MAKIKYUのページ

MAKIKYUの公共交通を主体とした気紛れなページ。
初めてアクセスされた方はまず「このページについて」をご覧下さい。

JR東日本485系「リゾートやまどり」(1)~外観編

2011-08-31 | 鉄道[北関東]

今年夏の青春18きっぷは、8月末で発売期間が終了し、利用期間も9月10日までですので、残る期間もあと僅かになりましたが、「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様方の中でも、既に18きっぷを利用して小旅行や遠出をされた方や、これから出かける計画を立てている方も居られるかと思います。

MAKIKYUも5回分がセットになっている青春18きっぷの内、既に3回分は7月に東北方面へ足を運ぶ際に利用しており、1回分は利用期間終了間際に利用計画があるのですが、残る1回分をどの様に使おうか…と思っていたものでした。

そして日曜日にJR駅に設置してある指定席自動券売機で翌日の列車空席状況を見たら、今年夏に走り始めたばかりの「リゾートやまどり」を用い、車両名と同名の列車名を名乗る臨時快速列車の空席状況は「△」(空席僅か)となっており、この日は丁度仕事が休みでしたので、急遽青春18きっぷを利用し、日帰りで足を運んだものでした。

リゾートやまどりは、今年の群馬県観光ディスティネーションキャンペーンに合わせ、既存の485系改造お座敷車両(4両編成)の2編成を、廃車発生品のグリーン車座席(253系旧成田エクスプレス)を用いた座席車に再改造したジョイフルトレインです。


6両貫通編成とする為に、一方のお座敷車両は先頭車が外されると共に、ぶどう色と萌黄色の装いに改められていますが、余剰となった先頭車両2両はそのまま廃車と言われており、少々勿体無い気もします。
(まだ新しい今世紀に入ってからのステンレス車を、60両も平気で廃棄する位の会社で、転用する用途も考え難い事を考えると、これ位は特に気にならないかもしれませんが…)


元々の種車はJR東日本のお座敷車両標準スタイルといった雰囲気で、JR東日本のお座敷車両は、良く見ると装い以外にも微妙な差異がある様ですが、「リゾートやまどり」は2つのお座敷車両を種車とした事もあって、2号車だけ窓割りや幅が異なり、やや不揃いで異彩を放つ存在となっています。

また「リゾートやまどり」への転用に伴い、今まではグリーン車扱いだった車両を、普通車に格下げしているのも特徴で、列車運行形態も基本的に全車指定席ながら、平日は主に群馬県内の快速「リゾートやまどり」、土休日などは首都圏と吾妻線内を直結する特急「リゾート草津」と分かれているのもユニークです。

MAKIKYUが先日乗車した際には、青春18きっぷ利用と言う事もあり、前者の快速での乗車となりましたが、設備的には普通車扱いであれば、特急でも充分通用するグレードを誇っており、指定席ながらも快速普通車ともなれば、設備的にはかなりの乗り得列車と感じたものでした。

ただ吾妻線の定期特急列車は、JR在来線の現行特急車では最低レベルに属する車両と感じ、上野から吾妻線内まで乗り通すのは運賃・料金を考えると…と言わざるを得ないのが現状で、ディスティネーションキャンペーンに併せて「リゾート草津」を走らせるだけでなく、定期列車の質的向上にも期待したいと感じたものでした。

車内の様子などは、近日中に続編記事で取り上げたいと思います。


福島~南相馬間を走る急行バス~震災後に設定された新路線

2011-08-30 | バス[東北]

先日福島県浜通り北部(相双地区)の、相馬市内を走る福島交通の路線バスに関して取り上げましたが、東日本大震災による津波被害などで震災後は相双地区の鉄道(JR常磐線)は不通が続き、原ノ町以北では代行バスの運行こそ行われているものの、鉄路の復旧は見通しも立たない状況です。

また高速道路からも離れた地域だけに、公共交通機関の利便性は極めて悪く、余所者にとっては非常に訪問し難い状況になっていますが、この様な状況下で、少しでも相双地区の交通利便性を向上させる事もあってか、震災後に福島駅~相馬~南相馬間の急行バスと名乗る路線バスが新たに設定されています。


このバスは使用車両も大型高速車を用いており、MAKIKYUが乗車した際には、首都圏では殆ど姿を見なくなった三菱製の古参エアロバスに当たりましたが、他に福島交通らしくない印象を受けるいすゞ車(GALA)が活躍する姿を目撃しています。

震災後に緊急で設定された路線だけあって、音声合成による車内放送こそ用意されており、運賃表示器もきちんと表示されるものの、行先を示す字幕は用意されていない様で、前面幕は「福島交通」と社名だけを表示していました。


このため側面に「南相馬⇔福島」と印刷した紙を掲げていたのも特徴的でしたが、以前撮影した同型車(乗車車両とは番号違いですが、所属や形式・年式は同等です)が通常の高速路線に充当された際の画像も以下に参考として載せますので、興味のある方見比べて頂ければと思います。


ちなみにこの路線は、相馬から福島へ向かう際には結構な山道を走り、走行距離は50km以上、所要時間も80分程(南相馬からだと2時間程度を要します)かかりますので、結構乗り応えがあります。

福島交通の路線バスは、震災前の相馬~原町間一般路線でも、経由によっては1000円を越えてしまい、相馬市の南に位置する南相馬市(原町)から、飯館村を経て福島市へ向かう途中に位置する川俣町へ向かう一般路線(現在運休中)は、1500円を超える状況(福島市へ向かうには、更に路線バスを乗り継ぐ必要があり、バス代は累計で2000円を越えます)で、決して安いとは言い難いのが現状です。

しかしながら相馬~福島間の急行バス運賃は1000円となっており、福島~南相馬間を乗り通しても1500円、相馬~南相馬間は500円で乗車可能となっています。

おまけに最近になって当路線限定の回数券も設定され、これだと2枚綴りで1枚当り900円、10枚綴りに到っては1枚当り800円とかなり割安で、運賃は余り安くない印象が強い福島交通にしては、随分健闘していると感じます。

ただ原町~川俣線が運休している今日、この急行バス路線のお陰で相双地区の路線が福島交通の離れ小島的存在にならず、中通りと辛うじて繋がっている状況ですが、途中の一般路線バス空白域をはじめ、相馬方の一般路線が走る玉野や、福島方向の一般路線が走る霊山などは通過するのみとなっています。

これらの地域のバス便も決して良好とは言い難いですので、増便や一般路線車タイプへの車種変更で立席乗車可能にするなど、事情が許すのであれば、今後途中停車地を増やして利便性向上を図った方が…とも感じたものでした。

福島県では3月の東日本大震災による地震や津波被害に加え、原発問題もあり、この影響で浜通り中部は公共交通機関の復旧や一般人の居住はおろか、立入すら当分は厳しい状況なのは皆様もご存知かと思います。

そのため首都圏などから相双地区北部へ足を運ぶ際には、震災前の主な交通手段であったJR常磐線を使う事は当分叶わず、仙台方からのアクセスも常磐線亘理以南の不通が続く状況では、福島駅でこの急行バスと新幹線を乗り継ぐのが、現在の最短ルートで最も至便と言えます。

MAKIKYUが先月相馬から帰路に就く際にも、福島駅までこの急行バスを利用してJRに乗り換えたものでしたが、「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様方も相馬や原ノ町へ足を運ぶ機会がありましたら、是非この急行バスの利用を検討してみては如何でしょうか?


