グリちゃん記念日

2019-04-30 19:42:51 | 日記
14年前の今日は快晴で

もらった入場券でチエコさんと上野の国立博物館に行きました

その帰り、上野公園内の笹薮を

なんかアタイのうちアタイのうちどこだどこだ

とか言ってる雰囲気でつかつか分け進む灰色の猫をみつけました

ちょっと そんなとこに家なんかないだろうさ

オイと呼び止めてつかまえるとつかまった

向かいの西洋美術館から公園内に猫の迷子の呼び出しをしてもらったけど

誰も来ない

交番に連れて行くと

「保健所に持って行きます」と言うので

「ダメです。段ボール箱下さい」

と言ってうちまで連れてきた猫は

ロシアンブルーとさば虎のミックスのようなおしゃれな猫でした

すぐにネットの迷子欄にも掲載したけど反応なし

息子に言わせれば「公園に住んでいる人の猫を持ってきてしまった」と

そうかもしれません

生っ粋の野良ならこんなに人になつきません

そしてある日灰色猫の姿が見えなくなり

近所じゅう探しました

神様 お願いします 今度みつかったらうちの猫として可愛がりますから出して下さい

そう祈りながら家に帰ったら あれ いるではないか

その日からグリエはうちの猫になりました

だからグリエの年齢は14歳プラスアルファ

とっても元気で飼い主孝行です(いまだに発情してシッコする)

今日は公園の周りを抱っこお散歩してきました

新靴

2019-04-29 21:14:54 | 日記
持っているスニーカー四足のうち

三足に穴があいているので

今度あたらしいのを買(ってもら)いました

神田のスポーツ店街に行き

安売りも見ましたが

結局ABCマートで買(ってもら)いました

この夏はこれ履いて

ゆるふわでロングのワンピースですかな

この頃は走らないので歩くのに良い靴となりました

快適

もがり または 恩師 ⑫

2019-04-27 19:52:32 | 物語
ものがたりにモデルはありますが、事実通りではありません


 典子先生との京のお花見はもう、何回通ったか思い出せない。
 
 桜の時期に二日だけ無料開放される広沢池の救世教の庭、一時期だけ公開されていた何有荘、円山公園の兄弟桜

のある植藤さんの敷地、たまたま入れてもらった寂庵、対岸から山桜のグラデーションを見る嵐山、宇多野ユース

ホステル、枝垂れ桃と桜の混じる将軍塚大日堂、御衣黄の嘉楽中学と雨宝院、桜また桜のあふれる原谷苑。

 きっとまだ忘れているものが沢山ある。その中で先生のお気に入りは太田の小径と南禅寺別荘群の散歩道で、毎

年のように訪ねた。

 ある年は由美子が来られなくて先生と私だけのこともあったが、先生が風邪で直前にキャンセルの電話を下さっ

たこともあった。その時は一日目は京都市内の桜を見て、二日目は和紙作りの黒谷を通って丹後与謝野町の森の中

にある樹齢千二百年の黒椿や、発見されて間もない古代の青いガラスの腕輪を見に行く予定にしていた。私はあま

りの悔しさに誰にぶつけていいかわからない恨みはあきらめてしまいこむしかなかった。しかし私以上に当の先生

こそが残念でしかたなかったはずだ。

“急なことでご迷惑をかけてしまい本当にごめんなさい。

無理をして行ったらかえってご面倒をおかけすると判断しました。

こちらでは義妹に誘われて福岡城址の御濠端の桜を見たり、

お墓参りの帰りに秋月城址の桜並木を歩いたりしましたが、

やはり京のお花見にはかないませんね。

京都ではこの世の名残りのお花見をしているような気分でした。

桜の季節に京都にひと月いられたらと思うだけでも心がときめきます

あの世に行ったとしてもお花見の時にはあなたについてまわるだろうと思っています

お声をかけて下さいね

これは雪のかまくらに行った折にはし本でもとめた椿の便箋です

本当は字を書きたくないのですが…

お忙しくなられたと思います

どうぞご無理のないように老婆のこれからの夢をお支えください”


