アニバーサリー

2011-01-19 00:28:55 | 日記
〝どこどこどこどこ、どこ行くの
 お白粉塗ってどこ行くの
 どこどこどこどこ、どこ行くの
 お太鼓締めてどこ行くの
 どこどこどこどこ、どこ行くの
 白足袋履いてどこ行くの〟

みや子を拾った記念日には、
お金のないママは即興の歌を歌ってお祝いをしてきました。
みや子はじっと目を見つめて聞いてくれました。

みや子と出会ったのは、
京の底冷えも極まる2000年1月19日。

カフェからコンビニに行く途中、
二軒隣の事務所の前で、
誰かが置いたミルクに背を向けて、
もう生きることを諦めたような猫が
汚れにまみれ痩せた体でうずくまっていました。
          
猫は好きでも、
賃貸の住まいで、出張の多い生活では
飼えないと思ってきたのに、
あの日は、
放っておいたら死んでしまう、
店の三階にしばらく置いてやったら、と
後先考えずにタオルにくるんで連れてきてしまった。

みや子のゴロゴロは特大で
三階へ上る階段のところからもう
聞こえていました。
かあちゃん、有難う、有難う

カフェの三階に置いていたみや子を、
夜も住まいに連れて帰るようになり、
いつの間にか段ボールに入れて
一緒に通勤する猫にしてしまい

出張で東京に行くときも
連れて行く猫にしてしまい

友達が観光で京都に来ても
お寺や屋形船に連れて行きたい猫にしてしまって。

夜中に目を覚ますと、
みや子がママの顔や手をペロペロなめていて
まるでお母さんみたいでした。

カフェを閉じて東京に戻るときも
みや子が居たから心がぽかぽかだった。
ラーメン屋さんでアルバイトをしても、
みや子が玄関で出迎えてくれたから
心はヌクヌクだった。
          
〝しーろいとこが真っ白で
 くーろいとこが真っ黒で
 茶色いとこが真っ茶色〟

みや子は無口で大人で
忍耐強くて自立していて
女っぽくて淑やかで
情愛深くて気難しくて

獣医さんから
「この子が人間だったら、
 男はコロッと参るわね」
と言われる自慢の猫だった。
          
みや子を置いて京都になんか行けないから
宿に御願いして一緒行くようになっても
みや子はバスケットの中で
一言も鳴かなかった。
ママの連れて行くところはきっといいところって信頼してくれて。
その通りみや子は京都で目を輝かせて
ひょこひょこ歩いて楽しそうだった。
ふるさとの匂いがしたのね。
          
〝みや子の目目はメメラルド
 みや子の息はマンステール
 みや子の手手はす、あ、ま〟

それでも去年の春は宿から帰るとき
籠に入った途端に鳴いて、
京都駅までずっと鳴いていた。
「かあちゃん、うち帰りたない。京都がええ」

去年の夏の厳しさは
小食のみや子の食をさらに細くし
じっと秋を待っていた。
そして急に涼しくなった九月の朝、
みや子が天国に旅立つのを見送った。

ママはみや子が神様のお使いだったのを知っています。
みや子が来たのは
カフェが傾いてお兄ちゃんが東京に就職しに行く前の日。
みや子はママに
「ママはブログを始めたし、
 年末でカフェのローンも終るから
 もうみや子が居なくても大丈夫ね」
そう言ってお別れをしたのです。

みや子のお骨は鴨川ベリに埋めました。
          
11回目の記念日、
今年は歌が歌えません

栃餅

2011-01-18 00:02:08 | 美食
暮に頂いた洛北花背「美山荘」の栃餅を
惜しみながら焼いて食べている。

栃餅のことを初めて知ったのは、
40年前の雑誌『銀花』第16号。

丹波の暮らしが特集されていて、
その頃花背に通い始めていた私には、
花背と共通する雪深い丹波の
茅葺屋根の家並み、
夏の行事の松上げなどとともに、
囲炉裏で焼いた栃餅の焦げた写真が
忘れられなかった。

