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寝台特急「あけぼの」号(3)~B寝台1人用個室「ソロ」の様子

2009-06-29 | 鉄道[東北]

 

今月初めにMAKIKYUが寝台特急「あけぼの」号に乗車した際は、「青森・函館フリーきっぷ」を利用したのですが、この乗車券で「あけぼの」号を利用する際には、B寝台であれば一般的な開放室以外に、1人用個室「ソロ」も利用可能となっています。
(A寝台利用時は運賃のみ有効で、特急料金と寝台料金が別途必要になります)

その事もあってMAKIKYUは1人用個室「ソロ」を利用しましたので、その様子に関して取り上げたいと思います。

「ソロ」は10年程前に新造された寝台電車・285系(サンライズ出雲・瀬戸号に使用されている車両です)にも連結されているものの、殆どは既存のB寝台車を改造して個室寝台車とした車両で、俗に「ブルートレイン」と呼ばれる車両では、「ソロ」として新造された車両は存在していないのが大きな特徴です。

「ソロ」への改造も、改造時期や改造工場によって仕様が大きく異なり、車両定員や個室内空間の広さなどに大きな差異がありますので、列車によって異なると言っても過言ではない程に様々なバリエーションが存在しています。

そのため列車によって当り外れが激しく、2社の車両を混結した最近の北斗星号の様に2社寄せ集め編成となった列車では、同じ列車内でも仕様の異なる「ソロ」が混在する有様ですので、「ソロ」各車に共通する特徴と言えば、1人用のB寝台個室である事(これも寝台電車285系では、「ソロ」より設備・料金共にワンランク上の「シングル」が存在する程ですが…)のみと言っても過言ではない程です。

その中でも「あけぼの」号の「ソロ」は、開放室B寝台の様に片端に通路を寄せ、枕木方向に寝台を配したタイプではなく、座席車の如く車両中央に通路を配しているのが特徴で、レール方向に上下2段の個室が並んだ配置となっており、通路部分には窓が設けられていない事もあって、やや閉塞感を感じるものです。

また上下2段の寝台個室も、28室もの個室が設けられ、これは「ソロ」の中では極めて定員が多い部類に入るだけに、上下共に個室当りの占有空間は小さく、MAKIKYUが利用した下段個室内では、立ち上がれる空間が全く存在しない程で、設備的にはカプセルホテルとほぼ同レベルと言った所です。

そのため一夜を過ごすだけならば、「定員が多い=指定が取りやすい」というメリットもあり、「あけぼの」号の主たる利用者層が首都圏~秋田県内間で、この場合は昼間過ごす時間が少ない事も考えるとこの仕様にも一理有るのですが、終点の青森まで「あけぼの」号を乗り通したMAKIKYUは、個室内の余りの狭さ故に朝になってから隣の開放室B寝台車(下りの秋田以北は立席特急券利用者向けに、座席扱いとして開放)へ移った程です。

寝台料金はこの設備で6300円、ビジネスホテル1泊分に相当する金額を要しますので、普通に乗車券と寝台特急券を購入して利用となると、料金の割には…と感じる所で、それなら寝台料金不要の「ゴロンとシート」利用が妥当な所(こちらは安さ故に人気が高く、満席となる事も多い様です)です。

ただ「ソロ」を含むB寝台が利用可能なフリーきっぷが幾つも設定されている事とや、主たる利用区間などを考えると、設備的には妥当な所なのでは…と感じると共に、B寝台利用で開放室と個室の選択肢がある事も有難いと感じたものです。

写真はMAKIKYUが利用したソロ下段個室と、中央に配された通路の様子です。

「あけぼの」号に関しては、B寝台開放室やA寝台個室の様子なども、後日別記事で取り上げたいと思います。


寝台特急「あけぼの」号(2)~客車外観編

2009-06-27 | 鉄道[東北]

先日「MAKIKYUのページ」で取り上げた上野~青森間を走る寝台特急「あけぼの」号ですが、今日はその続編として寝台客車の外観に関して取り上げたいと思います。

現在「あけぼの」号は24系と呼ばれる客車の寝台車8両+電源車の計9両が所定の編成となっており、団体利用時や多客時などには客車の増結が行われる事もある様ですが、MAKIKYUが今月初めに乗車した際は所定の9両編成でした。

ブルートレインで9両という編成は、国鉄時代のブルートレイン最盛期などに比べると随分短い編成で、「あけぼの」号の編成としても、最盛期に比べると減車されています。

それでも10~15両程度の長編成列車が次々と行き交う首都圏であればともかく、普通列車は2~3両が主流、特急でも短い列車は3両編成という奥羽本線の現状を踏まえると、みちのくの地ではこれでも結構立派な編成と感じるものです。

客車は一部が「ゴロンとシート」として指定席特急料金で乗車可能ではあるものの、全て寝台車のみ構成されており、食堂車やロビーカーなどの連結はないのですが、バラエティ豊かな構成となっています。

その中でも一般的な開放式B寝台車は、所定の8両編成では1・8号車の「ゴロンとシート」(1号車は女性専用車)と、2~4号車の合計5両が連結され、編成の過半数を占めています。

開放室B寝台車は最も上野寄りに連結され、女性専用車となっている1号車だけ白帯を巻いた装いとなっており、MAKIKYUが「あけぼの」号に乗車した際は、他の車両が全て金帯を巻いた装いでしたので、編成端でこの車両だけが異彩を放っています。


これはたまたま1両だけ異なる装いの車両が連結されただけなのか、それとも女性専用車である事を明確にする為に、敢えてこの様な編成にしているのかは気になる所です。
(余談ながら「ゴロンとシート」充当車両は、車両仕様こそ一般的なB寝台車と同等ですが、「ゴロンとシート」のステッカーが貼られており、充当車両は一応限定されている様です)

他のB寝台開放室各車は装いこそ金帯で統一され、この塗装は国鉄末期にグレードアップした寝台列車の証として用いられた程ですので、1号車に比べると見た目はやや優雅な雰囲気を感じますが、2・4号車と3・8号車で窓の大きさや扉形状が異なっており、しかも4・8号車は車掌室付きで2・3号車とは外見も異なりますので、5両の開放室B寝台車は全て見た目が異なる有様です。

   
その上B寝台として運用される2~4号車では、その中間に組み込まれる3号車が大きく形態の異なる車両であるだけに、尚更雑多な印象を受けたもので、2号車と3号車の連結位置を逆にすれば、多少は整った印象になるのでは…と感じたものです。

そして装いの異なる1号車と共に目立つ存在といえるのが、上段・下段の2段構造で個室を配したB寝台1人用個室「ソロ」です。


先日MAKIKYUが「あけぼの」号に乗車した際は、この車両を利用したのですが、一般の開放室B寝台車からの改造車ながらも、車両構造故に窓配置は原型とは大きく異なり、独特の雰囲気を放っていますが、5・6号車の2両共見た目は同形態で、「あけぼの」号で同形態の車両が2両続いて連結されているのはこの5・6号車のみです。


7号車は「あけぼの」号では唯一のA寝台となる車両で、このA寝台車は1人用個室ながらも、補助ベッドを使用する事で2人使用も可能な「シングルDX」と呼ばれるものです。

