ツブラジイ

2011-10-31 00:57:29 | 植物
無鄰庵の苔の上に
見慣れない
つやつやとした黒い実が
落ちていたので
先生に尋ねたけれど
知らないといわれた

椎の仲間だとは思うが
スダジイではないから

ツブラジイという名前が口をついて出た
これかもしれない

帰宅して図鑑で調べるとそうだった
別名コジイともいい
万葉集などに出てくる椎はこれだそうな

スダジイとの違いは
実以外では見分けにくいらしく
スダジイは群落を作りやすくて海岸に多かったり
ツブラジイは内陸に多かったり

無鄰庵のツブラジイは
見上げないとそれとわからないほど大木で
一本だけだった

写真の実がつやつやとしていないのは
作業服のズボンに入れたまま
洗濯機でひとコース回ったからです

左がスダジイで、右がツブラジイ
          

花脊と私 9.

2011-10-29 00:26:44 | 物語
9.お嫁さん

 古いことはうろ覚えなもので、話を一つ飛ばしてしまった。
 京都に越す数年前に、花脊のご仏前にお参りに行ったことがあったのを忘れていた。
 私が無料別荘を借りていたときの古原さんの当主夫妻はすでになく、息子さんとおばあ
ちゃんだけの家族になっていた。娘さんも二人いたが、もう他家に嫁いでいた。
「若いもんが先に逝ってしもうて」
 おばあちゃんの嘆きには続きがあった。
「ほんでも、お嫁さんが決まってもうすぐ姫路から来ます」
 新しい当主は、林業のなんたるかを覚える前に、400haもの山林の所有者になって
責任を方に背負わされていた。
 それから数年後に京都に越した私は、あるいは越す前だったか、古原さんの新しい当主
に、畑を使わせてほしいと手紙を書いていた。彼は私が無料別荘を借りていたころは町中
の大学生で、下鴨の家に住んでいたけれど、夏休みなどに花脊に帰省していたときに顔と
名前は知っていた。
 そんな夏になぜか心にのこっている場面がある。私が朝一番のバスで町へ出ようとして
いると、「いしいさーん」とかれが走って追ってきた。吊り橋を渡りかけていたので、後
ろから走られると橋が揺れて、私はてすりにつかまって振り返った。
「これを町で投函してもらえますか」
その頃の花脊は、いや今でもそうかもしれないけれど、ポストは農協まで行かないとなく、
農協で投函しても一日一回の集配のため、町中よりずっと遅れる。
 礼儀として私は預かった封筒の宛名は見なかったけれど、夏休みに少しでも早く届けた
い手紙を私に預けたときの彼は、清清しい若者に見えた。

 畑は、また無料でいいということになった。初めて会ったお嫁さんは美しく可愛い人だ
った。声楽とピアノを本格的に勉強していたので、畑仕事など全く経験がなく、「指が汚
れるからいや」と言っていたのに、私と一緒に始めてみると言ってくれた。
 最初は耕すことから始めて、なんとか畝を作った。きゅうりや茄子など無難な種をまき
私は週に一回バスで通うようになった。帰りのバスが来るまでの一時間ちょっと。終ると
決まってコーヒーを入れて下さった。屋内のこともあったけれど、外の空気を吸いながら
お盆のコーヒーを飲むのがご馳走だった。
 秋にパリの佳子さんを連れて行ったとき、お嫁さんは少し車で山を案内しましょうと言
ってくれた。林道に入るチェーンを鍵であけて、キノコが道一面にひろがる山道をのぼる
と視界が開けた。山波の向こうはまた山、山、山。
「結婚する前、主人がここに連れてきてくれて、ここに見える山は全部うちのやいうたん
です」
 足元の鹿の糞以外は、動くものの気配は何もない山頂の静かさ。地球にはこんな場所も
あるのだと、日常などいつでも消えてなくなるのを実感した。 

漆塗りのお櫃

2011-10-28 00:25:49 | お宝
何塗りというのでしょう
根来塗りを反転させた色の

               

私が小学校のときに母が買ったのを覚えているので
まだ新しいというべきか
とても古いというべきか

おひつはごはんの余分な水分を
吸ったり出したり調節してくれるもの
だから漆器よりさわらの方がいいと思うけど

これはお客様の見えるところに置いて
混ぜご飯や炊き込みご飯をよそうのに
使っている

               

