京都のカフェ Rive Droite 1998~2001 1.

2011-01-08 00:50:42 | 物語
1.芹生
 カフェを開いたら、ここへ息抜きに来ようと決めていた。
 店から歩いて二分、夷川通りの東の果ては賀茂の河原に出る。鴨川の手前には、本流の
水を引き入れて、鴨川と平行に走る禊川がある。普段ははぜの泳ぐのが見える浅い川だが、
四月半ばは一面薄紅色の花筏に覆われる。
 上賀茂あたりで四月初めに咲いた桜が、落花となって地面に散り敷かれ、再び風に巻か
れて川面に浮かび、四月の末今ようやく禊川に届いた。
 とうとう今年は一度も花見に出かけられなかった。
 パリから親友の保子が訪ねてきても、
「御所に咲いてるから」
と一人で見に行かせるしかなかった。
 三月の末にカフェを開いて三週間、毎日が駆け足のように過ぎ、ほんの二日しか経って
いない感じがする。頭も体も芯から疲れて、横になればすぐにも寝入ることが出来る。
 カフェの名前は Rive Droite、フランス語で右岸を意味した。
 パリがセーヌ川で保守的な右岸と革新的な左岸に分かれるように、京都も鴨川で御所の
ある右岸と、学生や外国人の多い左岸に雰囲気が分かれる。
 休憩に来た河原で、岸に揺れる柳も、水底まで澄んだ鴨川も、対岸の背にある東山も、
よそよそしく見えて、労わってはくれない。
 こんな筈ではなかった。
 開店一日目の売り上げは、朝の八時から夜の十時まで営業して四万九千円、二日目は二
万五千円、三日目は一万一千円。初日から一ヶ月は開店景気で売り上げは多いのが普通だ。
それがこの売り上げなら、この先はどうなるのだろう。
 席数四十で店の家賃四十万、公庫の返済、スタッフの給料、材料費、これらを捻出して
いくには、一日十万の売り上げがなければ見通しは立たない。
 パリのカフェ「ドゥーマゴ」や「フロール」は平日の平均客数が千人を超す。せめてそ
の十分の一でも来客があれば。河原町通りは京都一の目抜き通りなのだから。
 そろそろ店に帰らねば。夕方にはタウン誌から取材が来ることになっている。ひと枠十
万円の有料広告である。
 雑誌の取材は、数社から依頼が入っていたが、雑誌は取材から発行までに約二ヶ月がか
かり、即効果を見込むには役立たない。タウン誌の広告なら、次週発行のものに割り込め
るという誘いの言葉に乗るほど、私の心は弱くなっていた。
 はたして十万円以上の見返りがあるのか、広告料の十万円は確保しておいた方がいいの
ではないか。それだけあれは三階にもエアコンが付けられる。
 迷いはあったけれど、広告を出すと決めたのなら、早いに越したことはない。
 社員一人という小さな広告代理店がやってきた。
「ここは従業員さん男前ばかりやなあ」
 ギャルソン三人に二人のパティシェールと私で、テラス席の前で写真撮影が行われた。
年長のギャルソン和田が私を促した。
「マダムが真ん中ですよ。夢が叶ったんだから」
夢?
 夢なんかじゃない。だが人にはそう見えて当然だろう。こんなに大きなものを背負い込
んだのだから。 
 京都にカフェを開くのを夢見たことなどない。夢は京都に住み続けて、日本の自然と季
節を味わうことだった。
 しかし、それはスタッフには言えない。
 京都で暮らしたい、と東京から越してきて五年、その資金を得るための仕事に縛られて
花見まで我慢するのは、本末顛倒ではないか。
 これまでは時々の執筆や翻訳で暮らしてきた。だが京都に居続けるには、そして定年の
ない仕事をするには、自分で職場を作る以外に方法はないと結論を出した。
 それまでの仕事の大半は、料理を教えたり、料理書を訳したり、店の取材をしたりと、
飲食の情報に関わるものだった。しかし店を開くなどは他人事、わずらわしい管理が自分
に出来る訳がないと考えていた。
 だがほかに選択肢があるだろうか。カフェなら複雑な調理技術より、全体の雰囲気をプ
ロデュースする眼が一番大事なのだ。私にも出来るかもしれない。東京に遅れて、京都も
カフェの時代が来るに違いない。神様は私が面倒だからと避けてきたことを、それだから
こそ尚更やらせようとなさっているのではないか。
「神様ねー。私にはあなたがハンサムなギャルソンを募集してカフェごっこをしているよ
うにしか見えないけど」。
 高校時代の友人、ちや子は、開店直後を避けて四月も終わり近くに訪ねてきた。
 その日は偶然、東京からの来客が重なっていた。女性誌の編集長の田辺さんは、京都の
大学に単身赴任している夫君と一緒に、今京都で売り出し中の若いお菓子の先生を伴って
朝食を食べに来てくれた。
 また、古くから付き合いのある、元グルメ雑誌編集長の綾瀬さんが、出張の帰りに寄っ
てくれた。綾瀬さんは、てんてこ舞いしている私を見て言った。
「繁盛してるじゃない」
「いえ、今日だけです。土日は人が来ても、平日は」
「飲食店が人に知られて落ち着くのには、三年はかかるからね」
「えっ、三年も」
「それを持ちこたえる間が苦しいから、みんなやめていくんですよ」
 もちこたえる力は、ひとえに資金を意味する。私はため息をつく以外に答えがなかった。
 ちや子がきたのは、遅い昼食の時間だった。
「カフェのおすすめは何?」
「田舎パテのサンドウィッチとニース風サラダでございます」
「じゃ、それにグラスワインの赤を付けて頂戴。デザートは何がありますか」
「アニスのアイスクリームかラタフィアになります」
「両方頂くわ。それとエスプレッソをダブルで」 
 京都で田舎パテが簡単に受け入れられるとは思わなかったが、もともとフレンチカフェ
というスタイルですら京都では一般向けとはいえないのだから、カフェを始めた以上は、
カラーをはっきりさせた方が良いと思った。
 私は料理を習ったことはない。子供の頃から、友達を家によぶために料理書を見て自己
流で会得してきた。田舎パテは二十年前にフランス料理の本で見てから、ずっと作り続け
てきたものだ。
 パテに合わせる田舎パンは、ホテルに特注した。以前、京都にもこんなおいしいパンが
あると発見したロイヤルホテルの自然発酵の田舎パンは、もう製造されなくなっていたの
を、ホテルに交渉に行って、三個以上ならという条件で、特別に焼いてもらえるようにな
った。自然発酵なので、引き取りの二日前に発注という条件が付いた。
 ちや子は客寄せになるようにと、店の表に張り出したテラス席で食事をしてくれた。
 設計士には、何はおいても店の入り口は全開にできるアコーディオン式の扉にして、テ
ラス席を設けてくれと頼んでいた。その上には生成り色のテントを加計、春秋の良い気候
には椅子を外に出す。冬と夏にはドアの一部だけ可動させて、入り口ドアとして機能させ
る。
 ある時、テラス席のテーブルを拭いていた最年少のギャルソン木村に、通りかかったお
婆さんが話しかけてきたことがある。
「えらい京都らしない店がでけたもんやなあ。あんた京都の人やないやろ」
「いえ京都ですけど」
「ほな、おとうさんは違うやろ」
「京都ですよ」
「おじいさんは」
「京都です、ずっと」
「ふんそうかいな。顔が京都の人と違たもんやさかい」
 私に言わせれば、木村は京都の人の顔をしている。大映の時代劇に敵役で出ていた俳優
や、西陣の織屋の社長からタクシードライバーに転身したと言っていた人に、同じ系列の
顔を見たことがある。
 木村の親も西陣の和装の会社を営んでいたけれど、昨年倒産したと言った。