 次の京都行きは秋まで待たねばならなかった。
 
 10月に「染模様恩愛御書」というボーイズラブを描く出しものを染五郎が復活させて大阪松竹座にかけるという

ニュースが興味をひき、京都行きに合わせて先生もお連れしたいと思った。同じ時期に信楽のMIHOミュージアムで

は「青山二郎の眼」という特別展が催されるのでこれもコースに入れた。

 集合の待ち合わせは京都駅ではなく新大阪駅で十時半にした。先生は博多から、由美子は宝塚の親戚の家からの

集合になった。私は昼食のお弁当を買う煩わしさを考えて、三人分を作って行こうと決めた。五時にでも起きれば

弁当を作って着物も来て行ける。少々重いが、着替えなど他の荷物は宿に送っておけば済むし、新大阪でそれぞれ

に弁当を渡せばそこで解放される。

 新大阪からは地下鉄御堂筋線で難波まで乗り換えなしで行ける。先生は松竹座は初めてではないということで万

一集合に遅れても駆けつけますと言われていた。その心配もなく三者無事に待ち合わせに間に合い、先生から私の

縫取りお召のことなど尋ねられながら劇場に着いた。染五郎の相手役の愛之助は初めて見る役者だが、関西では

すでにひいきにする人が多いらしく、ロビーには後援会の場所が広く取られていた。客の着物も江戸の趣味と違っ

て柄が大きくはっきりしたものが目立って面白いと由美子が喜んだ。

 芝居は客席がむせるほどスモークを焚いたり、主役の二人が思いを遂げる場面はシルエットになって脱いだ着物

を放るなどクスクスと笑いたくなる趣向が工夫されていた。途中テレビのお笑い番組で評判になっているセリフが

混ぜられたり、忠義の家臣が腹を搔き切って内臓と巻き物を入れ替えるシーンでは「これが肝臓、これが腎臓、こ

れが腸。三つ合わせてかん、じん、ちょう」などと言わせてリアルに赤い布で作られた内臓を見せたりしていた。

 弁当の包みは捨てられるように紙にしておいたので、帰りは身軽に戎橋を渡り、心斎橋から淀屋橋まで地下鉄に

乗って、淀屋橋から京阪で京都に向かった。

四条で下りて祇園の細い路地を入り、甘泉堂でおやつの菓子を調達。宿はいつもの錦の八百屋さんのゲストハウ

スなのでそこから歩いて行った。届いていた荷物を開けてさっと着替えを済ませると、八百屋の奥さんから紫野源

水のお菓子の差し入れが届いた。宿での菓子は買ってきたばかりだったので

「いっぱい買ってきたので物々交換しましょう」

と提案して、買った菓子の中からお好みのものを引き取ってもらった。

 そこからいつもの宿でのお茶の時間が始まる。私は茶碗とお茶と茶筅だけを持参し、茶杓はスプーンで代用す

る。三人銘々に好きな菓子を選んで、お茶は先生に立てて頂く。出来立ての主菓子が手に入る京都ならではの愉し

みだ。

 夜は錦の丸弥太で穴子寿司を頼み、グルニエドオルで銘々お土産用の菓子を購入してから宿に戻った。
 
 部屋はいつも先生がベッドのある洋間で、由美子と私が和室に布団を敷いて寝た。
 
 翌朝私はいつもの朝食を作らず、三人で御幸町通りの旅館近又に出かけた。商人宿として始まった近又だが、予

約すれば朝御飯だけ食べられるというので、たまには旅館の和食もいいだろうと予約をしておいた。今では近又は

割烹部分が独立しているようである。古い町家の風情のある建物の二階の部屋に案内され、豪勢ではあるが決して

朝ご飯の枠を超えない料理を堪能した。挨拶に出てきたご主人は、煮魚は北陸から届いたとれたてのノドグロだと

解説してくれた。近又を出ると急いで荷支度をした。九時半には伊野の車が迎えに来て、信楽のMIHOミュージアム

まで運んでくれる。

 MIHOまでの道筋を珍しく私と伊野の間で意見が違った。私は北周りを予想したのに伊野は南からを提案したが、

ここはプロに従った方がいいだろうと、伊野に任せることにした。

 MIHOに着くと秋の森林の香りのする風が吹いていた。それは九州にも関東にもない年月を経た森の風景と香りに

思えた。展示を見た後は売店でブルーベリーのペストリーを新幹線用のおやつに買った。ここの食べ物は会員信者

の手で作られており、誰に聞いてもどれもおいしいという。知人からここの納豆を貰った時は文字通り後を引いて

しばらくは手当たり次第にそのレベルのものを東京で探すことになった。