小窓がズラリと並んだ姿も、「あけぼの」号の雑多な編成の中では、1両だけのA寝台車である事を知らない人間が見れば、インパクトは意外と薄いのでは…と感じたものです。

また「あけぼの」号は8両の寝台客車以外にも、青森寄りに電源車が1両連結されているのも大きな特徴です。


電源車は隣国の韓国をはじめ、客車列車が一般的な海外の鉄道ではよく見かける車両ですが、日本では客車列車自体が希少な存在になっている上に、客車自体に発電装置を搭載した車両も存在する事から、電源車を見かける機会自体が非常に少なくなっています。

発電装置を客車とは別とする事で、客車の居住性を確保している24系客車ならではの車両で、荷物室を併設しているのも特徴ですが、この車両もMAKIKYUが乗車した「あけぼの」号に連結された前面貫通路付きの車両以外に、前面非貫通となっている車両も存在しています。

ちなみに寝台客車でも14系は一部の客車床下に発電装置を搭載しており、そのお陰で電源車を別途連結する必要がありませんので、途中駅での分割併合も容易で、機関車以外は全て乗客を乗せる事が可能な事もあって、編成長が限られる路線・区間で輸送力を確保出来る利点もあります。
(「あけぼの」号の場合は寝台客車8両に対し、機関車と電源車という乗客が利用できない車両が計2両、比率にして5分の1にもなります)

ただディーゼル発電機が発する騒音と振動に夜通し…という事を考えると、運用上はともかく、乗客の立場から見て寝台列車としてどちらの方が良いかは言うまでもない事です。
(世の中には14系客車の発電装置を搭載した車両を、敢えて指名買いする方も居られる様ですが…)

この寝台特急「あけぼの」号は寝台列車にしては比較的地味な存在であるが故に、今まで寝台列車の中では余り注目されていなかった列車という印象がありますが、寝台列車の廃止が相次ぎ、貴重な現存する寝台列車の一つとなった今日では、大きく脚光を浴びる存在になりつつあります。

編成構成もB寝台主体の実用性が強いものですので、観光的要素は薄いものの、編成は寝台客車の見本市とでも言うべき様相を呈しています。

B寝台1人用個室「ソロ」の5・6号車を除くと、全て隣り合う車両が別形態という見るからに雑多な編成は、非常にインパクトがあって面白く、「あけぼの」号の大きな特徴と言えます。
(客車の組み合わせによっては、B寝台車で同形態の車両が2両以上連なる可能性もありますが…)

寝台特急としては比較的短めの編成という事と合わせ、鉄道模型で実際の編成を再現して走らせる対象としても絶好なのでは…と感じてしまう程です。

「あけぼの」号に関しては、車内の様子なども続編として取り上げたいと思います。


相模鉄道 11000系電車~新型車の割に有り難味は…

2009-06-25 | 鉄道[首都圏・私鉄等]

   

MAKIKYUは一昨日、比較的近隣を走っている相鉄線を利用する機会があり、その際には今月運行開始したばかりの最新型車・11000系電車が稼動している姿を見かける事も出来ました。

目撃した11000系は横浜方向へ向かう列車だったのですが、一昨日MAKIKYUは小田急線方面へ向かう為に相鉄線を利用していましたので、その折り返しとなる列車を推測して他の列車で瀬谷駅へ先回りし、瀬谷→大和間で乗車したのですが、今日はこの11000系に関して少々取り上げたいと思います。

11000系は中央線や京浜東北線で運行しているJR東日本の最新型通勤車両をベースとした車両で、塗装と前面形状を除くと、ほぼ同系と同じ車両と言っても過言ではありません。

そのためJR東日本の先代標準仕様車(某社レンズ付きフィルムに良く似た名称で呼ばれる事が多い電車です)に酷似している相鉄の先代車両(10000系)に比べると、ベースとなった車両が多少グレードアップしている分だけ、先代車両よりは多少グレードアップしている印象を受けたものです。

最新型車両だけあって行先表示にフルカラーLED(相鉄では既存車両で字幕→フルカラーLEDへの取替えが着々と進んでいますが、新車では初めて)を用いていますが、これはJR東日本で活躍中のベース車両と同じく、行先と共に次停車駅が表示されるタイプとなっており、こんな所まで真似しなくても…と感じてしまいます。

車内も車内案内表示装置に相鉄では初となるLCDモニターを用いている点などは評価できる点で、LCDモニターは首都圏私鉄で一般的なタイプより幅広のモノがドア上に2基設置されています。

これは敢えて幅広のモノを用いたのか、ベース車両の仕様(JRで活躍しているベース車両も、中央線で活躍している車両は標準サイズですが、最近次々と落成している京浜東北線用は幅広タイプです)を踏襲したため、たまたま幅広タイプになったのかも気になる所です。

車内は相鉄の先代車両がほぼJR東日本の仕様をそのまま踏襲しただけあり、今回導入された11000系もほぼJR仕様を踏襲しており、ドアが化粧板張りになるなど、先代車両よりは多少見栄えは良くなってはいますが、形式番号4桁のアルミ製車両に比べると貧相で見劣りする事は否めません。

そのため座席モケットが先代車両と同じタイプになっている事を除くと、相鉄ではなくJR東日本の車両に乗っている様な錯覚を覚えてしまう有様ですが、ただつり革は最近JR東日本で流行している真っ黒なモノ(個人的には余り好めないのですが…)ではなく、相鉄の先代車両で用いられているモノと同等品が用いられている点は、JRよりは多少印象は良いと感じたものです。

ただベース車両の仕様をほぼそのまま踏襲した事が災いしてか、先頭車は乗務員室がやたらと広く取られ、客室にその分しわ寄せが廻っている事は、先代車両に比べて頂けないと感じたもので、この点は11000系が先代車両と比較した際の数少ない難点と言えます。

こんな車両ですので、MAKIKYUは全然有り難味を感じない先代車両と同じく、個性的な形式番号4桁のアルミ車に比べると…と感じたもので、新型車の割には有り難味はさほど感じられず、MAKIKYUは瀬谷→大和で一度乗車しただけでもう充分と感じてしまった程です。

とはいえ今後相鉄はJR東日本との直通運転を予定しており、その事が大々的に告知されている状況ですので、この事も考えるとJR東日本の車両と基本仕様を共通化する事は得策と言え、JRと錯覚してしまう車両の導入が進むのも止むを得ないのかもしれません。

また老朽車取替えも必要な事を踏まえると、JR直通用に必要な車両数の増備は必須と言えますが、相鉄線を走る車両が先代車両やこの形式ばかりになっては…と感じてしまったもので、JR直通用以外は既存他形式の健闘や、今後の別形式登場も期待したいと感じたもの(これはかなり難しい話ですが…)です。

写真は瀬谷駅に入線した11000系と車内LCDモニター、フルカラーLEDを用いたJR酷似の行先表示、二俣川駅で7000系と並んだ様子です。


寝台特急「あけぼの」号(1)~機関車編

2009-06-23 | 鉄道[東北]

  

