もがり または 恩師⑧

2019-03-30 20:06:12 | 物語
ものがたりにモデルはありますが、事実どおりではありません


 典子先生が福岡に落ち着かれ、私が東京に戻ってからその後二十年間、先生にはほとんどお目にかかってい

ない。それでも距離が遠くなっていたという感覚はない。
 
 今は先生をクローズアップして書いているから特別に近い存在のように思われるかもしれないが、カトリッ

クの女子校に居た時も典子先生を先生方の一人としかとらえていなかったし、卒業後もよく便りを書く相手は

典子先生のほかに何人もいた。

 一つには典子先生が春霞のような人で、近づいても近づいても、会っても会っても、遊んでも遊んでも、

いつも同じ淡い濃度のままだったからといえる。

 この時期の先生からの手紙には、福岡がつまらないこと、体調がはっきりしないこと、老いを実感すること

ばかりが綴られている。その間に先生は四十から五十に、五十から六十になられた。

 一度福岡のビストロ゛ご馳走になったとき先生は

「そう、あなたが四十にねえ」と哀しそうにため息をつかれた。

 その二十年の間に謙三先生と典子先生連名の年賀状には芭蕉の同じ句が二回引用された。

“戌と申 世の中よかれ 酉の歳”

 謙三先生は酉、典子先生は戌年だった。

 典子先生は自身の不調に加えて身内に病人を抱えることになり、私の出番はますますなくなった。時々貸本

と称して面白そうだと思える本をお送りしたり、疑問に思うことを教えていたくお尋ねの便りを出したりした。

 “かれいひほとびにけりというのは何に出てくる文だったでしょうか”

 “伊勢物語の九段、東下りのところでかきつばたを句の頭にすえた<唐衣きつつなれにしつましあればはるば

るきぬる旅をしぞ思ふ>のすぐあと、<…とよめりければ、みな人かれいひの上に涙おとしてほとびにけり>とあ

ります”

 “雑誌記者が<彷彿させる>と書いてきましたが、彷彿は形容動詞彷彿たりの語幹だから<彷彿とさせる>が正

しいのではありませんか”

 “私も主人も、彷彿とさせる派です”
 
 先生が六十代に入られてからご家族が次々に亡くなられた。

 謙三先生も肝臓を悪くされて長い入院生活のあとに亡くなられた。

 私は東京で十五年過ごした後、京都の生活を始めてカフェを開いていた。

“十一月の末に実家の母がみまかりました。九十五歳でした。

もう三年ほど入院しておりました。秋口からは殆ど食が入らなくなっていましたので心の準備はしておりまし

た。主人が亡くなってから一年余りはそれでも見舞ってやれたのだからと思っています。

この一年、あたたかいお心遣いありがとうございました。

どうぞくれぐれもお体お大切に。私もこれで何か身軽になったような、ふっきれた思いです。

少し落ち着いたら、あなたのカフェでお目にかかりましょう”