 昼は京都に戻って旧知のフランス料理店リンデンバームに寄った。その頃はまだ御所東の路地の奥にあって、よ

くこんな値段でコース料理が提供できるなあと感心していた。

 食事の後は吉田山に上った。紅葉にはまだ早いが、金戒光明寺にはシマモクセイの大樹がある。目論見どおり白

い木犀が満開で下にも散り敷き香りを放っていた。

 吉田山を下りたすぐのブルーパロットでは珍しく私が買い物をする予定があった。ブルーパロットは西洋古道具

の店で、輸入品ではなく日本の西洋骨董を置いているので私の趣味にぴったりだった。典子先生は日本の民芸品趣

味だが、私は大正ロマンや昭和レトロ趣味なのだ。来客用のやや深さのある皿を探していたら二つ候補がみつかっ

た。藍染の皿五枚とそれより小ぶりで赤や金の入った皿五枚をまよったので先生に意見をもとめた。

 先生は藍染をすすめられ、金や赤の入った方を指して「こういうのだったらうちにあるのをあげましょうか」と

おっしゃった。
 
 先生が下さるものなら趣味の悪いものがあるはずがない。遠慮しないでいると本当に金襴手の皿が十枚届いた。

これをあげましょうという先生の気持ちには、要らないからあげますというのではない色々なものが込められてい

る気がして大切に何度も使うことがそれに応えられるのだと思った。

 先生との古道具屋めぐりは別の機会にもあった。私が昭和的な木の食器棚をさがしていたとき、先生にも付き

合っていただいた。すでに一台もっている食器棚は以前ブルーパロットで買ったものだったので、その時もまずブ

ルーパロットに行ってみたがどうも大きさやイメージが合わなかった。それで北大路大橋のたもとの水屋を沢山置

いている店に行ったけれどここもガサゴソと引き戸が開けにくそうな大きな棚しかなかった。

 もう一軒、と千本五辻の素人のおじいさんが転業したようなリサイクルショップに行ってみると飾りガラスの両

開きの戸棚がほこりまみれで安く売っている。これだ、とすぐに決めた。

 それを先生は「それにしてもすごい勘ね」と褒めて下さったけれど、大量生産品と違って古道具とは野良猫との

出会いのように偶然が引き合わせてくれるものだと思っている。

 芝居見物と美術館の旅は終わり、いつものように旅の疲れをどっさりと土産にしてわれわれは西へ東へ京都駅か

ら分かれていった。

 はっきりと覚えていないので時期は前後するのかもしれないが、映画を見る旅もしたことがある。

 倍賞千恵子、老女役、料理を作る女、そのキイワードで興味を持った映画「ホノカアボーイ」を先生と見たいと

思い、京都での上映館を調べたら、二条駅のTOHOシネマズで上映されているとわかり、地下鉄で見に行った。

昔移住した日本人が住むハワイの田舎にフリーターの若者が迷い込み、料理上手の元気なおばあさんにちょくちょ

くごちそうになる。おばあさんの気持ちは若やいで青年の女ともだちにいじわるをしたりするのに青年は全く気付

いていない。ある日おばあさんは夜風にさらわれたように命を閉じる。青年はその島での経験を何だったのだろう

と今更ながらに感傷にふける。ハワイののんびりとして明るい風景、強気のおばあさん、昔の日本人たち、死の場

面を見せない、などなかなかに類の無い後味の良い映画だった。

 典子先生がどんなに映画を楽しまれてお気に召したかは、帰り道にあった本屋ジュンク堂で原作の本を購入な

さったことでわかる。

「あのおばあさん、原作では八十歳になっているわよ」

 私の独断でお付き合い願ったのに、よかったと思った。


 もう一本おつきあい願った映画がある。四条烏丸の京都シネマで上映された「地球のヘソ」は、京都の監督が低

予算で作った京都でしか見られない映画だった。
 
 京都を舞台にしたテレビドラマで時々見る俳優を、ある時から応援するようになり、その人が出るという理由で

見てみたいと思ったのだった。なぜ応援するようになったかというと時々出るので見知ってはいたが、ある時

ちょっと悪い不動産屋か何かの役で、それだけのためにいい年をして金髪にしていたので感動したのだ。それから

は前もって出演作品を調べて見るようになった。

