本の迷宮

漫画感想ブログです。「漫画ゆめばなし」(YAHOO!ブログ)の中の本の感想部分だけを一部ピックアップしています。

妖怪博士 (江戸川乱歩)

2011-09-23 20:18:36 | 小説
子供の頃、わくわくしながら読んでいた江戸川乱歩の本。
怪人二十面相だの少年探偵だの明智探偵だの・・・
懐かしいですね。

何十年ぶりでしょうね、これを読み返したのは。
今読むとツッコミどころ満載だけど、こういう雰囲気はいいですね~。

これらの作品の独特の言い回しが好きなんです。

例えば・・・
「ああ、なんというへんてこな建物でしょう。(中略)まるで化け物屋敷ではありませんか。」
とか・・・
「読者諸君、これはいったい何を意味するのでしょうか。」
とか・・・
「おや、これはどうしたというのでしょう。二十面相が明智探偵に電話をかけるなんて、(中略)なんだかひどく気がかりではありませんか。」
とか・・・

思わせぶりなとでも言いましょうか、この世界観がいいですね。

たまには童心に返ってこういう本を読んでみるのもいいもんです。

月光仮面 (川内康範)

2008-01-30 09:50:48 | 小説
先日、図書館の新刊コーナーでこの本を見つけました。
おぉ~!懐かしい~~!!
・・・と思わず借りて帰りました。

昔、TVで大瀬康一がやってたのを覚えてます。
あの歌も当然歌えます!
http://www.youtube.com/watch?v=nb7GjSuqU6A

↓で、一緒に声を出して歌ってみましょう!(笑)
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/gekkoukamen.html

↓これはアニメ版の主題歌です。
http://www.youtube.com/watch?v=InZrxe1QdwM&feature=related

http://www002.upp.so-net.ne.jp/koichi76/subj5_1.htm
今見ると懐かしいのだけど・・・当時カッコいいと思ってたオートバイが・・・しょぼい。(笑)
調べてみると、これはホンダドリームC70(2気筒250cc)を白く塗って使用してるのだそうだ。

全身白タイツ・・・というのも恥ずかしい。
月光仮面や悪人の仮面・覆面姿は、いつでも代役を起用できるようにとの苦肉の策なのだそうだけど・・・。
今、こういう姿で突然現れたら、「正義の味方」というよりは単なる「変態」?(笑)
いやいや、そんな風に見てはいけない。
月光仮面はカッコいい「正義の味方」なんです。

この本、コタツの上に置いてたら、うちのダンナが驚いたように言うのです。
「『月光仮面』って原作は川内康範だったのか!?あの『おふくろさん』の作詞者の・・・??」

そうなんですよね、私は当然知ってたけど、どうやらうちのダンナは知らなかったようです。
でもねえ・・・ダンナは風呂敷をマントにして遊んでた世代だと思うんだけどねぇ。
あ、そうか子供には月光仮面の原作者が誰かなんて関係ないもんね。

・・・で、この本のあとがきを読んで初めて知ったのだけど、月光仮面のテーマは
「憎むな、殺すな、赦しましょう」
だったらしい。
ところが最近は寒々とした人間関係が広がってるため
「憎むな、殺すな、尋問(ただ)せよ!」
に変更したのだそうです。

<あとがき>より一部抜粋
相手の間違いを寛大に赦しても、相手がそれを理解できなければ、逆に恩をアダで返される場合があります。
正しくないことは、相手を問いただしてでも理解させ、取り除かなければなりません。
その上で赦せばいいのです。



「月光仮面」って、単なる勧善懲悪の娯楽小説(ドラマ)ではなくて深い深いテーマがあったんですねえ。

D-魔道衆 (菊地秀行)

2007-10-26 11:17:53 | 小説
(2007年発行)

いつもの「朝日ソノラマ」ではなく「朝日新聞社出版本部」から出た”D”です。
「朝日ソノラマ」は今年の9月で営業停止になってしまったんですよね。
昔から結構私好みの本が出ていたところだったので非常に残念です。


今回の”D”も相変わらず美しくて強くていい男です。
”左手”もDから切り落とされてからの大活躍がいい。

今年の11月14日にDのコミック版
「HIDEYUKI KIKUCHI'S VAMPIRE HUNTER"D"」が世界発売されるらしい。
作者は鷹木骰子(SAIKO TKAKI)さん。
この作品が処女作で、世界デビューになるそうです。
http://www.ne.jp/asahi/falcontree/takaki/home.html