「うちまでは京都で、隣からが丹波」
と言っていた花背の大家さん。
「栃餅は渋抜きが大変でねえ」
それ以来実物は手に入らないものと思っていた。

さあて何と一緒に食べようか。
折角の鄙の風味、粒餡では趣が違う。
そうだ、黒砂糖。

椿模様の皿は、
急な来客の日に100円ショップで買ったもの。
黒砂糖の小皿は、
花背の陶芸家・小松華功さん作の梵字の犬を図案化したもの。

今年も花背は雪に包まれているそうな。

クロガネモチ

2011-01-17 00:22:03 | 植物
ホテルフジタ京都の庭を鴨川ベリから見ると
たなびく雲のようなものが、
クロガネモチの木にかかっていた。

喜びそうな人がいる。

昔いつも乗っていたタクシーの運転手さんは、
まるで弁慶の七つ道具のように
トランクに色々なものを積んでいた。

「ちょっと傘貸して。
 鴨川べりまで付き合って」


鴨川べりで、
「あれ取って。私はいらないから、あげる」
「うわー、立派やなー」

蛇の抜け殻は財布に入れておくと
お金がふえるといわれる。
しかし更なる情報が付いた。

「クロガネモチは金持ちの木いうて
 縁起がよろしのんどっせ」

クロガネモチとヤブコウジは、
フルーツポンチの木ですゥ。

子供の頃、二つの赤い実は、
ままごとの貴重なさくらんぼだった。
八年前、四十年ぶりで生家(のあと)を訪ねると、
更地になって、門のクロガネモチの木だけが残されて。
地面に落ちた赤い実を拾ってきた。
          
昨年もう一度訪ねると、
マンションが建っていたが、
クロガネモチは残されていた。
電線に近い頂きには葉も実もなく、
次に訪ねるときまで残っていてくれるかどうか。
                    
クロガネモチ モチノキ科。若枝や葉柄が黒紫色なのでこの名がある。
福岡では久留米や中間、大野城、古賀、粕屋がこの木を市(町)の木としている。
篤姫が養女に出るとき、父親が姫をこの木にたとえた。

京都のカフェ Rive Droite 1998~2001 2.