 「地球のヘソ」は京都が外国人にどんどん侵略され、古いものや古い習慣も外国人の方がよく知っており、日本

人が案内される側になるという話だった。夏にバンコに掛けて浴衣姿で外国人二人が将棋を指し、何かというと四

文字熟語を発する、など。私の目当ての俳優は古い遺物のような日本人役で、橋から飛び降り自殺をする。

 先生は四文字熟語の場面が面白かったようでいつまでもおっしゃっていた。

 映画の感想を、その俳優のブログにコメントした。

“二枚目役なのに太り過ぎです”

“そろそろ親父の遺伝が出てきました”

 その俳優のブログには、先生とチエコさんの三人で直指庵裏の山道の岩をよじ登った話をコメントしたことも

ある。返信に

“よじ登るとはなんかそそられますね”

と書かれた。
 
 その話を先生に伝えると

“京都の俳優さんが想像なさったのはこういうことかしら”

と、与勇輝の人形の絵葉書を送って下さった。それは少女の着物の裾から白い足の出ている人形だった。




読み物

2019-04-26 21:06:28 | 日記
連休は

あいだの平日に

普段行けないあちこちのお役所に行って用事を済ませようなんて思ってました

ばかですよね

ほんとに10連休なんですね

5月1日が休みになったばっかりにはさまれ平日も休みになって

知らなかったのは

皇室とか元号とか好きじゃなくて興味がなくて

よそのおうちのことと思っていたものだから

今はふつうのお勤めみたいなことをしているので

平日は休んでいないのです

だからいいんです

10連休 有効につかいます

やるべきこと沢山ありますから

昨日福岡のミワコさんからどっさりと読むもの送ってきました

地方紙からの切り抜きです

一緒に猫デザインのお皿と鶏卵素麺と靴下が入っていました

連休はこれを読んで鶏卵素麺食べてすごします

新じゃが

2019-04-26 08:02:16 | 美食
スーパーで一個売りのジャガイモを

毎日一個ずつ買っていましたが

或る時新じゃがに変わり小粒になりました

これがとってもおいしくて(味がある)

まとめて10個買いました

フランスから種イモもってきて静岡に植えた人にあげようと思って

よーく見るといくつか皮がうっすら緑色

これは危ない

この時期の小粒のジャガイモは

光に当たるとクロロフィルができると同時にアルカロイドのソラニンも生成されます

苦みとピリピリがあって大量にとると危ない

あのジャガイモの芽の毒と同じもの

皮を厚くむいてしのぎますが

10個買ったのは

フランスから種イモ取り寄せて植えた人にあげるためです

そう フランスのジャガイモはちゃんと味があっておいしい

こぶしの咲くころに種イモ植えると花背の人にきいて花背の畑に

出町のタネゲンで買った種イモを植えたことがあります

七月に収穫した芋を持ち帰るとき重かったなあ

このおいしい鹿児島の芋がどこまで広がるでしょうか

フランスのジャガイモがおいしいのは土が良いからだと聞きました

日本の土は今ダメなのだそうです

四月ドラマ

2019-04-24 20:37:48 | 日記
やはり秋の大恋愛ほど熱心に見られるドラマはない

緊急取調室と科捜研の女は落ち着いて見られる

その下に特捜9が入るくらいで

ほかは五分も我慢ができなかった

一話だけならインハンド

どうしてかというと正名僕蔵が出ていたから

そういうドラマの筋とはかんけいないところに引きつけられることは時々ある

一回目の科捜研女では

祇園の置屋の女将が来ていた大島が面白くて目を引いた
        

おとなしい退屈な着物が好きじゃない私には

この柄は遊び心たっぷりで楽しめた

これはこの女優さんの私物ではなかろうか

どこからかエピソードがでてこないかなあ

冬よりはましだけど、今季のドラマも不作やなあ

復活祭の後

2019-04-23 20:08:11 | 日記
復活祭は

春分の日の後の満月の次の日曜日と決まっているので

今年は満月が4月19日だったため

4月21日という遅い復活祭になりました

満月の具合では3月の下旬が復活祭のこともあるわけです

今月の料理塾はその前の日でした

生徒(さん)がその日はもうお花見もできないと言ったけど(何のために塾に来るんや)