”D”のイメージ通りの絵を描いてくれているのなら非常に嬉しいのですが・・・。
どんな漫画になっているのでしょうか?楽しみです。

それにしても、
日本語版、英語版、ドイツ語版、イタリア語版、フィンランド語版、が決定してて、
スペイン語版、ハンガリー語版、フランス語版が交渉中とはスゴイですね。

しかも、<コミックを凌ぐ世界的規模のメディアによるプロジェクト>も進行中とのこと。
一体何なんでしょうね?
実写版映画でしょうか?私としてはアニメの方がいいんですけどね。
もし実写版だとしたら、Dの役が出来る俳優っているのでしょうか???

パパとムスメの7日間 (五十嵐貴久)

2007-10-20 07:31:33 | 小説
(2006年発行)

<帯の文章より>
イマドキの女子高生・小梅16歳と、
冴えないサラリーマンのパパ47歳
ある日突然、「大キライなパパ」と「最愛の娘」の
人格が入れ替わってしまったら?
ドキドキの青春あり、ハラハラのサラリーマン人生あり。
ハートウォーミングな家族愛を描いた
笑いと涙のノンストップ・エンターテインメント長編!



数ヶ月前、舘ひろし主演のTVドラマになりましたね。
舘ひろしのイメージってダンディな男性っていう感じかな?
その彼が、女子高生っぽい演技をするってことで興味深く観たんだけど、面白かった。

「人格の入れ替わり」というテーマ自体はいろいろと使われているからもう目新しくはないのだけど、
父親と娘の入れ替わりというのがなかなかいい。

最初にドラマを観て、原作を読んだものだから、イメージがどうしてもドラマの人物になってしまうんですよね。
もし、原作を先に読んでいたら、<パパ>のイメージってどういう感じだったかなあ?
舘ひろしをイメージしてたかな~?
たぶん、してなかったと思うのよね。
このドラマ、パパ役を舘ひろしに抜擢したっていうのが素晴らしいね。

原作とドラマは細かい部分は、もちろん違うのだけど、
大まかな部分はだいたい似たような感じ。

要するに、父親と娘がお互いのことをちょっぴり理解するようになったかな・・・っていう話。
まあ、現実世界では人格が入れ替わるなどという不思議な体験をしなくても、(したくてもそういう体験は出来ない?)
父と娘がお互い理解しあう事が出来ればいいんだけどね。

メtボラ (桐野夏生)

2007-06-11 10:07:18 | 小説
(朝日新聞 2005年11月28日~2006年12月21日掲載)

朝日新聞アスパラクラブで時々ブックモニターを募集している。
一冊の本に対して30人程の人に無料で本をプレゼントするかわりに簡単な感想(アンケート)を書いてもらうというものだ。
日本全国で30人だから無理だろうな~と思いつつも、読んでみたい本があると応募をしていた。
すると・・・ナント!
「メタボラ」が送られてきたのです♪

やった~~~♪ラッキー~~♪

ごく簡単な感想を書くだけで本が頂けるなんていいですよね~。
私にもっと本を与えて下さい~~!感想ならいくらでも書きますから~!と叫びたい気持ちです。(笑)



・・・で、この「メタボラ」
新聞連載時に読んでいたので実はもう本を読まなくてもストーリーは知っているんですけどね。



<帯に書かれた文章より>
破壊されつくした僕たちは、<自分殺し>の旅に出る。

なぜ<僕>の記憶は失われたのか?
世界から搾取され、漂流するしかない若者は、
日々の記憶を塗り替える。
孤独な魂の冒険を描く、
まったく新しいロードフィクション!

実に上手くこの本の内容を表現している。

(以下、少しネタバレありますので注意してください。)






<自分殺し>すなわち<自殺>だ。
ああそうなんだ、自殺って自分を殺すことなんだ・・・ってこの文章を読んで改めて感じましたね。

主人公の若者が記憶を失った状態で必死に何かから森の中を逃げているシーンで物語は始まる。
過去もない。金もない。
そんな状態で様々な体験をしながら生きていく、主人公。
彼の前に色々な人間が現れるが、必要以上に優しくも冷たくもない。
そのうち、記憶を取り戻すが、過去は想像を絶するぐらい破壊された家庭だった。
堕ちるところまで堕ちた彼が選んだのはネット自殺!・・・集団自殺をする直前でひとり彼はそこから逃げ出したところで記憶を失ったのだ。