2011-01-15 00:42:29 | 物語
2.博多
「今は時期が悪い」。
 カフェ開店への出資をお願いした時、峰社長はそう言った。
 これまで何度も私の仕事に助け舟を出して下さった峰社長だ。一度飲食チェーン店を閉
じた経験があるためか、カフェを開く案には反対だった。
 バブルがはじけたと言われて久しい今、なかなか景気回復の兆しは見えない。といって
人の欲望は常に存在する。飲食業はその間隙に割り込める業種である。訴え方次第で個人
の欲求に、食欲と快適な空間の両方から攻めることが可能である。私が作るカフェなら、
それが出来ると思っていた。
 峰社長に断られて、次に頭に浮かんだのは母の妹の夫、叔父だった。九州で酒造会社と
酒店を営み、ほかに八十歳を過ぎてオリーヴ油の輸入も始めている。
 これまで親戚や身近な人間と、しょっちゅう裁判を起こしたり絶縁したりして、耐えて
きたのは叔母だけという叔父の性格。姪としても、なるべく顔を合わせないようにしてき
た。
 その叔父にしか頼めない状況になったのは、私の避けているものに向き合わせようとす
る神のご意思かもしれない。
 救いは、前の年に叔母が他界し、子供のいない叔父が弱気になっていることだった。そ
れでも叔父に金銭の話をすることは、地雷の上を歩くようなものだった。出資を願い出る
ために叔父の家を訪ねる前の晩はなかなか寝付けなかった。
 子供の頃のいくつかの場面が瞼によみがえる。
 叔父が社員を集めて、怒鳴り声で長々と説教をしている。普段は優秀といわれている社
員もうなだれていた。
 叔父と会食をすれば、まさに独壇場で、同席者は料理に箸をつける間もなくなり、うな
ずき疲れる。
 博多にある叔父の酒店で、叔父は手洗いを使わなかった。水を惜しんで、樋井川の対岸
にある百貨店まで行き、用を足していた。
 それを笑った従業員には、
「何がおかしいかっ」
と雷が落ちた。
 五百万円の応接セットを買ったと自慢をしていた叔父から、お披露目の誘いが来そうな
日、叔父の家から垣根をへだてた兄の家で、兄も私も寝たふりをして受話器をとらなかっ
た。
 盆や正月に親戚が集まると、相手構わず
「世の中を動かしているのは経済だ」
と一席打ち、場に残ったのが子供の私だけになってもその話は終わらず、私の将来就きた
い職業は何かと尋ねては次々と否定してかかった。
 私は、いや違う、個人の備える魅力も世の中を動かす、むしろお金の力に勝るほどだ、
お金は燃やされれば消え、盗まれれば明日にも他人のものになり、もらえば即座に長者に
もなれる。しかし魅力は一朝一夕には身につかず、他人が奪うこともできない、と心の中
で反論するのだが、声にはならなかった。
 個人の魅力がお金を引き出すなら、それも経済力と言い換えられようが、叔父の言って
いる経済は、学校で計算法を習える、お金の世界だけの話だ。
 M&Aの元祖と言われる横井英樹は、カネはそれで物を買えば同額の対価が来るが、人
間はカネに比べて不確定要素が多すぎ、そういうものを事業に取り入れるのはマイナスに
なる、と言ったそうだが、人間の心や魅力を数値に直せず、それらを買う通貨を持ってい
なかっただけなのだ。
 叔父は私が長じてからは、東京の大学に行ったのも、学生結婚をしたのも、離婚をした
のも、全部間違いだと言った。
 ましてや何の仕事もないのに、まず京都に移り住む発想など、叔父にとっては理解を超
えた愚行に等しい。
 その叔父にカフェへの出資を依頼するには、長い説教を覚悟しなければならなかった。
 だが同時に、ある成功哲学書の中にあった話も思い出した。
 農園をもつ男に、小作人の娘が五十セントくれというが、男は耳を貸さない。それでも
娘があきらめずに「どうしてもお金が要る」と言い続けると、一度はノーと言った男が、
五十セントをポケットから出す。
 難攻不落の牙城も、人の意志が伝われば崩れるという話だった。ここでは長く粘ること
の意味よりも、人は言葉を投げかけられれば、どんな冷徹な心でも、言葉の意味を無視し
たり、感応したりせずにはいられないことを教えていた。
「人って言うことを聞くものでしょ」
 以前友人の南さんがぽつりともらした、一見理屈なっていないようで、その中になるほ
どと納得させられるものを含んだ真理とも符号する。
 人の話を耳に入れると、頼まれごとを聞くと、いささかの痛みも感じずに断れる人はい
ない。だからこそ断るときに力んだり怒ったり、ことさら無関心を装ったり恐縮したりと
心に摩擦を生じながら拒むのだ。
 どんな人も、拒むとき断るときにはエネルギーを必要とする。
 人に頼みごとをするという卑しい立場、自尊心の強い私だからこそ、神様はへりくだっ
て腰を低くするのを望まれている。そこを越えなければ前へ進めない。
 明日結果はどうであれ、叔父の前できちんと自分の希望を言葉に出せるよう、叔母に見
守ってもらいたいと手を合わせた。
 叔父には前もって面会の要旨を手紙で伝えてあった。
 六十にしてやっと問屋街の倉庫の二階から、海の見える高台の住宅街に新築した叔父の
家は、まだ死んだ叔母の荷物が整理しきれていなかった。
「なしてわざわざ水商売やらするとね」
「これまで料理の勉強をしてきましたし、レストランでも実地の修業をしましたから、今
私に出来る仕事はこれしかありません」
「ヤクザが来たらどげんするね」
「来るときはどこに居ても来ますよ。カフェは酒場とは違います」
「失敗して借金作ったら困るやろうもん」
「時間をかけて返していきます」
「女性の方が度胸があるねえ。あんたの言う額全部は出せんけん、あちこち頭下げて、少
しずつ出資してもろうて会社作ったらどうね」
 一人に頼むのでもこれだけ思い悩んだのに、これから更に多数の人に頭を下げるなど。
 叔父は桐下駄を突っかけると、京都へ帰る私をぎりぎりローカル線の改札口まで見送り
に付いて来た。これまでの叔父なら、考えられないことだ。
 別れる前、私は叔父の手を握って言った。
「体に気をつけて。いつか京都に遊びに来て下さい」
 八十を過ぎて初めて一人暮らしを始めた叔父に、私からは何をしてあげましょうという
申し出はせず、これをして下さいという願い出だけを伝えて帰ってきた。
 世の中で事業を起こした人たちは、出資の依頼などビジネスのほんの序の口と、玄関の
敷居のように跨いで行くのだろうか。私にはこの先いくつもの高いハードルが控えている
ように見える。
 私がほかに出資を頼めそうなのは、皮肉なことにこれまで仕事でお世話になってきた、
いわばすでに借りのあるところしか思い浮かばない。
 社員に料理を教える仕事を下さった会社、新商品の試作を指導する仕事を下さった会社。
 借りは増える一方だ。
 それでもどの会社も、株主になることを承諾して下さった。その時点で叔父に報告し、
再度峰社長にお願いに行った。
「カフェを作るのに賛成した訳ではありませんよ。もうほとほと石井さんには根負けしま
した」
 峰社長を筆頭株主に、四人の出資者から六百万円を集め、叔母の形見の宝飾品を売って
私もやっと株主に加わり、六百二十万円という半端な資本金の有限会社を作った。
          