できましたよ

今年は桜もよくもって
        

八重桜ならなおさらのこと

公園の六本の八重桜は藤と競演で生徒(さん)もよろこんでいました
       

そして昼食に付き合わされて(何のために塾に来るんや)

いつもは日曜の塾なのでお店のしまっていた蕎麦屋「大川や」にいきました

特大のアナゴと春野菜の天ぷらとせいろの組み合わせ

穴子一本を三枚におろして一人に片身一枚

これを半分に切って天ぷら二個それと骨を素揚げしたのも付いている

靴を脱いで上がる店構えと客席も静かでいごこちがよくて

神楽坂の名店です 場所もいい

食後のお散歩で奥まったところに雑草だらけの平屋をみつけて

住みたくなりました

野生の三つ葉もはえていたし


きょうこそは八重桜が散って絨毯になっているかと朝の公園に行きましたが

シルバー人材のおじさんが掃除していて

すでにビニール袋いっぱいに花びらを収穫していました

それをひったくってまき散らしたいと思いましたね

春から少し夏の足音が聞こえます

新宿の野良猫

2019-04-22 19:50:09 | 生物
買い物帰りに

白すみれをくれたBさんと道で会うと

「ふにゃらふにやらに行くところ」

と言われ

「えっ?」

と聞き返した

「ふにやふにゃ」

「え?}

ついにBさんはふくろから紙を出して

「ほら これ」

投票用紙だった

そうか 今日は日曜日

わたしにとって選挙の日というとなぜか

カフェをやっていた頃にお客の入りがいい日

として登録されている

では投票いってくるとするか

投票所には大々的にあるテーマが掲げられていた
        

こりゃよまねばならない

どんな風に野良猫を捕獲して不妊手術をするか写真が出ていた

じっくりよんでいると近所の猫ともだちの奥さんと並んだ
        

「あら」(これは聞き取れる)