主人公がただひとり気を許す人間、昭光は、悪人ではないけれどどうしようもない人間に見える。

ラストは・・・救いがないような気もするが・・・やっぱりああいう終わり方にしかならないのかな?
私としては、もう少し<救い>のあるラストであって欲しかったんだけどね。

スローターハウス5 (カート・ヴォネガット・ジュニア 伊藤典夫・訳)

2007-05-18 08:57:27 | 小説
(1978年発行)


<裏表紙のあらすじより>
時の流れの呪縛から解き放たれたビリー・ピルグリムは、自分の生涯を未来から過去へと遡る、奇妙な時間旅行者になっていた。
大富豪の娘との幸福な結婚生活を送り……異星人に誘拐されてトラルファマドール星の動物園に収容され……やがては第二次世界大戦でドイツ軍の捕虜となり、連合軍によるドレスデン無差別攻撃をうけるビリー。
時間の迷路の果てに彼が見たものは何か?
現代アメリカ文学の旗手が描く不条理世界の俯瞰図



この作品は彼の戦時中の体験にもとづいた半自伝的小説だと聞いていたので、
そのつもりで読み始めたのだが、最初は一体どんな話なのか上手くつかめなかったのです。



実は私は本を読む時に奇妙な癖がある。
最初の部分を読んで、ラストを読んで中間部分を読んで、また最初の部分の続きを読んで・・・という風にバラバラな順序で読むのだ。
そんな読み方して、よくわかるもんだ、と呆れる人もいるが、何故か最初から順番通りに読むのはガマンできないのです。一瞬のうちに全てのストーリーを知りたいんですよね。(笑)
・・・で、この本もいつもの調子でバラバラで読み始めたのだけど、ストーリー展開がイマイチよくわからない。
当たり前である。
この作品は、時間の経過を順番に書いているのではなく、バラバラに分断させていたのだ。
要するに、いつもの私が読んでいる方法と同じように書いてたのです。



なるほど、そうだったんだと納得したのだけど、その後素直に順序よく読めばいいものをやはり、バラバラに読んでいったんだけどね。(笑)



<戦時中の体験にもとづいた半自伝的小説>なんだから、普通に事実をありのままに書けばいいようなものなのに、この作者はそういうことをしない。
何故なんだろう?と思ってたら訳者が、それに対する答えのようなものをあとがきで書いていた。
非常に納得のいく説明だったので、ここに少し抜粋してみる。

ヴォネガットはメイン・テーマをストレートにうちだすような能のないことはしていない。
というより、それを正面きって書こうにも言葉がないのだ。
彼が戦時ちゅう捕虜として体験したドレスデン爆撃は、個人の理性と感情では測ることもできないほど巨大な出来事なのである。
(中略)
しかし彼は作家として、この言葉に表すことの不可能な出来事を小説にせずにはいられなかった。
予備知識を何も与えられずに読まされたら、こんなにめんくらう小説もないだろう。
時間的経過にのっとった物語形式をわざと分断させた(読みづらくはないけれども)奇妙な構成、
事実とファンタジイの渾融、空飛ぶ円盤、時間旅行といったSF的趣向、ほとんど無性格に描かれた登場人物たち・・・しかしヴォネガットには、このようなかたちでしか自分の体験を語る方法はなかったのだ。



恥ずかしながらわたしは<ドレスデン無差別爆撃>というものを知らなかった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ドレスデン爆撃(ドレスデンばくげき、独:Luftangriffe auf Dresden、英:Bombing of Dresden)とは
、第二次世界大戦において米軍と英軍によって1945年2月13日から14日にかけて、ドイツの都市ドレスデ
ンに対して行われた無差別爆撃を指す。この爆撃でドレスデンの85%が破壊され、3万とも15万とも言われ
る一般市民が死亡した。第二次世界大戦中に行われた都市に対する空襲の中でも最大規模のものであった

ソ連軍の侵攻を空から手助けするという一応の名目はあったが、実際は戦略的に意味のない空襲であり、
国際法にも違反していたことから、ナチスの空襲を受けていたイギリス国内でも批判の声が起こったとい
う。



この作品の中では「広島をうわまわる規模」という表現が用いられている。
実際には死者数など、ドレスデンも広島も諸説あるようなので、一概には言えないが、とにかく物凄い惨状だったことは間違いない。



