本の迷宮

漫画感想ブログです。「漫画ゆめばなし」(YAHOO!ブログ)の中の本の感想部分だけを一部ピックアップしています。

ふたりのロッテ  (エーリヒ・ケストナー)

2005-07-15 22:24:05 | 児童書
赤ん坊の時、両親の離婚によって、お互いのことを知らず別々に育った少女、
ルイーゼとロッテが休暇で行った子供の家で偶然出会う。
二人は自分たちが双子だという事に気づき、誰にも秘密にお互いが入れ替わって生活することにする。
そして…

という具合にストーリーが進むのだが、そっくりの双子がそれぞれの育った家で生活するスリルが楽しい。

この話は児童向きなのに「離婚」という問題をテーマにしている。
これは当時の児童書としては実に画期的だったらしい。

そのせいか、作者は作品中で、
「一体全体どうして子供たちにこんな話を聞かせるのだ!」とどなるような大人には、
この世の中には離婚した両親がたいそうたくさんいること、
そのためにいっそうたくさんの子供が苦しんでいること、
また他方、両親が離婚しないために苦しんでいる子供がたくさんいることを、はなしてやりましょう!
…と、語っている。

この話のテーマは、まさしくそれであろう。

結局、別れた両親は再び結婚して、めでたし、めでたし!
と、この話は終わる。

それは、それでいいんだけど、私的にはちょっと引っ掛かることがあるのだ。

いくらよく似た双子だからといって、入れ替っても周りの人間が気付かない。
…なんてことは絶対に在り得ない事だと思うのだ。
あまり親しくない同級生程度なら騙せるかもしれないが、親しい友人は変だと気付く筈だし、
親が気付かない訳がない!!!
そりゃね、すぐにばれたらお話が続かないでしょ!…と言われちゃうと、その通りなのだが、
現実問題として、いくら見かけがそっくりの双子だとしても、雰囲気が違うのである。
ましてや、この話のように違った環境で育ち、性格も全く違う双子の場合、
双子だと知っている親が気付かないなんて、絶対変だ!ありえない!!

また、
似てるからと言って周りが騒いだり、写真屋が出版社に写真を送ったり、
勿論、悪意はないのだが
ちょっと「見世物」的な感じがするのは私だけだろうか?

ストーリーは好きなのだが、その辺の事が少し気になる「双子の母親」です。





小公女  (フランシス・H・バーネット)

2005-07-02 07:46:16 | 児童書
実はこの本、めちゃくちゃ大好きなんです。

少女漫画より、少年漫画!
恋愛ドラマより、アクション!
…という私なんだけど、何故かこれは非常に気に入ってる。

小さいとき読んだ挿絵が美しかったからかもしれない。
セーラの大好きなお人形、エミリーのようなお人形がとっても欲しかった。
その影響か、今でも人形は好きである。

話は有名過ぎるぐらい有名だと思うので、詳しくは書かないが、私が好きなのは、ラム・ダスが部屋に色々なものを持ち込んで、まるで部屋が素敵な魔法にかかったようになる所からである。
父親の死を知らされる所までは、あまり読みたくない。もう少しであのシーンだと思うと辛くなるから…。
こき使われている所も好きではないが、もう少ししたら、いいことが起きるのだ。と思って辛抱して読むことが出来る。(笑)

これは、最後がハッピーエンドになるのを知ってるから、好きなんだろうなーと思う。
基本的に私はハッピーエンドの話の方が好きである。

しかし、子供の頃から少し気になっていた部分がある。
下働きのベッキーが、最後にセーラ付きの侍女になる所だ。
あれだけ、一緒に苦労して、随分ベッキーに助けられたのだから、セーラはベッキーを「侍女」にしなくてもいいじゃないか!と思うのだ。
義理の妹というのは無理でも、「友人」待遇には出来ないのか!?
ベッキーもセーラも他の皆も、それに何の疑問も持たないのは何故?
ベッキー、それで本当に嬉しいのか???

結局、当時の身分差別というもので、誰も疑問に思わず、それが当然なんだ。と(作者を含めて)考えられていた。という事なんでしょうね。

お金持ちは貧しい者に恵んでやるのが当然。というような箇所も、よくある。うーーん。何か違うぞ!!
親切なようで、それでも何か釈然としない。
「金持ち」と「貧乏人」は、そもそも住む世界が違うという事か??平等ではないのか?

ま、そんな事を考えると、この作品がつまらなくなってしまうんですけどね。

ちょっと、「当時の世間の考え方」っていうものが、垣間見える作品だとも言えますね。

BY:みやびちと