「あら」

とあいさつをして別々の道を帰ったのだが

今度は家の斜め前で白スミレのBさんと猫友だちの奥さんが話し込んでいる

折角だからと私のかめらに入っている猫友だちの家の猫の写真を見せ

次に容子の写真を見せてよろしくお願いしますと言い置いた

野良猫にエサをやるのはひつようなことという区役所の掲示には安心したが

放っておくと猫がわんさか増えて害をおよぼすというのは納得していない

歴史上猫が増えすぎたというのはきいたことがない

それよりも野良猫が子供を産むとそれらが生き延びるのは困難だから増やさないというなら

少しはわかる

けれども人間が勝手に不妊手術をしていいものかと思っている

子猫はなんとかしてそだてればいい



もがり または 恩師 ⑪

2019-04-20 19:13:54 | 物語
ものがたりにモデルはありますが、事実どおりではありません



 典子先生のお便りは、いつも、ずっと、最初から、版画や漉込模様の和紙で、便箋と封筒がお揃いだったり、ど

こでこんなのをみつけられたのかと溜息の出るものばかりで、私が頂くのはもったいない気がした。

 そんな先生をご案内するならまずは「崇山堂はし本」や「鳩居堂」だろうと、錦のいつものゲストハウスマン

ションから、歩いてお連れした。先生は丁寧に時間をかけて便箋やぽち袋を選んでおいでになった。宮川町の裏具

や杉本家の背の竹笹堂にも行ったけれど御覧になるだけでお買いものはなさらなかった。一番時間をかけられたの

は聖護院踏水会横の「まつ九」だった。ここは徳力富吉郎の版元であり美術館にもなっている。京都の四季折々の

風景が版画の絵葉書になっている。徳力は花脊・別所に別荘を持っていたことから、工芸村の店には徳力の絵葉書

があった。

 意外だったのは麩屋町の「イシス」で、ジャワ更紗の店ではあるが、布は高価だからと絵葉書をおもとめになっ

た。もっと高価な店にも行った。cocon烏丸に出店している唐紙の老舗「唐長」では和紙の便箋や封筒の色が微妙

でこれで手紙をもらったら誰しも心を動かされそうだった。

「でも、もらった人はこんなに高いものとは思わないでしょうね」

「買っても使いたくなくなりそう」

結局ここは、毎回京都に来るたびにのぞきに行く店になった。


 花脊のかまくら行きは次の冬に実現した。冬の京都は楽しむものが少ないので、初日は宇治のヤドリギを見に行

くことにした。ヤドリギは夏でも寄生しているけれど、宿主が葉を落とした冬に一番よく見える。先生とは京都駅

の構内で由美子と二人で待ち合わせをして、JR奈良線に乗り換えて宇治に向かった。宇治駅でおりたとき、見知ら

ぬ女性に呼び止められて慌てた。向こうはさも私をよく知っているかのような笑顔と親しみで近づいてくる。昔の

カフェのお客さんだったろうか。

「パリの末村ゆき子の妹の光子です。車中で皆さんのお話が聞こえてきたから分かりました」

たしかにゆき子に似ていた。ゆき子がパリで急死してから連絡をとるようになっていた光子とは、翌日のかまくら

行きに誘っていて初めて会うことになっていた。光子は宇治の介護施設に父親を預けているので京都まで出てきた

のだった。

「あの鶴見和子さんのいらっしやるところですか」

「ええ、食堂で何度かお会いしたことがあります」

光子とは翌日合流することにして駅で別れた。

 宇治市ではヤドリギが寄生して宿主の木を傷めていると悪者扱いをして減らしているのに、駅ビルには宿木とい

う喫茶があって土地の自慢をしているようにもみえて皮肉なことだ。

「源氏物語の宇治十帖にも宿木があるのにね。あれはツタの異名だと言う説もあるけど少なくともヤドリギという

名前は宇治とゆかりの深いものでしょう」

 先生には以前京都から福岡までヤドリギの枝をお送りしたことがあったが、それが生えている姿がどんなものか

はお見せしたことがなかった。 

 駅からまず中村藤吉本店まで歩いてお茶を買いに行った。典子先生は表千家の教授の資格をお持ちなので宿では

毎回お茶をたてていただいていたが、今回はお茶は宇治で買ってみることにした。

「なぜか宇治の人は長話だから気を付けて下さい」

と言い置いたのに女主人が現れたので抵抗のしようがなかった。

それでもお蔭で茶選びに迷うことはなく、中庭で記念写真を撮って昼食の店に向かった。

 宇治川喜撰橋のたもとには観光船が何隻も繋留されている。それをまとめる店が川に張り出して古い木造の二階

建てのようになっている。ガラス張りの窓側が上座とは思ったが、先生に景色を見ていただこうと私が窓を背にし