この作品中に出てくるトラルファマドール星人の物の捉え方が実にいい。

「わたしはトラルファマドール星人だ。
きみたちがロッキー山脈をながめるのと同じように、すべての時間を見ることができる。
すべての時間とは、すべての時間だ。
それは決して変ることはない。
予告や説明によって、いささかも動かされるものではない。
それはただあるのだ。
瞬間瞬間をとりだせば、きみたちにもわれわれが、先にいったように琥珀のなかの虫でしかないことがわかるだろう」



「今日は平和だ。
ほかの日には、きみが見たり読んだりした戦争に負けないくらいおそろしい戦争がある。
それをどうあ、われわれにはできない。
ただ見ないようにするだけだ。
無視するのだ。
楽しい瞬間をながめながら、われわれは永遠をついやす・・・ちょうど今日のこの動物園のように。
これをすてきな瞬間だと思わないかね?」
「思います」
「それだけは、努力すれば地球人にもできるようになるかもしれない。
いやな時は無視し、楽しい時に心を集中するのだ」



すべての時間を見ることが出来るというこのトラルファマドール星人は主人公に
「哀しい時は無視して、楽しい時のみをながめる」
と語る。



ドレスデン爆撃を経験した作者は、そういう風にすることでしか哀しみを乗り越えることが出来なかったのかもしれない。
私は、ごく普通の人生しか経験したことはないが、それでも、フト思うことがある。
「あの時、あの場所にいる私は永遠にあの時空間では幸せな気持ちでいるんだろうな・・・」
とか、或いは「あの時空間にいる私はその瞬間では永遠に哀しい気持ちでいるんだよな~」
とか・・・。
悲しんでいる過去の自分を慰めに行く事は出来ないが、
トラルファマドール星人の言う通り、
そういうものは無視して楽しい瞬間瞬間だけを見て生きるっていうのがいいのかもしれない。



この作品中で何度も何度も繰り返し使われる言葉、

「そういうものだ」



この短い言葉の中に含まれる深い深い想いが読むものの胸に迫ってくる。




主人公ビリーが新聞社に投書するために書いた文章を一部抜粋してみる。
物語の最初の方に出てくる文章だったので、
一番最初に読んだ時にはわかったような、わからないような・・・という感じだったのだが、
二回目に読むと実によくわかった。この部分が一番作者が言いたかったことなのかもしれない。

わたしがトラルファマドール星人から学んだもっとも重要なことは、
人が死ぬとき、その人は死んだように見えるにすぎない、ということである。
過去では、その人はまだ生きているのだから、葬儀の場で泣くのは愚かしいことだ。
あらゆる瞬間は、過去、現在、未来を問わず、常に存在してきたのだし、常に存在しつづけるのである。
(中略)
トラルファマドール星人は死体を見て、こう考えるだけである。
死んだものは、この特定の瞬間には好ましからぬ状態にあるが、ほかの多くの瞬間には、良好な状態にあるのだ。
いまでは、わたし自身、だれかが死んだという話を聞くと、ただ肩をすくめ、
トラルファマドール星人が死人についていう言葉をつぶやくだけである。
彼らはこういう、”そういうものだ”。



先日、作者のカート・ヴォネガットは亡くなられたが、過去ではまだ生きている。
だから、私もこうつぶやかせていただこう。
”そういうものだ”

D-狂戦士イリヤ (菊地秀行)

2007-02-06 09:14:43 | 小説
(2007年1月31日発行)


先日、新刊が出ました。


相変わらずDは美しくて、強くて、いい男です♪


相変わらず左手は嗄れ声のとぼけたじーさんです。


ふたり(?)は一流の漫才師です・・・なんて言うと、Dファンに怒られる?(笑)


私は勿論Dの大ファンです~!


Dと左手ってボケとツッコミだと思いません?


例えば、今回イリヤが左手に寄生生物がいるって気がついたところが面白い。

「ちょっと見せてくれませんか?」
サイボーグ馬ごと寄ってきて、イリヤはDの左手に手をのばした。
「やめておけ」
とDが言った。
「気分が悪くなるだけだ」
「何を言うか。触っていいぞ、お嬢さん。
何なら頬ずりOKだ。
そのむちむちあんよで、はさんでも・・・ぐえ」
左拳を、もう一度ぐいと握って、Dは手綱を掴み直した。



左手がいるから、この話が面白いし、Dがより魅力的になるんですよね~~♪


うそうそ (畠中恵)

2006-10-26 18:16:23 | 小説
(2006年発行)



<帯の言葉より>
日本橋の大店の若だんな・一太郎は、摩訶不思議な妖怪に守られながら、今日も元気に(?)寝込んでいた。
その上、病だけでは足りず頭に怪我まで負ったため、主に大甘の二人の手代、兄・松之助と箱根へ湯治に行くことに!

