ミモザ

2011-02-28 00:49:56 | 植物
和名のない洋花は許容しない筈だが
ミモザはその例外の一つ

花を好きな段階を、
「見ると嬉しい」から、
「貰って飾るのもいい」
「買うこともある」
「家に植えたい」まで
分類するなら、

ミモザは家に植えたいに入る

だがそれは日本で一番ポピュラーな
ギンヨウアカシア(半分和名かいな)ではなく
以前京都の花屋にあった輸入品の
甘い香りのする品種だ

近くの花屋にもギンヨウとは違う品種があったので
嗅いでみたが香りはなかった
          
名前は学名で記してあったのを
覚えたつもりが
家に着く前に忘れてしまった
アカシアなんとか

もう一軒商店街の花屋にも鉢植えがあったので
鼻を近づけたが花粉を吸い込みそうになっただけで
香りはなかった
これは簡単だったので覚えた
アカシア・モニカ
          

ネットで、
アカシア(ミモザ)を多種栽培して販売し
NHKの「趣味の園芸」にも出たらしい苗木屋さんをみつけたが

ネット上のカタログには
香りの良い品種はいくつもあって
実物を見ない限り
嗅がない限り
以前京都で見たのと同じものは
わからない

と思ったら
その会社は福岡県朝倉市

大学で、
日本の二大苗木産地は
埼玉の安行と福岡の田主丸
と習ったが、
朝倉はその隣りで
昨年行ったうきはの隣りでもある

うきはに行く途中
道路の両側に何軒もの植木屋を見た

桜の咲く前に
ミモザの苗木屋さんに行ってみたいな


京都のカフェ Rive Droite 1998~2001 8.

2011-02-26 00:35:32 | 物語
        (レトロな頃の嵯峨嵐山駅)
8.嵯峨嵐山

 毎週火曜に出張しているアルバイトも、八月は会社が盆休みに入るので、カフェの定休
日とも重なって時間が出来た。
 久々の休みでも、習慣で早起きしてしまったので、息子を誘って嵐山へ出かけた。
 広い視界と水の流れと山の姿が、いつ来ても気分を晴れ晴れとさせてくれる場所だ。
 名前だけは知っていたが、まだ食べたことのなかった嵯峨豆腐の店で昼食を取ったあと、
天龍寺の方へ歩くと、無添加・自然発酵のパン「マルシエ」という看板が目に入った。店
に入って期待はせずにクロワッサンと田舎パンを買い、立ったままその場で試食した。田
舎パンは特に感動しなかったが、クロワッサンには油脂の臭みがなく、固さも噛み応えも
甘さも理想的だった。それで一個80は安い。
 探していたクロワッサンが予想もしない場所でみつかった。
          
