田中眞紀子(シンガー・ソング・ライター)

ピアノの弾き語りで活躍する田中眞紀子のブログサイト。ホームページはブックマークから。

歩く歩く、また歩く。

2009-04-17 00:49:42 | Weblog
池袋のライブハウスには最初から行く予定であったが、急に新宿のライブハウスにも行くことになり、分刻みの1日だった。

池袋の駅から、やたら遠く、しかも分かり難くて歩くわ走るわ!
息急き切って飛び込んだ小屋で、素晴らしいドラムの若者を目撃する。
豹の様な鋭さとしなやかさで繰り出す、ドラマチックな音楽的なドラムは、魂が奏でられていた。
汗をかいた甲斐があった。

ライブ終了後、即新宿に向かう。
何故なのだ?
何故2日続けて同じ所で電車が止まるのだ?
仕方がないから新大久保で降りて、前日と全く同じルートで新宿に向かう。
なんでこんなに歩かにゃならんのか!

今度は出るための店。
さっきとまるで違う音楽の世界に浸ったが、終わってみれば我々の居場所ではない気がした。

カバーはやらないの?
オリジナルだけ?
それは残念!
と来ていた客に言われた。

カバーには魅力を感じはする。
私もあれやこれや、カバーしたいのはたくさんあるさ。単純に楽しいだろうし、勿論勉強にもなる。
だけど。
そこに集った凄腕のミュージシャン達は、誰も苦悩していない。

その事は相方も同意見だった。
カバーに埋没するのは、私は堕落だと思う。

つくづく言葉の重みを感じる。
言葉のない音楽は、聴き疲れというものがまるでない。
リズムに乗って、いつまでもループしながら楽しく続いていく。
情熱もエネルギーもある。
でも、感動が薄い。
魂を揺るがすような深い感動がない。

先の若者のドラムは、シンガーの言葉に反応していると私は感じていた。
言葉に託されたシンガーの生き様に、若者の魂が感応していると。
凄腕のミュージシャンが奏でたスタンダード曲のハイレベルな演奏は、そのメロディを自在に変化させていくのだが、その楽曲につく歌詞の意味も情感も当然、完全に無視されている。
私はシンガーなんだと実感しながら、それらを聴いた。
目の前で展開する卓越したピアノ・テクに、まるで興味が持てないのだ。
その素晴らしい音楽技術を駆使して、いつまでも同じ所をループし続けるんだろう。情熱を持って。
けれどそれが、あなたにもたらすものは何なのかと問いたくなる。
「幸せだ」と答えられてしまえば、それまでだけれど。
どんなに稚拙なオリジナルであろうとも、いや、稚拙であることも含めて自分のオリジナリティでありパーソナリティであり、それをさらして恥をかき、自己を確立することをしてきたのだと、改めて思うのだ。
そしてそれは、私の言葉がスタートなのだ。
音楽には限界がある。
どう頑張っても、いつか誰かが奏でたフレーズを繰り返すだけだ。
けれど言葉は無限だ。
言葉こそが、その人だ。
自分の世界を、いつまでもループし続けることには変わりはないだろうが。
端から見れば、同じ音楽バカなのだろうし。

この日の体験は、今の自分の立ち位置を確認する、非常に重要な出来事となりそうだ。
相方と、何がなんだか、どうすりゃいいのかわからなくなったね、と話ながらも、そしてそれはその通りなのだけれど、私が`やる事’は、むしろはっきりしたように思う。
自分の居場所は自分で作るしかないらしい。
まだまだ、探索は続くのだ。

当分歩きまわらなきゃならないみたいね、アタシ。