馬鈴薯、玉葱、菠薐草

2010-09-30 05:07:46 | ままごと
この三つ、ままごと野菜の定番っしょ。

ままごとの職業では、面白さは八百屋がダントツ。
次は米屋で、あとはナシ。
魚屋なんて葉っぱを魚の形に切るだけなので、鯛も平目も区別がない。
ままごと遊びの魚屋さんが歌になったのも、行商スタイルが珍しくなかった時代。
今や魚屋には切り身しかなく、益々成り立たない。

バレイショ(むかご)
タマネギ(ムラサキカタバミの球根)
ホウレンソウ(タンポポの葉)

昔のホウレンソウの葉は、こんなに縁が波打っていた。

赤城下の井戸

2010-09-29 04:37:48 | 日記
今度京都に住むとしたら、井戸のある家に住みたい。
それも写真などで時々見る、台所の土間に井戸のあるような。

水道が止まったときに便利とか、水道代がかからないとか、
井戸の合理性が理由ではない。

漕いで水が出る、あの快感。

近所にはいくつか井戸があり、お寺の井戸を私の漕ぎ場所としていた。
もしお寺の人に咎められたら、○○家のお参りに来たというために、
墓地を回ってそれらしい名前もつかんでいた。
なのにいつからか、針金で留められて使えなくなった。

写真の井戸は、住宅の続く行き止まりの路地にあるもの。
みつかったら平謝りしようと、決死の覚悟で漕ぎ、飲んでみたら、
金気臭くて飲用にはならない。
路地の住民も植木の水やり用にしているみたい。

軽羹(かるかん)

2010-09-28 05:05:37 | 美食
九州生まれの私には馴染み深い菓子だが、東京ではあまりみかけない。
たまに売っていても、製造日から大分経った大量生産品。
それなら自分で作るか、から始まって昨年来何個作ったか。

原理は、かるかん粉、山芋、卵白、砂糖、水を合わせて蒸す、である。
今の私の配合は、上新粉にかるかん粉少々、水に酒少々を混ぜている。
餡は自家製の色の薄いこしあん。
それらを棒状の棹物にして蒸す。

餡を作るのも、かるかんを蒸すのも、真夏は避けたいので
いよいよこれからがかるかん作りのシーズン。

一度食べてファンになってくれた不動産屋のおばちゃんに持っていこ。
地域の人と一切交流のない私の、唯一の地縁関係。

白花曼珠沙華(シロバナマンジュシャゲ)

2010-09-27 04:45:34 | 植物
牛込橋の土手に、一箇所白い彼岸花が咲くところがあって、毎年楽しみにしてきた。
ところが昨年、そろそろ咲くかという時期に土手の草刈と工事が始まり、
白い彼岸花の咲く辺りは石垣になってしまった。

今年もかすかな期待を抱いて、球根の生き残った白い彼岸花が
石垣の隙間から出てこないかと毎日のぞいている。
今年は赤い彼岸花も十日くらい遅くて、満開は彼岸が終わってからになる。

彼岸花は種ができないので球根で増える。
そして花の茎は開花の直前に土中から姿を現し、葉の茎はその後に出るので、
その年も確実に咲くかどうかは直前までわからない。

白い彼岸花と書いたが、彼岸花とは別種の植物で、かすかに肌色をしている。

牛込橋に咲かないなら、同じ濠つながりでと、
桜田門の周辺から皇居のお濠沿いに歩いてみた。
咲いている。赤い彼岸花に混じって満開になっている。
対岸の皇居の堤にも、眼を凝らしてみると赤も白も。
三宅坂の信号に来ると、一面が白花曼珠沙華の斜面が。

その上の黄みを帯びた秋の光を、ランナーたちの影がひっきりなしに遮る。

六歳のスイス留学 5.