「これから京都に遊びに行きやすくなります」
秦社長は喜んで下さった。
「京都に親戚が出来た感じですよ」
小田切社長は言葉をかけて下さった。
 初めて峰社長にカフェの提案に行ってから、二年半が過ぎていた。

百人一首

2011-01-14 00:18:56 | お宝
祖母の嫁入り道具の一つだったという百人一首は、
取り札が変体仮名の散らし書きになっていて、
百首の歌を暗記しているツワモノでも
簡単に取ることはできない。

読み手が読み終わっても
参加者の頭と眼は札の上を泳ぎ、
「みつけた」という人も確信は持てないまま。

〝於きま堂はせ留志らきくのは那〟だったり、
〝希ふ九重爾匂ひぬ留果那〟だったり、
〝猶うらめしき阿さほらけ可那〟だったりが
崩して散らし書きしてあるから。

当然子供の頃は坊主めくりしかしない。
いや大人になっても坊主めくりが好きだった。
平安のお姫様たちに憧れて。

ある時、蝉丸は坊主でも特別だと知り、
単なる坊主めくりに飽き足らなくなった。

トランプの51とツーテンジャックを原型にして、こんな遊びを考えた。

「蝉丸」
使う札 読み札全部
点数 蝉丸2.7、台座のある姫2.5、台座のある男2、台座無しの姫1.5、男1、坊主-1
このほかに自分の札3というのがある。例えば乙女座の人なら僧正遍昭の乙女の姿
   しばしとどめむとか、私なら母だから道綱の母とかで決める。

参加者全員に五枚の札を配り、真ん中に山、その周りに開いた場札五枚。
そして順番に持ち札と場札を替えながら、手をよくしていく。
替える枚数は何枚でも可。
場札が気に入らないときは流して山から次の五枚を開く。一巡目は流せない。
自分の札が場に出たときは「せみまる」と叫んで順番を飛ばして取ることができる。
逆に気付かずにひとに取られたら、マイナス3点。
自信のある人がストップをかけた時点で、手の点数を計算する。
坊主は、五枚揃えるとプラスマイナスが逆転する。
蝉丸だけは常にプラス点。