相双地区を走る福島交通の路線バス

2011-08-28 | バス[東北]

先月MAKIKYUが東北へ足を運び、常磐線代行バスで相馬へ出向いた際には、市内を走る路線バスにも乗車する機会がありました。

福島県浜通りの路線バスと言うと、いわき市内の路線バスや常磐道高速バスを運行する新常磐交通が有名ですが、相双地区北部は主に中通りの路線・高速バスを運行する福島交通が運行を行っており、相馬に拠点を構えて相馬・南相馬市内の路線バスなどを運行しています。

相馬・南相馬(原町)の相双地区にある2拠点都市間は、鉄道(JR)や震災後の代行バスに押されて勢力は小さいものの、一応福島交通の路線バスも震災前から運行しており、震災後は一時期運休となったものの、現在は運転を再開しています。

また相馬市内の一般路線も、海沿いの川浦・原釜や磯部方面などへ向かう便は、震災後部分運休が続いているものの、市内各方面へ運行しており、これらのバスでは最近導入されたICカード「NORUCA」は使用できませんが、相馬地区専用のバスカード(磁気式)が導入されています。

ただ自家用車の普及率が非常に高い土地柄だけあり、バスの運行は学生の通学などに必要な最小限度の本数と言っても過言ではない状況で、休日になると全面運休となる路線も多く、毎日運行の路線でも、休日になると運行本数はかなり減少します。

使用車両は平成初頭に製造された中型車が主流を占めており、クリーム地に赤と紺色の三菱製前後扉車は、如何にも福島交通グループといった雰囲気ですが、MAKIKYUが相馬市内で2回程路線バスを利用した際には、2回共にこのタイプの車両でした。

 
この三菱製中型車は、バンパーは黒塗りが主体であるものの、クリーム色に塗られた車もあり、また運行事業社名として福島交通の社名が書かれたバスだけでなく、「依頼者 相馬市」「運行受託 福島交通株式会社」と書かれたバスもあるなど、同じ様な車でも良く見ると少しずつ差異があるのも特徴です。


一般路線車では他に一時新塗装として、新車で導入される低床車がクリームと緑色の装いとなった時期に導入された、三菱製小型車の姿も目撃していますが、最近の新車など(相双地区ではなく福島市内などの話ですが…)ではまた旧来の装いに逆戻りしており、この装いがいつまで続くのかも気になる所です。

また震災後、福島駅~相馬~南相馬間で急行バスと名乗る臨時路線バスも設定されており、こちらに関しても近日中に取り上げたいと思います。


JR美祢線・ようやく復旧へ~西日本の不通区間は解消されるものの…

2011-08-25 | 鉄道[中国]

昨年発生した災害に加え、今年3月の東日本大震災による地震・津波被害や夏の豪雨などにより、現在日本国内では東日本を中心に不通となっている鉄道路線が多数ある事は、「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様方もご存知かと思います。

その中でも昨年夏の集中豪雨による橋脚損傷などで長期の運休を余儀なくされ、1年以上の間列車運行ができない状況が続いていた山口県の美祢線(厚狭~美祢~長門市)は、9月26日始発から全線で運転再開となる事が、昨日JR西日本HPにて発表されました。

美祢線は時刻表では一応黒線で示され、幹線扱いになっている路線とは言え、全区間が単線非電化となっています。


近年の定期旅客列車は基本的に軽快気動車・キハ120形が1~2両程度でワンマン運転を行い、それも概ね2時間に1本程度と言う路線ですので、かつての貨物輸送の関係で幹線扱いになっているとはいえ、実態は閑散ローカル路線の1つとなっています。

MAKIKYUも一度だけ乗車した事がありますが、JR西日本のローカル線名物とも言え、崖のある所などで25km/h程度と極端に速度を落とした徐行運転を行う箇所も幾つも見られた程で、決して本数も多いとは言い難い列車も1両ワンマンでありながら、輸送量的にはバスでも充分では…と感じる程でした。

そのため昨年の災害で復旧見込みが立たないと聞いた時は、台風による甚大な被害を受け、復旧せずに廃線となってしまった高千穂鉄道の2の舞にならない事を願っていましたが、長らくバスによる代行輸送が続いていた状況からの脱却に目処が付いたのは一安心です。

またJRが発表した災害復旧後の美祢線ダイヤを見ると、復旧と併せて改良工事を行い、極端な徐行箇所が減少した事が功を奏したのか、決して利便性が高まったとは言い難いものの、若干の所要時間短縮が図られています。

これに加え、時刻表を見るとJR西日本のローカル線では【毎週第○△曜日運休】という案内を良く見かけ、美祢線も例外ではありませんが、少し前なら定番だった「代行輸送はありませんのでご注意下さい」といった案内は姿を消し、決して旅客流動の大きな路線ではないにもかかわらず、「☆印は運休日にバス代行輸送」という案内が見られるのも評価できる所です。
(本来なら公共交通機関として、常に安定した輸送を確保するのが当然の話ですが、JR西に限ってはそうでない状況が少し前は当り前でしたので…)

今回の美祢線復旧発表により、JR西日本管内では不通区間は無くなり、また長期に渡るバス代行が続くJR東海・名松線の末端区間(家城~伊勢奥津)も、再開までの道程は長いものの、5月に復旧へ向けた合意がなされるなど、本州内JRでは東日本を除き、鉄路復旧の見込みが立っています。

しかしながらJR東日本では3月の東日本大震災による津波被害が余りに大きく、被災地域も広域に跨っており、三陸沿岸を走る第3セクターの三陸鉄道も、津波被害によって過半数の区間が不通のままとなっています。

これに加えて震災に関連した福島の原発事故、更に新潟県などでの集中豪雨によっても不通区間が多数発生しています。

原発関連は一般人の立入自体が制限され、事態収拾による放射線量の低下と、その後の除染などに相当な時間を要する見込みですので、手の施し様がありませんが、津波被災区間の中には今でも再開見込みどころか、代行輸送が行われずに定期券・回数券のみの路線バス振替となっている路線が幾つも存在しています。

また新潟方面でも一部で代行バスの運行が行われていますが、未だに代行バスすら運行されずに不通となっている線区も存在しています。

地域内での路線バス運行なども限られ、公共交通機関を用いてたどり着く事ができない駅も発生する有様で、鉄路の復旧見込みが当分立たないのであれば、早急に代行輸送を開始するなど、地域の足を確保する事に尽力して頂きたいものです。
(秘境駅とも言われ、冬季閉鎖となる人里離れた県境の1駅は別格ですが…)


最近登場した東京メトロ16000系~早くも前面形状が変化

2011-08-23 | 鉄道[首都圏・私鉄等]

数日前MAKIKYUは東京メトロ千代田線と、同線と相互直通運転を行っている小田急線を利用する機会がありましたが、その際には最近登場し、今月発売の某鉄道趣味雑誌(通称RJなどと呼ばれている雑誌です)の表紙にも登場している東京メトロ16000系の最新増備車に初めて遭遇したものでした。

16000系自体はMAKIKYUも千代田線内をはじめ、直通運転を行っているJR常磐線、小田急線両線内でも乗車した事があり、内外のデザインなどは今日の首都圏各線区を走る通勤型電車の中では、トップクラスの部類にする車両と感じています。

最近遭遇しても嬉しくない「某社レンズ付きフィルムに良く似た名称で呼ばれる事が多い電車」や、その派生形とも言える新車が増殖している中で、この車両に当たると少々嬉しく感じてしまうものです。

乗り入れ線区の新型車両は余り感心できないだけに、16000系に刺激されてもう少し見栄えのする電車を…と思ってしまうものですが、電動車比率が低い事もあってか、雨天時の地上線で空転が目立っていた様に感じたのは、数少ない難点かもしれません。
(さすがに「某社レンズ付きフィルムに良く似た名称で呼ばれる事が多い電車」の総本家には期待しても無駄かと思いますが、千代田線と直通運転を開始してから今日に至るまで、どの世代の車両も同世代の地下鉄車両より見劣りしてしまうのは勘弁願いたいものです)

この16000系はアルミ合金製車体、ボルスタ付き台車の採用などは、10000系などの東京メトロ発足後に登場した他の新型車と同様の特徴が見られ、最初に登場した編成では10000系と同じく前面は中央に非常用貫通扉を配した左右対称のデザインとなっています。

しかし最近登場した編成では、貫通扉は非常用で車両間通り抜けには使用しない事もあってか、旧営団の多数の車両などをはじめ、様々な路線の地下鉄直通用車両などで見られる左右非対称の前面形状に変化し、運転席側が拡大されて貫通路が右側に寄った配置に変化しています。

このタイプの車両が走り始めたことは、既にネット上などで情報を入手していましたが、実際に遭遇するとこちらも貫通扉配置こそ変化しているものの、その他は大きな変化が見られず、シンプルながらも機能美を感じる客室内デザインなどは変化していませんので、さほど違和感を感じないものでした。