初めての旅に張り切る若だんなだったが、
誘拐事件、
天狗の襲撃、
謎の少女の出現と
旅の雲行きはどんどん怪しくなっていき・・・・・・。

大好評
「しゃばけ」シリーズ
第五弾!



このタイトルの「うそうそ」って、「嘘嘘」っていう意味かと思っていたら、全く違う意味だった。
「江戸語辞典」(東京堂出版)によると、
たずねまわるさま。きょろきょろ。うろうろ。
・・・という意味なのだそうだ。



きょろきょろしてる、っていうのは「うそうそしてる」っていうのね。
う~~ん、何となく雰囲気が出てて面白い。



今回の話で一太郎が行く「箱根」。
実は、私が先日行ったばかりの所だ。
杉並木とか芦ノ湖とか、箱根宿とか・・・
ああ、こういう感じの所に一太郎たちはやってきたんだな~って、思いながら見ていた。



小説でも漫画でも、その話の舞台になる場所を実際に知ってるのと知らないのとでは、
作品世界の理解が少々違ってくる。
その土地の空気、雰囲気、行ってみないと微妙な所は伝わらない。
その点、今回箱根に行けて良かったと思う。



この作品を読むといつも思うのだが、
一太郎の口調が柔らかくて、性格の穏やかそうな感じがよく出ていてとても気に入っている。
小説や漫画のセリフはそのキャラの性格を際立たせるためにも、
ひとりひとり、口調が違っていて当たり前なのだが、
一太郎のはんなりと柔らかく、ちょっと天然風?でいて、しっかりしている、そんな感じのしゃべり方が心地よく感じられるのだ。

ドリームボックス 殺されてゆくペットたち (小林照幸)

2006-10-24 07:54:53 | 小説
この本は「動物愛護センター」側から見た動物の現状だ。
動物ものの本は多く出てるが、ほとんどがペットや盲導犬として大切にされた犬の話だ。



この本は違う。
特定の施設や人物を描いたものではないが、
全国どこの街にもある普遍的な物語だ。




<帯の言葉より>
「助けて下さい!」
「私をもらって下さい!」

ペットブームの裏側で
年間およそ40万匹の犬猫が見捨てられ、
”ドリームボックス”と呼ばれる
殺処分装置に送られている・・・。

大宅賞作家が描く
”ペット大国”ニッポンの現実!



昔は野良犬って結構どこにでもいたように思う。
しかし、最近は殆ど見たことがない。
たまにうろついてる犬もいるが、たいていはどこかの飼い犬で鎖が外れただけのもののようだ。



あれだけ多くいた野良犬はどこに行ったのだろう?
”動物愛護センター”でアウシュビッツのような”ドリームボックス”に入れられて殺処分されたのだろうか?
ブームで一時期流行ったシベリアンスキーたちは今、殆ど見かけない。
彼らは一体どこに行ったのだろう??



この本を読むと、責任を持ってペットを飼わねばならない、と強く思う。

しゃばけ(畠中恵)

2006-10-02 10:08:30 | 小説
先日図書館で「しゃばけ」「ぬしさまへ」「ねこのばば」の三冊を借りてきて読んだ。
この「しゃばけシリーズ」はあと二冊あるのだが、それは貸し出し中だったのかなかったので次回探してみるつもりだ。



江戸の大店の若旦那、一太郎が主人公。
17歳。
両親から溺愛されている。
身体が弱くすぐ寝込む。
手代は、犬神、白沢という妖怪。
身の回りには、屏風のぞきや鳴家(やなり)など妖(あやかし)がいっぱい!



一言で言えば、<愉快で不思議な妖怪人情推理帖>




漫画にしても結構面白いかも?と思っていたら、この作者はもともと漫画家としてデビューしていたようだ。申し訳ないが知らなかった。今も漫画を描いてるのだろうか?



