東京名所

2011-08-31 00:21:01 | 日記
新しい東大病院に入院している知人から
呼び出されて見舞いに行くと
病院の上にあるレストランに案内された
エレベーターを降りてすぐの眺望のよさに
思わず写真を撮った

何とかという名の塔は好きじゃないけど
よそから東京に訪ねて来る人があったら
どこで見られるか位知っておきたいではありませんか

下町には行きたくないので
ここは絶好の場所
左の緑の塊は上野公園と不忍池

今まではよそから来る人には
東大の赤門と、東大カフェと、三四郎池に
案内しようと決めていたけど
カフェとこのレストランのどちらかで食事をして
どちらかでお茶する

レストランの運営は上野精養軒で
昔風に蝶ネクタイに黒スーツの人が給仕する
それなのに声の大きい友人は
「キヨウケンだからきっとおいしいよ」
だって
やめてー、キヨウケンは横浜ですよー

そのほかには
広尾の有栖川公園や目白の永青文庫に
お連れしますね

桜花漬

2011-08-30 00:05:26 | 美食
福岡や京都では
今も33~35℃の気温が報告されるのに

東京は26~29℃
朝夕の風も心地よい

あ、この風はもう秋の風?

秋風が吹いたら
開けていいものがあった

四月十九日のブログに書いた桜花漬
おそるおそる

じゃーん

               

いい色

市販の桜は紫蘇や色素で着色されているという
私のは自然のままで灰色がかった桜色

一輪お湯でいただきます

               

いい香り

一人で何のお祝い?

ブログを始めて丁度一年53週
みや子をなくして悲しかった時も
震災でこわかった時も
臨時休業せずにきたお祝い

でも、ままごとのネタがなくなったら
見せるお宝がなくなったら

いいや続けます

毎日覗いてくださる皆さま
有難うございます


ヘクソカズラ

2011-08-29 00:44:31 | 植物
京都の山の民宿で
夜中に何かにおいがして寝つけなかった
畳の上に何か落ちているのかと探すけれど
何もない
じっくりにおいの方向を探ると床の間
花瓶の中にノビルの花が活けてあった
しずしずと花瓶を持って廊下に出すと
それから安眠できた

この家に越してすぐ
丁度今と同じ季節
部屋が何かにおって変だった
床に何も落ちていないのに
もしかして

花瓶の方向を嗅いでみてやはり

遊びに来たチエ子さんに気安く
「ねえ、何かその片の草花色々摘んできて」
と頼んだ中にヘクソカズラの花があった
実だけがにおうのかと思っていたら
花よ、お前もか
可愛い花なのに名前が可哀相と同情していたが
しかたがない
野原でお咲き

写真の花はホテルニューオータニ前

少女時代 12.