 カフェのテラス席は、京都ではまだ晴れがましい居心地の悪い席と思われていた。昼食
を終えてタバコのケースを出したちや子の隣に、私も着席した。
「ねえ、どこか行こうよ。今の時間ならギャルソンに任せておいて大丈夫でしょう」
「桜はもう終わってるもん」
 客は奥に一組居るだけだった。三時を過ぎたら、息子も店に出てくれる。
 京都で一番遅い桜は、周山にある常照皇寺の九重桜と言われる。前の年、四月の終わり
に車を走らせて九重桜を見に行った帰り、高雄に戻らずに、黒田、灰屋を経由して、貴船
を下ることにした。
 細い崖道では行き会う車もなく、車体の揺れも山のドライブの楽しみになっていた。芹
生峠の手前で道幅が広くなり、川を挟んで立派な茅葺の、しかし新しい家が見えた。大き
な灯篭には「寺子屋の里」と記してある。お茶でも飲める店だろうか。
 芹生は一説では、歌舞伎の菅原伝授手習鑑の寺子屋の舞台といわれる。車を停め、門を
入って中に声をかけてみた。
「こちらはお店をなさっているのですか」
中に居た婦人が、商店ではなく住宅だと答えた。
 敷地には様々な桜の木が植えてあり、それらにはどれも膨らみかけた蕾が付いている。
常照皇寺よりも開花が遅いということは、満開は四月末から連休の頃ということになる。

 もしかしたら咲いているかもしれない。
「ちや子さん、どこに行きたい」
「本気で聞いてる?私が提案したってどうせまり子さんの行きたいところに行くんでしょ」
 知り合いのタクシーを呼んで、「貴船の奥まで」と告げた。
 貴船を過ぎると舗装は終わり、杉林の山道になる。対向車に出会うとどちらかが後退し
なければ離合できない崖もある。
 峠を越えると期待が大きくなった。里の数軒の人家を過ぎ、右へ大きく曲がると花の館
が視界に入った。紅枝垂、八重、山桜、濃淡入り混じって咲いている。見頃だ。山里はそ
こだけ都の栄華を移したかのようだ。


 
車から降り、川越しに花見をした。
 花びらか舞って灰屋川に落ち、大堰川に合流し、嵐山から桂川に辿り着くのはひと月も
先のことだろうか。
 中を窺うと、寺子屋の里は今日は来客があるらしく、戸が開け放たれて人影が動いてい
る。そのうちの一人は、今朝カフェを訪ねてきた田辺さんの夫君に似ていた。ほかの二人
はまさか。田辺さんと菓子教室の先生に。
 橋を渡って邸内に声をかけた。
「こんにちわ」
「あっ、石井さんどうしてここに」
「田辺さんこそどうして」



 寺子屋の里は今朝田辺さんとカフェに来たお菓子の先生のおじいさんの別荘で、花見に
招待されたのだそうだ。
 人里離れた貴船の奥で、京の町から今この時間に、その朝出会った二組がまた出会う偶
然は、どのくらいの確率だろう。
 山里の魔法に驚きながらも、眼の前の夢幻はすぐにかき消されてしまう。
 今頃店では不都合は起きてはいないだろうか。私の行方を探してはいまいか。料理が足
りなくなっているのでは。誰か知人が訪ねてきているとしたら…。
 一刻も早く店に戻りたい。