龍村の帯

2011-09-30 00:47:44 | お宝
だそうだ。呉服屋さんが言うには。

叔母由来の着物と帯は
一枚一枚解説されたけれど
母の箪笥でみつけた帯は
由来も知らなかった

仕舞とお謡いを続けていた母が
何やらの時に買ったのかもしれない

初代龍村平蔵のことを
宮尾登美子は『錦』のモデルとして描いた
龍村平蔵の帯と龍村織物の帯は区別されるようだが
ほどいて確かめるのもこわい

由来はどうでも
箪笥でこれをみつけたときは
ちょっとした驚きだった
私のカメラと撮影技術では
本物の色は出せていない

               

もうしばらくはイケルか
これは帯の耐用度の話ではなく
私のこの帯への耐用度のこと

だって私に派手な帯を売りつけようとした呉服屋が
「帯に歳なし、なんですよ」
と言ったもん

梅干

2011-09-29 00:41:47 | ままごと
今年の出来は如何かな

なかなかじゃが

               

照りがあって梅らしくない?
そんなことを言うのはままごとの感性がないからじゃ

と言いたいとこじゃが
これは素材からではなく
頂いた壷から発想したので

               

梅干 (ヒヨドリジョウゴの実)

昭和シリーズ

2011-09-28 00:24:45 | 日記
神楽坂には
昭和がグッと胸に迫る場所が
数えきれないくらいある

今日ちょっと出かけただけでも

               


印刷所跡で営まれる個性的な花やさん

               

古いビルの地下にある喫茶店。入りたいけど一人では。誰か一緒に行って。

               

木造の洋館を使ったギャラリー

               

地衣類も住み着いているような下水の蓋

               

住人以外は通りにくい抜け道

               

車の通らない路地の裏の裏

               

その家のもう一つの勝手口

               

リヤカーにはマンション建設反対のビラが

               

工場跡を社員寮にしたような

               

神楽坂は坂の町。色々工夫が露出する。

               

こんな壁、友達の家にもあったなあ

               

ずっと残して下さいと頼みにいきたい

               

古いアパートの使われない水道

この中にうちの写真も入っています
どれでしょう

二十世紀

2011-09-27 00:53:31 | 美食
梨といえば二十世紀です
茶色のあの野暮ったい梨どもは
関東の田舎者(私が言ったのではありません。
「まぼろしの邪馬台国」で竹中直人が言ったのです)
に食わせておけばいいのだ

ナニ、幸水、新水、豊水を
三水と言うのだと

東京に来て
梨の殆どが茶色なのに驚いた
でも甘い、柔らかい、ついつい食べてしまう

西の国でも段々に二十世紀は減り
茶色の梨が席捲している
あの緑の透き通るような色が
夏の終わり秋の始まりを教えてくれる
ちょっと酸っぱいけれど
これを絶やしては季節がなくなる

二十世紀の80%は鳥取県産
ところが最初に発見されたのは
千葉県松戸
それもゴミ捨て場の脇にあった木だとか
関東の皆さま失礼致しました
どうぞ二十世紀も召し上がって下さいませ

アオギリ

2011-09-26 00:05:02 | 植物
子供の頃、家の庭にアオギリの木が何本かあった

"桐一葉落ちて天下の秋を知る"
この句の桐を長いことアオギリだと思っていた
うちわのように広い葉と
長い葉柄が芝生の上に落ちているのを見て
そう思っていた
なぜか子供の耳にこの句が残ったので

               

その後家の裏に桐という木があるのを知って
俳句の桐はこちらが本家だと知った

桐とアオギリは生物学的には近くはないのに、
広い葉や、材が家具に利用されるところから
アオギリの名が付いたのだろう
名前の通り木肌が緑色をしている

               

中国ではアオギリを梧桐という
河東碧梧桐という俳人がいたなあ

ちなみに前出の句は
片桐且元が淀君にうとまれて
自嘲と豊臣の行く末を案じて詠んだとされる

家にあったアオギリも
こんな風に木瘤がごろごろあって
蟻が出入りしていた
               

花脊と私 4.