 Rive Droite で一番の自慢メニューは1500円の朝定食である。
・濃縮還元しないストレートジュース
・スクランブルドエッグ
・自然発酵の田舎パン
・エシレバター
・自家製無添加ジャム
・深煎りフレンチコーヒーかハロッズ紅茶
という内容になっている。
 フランス人は、朝はパンとバターかジャムにコーヒーだけで、アメリカ人のように色々
なものを食べる習慣はない。卵やサラダやハムやジュースを加えるのはアメリカンスタイ
ルだ。それでも以前朝食の本で、フランソワーズ・モレシャンがスクランブルド・エッグ
を作っていたので、卵だけは加えて、私はカフェの朝食に自分の好きな献立を組み立てる
ことを許した。
 今はホテルの朝食も2000円はする。Rive Droite はホテル以上の材料を使っているとい
う自信がある。近くには大きなホテルも多く、その宿泊客や、日曜日鴨川で犬の散歩をさ
せる人の贅沢な朝食になれば、とRive Droite の朝食を位置づけた。
 朝はサラダ系の繊維質は負担になるので、おいしく食べられない。そのかわりにジュー
スを加える。ジュースは濃縮還元しないストレートに限る。
 ストレートジュースは、国産品では伊藤園が作っていたが、伊藤園のオレンジジュース
には温州みかんが混合されて、アミノ酸系の味が気になり出したので、カフェでは輸入品
を使うことにした。
 グレープフルーツジュースも、伊藤園のもの最初は100%だったのが、いつからかスウィ
ーティーが混合されるようになって風味がぼやけたので、カフェでは輸入品を採用した。
 輸入品のストレートジュースは、京都では明治屋が扱っていた。二種類のジュースは、
毎日明治屋から配達してもらうことになった。
 ジャムは私のアルバイト先の食品会社の下請け工場で作ってもらっていた。春はたん柑
と章姫いちご、夏は黄桃とブルーベリーを。材料には冷凍品は使わず、取れたての果物を
使って、添加物は加えず、酸味もその場で絞るレモン汁という限定に、工場は初めてのこ
とで戸惑っていた。
 家庭の鍋で煮るのと違い、工場ではひとたび真空釜に材料を入れると煮え具合を見て途
中で火を止めたり、砂糖を入れた後はジャムを冷やすなどといった細かい調整はきかない。
 そのかわり工場で作ると、瓶の蓋のしまりは固く、いうまでもなく作業が早く進むので、
一日で大量に生産できる。
 工場でカフェのジャムを作るのは一年目で終わりにし、次の年からはカフェの二階で作
るようにした。私の中ではどうしても食べ物を工業化して大量に作って大きな流通経路に
乗せるという神経が育たないのを悟った。
 規格化された大量の瓶と蓋、それに貼る大量の印刷物、瓶を入れる規格化された大量の
箱、包装紙と袋、宅急便の伝票に着払い制度の契約書と契約金、そうしたものを保管して
おく場所。あっという間にジャムの味とは関係のないものがのさばっている。
 いちごも桃も生きた気候の中で、取れる年もあれば取れない年もある生き物。それを初
めから規格化した数値の中に納めて生産し、流通ルートに乗せていくことに馴染めない。
 といって限られた顧客にだけ予約をもらって、高価なものを出して運営していくほどの
確かな調理技術は持っていない。またそこまで追究する気もない。
 北区にある、看板もあるかなきかの和菓子の店は、日々予約された数だけを作っている。
食べ物を提供して人に喜ばれ、その代価に金銭を受けて生業として売り切れ御免でやって
いけるのは、一つの理想である。
 毎日どれだけ売れるかわからないケーキを作り、廃棄していくことが重荷になっていた。
やはり私には大規模な商売は性に合わない。
 あるとき、東京の知人一家が京都観光に来て、Rive Droite を訪ねてくれた。一家の小
学生の息子さんは、朝定食の献立を見て、
「僕クロワッサンがいい」
と言った。
 フレンチカフェなら当然ありそうなものを、京都では納得の行くクロワッサンに出会え
ず、Rive Droite のパンは田舎パンしか置いていないことに自分が責められた。納得がい
かなくても、とにかくクロワッサンは置いた方がいいのか、Rive Droite が胸を張ってす
すめられないものは置かない方がいいのか、迷うところだった。
 東京の店から取り寄せたこともあったが、価格が高く、Rive Droite の消費回転のペー
スでは多く取り寄せることも出来ず、送料を考えると不経済だった。
 今回思いがけなく嵐山でみつけたクロワッサン、是非ともカフェで出したい。
          
 次の日から、遅番出勤の息子に、出勤前に毎日自転車で嵐山まで買いに行かせた。バイ
クで出勤するギャルソンの阿部が来る日は、買いに行ってもらった。時には私が、早番を
終えてからバスで、往復二時間をかけて買いに行くこともあった。
 今までは遊びでしか来たことのない嵐山で、観光に歩く人を掻き分けて、パン屋に向か
うのはなんとなく悔しかった。私もカフェを開く前は、あの人たちのように自由に嵐山を
歩いていた。また嵐山で遊べる日は、いつ来るのだろう。
 帰りのバスを待つ間、両手にパンの入ったビニール袋を提げて、天龍寺のまわりをぶら
ついていると、境内に続く生垣に、初めて見るほど長く伸びた定家葛の群落がからまって
いるのをみつけた。手入れもされずに車の埃をかぶってはいるが、白い花を沢山付けてい
る。花の香りをかごうとしたその時、バスが来るのが目に入り、慌ててバス停に戻った。
 嵐山への買出しが一年ほど続いた頃、マルシエは京都駅の伊勢丹にも出店するようにな
り、配達の車が回るからと、Rive Droite までパンを届けてくれるようになった。
 嵐山までクロワッサンを買いに行く必要がなくなると、今まで義務に強制されて出かけ
ていた筈の買出しが、純粋な義務とは言えず、バスの中から眺めた景色や道を歩いて目に
映っただけの草木にも、季節や自然を感じていたのだと思い知らされた。

大正の雛 B.