2010-09-25 05:08:13 | 物語
5.ケスクセ

 スイスに出発する前、息子はフランス語は「ケスクセ(それは何ですか)」しか知らなか
った。
 フランス語の勉強を始めたのは、前年の十月からで、初めは子供を一人でスイスにやろ
うとは考えていなかった。二人でヨーロッパを何度か旅するうち、子供も少しくらいフラ
ンス語がわかった方がいいだろう、二人でフランス語圏に暮らす日があるかもしれないと
思ってのことだった。
 私たちが福岡に戻った年の春に、フランス政府の協力で、九州日仏学館が出来、私は視
聴覚クラス、息子は子供のクラスに入った。
 私は自分の塾で生徒と口をきくほかは、ほとんど家の中に居て、誰とも連絡をとらない
生活をしていた。塾を開いているのに、電話も付けずにいた。人前に出て、しかもフラン
ス人教師に当てられて正しく答えようとする緊張は、生活を急変させた。
 その緊張は楽しく、何よりも私の嫌っていた日本的常識で縛られることがなかった。
 クラスの中でフランス語を使ってコミュニケーションをとるとき、自分でも驚くほど積
極的に発言をし、自分を表現することができた。心が何か一つの束縛から解放されていた。
 クラスは、南仏モンペリエに演習に行く前の自衛官、居酒屋を営む主人、大学は卒業し
たけれど次のとまり木がみつからない女性、サハラ砂漠の原住部族に興味を持って旅に出
かける準備をしている女性など、普段は他人に興味のない私が、少し話を聞いてみたくな
る顔ぶれだった。
 ある日フランス人教師が生徒に、有名作曲家の名前を挙げて下さいと言った。沢山知っ
ていても、日本とフランスでは姓の発音が違う。バッハはバック、ワーグナーはヴァグネ
ールと。サハラ砂漠に行く生徒が、「バーンスタイン」と答えたとき、教師は肩をそびや
かして渋い顔で「アメリカン!」と強い嫌悪を示した。フランス人は往々にしてアメリカ
合衆国を忌避する。
 昔の栄華を誇りとするフランス人は、それを脅かした新興の成金アメリカを認めたくな
いのだ。しかし生徒の答えに誤りはない。
 休み時間、私は教師を呼び止めて釈明を求めた。教師はすぐに謝った。すぐに謝るのは
逃げているからだと、私はさらに非難した。教師はその通りだ誠実ではなかったと、また
謝った。その教師はカトリック教会でオルガンも弾いている熱心な信者だった。
 バーンスタインと答えた佳子とは、そんなことから親しくなった。
「石井さんは、それまで誰とも口を聞かなくて、面白くないって顔をしてましたね」
 佳子は翌年の春、サハラへ旅立って行った。

 日仏学館の子供のフランス語の時間と、私の家での塾の時間がぶつかるときは、母が息
子を日仏学館へ連れて行ってくれた。母は娘と孫の役に立つことはないかと、常に探して
いた。
 日仏学館の子供クラスには、生徒が五人いた。来春父親が仕事でフランスに出向する家
族の小学生と幼稚園生が、準備に習いに来ていた。息子は一番幼かった。
 子供クラスのフランス人教師は、クラスでは全く日本語を使わなかった。息子はいつも
クラスをかき混ぜていた。息子のはしゃぐ声が教室の外にも聞こえてくる。授業が進めら
れなくて、若い女性の教師が手をやいているのがわかる。あまりに度を過ぎたはしゃぎ様
に、私は思わずドアを開けて連れ出しに行った。
 おかあさまは甘くない、眼の前に居ないときでも、マルをちゃんと見ています、隠れて
悪いことなど出来ないの。
 子供クラスの授業は、主にスライドや絵を見せて、それに符号するフランス語の名詞や
会話を一緒に聞かせて言葉を覚えさせていた。
「今日はなにを習ったの」
「ハジオというもの」
「どんなもの」
「あのね、ラジオみたいなものだった」
子供には、フランス語のRの音がHに聞こえたようだ。
 ケスクセを覚えた子供は、私とのフランス旅行で、誰にも彼にも「ケスクセ」と話しか
けた。相手がそれに答えたとしても、それを聞き取れるわけではないのに。
 エールフランスの機内で、客室乗務員が五歳の息子に箱入りの子供用の玩具をくれた。
「ケスクセ」
 まるでボンジュールのかわりである。中にはトランプが入っていた。
 飛行機を降りるとき、出口にはフランス美人の客室乗務員が息子の前にしゃがみこんで
頬を突き出していた。息子はすぐにその意味を理解して、自分の頬をすり寄せた。男は女
の求めには応じるものという風に。
 旅の終わり、福岡の空港で息子とはぐれてしまった。
 いくら探してもみつからないので、呼び出しを頼みに行こうとしたとき、
「石井様、お子様がお待ちですので…」
と放送が聞こえた。
 慌てて空港案内所に行くと、息子は泣くどころか居丈高に私に視線を投げて
「どうしていなくなったのよ。すぐに来てくれなきゃ駄目じゃない」
と迷子になった私を叱責した。
 私が迷子になったのは二度目だった。母と私と息子の三人でデパートに行ったとき、勝
手に一人で歩きだした息子が、はぐれてしまった。あたりを見回すと、おもちゃ売り場を
行ったりきたりしているのが見える。
 母と私はしばらく放って様子を観察した。すると息子は急に大きな声を出して
「やいお前たち、どこへ隠れたんだ。すぐにわかるんだぞ」
 アニメのヒーロー気取りだ。内心は心細い思いをしているだろうに、そこへ沈まず何か
を言おうとするマル。
 ケスクセだけしか知らなくても、スイスで困ることはないだろうと確信した。