 次の年の春、私は先生を遅めの花見と大文字登山で京都にお誘いした。体を動かして心を沈めないようにと

の思いからだった。メンバーには東京の友人二人と大阪のマリに加わってもらった。

 集合は私のカフェにしてみんなで鹿ケ谷山荘の昼食に向かった。のれそれ、菜の花、筍など春の味覚が華

やいだ趣向で出された。東山の斜面に建つ料亭からは京の町が望めたので、下りは坂を歩き霊鑑寺の前で待っ

ていた車に乗り予約していた松屋常盤のきんとんを引き取って、西賀茂のしょうざんの庭で椅子とテーブルを

借りて茶席とした。帰りに太田神社裏で山桜と竹のトンネルを抜けて花見をし、夜は寺町の上海料理の店で夕

食にした。

 翌日はメンバーには丸太町橋東の八起庵で昼食をとってもらい、私は仕事をギャルソンにまかせてから合流

することにした。銀閣寺のそばに住んでいたマリは大文字に登ったことがあるというので道案内をしてもらっ

た。銀閣寺道から左に入り、朝鮮学校の脇を進んだ登山道入り口には杖が用意してあった。先生にそれを進め

るためにも私も杖を使うことにした。上り30分足らず、さしたる難所もなくネコノメソウなど春の山草の咲

く道を進むと、送り火を燃やす火台の組まれた斜面に出た。テレビドラマ「京ふたり」で見たあの場所だ。

 謙三先生は大学の山岳部で部長をなさっていたので、典子先生も低山には何度か登っていらした。杖は不

要だったかもしれない。

 鹿ケ谷山荘で見たよりもさらに高所からの京の町の遠望が開けていた。

「先生、あそこが昨日の太田神社の桜です」

「あの桜が続いているところね」

大文字の斜面は急で、われわれは大の字の横棒のところを左右に行き来しただけだった。

 帰りは先生と私は来たのと同じコースを下ったが、ほかの三人は森の中の近道を滑るように駆けて後で合流した。

 最後はみながお土産を買えるように鞍馬口の生風庵に寄った。


“いろいろとお世話になりました何年ぶりかでまわりのことを何も考えずにその時の愉しみを味わうことができ

ました。お店が大変な時にお心遣いをさせてごめんなさい

一番の心残りは朝食をあなたのカフェでとらなかったこと、この次の楽しみにしましょう

大文字にのぼり詰めて京都を見晴るかしたときの解き放たれたような思い、太田神社の桜樹の林

たくさんのいいものをありがとうございました

もう日々旅にして旅を栖とするような生活をしてもいいのだと帰りの新幹線に揺られていました

いつかふらっとでかけて あなたのカフェの朝食を摂りにあらわれたいなどと思っています”
 
 
 
 

こっちもでけた!

2019-03-29 20:38:05 | 日記
新しいJR飯田橋駅のホーム

西に伸ばして移動です
        

今あるホームはぐっとまがっているので

停車した車両の場所によっては

ホームから大きく離れて乗りにくいところがあるからです

でも新しいホームは見晴抜群で

特に春は桜並木の絶景(というてもソメイヨシノやけどね)

しかし私が心配するのは

風雨風雪の日はこんなすかーっとした場所は濡れて寒いはず

もう一つの心配は

この菜の花畑がなくなるのではないかということ
        

都会の中で野生が生き残っている姿はほっとさせてくれるものがあります

ストマック

2019-03-28 20:17:24 | 日記
私がこんなもの飲むなんて

しかしちゃんと我が家にあったということは

二年前に買ったけど飲まなかった胃薬

また同じ原因のストレスが…

会いたくない人に会わねばならないと言うストレスです

早く治りますように


でけた !

2019-03-27 19:39:32 | 日記
長らく工事をしていた

メトロ神楽坂駅のエレベーター

とエスカレーター

出来たみたいです

まだ何日から使用とははりだされていません

シャッターがおりたままです

この年寄りの町神楽坂の駅に

急な階段しかなかったのがおかしいのだ

でも

でけたといっても

改札口までおりるエレベーター

とエスカレーター

だから

メトロを下りても

階段使って改札口まで来なければなりません

まともあれ

この春のめでたいニュースの一つにはなる

猫の時代

2019-03-26 20:45:45 | 生物
ほんとにまあ

いつの間にかすごい猫人気となって

こんな時代が来るとは

猫の魅力は昔も今も変わらないのに

この頃時々グリエちゃんが

文ちゃんのことぺろぺろとなめて

毛の塊を噛みほぐして

毛づくろいしてやっています

じーっとされるがままの文ちゃん

よかったね

長い間ひとりで野良してきて

こんな優しい愛をもらったことなんかないよね

ぺろぺろしてもらうなんて

お母さん以来でしょ

私も文ちゃん好きだけど

さすがにぺろぺろはねー

ようせんわ

グリちゃん 有難う

どこでそんな優しさ覚えてきたの

お母さんに習ったの?