今月初めにMAKIKYUが青森・函館方面へ出向いた際には、JR東日本が通年で発売している「青森・函館フリーきっぷ」を利用したのですが、この乗車券では基本的に首都圏~フリーエリア間の往復は東北新幹線経由(IGRいわて銀河鉄道&青い森鉄道利用の際は、同区間分の運賃が別途必要)となっています。

しかし上野~青森間を運行する寝台特急「あけぼの」号に乗車する事も可能で、この場合に限りフリーエリアまでの途中下車は不可能(=弘前までは下車前途無効)ながらも、羽越本線~奥羽本線経由での利用も認められている事から、「往復で同じ列車に乗るよりは…&同じ経路を通るよりは…」という事もあり、往路で「あけぼの」号に乗車する機会がありましたので、少々取り上げたいと思います。

「あけぼの」号は国鉄時代から続く寝台客車を連ねた「ブルートレイン」で、九州方面などへ向かう寝台列車が絶滅した今日では、指の数程しか残っていない希少な「ブルートレイン」の一つになっています。

それに加えて今日の日本では、定期旅客列車での客車列車が次々と電車や気動車に置き換えられ、JR線上では旅客6社全てで昼行定期列車から客車列車が消滅するなど、機関車が客車を牽引する姿自体も見る機会が非常に少なくなっていますので、この点でも非常に希少な存在といえます。

また「あけぼの」号の場合は、上野~青森間の列車運転区間で直流電化区間と交流電化区間の双方を走る事になるのですが、交直両用のEF81形電気機関車などを用いれば機関車交代なしで全区間走破も可能で、現に比較的最近までEF81形が全区間通して「あけぼの」号の牽引を務めていました。

しかし今年春のダイヤ改正からは上野~長岡間では直流電気機関車のEF64形が牽引を務める形態に変更され、長岡駅で機関車が交代する事になりましたので、1列車で2つの機関車が牽引を務める姿を見る事が可能になっています。

その上首都圏の上野駅を発着する列車だけあり、多くの人々の目を引く事もあってか、ブルートレインはおろか、客車列車自体が日本では希少になりつつある現状では、かなりの注目を集める存在となっており、MAKIKYUが「あけぼの」号に乗車する際は、乗客以外にもその姿を一目見てカメラに収めようとする人の姿が絶えず、利用の低調振りが騒がれ、列車廃止が続くブルートレインも、人気は絶大である事を改めて感じさせられたものです。

ただ「あけぼの」号は下りの出発時刻が上野駅21時台となっており、列車が発車する上野駅地上ホームも薄暗いなど、EF64形の姿を捉えるにはやや不適なコンディションになっている事や、深夜に行われる機関車交換は、長岡駅が運転停車となっており、乗客がホームに降りてその姿を目撃する事が出来ない点などは、少々惜しいものです。

また「あけぼの」号は新幹線~特急乗り継ぎ(八戸乗換え)では、首都圏から片道4時間程度で到達可能な上野~青森間を、12時間以上の時間を要して運行する上に、下り列車の青森到着時刻は朝一番の新幹線から乗り継いだ場合とほぼ同等です。

それどころか上り列車に至っては、「あけぼの」号発車時刻より後に青森駅を出発する八戸行き特急~新幹線乗り継ぎでも、青森~首都圏間をその日の内に移動出来る程で、「あけぼの」号は首都圏~青森間を直通する交通手段としての必然性は乏しく、専ら首都圏~奥羽本線沿線間の交通手段としての役割がメインとなっていますので、青森までの運行は、奥羽本線内での昼行列車としての役割を兼ねている事や、車両運用上の都合が大きいといえます。

この様な有様ですので、全区間乗り通す乗客は物好き程度…というのが現状ですが、「あけぼの」号を青森駅まで乗り通した場合、青森駅到着後の客車取り込みでは、列車を牽引しているEF81形は切り離された後に単機回送となり、代わりにディーゼル機関車のDE10形が基地への客車取り込みの任務に当たります。

そのため青森駅到着後は営業中ではないものの、上野出発時点から数えて3機目の機関車が客車を牽引する姿も見られ、途中駅で下車した乗客は見る事が出来ない姿を見る事もでき、全区間乗り通した乗客への特典?とも感じさせる光景を見る事が出来ます。
(この姿は下り列車の青森駅到着時だけでなく、上り列車の青森駅入線時にも見る事が出来る様ですが、こちらは時期によっては暗くなってからの入線になってしまいます)

この姿はEF64形やEF81形が客車の先頭に立つ姿とは異なり、「あけぼの」号のヘッドマークこそありませんが、今日では主に入れ替え用途で用いられる機関車とはいえ、DE10形自体が過去に様々な旅客列車牽引にも用いられ、今日でも臨時列車などで登場する機会が多く見られます。

それどころか「あけぼの」号自体も、ミニ新幹線工事に伴う迂回運転時に一部区間でDE10形が牽引を務めた事もあるだけに、この姿も結構様になっているのでは…と感じたものです。

「あけぼの」号に関しては近日中に続編として、客車の外観や車内の様子などに関しても取り上げたいと思います。


青函トンネル記念館(2)~記念館内と体験坑道

2009-06-22 | 博物館・保存施設等

先日「MAKIKYUのページ」では青函トンネル記念館の屋外に展示されている工事用車両群などに関して取り上げましたが、今日はその続編として記念館内の様子に関して取り上げたいと思います。

記念館の建物内は入場が有料(400円)となっていますが、ここには青函トンネルの構造や建設の経緯などを示した資料などが展示され、映像での説明などもありますので、館内では現在世界最長の鉄道トンネルとなっている青函トンネルの概略などを知る事が出来ます。


とはいえトンネル工事に用いられた工事用車両群ですら、入場が有料となっている記念館内ではなく、屋外に野晒し状況で展示されている程ですので、記念館内を見学するだけでは、壮大な規模を誇る青函トンネルの現状を知るには余りに物足りないと感じるものです。

ただ青函トンネル記念館は館内の展示資料見学だけでなく、別料金で1300円と少々割高ながらも、体験坑道と呼ばれるトンネル内見学とセットになったスペシャルメニュー(名目上はケーブルカー乗車料が往復1000円:体験坑道見学料が300円)が別途用意されている事が大きな特徴となっており、はるばる龍飛の地を訪れ、青函トンネル記念館へ足を運んだ際には、是非こちらを堪能したいものです。
(こんな事を言っているMAKIKYUも、当然体験坑道へ出向いていました)

体験坑道と聞いても余りピンとこない方も居られるかと思いますが、これは青函トンネルが建設時に本坑(列車が通るトンネル)以外にも、建設作業やメンテナンスの為に掘られたトンネルが幾つも存在しており、その一部を実際に探索体験できるものです。

ちなみに青函トンネルは海底トンネルだけあり、最深部で海面下240mの地点を列車が走行し、記念館や龍飛岬の近くに設けられた龍飛海底駅でも海面下140m程の地点に位置していますので、これを人間の足で移動するには少々厳しいものがあります。

しかしながらトンネル記念館~竜飛海底駅近くの青函トンネル内の間にトンネル建設時に掘られた斜坑と呼ばれるトンネルには、階段と並行してケーブルカーの線路が敷設されています。

