クロックムッシュ

2011-05-31 00:24:59 | 美食
朝、卵がない日
動物性たんぱく質が足りないなあと
クロックムッシュを作る

いや単純に
食べたいから作る

食パンとハムとグリュイエールチーズの
三段重ね

カフェで出していたときは
パンをちょっとトーストして、
バターの小片を散らしてから
ハムとチーズを載せて焼き
最後にパプリカをふっていた

寺町二条のお肉屋さんには
子供の頃あったみたいな
角ハムがあって切ってもらっていた
オイオイオイ(懐かしくて泣いているところ)
今もあるかな、あの角ハム
もうないかな、あのお店

写真のはブッツのボンレスハムで上等過ぎ。
チーズはプロセスとか溶けるチーズとかまがいものは駄目
グリュイエールの発酵臭がないと

センダン

2011-05-30 00:31:47 | 植物
昨年の11月29日のブログでも
センダンのことを書いた

センダンは季節ごとに
樹が姿を変える

青々とした葉がそよぐ夏
葉の中に緑の実を見せる初秋
葉の後に黄金色の実だけが残る晩秋
葉も実も落として焦茶の枝だけになる冬
若葉がまぶしい春

そして雨の季節
樹全体が灰紫に煙る特徴的な姿

のはずなのに、
今年は植物の季節が10日くらい遅れていて
入梅が10日くらい早くて
雨の中、まだところどころにしか花の集まりがない
               
               
               
               

それでも近付くと
独特の灰紫のセンダンの花が
曇り空に向けて開いている

九段・清水門近くには
三本のセンダンが並んで
雨を受けている
               

鴨川ベリのみや子のお墓の木は
もう咲いているかな

京都のカフェ Rive Droite 1998~2001 21.