2011-09-24 00:50:16 | 物語
4.お月見

 夫が東京に帰り、息子と二人になった。ラデロフ一家も右京区の家に帰った。
 それでも寂しくはなかった。谷あいの土地で日のさす時間は短く、また霧も出るので、
ふとんを早く二階の窓から干さなければいけない。山の湧き水に配管をしてつなぐ水道は
ちょろちょろとしか出ないので、水を溜めるのに時間がかかる。買い物はバスで農協まで
一時間。ほかに繕い物、洗濯、家の中と外の掃除、屋外トイレ用のおがくず集め。
 そのトイレをすぎせん式トイレと呼んでいた。山盛りのおがくずをトイレに備えておき
用を足した後はそれをかける。そんなやり方では、理論的にはいつかは足元に達すること
になるが、地球の資源が枯渇すると言われて久しいようなもので、自分が生きている間に
は起こらないと思われた。
 午前に時間が出来ると、息子と二人川に入って遊んだ。水かさは膝くらいで石はぬるぬ
るしない。透き通った水の中を上流に向けて歩き始めた。町中が三十度を越す日でも花脊
ではせいぜい二十八度。岸辺の大きな石に日が当たるとやや温かい程度。と思いながら大
きな石に手をかけて伝い歩きをしていたのに、はっと足がすくんだ。石の上で蛇が日向ぼ
っこをしてペロペロと舌を伸ばしている。とっさに息子の手を引いた私は、ドタドタと反
対側の岸へ駆け上がった。それ以来川歩きはしなくなった。
 蛇だけではなかった。すぎせんトイレの前には、毎晩大きながまがえるがお出ましにな
っていた。家の中からトイレ用の明かりをつけて外へ出ると、それをめがけて虫が集まり、
その虫を狙って毎晩定位置に待ち構えていた。人間に対してガイはおよぼさないが、気持
ちが悪い。どけっと言って足を踏み鳴らしたり、石を投げたりしても、がまは敏捷ではな
いので、ワンテンポ遅れて反応する。
 街からまりさんが泊まりにきたときに、そいつを見せてやろうと夜トイレに行かせたら、
叫び声が聞こえないので、その夜は居なかったのかと思っていたら、大分経ってから
「うわーーーーーーー」
とバタバタ走ってもどってきた。
「おらっしゃった。あんなに大きいのがいるのねえ。私近眼だから最初よくみえなかった
のよ」
どかし方を伝授して、まりさんにはもう一度行ってもらった。
 蛇、ガマガエルのほかに、姿を見たことはないが、もう一種何者かがいることは知って
いた。生ごみを畑の腋に穴を掘って埋めていたら、翌朝無残な光景になっていたのだ。狐
か鹿か?熊?どれも居るとは聞いていた。今では花脊地区もゴミは回収されるらしく、それ
ぞれの家の前に金網のケージのようなものがある。
 畑は自由に使っていいと言われていた。四畝ほどをやっと作って白菜の種を播いた。
「うまくできたら農協にだしてやるよ」
 古原さんのおじさんがそう言ったのは、本気かどうか判断できなかった。
 花脊にいると退屈することはなかった。あっという間に時間が過ぎる。映画「荒馬と女」
の中でモンローが言った台詞を思い出していた。町中から人間関係に疲れて田舎にやって
きた女は「生きるってこんなに簡単なことだったのね」と言うのだ。
 9月に入り、満月というのでちょっと遠出して街へ買出しに行くことにした。その頃のバ
スはワンマンではなく車掌もいた。乗客は私たち親子ともう一人年配の女性だけ。途中バス
停でもないところでバスが止まり、車掌がおりてススキの穂を刈っている。お月見のためら
しい。終点で咎められることはないのだろうか。
 私たちは三条の明治屋で食糧を買うのが目的だった。買い物を終えて帰りのバスを待って
いると、息子が月見団子が欲しいと言った。あと少し時間がある。おまんやはんに入ってお
団子を包んでもらっていると、あ、バスが。行ってしまった。もう次は三時間後である。ど
うしようかと思案して、映画館で時間をつぶすことにした。
 それはいいけれど、五時のバスで帰ると着くのは七時。真っ暗になる。どうしようもない。
帰りのバスは暗い山道を走る。そのバスの窓から澄んだ月が見え隠れする。とんだ月見にな
ったけれど、ずっとお月様と一緒だった。
 井ノ口橋に着いても照明はなく真っ暗で、ゆっくりとすり足でつり橋の板木を進んだ。そ
してやっと向こう側に着いたところで、なんとあいつが待ってやがった。こらっ。ボテッ。
こらっ。ボテッ。もしかして迎えに来たんだろうか。