2011-02-25 00:52:22 | お宝
結婚して間もない頃
母が実家にお雛様を取りに行くと言い出した

お雛様なら母から私がもらったのがある
まだそのほかに実家に置いてきたのがあるとは

祖母は三階の納戸に案内してくれた。

二階の押入れのように見える襖を開けると
階段が現われた
そこを昇ると三階の入り口だった

子供の頃にも
その階段は一度も上ったことがなかった

真っ暗な空間で
その位置を知悉している祖母が
蔀戸につっかいを入れると
さっと光が差し込んだ。

煤けたような箱や棚がずらり

そんな中で
一段と大きい長持ちの蓋をはずすと
雛の箱が二つ見えた
          

その場で開けて中を確かめると
          
内裏様の姿は
五十年の時を経た人形とは思えない色鮮やかさ
          

何十年も蔵の中で眠っていたお雛様は
みずみずしいお顔立ち
          
          

以来お二人は私のところで
引越しを繰り返されている
          
          

続・椿餅

2011-02-24 00:16:49 | ままごと
料理塾の塾生、YOKOさんから、
庭の残雪で作った椿餅というのが送信されてきた。

ウ、雪が、道明寺が、ふうわりと白い。

昔から、研究室の中で
教授より優秀な論文が出来た時は
教授の名前で発表されることになっておるのじゃ。

しかし椿餅は
上下二枚の葉で挟むものである。
葉の両端は切り取るものである。

それに南天の葉には、
表面に椿のような固いクチクラ層がない。

と言いたいところだが
この皿の色、盆の色

チッ、八王子の雪め。

          
          (ホンマの椿餅はこんなんやでぇ)

東京大衆歌謡楽団 5.

2011-02-23 00:13:39 | 日記
お江戸日本橋亭のライブに行くのも
四回目となると
新鮮味が薄れて
私は一体何しに行くのか
という疑問も湧く

若い彼らの活動を応援するため
という後付の意義を掲げて
一応足を運ぶけれど
今回でおしまいかなあ
          

とあまり気乗りせずに
会場に入ると、
なんと今回は予約席が多く、
初めて最後列になった
ニーシーロー、70人近く来ている
これまでの最高だ

一曲目と共に幕が開くと
当の演奏者からも
「あれー、今日は一体どうしたんですか」
の問いかけ。
「皆さん、なんでいらしたんですか」
「でんしゃー」
「いえ、どうしてここに来ることになったんですか」
すると答えはあちこちから飛んだ。
「日暮里で聞いたー」
「浅草で聞いたー」
あたしゃ、飯田橋で聞いたけどね。

彼らの地味な路上ライブが、
少しずつ形になって
育ってきたということだ

客の中には三十か四十のおばさんお姉さんもいて
受付で何かプレゼントを渡していた。

横柄な態度の七十くらいのおっさんは
何か写真を二枚出して
「これにサインをもらってきてくれ」
と言っている。

曲が終ってゆるゆる歩きのおばあさんが
おひねりのようなのを舞台に持って行くのを
皆見守っている

摩訶不思議な空間

私は、一曲目の歌の題名が告げられなかったことが
気になって気になって仕方なかった
聞き覚えのない歌だったから

前半が終っての休憩に
最前列の人のところへ尋ねに行った

それは懐メロの生き字引のような人で
時々舞台に向かって解説の補足をしている
長田さんという人

大晦日には
小沢昭一とNHKラジオで昭和の歌について
対談もしている

「一曲目の題を教えていただけますか」
「歌詞はどんなのだった」
「銀座とか夕焼けとか出てくる」
「ああ、『なつかしの歌声』だ」
その答えは隣の席のおじさんと同時に発せられた。
隣のおじ(い)さんは時々舞台に上ってハモニカを担当している
新井さんという人
「これはねえ、春よいづこという映画の主題歌なんだ。
 藤山一郎と二葉あき子という歌手が(知ってまさあ)
 デュエットしたんだよ。
 二葉あき子はまだ生きてるよ
 声は出ないけどね」