このケーブルカーはトンネル保守関係者の移動や、緊急時のトンネル→地上への避難用手段として用いられる役割も果たしているのですが、青函トンネル龍飛斜坑線と呼ばれています。

この路線は体験坑道の見学者が記念館~トンネル内を移動する際にも乗車する事ができ、記念館とトンネル内に設けられた乗降場はそれぞれ「記念館駅」「体験坑道駅」という名称が付けられて駅名標まで設けられています。

 
記念館駅は記念館に隣接した場所に駅舎も設けられ、東北の駅100選にも選ばれている程で、列車の運行ダイヤ(不定期列車の比率が高いのですが…)も定められているなど、極めて特殊な性質の路線ながらも遊具の類ではなく、れっきとした鉄道の一種と言えますので、このケーブルカーに乗車する為に、敢えて体験坑道見学へ出向く価値有りと言っても過言ではありません。

使用車両は「もぐら号」と呼ばれる愛称が付けられてヘッドマークも掲出しており、「セイカン-1」という形式も持つオレンジ色一色のケーブルカー1両が斜坑内を往復しています。

 
そのためケーブルカーで一般的な「中間地点で対抗列車とのすれ違い」という姿は見られませんが、体験坑道駅近くに分岐する線路があり、記念館駅では作業員用と思われる別車両の姿も見られましたので、工事関係者などはセイカン-1以外の車両での斜坑内移動や、体験坑道駅手前で分岐する線路を用いる事があるかもしれません。

ちなみに「セイカン-1」は元々が工事関係者用の移動用だけあり、華やかなイメージが強い観光地などで一般的なケーブルカーとは趣が異なりますが、サイレンを鳴らしながら斜坑内を走る独特な雰囲気は、一度乗車するだけの価値有りと言えます。

ただケーブルカーは1列車当たり定員40名という制限こそあるものの、ライナー列車の如く定員制(40名)で座席は指定されておらず、記念館駅から乗車する場合は発車5分前に開始される改札時に、前に並んでいる方から順に乗車するスタイルとなっていますので、最前部などの席を確保したい場合は、改札開始より少し早めに出向いた方が得策です。

またケーブルカー(青函トンネル龍飛斜坑線)で赴くトンネル内の探索体験(体験坑道)は、青函トンネル内の一部という特殊性もあって個人で気の向くがままに見学する事は出来ず、決められた時間内(見学時間は記念館からのケーブルカー往復と合わせて概ね1時間弱、坑道内見学は正味30分程度です)で係員の誘導に従っての見学となります。

そのため壮大な青函トンネルの作業用トンネルなどをじっくりと見学…とは行かないのは残念ですが、日頃なかなか見る事が出来ない貴重な空間を見学できると共に、坑道内の一部ではトンネル工事の様子などを再現した展示も行われており、トンネル工事で実際に用いられた機材などの展示が幾つも見られた程です。

 
ケーブルカー乗車料とは別名目で、300円の「体験坑道見学料」を徴収しているだけの事はあると感じたものですが、幾つもの展示物を地上にある記念館内ではなく、敢えてこんな行き難い場所に幾つも展示するのは、記念館訪問者に館内見学だけではなく、体験坑道の見学へ駆り立てる策略なのでは?とも感じてしまい、展示物の類は時間の制約なしにじっくりと見学できる地上の記念館内にあった方が良いのでは…と感じたものです。

また体験坑道は青函トンネル内の一部施設を一般に開放しているだけあって、JR海峡線の龍飛海底駅ともつながっており、記念館方からの見学者は龍飛海底駅ホームまで出向く事は出来ないのですが、JR北海道の龍飛海峡駅見学とセットで青函トンネル記念館や龍飛岬を見学するコースも別個に設定されています。


この集団が見学を終えて龍飛海底駅へ向かう際に、通常は柵に鍵がかけられて通行できない龍飛海底駅へ向かう通路(案内員の話によると、体験坑道~龍飛海底駅ホームは約400m程の道程との事です)を歩いていく集団の姿もMAKIKYUは目撃していますが、こちらのコースは青函トンネル龍飛斜坑線(ケーブルカー)には当然ながら体験坑道駅から乗車し、トンネル記念館や龍飛岬を見学した後にトンネル内へ戻り、龍飛海底駅から再び列車に乗車する形態となっています。

そのため現在青函トンネル龍飛斜坑線に乗車する際は、必ず往復で乗車して始発駅に戻る形態となっており、片道のみの乗車はトンネル内で非常事態が生じた際の避難などの特殊なケース(これは実際に用いられた話を聞いたことが無く、こんな目的で使われる事はない事を願いたいものですが…)に限られます。

ただ龍飛岬一帯や津軽線末端部(中小国~三厩間)に関しては、公共交通の便が極めて悪く、その上MAKIKYUは青函トンネル記念館を訪問した後にバスで三厩駅へ移動し、その後蟹田→函館と列車を乗り継いだ際には再び記念館のすぐそば(龍飛海底駅)を通過しただけに、随分大回りして余計な時間を要して…と感じたものです。

龍飛岬などの見学を終え、体験坑道内で龍飛海底駅へ向かう海底駅見学の集団を目撃した際には、龍飛海底駅の一般利用、或いは津軽線末端部+外ヶ浜町営バスとのセットプランも実現しないものだろうか?とも感じたものです。
(さすがに龍飛海底駅・青函トンネル記念館見学コースの途中放棄は、海峡駅の特殊性故に列車乗降時に人数を計数している状況ではまず不可能でしょうし…)

とはいえ現在もう一つの海峡駅である吉岡海底駅(こちらはMAKIKYUも過去に一度だけ見学した事があるのですが…)は、北海道新幹線建設に伴って工事用施設として用いられる為に、現在一般客の乗降・見学は不可能な状況になっていますので、壮大な青函トンネルの裏側を見学できる希少な機会といえる龍飛海峡駅の見学自体が今後どの様になるのかも気になる所です。


青函トンネル記念館(1)~外部編

2009-06-21 | 博物館・保存施設等

 
  

MAKIKYUが今月はじめに青森県を走る津軽線に終点の三厩まで乗車した際には、その後外ヶ浜町営バスに乗り換えて津軽半島の突端にある龍飛岬まで足を伸ばしたのですが、龍飛といえば青函トンネル建設時に本州側の工事拠点となった事でも知られています。

その工事拠点となった場所は竜飛岬の少し南に位置しており、竜飛岬からも徒歩で10分程度の所に位置しているのですが、ここには現在青函トンネル記念館が建設されています。

場所柄冬季は道路が封鎖されて閉館となるものの、春~秋にかけては有料(400円)ながらも館内見学が可能となっており、記念館の外にはトンネル工事の際に用いられたトロッコなどの工事用車両群が展示された姿を見る事も出来ます。

ただ記念館の外に展示されたトロッコなどの工事用車両は、屋外に野ざらしで展示され、野晒しと言っても良い状況である上に、気象条件も非常に厳しい事で知られる龍飛の地であるだけに、かなり痛みも見受けられる状況でした。

この状況を見ると青函トンネル開通から、既に20年以上もの月日が経過した事を感じさせられると共に、記念館内で展示するなど保存方法に関しても再考した方が…と感じた程です。