金持ちの坊ちゃんで身体が弱い、という設定は私の好みである。
しかも、いつも頼もしい妖怪の手代がガードしていてくれているし・・・


妖怪ものが好きな人にはお勧めの本だ。

坊っちゃん (夏目漱石)

2006-01-29 11:15:12 | 小説
今年は夏目漱石が「坊っちゃん」を発表して、100年にあたるらしい。
そのせいか、愛媛では何かと漱石の話題で盛り上がっているようだ。

私は大学の卒業論文で夏目漱石をテーマに選んだこともあり、彼の作品はたいてい読んでいる。
漱石の文章はリズム感が非常に心地好くて大好きなのだ。
読んでいて、引っ掛かるような文章はいくら内容的に面白くても興ざめしてしまう。
漱石の文章にはそれがない。
かつては、冒頭部分を覚えたりしていたが、あのリズム感の素晴らしさは今でも感動ものだとさえ思っている。

さて、今回取り上げた「坊っちゃん」。
この作品は中学校の教科書に出てたりするから知っている人は多いと思う。

話はそれるが、(私ってすぐに話が別方向に行ってしまう・・・苦笑)
私の子供たちが中学生の時、ある日全員「坊っちゃん」の本を持ってくることになった。
私は勿論持っているが、一冊しか持っていない。(双子なので二冊いるのだ。)
確か慌てて買いに行ったが小さな田舎なので本屋は二件しかない。
それが町中の中学生が同じ本を買わねばならないのだ!(一学年200人ぐらいかな?)
そんなにたくさんの「坊っちゃん」があるわけがない!
そういえば・・・去年私の友達が子どもが学校で使うからと「坊っちゃん」を探して走り回ったという
話をしていたな・・・という事を思い出した私は最初から隣の市にある大きな本屋でその本を手に入れた。
それにしても教師は一体何を考えているのだろう?
毎年のように「坊っちゃん」を教材にするのなら一クラス分、学校で買って置いてもいいのではなかろうか?お金の問題でそれは出来ないというのなら、4月の時点で○月に「坊っちゃん」を教材として使うから用意しておいて下さい。という風にしていたら保護者が必死で本屋めぐりをする必要はなくなるのではなかろうか?
現在、どういう風にしているのか知らないが、今も同じようにしているとしたら、
この町の殆どの家庭に一冊「坊っちゃん」があるという事になる・・・。
何となく・・・面白い・・・。(笑)


昔、子供の頃初めて「坊っちゃん」を読んだ時、舞台である松山の事を思い切り田舎だと馬鹿にしてるじゃないか!!と思った。ちょっと腹も立った!
しかし、愛媛県(特に松山市)では、「坊っちゃん饅頭」とか「坊っちゃん列車」とか何かと色々なものに「坊っちゃん○○」という具合に「坊っちゃん」という言葉を付けている。
そして、みんなで夏目漱石を持ち上げているのだ!
「ね~みんな!!思い切り馬鹿にされてて腹がたたないの~!!??」
・・・と叫びたいぐらいだった。
松山の人たちは「坊っちゃん」を読んだことがないのか?いやいや、そんなことはないだろう・・・。
商売になるから腹は立つが「坊っちゃん」の名前を拝借しているだけなのだろうか???
そんな風に若い頃は考えていた。

しかし、歳をとった今、松山の人たちが「坊っちゃん」を愛する気持ちが何となく分かってきた。
今思うと、坊っちゃんって「青臭い正義感溢れる若者」に過ぎないのだ。
そんな若者がぎゃあぎゃあ喚いてる事に対して本気で怒ってどうするんだ。
そういう若者には「よしよし、まあ、そう怒らんでもちょっと一緒に飯でも食わんか?」
・・・という感じなんだろう。
要するに松山の人は「おおらかでゆったりした気持ちの優しい<大人>なんだ」
・・・今ではそう思える。たぶんそれが正解なのだろう。
大人になって初めてわかる感情というものもあるようだ。
そう考えると歳をとるっていうのも悪い事だけでもないようだ。

この文章を書いていると何だか無性に松山に行きたくなった。
そして、漱石の時代に走っていた「マッチ箱のような汽車」を復元したという
所謂「坊っちゃん列車」に乗ってみたくなった。


椿山課長の七日間 (浅田次郎)

2006-01-18 16:12:50 | 小説
(2002年発行)