登場からさほどの時間が経たずに早くも仕様変更されるのは、最近の新形式では時折見られる事で、千代田線の乗り入れ線区でもある小田急線の地上線用主力車両・3000形などが代表例と言えますが、今回の仕様が今後増備予定の16000系にも踏襲されるのか、それとも今後更に仕様変更が出てくるのかも気になる所です。

ただ同一形式を名乗りながらも、首都圏では途中でデザインはおろか、車体材質や下回りまでもが別物に変化し、増備が進む毎にコストダウンばかりを追い求め、接客面などで劣化している印象が否めない形式(現在も増備中)が標準軌某大手私鉄に存在しています。

この困り者電車は座席の座り心地に癖があり、大きく好みが分かれる代物は個人的には非常に頂けないと感じていますが、この車両は都内地下鉄の別路線にも頻繁に出没し、直通運転線区の一つで、余りに高額な運賃で悪評名高い首都圏の辺境・北総監獄(千葉ニュータウン)を走る「開発を止めた某鉄道」(元○○開発鉄道)で高額運賃を支払って利用する際に当たると目も当てられない程ですので、この車両の様な劣化路線にだけは向かわない事を願いたいばかりです。


JR常磐線代行バス(原ノ町以北)~大半は相馬を境に系統分断

2011-08-21 | バス[東北]

先月MAKIKYUが南東北へ足を運んだ際には、3月の東日本大震災に伴って今もなお不通となっている仙石線・石巻線・常磐線の3線区において、列車代行バスを利用したものでしたが、常磐線の代行バスに関してはまだ取り上げていませんので、今日取り上げたいと思います。

常磐線の代行バスは、MAKIKYUの訪問時点では亘理駅~相馬駅~原ノ町駅間で運行しており、その後今月に入ってからは久ノ浜~広野間でも運行を開始しています。

広野~原ノ町間は途中に現在一般人の立入が禁止されているエリアも含まれ、未だに復旧見込みはおろか、代行輸送の確保すらならない事を考えると、代行バスが運行しているだけでもマシといった所ですが、MAKIKYUが利用した亘理~相馬間の代行バスだけでも1時間程度を要します。

乗継時間を含めると仙台~相馬間ですら現在約2時間程度、南相馬(原ノ町)となるとそれ以上の時間がかかりますので、随分不便に感じるものです。

また亘理~原ノ町間の代行輸送は、中には直通運行している便もある様ですが、大半は相馬を境に系統が分断されているのも大きな特徴です。


MAKIKYUが利用した亘理~相馬間では、乗車した便はJRバス東北の三菱エアロバスでしたが、他にJRバス東北の車両はいすゞ製車両も活躍を目撃しています。


他に観光バス専業事業者で、震災による津波で車庫が被災するなど被害の大きかった仙台バスも、亘理~相馬間を走る一部便の運行に携わっており、同社の三菱エアロバスが活躍する姿も見られ、亘理~相馬間で活躍する2社の代行バスでは、仙石線代行バスと同様式の種別・行先表示が見られたのも大きな特徴です。


この区間では主に常磐線よりも内陸を通る国道を走り、途中の山下・坂元両駅が位置する山元町では、甚大な被害の発生した海岸近くの地域を立入禁止にしている事もあってか、JR駅から1km以上離れた箇所に代行バス停留所が設けられているケースもあります。

そのため仙石線代行バスが走る野蒜駅周辺や、石巻線代行バスが走る女川駅周辺に匹敵する程の凄まじい被災地域は通らず、時折1階部分が破損した建物などを見かける事で、津波被害が発生した事を実感する程度でした。
(常磐線代行バスの沿線自治体もかなりの被害が発生しており、3桁の死者が発生した町が幾つもあるのですが…)

相馬~原ノ町間は、南相馬市が緊急時避難区域に指定された事も影響してか、相馬以北に比べて代行バス運行開始が遅れ、この事も系統分断の一因になっているのかもしれませんが、こちらは南相馬市に拠点を置くはらまち旅行バスの車両が何台か活躍している姿を目撃しています。

はらまち旅行バスは地場の小規模な観光バス専業事業者だけあり、MAKIKYUは震災後に初めて社名を知った程ですが、JR代行輸送以外にも南相馬を中心に臨時バスを幾つか走らせ、鉄道輸送が麻痺状態の中で地域の交通機関確保に尽力しています。


代行バスで活躍する車両を見ると、用意できるバスは片っ端から…といった雰囲気が感じられ、さほどの距離や時間を要する訳でもない相馬~原ノ町間の代行バスで、スーパーハイデッカーの大型観光バスが使用されている姿も見かけたものでした。

その一方でどう考えても貸切輸送で使う車両とはかけ離れている三菱製小型路線車・AEROMIDI MJの出没も目撃しています。


この車両は見るからに大都市圏の中古車といった雰囲気が漂い、代行輸送用にわざわざ用意したのか否かも気になりますが、側面ガラスには「JR代行バス 原ノ町駅~相馬駅」と大きく書かれているのも大きな特徴です。

相双地区(福島県浜通り北部)の2大都市(相馬市・南相馬市)間に限れば、JR常磐線も路線位置などを考えると、津波被害はさほどないかと思いますが、この車両を見ると代行輸送の長期化を見越している様にも感じられます。

常磐線の宮城・福島県境付近は津波被害が甚大で、不通が長期化する事は確定的な状況ですが、仙台方面から鉄路がつながるまでは、相双地区内のみでの列車運行再開を行わないのか、離れ小島的状態でも原ノ町駅に留置されている車両を使用し、今後相双地区内のみの特別ダイヤによる暫定運行に踏み切るのかも気になる所です。


小田急3000形「F-Train」(車内編)

2011-08-19 | 小田急グループ

先日「MAKIKYUのページ」で取り上げた小田急3000形「F-Train」ですが、今日はこの電車ならではの車内掲示などに関して取り上げたいと思います。

「F-Train」はラッピング対象が新鋭3000形、それも今年に入ってから10両固定編成となった編成ですので、中間に組み入れられた車両は製造されたばかりと言っても過言ではなく、また「F-Train」は概ね1年程度と告知されており、今後恒常的に走り続ける予定の列車ではありませんので、車内の改装などは行われていません。

 
そのため座席モケットや化粧板、天井などはすっかり乗り慣れた存在の3000形他車両の大多数と変わりませんが、車内の広告枠は来月開館予定の藤子・F・富士夫ミュージアムの案内や、藤子・F・富士夫作品に関する概要などを記した簡単な案内などで埋め尽くされています。

ドアステッカーも代表作品「ドラえもん」の2キャラクターを描いた「F-Train」専用のモノに改められ、サイズこそ他の車両で使用しているモノと同形状・サイズかと思いますが、かわいらしい印象の反面、ドアステッカーとしての危険周知にはやや物足りない気がします。


文面も日本語部分が「ひらくドアにご注意!」ではなく、「ひらくドアに気をつけてね」となっており、都心方で小田急線よりも少し北側を走る大手私鉄電車で用いているドアステッカーを連想させられますが、このステッカーも事情が許すのであれば、「TRAINS」や今後開館予定の「藤子・F・富士夫ミュージアム」などで同等品を発売すると面白いかもしれません。


また今日の世相を反映した節電関連の告知までもが、「F-Train」ならではのキャラクター仕様となっているのも大きな特徴で、意外な所にもこだわりを感じたものです。


つり革も「F-Train」ならではの装飾を施す事が事前に告知されており、3作品に登場する小道具(?)などを描いたモノとなっていますが、実際に車内でつり革を見ると、オレンジ色の優先席付近を除く長いつり革は同じ様に見えるものの、よく見ると一部のつり革でパーマンの道具の代わりに、ドラえもんの顔が描かれたモノがあるのも面白い所です。

今回「F-Train」のラッピングが施された3000形電車は、自動放送装置や車内LCDモニターなども備えていますので、こちらが他の車両と全く変わらないのは少々惜しい所ですが、小田急では「F-Train」を走らせるだけではなく、今後藤子・F・富士夫関連の入線メロディ(現在一部駅で導入されているメロディは放送前に流れるもので、列車入線の注意喚起にも有用な放送後の列車入線時ではない点は、今後改善して欲しいものですが…)なども取り入れる予定となっており、今後の小田急線における藤子・F・富士夫ワールド展開の進展にも注目したいものです。