2011-08-27 00:35:01 | 物語
12. 大学

 受験一年目の合否結果は福岡で受け取ったが、一浪して受験した結果は、これが最後に
なると思い自分で東京まで見に行くことにした。夕方博多駅を発つ寝台列車「あさかぜ」
に一人で乗った。東京駅には先に行っている「は」君が迎えに来てくれることになってい
た。「は」君とは発表の前に日生劇場で劇団四季の「泥棒たちの舞踏会」を見に行くこと
にしていた。切符はもう買ってある。
 寝台列車の同じボックスには、九大の医学部を落ちて、二期校の東京医科歯科大学を受
けに行く二人の田舎の高校生がいた。
 田舎と決め付けるのは、こちらが尋ねもしないのに、どこへ何しに行くと語りだし、寝
台に上る前に恥ずかしげもなくズボンを脱いでももひき姿になり、ズボンの形を整えて手
に下げてはしごを上っていったから。
 私は今回も落ちたら一体どんな気持ちがするだろうと、自分の心理が心配だった。そん
な私に翌朝東京に着く少し前、田舎の二人が自分たち用の精神安定剤を二錠くれた。それ
を東京に着いてから飲むと、頭がガンガン痛み出した。
 芝居も集中しないわけではないが楽しめず、「は」君と一旦別れて発表の貼り出される
午後六時半に駒場の東大前で待ち合わせることにした。
 待ち合わせに少し早く着いた私は既に貼りだされている合格者の番号を一人で見に行っ
た。通っていたけれど頭痛と重い気分で何の感動もなかった。われながら不思議だった。
三年プラス一年をかけて自分の時間と気力を注ぎ込んだ結果を少しも喜べないのが。
 「は」君との待ち合わせの場所に行くと、「は」君が駆け寄って、沈んだ表情の私の顔
を覗き込んだ。
「どうだったっ?」
「ん、通ってたよ」
「心配したぜ、約束の場所にいないから。僕も通ってた」
 私は宿に帰って両親と塾の先生に電話しなければと思うのに、合格しましたと元気に伝
える気分がやって来ず、しばらく報告しないで時間をつぶした。やっと深夜に電話をかけ
ると、
「い先生から、もう合格の連絡が入ってるよ」と言われた。
 その重い気分は、頭痛が治ってからも、福岡に帰ってからも一向に治らなかった。それ
どころか、短時間で東京の住まいを決めなければならないことや、上京のために両親がど
れだけお金をかけてくれているかを思うと益々心は暗雲でおおわれた。
 住まいは福岡県県人会の女子寮に決まった。気分は重いとか苦しいというのは正しくな
い。何か狂っている、うまくいっていない、そんな感じだった。
 「は」君はボクシング部に入って学生生活を楽しんでいるようだった。部が主催するパ
ーティーの券を私のところに持ってきたので、私は十枚買ってゴミ箱に捨てた。
「あ」君は相変わらず自分を卑下する言葉を連ねた手紙をよこしていた。
 私は寮を出る準備をしていた。
 大学構内の噴水の前に、数少ない東大の女子が集まった場で、何故東大を受験したのか
という話題から、私がはずみで自分のことを洩らしたとき、一人が
「ささきいさおって結婚したでしょ、つい昨日の新聞で見たわよ」
と言った。翌日その人が持ってきた新聞の芸能欄には、ほんの二行
" 歌手の佐々木功は結婚し、左記に新居を構えた
 渋谷区東…ローズアパート"
と記されていた。
 鬱病の私は何の感慨もわかなかった。
開いたままの新聞は、春の温かい風がさらっていった。

 それから十年後、真新しい車を運転していた私は、赤坂でぱったり佐々木さんに会った。
信号で二言三言ことばを交わして別れたあと、不足を手紙に書くと返事がきた。もう母親
が代筆したものではなく、本人からのものだった。
" お便りなつかしく拝見しました。こういう仕事をしていると、他人にどんな影響を与え
てしまうのか…考えさせられました。
 貴女の人生にまちがいでなかったことを祈ります。
 私自身も高校生の感受性で生きているようですね。
貴女のように努力もせず、運命に逆らおうとして流され、
馬鹿にもなれず…。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 一度お会いして色々お話を伺いたいですね"
 しかし私の中にはもう、誰かを遠くの峰に見上げるように憧れるという感情は少女時代
に置いたまま、戻ってくることはなかった。その後も誰かを好きになることはあったけれ
ど。
(終わり) 

手提げ二段竹篭

2011-08-26 00:31:24 | お宝
お宝の中では最新のエントリー

植木屋実習の日
集合は広沢池の前にある児童公園だった

               

児童公園の隣には
「池の茶屋」という店がある
寄らなくては

               

カフェをやっていた頃
全く休みのない私が
なんとか時間をみつけて休みに来た場所

長々と59番のバスに乗り、
終点の山越から佐野藤右衛門さんの苗木林の前を過ぎ
茶店まで来ると人の往来もなくなる
茶店には可愛いおばあちゃんが一人ぽつんと座っていて
私が何度行っても顔を覚えられないので
気軽に入れた
茶店のガラス越しに広沢池を見ていると
疲れが鎮まっていくのを感じた

              

行く時はいつも
あのおばあちゃん、まだ元気かな
だった。

カフェをやめて東京に戻って
東京の友人と訪ねると
おばあちゃんとお嫁さんの二人が
迎えてくれた

友人が私のことを
「この人は京都の本を書いたんですよ」
と言ったので
お嫁さんが
「読みたい。どこの本屋に売ってますか」
と言い、私は送る約束をした

本を送るとすぐに
お返しに地元のおいしい最中を送ってくれた
それ以来会っていない
もう六年になる

会いに行く前に
葉書を書いた
地下足袋でお邪魔しますよ、と

店にはお嫁さんがいた
おばあちゃんは四年前に九十四歳で亡くなったそうだ
「眠るようにしてね」

「今でもままごとしてはります?」
「勿論してますよう」
「ほな、あげたいものがあるんです。昔おばあさんが使うてはった」
「頂きます」
七十二年前におばあちゃんがお弁当やら詰めて使っていたと