また記念館の外に展示された工事用車両群や、その説明プレートなどがある一帯には、天皇陛下の訪問を記念する石碑も建てられ、この石碑のデザインには青函トンネルから出てくる列車がデザインされています。

この列車のデザインはED79形電気機関車が、50系客車のグレードアップ改造車を牽引したものとなっており、これはどう見ても青函トンネル開業当初から数年前まで海峡線旅客列車の過半数を占めていた快速海峡号にしか見えないものです。

現在この列車は廃止され、青函トンネルを通過する旅客列車は優等列車のみ(そのため青函トンネルを挟む蟹田~木古内間のみの乗車では特急料金不要の特例が設けられている事は有名で、青春18きっぷなどで同区間のみで特急に乗車された事がある方も多いかと思います)となっていますので、石碑のデザインも既に過去のものになっていますが、MAKIKYUは過去に快速海峡号で青函トンネルを通った事もあるだけに、随分懐かしいと感じたものです。

また近日中に続編として、青函トンネル記念館の館内に関しても取り上げたいと思います。

写真は青函トンネル記念館の外観と天皇陛下訪問記念の石碑、記念館の外に展示されているトンネル工事で使用された工事用車両群です。


JR東日本 キハ40形気動車(津軽線)~内装はかなり綺麗なものの…

2009-06-17 | 鉄道[東北]

  

先日MAKIKYUはJR旅客各社の定期営業路線の中で、最後まで未乗車で残存していた津軽線中小国~三厩間に乗車し、JR完全乗車(これは人によって若干定義が異なりますので、厳格な捉え方をしている方からは「まだまだ」という声もあるかと思います)を達成したのですが、その際に蟹田(中小国の一駅南:三厩発着列車の大半はこの駅を始終着とします)~三厩間で乗車したキハ40系列の気動車に関して取り上げたいと思います。

津軽線は中小国以南こそ電化され、蟹田以南を走る普通列車は大半が電車での運行となっていますが、中小国~三厩間は定期旅客列車が5往復のみ、貨物列車の設定も無いJR東日本屈指の閑散線区だけあり、当然ながら非電化区間となっています。

そのため電車での運行は不可能で、必然的に気動車の出番となるのですが、現在津軽線で運用される気動車は、国鉄末期に製造されたキハ40系列のみとなっており、同系列は青森県内では八戸線や五能線といった他の非電化線区でも用いられています。

それどころか基本的に新系列のキハ100形で運用される大湊線でも、キハ100形の配置両数が少ない事から、代走などで一部列車に充当される事が常態化していますので、青森県内ではJR非電化線区の全てで活躍ぶりが見られ、青森では最もありふれた存在の気動車とも言えます。

その中でも五能線を走る車両は配置区所が異なり、塗装も五能線専用の装い(秋田県内を走る男鹿線と同じ塗り分け、運用の関係でこちらが五能線に充当される事や、逆に男鹿線に五能線塗装の車両が充当される事も時折あります)となっています。

それ以外のキハ40系列は八戸に配置された車両で、津軽線で運用される車両もこちらに該当しますが、白に赤帯の装いは近年まで盛岡地区で活躍していた旧型気動車でも見られたものの、今日では八戸に配置されたキハ40系列のみとなっています。

この車両は配置区所と津軽線末端区間が離れている事もあって、東北本線八戸~青森間や、津軽線青森~蟹田間でも車両送り込みの関係で一部普通列車に充当されています。

東北本線を走る列車に関しては昨年MAKIKYUも乗車機会があり、「MAKIKYUのページ」でも取り上げた事がありますが、車内は化粧板や座席モケットが交換されており、その内装は青森県内ではありふれた存在のステンレス製・ワンマン運転対応のVVVFインバーター制御を採用した通勤型電車を凌ぐ程ですので、旧型ながらも随分綺麗な印象を受けるものです。

ただその一方で未だにワンマン化改造や冷房改造、エンジン換装などは行われず、寒地向け仕様の特徴であるデッキと客室との仕切りも残存(ワンマン化改造に伴って撤廃された車両が多く、北海道以外でデッキ付きのキハ40系列は余り多くありません)しているなど、旧態依然とした姿で活躍しているのも特徴で、同じ青森県内を走るキハ40系列でも、ワンマン化改造を行い、冷房装置取り付けやエンジン換装を行った車両を良く見かける五能線の運用車両とは対照的です。

ちなみに八戸に配置されたキハ40系列は、両運転台のキハ40形と片運転台のキハ48形の2種類が存在していますが、2両編成で運転する列車では、片運転台のキハ48形同士では編成を構成せず、2両の一方に敢えて両運転台のキハ40形を連結した編成で活躍している姿ばかりを見かけるものです。

MAKIKYUが津軽線末端区間に乗車した際も、蟹田から乗車した三厩行の列車はキハ48形+キハ40形の編成で、この傾向はJR東日本の一部他エリアにも見られるのですが、この編成では2両で2箇所のトイレは過剰と判断してか、一方のトイレを封鎖(MAKIKYUが乗車したキハ48+40形の編成では、キハ48形のトイレが封鎖となっていました)しており、残りの1両はトイレ利用が可能な車両を充当する必要がある上に、これに加えて無人駅での集札を容易にする事もあるかと思います。

また八戸に配置されているキハ40系列は、キハ40形の方がやや多い事もあって、キハ40形同士の2両編成で運用される事もあり、MAKIKYUが津軽線末端区間に乗車した際も、三厩を夕方に出発する上り最終列車ではこの編成でした。

単行運転可能なキハ40形も、津軽線では営業運転でその特性を活用する事は無く、専ら2両以上の編成で走っているのですが、津軽線末端部の閑散振りを考えると、僅か5往復しかない普通列車でも2両編成は輸送力過剰に感じたものです。

津軽線末端部では少なくとも一方はキハ40形が連結される事が殆どと言う事を考えると、キハ40形1両での運転でも充分なのでは?と感じてしまった程です。

津軽線末端部は超閑散区間にも関わらず、他路線に比べてワンマン運転実施などの合理化が進んでおらず、未だに非冷房車ばかりが活躍するなど、国鉄末期のローカル線さながらの状況なのは気になったものです。

この様な状況にある路線は数多くあるJRローカル線でもごく僅か(何故かJR東日本に集中しているのですが…)なだけに、この状況が今後も暫く続くのか、それとも近い将来に大きな動きが生ずるのかも気になる所です。

写真は津軽線末端部の普通列車に充当されたキハ40形+キハ48形の編成とキハ40形同士の2両編成、随分綺麗な印象を受ける車内の様子です。


外ヶ浜町営バス(2)~蟹田駅を発着する路線の充当車両

2009-06-12 | バス[東北]

 

先日「MAKIKYUのページ」では、三厩~龍飛間を運行する外ヶ浜町営バス(三厩地区循環バス)に関して取り上げましたが、今日はその続編として三厩地区以外で運行している外ヶ浜町営バスに関して取り上げたいと思います。

MAKIKYUが外ヶ浜町営バスに乗車したのは三厩~龍飛間の路線のみで、それも往復共に先日の記事で取り上げた同じ車両という有様でしたが、三厩へ向かう途中の蟹田駅で乗り換え時間があり、同駅で一旦改札を出た際には、蟹田から陸奥湾岸を北上し、旧平舘村方面へ向かう外ヶ浜町営バスの姿も目撃したものでした。