小田急3000形「F-Train」(外観編)

2011-08-18 | 小田急グループ

今月初めに突如運転開始が発表され、発表開始から程なく運転開始となった小田急3000形「F-Train」ですが、MAKIKYUも数日前にこの電車に遭遇する機会がありましたので、今日はこの電車の外観に関して取り上げたいと思います。

「F-Train」は小田急沿線の川崎市多摩区内に、来月藤子・F・富士夫ミュージアムが開館する事に関連して、既存の小田急線通勤型電車1編成を、藤子・F・富士夫作品でラッピングしたもので、乗車した際は停車する各駅をはじめ、走行中の車内からも線路際でカメラを構える姿が目立ち、「F-Train」に向かって手を振る姿も目立つなど、相当な人気振りが伺えたものでした。

 
対象編成は今年に入ってから中間車4両を組み入れ、編成両数の変更と共に改番を行った3000形10両固定編成の3093Fとなっており、3000形のラッピング車両としては、以前80周年記念イベントの一環として、小学生などを対象にしたデザインコンテストの優秀作品をラッピングした『ぼくたち・わたしたちの「ゆめの列車」』(以下「ゆめの列車」と記します)以来となります。
(「ゆめの列車」に関しては以前取り上げた記事がありますので、興味のある方はこちらをクリックして下さい)

「ゆめの列車」は8両編成(3661F)が対象編成(現在は標準的な姿に戻っています)で、10両固定編成は今年に入ってから登場した新顔ですので、10両固定編成のラッピングは当然ながら今回が初めてとなります。

8両は専ら各駅停車(区間準急を含む)での運用となり、3000形は他に小田急全線の特急と多摩急行を除く各種別で用いられる多数派の6両編成もありますが、10両固定編成はホーム長の関係で概ね急行系の列車での運行となります。

そのため一応小田急線全区間で走行機会こそ存在するものの、「F-Train」が停車できない駅が多数存在するほか、江ノ島線末端や多摩線では走行機会が限られてしまうのは惜しい限りです。

列車の性質を考えると、個人的には各種別・区間をまんべんなく走らせた方が…と感じてしまう上に、3000形6両固定編成の中でも多数派の防音カバー試験編成(3263F)以降は、同じ様な編成がゴロゴロしており、機能的で快適な車両である反面、見た目は単調さが否めませんので、6両固定編成を対象にした方が良かったのではと感じるものです。

とはいえ3000形を「F-Train」の対象にしたのは、同形が多数派という事を除いても、以前の「ゆめの電車」と同様にストレートな断面に戸袋窓なしの車体形状などを踏まえると最善の選択で、1000形などだったら…と感じます。

ちなみにアニメのキャラクターをデザインした車両は、比較的最近乗車したJR仙石線「マンガッタンライナー」をはじめ、同業他社では全国各地で幾つか走っています。

その内幾つかは実際にMAKIKYUも乗車した事があり、「MAKIKYUのページ」でも幾つか取り上げた事がありますが、1~2両といった短い編成が多く、マンガッタンライナーでも4両編成です。
(以下の列車名をクリックすると、該当列車の記事へリンクしますので、興味のある方はご覧頂ければ幸いです)

JR仙石線205系「マンガッタンライナー」(取り上げているのはマンガッタンライナーⅡ)
JR境線キハ40形「鬼太郎列車」(取り上げているのは「ねこ娘」)
上信電鉄500形「銀河鉄道999号」
富士急行5000系「トーマスランド号」

比較的長い編成となると、西武池袋線で走っている3000系電車の「銀河鉄道999」ラッピング車両がありますが、「F-Train」はそれを凌ぐ10両固定編成で、私鉄では最長の部類に入りますので、これだけの長い編成は圧巻で、この長さを目的に敢えて10両固定編成を対象としているのであれば、この編成を選定したのも一理あるかもしれません。

この手の塗装やラッピングを施した車両は、単一作品を扱っている場合が多く、中にはその中でも単一のキャラクターのみを扱った事例もあるほどですが、「F-Train」では藤子・F・富士夫の様々な作品のキャラクターイラストが施されています。

 
様々な作品・キャラクターを扱った列車としては、MAKIKYUも先月乗車したJR仙石線「マンガッタンライナー」が代表格で、こちらは車両毎に作品を分けていますが、「F-Train」では10両もの長編成にも関わらず、車両毎に作品を分けておらず、各車両で藤子・F・富士夫作品の様々なキャラクターが共存しているのも大きな特徴です。

前面も窓下に藤子・F・富士夫作品の5つで登場する代表的なキャラクターが仲良く並び、様々なキャラクターが仲良くしている印象を与えるためなのか否かも気になりますが、このキャラクターのイラストが貼られているために、自慢の小田急グループブランドマークは隠れてしまう事もあってか、側面の乗務員室扉下部にブランドマークが描かれているのも大きな特徴と言えます。

また「F-Train」は車内の大規模な改装こそ行っていないものの、車内にも様々なキャラクターが溢れており、こちらの様子も近日中に別記事で取り上げたいと思います。


アクセス解析体験キャンペーン・「MAKIKYUのページ」の状況

2011-08-15 | Weblog

現在gooブログではアクセス解析体験キャンペーンを行っており、通常は有料サービス利用者のみが利用できるこの機能を、無料ユーザーも期間限定で利用する事が出来ます。

このキャンペーンは間もなく終了となり、現時点では有料サービス(他にも画像容量の増大など、幾つかの特典があります)利用の予定がないMAKIKYUとしては、キャンペーン期間中のみの利用になるのですが、このアクセス解析では無料ユーザーでも日頃チェックできるページ全体の閲覧数や訪問者数に加え、ページ毎の閲覧数や閲覧元URL、検索キーワードなどの表示機能が存在します。

日頃はあまり意識しないアクセス状況も、このアクセス解析を利用して見ると意外な特性が発覚し、トップページや最新記事などのアクセスやキーワード検索が多いのは当然としても、それ以外にも意外なキーワードで辿り着いている事が多いのに感心したものでした。


ここ数日のアクセス状況を見ると、先月運転再開となった仙石線矢本~石巻間は、気動車による特別ダイヤで異色の運行となっている事から、「仙石線 気動車」「石巻 矢本 DC」などのキーワード検索が連日ランクイン(上位20項目が表示)され、他に仙石線代行バス(松島海岸駅~矢本駅)に関連したキーワード検索も散見されるなど、仙石線の現状が結構注目されていると感じたものです。

 
また比較的最近の記事関連以外では、日本一長い距離を走る一般路線バスとして知られる奈良交通・八木新宮線(大和八木駅~新宮駅)関連や、最近トラブル続きで今後が気になるKORAILの高速鉄道車両「KTX 山川」、九州新幹線全通と共に走り始めたJR九州・鹿児島地区の観光特急「指宿のたまて箱」に関するキーワード検索も多く見られたものでした。

そして意外に感じたのは、「三厩」「竜飛岬」など津軽半島北部の地名などのキーワードで検索し、三厩駅~竜飛岬間の代替バスとして運行している外ヶ浜町営バスの記事へのアクセスや、日本国内の鉄道車両運転免許として知られる「動力車操縦者運転免許証」に関する検索、記事へのアクセスも連日ランクインしています。


これらの情報は取り扱っているHPやブログの存在自体が少ない事も影響しているのでは…と感じたもので、外ヶ浜町営バスに関連した記事と、動力車操縦者運転免許証に関連した記事に興味のある方は、以下をクリックしてもご覧頂けます。

http://blog.goo.ne.jp/makikyu/d/20090611 (外ヶ浜町営バス)
http://blog.goo.ne.jp/makikyu/d/20081222 (動力車操縦者運転免許証)

これ以外のキーワード検索に関しては、日によって波があり、日本国内に関しては足を運ぶ機会自体が少なく、記事も少ない北海道や四国・山陰などを除くと、地域や対象は本土全般に跨っています。

MAKIKYUは日頃首都圏に身を置きながらも、他地域へ足を運ぶ機会(業務上の事由で出張する事はまずなく、殆どプライベートです)も多く、他地域に関連した記事を多く扱っている特性が現れたと感じたもので、他に韓国や中国(こちらは最近足を運んでおらず、仕事の状況なども考えると今後も当分足を運べそうにない状況ですが…)に関連したキーワード検索も散見されたものでした。

ちなみに「gooブログ アクセス解析」で検索すると、アクセス解析の無料体験(この件に関するコメント・トラックバックも歓迎します)に関連した記事が幾つもヒットしましたが、「MAKIKYUのページ」と似た様なジャンル・話題を扱うページは余り見当たらず、今後アクセス解析関連のアクセスが増えるか否かも気になる所です。

「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様方の中で、gooブログのページをお持ちの方は、是非このアクセス解析を試してみては如何でしょうか?