2011-05-28 00:00:27 | 物語
21.ホテル・フジタ

 次の日の夕方、外も暗くなりかけてお客が誰もいないカフェに、いつものように花屋で
買い物をした帰りの神谷さんが、コーヒーを買いに来た。
 今日誰も知り合いに会わなかったら、誰とも親しく口をきけなかったら、私は耐えられ
ない状態にあった。
 神谷さんに、店を閉じることを告げなければならない。
「昨日不動産屋から、出るように言われて」
「まああ、ちょっと荷物置いてくるから、あとで一緒に食事しよう」
 体中の力が抜けていた。
 六時に店のシャッターをおろして、迎えに来た神谷さんと手近なホテルフジタの中国料
理店に行った。誘われでもしなければ、自分から払って外に食事に行ける余裕はなかった。
「私に何ができる?」
「テーブルは手離せないけど、椅子は必要ないから、引き取ってくれる人を見つけてもら
えませんか」
「わかった。いくらにする」
「タダで結構です」
「いいや、売りましょう。いくら?」
「前に、欲しいといったお客さんに五千円で譲ったことがあるけど」
「じゃ、それで。亡くなった主人がお世話になったバプテスト教会の人が欲しいと言うか
もしれないし、うちの事務所も椅子足りないから」
「みんなに迷惑かけて。大家さんの不動産屋には、結局一年半家賃滞納して帳消しにして
もらいました」
「わ、自慢してる。いいなあ、うちも次の事務所探してるの。そんないい不動産屋、紹介
してくれない。あ、駄目か。石井さんの紹介って言ったら、不動産屋ビビるかもね」
 笑わせてくれる神谷さんが有難かった。
 不安はあっても、不幸な目にあっているという気がしないのは不思議だった。それはま
わりを温かい好意を持った人たちに囲まれているからだろう。誰も私に悪意を持ってはい
ないのだ。
 三月に入るとまた客足が戻ってきたが、もう残り物が出ないように料理の種類を減らし
ていった。
 昼食時をはずれて、二人の大学研究者と思われる若い男性客が食事に来た。
「田舎パテを下さい。ここのはほかの店と違って、ちゃんと作ってあるからね」
「あの、すみません。今はなくて。頼んで下さるお客様が殆どなくて、スタッフのために
作っているようなものでしたから」
 これは言い訳になっていない。このようにファンになってくれたお客が一人でも出来た
なら、ファンを作ってしまったのなら、作り続けるのが店という不特定多数の人を相手に
する職業の責任ではないだろうか。
「そうだよなあ、好きならもっと食べに来ないといけなかったんだ」
 今度は作っておきます、そう答えたかったが何も言葉が出て来なかった。
 店は誰が来るかわからないところだ。ギャルソン目当ての外国人の女性客が来ることも
あるし、話のこじれた不倫カップルが喧嘩の場に使うこともある。
 映画「ノッティングヒルの恋人」のように、イギリスの小さな街で地図を商う男のとこ
ろに、ハリウッドの女優が来るという出会いも、店として門を開いているからこそだ。
 獲物を待つ蜘蛛ならば、一旦蜘蛛の巣を張ったらば、じっと神経を集中して待ち続ける
のだ。ましてや、ひっかかってくれる虫が一番待ち望んだ種類の虫ならば、その虫の喜ぶ
巣の張り方をしておくのは当たり前のことなのに。
 三月の半ばは、日差しは明るくても、まだオープンカフェにするには早い。今日も客席
には誰もいない。
 ドアを押し開いて、山男のような髭を生やしたお客が笑顔で近付いてきた。
 店を開いていると、知らない人が親しげに話しかけてくることがある。向こうは何度か
来ているので、知り合いのつもりなのだが、こちらは如何に流行っていない店だとはいえ、
多数の客を相手にしているので、一人一人の個性には認識がなく、よほどの事件でもない
限り、二三回来た程度では、食べて代金を置いていくという共通の記号の識別は不可能だ。
「やあ、まだありましたね」
「えっ?」
「だって前に来たとき、僕がまた来ますって言ったら、マダムは次に来たらもう店はない
かもしれませんよと言ったんです」
 うっすらと記憶がよみがえってきた。
 カフェを開いてまだ日が浅い頃、オープンエアのテラス席にはなかなか着席する客がい
なかった。そこへ進んで二人の男性が喜んで着席した。
 二人はバミューダパンツで自転車に乗って来て、着席した場面はカフェを盛り上げるの
にぴったりの光景だった。
 ギャルソンから後で伝え聞いたのだったか、二人の会話の端々を小耳に挟んだのだった
か、彼らの素性は頭に入っていた。
 少なくとも、今日やってきた男の方は、京都出身だけど今はアメリカ、たしかシカゴで
医師をしており、一時帰国してきていた。
 なぜそう記憶しているかは思い出せない。
「でも、あさって店を閉じます」
 私は笑うことも出来ず、その言葉を告げることで何か頼ってはいけないものにすがるよ
うな気持ちで声を吐き出した。
 男の次の言葉には一瞬の間があった。
「駄目だね、京都は。駄目だ、この町は。この店を維持出来ないなんて」
 さっきまでニコニコ顔だった男は、空をにらむように力を込めて言い放った。
「今日は何をいただこうか。マダムが決めて下さい」
 男の来店の目的は、空腹を満たすためでも、足を休めるためでもない。このカフェが好
きだから来てくれたのは明らかだ。
 シュークルートと白ワインを用意しながら、カウンターの中の私は話の接ぎ穂を探すの
に困った。
「京都にはもう帰っていらっしゃらないのですか」
「うん、仕事がないからね」
 こんな客が何人もいてくれれば、とは思っても、レストランならいざ知らず、カフェは
客単価が低く、よほどまとまった数でなくては得意客の意味がない。
 食事が終ると男はカメラを取り出して、カウンターの私に向けた。私はなんとか笑顔を
作らなければと努めた。きっと見たくもない表情の写真になっていたに違いない。
 最後に男は手を差し出し、握手をして出ていった。名前も聞かず、二度しか会ったこと
のないこの人と、三度会うことはないだろう。
 もし町で会ったとしても、私は顔を見分けられない。向こうが声をかけてくれない限り。
また同じ名前のカフェを開かない限り。

中国の瓶

2011-05-27 00:00:18 | お宝
ある人々の間で
山田茶碗と呼ばれる銘品がある

山田が作ったわけでもなく
山田が所有したわけでもない

その日ヤマダクンは
手のつけられないくらい
落ち込んでいた

ある美術館のサロンで
来客にお茶を出す手伝いをしていて
流しのそばで
作家物の唐津を割ってしまったのだ

作家はもとより
「茶碗は割れるもの」
と言っていたから
ヤマダクンだけが気にしていた

破片が片付けられ
しばらくすると見事な漆接ぎで
作家の個展に登場した
               

全国の三越をまわり、
パリの三越にも運ばれ、
絵はがきにもなって
よく売れた(とか)