今でも定番の形のこの篭は
奈良あたりで作っていて
一万円に少しお釣のくる位の値段で売っている

               

上段におかず、下段におむすびでもいいし
ままごとなら上に器、下に摘んだ草
おばあちゃん一緒にままごとしましょ

               

コロッケ

2011-08-25 00:06:27 | ままごと
黄色い土
いえ、小麦粉または黄な粉を
やっと手に入れたと思ったのに
水をかけると焦げちゃ色のコーヒー粉

では裏に引っ込んでもらって
また鹿沼土に再登場してもらおう

前から使いたかった
ホテルのオードブル盆みたいなの

今日はコロッケだけど
その語源のクロケット形に
二センチのクロケットです

パセリはまた
カイヅカイブキ

スクーリング 5.(植木屋修業)

2011-08-24 00:19:25 | 日記
一日目は広沢池の南にある造園会社で
掘って

               

運んで

               

また植えて

               

はー、疲れた
人が植え替えるのを見てるって疲れのよねー

本日の私の収穫はこれ

               

スコップの先からこぼれた粘土
無断持ち出し禁止だってばー
泥泥棒

2日目は南禅寺で刈り込み実習

               

南禅寺って地名の南禅寺かと思っていたら
本当にお寺の南禅寺!
しかも私の班は南禅院
(ほかの班は新しい座禅道場)

               

みんなで刈った生垣

               

私一人で刈ったヒサカキ
一人で一本の木をまかされたのは私だけだった
南禅院の土地は水路閣を所有する水道局で
水路閣はもうすぐ世界遺産になる予定
えーっ、世界遺産の中の木を私刈ったのー
センセ、アリガトー
これ、来年の年賀状写真に決まり

といっても私の技術が優れていた訳ではなく
その時ボーッと何もしていなかったのが私一人だったのだ
カチカチカチという植木屋さんのいい音など出せず
両手ばさみを持って
(うー)カチッ、(うー)カチッというリズムだったのに
センセ、ほんとにアリガトー

その日のセンセは植○の若い職人さん
「センセ、植○さんは何有荘も扱っていらっしゃるのですか。
 昔の通りに修復なさっているのですか」
答えはほっとするものだった

ところでお約束のあの話題
実習が始まると
地下足袋が留まっていない女など本人も他人もどうでもよかったので
何もお話することがないんです

               

一人、私より留まりそうにない人が留まっていたので、
「それはどこでお買いになったの」と聞きたくて
のどまで出かかったけれど
つまりそれは「よくまあその足に入るのがあったわね」
の意味になるので我慢して聞きませんでした

本日の私の収穫はこれ

               

雨に濡れた蓑虫
掌は泥で汚れています

生芋こんにゃく

2011-08-23 00:00:19 | 美食
こんにゃくは
生芋から作ったものを
買うようにしている

ふつうに多いのは
こんにゃく粉から作られた
こんにゃくだが

生芋こんにゃくを食べると
その噛み応えに
粉こんにゃくはにせものだと思えるようになる
味の染み方も生芋こんにゃくの方がいい

出汁など使わずに
水と削り節
あとからちょっとの味醂と醤油で煮る

それでひと晩おくと
ちゃんと染みてて

薄味好みの私にはこれがなんともいえない

キツネノカミソリ

2011-08-22 00:54:01 | 植物
藤や花菖蒲やホタルブクロなど
白と紫の花の6月が過ぎ

ヒメヒオウギスイセンやノカンゾウや先日のフシグロセンノウなど
緋色の花の7月が過ぎ

八月JRの土手には花がない

と思っていたら
飯田橋のホームの向こうに突如また
緋色の花が復活した

7月の緋色とは少し様子が違う

キツネノカミソリは
彼岸花の仲間で有毒である

彼岸花は
花が終ってから葉が出るので葉知らずの別名があるが
キツネノカミソリは葉が終ってから花茎が出るので
これも葉知らずと言えないだろうか
だって親が亡くなってから生えるのが親知らずだから
その意味からは彼岸花の葉は花知らず

               

ぐっとズームの写真からは
ノカンゾウのようにも見えるけれど
ほかの土手のノカンゾウは大分前に枯れているので
キツネノカミソリだろうと

名前の由来の葉の形を見ればわかるのだが

少女時代 11.