(この記事で使用している画像は、全て過去の記事で使用した画像の再掲です)


JR仙石線205系「マンガッタンライナー」~内外共に注目の異色車両

2011-08-14 | 鉄道[東北]

先月MAKIKYUが宮城県の石巻や女川を訪問した際には、青春18きっぷを利用した事もあって、仙台から石巻へは仙石線を利用し、途中で代行バスを挟む行程で移動したものでした。

先月復旧したばかりの矢本~石巻間では、変電所や信号設備などが損傷した影響で気動車(キハ110形)が走り、スタフ使用の併合閉塞による特別ダイヤでの運行となっているなど、所定の運行形態とは大きく異なるものですが、仙台方のあおば通~高城町(Takagimachi)間は概ね震災前と同レベルの運行に戻っています。

そのため「石巻」の行き先が見られず、代わりに震災前なら滅多に見る機会のなかった「高城町」の行き先を良く見かける事を除けば、余り震災の影響を感じる事はないのですが、高城町行きの快速列車は震災前には運転が想定されていなかった事もあり、MAKIKYUが高城町行き快速列車に乗車した際には、普通列車で用いられる「高城町」の行先表示のみを出していたのが気になったものでした。
(現段階では仙石線全区間の復旧見込みが立たず、今後暫くは高城町行き快速列車の運転が常態化する事もあり、既に一部編成では「快速高城町」の字幕も用意されている様ですが…)

MAKIKYUが仙台方から仙石線電車に乗車し、矢本駅行き代行バスの発着する松島海岸駅(高城町駅は代行バス停留所が離れるため、矢本方面のバスへ乗り換える際は松島海岸駅で乗換となります)へ向かうためにあおば通駅に向かいホームに下りると、高城町行き電車こそ仙石線で大半を占める青と水色の帯を巻いた電車でしたが、発車間際だった一本前の東塩釜行き電車には、「マンガッタンライナー」と呼ばれる電車が充当されていました。


「マンガッタンライナー」は石巻に記念館(石ノ森漫画館:震災の影響で2011年8月現在休館中)がある事でも知られる石ノ森作品の数々をラッピングしたスペシャルトレインで、運行開始当初は1本だけの存在でしたが、その後別デザインでもう一本改装され、現在は2本が活躍しています。


今回遭遇したマンガッタンライナーは、後に改装された車両の方で、「マンガッタンライナーⅡ」とも呼ばれている車両の方でしたが、デザインは1両ずつ異なり、前面までキャラクターのデザインが施されています。


種車の205系は一世代前のステンレス製車体と言う事もあり、ビード部分の出っ張りもお構いなしにラッピングされている辺りは、少々苦しい所です。

とはいえ元々は山手線用に導入された車両の中間車をベースに、先頭車化やトイレ取り付けなど様々な改造を施し、ただでさえ205系の中では特徴的な車両の中でも、その最たるものといった印象がありますが、この編成を含む仙石線の一部車両では、車内も他の205系と大きく異なるのが大きな特徴となっています。

これもトイレを装備している石巻方1両だけの話で、他の車両は現在首都圏で活躍している車両と大差なしですが、石巻方1両は「2WAYシート」と呼ばれる座席が装備されているのが目を引きます。


この座席はクロス・ロング双方の座席配置に対応できるのが特徴で、近鉄などでも同種の座席(名称は異なりますが…)が導入されていますが、クロスシート状態では普通列車用にも関わらず、回転式座席となっているのが大きな特徴で、一昔前の特急車を連想させるものです。
(小田急や長野電鉄などでは、今日でもリクライニングなしの回転式座席を装備した有料特急が走っていますが…)

この手の座席は大抵、クロスかロングのどちらかのモードに固定して運用する事が多いのですが、仙石線では現在海側をクロス・山側をロング状態で固定しており、1車両内で両者が混在しているのが特徴的です。

ただこの手の座席はロングモードだと座席数が少なくなり、メリットも背もたれが大きいこと位ですので、随分持て余している印象があります。

出来る事なら山側には他の車両から捻出したロングシートを設置し、他車両の海側に移設した方が…とも思ってしまいますが、この座席を設置した車両はドアエンジン改造なども伴っていますので、なかなか上手くはいかない様です。

この様に設備的には異色ですが、車内は派手な外観とは裏腹に、余りキャラクター色を感じないのも残念な所で、その気になれば座席モケットをはじめ、化粧板にもカッティングシートを貼り付けるといった試みがあっても良いのでは…と感じたものでした。

また現在仙石線で不通区間が発生し、復旧見込みが立たないのは前述の通りですが、石巻駅などではこの電車を盛んに宣伝する告知類が今でも見受けられ、再びマンガッタンライナーが仙台市内から石巻まで直通運転を再開する日を待ち望みたいものです。


先月の女川町~平地は壊滅的な被害状況

2011-08-12 | 日本国内その他

先月MAKIKYUが女川へ足を運んだ際には、女川駅周辺の状況などを視察したものでしたが、MAKIKYUが足を運んだ被災地域の中では、被災状況は何処よりも凄まじく、東日本大震災による津波の凄惨さを身をもって痛感させられたものでした。
(東日本大震災の被災地域では、他に南三陸町や岩手県陸前高田市・大槌町なども市街地が壊滅状態になっている事が報じられ、これらも相当なものかと思いますが…)

MAKIKYUが女川へ向かう際には、石巻駅前からバスで女川町内へ入ったのですが、石巻市から市境を跨いで女川町に入り、石巻線で女川の一つ手前にある駅でもある浦宿周辺を通った際には、女川町の中心部とは山一つ隔てており、震災から既に4ヶ月以上を経ている事もあってか、見た限りではさほどの影響はない様にも感じられたものでした。

しかし浦宿駅前や女川高校を過ぎ、山を越えて女川町中心部の市街地を見渡せる箇所に差し掛かると、僅かな距離で風景は一変し、余りの凄まじさに唖然とするばかりでした。

太平洋に面したリアス式海岸の湾奥に位置し、平地のすぐそばに山が迫るという女川町中心部の立地も影響したとはいえ、女川へ向かう途中の東松島市内や石巻市内などで見かけた被災地域の惨状と比べても、比べ物にならない程酷いと感じたものです。
(東松島市内や石巻市中心部も被災状況は相当で、1995年に発生した阪神大震災後の神戸市内より酷いのですが…)

震災発生直後とは異なり、道路はバスをはじめとする車両の通行に支障が無い様に片付けられ、損壊・流失した家屋などの瓦礫撤去も随分進んでいる事で、余所者が公共交通機関を用いて訪れる事も容易な状況にはなっているものの、標高の低い平地はほぼ壊滅状態と言っても過言ではない有様です。


コンクリートの建物こそ大方躯体を残しているものの、建物の3~4階以上の高さまで津波が突き抜けた痕跡が見受けられ、高台にある町立病院の1回まで津波の水が押し寄せたそうですので、津波の勢いは想像を絶するものです。


津波には比較的強いとされるコンクリート製の建物の中でも、交番と見られる建物など幾つかは横倒しになり、未だに撤去も進んでいない程でしたが、これに加えて地盤沈下の影響で今でも浸水したままの箇所も見受けられるなど、この土地での再起・復興自体が果たして可能なのかと感じてしまう程でした。


