え・・・
「今、水谷はみなさんの助けが必要です。
水谷はすでにつぶれる寸前です。」
の言葉が胸に沁みます。

百鬼夜行抄 (今市子)

2007-01-22 10:19:38 | 漫画家(あ行)
何か面白い漫画はないかなー?と思ってた頃これの画集が出て、友人が尾白と尾黒のフィギュアがかわいいと言ってたのをみて、ふーん、面白いかも・・・と思って手に取ってみた作品。

予想以上に面白かったのはいいけれど、本の値段が高い!
文庫版も出てるけど大判の方が美しいし・・・もう少し安くならないものだろうか・・・

BSマンガ夜話で、低血圧漫画だと言ってたけど、まさしくその通り!
主人公はほとんど何もしない。
それどころか、事件(?)から逃げようとしている。
昔だったら、考えられないような性格をしている。結局今がそんな時代だということなのか・・・
悪いとは言わないけれど、うーん何だかこんな時代でいいのか?
と、ちょっぴり心配してしまう私はもう歳なのでしょうか?

もちろん、だからといって、この主人公の性格が嫌いな訳ではなく、なかなか良い味を出していると結構気に入っているのです。

尾白や尾黒のような妖怪が我が家の木にいないものかと見上げてみるのだけど、みつかりません。
たとえいたとしても、霊感の全くない私には見つけるのは無理ですね。

ヘルタースケルター (岡崎京子)

2007-01-21 20:40:23 | 漫画家(あ行)
(FEEL YOUNG  1995年7月号~1996年4月号掲載)

平成15年度(第7回)文化庁メディア芸術祭 優秀賞受賞
http://plaza.bunka.go.jp/festival/backnumber/15/sakuhin/helter.html

第8回 手塚治虫文化賞 マンガ大賞受賞
http://www.asahi.com/tezuka/04a.html



実は・・・こういう絵柄は苦手です。
話も全身美容整形をしたモデルの話・・・などと聞くとちょっと読む気が失せます。

・・・が、有名な賞もとってるし、いい作品なんだろうな~とは思ってました。

ある日、古本屋で105円で売ってるのを見つけました。
読まず嫌いはいけないよな~って思って買ってみました。
しかし・・・
それから何ヶ月も中を見ずに放ってました。

・・・昨日、何か読むものないかな~?ってフト目にとまったのがこの本でした。


頭がくらくらするぐらい凄い作品でした。。。

この迫力は一体何だろう??

まず、<絵>の迫力!力強さ!!
線が太いわけではない。それなのに非常に力強い線!
意志の強さを感じさせる分厚く描かれた唇。
ぎらぎらしたパワー溢れる目。

そういうものが、これでもか、これでもか・・・っていう迫力で読む者にぐいぐいと迫ってくるのだ!

ストーリーだって、単なる<美しくなりたい>女の子の話なんかじゃない。

主人公のキャラの圧倒的な力強さ!存在感!!
かなり重いテーマを鋭い切り口で描ききった実に素晴らしい作品!!!


読まず嫌いはダメだと心の底から思いました。(深く反省)


生まれたときから「妖怪」だった (水木しげる)

2007-01-21 00:13:45 | エッセイ
(2002年発行)

「はじめに」より抜粋

人知を超えた大宇宙から見れば、ニンゲンの決めたルールや価値観など、とても絶対とは言いがたい。
だとしたら、ニンゲンがつくったひとつまみの砂だけを頼りに生きたくないなァ、というのが私の子どもの頃からの姿勢だった。
学校や軍隊や社会の規則といったルールだけ縛られるより、もっと自由でのびのびした大宇宙のルールで生きていこうという姿勢である。
それをいまでも続けている私のことを、他人は、「妖怪」と呼んでいる。

一般的に水木しげるは「変人・奇人」と思われてるかもしれない。
しかし、彼の半生や作品を読むと単なる「変人・奇人」ではなくて、
真に人間らしい生き方とは何か?
を追求していることがよくわかる。

突き詰めれば「妖怪」こそが、真の人間の姿なのかもしれない。

この本には、妖怪らしい生き方・・・言い換えれば真に人間らしい生き方の指針となるような言葉が数多く書かれている。
その中でいくつか特に気に入ったものを抜粋してみたいと思う。



正義というのは決してわるいものじゃない。
燦然と輝く理念のひとつだ。
だけど、キンキラキンに光っているものは、どこかウサンクサイとは思いませんか?

生きることに執念をもたねば、なんのために生まれてきたのだ、という思いが、私の心のなかにいまでもある。
それを「生の肯定」などと表現する人がいるが、そんなコムズカシイことはどうでもええのです。
うまいものを腹一杯食い、好きなことをやり、若いきれいなオネーチャンと毎日アレをやりたい。
その気持ち、それが「生きる」ということだ。

物事の満足を求めすぎるのはよくないと私はいまでも思っている。
多少、不満があっても、そのままにしておけばいい。
「知足」
という言葉があるが、足ることを知る、と読む。
人間の欲望はキリがないので、もうこのへんで十分だ、足りたと思いながら生きていきなさいという意味だ。
その点、南方の人は「知足」を心得ている。
(中略)
知足を人間の文化のひとつだと考えるならば、ビジネスマンは南方の人よりも劣った文化をもっていることになる。

何かを得れば、何かを失う。
何かを失えば何かを得る。
結局、気がつけば、人生バランスが取れている。

人づきあいは、腹八分。
そして、暮らしも腹八分がいい。

「新しい楽しみを発見する余裕」
をもつことが、幸福への大きな扉をひらく気がするのだ。

小さなことでもいいですよ。
自分のここがいいな、と思いなさい。
自分をアホだといって投げやりになる必要はない。
どんな人間にも、喜びを覚える瞬間がある。
そのとき、人は幸福を感じるのだと、水木サンは思う。



どの言葉も
戦争をくぐり抜け、八十歳を超えて生きている水木しげるが言うと実に説得力がある・・・そう思いませんか?