地震の直後神楽坂の交差点で
茶碗を接いだヨシダセンセイ(4/22のブログ参照)に
お会いしたので
我が家にお茶でもとお誘いすると

ヨシダセンセイは
棚の隅に転がっている割れた花瓶に目を留めて
「直してあげましょうか」
「いいえ、もっとほかに直して頂きたい物があります」

取り出したのは猫が蹴り割った瓶。

子供の頃母が大事に飾っているのを見て
気持ちが悪いと思っていた

子供でこれが好きな方が気持ちが悪いけど
祖父の骨董収集の一つと聞いていた
形は中国のものだけど鉛がはいっているかのように重い

「ひと月ほどお預かりします」

一ヶ月後に戻ってきた瓶は
               
滑らかに接がれてぴっかぴかに
そういえば母も私も一度も洗ったり磨いたりしたことがなかった。
               
ヨシダセンセイって何者?

細川護煕作陶展
6月1~6日 大阪三越伊勢丹にて
細川が作り、山田が割り、吉田が繕った
山田茶碗も見られる(はず)

アメリカンチェリー

2011-05-26 00:18:48 | ままごと
なんだけど
保存のための薬品は使っていないので
冷蔵庫に二日保存しただけで
真っ赤だったはずの実は
黒くなってしまいました

長持ちするものには気をつけないと
長持ちしないのが
ふつうなんだから

アメリカンチェリー(大島桜の実)

田植え

2011-05-25 00:00:29 | 日記
こんな風に
皆が田植えをしているあいだ

私は
               
こんなの見たり
               
こんなの見たり
               
こんなの見たり
               
こんなの見たり
               
こんなの見たり
               
こんなの見たり
していた。

水田の一反オーナー制度は
水田保持のために
全国あちこちで見られる。

私の好きな「うきは」にもある。

年間三万円を払うと
田植えや稲刈りが経験できて
収穫したお米が後から届けられる

私はオーナーではなく
オーナーから誘われた口
義理というんじゃないけれど…。
               

田植えごはん

2011-05-24 00:00:43 | 美食
田植えの後の昼食は
バーベキューだと聞いていたので

玉子焼きでもお漬物でも持って行きたいと思っていた。

だって好きじゃないもん
作らされる料理なんて

そして自分が食べようと思って焼いたわけでもないものを
食べさせられる
はじめから終わりまで同じ味付けと焦げ風味の食べ物
そう、私はむずかしいの

でも行ってみると、
テントの下にはセルフサービスの料理が並んでいる

ウィンウィンウィンと
私のエンジンがかかって
この通り
               

よそで食べ物の写真を撮るなんて
はしたないことと思っている私なのに
こればっかりは誰かに伝えたくて
それにアワテコジキみたいなこの盛り方はナニ?


そうホントに興奮していたんです
この場でこんなご馳走が出るとは予想していなかったので

こんなのが食べたかったのよー
               

たけのこと竹輪の炊いたの
鶏の柔か煮
若い胡瓜のピリ辛漬
ポテトサラダ
おむすび二種
あじの干物
めざし
蕗とかつお節の煮物
鯖寿司
ハンバーグ
さつまあげ
わかめと豆腐の味噌汁
漬物三種
出し昆布と出しかつおの醤油煮
煮卵

あーほかにもなんかあったなー

どれもつくりおきじゃなくて
田舎のおばさんがその日に作ってくれたもの
               

そしてお汁粉とすいかのデザートもあったのだけど
すいかまでは食べ切れなかったなあ

田植えって
私も田圃に入ったのかって?

いや四十人もいればいいでしょ
私は植物採集して木陰で昼ごはん待ってました

カスマグサ

2011-05-23 00:03:48 | 植物
カラスノエンドウも
スズメノエンドウも

花は勿論のこと、
豆果も殆ど終って

今年カスマグサをみつけるのは
あきらめて
その名前も頭から消していた

そんな風だったから
田植えの帰りがけに
道端で豆の草を引っこ抜いたのは
ままごとの材料になるかしらという思いだけだった
               

一日冷蔵庫にしまったままにして
ふと、あのさやの中に豆は二粒ではなかったような
と冷蔵庫から出してみた
そしてさやを開いてみた
               

三粒やら四粒

てことは!