こんな状況ですので、JR女川駅なども当然ながら全壊・流失しており、震災後に報じられたニュースでは何百メートルも流された気動車(重たい車両として知られる古参のキハ40系列ですので、こんな車両が平然と流されるのは尋常ではありません)の映像なども報じられた程ですが、現在軌道や車両の撤去は進んでおり、女川駅周辺では使えなくなった軌道や枕木が1箇所にまとめられていたものでした。


石巻線の軌道は数百メートル進んだトンネルの入口まで撤去されており、女川駅では損壊したホームと、震災直後に使用開始予定だったエレベーターの骨組みだけが無残に残り、鉄道施設だけを見ると廃線の様な雰囲気ですが、駅周囲も完全に廃墟と化しており、ただの休廃線跡とはまた異なった異様な雰囲気を感じたものでした。

この女川駅前も今では徒歩で訪れる事は勿論、車両通行も可能な状況となっており、JR石巻線代行バスやミヤコーバスの路線バスも通りますが、当然ながら旅客需要などはまずない事から駅前は通過するのみで、ここから徒歩10分程度の高台にある総合運動公園を起終点としています。


総合運動公園のある高台には、第2小学校なども位置しており、女川町役場も津波で全壊・流失した事もあって、プレハブの仮庁舎がこの高台に建設されるなど、この一帯が現在の女川町中心部ともいえる状況ですが、それでも津波で壊滅した平地ほどではないにしろ、人の気配は少ないと感じたものでした。

またMAKIKYUは震災発生前にも、石巻線の末端区間乗車目的で女川を一度訪れた事があります。

 
この時は時間の関係もあり、来た列車ですぐに引き返した事もあって、街中へ繰り出す事は無かったのですが、在りし日の女川駅に停車中の石巻線列車(バックに映っている建物の躯体と、ホーム土台だけは今でも残存しています)と、一足早く現役を引退し、駅前に開設された温泉施設の休憩所として第2の活躍に入り、当分は安泰かと思われたタラコ色のキハ40形車両(女川駅停車中の車両と共に津波で流失しており、駅前の温泉施設自体も甚大な被害が発生し、閉鎖が発表されています)の写真も取り上げ、この記事の結びにしたいと思います。


女川へ向かうJR代行バスとミヤコーバス

2011-08-10 | バス[東北]

先月MAKIKYUが南東北を訪問した際には、石巻から更に東へ向かった女川(Onagawa)へも足を運んだものでした。

石巻から女川方面への公共交通機関は、東日本大震災の発生前であればJR石巻線利用が一般的で、他にミヤコーバスによる路線バスが存在する状況でしたが、石巻線は5月に前谷地(Maeyachi)~石巻間が運転を再開したとはいえ、石巻以東は今もなお不通が続き、復旧見込みすら出ていない程です。

ただJRでは石巻線代行バスを走らせており、このバスを利用して女川方面へ足を運ぶ事は可能ですが、運行経路の関係で陸前稲井は駅前とはかなり離れた市街地にバス停が設けられています。

終点女川も駅前こそ通るものの、女川駅周辺の被災状況は凄まじく、女川駅も壊滅状態にある事から、発着場所は駅から徒歩10分程度の高台にある総合運動公園に設けられています。

石巻線の代行バスはJRバス東北が、高速路線車を使用して運行しており、仙台~古川間などの短距離高速バスで使用されるトイレなし車両が充当されています。

 
MAKIKYUが利用した際には日野SELEGAに当たりましたが、他に今度バスコレクション2台セットで製品化される車両と同じデザインの三菱ふそう製車両(もう一台は新幹線はやぶさ号と同色のバス)が活躍する姿も見られたものでした。

この代行バスはJRバスだけあってしっかりと「列車代行」の表示が用意されているものの、行先表示類は仙石線代行バスなどに比べると簡易なものとなっています。

この代行バスは震災前の石巻線列車に比べると便数が大幅に限られ、主に朝夕の通学時間帯に重点を置いているため、昼間は運転間隔がかなり開いてしまうのは難点です。

所要時間も列車より余計にかかりますが、運賃はJR代行だけあって石巻~女川間を乗り通しても320円と割安で、MAKIKYUが代行バスを利用した際に使用した青春18きっぷの様な割安な企画乗車券も通用するのはあり難い限りです。

また女川方面への公共交通機関としては、震災前から運行しているミヤコーバスの路線バスも、現在では特別ダイヤでの運行(石巻市HPにダイヤが掲載されています)となっており、女川地区などで一部運行経路や停車停留所が異なっているものの、現在でも運行を続けており、こちらを利用して女川方面へ足を運ぶ事も可能です。

MAKIKYUが女川へ足を運ぶ際にも、片道はミヤコーバスの路線バスを利用しましたが、昼間時間帯にJR代行バスの運転間隔が大きく開く時間に、路線バスが走っている事もしばしばで、陸前稲井と女川を除くJR各駅前での乗降も可能です。


やって来た車両は三菱ふそう製の古参中型車(平成4年式)でしたが、石巻管内は新旧様々な車両が活躍しており、国産4メーカー全ての車種が在籍していますので、どの車両がやってくるかはその時のお楽しみです。

女川まで足を伸ばす便は本数が限られるものの、途中の渡波(Watanoha)までの便数は、渡波止まりや牡鹿方面へ向かう便なども利用できる事もあって、震災前からJRより充実しています。

運賃こそ渡波駅前で350円、女川まで700円とやや割高ですが、セット回数券(石巻駅前の案内所などで発売しています)を利用すると、発売額1000円で100円分のプレミアがあり、MAKIKYUもこの回数券を利用したものでした。

ミヤコーバスは東日本大震災で大きな影響を蒙りながらも、震災後も路線・高速バスや仙石線代行バスなどで地域の足を懸命に確保しており、震災復興を応援する事も考えると、こちらも是非利用したいものです。

ちなみにミヤコーバスの女川方面へ向かう路線は、JR代行バスと経路は大半が重複するものの、陸前稲井(JR代行バス停留所)~渡波間でJR代行バスがトンネルのバイパスを通る所を、海沿いの市街地(津波による被害が大きいです)を通るなどの違いがあり、石巻駅周辺から渡波・女川方面へ足を運ぶのであれば、来た道をそのまま引き返すのは…と考える方にもおススメです。


女川町内では行き先表示や車内放送・運賃表示こそ震災前のものを利用しているものの、経路や表示が異なる旨の案内があり、バスの終点は女川総合運動公園となっていますが、このバス停はすぐ隣にJR代行バスの女川駅ポールが立っており、女川での終点もJR代行バスと同一ですので、両者を乗り比べる際にも便利です。

女川の街が震災前の様な姿を取り戻すのは相当な時間がかかる事が予想され、震災から4ヶ月以上を経た今もなお凄まじい状況ですが、ミヤコーバスの路線バスなどを利用して現地へ足を運ぶだけでも、微力ながら震災復興に貢献できます。

震災を忘れないためにも、被災した現地の状況を直接目の当たりにする価値は充分あると思いますが、「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様方も機会がありましたら、JR代行バスやミヤコーバスなどを利用し、女川へ足を運んでみては如何でしょうか?