2011-08-20 00:25:04 | 物語
11. 予備校

 落ちたのは私だけだった。お正月に遊びに来た「あ」君は東大に、「お」君は何故か土
壇場で九大に、「み」君も九大に入った。
 私の高校では浪人をするお嬢様などいない時代だったので、落ちたのは本当に私だけと
いう感じだった。
 ここでもまた父があっという間に私の予備校を決めてきた。「あ、お、み」君らの通っ
ていた高校の補習科が独立して予備校になり、その一期生として入学することになった。
ここへ通うために、電車一本で乗り換えのない一人暮らしの祖母の家に下宿することにし
た。
 あ、書き忘れたけれど、私には自分の部屋がなかったので、それまで皆がテレビを見る
茶の間で勉強をしていた。女中部屋や着替えの部屋はある家だったのに、子供の独立した
部屋など最初から考えてない家だった。それだけではない、親も無頓着で私が東大受ける
って言ってるのにー。いいよ、いいよ頼まれて受験するわけではないし。兄がエレキギタ
ー引くのも自由、皆がテレビを見るのも自由、私が東大受けるのも自由。
 これからばあちゃんの家で最後の受験勉強だ。
 百道浜にある予備校で最終手続きを済ませた帰り、赤いレインコートの生徒と一緒にな
り、話しかけてみた。「予備校の方ですか」
 それからウン十年、女医になった千恵さんとは息子より長いつきあいをしている。
 帰りの電車で千恵さんとは歌舞伎の話をしたことを覚えている。そして偶然にも千恵さ
んの下宿は同じ停留所でおりたところだった。実家は岐阜で、親戚の多い福岡に下宿する
ことになったと言っていた。
 予備校は文科クラスと理科クラスしかなく、理科クラスには女性は三人しかいなかった。
生徒の殆どが母体の高校出身者であり、よそから来た女生徒三人は反発を買ったのか、悪
さをされることが時々あった。ほぼ指定席のようになった三人の座席が裏返しになってい
たり、三人にあだ名が付けられたり。
 そんな中、千恵さんはいつも物憂いようなしらけたような態度で登校してきていた。私
はそれをカトリック仕込みの親切で構って構って脱落しないようにしていた。千恵さんが
欠席すると、写したノートや授業内容を下宿まで報告に行き、ついに千恵さんも予備校を
楽しんで出席するようになった。
 私はといえば、「センセー、ここでも皆勤賞作ってくださいねー」と職員室に言いに行
き、遠足に合宿に登山に史跡めぐりの行事を催させ、母体校出身の男子にまたチクチクい
じめられていた。
 その予備校からは三人が東大を受けるとわかった。
 文科クラスの「は」君と理科クラスの「さ」君、それに私。無論「は、さ」君は母体校
の出身者。
 理科クラスの男子どもからはいじめられていた女子三人だったが、文科クラスの男子と
は、ツタンカーメン展を見に行ったり、冗談を言い合って笑ったりできる仲だった。
 「は」君のまつ毛が飛びぬけて長いのをみつけた私は、千恵さんに頼んで「欲しい」と
ねだった。千恵さんは文科クラスの冗談仲間にかけあって、「一本抜いてきて」と命じた。
 それから数分後、「痛いって言ってたよ」と言いながら、命じられた「や」君が手に一
本のまつ毛をつまんで戻ってきた。私は帰宅するとすぐにフェルトでまつ毛入れのペンダ
ントを作った。それからウン十年後、「は」君は出版社の社長になり、「や」君は製薬会
社の社長になっているのをテレビのニュースで見た。
 そんなことから、東大を受けるその日まで「は」君とは親しい受験仲間になった。東大
に現役で入った「あ」君とは手紙のやりとりをしていた。
 「あ」君は、入学後すぐから自分は駄目な人間でつまらないという意味の言葉ばかりを
書いてよこした。現役で入った人がそんなことを言うなど、いやみでしかないと、私はた
め息をついていた。それが重症の鬱病であることは、つゆ気付かずにいた。
 年が明けると受験する大学に願書を出さねばならない。父は第二志望までしか受験させ
てくれず、二つ駄目なら大学に行かせないと言った。その時は演劇でもするかなあという
考えでいた。第二志望は国際基督教大学を選んだ。第二志望は合格したけれど、入学金は
東大の発表前に納めなければならなかった。郵便局の為替の窓口で父は「本当に自信がな
いか」と私に念を押した。東大に合格していれば国際基督教大学への入学金は勿体ないけ
れど、その時はきっと合格の喜びでそんなこと忘れられるさあと私は思っていた。