一昨日・昨日の2日間は、小田急線の5000形10両編成さよなら運転列車が新宿→唐木田間で運転され、ご存知の方も多いかと思います。
この列車は各日450名定員の抽選となっており、MAKIKYUもこの列車の抽選に応募したものの、残念ながら結果は「ハズレ」という状況で、この列車への乗車抽選に応募したものの…という話を至る所で耳にします。
今回のさよなら運転列車では、特製弁当(パッケージにも通称5200形が描かれている様です)や記念品が付き、乗客限定の撮影会に参加できるとはいえ、乗車運賃は結構な値段(新宿~小田原間を特急ロマンスカーで往復する位は…)になるにも関わらず、抽選は相当な高倍率だった様で、小田急線や5000形車両の人気の高さを改めて実感させられたものでした。
またMAKIKYUはさよなら運転列車の抽選結果が残念ながら「ハズレ」とはいえども、最後のさよなら運転で有終の美を飾る姿は是非一度見て記録に収めておきたいと思ったもので、今回のさよなら運転列車運転日は両日とも仕事だったものの、昨日は出勤時間が遅く、その姿を見に行く事も可能な状況でしたので、その姿を見届けるため仕事前に小田急沿線まで足を運んだものでした。
小田急沿線の中でも、MAKIKYUがさよなら運転列車の姿を見届けるために足を運んだのは向ヶ丘遊園駅で、ここではさよなら運転列車は快速急行の通過待ちを行うため、1番ホームに数分間停車するのですが、その間に小田原方にある踏切付近からさよなら運転列車の姿を見届けると共に、特製マークを掲げた最後の晴れ姿をカメラに収めたものでした。
向ヶ丘遊園では最後の晴れ姿を見ようと足を運ぶ人が何人か居るとはいえ、物凄い人出だったと言われている新宿や新百合ヶ丘などとは異なり、比較的落ち着いた雰囲気だったのも良かったもので、日頃の撮影機材はコンデジのみ、走行写真などを撮影できる高級な一眼レフカメラなどを持ち合わせていないMAKIKYUとしては、絶好の撮影舞台だったと感じたものでした。
ちなみに小田急5000形は初期の4両編成・2段窓車がまだ何本も残存しているにも関わらず、通称5200形と呼ばれる6両編成・1段下降窓の後期車両(以下5200形と記します)が次々と姿を消し、5200形は4両編成に短縮改造された3本だけが今後も残存となりますが、今回のさよなら運転を最後に、5000形のみでの10両編成は見納めとなります。
5200形の中でも短縮改造された車両は比較的初期の部類に入り、ドアチャイムも装備していない編成ですので、様々な事情があるにしても、さほど古いとはいえない上に更新工事も施行され、随分綺麗な車両と言う印象がある5200形ドアチャイム装備編成が全滅と言うのは皮肉なもので、この車両でしか聞けないドアチャイムが消滅するのも惜しい限りです。
とはいえ製造時期や活躍年数は大差ないものの、営業運転最終日に知人と乗り合わせた際、内外共に荒廃して今にも退役する車両という印象が否めなかった首都圏の辺境・北総監獄(千葉ニュータウン)を走る「開発を止めた某鉄道」(元○○開発鉄道)のΣ形というヘンテコな形をした電車の最後などとは大違いで、5200形6両編成が最後まで美しい姿で活躍し、有終の美を飾ったことは大いに評価できるものです。
小田急沿線生まれのMAKIKYUとしては、小さい頃は電車といえばまず5200形をはじめとする通称「小田急顔」スタイルの電車が思い浮かぶ程で、このスタイルの電車が次々と姿を消し、遂に6両編成は全滅というのは寂しい限りです。
実車に乗れなくなる今後は模型(MAKIKYUが集めているNゲージ車両の中でも、走行頻度は5本の指に入る程のお気に入りです)でこの姿を楽しむ事が増えそうで、まだ暫くは残存する4両編成の活躍にも期待したいものですが、6両編成の「小田急顔」の電車が消滅すると言う事は、一つの時代の終わりを感じるもので、今日までの活躍ぶりを末永く記憶に留めておきたいものです。