JR東日本・仙石線の代行バス~専ら宮交グループが運行

2011-08-08 | バス[東北]

先月MAKIKYUが石巻を訪問した際には、JR仙石線が一部区間(高城町~矢本)で今もなお不通となっており、復旧見込みが立たない事から、代行バスによる運行となっており、MAKIKYUもこの代行バスを利用したものでした。

代行バスは道路事情の関係で、高城町(Takagimachi)駅と代行バス乗り場の位置が離れる事から、高城町よりも一つ仙台方の松島海岸駅から出発しており、仙台方面から仙石線で矢本・石巻方面へ向かう場合は、松島海岸駅で乗換となります。

代行バスは一時期途中駅通過の便も存在した様ですが、現在は松島海岸~矢本間の途中各駅に停車する便のみの運行となっており、先月4ヶ月ぶりに運転再開となった矢本~石巻間の仙石線列車が概ね1時間毎程度での運転となっている事から、これに合わせた本数での運転になっています。
(ダイヤ上は大抵の便で代行バスと列車の接続が確保されていますが、大幅な遅延が発生した時などは乗継できない事もある様です)

松島町内~矢本方面はやや内陸を走る国道45号線を通るのが最短ルートとなっており、松島海岸・高城町~矢本間を直行運行するのであれば、このルートでの運行が妥当な所ですが、現在は仙石線各駅近くに停車する路線設定となっています。

国道から離れた海岸近くで、甚大な津波被害を受けた野蒜(Nobiru)周辺も経由するため、松島海岸駅~矢本駅間の代行バスだけでも約50分程を要します。
(仙石線石巻方面への代行バス運行当初は、野蒜周辺の道路事情が影響してか、野蒜周辺を経由しないルートで運行していました)

 
野蒜周辺で甚大な被害を受けた地域を走行する際には、車内の乗客から驚きの声が上がると共に、野蒜~陸前小野間では運行途中に地震に遭遇し、津波被害こそ免れたものの現場に置き去りにされている仙石線石巻行電車の姿(この電車のすぐ手前まで津波が押し寄せた様です)も目撃できたものでした。
(野蒜は駅構内や周辺の被害状況が凄まじく、地震発生直後の時間で止まったままの駅舎にある時計や、1階部分が津波で流失して躯体だけ残ったコンビニなどが残り、時が止まった廃墟の様な印象を受けたものでした)

そのため仙台駅周辺から石巻駅まで仙石線を利用するとなると、現在は電車~代行バス~気動車列車と乗り継ぎ、乗り換え時間を含めると片道約2時間を要する状況になっています。

仙台駅~石巻駅間を三陸道経由で直通運行するミヤコーバスの高速バスに比べると、所要時間の面では大幅に見劣りし、現在仙台~石巻間を公共交通機関で移動するならば、高速バスが運行していない早朝・深夜帯などを除くと、余程の事がない限りは高速バスに軍配が上がるのが現状です。
(震災前であれば高速バスと仙石線快速の所要時間や運賃はほぼ互角で、定時性や運行時間帯なども考慮すると、仙石線の方が優位だったのですが…)

代行バスは主にバス代行区間や気動車列車運行区間の地域内輸送や、この区間の途中駅と仙台市内を結ぶ役割が主体になっている事も、各駅停車便のみとなっている大きな要因かと思われます。

ちなみにJRの代行バスは、3月の東日本大震災における被災規模が余りに大きく広範囲に及び、本来であれば真っ先に代行輸送を手がけるJRバスだけでは手に負えない状況になっています。

その事もあってか、MAKIKYUが見た限りでは、仙石線代行バスは宮城交通グループのバスのみでの運行となっていました。
(以前は他社バスも走っていた様ですが…)


MAKIKYUが松島海岸駅→矢本駅間で乗車したバスは、宮城交通仙台北営業所所属の日野製観光車(SELEGA)で、運賃箱や運賃表示器、整理券発行機などのワンマン装備や降車ボタンなどを装備していない純粋な貸切専用車でした。

1台のみの運行だった事もあり、正座席は全て埋まり補助席まで用いる程の状況でしたが、通勤通学時間帯などは複数台での運行となる便もある様です。


代行バス終点の矢本駅では、松島海岸駅に向かう便で宮城交通の分離子会社・ミヤコーバスに所属する高速路線車を用いた便を目撃しており、代行バス輸送の規模が比較的大きい事もあってか、宮交グループでも複数の営業所で分担しての運行となっています。

こちらは「路線バス」と書かれたステッカーも貼り付けた路線車だけあって、各種ワンマン機器も装備しており、観光・高速バス車両は三菱ふそう製車両がお気に入りのMAKIKYUとしては、こちらに当たった方が…とも感じたものでした。
(割安な青春18きっぷを利用している事も考えると、代行輸送を利用できるだけでも充分過ぎるのですが…)


この他にMAKIKYUが代行バス乗車後に訪問したミヤコーバス石巻営業所では、震災後に名鉄グループ各社からミヤコーバスに応援で捻出された車両の中にも、「JR東日本列車代行バス」のステッカーを付けた車両が見受けられたもので、宮交グループ自体も震災によって大きな影響を受けている事から、動員できる車両を何でも充当している様にも感じられたものでした。
(ミヤコーバスでは石巻で冠水による使用不能車両が数台発生しており、気仙沼では営業所が津波被害に遭った上に火災で焼失し、過半数の車両が使えなくなるなど、莫大な被害が発生しています)


列車との乗換駅となる松島海岸・矢本両駅では、旅客案内やバス運行整理を行うJR係員の姿を見かけたものでしたが、代行バス自体にはJR係員は乗車せず、途中駅でもJR係員による改集札を行わない事から、車内には代行バス途中駅で下車する旅客用の乗車券・運賃回収箱も設置されているのが特徴です。

 
また仙石線代行バスは運行こそ宮交グループが行っているとはいえ、運営自体はJR東日本が行っている事から、JRの代行輸送である事と共に行き先を示す案内がバス正面窓に掲げられており、同種の表示は常磐線代行バスでも見かけたもので、各駅バス停もJR代行バス様式となっており、こちらも常磐線や石巻線代行バスで同様式のものが用いられていました。

JR代行輸送に関しては、先月仙石線代行バスだけでなく石巻線・常磐線の代行バスも利用していますので、こちらに関しても近日中に取り上げたいと思います。


仙石線矢本~石巻間・気動車から眺めた車窓と石巻駅

2011-08-06 | 鉄道[東北]

先日「MAKIKYUのページ」では、先月4ヶ月ぶりに運転を再開し、現在仙石線矢本~石巻間で活躍するキハ110形気動車を取り上げましたが、今日はその列車内から眺めた車窓と、終点石巻駅の様子を取り上げたいと思います。

MAKIKYUは矢本駅で松島海岸駅からの代行バスから、矢本駅始発の気動車列車に乗り換えて石巻を目指したのですが、矢本駅周辺はかつて矢本町だったものの、現在は市町村合併で東松島市となっており、矢本はその中心駅になっています。


東松島市は東日本大震災関連のニュースなどで、名前が盛んに報じられており、津波による甚大な被害が発生した地域ですが、先月訪問した際の矢本駅前を見る限りでは、電車ではなく気動車や代行バスが発着する事を除くと、特に平時と変わりないのでは…と感じるものでした。
(被災地の中でも津波による家屋流失などが発生し、壊滅的な被害を受けた地域と、津波が押し寄せず何の変哲もない様に見受けられる地域が存在し、僅かな距離で様子が大きく変わってしまうのが、津波被災地の大きな特徴で、矢本駅前から徒歩で到達できる範囲でも、甚大な被害を蒙った地域が存在するはずです)

矢本駅から気動車に乗り込み、石巻を目指すと、その途中区間は海岸線からはやや離れた内陸を走り、津波による大規模な流失などの壊滅的被害を免れたために、4ヶ月で復旧できたのではと感じたものでした。
(それでも沿線では屋根にビニールシートを載せた家屋などが散見され、被災規模の差こそあれ、被災地である事には変わりないのですが…)

とはいえ軌道のバラストなどは一部が真新しいものとなっており、地震規模もそれなりに大きい事から、復旧に際しては軌道の補修などもある程度行われていると見受けられ、一部では徐行で通過する箇所も存在した程でした。


津波による流失こそ免れたものの、沿線でも各所で浸水被害が発生し、農地も海水の塩分をかぶって耕作ができなくなっているため、夏の盛りで普段なら車窓から田んぼが広がるはずの所でも、ひび割れた地面が姿を覗かせるている異様な光景も散見したものでした。

また仙石線は4ヶ月で復旧したとはいえ、変電所設備などに大きな被害を受けた事が、電車ではなく気動車による運転となった大きな要因ですが、変電所内部は列車からは見る事ができず、また架線や架線柱を見ただけでは、素人目には被害状況の大きさは推測できるものではありません。


変電所だけでなく信号設備も大きな被害を蒙っている様で、運転再開区間各所にある信号機は皆無灯火状態、おまけに白いテープで「×」を付けて不使用状態である事を示しているなど、見るからに異様な状況でした。


そのため現在は信号設備を使用せず、通票(タブレット)使用による代用閉塞となっている様で、この扱いは仙石線と共に石巻駅へ乗り入れる石巻線(鹿又~石巻間)も同様です。