しゃもじもお揃い

蛤のお吸い物

2011-10-27 00:51:32 | ままごと
きょうの料理は
はまぐりのブランド品

桑名じゃありませんよ
琵琶湖疏水系、京都・無鄰庵のはまぐりです

しんじょにしてもいいのですが
ままごとでは何がなんだかわからないより
材料探しの苦労がわかる方がいいから
やっぱりお吸い物に

はまぐり (無鄰庵のしじみ)
三つ葉  (かたばみの葉)
白濁  (おしろいばなの実の中身)

無鄰庵

2011-10-26 00:26:29 | 日記
大学のスクーリングは
東京と京都、どちらで受けてもいいのだが
東京が三渓園の見学のときに
京都は南禅寺で地下足袋履いて植木屋修業と
内容が違うので
私が京都を選ぶのは当然のこととなる
しかしこれからは教室でのスクーリングになるので
京都に行くのは来春までお休みとなった

               

センダンの実の色づき始めたみや子のお墓にも
「また来年来るね」と
報告をして

               

最後の2日間の実習は
小川治兵衛研究の第一人者の大先生と
疏水巡りから始まった
インクラインの最下部では
ミゾソバの群落にツマグロヒョウモンの♂♀が

               

翌日は
山縣有朋別邸跡の無鄰庵で植木屋修業

               

無鄰庵は今は京都市のもので、
年間五百万という少ない予算で維持管理している
大学生の修業は無料奉仕の人足ともいえるが
双方の利害が一致しているので文句はない
委託の造園業者は入札の形はとらず
市が希望の方針を示し
業者がプロポーザルという提案書を出して
よい提案をしたところが一年契約で採用される
今年は南禅寺と同じ植○さん

今回の私の地下足袋はバージョンアップ
何しろ十二枚こはぜをいちいちはずして留めると
四十八回こはぜを留めるかはずすかすることになる
だーからっ

               
布を継ぎ足してマジックテープを付けました

ところが無鄰庵での作業は
長靴履いて流れを掃除する班に当たって地下足袋不要
ラッキー。楽しいじゃない水の中は
草引きや松の剪定より

               

もう一つのラッキーは
前回と同じ若い植木屋の先生が担当になったこと
(「センセ、あの時剪定させて下さったヒサカキを
 年賀状にします」と言いたいのを飲み込んだ)
「センセ、無鄰庵は以前シジミが沢山いましたけど」
「今も少しいますよ」

一日がかりで流れの中のスギナや藻を抜き
腰と足が痛むし
夏の日焼けが抜けたところへまた日焼け
ふーっ、やれやれ

そんな時センセが近付いてきた
「ほら、いましたよ」
センセの掌に小さなシジミが
こんな優しさは心にぐっとくる
草花や猫の話は小さいと思う人もいるけれど
私には大きな宇宙だから
センセの家族はきっとしあわせ

「夕食の味噌汁には足りないでしょうけど」
いいえ、センセ
明日の…。

               



栗まろ

2011-10-25 00:20:12 | 美食
季節の栗のお菓子では
ベストスリーに入れます
鶴屋吉信の栗まろ

栗の藷蕷饅頭
1個420円

2日もつと言われるけど
絶対にすぐ食べた方がおいしい

               

もう十五年前くらいから
食べています

うちの息子は
マロと呼ばれていたので
この名前も気に入っています

地方の人にも送ってあげたいなあ
でも送れない

チシャノキ

2011-10-24 00:20:42 | 植物
その木は子供の頃我が家の畑の中にあった。
植えたはずはなく、どこかから飛んできた種から
不似合いに伸びていた。
私にはそれは、ままごとのお金の木だった。
葉っぱのサイズが色々で、取っても取ってもすぐ生える
じゃりじゃりの手触りを私の手が覚えていた。

その木に再会したのは中野の駐車場だった
懐かしさのあまり葉っぱをずーっとさわっていた
でも駐車場はすぐになくなってコンクリートで埋められた

それから十年
またあの木に会ったのは福岡の元炭鉱王の別荘だった

               

「この木の名前を知りたいけど特徴がないから無理ですよね」
「いや、特徴あるじゃないですか。葉の周りの鋸歯とか」

そして図鑑を調べ続けた
きっと、チシャノキ
  
               

チシャノキは九州、四国と本州は山口県にある木
大宰府天満宮のチシャノキは
天然記念物に指定されるほどの古い大木

福岡の炭鉱王の別荘にあるのにふさわしい木
別荘が公園になるときは
やぶむらさきと一緒に大切にされて登場してほしい

               

花脊と私 8.