死んだ人間が現世に思いを残し、再び舞い戻ってくる・・・
というストーリーは映画、小説、漫画などに数え切れない程ある。
この小説もそういう類のものだ。


設定自体は目新しいものではないと言えるが、こういう設定は結構好きなのでつい読んでしまう。
世の中にこういう類のものが多いという事は、こういうのが好きな人が多いと言う事なのかもしれない。
もし、自分の身近な人が亡くなったら、どういう形であろうとも再び現れて欲しい。
或いは、自分自身が死んでしまった場合、後に遺された愛する者が心配で現世に舞い戻りたい。
・・・と、考えている人が多いのかもしれない。



この小説では亡くなった人は
「お役所」のような「あの世」に行き、そこで極楽往生するための講習を受けた後
ほとんどの者が極楽往生していくというシステム。
「死んでも死にきれない」という者は再審査を受けて
「現世特別逆送措置」を受けられる。
そして、逆送用の仮の肉体を用意して貰って死後七日間、所謂「初七日」まで現世にいられるのだ。



なかなか面白い設定である。
自分と全く別の身体になり、現世の人に正体をばらさないで思いを遂げる。
結構、難しいことだと思うが三人の死者たちが、現世に戻っていく・・・。



死後の世界がこういう風になっていたら面白いかもしれない。
私はさっさと極楽往生の道を選ぶか、
それとも、「初七日」まで現世に舞い戻りジタバタするか・・・?
それは死んでみないとわからないな~~。(笑)

陰陽師  (夢枕獏)

2005-06-27 09:02:58 | 小説
文体がいい。
簡潔な文体。
実に心地よい文体だ。

まろやかでまったりとした口当たりのよい文体。
読み進んでいるうちに、いつのまにか「獏ワールド」に引き込まれてしまう。

山あいの野辺の草叢を、そのままここへ移したような安倍晴明の屋敷。
冷淡なようで優しさのある自然体の晴明。
単純で慈悲深く、まっすぐな気性の博雅。
ふたりがほろほろと酒を飲んでいる。

「なんだか、わけもなく、哀しくなってきたな・・・」
博雅が言った。
「おまえは、優しい漢(おとこ)だな」
黙っていた晴明が、ぽつりとつぶやいた。
「優しい漢か」
「優しい漢だ」
短く言った。
「ふふん」
「ふふん」
誰にうなずくともなく、ふたりは小さくつぶやいた。
それきり、ふたりは黙った。
雪を見ていた。
雪は、あとからあとから降り続いて、地上の何もかもを、白い、天の沈黙で包んでいった。


ペンが走るままに、ほろほろと文字を書いてゆく。
そんな文体。
春の宵、桜の闇、魑魅魍魎が跋扈する、百鬼夜行の平安時代。
ふと、現実を忘れさせられる不思議な感覚の世界に足を踏み入れた。

そんな気がする。

補陀落山(ふだらくさん)へ   (大路和子)

2005-06-23 18:57:15 | 小説
熊野にあたる海ぎわの町で生まれ育った作者が、自分の血の流れに染みこんだ故郷の山河に伝えられた物語を、自信に引きつけ、宗教の世界(大峰山修行、補陀落山捨身行、那智大滝捨身行)をからめて、独自の物語を綴った作品集である。
熊野灘をひかえた、熊野山河の奥深い世界で展開される物語の悲哀は人間の生そのもののエレジーでもある。

BY:仙人

橋のない川 (住井すゑ)

2005-06-22 19:12:17 | 小説
『差別!』と聞くと あなたなら、どう思いますか?

「うわぁ あの話って 暗くていや!」
「わざわざ 読んでみるのも…、それに 長そうだし、難しそう…。」

なんて 思っている あ・な・た

もし、本当のことが知りたいのなら、迷わずこの本を読んでみて下さい。(読みやすいのよ)

大和の美しい自然を背景に 小森に生まれた主人公 畑中孝二、彼の成長を描いた 青春大河小説 とでもいうべき話です。
生まれに悩みながらも、親や友人達に励まされ 自分自身を見つめながら成長していく姿がすばらしい。(難しいところは とりあえず目をとーすだけにして まずは全体をつかんでみて!)

主人公や、彼を取り巻く人々の悩みは、いじめの氾濫する今の世の私達自身の悩みとも似て、共感と反発を覚えることでしょう。

今、悩んでるあなたに!
読み応えのある本が欲しいあなたに!
ちょっぴりでも差別に関心があるあなたに!

ぜひ、一読を!

BY:滝瀬未久