さんさん録 (こうの史代)

2007-01-20 11:44:12 | 漫画家(か行)
(漫画アクション2004年12月2日号~2006年5月2日号掲載)


1巻カバー裏表紙の説明文より

妻に先立たれた男、参平に遺された一冊の分厚いノート。
それは妻おつうが記した生活レシピ満載の『奥田家の記録』だった。
主夫として第二の人生をスタートさせたさんさんの未来は、ほろ苦くも面白い。



地味だが温かい絵柄。
ストーリーも、やはり地味だが温かくほんわりと癒される。
時々あるセリフのない話も結構面白い。


1・2巻共にカバーをはずすと表紙の絵が違う。
特に2巻の表紙が面白いので、この本を手にする機会があれば、
是非カバーをはずして見て欲しい。



参平の妻のおつうが遺した家族の記録、及び家事の仕方だが・・・
こういう記録をつけてる人って尊敬してしまう。
私には無理だな~って思うのだ。


もし、私の方が夫より先に死んだら、家事一切しない夫は困るだろうな~って思う。
ま、その時は娘が三人もいるのだから、彼女たちが何とかしてくれるとは思うのだが・・・(笑)


何もしてくれなかったら、家事のマニュアル本や料理の本でも読んで一人で頑張って欲しい。
もし、幽霊になって手助け出来るのなら、助けてあげるけどね、
無理だろうな~~~~。(笑)


水木サンの幸福論 (水木しげる)

2007-01-19 17:17:54 | エッセイ
(2004年3月22日発行)


水木しげるは幸福観察学会の会長である。
・・・といっても、会員数一名なので永遠に会長なのだそうだ。(笑)
その幸福観察学会の目的は、
水木しげるが何十年にもわたって世界中の幸福な人、不幸な人を観察してきた体験から見つけ出した、
幸せになるための知恵を世に広めることなのだそうだ。



幸福の七ヵ条

第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。



詳しく知りたい人は是非この本を読んで下さいませ。


分かったようで分からない水木サンの幸福論です。(笑)



この本には特別付録1として、
「わんぱく三兄弟、大いに語る」というのがあるのだが、


水木しげるが1922年生まれ。
兄、宗平氏は二歳年上。
弟、幸夫氏は二歳年下。
三人とも非常に元気!


父親は88歳、母親は94歳で亡くなったらしい。


家族全員、長寿で、しかもお元気~~!
実に羨ましい!!!!


特別付録2は、
「ガロ」に掲載された「ゲゲゲの鬼太郎」第1話が収録されている。
一般によく知られてる鬼太郎とは全然イメージが違う鬼太郎がなかなかいい。

子供の国 (水木しげる)

2007-01-18 09:28:59 | 漫画家(ま行)
「異界への旅4」にこの作品が載っている。
この本は呉智英が<水木しげる作品集>として作品を選んだもの。


時は戦国時代。
孤児になった子どもたちが、
自分たちの幸福は自分たちで作らなければならないと考えて自ら「こどもの国」を作り生活を始める。
しかし、自分のことしか考えない大統領<ニキビ>
平民の<三太>はクーデターを起こし政権をとる。
その後、こしまきデザイナー<カルダン>(この役はねずみ男)が「くさった政治」を提案し、
再び<ニキビ>が大統領に返り咲く・・・。
ところが、・・・


「子供の国」っていうタイトルだが、これは勿論現実の大人の国を風刺した作品。
「子供の・・・」と、したのは、そもそも大人たちがやってることって子供のケンカと同じレベルだっていう意味もあるのかもしれない。



これをガロに掲載した頃、ちょうど白土三平の「カムイ伝」もガロに連載されていたようだ。


「異界への旅」の2巻で呉智英氏との巻末対談が載っている。

呉:でも、その怒りが水木さんは風刺の方に向かいましたが、白土三平さんのように直截的に表現する人もいます。
水木:農民一揆とかね。
あれも怒りです。
しかし、水木先生はね、集団ということがキライなんだな。
集団はツマラン。
ひとりでやろう、ひとりで自由にやれることが好き。
(中略)
呉:そのあたりが白土三平さんとのちがいですかね。
水木:「みんなで」というのが自分の性に合わんのです
「みんなに共通」のものを作らなきゃならんっていうのが、どうもねぇ。


「カムイ伝」と「子供の国」を読み比べるのも面白そうだ。


水木さんの、飄々としたとぼけた味わいのある風刺漫画、
呉智英氏の言葉を借りれば
「明るいニヒリズム」
は水木さんの生き方そのものなのかもしれない。