この路線で充当されている車両も、三厩~龍飛間で用いられている車両と同タイプの日野Melphaで、小規模な町営バスにも関わらずこの車両が複数活躍する姿が目撃できると言う事は、この車両が外ヶ浜町営バスの主力的存在になっているとも言えます。

ただ旧平舘方面へ向かう路線に充当されていた車両は、三厩~龍飛間の路線で使用されている車両の様な派手なラッピング車ではなく、バイオレットと白の装いにステッカーを貼り付けた車両でした。

この車両は前面に「TAIRADATE」という標記が見られる事などから、旧平舘村から引き継いだ車両である事が容易に類推できるものですが、何年か前に蟹田駅を下車した際に旧平舘村営バスの姿を目撃した際には、同じ塗り分けの同種車両でありながら、真っ赤な装いで登録番号も異なる車両を目撃していますので、平舘方面へ向かう便に充当されるMelphaは複数台存在している様です。

また蟹田駅では旧平舘村方面へ向かう路線以外に、主に通院目的の利用客を対象に運行している外ヶ浜町中央病院(蟹田駅からさほど遠くなく、津軽線車中からも姿を見る事が出来ます)~三厩方面を1日1往復のみ運行する便の姿も目撃し、この便は蟹田で姿を目撃したあと、三厩駅で龍飛行バスの発車を待っている際にも姿を見る事が出来ました。

こちらは送迎バスなどで御馴染みのマイクロバス・三菱ROSAが用いられており、ROSA自体は各地で良く見かける車両だけあって、MAKIKYUも自治体運行バスをはじめとする路線バスや、自家用(送迎バス)で何度も乗車していますが、三厩~龍飛間のバスと同じ派手なラッピングを纏っているのが特徴です。

MAKIKYUが外ヶ浜町営バスに乗車した際には、土地柄もあって乗客は数える程と言う状況で、輸送力的にはROSAクラスでも差し支えない様ですが、蟹田~三厩間ともなれば路線バスでの移動にしてはそこそこの距離となるだけに、この車両で1時間程度の乗車となると少々厳しいかも…と感じたものでした。


外ヶ浜町営・三厩地区循環バス~三厩駅=竜飛岬間を200円均一の割安運賃で運行する自治体バス

2009-06-11 | バス[東北]

先日「MAKIKYUのページ」では、青森県を走る津軽線の終着駅・三厩(Mimmaya)駅に関して取り上げましたが、MAKIKYUが今月同駅到達でJR旅客各社全線乗車を達成した後は、ここまで足を伸ばしてそのまま折り返すのも…という事で、津軽半島を更に北上して龍飛(Tappi)まで足を伸ばしてきました。

津軽半島を走る鉄路は、海底トンネルを走る海峡線を除くと、三厩が北限となっており、三厩から半島突端の龍飛までは15km近く離れているのですが、その間には土地柄故に運行本数も高頻度とは言えないものの、概ね津軽線三厩発着列車に接続するダイヤで路線バスが運行しています。

三厩~龍飛間をはじめ、津軽半島の陸奥湾側(JR津軽線沿線)を走る路線バスは、以前は青森市営バス(青森市企業局企業部)が一手に引き受けており、これは青森市域を越えているとはいえ、民間事業者を吸収した経緯も影響しています。

しかし現在津軽線沿線を走る青森市営バスは、過疎化やマイカーの普及などによる利用客の大幅な減少もあって、青森市北部の後潟(JR駅近くにもバス停は存在していますが、終点はJR駅より北に位置します)が北限となっており、青森市以北の津軽半島北部からは全面撤退しています。

そのためかつては青森市内中心部から青森市営バスのみを乗り継ぎ、津軽半島突端の龍飛まで到達する事も出来た程ですが、今日ではJR津軽線が並行する後潟~蟹田間は路線バス空白地帯となっており、蟹田以北の路線バスも各自治体運行に切り替わっています。

近年では津軽半島北部の蟹田町・平舘(Tairadate)村・三厩村の3町村が合併して外ヶ浜町が発足し、このエリアの路線バスは外ヶ浜町営バスと今別町営バスの2者となっていますが、旧三厩村が運行していた三厩~龍飛間の路線も、この合併によって現在は外ヶ浜町営バスとして運行しています。

この路線は「三厩地区循環バス」を名乗っているのですが、春~秋の一部便のみ観光向けに竜飛岬まで足を伸ばし、この便のみ竜飛漁港付近で同じ経路を折り返す区間が僅かにあるものの、ほぼ一本線といっても良い路線形態ですので、この名称は少々違和感を感じるものです。

また三厩地区循環バスは200円均一となっており、割安な運賃設定は観光で訪れた旅行者にとっても非常に有難く感じると共に、採算を前提としないコミュニティバス的存在とも言えますが、運行こそ現在は民間事業者に委託されているものの、自治体運営と言う事もあって白ナンバー車両(自家用扱い)による有償運送(過疎地の特例措置で、その運行は自治体のみに認められています)となっているのも特徴です。

使用車両も全国版の時刻表にも運行時刻が掲載される程の路線にも関わらず、ネット上などを探しても情報が少なく、外ヶ浜町HPの町営バスに関する項目を見ても画像等が見当たらないだけに、どんな車両が充当されているのか気になっていましたが、三厩~龍飛間の三厩地区循環バスでは、日野Melphaが充当されており、色違いの同車種は旧平舘村営バス(蟹田~旧平舘村方面:こちらも現在は外ヶ浜町営バス)でも用いられています。

この車両は自治体バスなどで路線バスとして用いられている事例も幾つかあるものの、似た様な外観ながらもコミュニティバスや狭路を運行する路線、地方の過疎路線などで姿を見る事が多いLIESSEとは異なり、主に自家用で用いられている車両だけあって、路線バスとしての乗車機会は結構限られたものとなっています。

そのためMAKIKYUは先日の三厩地区循環バスで、Melpha初めて乗車した程でしたが、龍飛にある青函トンネル記念館のラッピングと共に、車体に「三厩駅⇔竜飛岬」と目立つ標記があることから、基本的にはこの車両が限定で充当されている様です。

津軽半島突端の龍飛岬へのアクセスは、津軽線末端部や三厩地区循環バスの運行本数が限られる事もあり、公共交通でのアクセスは決して至便とは言い難く、現状では観光客のアクセスも観光バスでのツアーや自家用車がメインとなっているのは残念な限りですが、津軽線末端部と共に三厩地区循環バスへの乗車も面白いもので、「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様も三厩や龍飛へ足を伸ばす予定がありましたら、是非三厩地区循環バスへの乗車も検討してみては如何でしょうか?