明治の墨

2010-09-24 04:14:07 | お宝
初めにお断りしておくが、写真の右端は昭和の墨である。

家の硯箱の中にあった二本の墨を、何も考えずに使っていたところ、
ある日そこに記されている文字から、両方とも明治の墨であることを知り、
なんて勿体ないことをしたのか、しかも一本は金の上を墨で汚している、
と慌てて鳩居堂に普段用の墨を買いに行った。

黒い方の明治の墨には、右側面に〝為古梅園主人〟の文字までが残っており、
左側面に〝明治辛巳春〟の文字までが残っている。
母は古梅園のようなポピュラーな店の墨は、小学生用というようなことを
言っていた気がするが。
明治の辛巳は1881年、つまり明治14年にあたる。
119年前の墨を摩り減らしたのは私である。

もう一本の金のかけてある墨の裏には、
〝明治戊○冬月寧楽老舗 十一世主人謹造〟と読め、
これは文字の殆どが残っていると思われる。
ということは私が最初におろしたかもしれない、ああ。
それで年号を調べるために○のところをよく調べると、「丑」に見える。
明治の戊丑って何年だと調べかけて、干支に戊丑はないと気がついた。

干支というのは、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の十干と、
子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の十二支の組み合わせというけれど、
総当たり制にはなっていず、半数当たりにしかなっていない。
そうでなくては、10×12=120となって、60年に一回の還暦はやって来ない。
それで戊と組み合わされるのは、子、寅、辰、午、申、戌だけである。

しかしうちの墨にある漢字はどうひねっても丑にしか見えない。
どなたか読んで下さいませんか。

夏の糠床

2010-09-23 04:24:13 | ままごと
茄子と胡瓜はみつかったのに、ヌカがみつからない。
東京の土は黒くて使えないのだ。
九州の土は色がうすい。夏は白っぽい地面からの照り返しがまぶしい。

子供の頃の家は赤土の上に建ち、雨が降ると家の前はぬかるんだ。
車が溝に落ちて上がれず、ドライブの出発が二時間遅れたこともある。

家には地層の模型のような赤土と白い粘土が平行してみえる断崖があり、
そこからままごとのお菓子の材料を取っていた。
九州に旅するまでは、糠床は作れないかなあ。

と思っていたら、渋谷の街路樹の根元に黄色の土くれが捨ててある。
それを二かたまり拾った。

漬物樽に公園の土を詰め。上に黄色の土を載せると、あらー。
水分を吸って焦茶色になってしまった。だが翌日、乾いて元の黄色に。

漬物の茄子(ノボタンの蕾)
漬物の胡瓜(マツバボタンの葉) 