2011-10-22 00:43:38 | 物語
8.美山荘

 花脊の物語は、益々おしまい。
 なぜなら、私は東京に戻って、帰国した息子と貧しい生活を始めたので、京都に行くな
どありえなくなったから。
 家をタダで貸してくださった古原さんとも、連絡をとることはなかった。
 そうして二十年近く過ぎた頃、私の仕事も食関係の図書館に落ち着き始めていた。料理
雑誌に記事を書いたり、料理写真を載せたり、料理書を翻訳したり、地方に講演に行った
りと。
 そんな仕事の中で、料理書の編集長から誘われて花脊の美山荘に行くことになった。私
が花脊に家を借りていた頃は、美山荘は有名人がおしのびで行くところとは聞いていたけ
れど、雑誌に掲載されるような店ではなかった。それが二十年で美食の極致のように表現
されて、グルメならいかねばならない店にもなっていた。
 美山荘に行くということは、私の花脊時代を思い出すことを意味していた。
 古原さんはまだお元気だろうか。お訪ねすることはかなわないとしても、消息は知って
おきたい。
 編集長は京都の知人夫妻の運転で私を案内してくれた。美山荘の料理は趣きは変わって
いないものの、豪華になっていた。
「石井さんのお知り合いの方は、やはり亡くなっておられるそうです」
編集長は女将から聞いてくれていた。
 美山荘から私の感じたものは、豪華になった、だけではなかった。
 東京の暮らしですっかり忘れていた日本的なものを、料理と食器と部屋の調度と外の自
然で圧倒するように私に思い出させたのだ。それからの私は心がまた京都に向いてしまっ
た。地方の講演で入る謝金はすべて京都行きの費用にするほど通い始めた。
 丁度バブルの頃で、私のような者にも何か訳のわからない仕事が入ってきた。会員をつ
のって京都ツアーも企画した。
 毎月のように通ううち
「石井さんはタクシーの運転手より京都に詳しい」
といわれるようになった。そして病院に入院するのも京都を選び、入院中は毎日午後は着
替えて観光をし、退院してもその続きの景色の移り変わりを見たくなり、ついには京都に
引っ越してしまった。

誕生祝い

2011-10-21 00:53:50 | お宝
何の因果か
誕生日というのに
びしょ濡れになって田舎道を歩くことになるとは

小学校の遠足で何度か行った都府楼跡は
今はあじさいも植えられて整備されたと聞き
そんな俗な花が似合う場所じゃなかったのにと
気になって荒地研究家は見に行くことにした

コンビニの100円傘は役に立たず
JRの都府楼南という駅名にだまされて
えらく歩かされることになった

               

途中和風の構えの小学校の門に来ると
突然ハッピーバースデーの音楽が流れ出した
なんということだろう
学校では毎日誰かを祝っているのだろうか

同様の門構えの学業院中学校も過ぎ
都府楼に来ると
案じた花の植え込みは殆ど気にならなかった
都府楼は今、大宰府政庁跡とも呼ばれている

               

帰京するとお嫁さんから誕生祝いが届いた
何かなあ

               

ン?

               

エッ?

               

キャー!

               

1月14日のブログに載せた私の百人一首どころではない
読み札も時間をかけないとすらすら読めない
某家の屋根裏部屋から出てきたものだそうだ

               

「これで坊主めくりしたら楽しいでしょうね」(ヤマダクン)
うん、そうだけど。

               
 
私の発明した蝉丸(1月14日参照)も
この手刷り版画の人物たちで行えばさぞ味わい深いことだろう

               

参加者募集します
百人一首の知識も変体かなの知識も不要

葡萄

2011-10-20 00:10:23 | ままごと
去年の九月九日の葡萄は

巨峰がヨウシュヤマゴボウで

               

デラウェアがヤブカラシだった

               

今年の葡萄はピオーネをみつけた

シャリンバイの実

               

いい色