冬の糠床

2011-01-13 00:09:02 | ままごと
早く冬の糠漬け始めなくちゃ。

でも人参がない、人参がない。

大根はある。
大根と同じアブラナ科の、
オオアラセイトウ(ハナダイコン)あたりの根を引けばいいから。

人参はあの色と形がなかなかないのだ。

毎日毎日散歩して物色していたら、
アター。

アロエのてっぺん近くの花蕾はまさに人参。

今年もうまく漬かりました。

古札焼納

2011-01-12 00:44:30 | 日記
息子のお嫁さんと初詣に行くと、
いつも山のようにお札を持ってくる
(おさつではなく、おふだ)。

神職という仕事柄、色々な神社に行くので、たまるのだ
旧年中にたまったお札を、初詣の神社でお焚き上げしてもらう。

今年は新装なった赤城神社へ。
境内にマンションを建てたことで
報道ステーションでも報じられた神社。

いつもは無料で受け付けてもらえるのが、
ここではお札を入れる箱が設置され、
その手前には賽銭箱が
(こっちはおさつを入れよってか)。

三日後に、うちの正月飾りも焼いて頂こうと持っていくと
箱は満杯で、注意書きが。
〝箱には正月飾りや包み紙は入れないで下さい〟と。
正月飾りと包み紙しか入っていない。

悪例にはならわず、
筑土八幡に方向転換。

ここはブロック囲いの臨時炉が用意され、
遠慮なく正月飾りも焚いてもらうことが出来た。

七草

2011-01-11 00:38:49 | 美食
京野菜かね松さんの七草が届きました。

ナズナとはペンペングサ、
ゴギョウとはハハコグサ。
なんて追究はせん方がよろし。

なにしろ、かね松さんの七草は
大原野せり、内野なずな、紫野すずな、平野ごぎょう、
嵯峨野はこべら、蓮台野ほとけのざ、北野すずしろ、
と京のブランドものですから。

とはいえ、刻んで刻んでなんやわからんようにします。
お粥を食べる習慣のない私は、
お正月の残りの白味噌とお餅を使って
七草雑煮。

七草には、刻むときの囃子唄があるらしいけど、
ひっきょう、まな板の上のものをまじまじと見んように、
あるいは、子供にまかせるのに唄でごまかすため、
大人が仕組んだんと違いますやろか。

七草ナズナ、唐土の鳥とー、…。

七草のほかに、
畑菜と京べったらも入っていました。

アルブーズ

2011-01-10 00:44:48 | 植物
赤城下の花屋「小路苑」は、
印刷所だった古い建物で個性的な品揃え。

欲しかったヨーロッパタイプの薫り高い柳葉ミモザや
欲しかった深山のフタバ葵など、
ここでやっとみつけた。

でもミモザは2万円、フタバ葵は三千円。

以来尋ねることもせず、
表から眺めるだけ。

それが、店の外に初めて見る赤い実と白い花。
あっ、これはと中に入りたい衝動に駆られた。

山桃に似た実と馬酔木のような花、
山桃ではなくてツツジ系ならば、アルブーズに違いない。

アルブーズのことは、30年前『専門料理』に書いた。

英国のフードライターJane Grigsonがこれを見るために南仏まで行った話、
彼女がこれを山桃と混同している話、
その原因は、フランス向けの中国の缶詰に楊梅(山桃)とARBOUSE両方の名があること、
ことほど左様にフランス人は植物分類がいい加減なことなど。

そして私もいつか南仏の植物園まで見に行きたいと思っていた。

正確には、日本でアルブーズを見るのは初めてではない。
三年前、町内のバスツアーで行った栃木でアルブトゥス(アルブーズの属名)と書いた鉢を見た。
しかし花と実を見たのは今回が初めてだ。
うちに植えたら…、と一瞬思うくらい美しい。

ふつう花と実は同時には見られないが、
植物界は人間が思うほどカレンダーの数字通りには進まない。
ツツジの狂い咲きなど、狂い咲きといえないほど頻繁に見てきた。

きっと○万円のアルブーズ、
誰が買うんだろう。

京都のカフェ Rive Droite 1998~2001 1.