飯田橋駅西口

2010-09-22 05:07:25 | 日記
JR飯田橋駅は、ホームから西口改札までは古い病院の渡り廊下のような
木造の通路が、ゆるやかな上り坂となって階段を使わずに出られる。

すると車内に詰めまれていた息苦しさから解放され、急に視界が開ける。
そこは石畳の美しい橋の上なのだ。

橋の下には今乗ってきた総武線が走るという不思議。
さらに外濠の水面とその上のキャナルカフェが。
都会の高層ビルは背景に遠ざけ、思わず空を見上げる。
左へ行けば靖国神社、右へ行けば神楽坂。

東京にもこんなところがあった。
人が上京してくると、私はここで待ち合わせをする。

今日も勤め帰りの人たちが誰かを待っている。
東西に走る総武線が、ここでは北へ湾曲して方角を忘れさせる。
さて今夜の、月はどっちに出ている。

新米

2010-09-21 04:55:20 | 美食
近所の米屋では、その場で精米してくれるので、石川県の無農薬無化学
肥料栽培の「とんぼ米」を1キロずつ買う。

あるとき、家にお米が半カップも残ってないことに気付いたが、日曜で
米屋は休み。
いつも使う鉄のお釜では、一度に炊く最低量は1カップはないと。
そんなとき思い出した。
雑誌の読者プレゼントでもらったフランスSTAUB社の鉄鍋を。
雑誌で見たときは大きさがわからなかったけど、まさかこんなに小さい
とは。直径10センチの掌に載るサイズ。いいえ載りません。重いんです。

ずっと使い道がなかったけど、これに米を入れて炊いてみた。
素晴らしい出来上がり。鉱床から林立する水晶の如くに透き通った米が
立っている。一粒一粒がしっかりとして、甘い。
水蒸気はどこへ逃げたんだというほど底にべたつきがない。
STAUB社の大きい鍋なら、もっと沢山炊くのに向いてるんだろうなあ。

ご飯を炊く原理は100℃を20分保つことと言われる。私は噴いたら火を
止めて5分、弱火10分、蒸らし10分(季節による)で炊くけれど、STAUB社
の鍋なら、噴いたら予熱しておいたオーヴンに入れて15分熱したら、も
っとおいしく炊けるんじゃないかと予想している。
そんな贅沢、まだ試していない。

あるとき見たCMに、お釜が火の上で噴いてもずっとそのまま加熱し続け
焦げてもそのままで、最後に焦げたご飯の中心部の白いところを取り出
して、これがおいしいんです、というのがあった。そして「三菱の炊飯
器なら、こんなことをしなくてもおいしく炊けます」と言っていたのが
面白かった。
そんな贅沢、試してみたい。

葛(クズ)

2010-09-20 04:52:29 | 植物
植物に詳しい友人二人に、
〝雑草の代表といえば何を挙げるか〟
というアンケート調査を行うと、
さちこさんは葛、きょうこさんはドクダミという答えをくれた。
私とは全然違う視点で、意外だった。私はスズメノカタビラだったから。

祖父がパターゴルフ用に植えていた庭の芝の間に、いかにも邪魔者の顔
をして、スズメノカタビラは生えていた。
祖父もパターを打つ人ももういなかったのに、孫の私は「なんだか醜い」
と、ままごとのついでに、スズメノカタビラを抜いていた。
いや、その頃はそんな名前があることも知らなかったし、雑草には名前
はないと思っていた。

敷地内には、葛のはびこる斜面も、ドクダミの群生する日陰もあったが、
雑草と思ったことはなかった。
葛は紅紫のあでやかな花穂を立て、ドクダミは動物を鎮めるような薫り
を撒き、雑草として見過ごすことはなかった。

そんな子供だましは採点に加えなくても、葛は根から貴重な澱粉がとれ、
漢方の葛根湯のもとにもなるし、ドクダミは漢方の煎じ薬になるという
有用性が、私には雑草の代表とは思いもつかなかった。
たしかに繁殖力と地面を占める面積はうざい代表だが。

この季節、朝夕四谷駅のホームには優しい大人の薫りがする。
土手に繁茂する葛が、人に摘まれないよう花を付けているから。