カラスノエンドウには5~10粒
スズメノエンドウには2粒
そしてカスマグサには3~6粒
入っているというから

やっぱり会いたいと思っている人には会えるもんだ

カスマグサを引っこ抜いたのは
南阿蘇両併の市下神社近くの工場駐車場土手

(4月25日のブログをご参照下さい)

京都のカフェ Rive Droite 1998~2001 20.

2011-05-21 00:10:08 | 物語
20.大文字山

 客足が伸びない原因は、フレンチカフェという業態が京都ではまだ受け入れる人が少な
いこと、立地が繁華街からはずれて人通りが少ないこと。レストランならわざわざ行くと
いうケースはあっても、一杯のコーヒーのために通り道でもないカフェまで出向く人はあ
まりいない。
 真冬の京都は、毎日のように霙とも霧雨ともつかない、北山しぐれと呼ばれる小雨が降
り、暗く寒く寂しい。
それでもまだお客がゼロの肥がないのは自慢だった。クリスマスには間がある師走の初
め、霙が本降りになり、雨か大雪かという天気になった。
 午前の客はゼロ。さてはとうとう。
 昼食にも誰も来ない。
 昼過ぎのお茶にも誰も来ない。息子が上京してからは、午後六時には店を閉めているの
で、夕食に来る客は期待していない。気まぐれに遅いお茶を飲みに来る客はある。誰も来
ないだろうと思いながら店番をするのは辛抱が要る仕事だ。
 そう思っていたところへ、時々来る近くの弁護士事務所の若い弁護士が、傘をさしてや
ってきた。長い間ケーキのガラスケースを見ていたが、ケーキ6個のテイクアウト注文を
告げた。
「少し割引してくれない?」
「は、はい」
 とっさの時には押しに弱い私だ。考えた後の判断の結果ではない。ましてや商売人のサ
ービス精神でもない。
 なぜそう返事してしまったのかわからない。その場その場で良い人と思われようする、
子供時代からの習性だ。決してほめられたことではない。
 弁護士事務所が立ち上げたばかりでスタッフのおやつ代も渋りたいとしても、少なくと
も私のカフェよりは苦しくない筈だ。
 今日の客が弁護士という職業だと知っているのは、あるとき領収書を書いてくれと頼ま
れ、その宛名がカフェの裏通りにある弁護士事務所のものだったのでわかった。
 若い弁護士はスタッフを連れて何度かお茶を飲みにきてくれるお得意様の部類だったが、
注文とお金のやりとり以外に親しく口をきく間柄ではなかった。
 きっとほかの商売人なら、一回目の客にもそれ以外の話のきっかけなど作って親しげに
できることだろう。私はお客が話しかけてきた時は応えるが、天気の話題をもちかけたり
することもできない。
 若い弁護士はカフェの経営が苦しく、自分がその日の唯一の客だとは知らないことだろ
う。いや、雪の中を来たのだから、値段のサービスは当たり前というつもりだったのか。
 ともあれ売上げゼロにはならなかった。1890円、最小売上げ記録だ。
 二十一世紀の幕が開くと、その記録が更新される日が来た。
 大雪で東山の大文字のまわりの、三角に切り開かれた部分が真っ白だ。京都で最初に住
んだマンションは鴨川べりにあった。ベランダの眼下には水がきらめき、まほぎに大文字
が見えた。そこを選んだ理由はそれだった。
 大文字の形は変わらなくても、そのまわりは季節ごとに、日々刻々と様相を変えるのを、
時にはカメラに収めて、毎日暮らした。
               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               
 土砂降りの中、もう点火されないかと皆が諦めた年も、送り火を見逃さなかったのはそ
こに住んでいたからだ。秋雨の後に虹のかかった如意が岳や、照葉樹林のありかを知らせ
る赤みがかった若葉の大文字山も写真に残した。
 次に住んだ烏丸通りのマンションからも、大の字は前より小さくはなったけれど、大文
字山が見え、それを理由にすぐに賃貸契約をした。
 その分東山の姿は幅広く視界に入り、怖いような朝焼けの雲に染まった山を撮り、送り
火を盆の水に映して飲んだ。
 カフェの三階に越して、前の道路の電線に分断されてはいるものの、やはり大文字が見
えた。
 冬は朝起きると毎日のように雪化粧をしている大文字も、昼になるとおしろいを落とし
て枯れ草色の山に戻る。
 雪が少ない日は大の字だけが白く見え、雪が多い日は大の字の周りの樹木のない三角の
部分が白くなる。
 今日は大雪だ。
 前の道を歩く人もいない。歩く人がいるとしたら、カフェががらんとし、カウンターの
中にオーナーがぽつんと立っているのが見えたことだろう。
 店がはやっていないことは、隣の読売新聞販売店にも、町内会長の蕎麦屋のおじさんに
も、前を通るだけで知れていた。
「あんた悪いときに店始めたなあ。うちもかみさんと二人で八万の給料や。バブルの頃は
何も宣伝せんでもお客は来たけどなあ」
 町会費を集めに来た蕎麦屋のおじさんが、同情とも皮肉ともとれる言葉を発したことが
あるが、今日は蕎麦屋にも客はいないことだろう。
 気が付くと夕方になっていた。もしかしたら。
 暖をとりに温かい飲み物を飲みに来る人でもいるかと期待をしたが、それもなかった。
 とうとう初めてゼロの日になった。
 二月末、不動産屋の若社員から電話があった。夕方尋ねてくるという。
「実は次に入る方が決まりました。三月半ばに出て頂きたいと思いまして」
 一年半前、契約の仕切りなおしをしたとき、確かに次に入る人が決まるまでとは言った。
 それでもその方向に話が進められていると思わなかったのは、現実を見ていなかったこ
とになる。
 その後も家賃の滞納はなかなか取り戻せず、合計すると十八ヶ月、つまり借りていた間
の半分は払えていない。
「半ばではなく、春分の日まで営業させてください。それから三日で片付けるとして、二
十三日までお願いします」
 とっさの答えにしてはよく押せた方だった。
「次の方は四月一日には開店したいそうなので、改装が間に合うかどうか」
「春分の日は大事なのでお願いします」
「検討してみます」
 改装は突貫工事をするということで、私の要求は通った。
 不動産屋の青年はどんなに言いにくかったことだろう。それは一種悪役になる勇気を試
される場面だ。また、会社全体で応援しているのに、約束の家賃をためられては腹立ちも
あろう。それらをひっくるめて、ビジネスの言葉のやりとりに置き換えていかねばならな
い役目を果たした青年は、初めて物件を見せてもらった日、私が阪神ファンだというと、
自分は関西の人間なのに巨人ファンだと笑った時よりはるかに高いところにいる。
 私は抗わない。どうしようもない時は。
 事務的な手続きだけをぬかりなく済ませて、次の展望が開けるまでは受身でいるだけだ。