文ちゃんもグリちゃんも

会えてよかったね

初花見

2019-03-25 18:58:08 | 日記
昨日は第一回目のお花見

近所のマンションに賢く植えられた山桜もぽつぽつと咲き
        
        
        

(ソメイヨシノではこの段階に美しさはないけど)

近所の別のマンションに賢く植えられた大島桜も
        

ふわふわと咲き

(ソメイヨシノは葉が後だから咲きはじめがつまらないのだ)

飯田橋に賢く植えられた江戸彼岸は散り初め
        

来客には早めの夕食で

筍ご飯

蕗煮

イカの木の芽味噌

豆腐と肉団子と白菜の鍋

デザートは五十鈴の桜餅

もがり または 恩師 ⑦

2019-03-23 18:58:51 | 物語
ものがたりにモデルはありますが、事実どおりではありません


 大学を卒業した二年後、私は結婚生活を捨てて故郷の福岡に戻った。

 夜は受験生相手の塾を開き、昼間は出来たばかりの九州日仏学館に息子と一緒に通い始めた。息子をスイスの

学校にやる準備でもあった。

 そんなとき典子先生たちもまた福岡に戻られることになった。

 謙三先生は東京での研究者生活に資料も人脈も多くのものを得られていたが、医業を継がなかったことも含め

て年老いたご両親を九州に残していらしたことを気なさっていた。

 それに合わせたかのように、父の属する大学に大学院ができることが決まり、謙三先生が呼ばれることになっ

たのだった。

 謙三先生は芭蕉の研究では第一人者になられ、NHK教育テレビの市民大学講座で講師もつとめていらした。

講義の評判は高く、文学に疎い人にも流れるような指導の滑らかさであっという間に一時間が終わると言わしめ

た。謙三先生は毎週の放送のために福岡から空路で録画にお出かけになるようになった。

 典子先生は九大で外国人学生に日本語の指導を始められた。

「面白いお話があるのよ。あなたの日仏学館での先生リヤールさんが私のクラスにいらっしやるの。あなたのこ

とを素晴らしい生徒だってとても褒めてらしたわよ」

 一方、日仏学館のリヤール先生のクラスに行くと

「マダム・ナガサワに日本語を習っています。素晴らしい先生、素晴らしい女性」

と言われた。

 典子先生の生活は東京と大して変わらないはずだったが

「何か気が晴れることが少なくて。東京だったら出かける場所もお芝居や映画も沢山あって気分転換できるの

に」

とつまらなそうにおっしゃった。その言葉を裏付ける場面を目撃した。

 私が街に買い物に出たとき、ぱったり先生にお会いした。それから続けて七、八回ほども。福岡の街は小さい

とはいえ、同じ場所に同じ時刻に行き合わせるのはほかの人にはないことだった。お互いあまりにしょっちゅう

出くわすものだから笑うのを通り越して呆れてしまった。先生のお住まいは繁華街に近く、徒歩でデパートにも

お出かけになっていた。私は息子をスイスに送り出して時間をもてあましていた。 

 私は塾のほかに編み物も始めていた。細かい模様編みまでこなせるように編み機を二台買い、知り合いからの

注文を受けていた。典子先生のお誕生日にカーディガンを届けることにした。お住まいには謙三先生しかいらっ

しゃらなかったので置いて帰ろうとしたところ、引き止められて

「典子が戻るまでいてくれませんか。さっき喧嘩して帰ってきたのであなたがいたら機嫌が直ると思うから」

と言われた。

 典子先生とはお約束をしてはいなかったが、待たせていただくことにした。帰宅なさった典子先生はびっくり

してすぐに上機嫌で応対して下さった。

 その頃私はまた恋を始めていた。ひとまわり年上のその人は、話しているうちに典子先生の大学の同級生であ

ることがわかった。

 「永沢さんのところは美男美女のカップルですね。在学中から評判でしたよ」

 こんな俗な話も典子先生には遠慮せずに出来た。面白がって下さるだろうという気持ちもあったが、先生の清

らかさは浄水池のように色々なものを取り込んでも最後には自ら清浄なものにしておしまいになると思えたから

だ。絵具はすべての色を合わせると黒になるが、典子先生はすべての色を合わせると白になる光線のような方に

思えた。

 典子先生は目を輝かせて私の話を聞いて下さった。

「矢野さんは学生の頃はすぐに怒る人だったのよ。授業中誰かがおしゃべりしてたらすぐに注意するような固い

