(レトロな頃の嵯峨嵐山駅)
8.嵯峨嵐山
毎週火曜に出張しているアルバイトも、八月は会社が盆休みに入るので、カフェの定休
日とも重なって時間が出来た。
久々の休みでも、習慣で早起きしてしまったので、息子を誘って嵐山へ出かけた。
広い視界と水の流れと山の姿が、いつ来ても気分を晴れ晴れとさせてくれる場所だ。
名前だけは知っていたが、まだ食べたことのなかった嵯峨豆腐の店で昼食を取ったあと、
天龍寺の方へ歩くと、無添加・自然発酵のパン「マルシエ」という看板が目に入った。店
に入って期待はせずにクロワッサンと田舎パンを買い、立ったままその場で試食した。田
舎パンは特に感動しなかったが、クロワッサンには油脂の臭みがなく、固さも噛み応えも
甘さも理想的だった。それで一個80は安い。
探していたクロワッサンが予想もしない場所でみつかった。
Rive Droite で一番の自慢メニューは1500円の朝定食である。
・濃縮還元しないストレートジュース
・スクランブルドエッグ
・自然発酵の田舎パン
・エシレバター
・自家製無添加ジャム
・深煎りフレンチコーヒーかハロッズ紅茶
という内容になっている。
フランス人は、朝はパンとバターかジャムにコーヒーだけで、アメリカ人のように色々
なものを食べる習慣はない。卵やサラダやハムやジュースを加えるのはアメリカンスタイ
ルだ。それでも以前朝食の本で、フランソワーズ・モレシャンがスクランブルド・エッグ
を作っていたので、卵だけは加えて、私はカフェの朝食に自分の好きな献立を組み立てる
ことを許した。
今はホテルの朝食も2000円はする。Rive Droite はホテル以上の材料を使っているとい
う自信がある。近くには大きなホテルも多く、その宿泊客や、日曜日鴨川で犬の散歩をさ
せる人の贅沢な朝食になれば、とRive Droite の朝食を位置づけた。
朝はサラダ系の繊維質は負担になるので、おいしく食べられない。そのかわりにジュー
スを加える。ジュースは濃縮還元しないストレートに限る。
ストレートジュースは、国産品では伊藤園が作っていたが、伊藤園のオレンジジュース
には温州みかんが混合されて、アミノ酸系の味が気になり出したので、カフェでは輸入品
を使うことにした。
グレープフルーツジュースも、伊藤園のもの最初は100%だったのが、いつからかスウィ
ーティーが混合されるようになって風味がぼやけたので、カフェでは輸入品を採用した。
輸入品のストレートジュースは、京都では明治屋が扱っていた。二種類のジュースは、
毎日明治屋から配達してもらうことになった。
ジャムは私のアルバイト先の食品会社の下請け工場で作ってもらっていた。春はたん柑
と章姫いちご、夏は黄桃とブルーベリーを。材料には冷凍品は使わず、取れたての果物を
使って、添加物は加えず、酸味もその場で絞るレモン汁という限定に、工場は初めてのこ
とで戸惑っていた。
家庭の鍋で煮るのと違い、工場ではひとたび真空釜に材料を入れると煮え具合を見て途
中で火を止めたり、砂糖を入れた後はジャムを冷やすなどといった細かい調整はきかない。
そのかわり工場で作ると、瓶の蓋のしまりは固く、いうまでもなく作業が早く進むので、
一日で大量に生産できる。
工場でカフェのジャムを作るのは一年目で終わりにし、次の年からはカフェの二階で作
るようにした。私の中ではどうしても食べ物を工業化して大量に作って大きな流通経路に
乗せるという神経が育たないのを悟った。
規格化された大量の瓶と蓋、それに貼る大量の印刷物、瓶を入れる規格化された大量の
箱、包装紙と袋、宅急便の伝票に着払い制度の契約書と契約金、そうしたものを保管して
おく場所。あっという間にジャムの味とは関係のないものがのさばっている。
いちごも桃も生きた気候の中で、取れる年もあれば取れない年もある生き物。それを初
めから規格化した数値の中に納めて生産し、流通ルートに乗せていくことに馴染めない。
といって限られた顧客にだけ予約をもらって、高価なものを出して運営していくほどの
確かな調理技術は持っていない。またそこまで追究する気もない。
北区にある、看板もあるかなきかの和菓子の店は、日々予約された数だけを作っている。
食べ物を提供して人に喜ばれ、その代価に金銭を受けて生業として売り切れ御免でやって
いけるのは、一つの理想である。
毎日どれだけ売れるかわからないケーキを作り、廃棄していくことが重荷になっていた。
やはり私には大規模な商売は性に合わない。
あるとき、東京の知人一家が京都観光に来て、Rive Droite を訪ねてくれた。一家の小
学生の息子さんは、朝定食の献立を見て、
「僕クロワッサンがいい」
と言った。
フレンチカフェなら当然ありそうなものを、京都では納得の行くクロワッサンに出会え
ず、Rive Droite のパンは田舎パンしか置いていないことに自分が責められた。納得がい
かなくても、とにかくクロワッサンは置いた方がいいのか、Rive Droite が胸を張ってす
すめられないものは置かない方がいいのか、迷うところだった。
東京の店から取り寄せたこともあったが、価格が高く、Rive Droite の消費回転のペー
スでは多く取り寄せることも出来ず、送料を考えると不経済だった。
今回思いがけなく嵐山でみつけたクロワッサン、是非ともカフェで出したい。
次の日から、遅番出勤の息子に、出勤前に毎日自転車で嵐山まで買いに行かせた。バイ
クで出勤するギャルソンの阿部が来る日は、買いに行ってもらった。時には私が、早番を
終えてからバスで、往復二時間をかけて買いに行くこともあった。
今までは遊びでしか来たことのない嵐山で、観光に歩く人を掻き分けて、パン屋に向か
うのはなんとなく悔しかった。私もカフェを開く前は、あの人たちのように自由に嵐山を
歩いていた。また嵐山で遊べる日は、いつ来るのだろう。
帰りのバスを待つ間、両手にパンの入ったビニール袋を提げて、天龍寺のまわりをぶら
ついていると、境内に続く生垣に、初めて見るほど長く伸びた定家葛の群落がからまって
いるのをみつけた。手入れもされずに車の埃をかぶってはいるが、白い花を沢山付けてい
る。花の香りをかごうとしたその時、バスが来るのが目に入り、慌ててバス停に戻った。
嵐山への買出しが一年ほど続いた頃、マルシエは京都駅の伊勢丹にも出店するようにな
り、配達の車が回るからと、Rive Droite までパンを届けてくれるようになった。
嵐山までクロワッサンを買いに行く必要がなくなると、今まで義務に強制されて出かけ
ていた筈の買出しが、純粋な義務とは言えず、バスの中から眺めた景色や道を歩いて目に
映っただけの草木にも、季節や自然を感じていたのだと思い知らされた。