私の宝物シリーズです。これはJR西日本関係者からいただいた新幹線試験車両961形が1979年(昭和54)12月7日に小山試験線で樹立した当時の電車の世界最高時速319キロを記念して製作されたプレートです。裏面には「小山新幹線試験線管理所」とあります。
正確に測っていませんが、横30センチ、縦20センチほどの鉄製で、ずしりと重みがあります。色は見ての通り青地に金メッキ(真鍮かも)。日本国有鉄道を表すJNRのマークと高速度記録319km/hの文字が誇らしげです。
961形は1973年(昭和48)に開発された6両の試験車です。当時はまだなかった食堂車をつないだり寝台車まで組み込んだりしてありました。最初は大阪運転所に配属されて山陽区間で試験走行していたそうですが、その後、小山試験線に転じてこのプレートの通り、偉大な記録を打ち立てました。
食堂車は0系に生かされましたが、寝台車は結局、日の目を見ずじまいで終わりました。しかし、東海道・山陽新幹線区間と東北新幹線区間の両方を走った極めて珍しい経歴を持つ車両です。
廃車になった後も一部車両が保存されています。ただ、今の塗装は200系と同じ白に緑のようですが、本来は0系と同じアイボリーホワイトにブルーだったそうです。
高速度記録達成の記念プレートは東京の国分寺に保存してあるとのこと。写真でしか見たことがありませんが、相当大きいみたいですね。それに比べると、私の持っているこのプレートは小さな物です。国分寺の物は実車に取り付けられたものでしょうか?
私の物はおそらく当時の国鉄関係者に試験線管理所が作成して配ったものではないでしょうか。これも新幹線の歴史を証言する貴重な物だ、と考えています。
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新幹線に寝台車を組み込んでみた、という話は聞いたことがあります。あの速度ですと、できても仮眠程度でしょうね。
今日は朝に長岡京駅近くでなにわの撮影をしました。ようやく3年越しにまともに正面から撮影できました! ……それを撮影していたので、その後のカラオケの集合時間に5分遅れてしまいましたが…(^^;
0系は鋼製車ですが、こいつは実はアルミ合金とのことです。同じ形をしていても車体重量の違いで高速度記録を達成できたのでしょうかね。
寝台車ですが、在来線ほど加減速の衝撃は少ないから、意外によく眠れるのではないでしょうかね。当分、実現しませんが、東京-鹿児島中央間直通運転の夜行新幹線が登場すると寝台もありかな?
大サロよかったですね。カラオケは逃げませんが、大サロ撮影はチャンスが少ないからこっちの方が大事ではないですか。
なるほど、東京ー博多間は考えていましたが、鹿児島中央まで結ぶという発想はありませんでした。在来線や飛行機の最終便よりも遅くに出て、それらの始発よりも早くに着くことも十分可能でしょうね。
逃げはしませんが……私は自他共に遅れることが嫌いなので、なるべく時間までに行動することを心がけているものですから(^^; まだ1人しか来ていなかったのでホッとしましたよ(苦笑)
まむしさんって知り合いとかがJRで勤めてるんですか?
ちなみに僕の鉄道遺産は日本国有鉄道のラベルが貼られたレールの切断(?)された文鎮とボンネット型雷鳥の文字式ヘッドマークです
会議でも待ち合わせでも最低5分前集合がマナーだと思います。
ただ、どうしようもないときは、前もって連絡する。次善の策を伝える。これはOKですよ。
まあ、この歳になると、知り合いも各方面におりますので、はい。
宝物は人それぞれだから無限大に宝物はありますね。
赤雷は901はありません。1号機から始まっています。たしか、1号機はあまり長期運用はいらないから撮影が難しいです。
いえいえ、そんなに大した物は持っていません。トワイライトのネクタイピン、すてきですね。私も押入れなどを探して、何か出てきたら、また紹介したいと思います。
おっしゃる通りです。それぞれ自分なりに大切なものがあり、それが宝物ですものね。
赤雷1号機、やってこないかなあ。