さくら井屋の便箋と封筒

2011-05-20 00:23:36 | お宝
中学一年で初めて京都に行ったとき
母は三条新京極のさくら井屋に連れて行ってくれた
母が女学生時代におみやげを買った店だと言っていた

私は布細工の小箱と
日本髪のミニアチュアかつらを買って満足した

それから何十年か後
京都に住むようになって思い出のさくら井屋の前を通っても
中に入ることはなかった
単なる修学旅行生相手の店ではないと思いながらも
               

去年サチコサンから
さくら井屋の昔の便箋と封筒を頂いて
ああ、これこれ、こんな感じと嬉しかった
でも今の修学旅行生に喜ばれるだろうか
いや、わかってたまるか

そして今年一月
さくら井屋は閉店した
               

それによってわかったのは、
さくら井屋は天保年間から平刷り木版を行っており
その職人がいよいよ少なくなって店を畳まねばならなくなったと

違う
こういうデザインの文具を買う人がいなくなったから閉店したのだ
買う人が沢山いれば
職人の仕事も繁盛して、なり手も多数いるはずだもの

こういうデザインが現代の日本人の生活の中に溶け込むのは難しい
私やその他少数の人間の頭の中以外には
               

折角到達した日本の手仕事の高い文化が
便利や合理が好きな国にに断ち切られてしまってからに…。
ぺりーが悪いマッカーサーが悪い

お店が続くのは本当に難しい