2011-01-08 00:50:42 | 物語
1.芹生
 カフェを開いたら、ここへ息抜きに来ようと決めていた。
 店から歩いて二分、夷川通りの東の果ては賀茂の河原に出る。鴨川の手前には、本流の
水を引き入れて、鴨川と平行に走る禊川がある。普段ははぜの泳ぐのが見える浅い川だが、
四月半ばは一面薄紅色の花筏に覆われる。
 上賀茂あたりで四月初めに咲いた桜が、落花となって地面に散り敷かれ、再び風に巻か
れて川面に浮かび、四月の末今ようやく禊川に届いた。
 とうとう今年は一度も花見に出かけられなかった。
 パリから親友の保子が訪ねてきても、
「御所に咲いてるから」
と一人で見に行かせるしかなかった。
 三月の末にカフェを開いて三週間、毎日が駆け足のように過ぎ、ほんの二日しか経って
いない感じがする。頭も体も芯から疲れて、横になればすぐにも寝入ることが出来る。
 カフェの名前は Rive Droite、フランス語で右岸を意味した。
 パリがセーヌ川で保守的な右岸と革新的な左岸に分かれるように、京都も鴨川で御所の
ある右岸と、学生や外国人の多い左岸に雰囲気が分かれる。
 休憩に来た河原で、岸に揺れる柳も、水底まで澄んだ鴨川も、対岸の背にある東山も、
よそよそしく見えて、労わってはくれない。
 こんな筈ではなかった。
 開店一日目の売り上げは、朝の八時から夜の十時まで営業して四万九千円、二日目は二
万五千円、三日目は一万一千円。初日から一ヶ月は開店景気で売り上げは多いのが普通だ。
それがこの売り上げなら、この先はどうなるのだろう。
 席数四十で店の家賃四十万、公庫の返済、スタッフの給料、材料費、これらを捻出して
いくには、一日十万の売り上げがなければ見通しは立たない。
 パリのカフェ「ドゥーマゴ」や「フロール」は平日の平均客数が千人を超す。せめてそ
の十分の一でも来客があれば。河原町通りは京都一の目抜き通りなのだから。
 そろそろ店に帰らねば。夕方にはタウン誌から取材が来ることになっている。ひと枠十
万円の有料広告である。
 雑誌の取材は、数社から依頼が入っていたが、雑誌は取材から発行までに約二ヶ月がか
かり、即効果を見込むには役立たない。タウン誌の広告なら、次週発行のものに割り込め
るという誘いの言葉に乗るほど、私の心は弱くなっていた。
 はたして十万円以上の見返りがあるのか、広告料の十万円は確保しておいた方がいいの
ではないか。それだけあれは三階にもエアコンが付けられる。
 迷いはあったけれど、広告を出すと決めたのなら、早いに越したことはない。
 社員一人という小さな広告代理店がやってきた。
「ここは従業員さん男前ばかりやなあ」
 ギャルソン三人に二人のパティシェールと私で、テラス席の前で写真撮影が行われた。
年長のギャルソン和田が私を促した。
「マダムが真ん中ですよ。夢が叶ったんだから」
夢?
 夢なんかじゃない。だが人にはそう見えて当然だろう。こんなに大きなものを背負い込
んだのだから。 
 京都にカフェを開くのを夢見たことなどない。夢は京都に住み続けて、日本の自然と季
節を味わうことだった。
 しかし、それはスタッフには言えない。
 京都で暮らしたい、と東京から越してきて五年、その資金を得るための仕事に縛られて
花見まで我慢するのは、本末顛倒ではないか。
 これまでは時々の執筆や翻訳で暮らしてきた。だが京都に居続けるには、そして定年の
ない仕事をするには、自分で職場を作る以外に方法はないと結論を出した。
 それまでの仕事の大半は、料理を教えたり、料理書を訳したり、店の取材をしたりと、
飲食の情報に関わるものだった。しかし店を開くなどは他人事、わずらわしい管理が自分
に出来る訳がないと考えていた。
 だがほかに選択肢があるだろうか。カフェなら複雑な調理技術より、全体の雰囲気をプ
ロデュースする眼が一番大事なのだ。私にも出来るかもしれない。東京に遅れて、京都も
カフェの時代が来るに違いない。神様は私が面倒だからと避けてきたことを、それだから
こそ尚更やらせようとなさっているのではないか。
「神様ねー。私にはあなたがハンサムなギャルソンを募集してカフェごっこをしているよ
うにしか見えないけど」。
 高校時代の友人、ちや子は、開店直後を避けて四月も終わり近くに訪ねてきた。
 その日は偶然、東京からの来客が重なっていた。女性誌の編集長の田辺さんは、京都の
大学に単身赴任している夫君と一緒に、今京都で売り出し中の若いお菓子の先生を伴って
朝食を食べに来てくれた。
 また、古くから付き合いのある、元グルメ雑誌編集長の綾瀬さんが、出張の帰りに寄っ
てくれた。綾瀬さんは、てんてこ舞いしている私を見て言った。
「繁盛してるじゃない」
「いえ、今日だけです。土日は人が来ても、平日は」
「飲食店が人に知られて落ち着くのには、三年はかかるからね」
「えっ、三年も」
「それを持ちこたえる間が苦しいから、みんなやめていくんですよ」
 もちこたえる力は、ひとえに資金を意味する。私はため息をつく以外に答えがなかった。
 ちや子がきたのは、遅い昼食の時間だった。
「カフェのおすすめは何?」
「田舎パテのサンドウィッチとニース風サラダでございます」
「じゃ、それにグラスワインの赤を付けて頂戴。デザートは何がありますか」
「アニスのアイスクリームかラタフィアになります」
「両方頂くわ。それとエスプレッソをダブルで」 
 京都で田舎パテが簡単に受け入れられるとは思わなかったが、もともとフレンチカフェ
というスタイルですら京都では一般向けとはいえないのだから、カフェを始めた以上は、
カラーをはっきりさせた方が良いと思った。
 私は料理を習ったことはない。子供の頃から、友達を家によぶために料理書を見て自己
流で会得してきた。田舎パテは二十年前にフランス料理の本で見てから、ずっと作り続け
てきたものだ。
 パテに合わせる田舎パンは、ホテルに特注した。以前、京都にもこんなおいしいパンが
あると発見したロイヤルホテルの自然発酵の田舎パンは、もう製造されなくなっていたの
を、ホテルに交渉に行って、三個以上ならという条件で、特別に焼いてもらえるようにな
った。自然発酵なので、引き取りの二日前に発注という条件が付いた。
 ちや子は客寄せになるようにと、店の表に張り出したテラス席で食事をしてくれた。
 設計士には、何はおいても店の入り口は全開にできるアコーディオン式の扉にして、テ
ラス席を設けてくれと頼んでいた。その上には生成り色のテントを加計、春秋の良い気候
には椅子を外に出す。冬と夏にはドアの一部だけ可動させて、入り口ドアとして機能させ
る。
 ある時、テラス席のテーブルを拭いていた最年少のギャルソン木村に、通りかかったお
婆さんが話しかけてきたことがある。
「えらい京都らしない店がでけたもんやなあ。あんた京都の人やないやろ」
「いえ京都ですけど」
「ほな、おとうさんは違うやろ」
「京都ですよ」
「おじいさんは」
「京都です、ずっと」
「ふんそうかいな。顔が京都の人と違たもんやさかい」
 私に言わせれば、木村は京都の人の顔をしている。大映の時代劇に敵役で出ていた俳優
や、西陣の織屋の社長からタクシードライバーに転身したと言っていた人に、同じ系列の
顔を見たことがある。
 木村の親も西陣の和装の会社を営んでいたけれど、昨年倒産したと言った。