人だったのに変わったのでしょうね。でもなんだか矢野さんがかわいそうな感じ、ふっふっふ」

と最後はまるで蛇に睨まれた蛙を想像するかのように笑われた。

「あなたの周りにはいつも誰か現れるのね。私にはもうそんなお話はないから聞かせてもらうと楽しいわ」

 私は先生に面白がってもらった話を福岡に残して再度上京することを決めていた。東京にはフランスからの帰

国子女を受け入れる学校があると知ったからだった。息子との暮らしをまた始めることにした。

 引っ越しの準備を始めたとき私は典子先生にお尋ねした。

「東京から福岡までの引っ越し料金はどのくらいでしたか」

「ちょっと待ってね」

と典子先生は家計簿を出して調べて下さった。数年前の数字を的確に記録なさっていた。

 東京に届いた典子先生からのお手紙には、福岡に来たジャン・アヌイの「ひばり」を見た話が書かれていた。

“その幕間に思いがけず矢野氏と多分卒業以来初めてお会いしました。向こうから挨拶にみえて、あなたが帰福

したら一緒に遊びに来てくださいと言われました。住所は彼女が知ってますからと”

 十年後矢野の訃報が入ったとき、典子先生は自分も早く彼のように上手に人生の幕を引きたいと言われた。

 

彼岸は

2019-03-22 20:37:06 | 日記
江戸彼岸は
        

ほぼ満開です

昨日はお彼岸で満月でした
        

お休みのはずがまたジャム作りでへとへと
        

これでやっと三種つくりましたが

あともう一種「小夏」のマーマレード作りがのこっています

今日まではぽかぽかで暑いくらいでしたが
        

明日は気温が10℃くらい下がるみたいです

ま、ゆっくり春を楽しみましょう

へもももももも

2019-03-21 21:28:45 | 美食
公園のアーモンドの花は咲いたか

と行ってみると

一番大きな枝が折られて下に置かれていた

すぐ横のエンジュ槐の木も

切り株から出てきた新しい枝が
        

ことごとく折られた跡があった

幸いアーモンドの残った枝には大きな花が開いていた
        

今年も扁桃の実を着けてくれるだろうか

今年こそは摘果レース遅れをとりたくない

しかし大抵もう少し待った方が

というときにやられてしまう

へんももは花を確かめたぞ

築土神社のすももは伐られて切り株になってしまった
        

築土神社裏の蕗の薹の育ちを見に行くと
        

こんなに沢山

一月には数個しかみつからなかったのに

これも時期が難しい

二月の後半に行けばいいのかもしれない

来年は二月後半に行く

今日はジャンルを生物にしようかと思ったが

どうも美食狙いですな

キクザキリュウキンカ

2019-03-20 20:01:31 | 生物
よく通る店の前の植木鉢に

春らしい黄色の花が咲いていた

植木鉢は別の花を植えているのに

その黄色の花は土から生えた雑草のようでもあった

私の知っているキツネノボタンに似ているから

キンポウゲ属だろうと思って調べたら

キクザキリュウキンカだと分かりました

漢字で書くと菊咲立金花となります

立金花という草があってそれは

茎がまっすぐに立ち

花が黄金色をしているからつけられました

キツネノボタンと言うのはほら

昔よくあったのに最近見ませんねえ

昔はどぶ川みたいなのがあったし

下水の流れる小川みたいなのがあちこちにあったし

田んぼのあぜ道というものもそこらにありましたから

そういうところに可愛い黄色の花を咲かせていたのですよ

しかしもの心ついた頃にはそれは毒草だと

残念な知識を植え付けられて

見るたびに恐怖を覚えていました

とくに花が終わると金平糖のような実が残って

そのとげとげした漢字が毒に結びついてしまいました

キツネノボタンとよく似た

花びらのまあるいウマノアシガタ

これらはよく一緒に生えていました

そしてそれらを適当にキンポウゲと呼び

父は英文学者らしくバターカップと呼んでいたのですが

母にピシャリと「違います」と言われていましたね

ところでキクザキリュウキンカは外来種で

しかも園芸品種ではなく雑草として繁茂しているらしい

これからキツネノボタンを駆逐してキクザキリュウキンカが猛威を振るうかも

新種のバターカップ…

にはならないね

はなびらがカップじゃないから