た。ここでも愛想のいい仲居さんを恐れて、なるべく質問は投げかけず、話題が長引かないようにふむふむと合ず

ちを打つだけにした。それでも宇治の花火大会の自慢話にはそうそう無関心はよそおえなかった。

 食後塔之島に渡って桜に宿る手の届きそうなヤドリギを見上げながら川の東岸へ歩いた。以前は毎年ここにヤド

リギを採りに来たのに、かなり減っている。

 川沿いの道に民芸品の店が出来ていて三人で中に入った。ひととおり目を通して外に出ようとしたら、先生と由

美子がもう店の主人にとっつかまっている。しかたがないので私は前の通りを行ったり来たり何度も往復して二人

を待った。ようやく出てきた二人は結局何も買っていなかった。

 道を北上して宇治端のたもとの通圓茶屋でいっぷく。ここは吉川英治の宮本武蔵にお通が寄ったばしょとして書

かれているらしい。そのことから私は長いことこの店をお通が始めた店でお通は実在の女性なのだと誤解してい

た。実際にはもっと古くからある店でどちらにも漢字の通が入っていることから間違ったのだった。この店では誰

も客と話し込む人はいなかった。

 帰りは京阪宇治線に乗ることにした。駅前の桜にもヤドリギがなくなって寂びしい枯れ木が並んでいた。

「以前は春にヤドリギのこんもりとした緑と桜の花の薄紅色のコントラストが面白かったのに」

 錦市場の宿に行く前に、鞍馬口の生風庵に予約していた雪餅を引き取りに行き、宿で先生のお点前でお茶を頂い

た。東京からは宿に茶碗と茶筅と黒文字だけ送ってけばおいしいお茶の時間がもてる。私はお茶は頂くばかりで

習ったこともなければお点前など一切知らない。それでも先生はうるさいことなど一切おっしゃらない。

 典子先生がお茶をなさっていることは京都遊びにお誘いするまで知らなかった。ましてや教授でいらっしゃるこ

となど。いつの時代にお稽古を始められて通っていらっしゃったのか。それを知った後、先生が姪御さんと京都の

御家元のところにおいでになるときに、どこか良いお店を教えてちょうだいと言われたので御家元の近くの「ゆり

の木」と錦市場の「八百屋の二階」をお教えした。もう一軒、夷川通の家具屋街にある漆器屋もお教えした。ここ

は以前前を通るときにいつも“漆器のお直しいたします”と張り紙がしてあるのを見ていた。先生が昔から親しんで

きた漆器を一揃い直したいとおっしゃっていたので参考になればとお知らせしたのだった。すると先生はその旅で

「ゆりの木」で帯締めの気にいったのがあったとお買い求めになり、漆器やにも寄って女主人に詳しく話をして今

度まとめて送ることになったと成果をつたえて下さった。「八百屋の二かい」での京野菜の昼食は姪御さんもとて

も喜ばれたとおっしゃった。




 宿でお茶の時間を整える時、先生は淡い雪模様のある懐紙を出して下さった。

「ちゃんとしたところではは模様のある懐紙は使えないのだけど、これを使ってみたかったの」と。

そして雪餅を召し上がったあとしみじみと感想をもらされた。

「ああ、おいしい。今までに食べたお菓子の名かで一番おいしい」

 先生は生風庵の雪餅をとても喜んで下さった。京都遊びでいつどこに行ったかを思い出すのは難しい。季節館の

あるものはいくらか覚えているのだが。お菓子はほかに亀谷則克、塩芳軒、嘯月、とまや、末富、聚洸などに行っ

たが、どんなコースだったかは思い出せない。お茶は聖護院の竹村玉翠園や二条の栁桜園など。

 夜は私の京都のカフェで製菓を担当していたマキちゃんも一緒に夕食をとることにしていた。それなのに私とし

たことが、どこで夕食をとるかまだ決めていなかった。

 待ち合わせ場所のホテルフジタのロビーが近くなったとき、そうだと思いついて電話をかけたのは、鴨川べり銅

駝高校横の「古都梅」、ここならホテルフジタから歩いて行ける。電話をかけると本店の梅むらではどうかと勧め

られたのだが、あの一軒家に先生をお連れしたかったので古都梅がいいと言い張った。店の人はそれなら30分待っ

てくれというのでホテルのロビーで先生と由美子、マキ、私の四人で時間をつぶしてから歩いて古都梅に行った。

 古都梅は私が鴨川べりに住んでいた時に開店した店だが、もとは仏文学者・生島遼一の住まいだったところで、

鴨川岸にも出入り口があって、前を通るたびにこの空き家はどうなるのだろうと気になっていた。それを木屋町の

料亭「梅むら」が支店として使うようになっていた。

 店に着くとライトバンが停まって荷台から盤重で荷物を運びこんでいるところだった。つまりその夜はほかに客