JR東日本・三厩駅~最果ての雰囲気が漂う駅は利用実態の割に…

2009-06-10 | 鉄道[東北]

数日前MAKIKYUはJR旅客各社の定期営業列車運行路線で、最後まで未乗のまま残っていた区間への乗車に出向き、MAKIKYUは晴れて念願のJR全線完乗(人によって多少定義が異なり、完乗とみなさない方も居られるかもしれませんが…)を達成したのですが、最後まで未乗のまま残っていた区間が津軽線中小国~三厩間(これも厳密に言えば中小国駅より三厩方にある新中小国信号所以北ですが…)でした。

この最後まで未乗のまま残存した区間への乗車は、当然ながら中小国方からとなった事もあり、津軽線終端の三厩(Mimmaya)駅到達で晴れてJR全線完乗となったのですが、今日はこの記念&先日出題したクイズ記事の回答公開も兼ねて、三厩駅に関して取り上げたいと思います。

  
三厩駅舎/駅名標/入線時の様子(到着前の車中から)

三厩駅は津軽線蟹田~三厩間開業と共に開設され、以来今日まで津軽線の終端駅として営業を続けていますが、同区間の開業は戦後になってからで、同駅の歴史も50周年を達成してまもないという状況ですので、旧国鉄→JRの駅の中では、比較的歴史が浅いと言えます。

所在地は現在でこそ平成の市町村合併で青森県東津軽郡外ヶ浜町となっていますが、近年蟹田町などとの越境合併(旧蟹田町~旧三厩村の間に位置する今別町は合併を行っておらず、旧三厩村域は飛び地となっています)を行って外ヶ浜町となる前は三厩村でした。

三厩駅は青函トンネルとその両端部で路線を構成する海峡線を除くと、津軽半島では最も北に位置する鉄道駅で、閑散とした雰囲気もあって本州の最果てという印象を受けます。
(ただ現在の本州最北駅は、青函トンネル内にある海底駅を除くと、陸奥湾を挟んで反対側に位置する下北半島を走る大湊線の下北駅ですが、こちらはむつ市の中心部から少々外れた所に位置しており、三厩駅の様な果てという印象は余りありません)


三厩駅の発車時刻表

その三厩駅を発着する定期列車は、1日僅か5往復の普通列車のみとなっており、本数の少なさや立地故に訪問し難い事もあって、JR各線の中でも最後まで未乗で残存した程ですが、この程度の運行本数という事もあって、新中小国信号所~三厩間は当然ながら1列車しか入線しないダイヤとなっています。

このダイヤ構成であれば、単純に考えれば終端の三厩駅も棒線配置(ホーム1面・線路も1線のみ:盲腸線の典型)を思い浮かべてしまいますが、三厩駅は通常駅舎から離れた側のホームのみ用いているものの、島式ホーム1面の両側に軌道が敷設されています。

  
三厩駅構内の様子①・②/待機している除雪用車両

このため三厩駅手前に設置されたポイントはスプリング式で、三厩駅入線時の進入番線は固定されてしまうものの、構造上は2本の列車が停車可能になっており、このホームの先には車両格納庫をはじめ、除雪用車両(側面に描かれたイラストも立派です)が待機している姿も見られます。
(ただ駅舎側の軌道は列車が殆ど入線しない事もあり、線路の表面には錆が見られたものですが…)

しかも5往復しかない普通列車の中でも、三厩着最終~三厩発始発列車は三厩駅で滞泊する事(地元のニーズを考えると妥当な話ですが、津軽線末端区間の乗車を狙う外来者にとっては、ただでさえ運転本数が少ない所に、有効本数が更に減少しますので痛手かも…)もあって、駅構内には乗務員宿泊用の建物も設けられています。

津軽線末端区間は運行本数から察しがつくと思いますが、乗客数は非常に少ない閑散区間で、全駅駅員無配置でもおかしくない状況ですが、運行上の都合もあって三厩駅には駅係員が配置されているのも特徴(さすがに三厩以外の各駅は駅員無配置ですが…)です。

その上津軽線末端部を運行する列車もワンマン運転に対応していない事から車掌が乗務し、その編成も基本的に2両編成(利用実態を考えれば単行でも充分過ぎる程です)であるなど、列車のワンマン運転化や駅無人化など、合理化が進んでいる各地の現代JRローカル線の現状を踏まえると、旅客数や運転本数などの利用実態の割には随分立派なもので、今日のローカル線にしては設備過剰と感じてしまう程です。

挙句の果てに津軽線で通常運行される車両も国鉄末期に製造されたキハ40系列なのですが、未だに冷房改造が施されずに非冷房のままという有様ですので、国鉄ローカル線の典型的光景が今日に残る稀有な事例と言っても過言ではないと言えます。

ちなみにMAKIKYUの三厩駅訪問時には、白に赤帯のJR発足後の装いとなった車両が充当されていたものの、近年リバイバル塗装として再登場したタラコ色の車両が入っていたら…と感じたものでした。

津軽線末端部(中小国~三厩間)は、外来者にとっては訪問し難い路線でもありますが、本州の最果てを強く感じさせる三厩駅や、その道中のローカルムード溢れる雰囲気は一度は乗りに行く価値有りと感じたものです。

ただ三厩を訪れる機会があるなら、時間が許すのであればそのまま来た列車で折り返すのでは無く、出来ればバスに乗り換えて更に北を目指し、津軽半島北端の竜飛岬も訪問したいもので、こんな事を記しているMAKIKYUも当然竜飛まで足を伸ばしたものでしたが、こちらに関しても近日中に取り上げたいと思います。


祝・JR定期旅客列車運行線区全線踏破!~最後まで残ったのはJR東日本でしたが…

2009-06-08 | Weblog

ここ数日更新の無かった「MAKIKYUのページ」ですが、この間MAKIKYUは未乗車のまま残っていたJR某線の乗車に出向いていました。

離島の1県を除く日本国内の各都道府県に路線を持つ旧国鉄→JR旅客各社の定期旅客列車運行線区全線踏破は、MAKIKYUの一つの目標にもなっており、「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様方の中にも、JR全線踏破を目指している方や、既にJR全線を踏破された方も多いかと思います。

MAKIKYUは今年初めの時点で3島会社(北海道・四国・九州)こそ全線踏破していたのですが、本州3社(東日本・東海・西日本)はどれも未乗車区間が少しずつ残存している状況でした。

その中でも災害で長期運休を余儀なくされた区間が存在する東海・西日本の両社はまだしも、一番最後まで未乗車で残った区間が、路線長は最も長いとはいえ、MAKIKYUにとって最も身近な存在のJR東日本というのは皮肉なものでしたが、先日最後の未乗車区間をようやく踏破し、MAKIKYUは晴れて現行のJR定期旅客列車運行線区の全線踏破を達成する事ができました。

ただ一通り現行のJR定期旅客列車各線を乗車したとはいえ、特殊な運行体系で運行する極一部の列車のみが通過する連絡線(栗橋駅にあるJR~東武直通特急用の連絡線など)や、旅客列車は不定期に運行される臨時列車のみが通過する貨物線(武蔵野南線など)の様な路線となると、乗車していない路線も多数存在しています。

またJRを除く私鉄等に関しても、大手私鉄や地下鉄に関しては一通り乗車(これも連絡線等で未乗車区間はあるのですが…)しているものの、地方私鉄などでまだ未乗車路線・区間も存在していますので、次なる目標として日本国内本土(韓国よりも遠い離島某県まではさすがに厳しいですので…)の旅客鉄道各線踏破を目指すと共に、機会があれば定期列車の走らない貨物線を走るJRの臨時列車などにも乗車したいと思っています。

ちなみに写真はMAKIKYUがJRで最後まで未乗のまま残っていた路線・区間に先日乗車した際に撮影したものですが、このJR東日本の路線は何線か?をクイズとして出題しますので、自身のある方は是非挑戦を!!