ああ、この人たちの横に座りたい
          

今回は新井さんのほかに
なぜか沖縄の三板の名手の
梅野さんという人も参加して
後半は盛り上がった

三曲のアンコールも
殆どみんな唱和して

最後にどこかのおばんが
「あーりがとーっ」

次回も来っか

竹の子ご飯

2011-02-22 00:18:51 | 美食
熊本・泰勝寺の竹の子と蕗のとうが到来
仲介者のおすそ分けというより
丸投げ

私に送っておけば
食べられる形にするだろうという

毎年竹の子は一月に、
蕗のとうは三月に来るが

寒さで竹の子は遅れ
蕗のとうは私が「あれは蕗のとうではなく蕗の花だ」
と言ったのが伝わったのか
今年はまともなのが早く来た
          

10センチほどの竹の子はすぐに茹でて
翌日竹の子ご飯を炊いた
          

蕗のとうは蕗味噌第二弾の作製

竹の子ご飯に蕗味噌を添えて
仲介者に届ける

来年もよろしくね

迎春花

2011-02-21 00:59:48 | 植物
春は黄色の花から始まる

中でも一番乗りがこの迎春花

湯河原では昨年、元日に咲いているのを見た。

東京では目白の辺りで見た記憶があって
先日探しに行ったが見られなかった。

ところがその帰り
うちの近所に咲いているではないか

モクセイ科ソケイ属のこの花には、
黄梅という別名があるが
花弁は梅のように五枚ではなく
合弁で六枚に裂けている

季節は間違いなく春を迎えている

京都のカフェ Rive Droite 1998~2001 7.

2011-02-19 00:50:40 | 物語
7.宇治

 ギャルソンの間では、いつも月曜に車でエスプレッソを飲みに来る青年のことが話題に
なっていた。飲み終わると北へ向けて走り去る。
 その人が話しかけてきたのは十二月、店にヤドリギを飾ったときだった。
 クリスマスには、カフェにヤドリギを飾りたいと思っていた。ヤドリギは常緑で、冬の
枯れた木立ちの中でも青々とした命を誇り、西洋では不老不死の象徴としてクリスマスに
飾られる。
 京都では、宇治にあることは店を始める前から知っていて、これまでも何回か採取しに
行った。初めてのカフェのクリスマスを迎える師走、長身の阿部を伴い、いつも頼んでい
るタクシーの谷さんを呼んで宇治へ向かった。
 谷さんはこれまでも私が京都でヤドリギを採取するときには、手伝ってくれた。車のト
ランクに何やかや入れている谷さんは、ヤドリギ狩りと知って、頼まなくてものこぎりを
持ってきてくれていた。
 ヤドリギは寄生植物として嫌われ、宇治市の方針で伐採されているので、年々少なくな
り、以前より上流の宇治川まで探しに行くことになった。
          
 丁度いいヤドリギが宇治川の上に張り出した枝に付いている。
「そこは危ないからやめよう。もっといいのを探してくる」
と私が車を離れて小走りに付近の木を調べ回って戻ってくると、阿部の手には既に大きな
ヤドリギの房が収穫されている。
「マダムに断ってから採ると、危ないって騒がれると思ったから」
と、さっき見た川の上に張り出した枝のヤドリギが採取されている。それ一個で充分なく
らいに大きなヤドリギで、車のトランクからもはみ出すのを、谷さんは用意していたロー
プで押さえて、一同河原町のカフェへ引き上げた。
 ヤドリギは花瓶などに活けるより、また室内に飾るより、屋外の風に当たるところに吊
るした方が長持ちする。冬はカフェはテラス席は出していないので、表のテントを支えて
いる外の鉄の梁に結び付けて、酒屋の杉球のように屋外に吊るした。
          