 カフェのテラス席は、京都ではまだ晴れがましい居心地の悪い席と思われていた。昼食
を終えてタバコのケースを出したちや子の隣に、私も着席した。
「ねえ、どこか行こうよ。今の時間ならギャルソンに任せておいて大丈夫でしょう」
「桜はもう終わってるもん」
 客は奥に一組居るだけだった。三時を過ぎたら、息子も店に出てくれる。
 京都で一番遅い桜は、周山にある常照皇寺の九重桜と言われる。前の年、四月の終わり
に車を走らせて九重桜を見に行った帰り、高雄に戻らずに、黒田、灰屋を経由して、貴船
を下ることにした。
 細い崖道では行き会う車もなく、車体の揺れも山のドライブの楽しみになっていた。芹
生峠の手前で道幅が広くなり、川を挟んで立派な茅葺の、しかし新しい家が見えた。大き
な灯篭には「寺子屋の里」と記してある。お茶でも飲める店だろうか。
 芹生は一説では、歌舞伎の菅原伝授手習鑑の寺子屋の舞台といわれる。車を停め、門を
入って中に声をかけてみた。
「こちらはお店をなさっているのですか」
中に居た婦人が、商店ではなく住宅だと答えた。
 敷地には様々な桜の木が植えてあり、それらにはどれも膨らみかけた蕾が付いている。
常照皇寺よりも開花が遅いということは、満開は四月末から連休の頃ということになる。