はなく、私たちのためだけに梅むらからスタッフと料理が運び込まれたのだとわかった。

 その後古都梅は八坂神社の横に移転してもとの店舗は取り壊された。京都ではこうした文化人の古家が一時期だ

け店舗として維持されるのだが、最終的に壊される例がある。紫明通りにあった作家の岡部伊都子の住まいも一時

期料亭卯庵が支店にしていたがもうない。

 翌日は伊野の車で出発し、烏丸丸太町のホテルハ―ヴェストで光子を拾って周山まわりで花脊に向かった。雪の季

節は花脊峠を越えるのが危険なことがる。周山経由なら上りの傾斜とカーブが緩やかなのだ。

 昼は「すし米」に猪鍋を予約しておいた。登喜和のすき焼きとの二択で考えたのだが、すき焼きは冬でなくても

食べられるけれど、猪鍋は冬が一番似合いそうだと判断した。味噌味の鍋は肉の臭みを感じさせずに体が温まっ

た。目指す蕗窯のかまくらを見る前に、中学校の木造体育館を見学させてもらった。

以前通ったときに木造の美しさに中を見たいと思ったので今回見せてもらえるように連絡をしておいた。

 林業の町なのだから鉄筋を使わずに木の梁をつないで広い体育館の構造にしようと設計されていて、中から見て

も美しかった。

 外はもう一面雪に覆われている。そこから東に向けてすすみ、大布施でバス道路に入って北上した。

蕗窯では快活なご主人と夫人が囲炉裏にお茶を用意して待っていて下さった。前回お邪魔した帰り道に、昔は演劇

青年だったという蕗窯の主人を典子先生は「いい男だったわね」とおっしゃったので、私が

「えっ、そうですか。わからなあい」と言うと

「あ、そんな」と一所懸命否定なさりそうになった。

家の裏庭に作られたかまくらは想像以上に大きくて、屋上からソリで滑り降りるコースがつくられていた。それを

一度滑らないことには鎌倉の中へは案内されないようだったので私も意を決して急カーブのコースに身を投じた。

次にやっとかまくらに招きいれられたが、入口は手づくりの引き戸があってご主人が「これは唐長です」と言いな

がら中から開けてくれた。

 真ん中には火鉢があるが当然寒い。壁面のくぼみには神棚がもうけてあって天神様と思しき人形が置かれてい

た。照明はクリーニングの金属ハンガーで作られた燭台のろうそく。われわれ四人のほか、ドライバーの伊野も中

に来るようにとご主人が言うので皆コートのまま座ったけれど、伊野だけは勧められた甘酒に手をつけなかった。

天神様のせいでもないけれど、なぜか神妙な儀式の雰囲気もあるのに、ふと大の大人たちがこの雪の中一体何を

やっているのだと思うと、この取り合わせのおかしさにこらえきれずに私はげらげら笑いだしてとまらなくなっ

た。

ご主人は人脈が広いというより、人に可愛がられる人格なのだろう。錦の有次さんや桜守の植藤さんがここに来ら

れるという。その縁で蕗窯の桜釉の大皿が京都迎賓館の庭に置かれている。

 町への帰り道を伊野は会社に電話で尋ねていた。

「花脊峠の道は大丈夫ということなので鞍馬まわりで帰ります」

伊野には烏丸丸太町まで送ってもらった。十二段家で早めの夕食をとる前に、その並びの御州浜司植村義次に寄っ

て州浜の買い物をした。跡を継ぐ人がなく今はもうこの店もないが、ここで学んだ女性が今は近くで州浜を作って

いると聞く。

 十二段家では煮物付きのお茶漬けコースを選ぶと、先生は「同じものを」と言われた。

ここでいつものがまぐちを開く。京都の旅では最初に参加者からまとまった金額を徴収してがまぐちに入れ、私が

会計係になってそのがまぐちから支払いをしていく。そして旅の終わりに残金を一円単位まで人数割して返す。

先生は大抵細かい小銭は要らないとおっしゃるのだが。

ミモザ館

2019-04-19 20:29:29 | 生物
四月八日にミモザのことを書いて

遠くに見える三階建ての家の屋上に

ミモザが咲いていると載せました

別の隙間からその二階のベランダが見えて

まだミモザが満開なのに驚きました

桜も散ったというのに

きっといろいろな種類のミモザを植えているのでしょう

それで もっと近くからみたいとおもって家につながる道をさがしたのですが

それがない

なんて変なのでしよう

どこかのマンションの裏にあって

マンションの敷地を抜けないと玄関に達しないのではないか

きっとミモザが自慢でしようから

褒めたら見せてくれんかなあ


ミモザ館というのは

1935年のフランス映画のタイトルでもあります

名作だというから見たいし

映画の中にミモザがでてくるのかしら

PENSION MIMOSASという名の宿を営む女の話なんです