 もしこんなヨーロッパの風習が、通る人にわかってもらえたら面白いからと、知人の新
聞社の人に連絡をして、記事にしてもらいたいと頼んだ。早速若い記者が一人でやってき
て、写真を撮ってその日の夕刊に載せてくれた。
 新聞に載った次の朝、一人の男性が店の外のヤドリギを見上げながら
「ええことしはるなあ」
と話しかけてきた。
「これは緑色の実のヤドリギやけど、美山に行ったら朱色の実のヤドリギもありますよ」
「でも、あれは北から長野あたりまでのものと聞いていますが」
「それが京大の演習林の中にはあるんです。時々写真撮りに行くんですわ」
 美山の演習林にはいつか行ってみたいとは思いながら、まだ足を運んでいない。ヤドリ
ギは実を食べた鳥が糞をする時に実のネバネバで種が木に付着して広がるので、美山に近
い花背にも探せばあるかもしれない。
 その翌日、カフェのシャッターを開けると、シャッターの隙間に挟んであった一葉の写
真が落ちてきた。アカミヤドリギの写真だ。
          
 名前も住まいも聞かなかったが、あの人ええことしはるなあ。
 毎週月曜に来るエスプレッソの青年も、Rive Droite のヤドリギをうらやましそうに
「どこで採ったのですか」
と話しかけてきた。
「すみません。秘密なんです。かわりにこれを差し上げます」
 ヤドリギの房から分けた小房の一本を渡した。
「これの朱色の実のは、美山町にあるって、昨日いらしたお客様が教えてくれました。別
種の赤い実のマツグミというヤドリギは、天龍寺からはみ出した松に寄生しているのをみ
つけたんですが、いつの間にか切られていました」
「マツグミは京見峠にありますよ。僕は高校時代、生物研究クラブに入っていたんです」
「生物学関係のお仕事をなさっているんですか」
「いやリンデンバームという店をやっています」
 青年はカフェの前に停車した車に走り、トランクを開けると中から何か枝を出してきた。
 マツグミではないか。
「よかったら差し上げます」
「あの、これは。どこで採取なさったんですか。すみません、うちのヤドリギは宇治で採
ったんです。川べりにあるんです。でも宇治市はヤドリギが嫌いらしくて、どんどん減ら
してしまって」
「益とか害とかって言うけど、本当はそんな簡単に決められるもんやないんです。自然の
中に探検しに行く人が寄生虫飲んで行くと、寄生虫が毒消しの役目をしてくれるって言う
でしょ。生物の世界にはバランスがあるから、人間はいらんことせん方がいいんやけど」
 青年は翌年から、自分が宇治で採取してきたヤドリギを、Rive Droite にも分けてくれ
るようになった。

大正の雛 A.

2011-02-18 00:39:44 | お宝
ついこの間、お雛様の片付けをしたと思ったのに

待ち望んでいることを
こんな風に、もう来たという言い方はしない

この時期は毎年、
決算書と確定申告書の作成
四種の果物の一年分のジャムつくりのための
材料の仕入れ、包材の発注、製品の発送
蕗味噌など保存食作り
冬の進物菓子作り
それに加えて通常の
図書館の会報づくり
と一年で一番忙しい

そんな時期にあのお雛様を
飾らねばというプレッシャーは
          

1919年生まれの母は
1920年に初節句をしているから、
写真の雛は91年前のものになる

何がいやかというと
御殿の組み立てが
毎年のことなのに
柱や板が細かく解体されるものなので
どこがどうなるのか
覚えられないのだ

そこに猫が来ようものなら…。

それで押入れを空けて飾る。
          

柳川の立花藩跡の御花のように
ガラスケースに一年中飾りっぱなしに出来たらなあ

しまう時も何が何の箱かわからず
御殿の部材はきちんとしまわないと蓋がしまらず

と言いつつ、今年も飾りました

母の初節句には何組もの内裏雛や
大きな市松人形があったのに、
皆よそに分けたという
飾りつけのの大変さを思うと
一瞬だけ、その方がよかったかとも
          
          
          

椿餅

2011-02-17 00:37:37 | ままごと
雪の面白うふりたりし朝

頭巾のおばんが

公園のひさかきを凝視するは

あやしうこそものぐるほしけれ

<椿餅>
 つばき ひさかきの極小の葉
 道明寺 雪

ままごととは
実物より小さいもの
という呪縛がなければ
もっといいのが作れたのに

雪を小さく丸めるのは難しい
ぎゅっと固めると
中の空気が抜けて
白さより透明が勝つ

粉雪ならましかば

でも、ま、いっか
道明寺もうまくできたのは透明だから