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キハ40 なまはげ列車

2006-06-05 | 鉄道[東北]
今日は記念日が2つ重なる特別な日、という事で特別に記事も3つ!新カテゴリー・鉄道[東北・北海道]の登場です。


この新カテゴリーで最初に登場する記事は、「なまはげさん」にちなみ、その出身地でもある秋田県・男鹿(ここは「おが」と読みます。他の地域では「おじか」と読むところもありますが…)半島を走るJR男鹿線の「なまはげ列車」を紹介させて頂きたいと思います。

このなまはげ列車、使用されている車両はキハ40系と呼ばれる国鉄末期の1980年代に製造された気動車(ディーゼルカー)で、この車両は現在北海道から九州に至るまで、全国各地のJRローカル線を走る日本で現在最もポピュラーな気動車です。

この車両は運転台が車両の両側についているので1両のみでも走行でき、編成を自由に組める事からJR各社でも重宝されており、この男鹿線をはじめ、ワンマン運転対応に改造された車両も数多く存在し、その他にも冷房装置の取り付け(登場時は非冷房で、現在でも北海道を中心に非冷房車もあります)やエンジンの交換などの改造を施された車両が多数あります。

男鹿線で現在使用されている車両は、基本的にこのキハ40系と、キハ48系と呼ばれる運転台が片方しかない事以外はほぼ同じ車両の2種類が使用されています。男鹿線では1両編成でのワンマン運転(ごく少数)~通勤・通学時間帯の7両編成に至るまで色々な編成で運用されていますが、2~4両程度で運行される事が多いです。

車両の塗装は、現在では写真の様に白と緑の塗り分けとなっており、同じ秋田県を走る五能線も、緑の部分を青に変えただけで同じ塗り分けです。また男鹿線ではMAKIKYUが2年ほど前に乗車した時に、男鹿名物の「なまはげ」のステッカーがドア付近に貼られ、現在では全ての車両に貼られている様ですが、種類は今日の「なまはげさんへ」の記事で紹介した赤いなまはげと、他に青いなまはげの2種類があり、この写真の車両は青いなまはげの方が貼られている様です。


このなまはげ列車、秋田~追分[Oiwake]~男鹿間を走っており、秋田~追分間は奥羽本線に乗り入れます。本数もほぼ1時間おきに運行されており、乗車も割合容易ですので、秋田へ行かれる際には是非乗車されてみては如何でしょうか?

小田急2600形

2006-06-05 | 小田急グループ
丁度2年前、多くの人々に惜しまれつつ引退した電車があります。

その電車はMAKIKYUが最も気に入っている鉄道の電車で、この記事のタイトルにもなっている小田急2600形です。

2600形は東京オリンピックの開催された1964年~67年頃にかけて製造された車両で、4扉両開き20m車という現在に至る小田急通勤車の礎にもなった車両でもあります。

この2600形は最盛期には6両編成22本(132両)が活躍し、主に各駅停車で活躍しましたが、末期には一部が8両編成に組み替えられ、中にはVVVFインバーター制御に改造された車両もありました。

この車両は少し前に製造された2400形が25年程度で退役したのに対し、約40年と比較的長い間活躍しましたが、その後の5000形などに続くデザインはさほど古さを感じさせず、MAKIKYUは結構な傑作だったと思っています。

また2600形はデザインこそ5000形などとよく似ているものの、甲高い独特のモーター音は当形式独特で、これを目当てにあえて時間のかかる各駅停車で走る2600形に乗車した事も懐かしい思い出です。

しかし2600形も最近大増殖している3000形車両の導入に伴って退役が相次ぎ、2003年夏頃までには2670編成1本を除いて引退してしまいましたが、最後まで残った2670編成は10月のファミリー鉄道展にあわせて紺色と黄色の旧塗装に塗り替えられ、鉄道展の後も2年前の04年6月5日に開成[Kaisei](神奈川県足柄上郡開成町)で開催された「さよならフェスタ」までの間、旧塗装で一般の営業列車に使われ、一般客からも大きな注目を浴びて有終の美を飾りました。

写真は丁度2年前の「さよならフェスタ」で展示された2600形です。この車両に思い出のある方は当時を偲んで頂ければ幸いです。

またこのページをご覧の皆様も、2600形に関する思い出などありましたらコメントをどうぞ。