 もしかしたら咲いているかもしれない。
「ちや子さん、どこに行きたい」
「本気で聞いてる?私が提案したってどうせまり子さんの行きたいところに行くんでしょ」
 知り合いのタクシーを呼んで、「貴船の奥まで」と告げた。
 貴船を過ぎると舗装は終わり、杉林の山道になる。対向車に出会うとどちらかが後退し
なければ離合できない崖もある。
 峠を越えると期待が大きくなった。里の数軒の人家を過ぎ、右へ大きく曲がると花の館
が視界に入った。紅枝垂、八重、山桜、濃淡入り混じって咲いている。見頃だ。山里はそ
こだけ都の栄華を移したかのようだ。


 
車から降り、川越しに花見をした。
 花びらか舞って灰屋川に落ち、大堰川に合流し、嵐山から桂川に辿り着くのはひと月も
先のことだろうか。
 中を窺うと、寺子屋の里は今日は来客があるらしく、戸が開け放たれて人影が動いてい
る。そのうちの一人は、今朝カフェを訪ねてきた田辺さんの夫君に似ていた。ほかの二人
はまさか。田辺さんと菓子教室の先生に。
 橋を渡って邸内に声をかけた。
「こんにちわ」
「あっ、石井さんどうしてここに」
「田辺さんこそどうして」



 寺子屋の里は今朝田辺さんとカフェに来たお菓子の先生のおじいさんの別荘で、花見に
招待されたのだそうだ。
 人里離れた貴船の奥で、京の町から今この時間に、その朝出会った二組がまた出会う偶
然は、どのくらいの確率だろう。
 山里の魔法に驚きながらも、眼の前の夢幻はすぐにかき消されてしまう。
 今頃店では不都合は起きてはいないだろうか。私の行方を探してはいまいか。料理が足
りなくなっているのでは。誰か知人が訪ねてきているとしたら…。
 一刻も早く店に戻りたい。