クイズのヒントは…
1.MAKIKYUが最後まで未乗車のまま残っていた区間を走る定期旅客列車は、気動車による普通列車が僅か5往復運転のみ
2.かなりの閑散区間にも関わらず、未だにワンマン運転は実施しておらず、複数両(単行ではない)で運行される普通列車各列車には、車掌も乗務しています
3.終着駅の乗降客数はかなり少なく、この駅前を発着する路線バスも自治体運営による白ナンバー車という状況ですが、駅員配置駅となっています
4.起点側は単線ながらも電化区間となっており、特急電車や貨物列車が多数行き交う姿が見られるなど、終端付近とは大きく趣が異なります

(クイズ回答受付は終了しました-6月10日・なおこの記事へのコメントは随時OKです)


東京メトロ9000系電車(5次車)~営団時代の車両とは大きな差が…

2009-06-04 | 鉄道[首都圏・私鉄等]

 

MAKIKYUは先月末に東京都心へ出向く機会があり、その際には運賃の手頃さもあって日頃愛用している東急東横線を利用したのですが、東横線の一部区間は目黒線が併走している事は、ご存知の方も多いかと思います。

先月末に東横線を利用した際には、この目黒線で運行開始したばかりの新型車両・東京メトロ9000系(5次車)が稼動している姿も目撃し、早速乗車してきましたので、取り上げたいと思います。

9000系は旧営団→東京メトロ南北線用に製造された車両で、南北線を走る車両は、相互乗入先事業者の車両を除くと、現段階では全車両がこの系列を名乗っています。

この9000系は、1991年の南北線駒込~赤羽岩淵間開業当初に製造された車両をはじめ、その後の延伸に伴って数度の増備が行われています。

そのため幾つかのバリエーションが存在しているのですが、今まで数度に渡って増備された車両は、下回りや車内の造りなどに差異が見られるものの、外観や内装などは共通性を感じられるものでした。

しかしながら今年に入り、5次車と呼ばれる車両が導入され、この車両は南北線用車両としては久々の増備となるのですが、5次車は前面形状などが大幅に変化し、既存の南北線用車両(1~4次車:以下既存車両と記します)とは見るからに別物という雰囲気ですので、9000系という同一形式の続番で導入された事自体が不思議に感じる程です。

この5次車は既存の9000系とは製造時期が随分離れる事もあり、最新型車両に相応しくドア上にLCDモニターによる案内表示装置が設置(既存の9000系は2段式のLED文字表示タイプ)され、車内の更なる難燃化が図られている点などは、既存車両に比べて進化していると言えます。

ただ化粧板では9000系既存車両の暖色系柄入りに代わり、白色無地となっていますので、内装は随分シンプルな印象を受けたものです。
(ちなみに東京メトロで無地の化粧板を用いた車両は、同社発足後初の新形式となった副都心線用10000系という前例(こちらはグレー)もありますが、こちらは車端部の木目柄化粧板がアクセントとなり、車両端貫通路部分や天井などもかなり趣向を凝らした個性的で特徴あるものとなっていますので、最近首都圏で走り始めた通勤車両の中では、かなり豪華な部類に入ります)

この内装は東京メトロ線内を走る車両の中では評判が芳しくなく、低寿命であると共に、見るからに貧相な内外の雰囲気もあって「某社レンズ付きフィルムに良く似た名称」で呼ばれる事も多い、東西線に乗り入れる他社ステンレス製車両などを連想させるものがあります。

その上ドアチャイムも旧営団車両では一般的なタイプでなく、この評判の芳しくない車両と同じタイプ(10000系もこのタイプですので、今後東京メトロでは標準的になるのかもしれませんが…)になってしまった事も、その印象をより強くしていると感じたものです。
(それでも車内の造りなどは、東西線に乗り入れてくるこの他社ステンレス車よりはまだ良いのが救いですが…)

また東京メトロ発足後は他線でもそこそこの年数活躍した車両を、大規模な改修などを行わずに廃車(新車で代替)する方針が打ち出されていますので、首都圏の中では比較的高級な造りの車両を導入し、改修を行って長く使い続ける旧営団とは、車両方針が180°転換したのでは?と感じる程です。

9000系既存車両をはじめ、旧営団時代末期に導入された車両は形式毎に内装を変えており、そのどれもが趣向を凝らしたものと感じる程ですので、それと今回導入された南北線9000系5次車を比べると、最新車両故に進化したと感じる面もある一方で、内装に関しては今までの9000系や、目黒線を走る他社車両に比べて見劣りが…と感じたもので、今後東京メトロで導入される車両が、どの様な仕様で導入される事になるのかも気になったものです。


千葉県内乗合バス・ルートあんないを入手~これで1都3県がようやく勢揃い

2009-06-01 | 北総監獄

 

一昨日都内に出向いていたMAKIKYUは、とある書店に立ち寄った際に「千葉県内乗合バス・ルートあんない」が発売されているのを発見し、1冊入手して来ました。
(この手の路線図は各エリアではさほど規模の大きくない書店でも置かれ、既に千葉県内の方などはご存知の方も多いかと思います)

「千葉県内乗合バス・ルートあんない」とは、千葉県内各地の路線バスルートを詳細に記した地図で、人文社が刊行このバス路線案内は、既に埼玉県を皮切りに東京都の路線図も刊行されています。

また発行先は国土地理協会と異なるものの、神奈川県版もほぼ同種の路線図が刊行されており、それなら千葉県版も出てこないものか…と思っていましたので、これで1都3県全ての詳細なバス路線図が、ようやく勢揃いした事になります。

大型2種免許を所持していながらも、自家用車等は持っておらず、また日頃各地を出歩く事が多いだけに、首都圏各地の路線バスを利用する機会も多いMAKIKYUとしては、今回の千葉県版刊行は非常に有り難いものですが、このバス路線図シリーズは1都3県のみで完結するのか、それとも更に他都道府県(日頃首都圏に身を置く立場としては、他都道府県の路線バス利用頻度は、1都3県に比べると格段に低いのですが…)版も刊行予定があるのかも気になる所です。

ちなみにこの路線図の刊行日は、第1版第1刷発行日が3月31日と記されており、「MKIKYUのページ」でも取り上げた首都圏の辺境・北総監獄を走っていたちばレインボーバス木下線の廃止(3月限りで運行終了)なども反映されており、内容は最新のものになっています。

そのため千葉県の路線バスを利用する機会があるのであれば、利用価値の大きい路線図と言えますが、千葉県内を運行していても茨城県から乗り入れている関東鉄道などのバス路線が反映されていないのは少々難点で、今後No.2以降が刊行される機会があるならば、この点は改善される事を期待したいと感じたものでした。

写真は一昨日入手した「千葉県内乗合バス・ルートあんない」と、1都3県のバス路線図が勢揃いした様子です。