仙石線矢本~石巻間は途中駅の交換設備を不使用とした併合閉塞とし、概ね1時間間隔の特別ダイヤで運転しており、1編成の車両がピストン運行する運転形態となっていますが、この影響で使用する線路が限られるため不使用状態が続き、表面に錆びの出ている軌道が幾つも見られる様も異様です。


そして終点の石巻駅に到着すると、現在は仙石線・石巻線共に1つのホームのみを限定使用しているため、何ヶ月も列車が入線せず、錆びの出たレールが何本も見られる状況です。


石巻線女川方面の列車が発着する4・5番ホームへの跨線橋も閉鎖され、駅構内には震災発生前は石巻駅でもありふれた存在だった仙石線用の205系電車が一編成留置されている姿も見られます。


この車両は震災発生時に石巻駅に停車中で、津波による浸水被害を受けた車両と思われ、被災状況がどの程度かは分かりませんが、流失被害などはなく現場解体こそ免れているものの、修理して運用に再起するのか否かも気になる所です。


駅構内にある電光表示を見ると、石巻線女川方面は代行バス輸送が続いている事もあり、列車の表示が出ておらず、残り2方向のみの表示となっていますが、仙石線は「矢本」表示が続き、「仙台・あおば通」の表示が再び見られる様になるまでどれだけの時間を要するのかも気になる所です。
(これが比較的最近まで「リレーつ○め」という列車を走らせていた会社ならば、代行バスと合わせて一体とみなし、「仙台・あおば通」の表示を出して「矢本駅でバスに接続」と案内しそうですが…)


石巻駅で改札を出て外に出ると、石巻駅周辺も津波による浸水被害は受けたものの、現在では路面なども綺麗に整備されており、駅舎自体も損壊などはないため、駅前を見ただけでは被災地へ来たと言う印象はありません。
(ただ駅から少し歩いて街中へ向かうと、家屋解体に伴って粉塵の舞う箇所もあり、1階部分が津波で流失した建物が数多く見受けられた他、交通信号も点灯せず警察官による誘導が行われている交差点が幾つもあるなど、被災状況は震災から4ヶ月を経た今日でも深刻です)

また駅舎脇には仙石線の名物列車「マンガッタンライナー」の案内もあり、仙台市内まで直通する仙石線列車が運転できない今日においても、特にその旨を記す事なく健在です。


現在鉄道(JR)で仙台から石巻を目指すとなると、代行バスを挟んだ仙石線利用、小牛田経由のどちらでも概ね2時間程度を要し、震災前は停車駅の多さもあって「遅い」と言われていた仙石線各駅停車ですら早いと感じてしまう程の状況です。
(MAKIKYUが先月石巻を訪問した際には、青春18きっぷを利用した事もあって往復JR利用(往路仙石線・復路小牛田経由)でしたが、他に仙台~石巻間ではミヤコーバスによる高速バス運行もあります。
運行時刻の制約があるものの、仙石線運休の影響もあって増便運行となっていますので、仙台方面からの石巻訪問には時間・運賃の両面で、現在は高速バスが最も至便です)

そのため被災地域の復興と共に、仙石線の鉄路が再び仙台市内と石巻間でつながり、石巻まで「マンガッタンライナー」をはじめとする「電車」が走る日を待ち望みたいものです。


仙石線を走る架線下気動車~矢本以東ではキハ110形が活躍

2011-08-03 | 鉄道[東北]

先日MAKIKYUは青春18きっぷを利用し、南東北へ足を運んだものでしたが、その際には仙台市内と石巻の間を結ぶ仙石線を利用する機会がありました。

仙石線は私鉄買収線区という経緯もあって、東北地方のJR線では唯一の直流電化線区となっており、この事もあって専ら首都圏で活躍した通勤型電車が転用される事で知られています。

駅間が短く、比較的簡素な雰囲気の駅が多いなど、仙台近郊を走るJR線の中でも、他線とは大きく様相が異なるのも特徴です。

しかしながら一部区間は松島湾に沿って走る路線条件などもあり、3月の東日本大震災では地震による被害に加え、津波による被害も発生しており、輸送量の多い仙台方の複線区間は比較的早期に復旧できたものの、今でも復旧見込みの立たない不通区間が存在しています。

松島湾に面した野蒜付近などは鉄道だけでなく、地域全体が凄まじい被災状況となっており、地盤沈下や集落が移転する可能性などを考えると、復旧までに相当な時間を要する事が予想されますが、石巻方も矢本~石巻間は今回の震災による影響も少なからず発生したとはいえ、先月中頃に運転再開を迎えています。

MAKIKYUは間に代行バスを挟む形ながらも、仙石線を仙台方(あおば通駅)から石巻まで通して利用した事もあり、矢本~石巻間では運転再開からまもない列車を利用したものでした。

矢本~石巻間は普段なら専ら直流通勤型電車が走る区間でありながらも、運転再開後は電車ではなく、気動車での運行となっています。


変電所が被災し、架線設備も損傷した事で、電車での運行が困難な事が、イレギュラーな気動車での運行となった大きな理由ですが、これに加えて一部区間の不通が続く事で、仙石線の車両基地(宮城野電車区)と石巻方再開区間の間で車両の入出庫が困難となっている事も理由として考えられ、現段階では小牛田運輸区所属の陸羽西線用両運転台気動車・キハ110形が4両活躍しています。


車両性能や保守面の問題、車両長などを考えると、石巻線で活躍する国鉄型気動車(キハ40系列)ではなく、新系列車両のキハ110系列が動員されるのも分からなくはなく、矢本~石巻間では2or4両編成で運行(比較的乗客数の少ない昼間時間帯に2両で運行)しており、側面行先表示はLED式を採用している事もあって、きちんと矢本行きの行き先も表示されます。

小牛田に所属するキハ110系列は、陸羽東線用の片運転台車キハ111+112形2両編成も存在するのですが、仙石線では敢えて単行運転可能な両運転台のキハ110形ばかりを寄せ集めているのは特徴的で、両運転台車ばかりが4両連なる編成はかなりインパクトがあります。

また仙石線で運用される車両は、一応石巻駅の小牛田・仙台方に仙石線~石巻線間の連絡線が存在していますので、この連絡線を通じて仙石線に入線しているはずですが、基本的に小牛田へは帰庫せずに仙石線内に留まっている様で、限定された車両が用いられています。

 
仙石線内で限定運用となっている車両の車体側面には、何種類かの石ノ森イラストが貼られ、「簡易マンガッタンライナー」といっても過言ではない雰囲気となっていますが、その一方で元々が陸羽西線用の車両である事から、「Mogami-gawa Line」のロゴも残存しているのは奇妙な感じがします。


車内に足を踏み入れると、客室設備自体は他線区で活躍するキハ110形の一般型仕様車と大差なく、1人掛けボックスシートが混在するセミクロスシートとなっており、仙石線では不要なワンマン設備もそのままで、暫定使用と言う事もあるのか、車内には仙石線の路線図が見当たらないのも気になったものでした。

設備的には通常は一部列車の1車両に回転式座席があるか否か、他はオールロングシートの仙石線にしては、ややグレードアップしていると言っても過言ではありません。


特徴的な点としては、仙石線が通勤電車向けの比較的高いホームとなっており、これに伴って低床ホーム対応のステップ付き気動車では逆段差ができてしまうため、ステップ部分を暫定的に埋めている事が大きく、ステップを埋めた部分の足元が黄色くなっているのが特徴です。

これに加え、矢本~石巻間では乗車時間が短い事や、定期的に車庫へ帰区する機会がない事も影響してか、各車両に設けられたトイレが封鎖され、使用停止の告知が貼られているのも特徴として挙げられます。

本来であれば仙石線は、キハ110系列が定期的に走る路線ではなく、震災発生前の電車による運行が望ましい所ですが、車両や設備面の関係で所定の運行が困難な状況下において、暫定的な形態であっても可能な範囲で運行を再開させた事は大いに評価できるものです。

仙石線以外の他線区において、平時とは大きく異なるイレギュラーな車両が常用される可能性は極めて低いかと思いますが、東日本大震災で大きな被害を受けた路線の中でも、比較的早期に復旧が可能な区間が他にもあるならば、部分的な暫定運行でも再開して欲しいと感じたものでした。