シルクのスーツ

2011-09-23 00:55:32 | お宝
DONNA KARANのスーツと書こうかとも思ったけど
ブランドに関係なく
シルクであることに価値を覚えているので

30年前、フランスのレストランを取材に行くとき
ファッションの仕事をしている友人が
旅行用の服を貸してあげようと言って来た

着るものはその人の個性だから
服の貸し借りは好まない私だったのに
「軽くて小さく畳めて
 ひと晩バスルームに吊るせば皺もとれる」
としつこく友人が言うので
持っていくことにした

それから30年
その着心地のよさ
巻きスカートの不思議なシルエットに
サイズ問題なしの都合よさ
時々借りてきたら
「これは石井さんにあげる」

まだDONNA KARANが日本に展開されず
セカンドブランドのDKNYもできてない時に
友人は香港の工場でこれをみつけてきた
「石井さんはANNE KLEINを着てたから
 これも気に入ると思ってた」
昔は私もANNE KLEINなど好きな服が買えた
DONNA KARANはANNE KLEINのデザイナーだった

               

30年経った今でも
私にとっては何かの時に着られる大切な服

お造り

2011-09-22 00:07:00 | ままごと
まぐろは大間の本まぐろ

まだいは鹿児島天然鯛

そう
この台風の中
大しけの海を
南と北で
漁をしてきましたのや
大変だったんだから

まぐろ 芙蓉の花
鯛   アマリリス
白髪大根 アマリリスのおしべのずい

東京大衆歌謡楽団 7.

2011-09-21 00:45:59 | 日記
神楽坂の本多横丁の
ジョンレノンとオノヨーコが行ったことで有名な
どじょうの「たつみ屋」の前で、
えーっと、あの人知ってるけど誰だっけ
の状態のまま
「あーっ」
と声を出してしまっていた。
すると向こうも
「やあ」
と眼を合わせてくれて

東京大衆歌謡楽団のお兄ちゃん
高島孝太郎ではないか
と気付いたのはその後だった

別に知り合いでもないのに
向こうの反応が気安かったものだから
「いつも聞きにいってるのに
 日本橋から浅草に移ったでしょ
 遠くなったから行けなくなって」
と話しかけることになった

するとすかさず向こうはビラを出し
「来週は日本橋です」

こうなると行かざるを得ないではないか

               

二ヶ月ぶりのお江戸日本橋亭
表におにいちゃんも出てきて
「やあ」

               

今回は三橋美智也、春日八郎、小坂一也などの歌もあり
戦前のロマンを求める私にはつまらなかった

               


               

彼等は舞台では靴下なんです

               

栗ご飯

2011-09-20 00:12:40 | 美食
もう今年三度目の栗ご飯
これはもち米を炊いた栗ご飯

でも蒸した栗おこわも好きだし
うるち米と炊く栗ご飯も好き

大事なのは極上の栗を使うこと

望むらくは
花脊の井ノ口橋の大木の
でも小粒の味の深い栗なら

お茶碗はこれも元侯爵家からいただいたもの
戦前の藍色がなんともいえないでしょ